>覚があって、それを信じる、ことである

どのようにして「覚がある!」と信じることが出来るのか?その方法は?

仮設としての
無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けているので
誰もが(この現世において)成仏するわけではないので(五性各別)、それゆえに
「覚がある!」と信じることは難しいんジャマイカ?

http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html
スッタニパータ
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無明が頭であると知れ
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
明智が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである
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(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って
無明の暗闇に覆われた世界すべて一切を 『 空性なり 』 と観察せよ
そうすれば
(掴もうとしている想いを手放して、そして)死を乗り越えることができるであろう