2005年(主日A年) 10月16日 年間第29主日
イザ 45:1〜6  Iテサ 1:1〜5b  マタ 22:15〜21

「神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、私たちは知っています。 私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。」(Iテサ vv.4-5)

使徒パウロはこのように書いて、テサロニケの教会のことを神に感謝しました。
マケドニアに渡って最初の町フィリピで投獄の難に遭ったパウロとシラス(シルワノ)は、テサロニケに着いて 「激しい苦闘の中で神の福音を語った」(Iテサ 2:2)のでした。
そして彼らは 「聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(Iテサ 1:6)、来るべき怒りから私たちを救ってくださる復活のキリストが再び天から来られるのを、待ち望むようになったのでした(Iテサ 1:10)。

この福音は “秘められた計画”(天に蓄えられている希望)を知らせるものであり、その完成を待望する終末的な群としての教会を “造り上げる” という実を結んだことを理解しましょう。
聖書が聖伝と共に現代の私たちに伝えていることは、教会がこのような救済史の中を旅する群であるということであります。
私たちが聖書に親しみ、ミサの中で “ことばの典礼” が正しくその役割を果たすとき、テサロニケの人々に働いたのと同じ聖霊は現代にも働いて、私たちに “秘められた計画”(天に蓄えられている希望)を知らせてくださいます。
なぜなら福音は、復活して今も父の右におられる現在のキリストからの“良い知らせ” だからです。

・・・・・ 以下、本文参照。
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