▼▼▼仏教は不幸な死にかたした人は前世が悪いと言うらしい▼▼▼ [無断転載禁止]©2ch.net
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前世があるなんことも証明できないのに。
宗派によっては、そんなこと言わないと
言う人もいるが釈迦が、そう言ったと主張する人
もいる。だとすると救いようがない。 永遠の昔から
男に生まれたり女に生まれたりしてるが、
女に生まれたときは仏道修行して仏になることができない。
次に男に生まれる時を待たなければならないわけだ。
男も女も、極楽浄土に生まれるときは男になれるのでOK。
でも、実際に仏になれるは、法華経にもあるように
永遠の未来の話だから、
まあ、オレたちは、あくせく暮らしていくしかないわけだ。 >>573
( ´,_ゝ`)y―-~~ フハハハ!! 考え方は仏教のそれに当てはまるやも知れんが、これこそ真理なわけで
生き物すべての平等なルールなんだわ つまり、「性同一性障害」とは何か...
これは人が生まれながらにして、自分の肉体の性と自己意識内の性別が異なっていることをいう。昔は、ただのオカマだのオナベだ
のといって...一種の変態扱いに近いものだったけれども、これが馬鹿にしてはいけない“先天性の障害”なんだということとなった。
この原因は何かというと、私のオカルティズムの理解から申し上げるならば、実は、魂の前世記憶が原因だということとなる。
通常の一般人というのは、転生毎ごとに前世の記憶は失われています。何故ならば、もしも前世の記憶を有していたのならば、そのこと
が邪魔をして今生でのまともな社会生活ができなくなってしまう。というよりは、まともな精神は崩壊してしまうでしょう。
前世の家族や愛する恋人、憎き犯罪の加害者のことや自分の犯した過ちによる被害者のことといった記憶があれば、そのことを無視し
て過ごすことが、到底できなくなるからです。だからこそ、普通の人間は精神の安全装置として前世記憶が自動的に失われることとなっ
ているのです。前世の記憶があっても平然と対処できる人間、あらゆるすべての過去世の記憶を回復しても問題ない人間こそが完成され
た如来なのです。彼らはニルヴァーナに達する手前でこの能力に目覚める。
ところが膨大な人類の中には、イレギュラー的に前世記憶を保持した状態で生れて来る者も現れる。それがイアン・スティーヴンソン
博士らによる前世記憶の研究対象となっているわけです。>>182>>220>>224>>401
ところで、「性同一性障害」の者というのは何かというと、前世の記憶を明確に持つわけではないけれども、ただ単に前世における性別
の記憶だけが潜在意識の中に強く作用している状態を意味する。つまり、「私は前世で女だったんだ」という記憶が潜在的に作用しており、
肉体上は男であるにもかかわらず、その潜在意識が「自分は女である」という自我意識として顕示してくるのです。これは魂が前世の性
別を主張している状態なので、医学の手法ではまったく直しようがありません。 大乗非仏説って日本の仏教はヤバくない?
日本は大乗仏教って習った記憶がある。
小乗仏教は個人の悟りだけど大乗仏教は
多くの人を救うんじゃなかったっけ?
今、小乗仏教は上座仏教とか言うんだね。 577.
小乗仏教は仏教だが、
大乗仏教は社会事業である。 >>1
釈迦は輪廻転生を解いては居ません。
あれは、バラモン教な。
バラモン教の聖者(沙門)を仏教に教化させる為に、敢えてバラモン教の土俵で説法したから、釈迦は輪廻転生を解いたと勘違いされているけど、そうでは無い。
寄って前世も説いてません。 とある仏教系新興宗教の教祖がキリスト教の
最大の失敗は輪廻転生を認めなかったことだ
とか言ってるの読んだ記憶がある。しかもその人
釈迦の生まれ変わりとか?w ここで前者と言うのは質問した方が示したVeda思想における輪廻の定義のことです。「 輪廻=生まれ変わる」ということです。
Vedaにはハッキリした輪廻転生の思想がなかったと前に述べました。
なぜ、仏教思想から輪廻転生の思想を離婚させようとリキムのですか。
世界中すべての仏教学者の論文、研究などを踏まえた上でも構いませんが、たった一回だけでも釈迦尊が人の命は死ぬまでです、
死後から虚無です、無ですなどの言葉を述べたことがありますかと聴きたいのです。
「無知な衆生は限りなく生まれ変わりして苦しむ」と言う意味の言葉が幾らでもあるのに、なぜその大量のデータを学者様方は無視するのですか。
経典の中でも最古層に入るSuttanipataの慈悲経にも「慈悲を完成したものが再び子宮に戻らない」と言っているのです。
悟りを開いてその喜びを顕にした言葉の中でも「再び生まれることは苦しみである」(dukkhaa jaati punappunam)とあります。この二つのところは皆覚えているところです。
初期経典のテキストの五、六ページをパラパラと開けて見ても輪廻の思想に出会います。 582.
輪廻は存在しない。
輪廻の根拠として成立しない根拠を出している。 輪廻やカルマの法則が本当にあるのかどうかおれは知らんけど
カルマの理論って信仰がない凡夫に対しては致命的な欠陥があるから
仮に本当にあったとしても釈迦がおおっぴらに語ってたとは思えないんだよなあ 誰々が言ったとか言ってないとか、君ら頭カチカチやな。
それそんな重要か? 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
148 何びとも他人を欺(あざむ)いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
149 あたかも、母が已が独り子を命を賭(か)けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意(こころ)を起すべし。
150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥(ふ)しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
152 諸々(もろもろ)の邪(よこし)まな見解にとらわけず、戒(いましめ)を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪(むさぼ)りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。 このスッタニパータの慈悲経は
慈悲を行うものは再び母胎に宿ることがない=輪廻転生から解脱できる
という教えがミソ >>580
あなたのように、
ゴータマは輪廻転生を説いてはいなかった。
経典中の記述は後代の付加挿入によるものだとか、
ゴータマはバラモン教の土俵で説くべくして、
これをただの方便として利用しただけだ〜〜
というものに対して、ここに明確に反証しておきます。
まず、こういうことをいうのは殆ど唯物主義者です。
要するにこれは、“そんなもの(輪廻転生)は在る筈がない”という結論在りきの論理(暴論)に過ぎない。
まず先に“これ”が絶対決まっていて、こんな迷信染みたバラモン教の受け売りのようなアホなことを
これほど冷静で知的な大哲人であったゴータマが説く筈がないのだ、という論理なのです。
彼らは、単なる凡人に過ぎない人間のくせに
あのブッダに対してさも偉そうに教え(結論/唯物論)を説こう!
というのだから、まさに恐れ入る...。 >>582 >>531の通り、
仏教の説く輪廻転生の教えというのは、
ゴータマによって世の中に初めてこれほど具体的な内容として提示されたものです。
当時のインドにおいてはまだ、もっと単純素朴なバラモン教の迷信的な輪廻思想しかありませんでした。
というよりは、実際にはバラモン教(そして、後のヒンドゥー教)の側が仏教からの影響受けて、
積極的に仏教の教えを導入利用していったというのが本当のところ。
あの『ヨーガスートラ』でさえもその成立過程においては仏教徒が関わったといわれており、
そして、アートマン不二一元論のシャンカラに至っては
自ら仏教教団に混じって教えを受けていた仮面仏教徒としても知られています。
要するに、
先の“仏教の輪廻転生の教えはバラモン教の方便利用〜”などという理解については、
もうかなり昔の一時期に巷で広まった間違った仏教理解の代表的なものの一つです。
今日では仏教学の研究も進んでそんな論理が通用することはありません。
『このことはバラモン教のウパニシャッドに説かれる輪廻説と好対照を示す。すなわちウパニシャッドの最古のものとさ
れるチャーンドーギヤ・ウパニシャッドに五火二道の輪廻説が初めて説かれるが,その中で哲人ウッダーラカ・アールニは
その説をパンチャーラ族の王に乞うて聞き学んでいる。王はウッダーラカに,五火二道説は元来クシャトリヤ族にのみ伝わ
る教えで,バラモンたちには今初めて教えるのだと前置きしている。宮元[2003],p. 』
(藤本 晃著『パーリ四ニカーヤに説かれる先祖・施餓鬼供養』) つまり、バラモン教の輪廻思想というのは、
元々はクシャトリヤのみに伝わっていたものであり、
それが当時のバラモンに提示されたのが五火二道の輪廻説だということ。
そして更に、自らゴータマは自分の語る業報輪廻(バラモン教レベルの五火二道説ではない仏教独自の五道輪廻)
の教えはバラモンたちからの受け売りなどではなく、自分自身の超常的な能力によって確認したものであると宣言しています。
ゴータマというのは、自らの直接体験を重視する頑固なまでの経験主義者であり、
そして、厳しく不妄語(嘘をつかない/嘘をついてはいけないということ)の戒律を厳格に守ってこられた方です。
従って、バラモン教の受け売りをして嘘をつくような方ではないということ。
『例えば比丘たちよ,扉のある二つの家があり,眼ある人がその間に立てば,人々が家に入ったり出たり,行ったり来た
り歩き回ったりするのを見るであろうまさにそのように,比丘たちよ,私は清浄で超人的な天眼によって,衆生が劣ったも
のや勝れたもの,美しいものや醜いものとして死んだり生まれたりするのを見ており,衆生が善趣の者や悪趣の者として業
に従って牽かれていくのを知っています。』
(マッジマ・ニカーヤ III 178:)
『しかし比丘たちよ,以上〔五道輪廻の法則〕のことを私は,他の沙門或いはバラモンから聞いて語っているのではあり
ません。そうではなく,私が自ら知った,自ら見た,自ら体験した,そのことだけを私は語っているのです。』
(同 III 186:)
以上. >>584
彼氏が欲しいのにできないで困っている若い女性に向かって、
「それはあなたの容姿と顔が舞祭組だからだ!!」などと、
わざわざそれを彼女の下に言いに行きますか???
しないでしょう。そんな失礼なことは。。。
けれども世の中には、
男性という生き物は、圧倒的に女性の容姿に牽かれるという厳然たる事実がある。
果たして、自分がそうであるかないか...
他にも原因があるかないかは自分自身が考えることです。
その判断材料はある。
仏教の説く、
前世の業により不幸と苦痛が襲うという教えもまた然り。
あなたがたはこうしてすぐに、
業報輪廻の負のマイナス的なイメージ部分のみを取り上げてあーだこうだとやるけれども...
業報輪廻を認めないということは、つまり、善因善果の絶対性も否定するということになるのです。
仏教の万人成仏道の教えもこの輪廻があって初めて成立すること。
これなしで、人が解脱成仏できることは決してありません。 >>593
あるかどうか私は知らないと言ったけど、ないとは断言してないですよ。
何故、信仰薄い者には悪影響を与えうるかはハッキリと書くわけにはいきません
まあ、お察しくだい
もちろん釈迦の言葉を信ずる者には多かれ少なかれ好影響を与えるでしょう >>194
all-了解!!
>>555
>原始経典を読みつつ真言宗の信仰を実践する者ですか?
はい
>>551
>大乗を否定してる様に見受けられますが
「大乗」というのは、その発生の経緯については止むを得ない事情と確かに何か宿命的な部分を感じるけれども、しかし、
その発展の為には手段を選ばず的な不条理を永年に渡って繰り返し重ね続けて来たという負の功罪があります。
まずは、経典(大乗経典)の制作においてゴータマが言いもしないような嘘を勝手に書き連ね、敵視した上座部を小乗とし
て蔑視しつつ、本来の唯一なる仏典である原始経典の扱いも見下げて開祖であるブッダ・ゴータマその人(の価値)を殺して
きた。
大乗の僧侶でありながら原始経典を学ぶなどということは許されず、発覚した場合には破門して飯の食えない乞食僧にし
てきた。結果としては、とても仏教とは言い難い内容のものを勝手にゴータマと仏の名の元に提示して、その偽りの実態に
ついては未だに釈明をしない。私から見てもその価値ある部分は大いに認めつつも...遺憾に感じるところも多い。
詳細内容については今は扱いませんが、今後の投稿の中では時折、述べることがあるかもしれません。 >>551
>宝珠さんは真言宗じゃなかった?違った?
>真言宗は大乗じゃないの?
とはいえ、この私も何も原始仏教の世界をそのまま現代日本に展開するような世界を理想としてるわけではないし、大乗
には大乗(特に日本大乗として)の良き点と素晴らしいところも多々あります。
なので、基本的には原始経典を読むことで本来のブッダの教えを学びつつ、私自身にとっては在家信仰者の歩みとしての
大乗利用ということです。また実際上、私は日本大乗しか接したことがないし、真言信仰歴は35年になる。
また実は、大乗というのはある意味でゴータマから離れつつも、ヒンドゥー化して発展することで、また逆に本来のゴー
タマの還ってきたところがあります。
それが如来蔵思想であり、ゴータマが元々は説いていたとみられる心性本浄説の教えへの原点回帰です。
「比丘たちよ、この心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩(客塵煩悩)によって汚れている」(パーリ増支部)
密教というのは、インド大乗の最後の切札にしてすべての大乗の経験と叡智を保有したものと私は見ています。またそこ
には本来、ゴータマの説いた三十七菩提分法を理想に掲げようとする思想も見られる。
それから、密教の持つ現世利益の方便利用を私は現代日本人に適した仏道入口のキッカケだとも評価します。
〜ということで、この私個人の大乗・密教評価というのは、巷に溢れた一般的な解説評価などとは質も内容もまったく異
なります。 >>577
はい。大義名分としては衆生救済を掲げます。
しかし、自分自身の個人の悟りを目指すことなく衆生救済ができる筈もないこと。
そのことは仏典伝承の通りであって、ゴータマとて然り。
最初から衆生救済を出発点にする人間などは一人もいないでしょう。
それを口にしたら嘘だと思う。
本来は、自分個人が向上していく過程において自分以外の人々に対する奉仕の実践も伴ってくるということ。
その内に自分自身の悟りを得たいという願望(これも欲望「高次の欲」ではある)すらも、
いつの間にか何処かへと消えてしまって、ただひたすら世界に対する奉仕の行為に没頭するという人も出てくる。
こうして、ゴールに到達した如来は衆生に対する慈悲の想いに満たされています。
歴史上、根本二大分裂のときの上部座が小乗と呼ばれる集団でした。
けれども、現在の南方仏教(上座部)は経典を伝承してはいますが、当時の上座部とはまったく違う教団であり、
決して小乗などと馬鹿にするようなものではありません。
ですから、現存する南方仏教を小乗と呼ぶことは止めなければならない。
尤も「小乗」というのは自分で名乗る筈も無いものであって、
すべては自分たちのことを勝手に大乗と名乗った集団が当時の上座部を蔑視して呼称したものに過ぎません。 >>581
元々は、イエスは輪廻転生を説いていましたが、
後のキリスト教がこれを教義から削除したのです。
決定的にはローマ皇帝の下、西ローマ帝国滅亡後の
コンスタンティノポリス公会議(553年)において決定しました。
以降、これを語る者は異端にて処刑されてきたのです。
そのことをまったく知らず、この事実を認めないというクリスチャンが大多数の殆ど。
今は詳しくはやりませんけれども。
本物の高レベルな聖者であれば、
必ず業報輪廻を説きますから。 チベット仏教における輪廻転生の解釈
まず次の点を確認しておきましょう。南伝の上座部仏教にしろ、北伝の漢訳大乗仏教にしろ、チベット仏教にしろ、
凡そ今日存在している伝統仏教の全てが、輪廻転生の存在を認めています。二十世紀のインドでアンベードカル博士が
提唱した新仏教、及び近代仏教学の影響で明治以降に変質した日本仏教の一部のみが、輪廻転生の存在を否定しているようです。
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%BC%AA%E5%BB%BB%E8%BB%A2%E7%94%9F%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%8A%E5%BE%97%E3%82%8B%E3%81%8B
テーラワーダ仏教 輪廻の解釈について
なぜ、仏教思想から輪廻転生の思想を離婚させようとリキムのですか。
世界中すべての仏教学者の論文、研究などを踏まえた上でも構いませんが、たった一回だけでも釈迦尊が人の命は死ぬまでです、死
後から虚無です、無ですなどの言葉を述べたことがありますかと聴きたいのです。
「無知な衆生は限りなく生まれ変わりして苦しむ」と言う意味の言葉が幾らでもあるのに、
なぜその大量のデータを学者様方は無視するのですか。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html イギリスなんか幽霊を認める文化があるんだよね。
古城の伝説。ゴーストバスターとかハロウィンもある。
でも、宗教上は幽霊を認めない。米国映画エクソシスト
でも、死んだ神父の母親に化けるのは悪魔。 >大乗の僧侶でありながら原始経典を学ぶなどということは許されず、発覚した場合には破門して飯の食えない乞食僧にし・・・
・・・・・・・・・
五世紀初頭のインド仏教の寺院数の実態・・・・
大乗寺24、小乗寺60(有部、正量、上座、大衆、説出世、大乗上座部)
そして、大乗小乗兼学の寺15・・・・・
⇒『大乗小乗兼学の寺15』
wwwwwwwwwwwwwwwww ところでカルマがあるとしてそれを帳消しにしたりする方法ってないのかな?
ヴェーダだと神の愛はカルマを超えて影響を及ぼすらしいし
新約聖書だとイエスの力でカルマの影響を消し去ってるように見えるけど
仏教だとどうなん? >>602
仏教と他の宗教とではカルマの定義が違うみたいだけど、
仏教では帳消しは解脱して涅槃しかないみたい。
悪いカルマを最小限に留めるには瞑想などの善行を行ったりします。悪いカルマが原因で鬱の人が瞑想で立ち直ったなら善行の結果ですね。
自力で頑張るしかないんですね。 >>600
その通りです。
ゴーストとは、
死後に残存してる故人のアストラル想念形態であり、
欲望(一つの想いの塊)の生きたエネルギー生命体といえるものです。
カーマ・ローカ(kāma-loka) 、欲界における死後の状態の一つで仏教における「餓鬼」
(が、現象界に存続している状態)もこれに該当します。
ゴーストは種々の物理的なエネルギー反応(電磁波、温度、光度etc..)を示すので
科学的な高精度の検知器ならばその存在を捉えることは十分にできます。
キリスト教圏では、
家族の死霊が様々に影響を及ぼすといった教義がないので、
悪事を働く見えない存在はすべて「悪魔」の仕業ということにされます。 >>604
追記:
なので、
キリスト教信仰では、悪魔は“痛めつけて追い出す”ということになる。
対する仏教僧侶であれば、迷っている死霊は供養して慰め教え諭して、
本来のいるべき世界に留まるよう引導するということになる。
(そうとは理解せず、ただ外見上だけ死者供養をしてみせている僧侶はただの詐欺師金取りです) >>601
それは失礼!
その破門についての話は日本大乗の歴史的実態(実際にあったこと)についてです。
話をごく簡単にしてしまったので、インド仏教も日本仏教も明確に区別なく話してしまっています。
日本における顕著な原始経典に対する蔑視の伝統というのは、
日本の仏教伝来からのもので、それは中国シナ仏教からの丸ごと輸入が原因しています。
中国の高僧、天台宗第三祖の天台大師智の決定に拠って、
五時八教と呼ばれる間違った教判(教相判尺)によってダメ烙印が押された状態で日本に入ってきたからです。
ですから、大乗僧侶がこれを学ぶことは日本仏教にとって千年以上の永き間に渡ってきた絶対的なタブーなのでした。
日本で本格的な研究対象になってきたのは江戸末期〜明治初頭に入ってからです。
しかも、あくまでもそれは信仰対象としてではなく学術対象としてのこと。
このことについては、増谷文雄氏の阿含経研究の書籍を読まれればより詳しく知ることが出来ます。 そして、
私がどうして原始経典でなければ仏教だといえなのか?
これを学ばない限り仏教の説く境地に至ることが難しいことになってしまうとするのかは、
ゴータマが雑阿含応説経においてハッキリと、
三十七菩提分法を修行しない限りはどんなに望んだりお願いしようとも決して成仏できないと明言しているからです。
この法は原始経典のみに説かれているものであり、
大乗徒らというのは原始経典を小乗扱いしてきているのでこの法を修得しません
だから、私はいうのです(あなたが指摘するようなインド仏教史上の大小混在の時期については割愛)。
果たして、大乗が説く実践法である六波羅蜜(或いは十波羅蜜)というのは、
ゴータマ三十七菩提分法のどこまでをカバーできているでしょうかね???
『比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著する
ところなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところなく、
もろもろの煩悩より解脱してあることはできないであろう。
それは何故であろうか。それは修習しないからであるといわねばならない。では、なにを修習しないの
であるか。四つの熱心なる観想(四念処)を修習せず、四つの正しき精進(四正勤)を修習せず、四つの
意志力の修練(四如意足)を修習せず、五つの能力の修練(五根)を修習せず、五つの能力の実現(五
力)を修習せず、七つの観察(七覚支)を修習せず、また、八つの正しい実践(八正道)を修習しないか
らである。』(雑阿含経10.8応説/相応部経典22.101手斧の柄) チベット密教の輪廻転生と創価学会の
輪廻転生って全然違うんだよね。
チベット密教は解脱すると転生しなくなり
それが最高の状態ですよね?ところが
創価学会は徳の高い人ほどすぐ生まれ変わる
と言う教え。創価学会で修行すると仏界や菩薩界
の人間になるのだとか。そして、仏界や菩薩界の
人たちはのんきに死んでる暇はないのだと言う。
そうですよね?このスレにいる創価学会の人? >>609
原始経典では、
一度、ニルヴァーナに到達すれば、もう二度と(業に拠って)母胎に宿ることはない。
というのが基本スタンスであり、それ以外についての説明については自分はまだ知りません。
神智学には詳細な解説があります。
一般的には、普通人及びレベルの低い人間ほど次の転生が早い傾向があります。
つまり、修得すべき経験が多て清算すべきカルマも多いからでしょう。
平均的には、進歩した魂ほど次の転生までの期間は永くなる傾向があるといわれています。
プララヤ(極楽/天国的な休息期間)や天界での生存期間が永いのでしょう。
尚、神智学ではニルヴァーナに達した覚者が自らの意志で肉体を持って働かれる事例
(人類の進化に携わる任務)が多く紹介されています。
大乗的にいえば、如来の化身としての観世音菩薩的な存在に該当します。
同じくヒンドゥーにおいても、完成者の化身の出現(アヴァターラ)は説かれます。 >>606
>その破門についての話は日本大乗の歴史的実態(実際にあったこと)についてです。
破門に遭った僧の実例はあるの?
念仏の法然も親鸞も、法華至上主義の日蓮も一切経として阿含経は何度も読破してるが、
間違った教えとかの批判はしてないのだが。
ただ、仏道の初歩の教えだと言っていただけで正しくないなどとは言ってない。
当然ダメ烙印なども押してはいない。
>>607
>この法は原始経典のみに説かれているものであり、
>大乗徒らというのは原始経典を小乗扱いしてきているのでこの法を修得しません
そんなこと言ったら龍樹に怒られるよ。
大智度論釋初品中三十七品義第三十一
http://www.geocities.jp/tubamedou/Daichidoron/Daichidoron11-20/Daichidoronn19a.htm
目を通すべし でも、チベット密教のダライ・ラマって
死んでもすぐに生まれ変わるんですよね?
あれは創価学会の教えみたいな感じw
因みに、あれホントなのかな? >>603
解脱して涅槃に入るしかないってことですか
まあ業によって輪廻するんだから、輪廻しないならカルマはないと
うーん、いろいろ考えたけどやはりカルマと輪廻があるという思想もないという思想も
善性薄いものに大しては結局のところ両方とも毒になりえますね。 >>611
>破門に遭った僧の実例はあるの?
1901年(明治34年)に大乗非仏説を提唱する書籍を出版したために真宗大谷派の僧侶が破門されて僧籍を離脱しています(後に復帰
した)。この方が超がつく大物であり、東京帝国大学印度哲学科の初代教授にして名誉教授、そして大谷大学学長でした。そのため有
名な事件となった。宗門の信仰を破壊するような行動をすればどうなるのか、恐らくは見せしめということでしょう。けれどもたまた
まこの方が大物だったから騒がれただけで、宗門の手前と圧力があって実態の詳細はなかなか表沙汰にはなり難いでしょうから、こ
の事例などは氷山の一角だと思います。ごく最近の事例では、TV出演を機会に瞬く間に有名人と化した東大卒エリートの小池龍之介
氏で、『超訳ブッダのことば』などの書籍も出版してました。彼は浄土真宗本願寺派の僧侶でありながら、根本仏教を提唱して原始仏
典に基づいた観察(ヴィパッサナ)や集中(サマタ)の瞑想指導などを行っていた。そのことが宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程
(宗則第9号)第12条の2に当たるものとされ、破門処分を受けて僧籍を削除されています。
まっ、真宗系列は一神教要素が顕著で排他性が強く、元々は一向一揆の攻撃性も潜めているところなので、特にこういうことが目
立つ宗派なのかもしれませんが・・・。
だから、真宗の寺院に生れて家を継ぐべく勉強していて、しだいにブッダの教えに感銘して原始経典の学修を深めていく中で、自己
の中に根本仏教の教えや大乗非仏説という理解に至った場合は、その僧侶はその後の人生の生き方を問われることとなるのです。
『村上専精---また、1901年、永年の仏教思想研究の成果に客観的方法論を導入して『仏教統一論』を著し、大乗非仏説を提起、
大きな反響を呼んだ。このため一時、所属する真宗大谷派の僧籍を離れる(還俗)ことがあったが、同派出身の南条文雄・ 井上円了・
清沢満之らをはじめ幅広い分野の人々と交流、終始一貫、近代的な仏教研究と教育体制の充実・整備に力を注いだ。
---中略---主な著書・仏教統一論[第1編:大綱論、第2編:原理論、第3編:仏陀論](1901〜1905年)・大乗仏説論批判(1903年)』
(Wiki) 『そうした事情がわが国でも急速に明らかになってきたのであるが、そのため近代仏教学研究者でしかも僧籍にある人々は、大きな
ジレンマに直面することになった。僧籍にある仏教学研究者は、みずからのよって立つ基盤は宗学でなければならないのであるが、近
代仏教学の成果は、その基盤を揺るがさざるをえなくなった。そのため、僧籍にありつつも近代仏教学の洗礼を受け、それに熱心に打
ち込んだ人々の中には、宗派から破門されるという憂き目に遇う人々が現れるようになった』
(中村 元著書『原始仏典』あとがき/宮元啓一筆)
http://ameblo.jp/takanobu/entry-11459194942.html
『>私自身,南方上座部にいくばくかの興味はあるのですが,その前に
>タンマさん御自身のことをもう少し詳しく伺いたいものです.
>もし差支えなければ,ですけど.
>「以前は大乗仏教の僧であった」とのことですが,
>現在は(どの教団かは存じませんが,そこから)僧籍を抜いて
>上座部で受戒なさったのでしょうか?
>
僧籍はそのままになっておりますが、以前、テーラワーダの本を出版したときに、自
分の先生から叱責をうけ、大乗仏教と違うことを言うならば、
破門にすると言われていますし、私も、現在も葬儀など行っている
関係上、宗派の名前では話しにくいと言うことがあります。
勿論、ミャンマーでは一時的な出家も許されておりますので、
修行をするときは、比丘として受戒し、出家僧として、托鉢を
して、修行をしております。』
http://www.kosaiji.org/bodhi/log/bodhi_3.htm >念仏の法然も親鸞も、法華至上主義の日蓮も一切経として阿含経は何度も読破してるが、
>間違った教えとかの批判はしてないのだが。
>ただ、仏道の初歩の教えだと言っていただけで正しくないなどとは言ってない。
>当然ダメ烙印なども押してはいない。
五時八教というのは大乗経と原始経典の区別なく、すべてをブッダの教えと見なすものなのでもちろんそうなのですが、しかし、阿含
経の評価は最初から低レベルで卑近な教えだというレッテルを貼られており、大乗経典には小乗を貶す言葉を散りばめているので、『結果
的には高遠な仏教の思想を知りたいという人々はみなこの経を捨てて顧みる者もなくなってしまって、「阿含経」を研究しようというよう
な志を起こす者はまったく後を絶ってしまった。それもまた、智の学説を認める者にとっては、当然という他ないのである。』(増谷文
雄著『原初経典阿含経』筑摩書房)ということで、増谷氏は日本に仏教は二度伝来した(明治の近代仏教学を以て、初めて本物の仏教が日
本に伝来した)と評しました。
それでも日本仏教界の二大巨人、空海と道元は阿含経の持つ宝のような価値に気付いたものと思われます。
>そんなこと言ったら龍樹に怒られるよ。
>大智度論釋初品中三十七品義第三十一
さすがは仏教史上きっての大天才というところでしょう!
はい、この方については例外的に除外しておきます。
龍樹は西暦200年頃のインド仏教の方であり、当時のインドでは>>601の通り、
有る程度は原始経典について自由に学べる環境があったのかもしれません。
やはり、最も問題となるのは中国天台の智以降〜日本仏教界の実態です。 >>614
追記:
つまり、浄土真宗というところは、
仏教唯一の開祖たるゴータマ・ブッダの教えよりも、
自分たちで勝手な内容を盛り込んで書き上げた創作であるところの大乗、
阿弥陀信仰の伝統を護持する方を選択した人たちだということ。 以前、韓国の仏教は韓国土着の信仰と
ミックスされたものとか言うバカにした
記事見たことあるけど海外から見て日本の
仏教はどうなるの?法華経を全面に出した
日蓮宗。阿弥陀経を全面に出した浄土宗。
禅を全面に出した禅宗。韓国のことバカにできるの?
因みに自分は韓国人が好きなわけではありませんw >>618
韓国人が好きではないなら、この問いに答える意味なくね? 日本の仏教はガラパゴス奇形だから
他の国の仏教のこと恥ずかしくて言えない
五戒すら守ってないんだから >>623
ホントだったら、ちょっとしたニュースだね。
もう、何年もおおやけの場に出てないとか?
聖教新聞や機関誌では古い写真や記事のつかい回し
ばかりだったとか?まぁ、ゴーストライターも
いるんだろうけど ところで人間は虫や動物には生まれ変わらない
と言っていた人たちもいたな。昔、守護霊とか
そっち方面の本買ったり知人から借りたりよくしてた。
いわゆる霊能者の本。カンガルーの赤ちゃんは産まれて
自分で母親のおっぱいの場所まで行くんだよね?
あと、魚でも似たような話なかったっけ?
前世の記憶なのだろうか?輪廻転生も書く人によって
いろいろ違う。あと守護霊って、いるの? >>612
>因みに、あれホントなのかな?
んなわけねーだろw
ダライ・ラマという名前の権威を守る為だよ。 >>625
>前世の記憶なのだろうか?
単純に本能だろ。
呼吸をするのも、咀嚼して物を食べるのも、カンガルーが乳首まで辿りつくのも
生き物が生きる上で出来るように仕組まれているシステムだ。
>輪廻転生も書く人によっていろいろ違う。
そりゃそうだろ。
その場の思いつきで嘘書いてるんだから。
>あと守護霊って、いるの?
いないよ。
まぁ常に覗かれているのが性的に興奮するとか、特殊な性癖の人は「いる」と思っててもいいけど。
本人がそう思いたいんだろうし。 仏教とかジャイナ教とかヨガでは行いに報いがあるというけど人をだます行為にはどんな報いがあるんだろう
天上天下唯我独尊の話とか弥勒菩薩が何百億年後にあらわれてどうのこうのとか誰が見ても明らかな創作の嘘だとわかる
キリスト教の処女懐胎とかイスラムのムハンマドの洞窟で瞑想中に天使ジブリールが現れてメッセージを授かったとか
天理教と大本教の教祖に神が乗り移って文字を書かせる現象とかエドガーケイシーの全部はずれた予言とか宗教ってどこもアホらしい嘘、虚栄、虚飾だらけ
裁きとか天罰があるというならまず宗教関係者が受けなきゃおかしい 「嘘」と一言で言っても結局、結果でしか判断出来ない。
嘘をついたことで相手を不幸にしたり、仕向けたりすると当然報いは受けるが、
中には人を幸せにする嘘もある。物事は多方面から見なければならない すると、宗教とは人を幸せにするための嘘?
坊さんも神父も牧師も、みんな嘘ついてる。 『宗教』をひとまとめにして考えてはいけない。
また、関係者一人一人考え方があるので、嘘か真かを論じるのは無意味、それ以前に当事者でない私に分かるわけがない。
幸せにするか不幸にするか結果が全て 嘘をつかないと人を幸せにできない人より
嘘をつかないで人を幸せに導いてくれる人の方が優れてる。 >>632
嘘をつかなくても幸せにできない人は
嘘をつかないと幸せにできない人より優れてるの? 釈迦の天上天下唯我独尊。
キリスト教の処女妊娠。
あとスレタイにしろ同じ。
証明出来ない以上は嘘と
言われても仕方ないかも
あとは信じるものは救われる?
結局、これしかない >>618
お彼岸とか何十回忌とかご先祖さまが帰ってくるとか草葉の陰で見守ってるとか
聖天信仰とかガン封じのご祈祷とかお百度参りとか現世利益も土着信仰もたっぷりあるね
修験道などは土着信仰と仏教の混交の最たるものだし
韓国も日本も大して変わらんのじゃね? >>632
優れているかどうかはわからないが
良い事も悪い事も真実を伝えられる人の方が信用に値するのは確かかもね 証明出来ない以上真実は伝えられない。
神通力でわかるとか瞑想でわかるとか
言われても、伝えられる側が信じるか
どうかの問題。百歩譲って神通力が
ホントだったとしても。つまり当の本人
が神通力や霊能力を身につけるしかない。
そういえば「霊能」とか言う階級がある
仏教系の宗教団体があるよね。霊能者に
なれると言う。ホントなのかな?
その中に、とある女優さんもいる。あと
昔、居酒屋で宗教に対し、ちょっと批判的
なことを言ったら「宗教とは信じるものだ」
と横から口をはさんだ人がいた。おそらく
何か入ってたのかも。その人が言う通り
宗教とは、そういうものなのかも 思い込みではないと自ら確証できる神通力って理論上は神作通(もしくは神作智)しかない
他の能力は第三者の検証なしにはただの思い込みや勘違いかは証明できない
信じて幸せになれればそれでいいというのならば、一番大事なのはカリスマ性とハッタリ ユダヤ教、ヒンドゥー教、神道は
教祖はいないんだよね? カリスマ性とハッタリで人を幸せにできるなんて、凄いことやと思うで 心が幸せになるだけでいいならそもそも宗教は必要ないんだけどね 多くの人に広く伝聞するために主体は必要やろ?それがたまたま宗教ってだけの話 死を異常に怖がる人がいるからね。
自分の死だけじゃなく周りの人の
死も怖いのだとか。そのために
精神科に通ってる人もいるという。
こういう人って、いちばん宗教に
つかまりそう。家族が死んでも、
死後会える。来世があるとかね。
まぁ、個人差はあれ、死が全く
怖くない人は、そうそういない
だろうけど >>644
人間はアダムとイブの罪(原罪?)から
逃れられないからイエスが磔になった
ことにより許されるとか言う意味じゃ?
許されるためにはキリスト教信者に
ならなければダメだけどね。たぶん
こんなところだと思ったw 台所にゴキブリがいたのでスリッパで叩き潰そうとしたが
このゴキブリも前世は人間だったのかもしれないと思った瞬間急に不憫になってきて殺せなかった
ブラックキャップに任せることにした 前世が朝鮮人だと思えば躊躇しないよ
まぁゴキブリに生まれ変わる因縁の持ち主だから、前世では人でも殺めてんじゃね? >>649
悪い思考には気をつけた方が良いです。
あなたも幸せでありますように >>1
これを言う人は仏教を知らない人でしょう。
仏教では「無始」から輪廻転生を無限に繰り返すのが生命であり、
父でなかった生命はなく母でなかった生命もないという言い方さえあります。
そして過去の業はいつどのように現れるか決まっていません。
前世の行いが現世で現れるとは決まっていないのです。
ですから、誰にでも、どのような事柄も現れうるのです。 >>652
お宅
輪廻転生を、鵜吞みにしてるが、
お宅の前世の記憶はあるか?
蛆虫の記憶だったか? >>652
> これを言う人は仏教を知らない人でしょう。
> 仏教では「無始」から輪廻転生を無限に繰り返すのが生命
無限に繰り返すのなら始まりも無く終わりも無い
と言うことですよね?すると解脱も無いのですか? >>653
鵜呑みにしているわけではなく、仏教ではそのように教えている、ということです。
この理論に従えば「仏教は不幸な死にかたした人は前世が悪いと言う」
という説明自体が誤りです、と言いたいだけです。
いたずらに過去の業を気にすることはあまり意味があるものではなく、
今をどう生きるかだけが課題、というわけです。
実際に輪廻転生が事実であるかどうかは誰にも検証不能だと思います。
(修行が進めば前世の記憶を遡れる、と主張する人もいます)
>>654
平たく言えば、自動的である無始無終の繰り返しの中で、それまでには無かった
何らかのアクションを通じて、その状態を作為的にどうにかしよう、
ということだと思います。そのアクションを仏法という名で呼んでいると。 無始無終に歯止めはかかるのか、といわれればかかりますよ、
というふうに仏教では説明していますね。 >>656
全て、このスレのレスを読んでから書き込んでますよね?
輪廻転生も、言う人によっていろいろ内容が違う。
当然、仏教もいろいろある。スレタイのような教えを
正しい教えと言う人たちもいる。見ればわかるように
このスレにも何人か登場してます。原始仏教、
三世因果、業報、阿含経とかの教えがある。また、
創価学会のように徳の高い人ほど、死んだら
すぐに生まれ変わると言う人たちもいればチベット密教
のように解脱すれば生まれ変わらないと言う人たちもいる。
あなたの言う教えは、どこの仏教宗派なんですか?
良かったら教えてください。 >>657
>原始仏教、三世因果、業報、阿含経とかの教えがある。
どういう括りだよ
原始仏教とか自称してるのは多分、仏教文献学のことを言ってるんだろうけど >>658
括り?これまで、このスレで語られた
仏教の話、教えなんかを書いたんだが?
>>656の人、良かったら教えください。 >>660
預流果の悟りまで達したら三悪趣に生まれないみたいですね。
在家でも預流果になれるので修行した方がいい
ですね。次に人間に生まれてくるのがいつなのかもわかりませんし、人間に生まれても真理に出会えるかもわからない。
だから今しかないんですね。 人身(にんじん)受け難(がた)し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身(み)今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。
自ら仏に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解(たいげ)して、無上意を発(おこ)さん。
自ら法に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海(ちえうみ)のごとくならん。
自ら僧に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。
無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。
我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。 前前前世が悪かったのかもしれないし、無量の過去世の業の残余かもしれないし
直近の前世が悪かったなんていうかね? 【ミリンダ王の問い 第一篇 第四章 第三節】
王は問う、
「尊者ナーガセーナよ、いかなる理由によって人々はすべて平等ではないのですか?
すなわち、ある人々は短命で、ある人々は長命です。またある人々は多病であり、ある人々は病が少ないです。
ある人々は醜怪ですが、ある人々は端麗です。ある人々は力弱く、ある人々は力が強い。
ある人々は財少なく、ある人々は財が多い。ある人々は卑賎の家に生まれ、ある人々は高貴の家に生まれます。
ある人々は愚かであり、ある人々は賢明です」
「大王よ、なぜ樹木はすべて平等ではないのですか?
<それらの果実についてみるに>、あるものは酸っぱく、あるものは塩からく、あるものはにがく、
あるものは渋く、あるものは甘いです」
「尊者よ、それはもろもろの種子が異なっているからだ、と私は思います」
「大王よ、それと同様に<宿>業の異なることによって、人々はすべて平等ではないのです。
すなわち<その故に>ある人々は短命で、ある人々は長命です。
(中略)大王よ、世尊(釈迦)はこのことをお説きになりました。
―『バラモン学生よ、生けるものどもは、それぞれ各自の業を所有し、業を相続するものであり、
業を母胎とし、業をよりどころとしている。
業は生けるものどもを、賤しいものと尊いものに差別する』と」
「もっともです、尊者ナーガセーナよ」 >>41
> 自分は悪いことしてないのに不幸な人生を送っているという人はおそらく前世での悪行の報いを受けているのだろう 前世なのか日頃なのか、どの時の因果なのか人知では計り知れないが
相手にいいと思える行いをすれば良い事が
悪い行いをすれば必ず悪い事が起こる。
この真理を知って行動すれば、人生は明るいわ いいと思って悪いことをする人がいるからなあ
宗教はいい迷惑 せやね、この世は結果がすべてやから
良かれとしてやったことも相手が不快に思えば、それ相当の報いがある >>41
> 自分は悪いことしてないのに不幸な人生を送っているという人はおそらく前世での悪行の報いを受けているのだろう キリスト教は不幸な死に方をした人ほどいい人でかわいそうな人という
完全におかしなことを教えているので、人々はどんどん悪くなる 余談だが、先日、「ハロー張りネズミ」でオカルトを扱ったものをやっていて霊媒師がまだ不動明王
を中心にとなえていたが、不動は悪いほうへいってしまいもう消滅させられたという情報を得ている。
これからは降三世明王を中心に唱えるべきだ。
大日如来はパワーがほしいときあるいは怒りがほしいとき不動(シヴァ)と合体しては絶対ならない。
ハトフル、マリア、準てい観音、キリスト、キリスト教、ヤハウェ、ユダヤ教、ルシファー、
ベルゼブブ(パールゼブル)釈迦も同じ。みんな都合いいように記憶や思いをすりかえられたり、
術中にはまってほれぼれピーに不正にさせられたりしている。だから取り返すものが
いつまでもとりかえせない。不動は人間側も唱えてはいけないし何万年分の入れ替え弁償とって
早く元から消滅完全にさせなければならない。 >>41
> 自分は悪いことしてないのに不幸な人生を送っているという人はおそらく前世での悪行の報いを受けているのだろう >>670
> キリスト教は不幸な死に方をした人ほどいい人でかわいそうな人という
> 完全におかしなことを教えているので、人々はどんどん悪くなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています