要は信じるか信じないかである。
それだけで自分は右往左往、決まっていくのだ。私を信じる事がこの世の理とは言っていない。信じるという形自体が物事を決めるといっている。
極論ルーツである。極論神を信じるという形になるのだ。
形とは無である。無である形なのだ。