仏教の「無い」志向は間違いだ 08©2ch.net
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2016/06/21(火) 12:50:02.76ID:TY7eUl54
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1462692909
仏教の「無い」志向は間違いだ 07
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1466328423
外道の独り言 05
516因縁果 ◆d........o
2016/07/29(金) 21:14:36.27ID:818IGUz9 足をぶつけたら痛い・・
それは・・自分というものがあるから・・
自己をなくせば痛みを感じない・・
自我をなくせ・・・
ん??
なんかおかしい^^
それは・・自分というものがあるから・・
自己をなくせば痛みを感じない・・
自我をなくせ・・・
ん??
なんかおかしい^^
517晃
2016/07/29(金) 21:18:11.84ID:ho4VGvBL 無明が無くなれば
足をぶつけるという不注意が
無くなるんでは…?
足をぶつけるという不注意が
無くなるんでは…?
518因縁果 ◆d........o
2016/07/29(金) 21:19:01.39ID:818IGUz9 休憩する^^
なんかおかしくなった^^
なんかおかしくなった^^
519神も仏も名無しさん
2016/07/29(金) 21:20:41.21ID:RY4wHL7e 自分なんてないよ
520因縁果 ◆d........o
2016/07/29(金) 21:24:53.00ID:818IGUz9521神も仏も名無しさん
2016/07/29(金) 21:25:35.86ID:XT97TT3C なんで、こんな数の連投が可能なんだ?w
そんな凄まじいシステム変更だったのか? >>2ch
そんな凄まじいシステム変更だったのか? >>2ch
522因縁果 ◆d........o
2016/07/29(金) 21:27:36.28ID:818IGUz9524因縁果 ◆d........o
2016/07/29(金) 21:29:42.11ID:818IGUz9 >>523
あっ・・その手があったか^^
あっ・・その手があったか^^
525因縁果 ◆d........o
2016/07/29(金) 21:33:36.34ID:818IGUz9 「十二因縁」については・・
明日瞑想しにいくから・・
そこで確かめてみることにする・・^^
明日瞑想しにいくから・・
そこで確かめてみることにする・・^^
526神も仏も名無しさん
2016/07/29(金) 23:06:57.45ID:SChhezgD >>470
それは説一切有部の「三世両重の因果」
http://blogs.yahoo.co.jp/musyu2005/59446653.html
での捉え方、解釈ですね。
阿含経の『分別』
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7050602.html
で説かれている無明とは
>比丘たちよ、では、無明(無智)とはなんであろうか。
>比丘たちよ、苦についての無智、→苦諦
>苦の生起についての無智、→集諦
>苦の滅尽についての無智、→滅諦
>および苦の滅尽にいたる道についての無智である。→道諦
>比丘たちよ、これを無明というのである。
でして、四諦への無智のことを無明としています。
>>473
もし十二因縁がスッタニパータの「二種の観察」から発展してものであるならば、
その「二種の観察」での苦や苦の消滅はあくまで現世で成されることなので、
過去世や来世に渡る解釈では元々はなかったということになります。
>>477
>12分割のどこかで、この刹那的に永続的に
>行われるドミノ倒しを止めれば
>最後の老死に至らず、不老不死を得られる、というもの
十二因縁ではどこかの支だけ止めることは出来ずに根源となる無明を滅しない限り老死を滅却できません。
例えば4番目の名色を滅するには識を滅せなければならず、識を滅するには行を滅せなければならず、
行を滅するには無明を滅せなければならないからです。
「無明滅すれば則ち行も減す、行滅すれば則ち識も減す、識滅すれば則ち名色も減す、名色滅すれば則ち六入も滅す、
六入滅すれば則ち触も減す、触滅すれば則ち受も減す、受滅すれば則ち愛も減す、愛減すれば則ち取も減す、
取滅すれば則ち有も滅す、有減すれば則ち生も減す、生滅すれば則ち老死・憂悲・苦悩も減する。」
(法華経『化城諭品第七』)
それは説一切有部の「三世両重の因果」
http://blogs.yahoo.co.jp/musyu2005/59446653.html
での捉え方、解釈ですね。
阿含経の『分別』
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7050602.html
で説かれている無明とは
>比丘たちよ、では、無明(無智)とはなんであろうか。
>比丘たちよ、苦についての無智、→苦諦
>苦の生起についての無智、→集諦
>苦の滅尽についての無智、→滅諦
>および苦の滅尽にいたる道についての無智である。→道諦
>比丘たちよ、これを無明というのである。
でして、四諦への無智のことを無明としています。
>>473
もし十二因縁がスッタニパータの「二種の観察」から発展してものであるならば、
その「二種の観察」での苦や苦の消滅はあくまで現世で成されることなので、
過去世や来世に渡る解釈では元々はなかったということになります。
>>477
>12分割のどこかで、この刹那的に永続的に
>行われるドミノ倒しを止めれば
>最後の老死に至らず、不老不死を得られる、というもの
十二因縁ではどこかの支だけ止めることは出来ずに根源となる無明を滅しない限り老死を滅却できません。
例えば4番目の名色を滅するには識を滅せなければならず、識を滅するには行を滅せなければならず、
行を滅するには無明を滅せなければならないからです。
「無明滅すれば則ち行も減す、行滅すれば則ち識も減す、識滅すれば則ち名色も減す、名色滅すれば則ち六入も滅す、
六入滅すれば則ち触も減す、触滅すれば則ち受も減す、受滅すれば則ち愛も減す、愛減すれば則ち取も減す、
取滅すれば則ち有も滅す、有減すれば則ち生も減す、生滅すれば則ち老死・憂悲・苦悩も減する。」
(法華経『化城諭品第七』)
527神も仏も名無しさん
2016/07/29(金) 23:07:58.70ID:SChhezgD >>482
その法華経(ってか日蓮宗のようですが)の解釈の方が
阿含経をそのまま受け止めたり、「三世両重の因果」の分析をするよりはすんなりと理解はできますね。
阿含経では「生」は
>比丘たちよ、生とはなんであろうか。
>生きとし生けるものが、生まれて、身体の各部あらわれ、手足そのところをえたる、
>比丘たちよ、これを生というのである。
と誕生のことをとなっているので、その前の有(存在)との繋がりが分かりにくく、
それを解決するために説一切有部が作り出したのが「三世両重の因果」ですが、それとて疑問符が付きます。
立國寺のサイトのその頁にある
>ここまでくると、人生のほんとうの苦しみというものがいろいろな形で襲いかかってきます。
>このように、さまざまな苦楽の意識を業=(行為)として魂に記憶し、
>このような意識で人生を展開することを、11.『生(しょう)』といいます。
これだと納得ができます。
生=誕生、ではなく、生=苦しみの人生の始まり、という解釈ですね。
もっとも、四苦の「生病老死」の「生」は、「生きること」ではなく「生まれること」とするのが一般的ではあるのですが…。
(だから十二因縁の展開はどこか無理があると思うのは、単に私が無明だからでしょうか^^;)
その法華経(ってか日蓮宗のようですが)の解釈の方が
阿含経をそのまま受け止めたり、「三世両重の因果」の分析をするよりはすんなりと理解はできますね。
阿含経では「生」は
>比丘たちよ、生とはなんであろうか。
>生きとし生けるものが、生まれて、身体の各部あらわれ、手足そのところをえたる、
>比丘たちよ、これを生というのである。
と誕生のことをとなっているので、その前の有(存在)との繋がりが分かりにくく、
それを解決するために説一切有部が作り出したのが「三世両重の因果」ですが、それとて疑問符が付きます。
立國寺のサイトのその頁にある
>ここまでくると、人生のほんとうの苦しみというものがいろいろな形で襲いかかってきます。
>このように、さまざまな苦楽の意識を業=(行為)として魂に記憶し、
>このような意識で人生を展開することを、11.『生(しょう)』といいます。
これだと納得ができます。
生=誕生、ではなく、生=苦しみの人生の始まり、という解釈ですね。
もっとも、四苦の「生病老死」の「生」は、「生きること」ではなく「生まれること」とするのが一般的ではあるのですが…。
(だから十二因縁の展開はどこか無理があると思うのは、単に私が無明だからでしょうか^^;)
528神も仏も名無しさん
2016/07/29(金) 23:25:52.18ID:SChhezgD スッタニパータの「二種の観察」では
724 苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、
また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、──
725 かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。
かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれらは実に生と老いとを受ける。
726 しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、
また苦しみの消滅に達する道を知った人々、──
727 かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
かれらは生と老いとを受けることがない。
と四諦の教えを説いた後に二種の観察での原因と結果(果報)を説きます。
724 苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、
また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、──
725 かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。
かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれらは実に生と老いとを受ける。
726 しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、
また苦しみの消滅に達する道を知った人々、──
727 かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
かれらは生と老いとを受けることがない。
と四諦の教えを説いた後に二種の観察での原因と結果(果報)を説きます。
529神も仏も名無しさん
2016/07/29(金) 23:26:10.45ID:SChhezgD 『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。
『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。
──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存にもどらないことである。」──
続いて無明の箇所に潜在的形成力(行)が入り、「潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない」、と説き、
続いて同じ個所に識別作用(識)が入り、「識別作用が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない」と説き、
更に、感受、妄執(愛執)、執着、起動、食料(美食への拘りと思われます)、動揺、などを消滅させれば苦しみが生ずることはないと説いています。
それら一つ一つはAと苦の関係でAが滅すれば苦も滅するというストレートな苦滅の此縁性です。
無明が滅すれば潜在的形成力も滅し、潜在的形成力が滅すれば識別作用も滅し、識別作用が滅すれば感受も滅し、という流れではありません。
それが部派仏教時代に、最終的に十二因縁に発展していった(十二に落ち着くまでは因子の数は十とか七とか色々な数があったそうです)みたいですが、
かえって分かりにくくしているというのが私の率直な感想ですw
『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。
──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存にもどらないことである。」──
続いて無明の箇所に潜在的形成力(行)が入り、「潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない」、と説き、
続いて同じ個所に識別作用(識)が入り、「識別作用が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない」と説き、
更に、感受、妄執(愛執)、執着、起動、食料(美食への拘りと思われます)、動揺、などを消滅させれば苦しみが生ずることはないと説いています。
それら一つ一つはAと苦の関係でAが滅すれば苦も滅するというストレートな苦滅の此縁性です。
無明が滅すれば潜在的形成力も滅し、潜在的形成力が滅すれば識別作用も滅し、識別作用が滅すれば感受も滅し、という流れではありません。
それが部派仏教時代に、最終的に十二因縁に発展していった(十二に落ち着くまでは因子の数は十とか七とか色々な数があったそうです)みたいですが、
かえって分かりにくくしているというのが私の率直な感想ですw
530神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 00:39:26.42ID:vy2rzUFN >>526
>>12分割のどこかで、この刹那的に永続的に
>>行われるドミノ倒しを止めれば
>>最後の老死に至らず、不老不死を得られる、というもの
>十二因縁ではどこかの支だけ止めることは出来ずに根源となる無明を滅しない限り老死を滅却できません。
>例えば4番目の名色を滅するには識を滅せなければならず、識を滅するには行を滅せなければならず、
>行を滅するには無明を滅せなければならないからです。
補足です。
無明を滅し、無明に縁たる行を滅し、行に縁たる識を滅し、識に縁たる名色を滅すると、
名色滅すれば六処も滅し、六処が滅すれば触も滅し、触が滅すれば受も滅し、受が滅すれば受も滅し、
受が滅すれば愛も滅し、愛が滅すれば取も滅し、
取が滅すれば有も滅し、有が滅すれば生も滅し、
生が滅すれば老死(苦悩)が滅します。
つまり無明を滅すればドミノ倒しが起こり老死も滅します。
生が滅すれば老死が滅するというのは、当たり前と言えば当たり前ですが、
それにしてもその教えはあまり好きな教えではありませんね…(^_^;)
とどのつまりの結論:十二縁起はその展開が滅茶苦茶で出鱈目(笑)。
スッタニパータの二種の観察に止めておけば良かったのに(笑)。
>>12分割のどこかで、この刹那的に永続的に
>>行われるドミノ倒しを止めれば
>>最後の老死に至らず、不老不死を得られる、というもの
>十二因縁ではどこかの支だけ止めることは出来ずに根源となる無明を滅しない限り老死を滅却できません。
>例えば4番目の名色を滅するには識を滅せなければならず、識を滅するには行を滅せなければならず、
>行を滅するには無明を滅せなければならないからです。
補足です。
無明を滅し、無明に縁たる行を滅し、行に縁たる識を滅し、識に縁たる名色を滅すると、
名色滅すれば六処も滅し、六処が滅すれば触も滅し、触が滅すれば受も滅し、受が滅すれば受も滅し、
受が滅すれば愛も滅し、愛が滅すれば取も滅し、
取が滅すれば有も滅し、有が滅すれば生も滅し、
生が滅すれば老死(苦悩)が滅します。
つまり無明を滅すればドミノ倒しが起こり老死も滅します。
生が滅すれば老死が滅するというのは、当たり前と言えば当たり前ですが、
それにしてもその教えはあまり好きな教えではありませんね…(^_^;)
とどのつまりの結論:十二縁起はその展開が滅茶苦茶で出鱈目(笑)。
スッタニパータの二種の観察に止めておけば良かったのに(笑)。
531紐
2016/07/30(土) 00:40:36.59ID:IeLZCJzz 究極的には人間は選択の自由の元に生きている〜という一言に尽きるw
この点ではいかなる犯罪者も、一般の善良の市民も同じだ。
何を選ぼうが、好きに選んで好きな人生を生きよ〜でww
方や犯罪に陥る人減もいれば、方や平平凡凡に一生を終わる人間もいる。
仏教馬鹿は仏教馬鹿の理屈を信仰する道を選んだに過ぎない〜w
それが真実〜と妄信しても無駄であり、真実は人間には永遠に分からない。
外から見ていて最も馬鹿に見えるのは、「コレが真実〜」と仏教を説く馬鹿www
この点ではいかなる犯罪者も、一般の善良の市民も同じだ。
何を選ぼうが、好きに選んで好きな人生を生きよ〜でww
方や犯罪に陥る人減もいれば、方や平平凡凡に一生を終わる人間もいる。
仏教馬鹿は仏教馬鹿の理屈を信仰する道を選んだに過ぎない〜w
それが真実〜と妄信しても無駄であり、真実は人間には永遠に分からない。
外から見ていて最も馬鹿に見えるのは、「コレが真実〜」と仏教を説く馬鹿www
532因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 00:50:24.57ID:lase5zXN 仏教学の再検討
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-kenkyusi/kensi-nomidenai.htm
このサイトの人達と同じ感覚だ^^
これを言いたかったのだ^^
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-kenkyusi/kensi-nomidenai.htm
このサイトの人達と同じ感覚だ^^
これを言いたかったのだ^^
533因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 00:59:35.48ID:lase5zXN 初期(原始)仏教の十二縁起説は、それが、釈尊の悟りの内容ではない
という解釈をとる研究者も多い・・
おいらのこと研究者だって^^
という解釈をとる研究者も多い・・
おいらのこと研究者だって^^
534因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:01:47.93ID:lase5zXN おいら「釈尊の悟りの内容ではない」って・・
みてすぐわかったもんな^^
おいらって・・
もしかして・・^^
みてすぐわかったもんな^^
おいらって・・
もしかして・・^^
535因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:03:02.18ID:lase5zXN 釈迦の・・
生まれ・・
おっと・・ここまでだ^^
生まれ・・
おっと・・ここまでだ^^
536因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:03:41.62ID:lase5zXN おまえらって・・
ほんとうに・・
くだらん^^
ほんとうに・・
くだらん^^
537因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:04:23.93ID:lase5zXN くだらなすぎて・・・
寝る^^
寝る^^
538神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 01:06:06.17ID:ZGEH/196 宗教の「し」の字を勉強してから出直せ。
539因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:08:36.21ID:lase5zXN540因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:11:45.20ID:lase5zXN 紐さんは決定論者に間違いない^^
自由意志は・・・ない^^
自由意志は・・・ない^^
541神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 01:13:24.52ID:ZGEH/196 悪いことは言わない。出直せ。
542因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:14:27.10ID:lase5zXN 紐さん寝たみたいだよ^^
おいらもついでに・・
寝る^^
おいらもついでに・・
寝る^^
543神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 01:23:17.97ID:IeLZCJzz 宗教などに価値を求めても無駄ww
というか、宗教に価値が有ると思い、信じアレコレ嵌って語るのが最も馬鹿という奴だw
賢い人間は分からないものは分からないと認める人間であり、仏陀の無記がコレに相当するから
コレに同意する分には構わないのだが、縁起がどうのこうの、空や無がどうのこうの〜となると馬鹿一辺倒〜ww
人生という視点から出直さなければならないのはこういう宗教に嵌る馬鹿どもだw
というか、宗教に価値が有ると思い、信じアレコレ嵌って語るのが最も馬鹿という奴だw
賢い人間は分からないものは分からないと認める人間であり、仏陀の無記がコレに相当するから
コレに同意する分には構わないのだが、縁起がどうのこうの、空や無がどうのこうの〜となると馬鹿一辺倒〜ww
人生という視点から出直さなければならないのはこういう宗教に嵌る馬鹿どもだw
544因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:32:41.14ID:lase5zXN545因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:33:18.67ID:lase5zXN なんかつかれたから・・
寝る^^
寝る^^
546因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:35:31.83ID:lase5zXN 思考そのものが苦なんだよな〜〜^^
547因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:37:57.18ID:lase5zXN 思考は苦を伴う・・
ならば・・どうする^^
思考しなければいいだけ^^
単純明解^^
ならば・・どうする^^
思考しなければいいだけ^^
単純明解^^
548神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 01:41:17.33ID:IeLZCJzz そうではないわww
苦の中に思考しつつ、苦の中に楽を認め、苦を苦と認めない生き方こそ素晴らしいw
苦を避けようとかいう方向性自体が間違いいているわww これは宗教ではなく人生論としてだがなw
苦の中に思考しつつ、苦の中に楽を認め、苦を苦と認めない生き方こそ素晴らしいw
苦を避けようとかいう方向性自体が間違いいているわww これは宗教ではなく人生論としてだがなw
549因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:41:17.47ID:lase5zXN あっ・・そうゆうことか^^
思考は苦である・・
ゆえに左脳の存在が苦を生じさせているのか・・
思考は苦である・・
ゆえに左脳の存在が苦を生じさせているのか・・
550因縁果 ◆d........o
2016/07/30(土) 01:42:37.39ID:lase5zXN なんかいるけど・・
疲れたから・・
寝る^^
疲れたから・・
寝る^^
551鬼和尚
2016/07/30(土) 06:35:50.12ID:P2g/Ra0N 他力とは、自分以外の力が働くことじゃ
おまえさん、そんなことも知らないのに悟りを開いたとか言っておるのか?
もっと仏教を勉強するのじゃ
おまえさん、そんなことも知らないのに悟りを開いたとか言っておるのか?
もっと仏教を勉強するのじゃ
552神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 06:38:24.12ID:NlRB8tYY 人間の行動は他力で動いてんだよww
本人が無意識と思っても、それには因果関係があり
それがもとに動いているんだよww
そんなことも知らないのかい、まこと、いや、鬼和尚ww
本人が無意識と思っても、それには因果関係があり
それがもとに動いているんだよww
そんなことも知らないのかい、まこと、いや、鬼和尚ww
553123
2016/07/30(土) 06:53:38.47ID:BFWw4CYC 551.
552.
ここは物理学の問題をやるところではない。
552.
ここは物理学の問題をやるところではない。
554神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 09:25:21.42ID:eMO0bVB4 左脳だとか右脳だとかは、欲の認識であり、それに基づいて、欲に拠る苦しみを論じているのだが、
それではカオスになるほかない。つまり、12支縁起の無明に縁起してる有身見であり、生老病死の定着に他ならない。
それではカオスになるほかない。つまり、12支縁起の無明に縁起してる有身見であり、生老病死の定着に他ならない。
555神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 09:48:47.51ID:azuXiRkr 他力って阿弥陀仏がすべてですよ。
そもそも煩悩を棄てずに受け入れて自力の聖道を否定。悟りを目指していないが儘に成り行き。只只念仏のみ
南無阿弥陀仏。
そもそも煩悩を棄てずに受け入れて自力の聖道を否定。悟りを目指していないが儘に成り行き。只只念仏のみ
南無阿弥陀仏。
556神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 09:52:17.40ID:eMO0bVB4 ↑
なんかまやかしであると思う。
自力他力などと言っているが、それは嘘で自力も他力も無いのだ。
嘘に執着する心を滅するのに、自力も他力もないと言うことだ。
なんかまやかしであると思う。
自力他力などと言っているが、それは嘘で自力も他力も無いのだ。
嘘に執着する心を滅するのに、自力も他力もないと言うことだ。
557神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 10:27:47.04ID:azuXiRkr 滅する必要がないと言ってる。
558神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 12:07:29.34ID:eMO0bVB4 >>557
誰がそんなことを教えているのか?
誰がそんなことを教えているのか?
559神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 12:29:48.04ID:azuXiRkr 正信偈 親鸞上人
560神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 12:31:04.74ID:azuXiRkr 高僧和讃
561神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 13:31:02.13ID:eMO0bVB4 ↑
具体的なその教えの文言を出してください。
具体的なその教えの文言を出してください。
562神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 13:52:18.84ID:azuXiRkr 不断煩悩得涅槃
563123
2016/07/30(土) 14:13:10.64ID:BFWw4CYC 562.557.
その両者が両立している、ということである。
その一方を否定すると不都合となるから。
その両者が両立している、ということである。
その一方を否定すると不都合となるから。
564神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 15:30:16.34ID:azuXiRkr 果たして自力で到達しうる聖人が同時代に何人存在するのか。最近チベットの僧が入滅して七色に輝いて解脱したと聞いた。凡夫の身で私如きそれが出来るはずもなく穢れ過ぎている。
易行のみが選択出来得る唯一の道
易行のみが選択出来得る唯一の道
565神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 17:04:09.19ID:2lroGXuJ >チベットの僧が入滅
実践したことがないので本当なのか?わからないけど↓とりあえず
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
ミャンマーモーラミャインのパオ森林僧院 パオ・セヤドー
密集の概念がある時、霊魂の概念が生まれる
密集を看破できないのであれば、霊魂の概念は消失する事はありません
− これを対処するために −
密集を看破するためには
(智慧を以て、智慧の立ち位置から)
色聚(微細な粒子)を識別しなければなりません
密集を看破した時、無我への領悟、了解が生まれる
http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
チベット ニンマ派
これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である、実体をもって(自立して)存在していると信じ込んでいたからです
− これを対処するために −
すべての事象は独立してではなく、原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは
(智慧を以て、智慧の立ち位置から)
無常(我ではない)という理に自らの心を馴らしていかなければなりません
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法
(智慧を以て、智慧の立ち位置から)
諸法は夢の如しと訓練しなさい
坐(瞑想のセッション)の間は
「無明の暗闇に覆われた世界の中で、妄想を作り出している、幻術師のようなものである」としてありなさい
実践したことがないので本当なのか?わからないけど↓とりあえず
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
ミャンマーモーラミャインのパオ森林僧院 パオ・セヤドー
密集の概念がある時、霊魂の概念が生まれる
密集を看破できないのであれば、霊魂の概念は消失する事はありません
− これを対処するために −
密集を看破するためには
(智慧を以て、智慧の立ち位置から)
色聚(微細な粒子)を識別しなければなりません
密集を看破した時、無我への領悟、了解が生まれる
http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
チベット ニンマ派
これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である、実体をもって(自立して)存在していると信じ込んでいたからです
− これを対処するために −
すべての事象は独立してではなく、原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは
(智慧を以て、智慧の立ち位置から)
無常(我ではない)という理に自らの心を馴らしていかなければなりません
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法
(智慧を以て、智慧の立ち位置から)
諸法は夢の如しと訓練しなさい
坐(瞑想のセッション)の間は
「無明の暗闇に覆われた世界の中で、妄想を作り出している、幻術師のようなものである」としてありなさい
566123
2016/07/30(土) 17:11:45.72ID:BFWw4CYC 564.
できるか否か、の問題ではない。
それでは何か。
覚があって、それを信じる、ことである。
できるか否か、の問題ではない。
それでは何か。
覚があって、それを信じる、ことである。
567神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 17:42:45.23ID:eMO0bVB4 >不断煩悩得涅槃
こんな美辞麗句というか、慰めの言葉というか、無効の薬みたいなものは、決して人の役に立ってないのだ。
訳を知らずに仏を讃嘆しても、仏には一向に効果がない。
仏に受納されないので、自分に効果がないと言うことだ。
執着心とは、欲心のこととはだれでも認めるだろうが、それだけでは効果的な教えにならないだろう。
欲心ならより分かりやすいだろう。
経典は欲心を一つ一つ捨てる都度、心が軽くなる、のを知るだろうとある。
成仏はこの欲心をことごとく捨て去る結果なのではないか。法蔵菩薩はこの修行を完成したのではないか?
欲心を者利することは自分にはできないが、それを成し遂げた法蔵菩薩を惨憺するという意味なら、自分に効果があるし、法蔵菩薩
も認めてくれたとしてその惨憺を受容されると思う。
このような修行の意味を知って讃嘆することは、正法を誹謗しない、五逆罪を侵さないと言うことに
直結してると思うのだ。
正法とは37菩提分法の事で、それは要するに欲心を除くと言うことに尽きると思う。その訳は、実相が空無相無願だからである。
こう言う理法を考慮しない教えは、茫漠とした妄想を引き起こすだけだと思う。理法がないために
どう行動したらいいのか解らないことになるのだ。真実は空相、無相なものであるから、
有形無形なものに実体がないと信じて、それに対する執着を欲と考えて、捨離することが修行と心得て
捨離の完成をなすと、今度は世界の実相を得ることになるのだ。
自分の欲なら逃げも隠れもしないものだから、欲心を淘汰することは、いつもできるし、それこそ、その結果を知ることも
直結しているのだ。
大乗は基本的な教えを曖昧にした教えだと思う。
こんな美辞麗句というか、慰めの言葉というか、無効の薬みたいなものは、決して人の役に立ってないのだ。
訳を知らずに仏を讃嘆しても、仏には一向に効果がない。
仏に受納されないので、自分に効果がないと言うことだ。
執着心とは、欲心のこととはだれでも認めるだろうが、それだけでは効果的な教えにならないだろう。
欲心ならより分かりやすいだろう。
経典は欲心を一つ一つ捨てる都度、心が軽くなる、のを知るだろうとある。
成仏はこの欲心をことごとく捨て去る結果なのではないか。法蔵菩薩はこの修行を完成したのではないか?
欲心を者利することは自分にはできないが、それを成し遂げた法蔵菩薩を惨憺するという意味なら、自分に効果があるし、法蔵菩薩
も認めてくれたとしてその惨憺を受容されると思う。
このような修行の意味を知って讃嘆することは、正法を誹謗しない、五逆罪を侵さないと言うことに
直結してると思うのだ。
正法とは37菩提分法の事で、それは要するに欲心を除くと言うことに尽きると思う。その訳は、実相が空無相無願だからである。
こう言う理法を考慮しない教えは、茫漠とした妄想を引き起こすだけだと思う。理法がないために
どう行動したらいいのか解らないことになるのだ。真実は空相、無相なものであるから、
有形無形なものに実体がないと信じて、それに対する執着を欲と考えて、捨離することが修行と心得て
捨離の完成をなすと、今度は世界の実相を得ることになるのだ。
自分の欲なら逃げも隠れもしないものだから、欲心を淘汰することは、いつもできるし、それこそ、その結果を知ることも
直結しているのだ。
大乗は基本的な教えを曖昧にした教えだと思う。
568神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 17:45:57.83ID:2lroGXuJ >覚があって、それを信じる、ことである
どのようにして「覚がある!」と信じることが出来るのか?その方法は?
仮設としての
無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けているので
誰もが(この現世において)成仏するわけではないので(五性各別)、それゆえに
「覚がある!」と信じることは難しいんジャマイカ?
http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
明智が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである
1119
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って
無明の暗闇に覆われた世界すべて一切を 『 空性なり 』 と観察せよ
そうすれば
(掴もうとしている想いを手放して、そして)死を乗り越えることができるであろう
どのようにして「覚がある!」と信じることが出来るのか?その方法は?
仮設としての
無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けているので
誰もが(この現世において)成仏するわけではないので(五性各別)、それゆえに
「覚がある!」と信じることは難しいんジャマイカ?
http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
明智が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである
1119
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って
無明の暗闇に覆われた世界すべて一切を 『 空性なり 』 と観察せよ
そうすれば
(掴もうとしている想いを手放して、そして)死を乗り越えることができるであろう
569神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 18:04:08.95ID:2lroGXuJ >無効の薬みたいなもの
http://www.horakuji.hello-net.info/BuddhaSasana/Theravada/paritta/Metta_sutta.htm
弘法大師空海が
『法華経』全体を「薬の効能書き」と評したように
効能・功徳が列挙されているだけで、具体的・実践的な指南はありません
↑ こんな感じでつか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
加持
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して
仮設としての「我はある!」と掴もうとしている想いを手放して、そして)
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
因だけではなく
縁だけでもなく
因と縁の双方の縁起が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法
息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-walk/cat29/post-99.html
護摩の思想は
インドから中国を経て空海に及ぶ頃にはこの火の行事が高度に思想化され
火を真理とし、薪を煩悩とし、真理(白い光)をもって煩悩(黒い煙)を焼くという思想に至った
http://www.horakuji.hello-net.info/BuddhaSasana/Theravada/paritta/Metta_sutta.htm
弘法大師空海が
『法華経』全体を「薬の効能書き」と評したように
効能・功徳が列挙されているだけで、具体的・実践的な指南はありません
↑ こんな感じでつか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
加持
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して
仮設としての「我はある!」と掴もうとしている想いを手放して、そして)
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
因だけではなく
縁だけでもなく
因と縁の双方の縁起が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法
息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-walk/cat29/post-99.html
護摩の思想は
インドから中国を経て空海に及ぶ頃にはこの火の行事が高度に思想化され
火を真理とし、薪を煩悩とし、真理(白い光)をもって煩悩(黒い煙)を焼くという思想に至った
570神も仏も名無しさん
2016/07/30(土) 18:54:45.36ID:eMO0bVB4 >>568
>無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けているので
これは何回聞いても分からない。
どういうこと?
阿頼耶識我、成道に無害なものというなら、それは六識のうちの五識の事ではないのか?
第六識の識を除いた残り。
この識のうちにこそ、煩悩が働いて、六根の正常な働きを阻害すると見做すべきと思う。
そして、煩悩の影響を受けている六根こそ、末那識と見做すべきと思われる。
本来の六根は、清浄なのであって、その六根を阿頼耶識というのがふさわしいと思う。
>無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けているので
これは何回聞いても分からない。
どういうこと?
阿頼耶識我、成道に無害なものというなら、それは六識のうちの五識の事ではないのか?
第六識の識を除いた残り。
この識のうちにこそ、煩悩が働いて、六根の正常な働きを阻害すると見做すべきと思う。
そして、煩悩の影響を受けている六根こそ、末那識と見做すべきと思われる。
本来の六根は、清浄なのであって、その六根を阿頼耶識というのがふさわしいと思う。
571神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 00:41:31.29ID:iXe9GyZ3 法華経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し若しは書写します。
是の人は当に八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得ます。
是の功徳を以て六根が荘厳となり清浄になります。
是の人は当に八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得ます。
是の功徳を以て六根が荘厳となり清浄になります。
572神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 02:03:18.52ID:EBuvte46 >阿頼耶識我、成道に無害なものというなら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92
仮設としての
無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して、そして
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A8%98
仮設としての
末那識
我癡・我見・我慢・我愛の四つの煩悩をしたがえており、障害があることから「有覆無記(うぶくむき)」という
http://totutotudojin.jimdo.com/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81/%E6%B3%95%E7%9B%B8%E5%AE%97/
仮設としての
無明の暗闇に覆われた世界の中で
(永遠に変化することのない、プルシャは)存在しないにも関わらず
(永遠に変化することのない、プルシャが)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性が現れ滅し変化している
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
般若経の解説
(誰もが(この現世において)成仏するわけではないので(五性各別)、それゆえに)
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
仮設としての
無明の暗闇に覆われた世界の中から
『 解脱すれば仏だ 』 ということに
気づくまでは、気づくことは難しい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92
仮設としての
無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して、そして
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A8%98
仮設としての
末那識
我癡・我見・我慢・我愛の四つの煩悩をしたがえており、障害があることから「有覆無記(うぶくむき)」という
http://totutotudojin.jimdo.com/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81/%E6%B3%95%E7%9B%B8%E5%AE%97/
仮設としての
無明の暗闇に覆われた世界の中で
(永遠に変化することのない、プルシャは)存在しないにも関わらず
(永遠に変化することのない、プルシャが)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性が現れ滅し変化している
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
般若経の解説
(誰もが(この現世において)成仏するわけではないので(五性各別)、それゆえに)
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
仮設としての
無明の暗闇に覆われた世界の中から
『 解脱すれば仏だ 』 ということに
気づくまでは、気づくことは難しい
573紐
2016/07/31(日) 02:13:42.06ID:HevBmTnC >気づくまでは、気づくことは難しい
気づく必要は無く、そもそも仏を志向する必要も無いw
「仮設」が大好きなようだが、仮設ではなく生きている人間は現実にいるw
真実は永遠に分からず、存在の肯否定は出来ず、しかし現実を生きるのが人間である。
仮説ではないwww 仮に生きているのではなく現実に生きているという自覚が欠落するから「仮設」にしがみ付くww
気づく必要は無く、そもそも仏を志向する必要も無いw
「仮設」が大好きなようだが、仮設ではなく生きている人間は現実にいるw
真実は永遠に分からず、存在の肯否定は出来ず、しかし現実を生きるのが人間である。
仮説ではないwww 仮に生きているのではなく現実に生きているという自覚が欠落するから「仮設」にしがみ付くww
574神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 02:26:25.03ID:57VzXSlm575神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 02:41:22.41ID:EBuvte46現実ではなくて
妄想して、そして
幻術をつくりだしているんジャマイカ?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
無明の暗闇に覆われた世界すべて一切の
諸法は
幻の如く、焔(陽炎)の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響の如く
夢の如く、影の如く、鏡中の像の如く、化(変化)の如し
http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
明智が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである
1119
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って
無明の暗闇に覆われた世界すべて一切を 『 (夢、幻のごとく)空性なり 』 と観察せよ
そうすれば
(掴もうとしている想いを手放して、そして)死を乗り越えることができるであろう
576神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 02:51:56.43ID:jD2rabsU おそらく、まことに嘘をやめろ、と、言っても
逆効果だぜ
ありゃあ妄想だ
現に、妄想、と、言えば、まことは怒るだろ?
逆効果だぜ
ありゃあ妄想だ
現に、妄想、と、言えば、まことは怒るだろ?
577神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 02:52:31.35ID:iXe9GyZ3 >>562
第十五条
煩悩具足の身をもつて、すでにさとりをひらくといふこと。 この条、もつてのほかのことに候ふ。
即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果なり。六根清浄はまた法花一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。
これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。
来生の開覚は他力浄土の宗旨、信心決定の通故なり。これまた易行下根のつとめ、不簡善悪の法なり。
おほよそ今生においては、煩悩・悪障を断ぜんこと、きはめてありがたきあひだ、真言・法華を行ずる浄侶、なほもつて順次生のさとりをいのる。
いかにいはんや、戒行・慧解ともになしといへども、
弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土の岸につきぬるものならば、
煩悩の黒雲はやく晴れ、法性の覚月すみやかにあらはれて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の衆生を利益せんとき にこそ、さとりにては候へ。
この身をもつてさとりをひらくと候ふなるひとは、釈尊のごとく種々の応化の身をも現じ、三十二相・八 十随形好をも具足して、説法利益候ふにや。
これをこそ、今生にさとりをひらく本とは申し候へ。
『和讃』(高僧和讃・七七)にいわく、
「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光 摂護して ながく生死をへだてける」
と候ふば、信心の定まるときに、ひとたび摂取して捨てたまはざれば、六道に輪廻すべからず。
しかれば、ながく生死をばへだて候ふぞかし。
かくのごとくしるを、 さとるとはいひまぎらかすべきや。
あはれに候ふをや。
「浄土真宗 には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとなら ひ候ふぞ」とこそ、故聖人(親鸞)の仰せには候しか。
現代語意訳
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kouzanji/tanni-c.htm#D15
第十五条
煩悩具足の身をもつて、すでにさとりをひらくといふこと。 この条、もつてのほかのことに候ふ。
即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果なり。六根清浄はまた法花一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。
これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。
来生の開覚は他力浄土の宗旨、信心決定の通故なり。これまた易行下根のつとめ、不簡善悪の法なり。
おほよそ今生においては、煩悩・悪障を断ぜんこと、きはめてありがたきあひだ、真言・法華を行ずる浄侶、なほもつて順次生のさとりをいのる。
いかにいはんや、戒行・慧解ともになしといへども、
弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土の岸につきぬるものならば、
煩悩の黒雲はやく晴れ、法性の覚月すみやかにあらはれて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の衆生を利益せんとき にこそ、さとりにては候へ。
この身をもつてさとりをひらくと候ふなるひとは、釈尊のごとく種々の応化の身をも現じ、三十二相・八 十随形好をも具足して、説法利益候ふにや。
これをこそ、今生にさとりをひらく本とは申し候へ。
『和讃』(高僧和讃・七七)にいわく、
「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光 摂護して ながく生死をへだてける」
と候ふば、信心の定まるときに、ひとたび摂取して捨てたまはざれば、六道に輪廻すべからず。
しかれば、ながく生死をばへだて候ふぞかし。
かくのごとくしるを、 さとるとはいひまぎらかすべきや。
あはれに候ふをや。
「浄土真宗 には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとなら ひ候ふぞ」とこそ、故聖人(親鸞)の仰せには候しか。
現代語意訳
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kouzanji/tanni-c.htm#D15
578神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 02:53:46.59ID:3jiRfFuF 妄想をやめろ、と、言うのも逆効果じゃないか?!まことの妄想も、もはや、そこまで逝ってるんじゃないか?!
579神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 02:56:58.64ID:a481kc2z580神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:01:21.99ID:HevBmTnC どっちが妄想だww
仮説だの空、無というのは現実逃避に過ぎず現実の生を見るのを放棄した哀れな生き方に過ぎないww
人間としてより望ましい方向性はしっかりと己の生を見て、死ぬまで淡々と普通に生きる事だw
特別な事をする必要もなく、志向する必要もない〜というより志向すれば正反対のドツボに嵌り惨めな死を迎えるだけ。
仮説だの空、無というのは現実逃避に過ぎず現実の生を見るのを放棄した哀れな生き方に過ぎないww
人間としてより望ましい方向性はしっかりと己の生を見て、死ぬまで淡々と普通に生きる事だw
特別な事をする必要もなく、志向する必要もない〜というより志向すれば正反対のドツボに嵌り惨めな死を迎えるだけ。
581神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:07:50.68ID:rhpaRxhf おまえが妄想だよww
582神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:09:28.47ID:a2wg+aHK おっ!!やはり、まことは怒ったな!
妄想と言われて怒ってるけど、現に妄想じゃないか!
妄想と言われて怒ってるけど、現に妄想じゃないか!
583神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:09:49.01ID:iXe9GyZ3 >>577
>信心の定まるときに、ひとたび摂取して捨てたまはざれば、六道に輪廻すべからず。
>しかれば、ながく生死をばへだて候ふぞかし。
>かくのごとくしるを、 さとるとはいひまぎらかすべきや。
>あはれに候ふをや。
信心が定まるそのときに、阿弥陀仏はわたしどもを摂め取って決してお捨てにならないのですから、六道に生れ変り死に変りするはずがありません。
だから、もはや迷いの世界に戻ることがないのです。
しかしこのように知らせていただくことを、さとりだなどとごまかしていってよいものでしょうか。
大変悲しいことです。
不断煩悩得菩提は煩悩を断ぜすしてこの世で悟りを得られるという教えではなくて、
煩悩をどうしても断ずることができなくても阿弥陀仏の慈悲により浄土にて悟りを得ることができるという教えなのではないでしょうか?
信心が定まる時に阿弥陀仏は摂取して見捨てることはないので六道輪廻の輪から外れる、
しかしそれを悟りだなどと誤魔化してしまうのは憐れなことです。
というのが親鸞聖人の考えで、菩提(悟り)はかの地(浄土)で得るともその続きに記載されていますね>>
577文末参照
>信心の定まるときに、ひとたび摂取して捨てたまはざれば、六道に輪廻すべからず。
>しかれば、ながく生死をばへだて候ふぞかし。
>かくのごとくしるを、 さとるとはいひまぎらかすべきや。
>あはれに候ふをや。
信心が定まるそのときに、阿弥陀仏はわたしどもを摂め取って決してお捨てにならないのですから、六道に生れ変り死に変りするはずがありません。
だから、もはや迷いの世界に戻ることがないのです。
しかしこのように知らせていただくことを、さとりだなどとごまかしていってよいものでしょうか。
大変悲しいことです。
不断煩悩得菩提は煩悩を断ぜすしてこの世で悟りを得られるという教えではなくて、
煩悩をどうしても断ずることができなくても阿弥陀仏の慈悲により浄土にて悟りを得ることができるという教えなのではないでしょうか?
信心が定まる時に阿弥陀仏は摂取して見捨てることはないので六道輪廻の輪から外れる、
しかしそれを悟りだなどと誤魔化してしまうのは憐れなことです。
というのが親鸞聖人の考えで、菩提(悟り)はかの地(浄土)で得るともその続きに記載されていますね>>
577文末参照
584神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:14:29.96ID:JXzwkKFI 結局、宗教2chも、まことしかいなくなった
結局、自演がバレて、みんないなくなった
人をあやつるってホザいていること自体、妄想なんだよ
結局、自演がバレて、みんないなくなった
人をあやつるってホザいていること自体、妄想なんだよ
585神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:15:31.38ID:HevBmTnC 哀れな阿呆しかいないなあww
隠居氏だけがまともで他は全滅だわなww
まさに馬鹿時代だww
隠居氏だけがまともで他は全滅だわなww
まさに馬鹿時代だww
586神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:16:40.80ID:u8lZqeE9 さすがまことだな!自演を「人をあやつる」まで飛躍するんだからな!妄想もここまでくると、統合失調症だな!
587神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:17:56.93ID:FPfe1avI588神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 03:29:04.51ID:HevBmTnC ww
大体、「まこと」って何だ?
ID変えて同一人物がまことまこと〜って馬鹿か?ww
大体、「まこと」って何だ?
ID変えて同一人物がまことまこと〜って馬鹿か?ww
589123
2016/07/31(日) 05:38:02.49ID:FJhnUuq7 583.
阿弥陀仏という対象を設定することが誤りである。
それを対面宗教と言う。キリスト教など。
神を設定したり、仏を設定することは失格であることになる。
なんでか。
それが宗教であるからである。
その宗教とは何か。
阿弥陀仏という対象を設定することが誤りである。
それを対面宗教と言う。キリスト教など。
神を設定したり、仏を設定することは失格であることになる。
なんでか。
それが宗教であるからである。
その宗教とは何か。
590神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 07:13:18.91ID:UjDj9gFQ まあ、まことは曖昧なことを書いて、その都度
具体的なことを書いてないからなwww
オレの話の9割は、悟りの本に書いてあることだからww
それを仮説と言われてもなww
グ
具体的なことを書いてないからなwww
オレの話の9割は、悟りの本に書いてあることだからww
それを仮説と言われてもなww
グ
591神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 07:14:59.12ID:50WIPyUT まことの悟り話って、かなり路線からズレてんだろ?ネット検索をして妄想してたら、世話ないよな!
592神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 07:23:15.85ID:EBuvte46 >阿弥陀仏
http://☆mat☆ome.naver.jp/odai/2141839213021020701
自力(我癡・我見・我慢・我愛の依存)で往生などしようとしないで
(無明の暗闇に覆われた世界すべて)一切を阿弥陀仏にお任せして、そして
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
智慧を以て、智慧の立ち位置から観察していく
http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
明智が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html
慈悲の冥想
生きとし生けるものが幸せでありますように
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E4%BE%9D
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E7%A4%BC%E7%9C%9F%E8%A8%80
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%86%E8%83%9D%E8%A6%B3%E9%9F%B3
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ m(_ _)m
http://☆mat☆ome.naver.jp/odai/2141839213021020701
自力(我癡・我見・我慢・我愛の依存)で往生などしようとしないで
(無明の暗闇に覆われた世界すべて)一切を阿弥陀仏にお任せして、そして
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
智慧を以て、智慧の立ち位置から観察していく
http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
(智慧を以て、智慧の立ち位置から観察して)
明智が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html
慈悲の冥想
生きとし生けるものが幸せでありますように
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E4%BE%9D
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E7%A4%BC%E7%9C%9F%E8%A8%80
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%86%E8%83%9D%E8%A6%B3%E9%9F%B3
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ m(_ _)m
593神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 09:21:01.83ID:E0uq0Sir >>592
>自力(我癡・我見・我慢・我愛の依存)で往生などしようとしないで
(無明の暗闇に覆われた世界すべて)一切を阿弥陀仏にお任せして、そして
自力、他力、と言う言葉が出てきてるが、これもすごく問題のある認識であると思う。
四諦の法門では、自力他力はどう認識されているというのか?四諦の法門の中でどれが自力でどれが他力だというのか?
具体的には八正道に探索すべきであろう。
無い、というのが正解で、そのように八正道を解釈すべきである。
執着を滅するのが八正道の目的なのだから。
それとも、八正道のもたらす苦の滅とは、仏の境地とは違うのだろうか?
大乗は、八正道の修行をするものを小乗と言って、他者の利益をもたらさないと言っている。
つまり、自利を求めて利他を求めていないというのだ。
>一切を仏にお任せして、というが、仏の力とはどのようなもので、どのように働くというのか?
凡夫が自己の欲を滅するに至ったときを修行の完成と言い、それが仏の姿ではないのか?
つまり仏には何かをしようという欲望が無いのだ。一なるものなのだから。できないのである。
だから、一切を仏にお任せして、というと、仏はどんな行為をもしないのだから、
お任せしていたら、決して修業は進展しない。
あくまでも事故で事故の心の仏と言う真実に反する欲心を亡ぼして仏に近づくほかないことになる。
それが正法を誹謗しない、五逆罪を侵さないという意向によりもあらされるもので、
これは凡夫が行うほかないのだ。そういう意向を持っている者が阿弥陀仏に寄り縋っているなら、自然と修行は完成に近づく
とみなしえるというのが、阿弥陀信仰ではないのか?
>自力(我癡・我見・我慢・我愛の依存)で往生などしようとしないで
(無明の暗闇に覆われた世界すべて)一切を阿弥陀仏にお任せして、そして
自力、他力、と言う言葉が出てきてるが、これもすごく問題のある認識であると思う。
四諦の法門では、自力他力はどう認識されているというのか?四諦の法門の中でどれが自力でどれが他力だというのか?
具体的には八正道に探索すべきであろう。
無い、というのが正解で、そのように八正道を解釈すべきである。
執着を滅するのが八正道の目的なのだから。
それとも、八正道のもたらす苦の滅とは、仏の境地とは違うのだろうか?
大乗は、八正道の修行をするものを小乗と言って、他者の利益をもたらさないと言っている。
つまり、自利を求めて利他を求めていないというのだ。
>一切を仏にお任せして、というが、仏の力とはどのようなもので、どのように働くというのか?
凡夫が自己の欲を滅するに至ったときを修行の完成と言い、それが仏の姿ではないのか?
つまり仏には何かをしようという欲望が無いのだ。一なるものなのだから。できないのである。
だから、一切を仏にお任せして、というと、仏はどんな行為をもしないのだから、
お任せしていたら、決して修業は進展しない。
あくまでも事故で事故の心の仏と言う真実に反する欲心を亡ぼして仏に近づくほかないことになる。
それが正法を誹謗しない、五逆罪を侵さないという意向によりもあらされるもので、
これは凡夫が行うほかないのだ。そういう意向を持っている者が阿弥陀仏に寄り縋っているなら、自然と修行は完成に近づく
とみなしえるというのが、阿弥陀信仰ではないのか?
594神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 09:24:53.44ID:1u9mLam2 キリスト教は、実体があるないの話をするのか?
595神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 09:28:14.15ID:YpDIIQGz596神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 09:33:58.62ID:zqU4kDpM >>593 >大乗は、八正道の修行をするものを小乗と言って
そりゃ、ズレてるだろw
八正道=六波羅蜜(−布施)ともいえるんだから。
大乗が、「大きな乗り物」を自負し、「小さな乗り物」(→一人乗り)と批判したのは、
言ってみれば、
・大学院で研究ばっかしてて何になる?
社会に(→衆生に!)還元されない教えに何の意味があろうか?
といった、利他及び共同体への視線と、
まさに、
・具体的な修行法も、そのための教え(ノウハウ)や注意書きも、
すべて、個人仕様じゃないか! それで、どうして衆生済度になろうか?
自分が救われるだけでよいのか?
半歩譲っても、≪自分が救われた後、いったい何をするのか?(何もしてないじゃないか)≫※
ということだし。
で、この※に関して、禅家は
「安悟りに腰を据えるな」とか「百尺竿頭に歩を進めよ」とか「入てん垂手」(たとえば十牛図)とか・・。
そりゃ、ズレてるだろw
八正道=六波羅蜜(−布施)ともいえるんだから。
大乗が、「大きな乗り物」を自負し、「小さな乗り物」(→一人乗り)と批判したのは、
言ってみれば、
・大学院で研究ばっかしてて何になる?
社会に(→衆生に!)還元されない教えに何の意味があろうか?
といった、利他及び共同体への視線と、
まさに、
・具体的な修行法も、そのための教え(ノウハウ)や注意書きも、
すべて、個人仕様じゃないか! それで、どうして衆生済度になろうか?
自分が救われるだけでよいのか?
半歩譲っても、≪自分が救われた後、いったい何をするのか?(何もしてないじゃないか)≫※
ということだし。
で、この※に関して、禅家は
「安悟りに腰を据えるな」とか「百尺竿頭に歩を進めよ」とか「入てん垂手」(たとえば十牛図)とか・・。
597123
2016/07/31(日) 09:52:18.81ID:FJhnUuq7 596.
釈迦が何をしたか、の問題である。
農家に対して、自分は心を耕している、と答えている。
釈迦が何をしたか、の問題である。
農家に対して、自分は心を耕している、と答えている。
598神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 10:04:36.03ID:EBuvte46 >ゲルク派というのは浄土教系なの?
ウィキペディアによると↓こんな感じらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99
チベット仏教
信仰形態
現在、大きく分けて4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする点では共通し
宗派間の影響を及ぼしあって発展してきたこともあって、各宗派の信仰形態に極端な差異は無くなっている
恐ろしい形相を表す忿怒尊(明王)や
男女の抱擁する姿を表す歓喜仏が特徴的であり、これらがことさらクローズアップされがちであるが
他にも
阿弥陀如来や十一面観音、文殊菩薩といった、大乗仏教圏では一般的な如来、菩薩も盛んに信仰されている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%B4%BE
ゲルク派
ツォンカパは 『 中観帰謬派 』 の立場から顕教を重視し
密教は顕教を完全に修めた者だけに許可されるという「倫理性」を重んじた
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
中観自立派
中観帰謬派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E7%A4%BC%E7%9C%9F%E8%A8%80
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
ウィキペディアによると↓こんな感じらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99
チベット仏教
信仰形態
現在、大きく分けて4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする点では共通し
宗派間の影響を及ぼしあって発展してきたこともあって、各宗派の信仰形態に極端な差異は無くなっている
恐ろしい形相を表す忿怒尊(明王)や
男女の抱擁する姿を表す歓喜仏が特徴的であり、これらがことさらクローズアップされがちであるが
他にも
阿弥陀如来や十一面観音、文殊菩薩といった、大乗仏教圏では一般的な如来、菩薩も盛んに信仰されている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%B4%BE
ゲルク派
ツォンカパは 『 中観帰謬派 』 の立場から顕教を重視し
密教は顕教を完全に修めた者だけに許可されるという「倫理性」を重んじた
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
中観自立派
中観帰謬派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E7%A4%BC%E7%9C%9F%E8%A8%80
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
599神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 10:24:33.87ID:bma9YqjC しかし、宗教2chに、まことしかいないのが
バレバレの行動を取るのうww
バレバレの行動を取るのうww
600神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 11:06:24.21ID:mmWOi2i7 はっきりしたことはわからんが、資格2chで
まこと以外に誰かいた頃、争いが激化したら
みんな消えていった
普通、我関せずが普通だわな
もっとも、これも、まことの自演だったかもしれん
ただ、まことを叩いてたやつがいて、やはり
オレと同じようなことを言ってた
まこと以外に誰かいた頃、争いが激化したら
みんな消えていった
普通、我関せずが普通だわな
もっとも、これも、まことの自演だったかもしれん
ただ、まことを叩いてたやつがいて、やはり
オレと同じようなことを言ってた
601神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 11:08:30.86ID:tb+lp0my 今とズイブン空気が違うな!確かに、今の宗教2chには、まことしかいないということになるよな!
602神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 13:15:59.84ID:yz+xZdZx まことという固有名詞が何を指すか解らないけど仏道に救いを求める衆生一般の在家を指すなら、私(も)まことといわれても否定しない。
603神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 13:23:16.23ID:H7tF+StP 仏教における「二つの利他」・・・佐々木閑
真の幸福は精神世界の中にしか見いだせない」と考えるようになり,ある晩こっそりと城を出て身一つで出家し,その後何年もの厳しい修行を続けた末,菩提樹の下で悟りを開いた。
この時から彼はブッダ(目覚めた人)と呼ばれるようになったのである。
これが釈迦の前半生である。立派な話に思える。
しかしよく考えるとこの話,実は「まったく自分勝手な人の,自己中心の半生記」である。
釈迦の眼中には,他人の利益や幸福など全くない。
自分一人が幸福を求めて出家し,一人で努力したというだけのことで,自分以外の者には全く関心を持っていない。
釈迦という人は,ブッダになるまでは恐るべき自己中心主義者だったのである。
その姿勢は,彼が悟った後も続いた。
悟りの喜びを噛みしめながら,「もうこれで私の心配事はすべてなくなった。あとは寿命が来るまで楽しく安らかに一人で暮らしていけば私の人生は完結する」と思っていたのである。
もし彼が本当にそうしていたら,この世に仏教という宗教は現れなかったはずだ。
ところがこれを天界で見ていた梵天という神が,釈迦のところへ降りてきて,「どうぞ皆の利益のために,あなたの体験を説き示してください」と懇願する。
初めは嫌がっていた釈迦も,梵天の熱意に負けて,とうとう布教活動を開始する。
そしてその後,80歳で亡くなるまでのすべての人生を「他者の指導」に費やしたのである。
http://d.hatena.ne.jp/ribom-maru/touch/20101226/1293347456
真の幸福は精神世界の中にしか見いだせない」と考えるようになり,ある晩こっそりと城を出て身一つで出家し,その後何年もの厳しい修行を続けた末,菩提樹の下で悟りを開いた。
この時から彼はブッダ(目覚めた人)と呼ばれるようになったのである。
これが釈迦の前半生である。立派な話に思える。
しかしよく考えるとこの話,実は「まったく自分勝手な人の,自己中心の半生記」である。
釈迦の眼中には,他人の利益や幸福など全くない。
自分一人が幸福を求めて出家し,一人で努力したというだけのことで,自分以外の者には全く関心を持っていない。
釈迦という人は,ブッダになるまでは恐るべき自己中心主義者だったのである。
その姿勢は,彼が悟った後も続いた。
悟りの喜びを噛みしめながら,「もうこれで私の心配事はすべてなくなった。あとは寿命が来るまで楽しく安らかに一人で暮らしていけば私の人生は完結する」と思っていたのである。
もし彼が本当にそうしていたら,この世に仏教という宗教は現れなかったはずだ。
ところがこれを天界で見ていた梵天という神が,釈迦のところへ降りてきて,「どうぞ皆の利益のために,あなたの体験を説き示してください」と懇願する。
初めは嫌がっていた釈迦も,梵天の熱意に負けて,とうとう布教活動を開始する。
そしてその後,80歳で亡くなるまでのすべての人生を「他者の指導」に費やしたのである。
http://d.hatena.ne.jp/ribom-maru/touch/20101226/1293347456
604神も仏も名無しさん
2016/07/31(日) 14:37:43.70ID:E0uq0Sir 亭主元気で留守がいいなどという川柳が流行った。
出家する釈迦と妻子などの家族は、この川柳の通りの利益は有ると思う。
自己の欲心を滅除すると言うことはどういうことかよーく考えるべきだ。
その人は欲心が無いのだから、その人の傍にいることは苦痛ではない。
その最たるものが、当人の出家なのだ。
出家した人がいる家庭は、清浄になるだろう。清浄に一歩でも進むなら、清浄に進んだ人は
その分心が綺麗になって、今までの苦痛が減じているはずだ。
この伝で行くと、人が死んでなくなるのも、出家の功徳に似たことが残されたものに生じるに違いない。
釈迦自身が自分の死を説明し、その意味を説いている。それに似たことが起きるのだ。
善行を重ねた人が死んだ場合と、悪行を重ねた人の場合は、それなりの差がある。
善行の人は釈迦の死に近似するだろうが、悪行を重ねた人の死は、言うまでもなく相当の
結果になる。
死と言うことと出家と言うことから生じる利益の相違は、似たところがあるのだ。
かってイタリアの映画で、自分の息子がローマ法王またはそれに近い聖職者になる可能性を非常に喜んでいる母親が出ていた。
出家する釈迦と妻子などの家族は、この川柳の通りの利益は有ると思う。
自己の欲心を滅除すると言うことはどういうことかよーく考えるべきだ。
その人は欲心が無いのだから、その人の傍にいることは苦痛ではない。
その最たるものが、当人の出家なのだ。
出家した人がいる家庭は、清浄になるだろう。清浄に一歩でも進むなら、清浄に進んだ人は
その分心が綺麗になって、今までの苦痛が減じているはずだ。
この伝で行くと、人が死んでなくなるのも、出家の功徳に似たことが残されたものに生じるに違いない。
釈迦自身が自分の死を説明し、その意味を説いている。それに似たことが起きるのだ。
善行を重ねた人が死んだ場合と、悪行を重ねた人の場合は、それなりの差がある。
善行の人は釈迦の死に近似するだろうが、悪行を重ねた人の死は、言うまでもなく相当の
結果になる。
死と言うことと出家と言うことから生じる利益の相違は、似たところがあるのだ。
かってイタリアの映画で、自分の息子がローマ法王またはそれに近い聖職者になる可能性を非常に喜んでいる母親が出ていた。
605神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 01:50:48.56ID:yeexXeAJ606神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 01:52:13.90ID:bptznQjb たまに、妄想から戻って来れないやつっている
らしいけど、まことがそれだなww
らしいけど、まことがそれだなww
607神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 01:53:51.41ID:1g9W16Vs だって、まことは1日中ネットしてんだぞ!そりゃあ自演が日常になるよな!
608神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 08:11:28.78ID:tN3BDQu3 綺語を使用して他者を迷惑してる。
いわんやまじめに真理を追求してるスレッドで、それを邪魔しようとし、その目的の為に、
迷惑な言葉を打ち込んでいるのだ。こういう不善業は必ず報いを免れない道理なのだ。
他の正直に不幸を避けたい人は、十善戒、十悪をよーくかみしめて、守るようにしなければならない。
それは八正道の修行なのだから。
いわんやまじめに真理を追求してるスレッドで、それを邪魔しようとし、その目的の為に、
迷惑な言葉を打ち込んでいるのだ。こういう不善業は必ず報いを免れない道理なのだ。
他の正直に不幸を避けたい人は、十善戒、十悪をよーくかみしめて、守るようにしなければならない。
それは八正道の修行なのだから。
609神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 08:26:32.97ID:tN3BDQu3 地獄に落ちたい人、落ちても構わない人は、悪事を働けばいいい。
少しでも安養土に近づきたい人は、悪事を避け善事をなせ。
少しでも安養土に近づきたい人は、悪事を避け善事をなせ。
610神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 15:06:45.04ID:ip1YWa5a >不善業は必ず報いを免れない道理なのだ
http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗の僧侶 内山興正
死者の霊魂や死後の世界は本当に存在するものか?
(ある老医師が「死後の霊魂はあるかないか」についてアンケートを送ってきた話の続き)
こんな算術に対しては,はっきり「霊魂はある」「いま貴方がたたかっている相手がそれなのだ」といわねばなりません
こんな先生にもし亡霊など全くないことが科学的であり,仏法の「諸法無我」は現代の科学と一致するなどといえばとんだことになります
「諸法無我」はまったく人間的倫理道徳の破壊につながってしまいますから
その点,仏教では昔からのインド人の信仰であった輪廻転生説を受け入れ,そのまま説いているわけですが
もしこの「諸法無我」を客観的真理のコトバとするならば,この輪廻転生を荷う主体がなくなり,因果歴然の教えも無意味となってしまいます
それが有部の『倶舎論』などでは無我とはいわず,破我といい,そして業感縁起を説きます
さらに無著・世親の唯識系統では阿頼耶識説を説くことにより,いまいうような霊魂についてばかりではなく
われわれ日常行為における因果関係についても,まったく詳細巧妙に説明する心理学を展開しています
そういうつもりで唯識教学などを勉強すると,われわれの実際修業における日常生活の心構えにも大いに役立つと思います
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
我愛と、戯論と、善悪業に、依存して輪廻を繰り返していく
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/24/155719
ミャンマーモーラミャインのパオ森林僧院 パオ・セヤドー
ただ有分心だけが継続して不断に生滅しているからです
それは前世(から)の臨死速行心の目標を目標として、縁にとっています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
業(ごう)
(過去からの)心の流れ(心相続)
http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗の僧侶 内山興正
死者の霊魂や死後の世界は本当に存在するものか?
(ある老医師が「死後の霊魂はあるかないか」についてアンケートを送ってきた話の続き)
こんな算術に対しては,はっきり「霊魂はある」「いま貴方がたたかっている相手がそれなのだ」といわねばなりません
こんな先生にもし亡霊など全くないことが科学的であり,仏法の「諸法無我」は現代の科学と一致するなどといえばとんだことになります
「諸法無我」はまったく人間的倫理道徳の破壊につながってしまいますから
その点,仏教では昔からのインド人の信仰であった輪廻転生説を受け入れ,そのまま説いているわけですが
もしこの「諸法無我」を客観的真理のコトバとするならば,この輪廻転生を荷う主体がなくなり,因果歴然の教えも無意味となってしまいます
それが有部の『倶舎論』などでは無我とはいわず,破我といい,そして業感縁起を説きます
さらに無著・世親の唯識系統では阿頼耶識説を説くことにより,いまいうような霊魂についてばかりではなく
われわれ日常行為における因果関係についても,まったく詳細巧妙に説明する心理学を展開しています
そういうつもりで唯識教学などを勉強すると,われわれの実際修業における日常生活の心構えにも大いに役立つと思います
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
我愛と、戯論と、善悪業に、依存して輪廻を繰り返していく
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/24/155719
ミャンマーモーラミャインのパオ森林僧院 パオ・セヤドー
ただ有分心だけが継続して不断に生滅しているからです
それは前世(から)の臨死速行心の目標を目標として、縁にとっています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
業(ごう)
(過去からの)心の流れ(心相続)
611123
2016/08/01(月) 19:44:28.38ID:Jyo+stDZ 610.
内山輿正も正しくない輿正であることになる。
霊魂なんてものは存在しない。のだ。
内山輿正も正しくない輿正であることになる。
霊魂なんてものは存在しない。のだ。
612神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 23:33:47.09ID:ip1YWa5a>霊魂なんてものは存在しない
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4333017777/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=recent
雑阿含経 仙尼経
煩悩の我執があるために、死んだときに
五蘊が消滅しても新たな陰が生じてその存在を相続するのである
それだから、釈尊はそういう弟子に対し
『 死んで身心が消滅しても、この者は彼の所に、こういう者となって生まれてゆく 』、と説くのである
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空經
業報有るも而かも作者無し
此の陰滅し已らば(前世から → 現世へと)異陰相續す
_ _ _
パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想 38〜39ページ参照
ある生存から次の生存への縁起の因果関係を、原因と結果の順に(順観)次のように観察します
(1) 無明 によって業(カルマ)の形成 (サンカーラ、行)が生じる
(2) 業の形成(サンカーラ)によってその異熟としての意識が生じる
(3) 意識によってそれに伴う心所(名、精神)と業生色(業によって生じる物質)が生じる
(4) 精神と物質 (名色)によって六つの感覚器官 (六処)が生じる
(5) 六つの感覚器官によって対象との接触が生じる
(6) 接触によって感受が生じる
(7) 感受によって渇愛が生じる
(8) 渇愛によって執着が生じる
(9) 執着によって業の生成 (業有)と再生過程(起有)が生じる
(10)(現世での)業の生成によって(来世での)誕生が生じる
613神も仏も名無しさん
2016/08/01(月) 23:55:15.66ID:ip1YWa5ahttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/215935
有分心は「生命相続流」と翻訳できます
それは一種の不活発な心で、かつ、一生の内で、心の流れの相続を維持する主要な要因となるものです
有分心がある為に、一期の生命の中の心(の)流(れ)は、断絶する事がありません
毎回、何かの心路過程が生起する時、有分心は一時的にその生起を停止しますが、一旦心路過程が終了すると、有分心は再び不断に継続して生起します
たとえば、あなたが熟睡して夢を見ない時、何らの心路過程も生起していませんが、有分心だけが、継続的に非常に多く生起しているのです
もし、これらの有分心が生起しない時、あなたは死亡します
というのも、心流が停止するや否や、死亡が発生するからです
過去の学者で、有分心を「無意識」とか「下意識」とかに訳しましたが、実際には、有分心は一種の意識です
ただ、それは現在の対象を取らず、前の世(前世から)の臨死速行心が取った過去の目標を対象としています
614神も仏も名無しさん
2016/08/02(火) 06:07:11.83ID:2xSxDnGY たとえば、オレなりには「私というものは」の
答えは出している
しかし、それが本当の答えと言うなら傲慢すぎる
本当は、議論しながら考えなくちゃいけないことなんだよ
答えは出している
しかし、それが本当の答えと言うなら傲慢すぎる
本当は、議論しながら考えなくちゃいけないことなんだよ
615神も仏も名無しさん
2016/08/02(火) 06:09:03.18ID:owkp+r2F まことは、悟りや修行の常識もわかってないよな!底浅だよな!
616神も仏も名無しさん
2016/08/02(火) 07:24:29.86ID:xAIVTxmC >「私というものは」
>議論しながら考えなくちゃいけない
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
中観自立派
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相(自性)を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相(自性)として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
誰かが(妄想して)分別しようがしまいが、火には、熱さや燃焼作用という属性が具わっています
これこそ「火自体の側にあるところの、火を火たらしめている本質的な要素」であり、すなわち火の自相(自性)なのです
− これに対して −
中観帰謬派
(無明の暗闇に覆われた世界の中で)
(誰かが妄想して)分別されなければ、その法が火として設定されないゆえに
汝の言う「誰も気づいていない山火事」も、いま我らによって(妄想して)分別されているゆえに
そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します
http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
チベット ニンマ派
これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である
実体をもって(自立して(永遠に変化することのない「我」が))存在していると信じ込んでいたからです
− これに対して −
すべての事象は独立してではなく、原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは無常(我ではない)という理に自らの心を馴らしていかなければなりません
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
(無明の暗闇に覆われた世界すべて一切の)
諸法は(「我はある!」という想いも含めて、これも)夢・幻の如しと訓練しなさい
>議論しながら考えなくちゃいけない
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
中観自立派
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相(自性)を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相(自性)として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
誰かが(妄想して)分別しようがしまいが、火には、熱さや燃焼作用という属性が具わっています
これこそ「火自体の側にあるところの、火を火たらしめている本質的な要素」であり、すなわち火の自相(自性)なのです
− これに対して −
中観帰謬派
(無明の暗闇に覆われた世界の中で)
(誰かが妄想して)分別されなければ、その法が火として設定されないゆえに
汝の言う「誰も気づいていない山火事」も、いま我らによって(妄想して)分別されているゆえに
そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します
http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
チベット ニンマ派
これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である
実体をもって(自立して(永遠に変化することのない「我」が))存在していると信じ込んでいたからです
− これに対して −
すべての事象は独立してではなく、原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは無常(我ではない)という理に自らの心を馴らしていかなければなりません
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
(無明の暗闇に覆われた世界すべて一切の)
諸法は(「我はある!」という想いも含めて、これも)夢・幻の如しと訓練しなさい
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