>>18
>なかなか、ぶっ飛んでますねw

母胎には拠らず、
自分の意志力で肉体を自由に創造して、それを着用する
---という話がぶっ飛んでるとでもいいたのなら、

仏典の根拠ならばここにあります。
これらは神話や神格化などではなく、本物の覚者ならば実際にできることです。
まっ、平均的な仏教徒らは何も知らないし、信じてもいないのが多い・・・。
しかし、神智学徒はこれらの真実をよく知っている。

 『また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生身を化作する
ことに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)形はあるが思考から成り立ち、
四肢も完全にそなえ、(目や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体をつくりだします。
(『ディーガ・ニカーヤ』第二経/出家の功徳/沙門果経85)
<訳注85-1> 父母から生まれた肉身ではなく、意によってつくり出された身体。 形はあるが、物質的ではない。死後の中
有の存在や、禅定にはいったときの身体がこれに相当する。 しかし、ここでは、恵学を完成することによって、思いのま
まに、随意に、自分の身体を物質的な肉体から離脱させることをいうのであろう。』
(『世界の名著1/バラモン経典 原始仏典』中央公論社刊p532-533)

>>20
まっ、
「空」を説かれる如来そのものも「空」---なんていう云い方は、
無我について誤解してるような巷の自称仏教徒らの話です。
“空なるものの世界から解脱した者(完成者)も空”などという論理矛盾は在り得ないから。
もっと自分の頭で考えて、もっと勉強して下さい!!