十十十 カトリック246 十十十©2ch.net
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ある日水瀬いのりちゃんのストーカーすずはらみさきち ◆5oR0dKBDzYに
手紙が届きますた・・・
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/ 殺 す / / /
/ / / / あなたが 「バルバロ訳聖書」 に感激していらっしゃる、その感激は、とてもとても大切なことだと思います。
そして、そのような感激と愛着を持つことが出来るのは、本当に幸せなことなのです。
私はそれほど多くの翻訳を知っているわけではありませんが、それら一つ一つの翻訳聖書に心からの感動を早くから感じて来たことを、本当に (誰にも勝って自分は) 幸せでラッキーだったと、感謝しています。
代表的なものを挙げると ・ ・ ・
(1) ルター訳 (2) King James Version (1611) (3) 文語訳 (4) Revised Standard Version (1952)
(5) 口語訳 (6) 新共同訳 (7) フランシスコ会訳
浅学ながら、私は聖書神学を専門に学んで来たおかげで、それらの翻訳者たちの努力と労苦に対する深い尊敬の心を覚えるようになりました。
「古い」 とか 「レベルが低い」 などと批判するほど、私は有能な人間ではありませんので、ただ学問の進歩と積み上げの豊富な遺産から、ひたすら学ぶのみです。 たくさんある日本語の聖書翻訳を、いろいろ批判して評価付けする人をよく見かけますが、私はあまり気にしていません。
例えば、本当にびっくりするほど美味しいラーメンも、食べられないほど不味いラーメンも、実際には売っていないでしょう。
聖書の場合も同じです。
完璧な翻訳などというものも、また全く間違っているとか全然役に立たない翻訳などというものも、存在しないと思います。
そんなことよりも、自分がどれだけ本気で、しっかりと、聖書全体を繰り返し通読しているかが問題なのです。
聖書は、人がそこから福音を確実に聞き取り、キリストにつながる枝となって、共にミサをささげる民として成長するのでなければ、ただの本棚の飾り物に過ぎなくなってしまいます。 これから初めて聖書を買おうという方には、私は (一般論として) 「新共同訳」 か 「フランシスコ会訳」 をお勧めします。
「新共同訳」 は、多くの教会でミサや礼拝の朗読に使われています。
「フランシスコ会訳」 は、初心者にちょうど良いレベルの解説が各巻の初めにあること、豊富な翻訳注が理解を助けてくれること、というメリットがあります。
だからといって、他の翻訳聖書がダメだとか、使い物にならない、などということはありません。
個人が書斎で読んで学ぶのに、不適切だったり役に立たないような、そんな日本語聖書は存在しないだろうと思います。
そんなことよりも、どうぞ手許にある聖書を実際に読んで、やがて 「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」(ロマ 10:8) と言えるまで、早く成長しようではありませんか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています