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■大乗仏教はブッダの教えを骨抜きにする

 哲学的な大乗仏教は、「無常はどうにもならない状態だから、本来すべては空だ。何もないのだ」と考えて、ブッダの説いた教え、
解説まで「空」にして否定します。ブッダの説いた教え、解説まで「空」にして否定します。ブッダの教えを骨抜きにするのですよ。
 日本の皆様に馴染み深い「般若心経」は、ブッダの言葉ではありません。あの経典は真理を語るのではなく、すべてを否定している
だけです。
 あらゆることを否定すると、どうなりますか? 「否定ということまで否定する」と、もう「黙るしかない」でしょう? それは
高尚な思想ではなく、思考停止という退廃です。そこから智慧が生まれることはありません。
 大乗仏教の哲学は、この欠点のために、痛い目にあっています。それで葬式仏教などと呼ばれるようにまでなってしまったのです。
 大乗仏教には「阿頼耶識」という思想もあります。阿頼耶識は認識不可能な潜在的な意識で、顕在的な世界とのつなぎ役を
果たしているそうです。すべての認識できる現象は無常ですが、認識不可能な阿頼耶識はあるというのです。それがこの世の
カラクリで現象世界を成り立たせているのだと。
 しかし当然、「認識不可能なものをどうやって発見、認識したのだろうか?」という疑問が湧きますね。当たり前ですが、
そんなことは実証できません。完全なる妄想、たんなる観念です。
 ずいぶん口が悪いですが、それぞれの原典に当たるとこのようにかいてあるのですから仕方ないのです。

(アルボムッレ・スマナサーラ著『無常の見方―「聖なる真理」と「私の幸福」』より)