教典本文
 このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな   六  7
 このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六  8
 このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられ
たつとめである。即ち、これによつて、この世は、思召そのままの陽気な世界に立て替つてくる。
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もっともらしい解説は黒衣の解説です。「この世」ではなく「この世ふ」「この世風」とおふでさきです。
肝心なのは、この世の始まりと同様に神が始めかけているということで、「また」とは「復」です。
二代真柱が「復元」と応法レトリックで呼びましたが、人間の責務(つとめ)とは陽気に暮らすこと。それがはじめかけられたということです。
 にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや        一七  9

 かんろだいとは、人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠としてすえる台で、
人間の創造と、その成人の理とを現して形造り、人間世界の本元と、その窮りない発展とを意味する。
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これまた黒衣の解説ですから、赤衣装では「しよこふ」は「証拠風」「書庫風」と理解します。「書庫府」とも理解します。
教団教理がお得意の甘露台の形状の解説は本質ではありません。
証拠の風として、証拠の記録の風として、「甘露風」が大きくなり、と理解します。