↑のリンク先にある「ミリンダ王の問い」でのナガーセーナの輪廻再生の説明は喩え話が稚拙過ぎてあかんわ
蝋燭の喩えはまだ点灯している蝋燭の炎を他の蝋燭に移して「霊魂のない再生とはこのようなものです」と説明してるが
再生というからには最初の蝋燭の炎を一旦消さないと駄目だろw
詩句の喩えは詩句は生命や蝋燭のように寿命がある物質ではないので詩句が再生するとかいう方がおかしい
忘れかけてた詩句の記憶が蘇ったというなら分かるがそれとて輪廻再生とは関係ない
ミリンダ王の「見事であるナガーセーナ」は本音とは思えんな
大方仏教徒を懐柔するために褒めたのであろう