自分自身の心を磨くとともに、周りに法を伝えていく

 私がみなさんに説きたいのは次のようなことです。
 「個人としての悟り」を求める修業は、あくまでも、最初から付きまとっています。「自分自身が悟りを持ち、その悟りの力でもって自分自身の心を浄化し、自分自身の真なる幸福感を高める」という修行は、一生、ついて回るものです。
 そして、「自分自身の心を、どのようにつくり上げたか」ということが、死んであの世にもって還れるもの、そのものなのです。

 この世でつくったものは、全部、あの世には持って還れません。あの世に持って還れるのは、みなさんの心しかないのです。
 心しか持って還れないので、「心をよく磨き、正しい方向に向けて日々に精進し、あの世に還る」ということが、みなさん個人にかかわる「第一の悟り」です。

 そして、「第二の悟り」とは次のようなものです。
 人間は、一人で生きていくものではありません。人間は、たった一人で生きるものではなく、やはり、集団で、大勢で生きているものなのです。
 そういうことを考えたら、「今の時代に、似たような環境のなかに生まれ、同じ地域、あるいは同じ職場で生きている人たちがいる。
たまたま縁があって、今、同時代に生きているのだから、彼らにも『救いのチャンス』を与えたい。彼らにも『悟りのよすが』を与えたい」と思わなくてはなりません。

 「法を伝える」「教えを伝える」という行為は「伝道」とか「布教」とか言われていますが、これは非常に大事なことです。
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