Q. 他言無用なのはなぜですか?

A. 増谷文雄氏の<釈尊のさとり> という本には次のように書かれています。

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「釈尊の頭の中には、ただ一つ大きなクエスチョン・マークが見えていた」
これこそ、実は、釈尊の「さとり」の消息を美事に表現しているのだと、
そのように気付くことができたのであります。

最初の説法にかけた釈尊の意気込みはたいへんなものでした。
それにもかかわらず、最初の説法は、けっして易々として成ったものではありません。
その対象として選んだ五人の比丘たちも、よういに耳を傾けようとはしませんでした。
やっと説法をはじめてからも、彼らがそれを理解するまでには、
なお数日も数日もかかったようであります。

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本来ならば、正法は明らかにすればするほど光り輝くものですが、
ただでさえ説明し難い正法を精神世界や宗教離れが進んでいる現代で
人々に伝えるのは至難の業です。

ですから、有り難いお釈迦様の教えをより多くの人に「正しく」知ってもらうために、
正しく教えることが出来るようになるまでは、無闇に人に話すのは好ましくありません。
  
誤解を招いて誹謗される可能性もありますから、その光を絶やさぬよう傷つかぬように、
大切にベールに包んでおく必要があるのです。