天理教に功徳はあるけれど、それは地道なものだから。

まず自分自身で親神様の存在をつかみ、
その親神様の教えである「ひのきしん、人助け」の精神でコツコツ誠実に生きる。
そうすると少しずつ自身の過去や前世での悪因縁も切れていき、同時に来世以降の徳も積まれていく。

だから目に見えた運命が良く切り替わっていくのには地道かつ時間が掛かる。

でも今世だけではなく来世以降の保証や安心感を得られるのは信仰だけ。
しかも末代の生まれ変りから考えれば、今世なんて一瞬で、来世以降のほうが圧倒的に長い。

どれだけ今は莫大な財産や権力を持っている人間でも、徳(それも特に陰徳)を積んでおかなければ、
死後の来世は不確定的だし、はたして人間に生まれ変れるのかさえ保証は全く無い。

でも神様をつかみ、コツコツと徳を積む生き方を出来た人間は死ぬ時にも安心と楽しみを持って死ねる。
これは信仰を持つ者だけの、真に莫大な特権とも言えると思う。