最近知ったことなのですが、昔のミサでは、最後の「派遣の祝福(もしくは閉祭のあいさつ)」の際は跪いていた、
というのは、本当でしょうか。
今は、ミサの中での跪きをなくす方向で、日本(日本司教団?)は動いているそうなので、今は立ったままで、
「神に感謝。」とかしていますが、跪いたほうが神様の御心にかなうということであれば、跪いたほうが良いと思うのです。
神の民として、「派遣の祝福(もしくは閉祭のあいさつ)」の際に跪くことは、神の御前においておかしいことではない、
と思うので、そのようにしたいと思いますが、皆さんなら、どうなさいますか?
人間に従い、「動作の一致」を重んじますか?
それとも、神に従い、「志の一致」を重んじますか?

それから‥‥ミサの典礼の中で、会衆が「司祭とともに」と唱える箇所がいくつかあったと思います。
その箇所は、「あなたの霊とともに」と唱えるのが本当らしいのですが、
「あなたの霊とともに」と唱えてはいけないのでしょうか?

それと、奉献文の最後の「すべての誉れと栄光は〜♪世々に至るまで〜♪」を歌っている人たちがいるのですが、
ここは「司祭のみ」が歌う箇所ではないのでしょうか?
先日、主任司祭が不在のため、協力司祭がミサをした際、一部の会衆に歌わせていたのですが、大丈夫でしょうか?
この部分を会衆が歌うと、神の恵みが削がれる、ということを知らない高齢者が大勢いるのでしょうか?

あと、気になったのが‥‥記念唱で、会衆が「主が来られるまで」と唱えますが、
この箇所を「主が『再びorまた』来られるまで」と唱えないのはなぜなのか、と思うようになりました。
この唱え方だと、「主はまだ来ていない(=まだ復活していない)」ということを前提にしていると思います。
まるで、主を「死んだ者」のように扱っているこの箇所は、以前から変更はないのでしょうか?