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天理教ってどうなの? [転載禁止]©2ch.net
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0182神も仏も名無しさん
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2018/06/29(金) 18:48:59.18ID:gjxqPD+f
皇室に弓を引く自民党杉田水脈のクズっぷりがイギリスでも拡散

《一方で番組は山口氏を擁護する人物として、自民党の杉田水脈議員を取材した。
杉田議員は、ネット座談会などで伊藤氏を強く批判している。
番組の取材に対し杉田議員は、伊藤氏には「女として落ち度があった」と語った》

https://t.co/WHZc12v8wZ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01)
0183神も仏も名無しさん
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2018/07/25(水) 03:24:11.69ID:fxFq0nFj
おんあろりきゃそわか
0184神も仏も名無しさん
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2018/08/08(水) 18:02:23.89ID:YYo/HBgY
世界中の人間は、我が身思案に頼って、心の闇路にさまようている。
それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。

親神を天理王命とたたえて祈念し奉る。
紋型ないところから、人間世界を造り、永遠に変わることなく、万物に生命を授け、
その時と所とを与えられる元の神・実の神にています。

この世は、親神の身体であって、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵みに満ちている。
即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。
実に、この世は、理ぜめの世界であって、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。

しかも、親神は、どこまでも、一れつ子供を愛撫される親にています。
人間には、陽気ぐらしをさせたいという親神の思いが込められている。
これが、人間の元の因縁である。

善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。
およそ、いかなる種子も、まいてすぐ芽生えるものではない。
前生因縁は、先ず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねていくならば、
自分の因縁を悟ることが出来る。これが因縁の自覚である。

親神が、色々と因縁を見せられるのは、それによって人々の心を入れ替えさせ、
あるいは勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであって、
好ましからぬ因縁を見せられる場合でさえ、決して苦しめよう困らせようとの思召しからではない。

親神の胸に抱かれ、ひたむきに信仰に進む者は、我が身にふりかかるいかなる悩みや苦しみにも、溺れてしまうことなく、
むしろ素直に成って来る理を見つめて通るから、悩みや苦しみも、かえって喜びに転じてくる。
かくて、真にたんのうの心が治まれば、前生の因縁は納消される。

ひたすら、世の人の上に親神の守護を願いつつ、我が身を忘れて行ううちに、
親神に守られ、その胸に抱かれて、自身もいつしか心は成人して、明るく陽気に救われて行く。

      『天理教教典』より抜粋
0185神も仏も名無しさん
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2018/08/16(木) 20:53:48.46ID:dsFa1IMx
因縁自覚が1番難しい。できたら信仰生活も軌道に乗る、、、、癌家系とか、見て判る障害は解り安い(勿論、多大な苦痛を
克服?良い意味で諦める受け入れる等)
長引く事情も基本同じなんだが、回りがお願いづみさせながら軽い誘導(できれば訓練)無神論からの手グセ、引きこもり等脱出
0186神も仏も名無しさん
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2018/08/16(木) 21:18:16.71ID:dsFa1IMx
前世因縁自覚は家系因縁自覚より、もっと敷居が高い。後者は先祖の病歴や起こした資料言い伝えが残るが。前者は自分との対話。まあ経験値・訓練?の多さで自分の特性見極めるのと同じぽい。でも
千通りあるの判る。欠けてる部分が一点なのか?別席二回で急性かつ重大悩み解決で来なくなった事例三件。個々で違いすぎ
0187神も仏も名無しさん
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2018/08/16(木) 21:43:25.16ID:dsFa1IMx
間違った、多分、俺の言ってる、前世因縁は前生因縁と違うわ。特異な場合。良い意味なら、なんで内の家系でこんな凄い子が生まれたのか?逆なら犯罪者
、、、、前生因縁は184言ってるように、中年?位になると子供含め人生前半でやってきた誤った選択。バレてない完全犯罪なら罰的にもっと解り安い(来世に持ち込みはより怖い難儀らしいが)と癌家系や
夭折なら解り安い家系因縁も含むが、、、、
0188神も仏も名無しさん
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2018/08/17(金) 16:00:00.07ID:3mw7b3ug
教内在日チョンコネットワークなんとかせーや、ボケが。
0189神も仏も名無しさん
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2018/09/03(月) 20:53:50.62ID:2nX0dNNk
   ┬──┬──┬──┬───
    []__ []__ []__ []_____.||
   ○    ○    ○    ○     .||  ガタンゴトン〜
   | |_____________________||
   |「 ヒソヒソヒソ            ||  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∧__∧∧__∧  ∧___∧ ∧_∧|| < うわぁ〜天理教入ってる! 恥ずかしぃ〜!
  ( ´∀( ∀` Σ(´Д` )(´∀` ||  \________________
  ( つ .  ⊂ )O ̄ ̄|_⊂)( .   ||=
  ( ( ,-( (  ノ.-|__レ'─( ( _┏ ||
   し'し  し'し'   し' し   し'し'||...||
0191神も仏も名無しさん
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2018/09/06(木) 13:56:27.64ID:iMRpU15X
ラーメン食ったぞ
0192神も仏も名無しさん
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2018/09/07(金) 17:46:14.09ID:EuhVP5R9
彩華行きたい・・・・・・
0194神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 06:07:26.92ID:2YWv1N3Y
 ////////, ''"    ヽミ川川
 |//////, '"       ',川川
 川/////, '",,,,,,,,,,,,,,,,    r''"',川||
 川f 川f´           ,ィ::ラ',川  うわっ……私の得票数、低すぎ…?
 川ヘ  |    弋て::>     ̄  ',リ
  川 ヘ.__           ヽ /7!  (長岡京市 Mさんの場合)
  川川 ヘ     _,. '-‐''"´y'  //
   川川リヘ , '´   __,,,/  / /
   川川川|/   '"´   , '´ /||
   川川川|           /川
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 14:59:16.73ID:bHdNaTcM
しかし天理教は見事に終わってるな、清々しいまでの廃れっぷりだわ・・・・・・
0196神も仏も名無しさん
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2018/09/25(火) 12:32:54.21ID:fM5UaKQq
920 名無しさん 2018/09/25(火) 10:21:17.54 ID:iqj50yZc
> 天理市に移住してきた男性70歳の話
>
> できるだけ買い物は地元でするのがいいんやないかと思って
> 地元にちょうど豆腐屋さんがあるわけなんですよね
> そこの豆腐屋さんに買いに行って
> 2,3回は売ってくれたんです
> せやけど何回か買いに行くうちに
> 「(あなたは)どちらさん?」という話になりまして
> <ナレーション
> 男性が素性を明かすと態度が一変>←★1ココ
> 「あんたらには売られへん」と言うて←★2ココ
> おからをなげられたんですわ
> 当たらなかったんですけどね
> えーここまでするんかと
> 「村の人らはあんたらのこと嫌がっている」←★3
> ってその時はっきりと言われたんですよ
> つらかったんですけどねものすごくね
https://youtu.be/h7VzoJSNL7w?t=3846

★1により、この男性には「素性を明かす」ような属性が存在していることが明確にわかる
★2により、その属性を知った豆腐やが「あんたら」と複数形で男性を攻撃したことがわかる
★3により、★2がさらに補強されたことがわかる

天理市移住者でその素性を「複数形で問われる」属性など
「天理教信者以外にはありえない」
ょってこの男性は天理教信者

すなわち天理市村八分問題とは
大量に移住してくる天理教信者VS天理教に町を乗っ取られることを恐れる地元住民の話だった
となる
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/25(火) 12:35:24.31ID:fM5UaKQq
931 名無しさん 2018/09/25(火) 10:56:12.79 ID:iqj50yZc
235世帯になっているのは
住民基本台帳から
天理市乙木町と天理市岸田町の2つしかない
このうち町内に豆腐屋があるのは乙木町だけのため
宗教戦争をやっているのは天理市乙木町と確定
乙木町の神社は夜都伎神社

ということで、
この村八分騒動改め「天理市宗教戦争」は
夜都伎神社氏子VS天理教信者ということです
0198神も仏も名無しさん
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2018/09/28(金) 06:51:26.04ID:VI6tl46S
【地域】江戸時代に忽然と地図から姿を消した村。祟りを恐れ今も墓参りを続ける近隣住人たち。兵庫県篠山市
5ch


↑このスレを「芦屋」「朝鮮」で検索するな!
0199神も仏も名無しさん
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2018/10/05(金) 17:44:44.35ID:3HF+0Q27
数日前にスジャータいたな
0200神も仏も名無しさん
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2018/10/06(土) 14:45:45.19ID:a4jDkc9f
>>59
おてんばさんって君が代反対の左翼だったのか
0202神も仏も名無しさん
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2018/10/08(月) 13:13:49.31ID:C5z0nnwt
いきなり!カルト(朝鮮産)

「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764頁)日蓮上人

平成7年1月16日に、神戸で偽本尊(魔入り)を沢山ばら蒔いていたとある宗教。
その次の日、神戸を大震災が襲った。

とある宗教と宗教協定を結んだイタリア。
発効から約一ヶ月後、イタリアを大地震が襲った。
いやあ、効果覿面、現証バリバリ。
W杯も出場ならず・・・

あっ、偶然ですよね?
0203神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 13:14:13.46ID:C5z0nnwt
いきなり!カルト(朝鮮産)

「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764頁)日蓮上人

平成7年1月16日に、神戸で偽本尊(魔入り)を沢山ばら蒔いていたとある宗教。
その次の日、神戸を大震災が襲った。

とある宗教と宗教協定を結んだイタリア。
発効から約一ヶ月後、イタリアを大地震が襲った。
いやあ、効果覿面、現証バリバリ。
W杯も出場ならず・・・

あっ、偶然ですよね?
0204神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 13:14:26.04ID:C5z0nnwt
いきなり!カルト(朝鮮産)

「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764頁)日蓮上人

平成7年1月16日に、神戸で偽本尊(魔入り)を沢山ばら蒔いていたとある宗教。
その次の日、神戸を大震災が襲った。

とある宗教と宗教協定を結んだイタリア。
発効から約一ヶ月後、イタリアを大地震が襲った。
いやあ、効果覿面、現証バリバリ。
W杯も出場ならず・・・

あっ、偶然ですよね?
0207神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/19(金) 10:42:45.48ID:Z/zXDacE
θ
0208神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/21(日) 17:02:09.85ID:dSATwk90
四つ橋線車内放送で肥後橋金光教玉水教会降車案内流れなくなった
0209神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/22(月) 00:50:59.92ID:YnQluRRo
           (~)
       ,/゙ヽγ⌒ヽノ゙ヽ                  
       {i:i:i:i:i:i:i::i:i:i:i:i:i:i:} 
       / `  ・  . ・ i、        
      彡,   ミ(_, 人_)彡 ミ   
          ヽ、,       ノ 
       /      ̄ ̄    .ヽ
       ! イ  °    °  ト!
       |     ,,,,     |
        ヽ  _    .. _ /
         ヽ┘  ̄ ̄ └'
0211名無しかましてよかですか?
垢版 |
2018/10/22(月) 23:14:18.09ID:Bh0DUdou
総長がラブライバーやるには歳行き過ぎじゃろもー?

青森の三村知事ともども、年齢を考えたほうがよかじゃなかとね?
0212神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/23(火) 23:46:01.92ID:cAeMRI5v
エッタ多いからもうあかんやろ。
0214神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/27(土) 13:25:03.25ID:2qlaPxdo
10月28日創立100周年記念 第94回天理教青年会総会
11月25日教区青年会リーダー研修会
0217カミカゼじゃあのwww
垢版 |
2018/10/27(土) 21:38:01.50ID:bchIVUT/
保守速報、いよいよ大ピンチww
小坪しんや君、これ以上の悪あがきはもうやめたまえ。

「保守速報」「netgeek」などにDoS攻撃か サイト閲覧できない状態に

 10月25日ごろから、「保守速報」「ShareNewsJapan」「もえるあじあ」「アノニマスポスト」などのサイトにつながりにくい状態が続いています。
さらに27日17時時点で「netgeek」も閲覧できなくなっているのを確認。
原因は不明ですが、何者かによるDoS攻撃(またはDDoS攻撃)ではないかとみられています。(ねとらぼ)


じゃあのwwww
0219おてんば私立学院総長 ◆Sh04QfwaGE
垢版 |
2018/10/30(火) 03:38:40.39ID:jvcri4oB
>>200
だって、君が代なんて時代遅れでダサイんだもん。それに眠たい旋律なうえに日本人には合わない。
ちなみに大山巌という薩摩藩士に言わせれば君が代の「君」とは単に新郎さんを意味するに過ぎなかったところを
長州のサルどもが天ちゃんを崇めさせる道具として用いさせたという経緯があるわけだから滑稽ですらあるわけで。

>>210
何か言ったか?

>>217
小坪、日本共産党の秘密党員であるという噂がある。
0220野良天 ◆3gxC3xwhfc
垢版 |
2018/11/01(木) 04:28:29.96ID:myvQPi1q
君が代っていいね、と俺は思う。
0222神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/04(日) 21:30:51.47ID:b4PBGqtG
MBSラジオアッパレやってまーすの番組中に霊友会のCM流れた(本部東京・聖地静岡)
http://reiyukai.jp/
石原慎太郎は霊友会信者であり、政界進出にあたり支持をとりつけて大量の組織票を獲得した。霊友会の定期刊行物「あした21」に寄稿するほか、イベントにも参加している。
元横綱花田勝治。長男を不慮の事故で亡くした後に入会している
https://www.mbs1179.com/yaru/sp/
0225神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 13:40:58.58ID:FPScQd6p
>>221
天理団臨
今月26日にJR難波発快速奈良行が天理まで延長運転。

今月〜来年2月までの毎月26日に阪神神戸三宮→大和西大寺の快速急行が天理まで延長運転(西大寺からは各停)
西大寺1005→天理着1022。
0226神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 14:09:55.04ID:3xtShMtd
最近の詰所や大教会建て替え情報ある?
0227神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 15:27:10.74ID:vRtMUT5J
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。 j

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作先生を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです t,

備考 その他の入ってはいけないランキングです
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
0228おてんば私立学院総長 ◆Sh04QfwaGE
垢版 |
2018/11/19(月) 07:24:12.35ID:EumyTOxi
・・・それにしても、「こかん」様って早くに出直したところを見ると、大した徳が無かったことになるようだね?
天理教的には。

いくら教団論理でもって、これを例外とするにしても、相当な無理があるわけだから惨めなものだ。
0234神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/03(月) 18:35:26.26ID:gO5LOQyt
一般信者の家庭でも子供たちが信仰していないので親の代で終わり
親が死んだら子供は教会から離れるので信者が減るばかり・・・・・
0235神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/03(月) 20:16:05.84ID:9J9bPddo
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<       /   活 字    ヾ:::\        >
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< 名誉   || <・>| ̄| <・> |── /\      >
<       |ヽ_/  \_/    > / 会長  >
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朝鮮部落
ttp://56285.blog.jp/archives/51449049.html?p=2
たった一言「盗作学会」で検索すれば・・・

さぁあなたも、革命人間の世界へ!!!

号外秘密便
「本日永遠の師匠の死刑が執行されました。
埋葬場所は足りています。」

創○班って警察にテロリスト認定されてんの?w

カルト激減。佐々岡典雅って誰だ?
0236神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/04(火) 19:58:16.10ID:Ir5XDZ4K
だから立地的に有利な教会だけでも、なんらかの事業をやって収入を得るべきという提案がなされているわけ。
お供えに頼っていてはもうやっていけない。
(詰所は外国人観光客向け、山手線の駅近くの教会は会員制の、それぞれ安価な宿泊施設にしたらどうか?という提案)
0238神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 19:13:12.31ID:qHRv5UVO
>保育園や老人ホーム経営してる教会はあるね

宗教専業でやろうなんてあほくさい考えせんのは称賛に値するわ。
福祉施設でも安宿でも立地条件にあった事業を各教会は考えるべきやね。
身動き取れんようになってからでは遅いんやで。
0239神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 19:56:25.95ID:fj2bqdGG
明日は平成最後の12月7日
0240神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 20:00:27.05ID:2f8w8Iin
今日は平成最後の12月6日
0241神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 01:17:32.22ID:400UmcIl
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< 名誉   || <・>| ̄| <・> |── /\      >
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朝鮮部落
ttp://56285.blog.jp/archives/51449049.html?p=2
たった一言「盗作学会」で検索すれば・・・

さぁあなたも、革命人間の世界へ!!!

号外秘密便
「本日永遠の師匠の死刑が執行されました。
埋葬場所は足りています。」

創○班って警察にテロリスト認定されてんの?w

カルト激減。佐々岡典雅って誰だ?
0242神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 12:46:25.24ID:eh++unZQ
しかし天理教は見事に終わってるな、清々しいまでの廃れっぷりだわ・・・・・・
0243基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:39:06.31ID:W/QjebaE
山名系教理の発祥は、静岡県袋井、「行った処が袋井や」の逸話があります。
ここに、きちんとした教理研究スレを立てます。

テーマは、神の本質です。それは、ある意味「甘露」の問題です。

おやさまは、「あると言えばある、無いと言えば無い。あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」との意、語ったと伝えられている。
つまり、「利益」「りやく」が神なのである。
これを、「天理教団」では、「天理教はご利益信仰ではない」と、全く逆を信者に教えている。
山名系教理・教学の神不在の自白ともいうべき「天理教団」の態度、ごりやく信心の否定こそ、大きな理の間違いです。

ご利益を否定するということは、つまり「神の存在の否定」そのものになる事、天理の基本に照らせば明らかです。


天理教信者に対して「天理教団」が手続きして、神がお渡しくださるおさづけ、まさに「ご利益」のためのものであり、別席制度そのものが、ご利益信心の道そのもの。

ご利益信心こそ、「王道」であること。それは、おやさまが語った「見えてくる利益が神の姿や」「見えてくる利益がが神や」そのものである。

「甘露」とは、ご利益のご利益たるもの。
それが神からのさづけものだから、「甘露台」をご神体として、拝している事を、深く研究しよう。
0244基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:42:26.08ID:W/QjebaE
神様が、甘露台を立てるのは「にほん」のはじめです。
そして、それは、「たかやまのとふじん」(強欲尽くしている者)には、神の立腹です。
だが、「にほん」の者には、ご利益です。

そういう意味において、おやさまの教えは、人間完成の道ではなく、たにそこせり上げの道。
それは、ご利益によって、谷底の者を、幸福にする道ということで、甘露を受ける台にて、その幸福を谷底が、与えて頂くことになる。

これがおやさまの教えです。
原典、おふでさき二号がきちんと知らしているのです。
0245基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:47:19.44ID:W/QjebaE
【批判殺到】河野外相が記者の質問を連続無視!
質問中に頭をかいたり、水を飲んで放置 北方領土問題で

12月11日の会見で河野外相が記者からの質問を相次いで無視したとして批判を浴びています。

問題視されているのは北方領土問題に関する記者の質問を全て無視している場面で、
河野外相は頭をかいたり、水を飲んだりして記者の質問に答えませんでした。
記者が質問したのは、先日にロシアのラブロフ外相が「北方領土はロシアの領土となったことを日本が認めない以上、
交渉は進められない」などと強い発言をした件です。
記者会見の最後まで日本としての姿勢や意見は無く、都合の悪い話には「ノーコメント」という返答すらありませんでした。

この様子に中継を見ていた人たちからは「あまりにも不誠実」「無視のやり方が幼稚」「大臣の責務を放棄している」などと批判の声が殺到。
各種メディアも取り上げたことで大炎上しています。
ただ、批判を受けた後も河野外相は具体的なコメントを発表しておらず、ロシア側の言い分を日本政府が黙認しているような状態になっているところです。

北方領土問題でロシア側が日本をけん制する発言をしていることについて、河野外務大臣は、11日の記者会見で見解を問われましたが、
記者の質問を繰り返し無視する一幕がありました。
河野大臣には、交渉に向けた環境を整えるねらいがあるとみられますが、
質問そのものに応じない姿勢には批判が出ることも予想されます。
0246基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:52:01.68ID:W/QjebaE
「八つのほこり」

 表記について、詳細以下の通り(天理教HPより転載)

「をしい」 心の働き、身の働きを惜しみ、税金や納めるべき物を出し惜しむ。また、
        世のため、人のための相応の務めを欠き、あるいは、借りた物を返すのを
        惜しんだり、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。

「ほしい」 努力を怠り、十分な働きもしないで金銭を欲しがり、分不相応に良い物を
        着たい、食べたい、また、何によらず、あるがうえにも欲しいという心。

「にくい」 人の助言や忠告をかえって悪く取って、その人を憎む。また、嫁姑など
        身内同士の憎み合い。さらには、人の陰口を言ってそしり、笑い、あるいは
        罪を憎まず人を憎むという心。

「かわい」 自分さえ良ければ人はどうでもよい。わが子への愛に引かされて食べ物、
        着物の好き嫌いを言わせ、仕込むべきことも仕込まず、間違ったことも
        注意しないで、気ままにさせておくという心。また、自分のために人を
        悪く言うのもほこり。



「うらみ」 体面を傷つけた、望みを妨げた、どう言ったと自分の不徳を思わず、人を
        恨み、根に持つような心。

「はらだち」 人が悪いことを言った、意に反することをしたと腹を立てる。理を立てず、
        我を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないで腹を立てるような心。

「よく」 人より多く身につけたい、取れるだけ取りたいという心。数量をごまかし、
        人を欺して利をかすめ、あるいは盗み、取り込むなど、何によらず人の物を
        ただわが身につけるのは強欲。また、色情に溺れるのは色欲。

「こうまん」 力もないのに自惚れ、威張り、富や地位をかさに着て人を見下し、踏みつけに
        する。また、頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、人の欠点を探す、あるいは
        知らないことを知ったふりをするような心。
0247基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:56:07.58ID:W/QjebaE
 教会長とか、一般信者の中に一人いるかいないかの「少しお利口さん」な人が漏れに対して
 天理教の教えを説く時に必ず口走るものであるが、自分達が上記の「八つのほこり」を身に
 まとって、二足歩行しているということに、何故、気付かないんだろうか?

根と言うものは地中にあります。
根を掘ると言うのは、埋もれている暗い地中の話題です。
つまり、隠してあったり、隠れていたりもあるでしょう。
根を掘る模様。
そこに基本の位置はあります。

> 「陽気な心」や「前向きな心」
それが、根のあるものであるためには、地場と言う理、おやさまの神名。二つ目標。
そういう、教えの根源を知らねばなりません。
0248基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:06:28.86ID:W/QjebaE
荒木棟梁というお言葉は、山本利三郎さんの入信時に、おやさまが仰せになりました。

国の掛け橋 逸話篇33
河内国柏原村の山本利三郎は、明治三年秋二十一才の時、村相撲を取って胸を打ち、三年間病の床に臥していた。
医者にも見せ、あちらこちらで拝んでももらったが、少しもよくならない。それどころか、命旦夕に迫って来た。
明治六年夏のことである。
その時、同じ柏原村の「トウ」という木挽屋へ、大和の布留から働きに来ていた熊さんという木挽きが、にをいをかけてくれた。
それで、父の利八が代参で、早速おぢばへ帰ると、教祖から、
 「この屋敷は、人間はじめ出した屋敷やで。生まれ故郷や。どんな病でも救からんことはない。
早速に息子を連れておいで。おまえの来るのを、今日か明日かと待っていたのやで。」
と、結構なお言葉を頂いた。
もどって来て、これを伝えると、利三郎は、「大和の神様へお詣りしたい。」と言い出した。
家族の者は、「とても、大和へ着くまで持たぬだろう。」と止めたが、利三郎は、「それでもよいから、その神様の側へ行きたい。」と、せがんだ。
あまりの切望に、戸板を用意して、夜になってから、ひそかに門を出た。
けれども、途中、竜田川の大橋まで来た時、利三郎の息が絶えてしまったので、一旦は引き返した。
しかし、家に着くと、不思議と息を吹き返して、「死んでもよいから。」と言うので、水盃の上、夜遅く、提灯をつけて、又戸板をかついで大和へと向かった。
その夜は、暗い夜だった。
 一行は、翌日の夕方遅く、ようやくおぢばへ着いた。
既にお屋敷の門も閉まっていたので、付近の家で泊めてもらい、翌朝、死に瀕している利三郎を、教祖の御前へ運んだ。
すると、教祖は、
 「案じる事はない。この屋敷に生涯伏せ込むなら、必ず救かるのや。」
と、仰せ下され、つづいて、
 「国の掛け橋、丸太橋、橋がなければ渡られん。差し上げるか、差し上げんか。荒木棟梁 々々々々」
と、お言葉を下された。
0249基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:10:08.43ID:W/QjebaE
> 「あると言えばある、無いと言えば無い。あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」
「願うという事、願うまことという事」それが、おやさまの教えられた究極の一点である。

一方、おやさまは、神が人に与えたいというものについて、多くを語られている。

人間への神からのさづけものについて語られている話題の、中心であり、その、最も基本的なものが「甘露」である。

「あしきを払うてたすけ急き込む、いちれつすます甘露台」が、先に教えられたおつとめの中の一説であり、
それは「後に、一列すまして甘露台」と、変更されているとされる。

おつとめの手振りで、頂きますというスタイルで手を出しているのは、「天理王命」と唱えてであるが、頂くものの、最核心のものは、甘露。
だから、甘露台を囲んで勤めるのであり、そして、神から渡したいものがあるということと、
人間の願うまことで頂く利益と、その二つがおやさまの教えられた神、そのものである。
0250基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:13:45.27ID:W/QjebaE
静岡の袋井にて発祥した山名系の天理教思想は、甘露台世界というものは、
おつとめが完成して後のもので、甘露は、それから降るのだという。
つまり、人間完成の道の後に、神は寒露を与えるという。

これは、宗教学者が哲学的を模倣してこしらえたでっち上げであり、仮に、人間が完成したら褒美として神が授けるというものならば、
おやさまの言われた、「あると信じて願うまことに見えてくる利益が神のすがた」という教えは、意味の無いものとなる。
願う人間の中には、汚れた心の人間も居るだろうし未完成に決まっている。

その未完成の人間の願いに対して、姿を現してこそ真実の神である。
おやさまは、そこをきちんと語られているのだ。

>しやハせを よきようにとてじうぶんに 身についてくる これをたのしめ 二号42

このお筆先は、二号の39から47までのつながりの中に語られています。
話題は゛甘露台」の話題です。

めつらしいこのよはじめのかんろたいこれがにほんのおさまりとむなる 二号39

甘露台そのものが、人に対して、幸わせ、よき事、
十分なことを与えるものであるということは、この一連のおうたで、理解できます。
0251基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:18:15.83ID:W/QjebaE
日本が先進国がら転落するのは、少子化が原因ではなくて、少子化にならざるを得ない格差社会化だから。
正社員から非正規労働にシフトさせ賃金を減らし続けているのだから、国民が「消費」できなくなって(当然、
結婚もできなくなって)国の経済力が落ちるのは当然の流れ。

竹中平蔵が音頭を取った「新自由主義・構造改革」が原因なのは明白で、
構造改革の本音は、日本の一般国民の生活レベルを、都市部以外の中国や東南アジア、南アジア諸国と同程度にまで「落とす事」が狙い。
そのため、日本国内に落ちるべきカネが「外国への投資」という形で、どんどん海外に流れていった結果、日本が貧しくなっていっただけの話。、
日本の国民が貧しくなって中国や東南アジア諸国と同程度の経済力になってしまえば(日本から見れば中国や東南アジアが発展して豊かになったと見える)、
なし崩し的に、アジア全体がヒト、モノ、カネが完全な自由な経済圏が出来上がる事になる。
そうなれば、日本の規制なども有名無実になり、グローバリストは好き勝手ができるようになる。

単に、少子・高齢社会だけなら、高齢者を積極活用する社会に作り替えればよいだけで、そんなに難しい事ではない。
医療、介護、子育て、農業。社会インフラの維持など「外国人労働者を入れたくて、入れたくてウズウズしている分野」などは格好の高齢者の活用場だ。
高齢者を活用したくないから、人手不足だと大騒ぎしているだけ。

経団連も、高齢者の活用には見向きもせず、外国人労働者を入れろの一点張り、
ネットでも誰の支持なのか、高齢者叩きが活発で、「世代間の分断」が意図的に図られている。
今の若者が貧しいのは、高齢者が悪いのではなくて、自分の兄世代が「竹中平蔵の構造改革路線」を支持した結果、という事を意識すべき。
これで「外国人労働者を入れたら、本当に後戻りできなくなってしまう」よ。
0252基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:26:53.77ID:W/QjebaE
めつらしいこのよはじめのかんろたい これがにほんのおさまりとむなる 二号39
高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか  二号40
たんたんといかなはなしもといてある たしかな事がみえてあるから 二号41
しやハせをよきようにとてじうぶんに 身についてくるこれをたのしめ 二号42
なにもかもごふよくつくしそのゆへハ 神のりいふくみへてくるぞや 二号43
たんたんと十五日よりみえかける 善とあくとハみなあらハれる  二号44
このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ 二号45
高山のにほんのものととふぢんと わけるもよふもこれもはしらや 二号46
とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで 二号47

さて、これの一連のお筆先の意味している神意とは、何なのでしょうか、?
幸福を与えるという意味なのですか。
疑問です。

神様が、甘露台を立てるのは「にほん」のはじめです。
そして、それは、「たかやまのとふじん」(強欲尽くしている者)には、神の立腹です。
だが、「にほん」の者には、ご利益です。

そういう意味において、おやさまの教えは、人間完成の道ではなく、たにそこせり上げの道。
それは、ご利益によって、谷底の者を、幸福にする道ということで、甘露を受ける台にて、その幸福を谷底が、与えて頂くことになる。

これがおやさまの教えです。
原典、お筆先二号がきちんと知らしているのです。
0253基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:31:36.70ID:W/QjebaE
病気を神に願って助けてもらうというのは、普通の信心ですが、神に助けてもらうからと、薬を川に流して捨てさせてしまう。
それは、カルト。
医者にも診てもらいながら、神に祈るというのなら、普通の宗教です。

つまり、「甘露台」という台を立てて、甘露を受け取るようにと、それを具体的に実行すると、カルトのなすわざになるわけですね。

そうそう、昭和の戦前の天理教は、神に助けてもらうと、「助けて」と文字を書いていました。
ある時期から、山名系教理の展開された時期ですが、「救け」と、文字に書くようになりました。
これも、カルトですが、おやさまの示されたのは「助け」であり「救け」ではないと、基本的にはそうりかいされます。
神殿に穴あきの建物を建てたり、薬を川に捨てさせたりというカルトは、おやさま的ですが、神様のたすけについて、「救け」と文字をふるようなカルトは、どうでしょうか。

「世界一列をたすけたい」と言う神意は、普通の神信心ですが、そのためには、家屋敷もろとも、みきの身体を貰い受けるという、具体的行為を着手すると、カルトになります。

現在説かれている、「人間が完成したときに甘露がふる」と言うのは、教えとしても史実としても、嘘だということになっています。
「人間が完成したときに甘露が降る」というのは、カルトでは有りませんが、人間の完成の前から、建物に穴を開けて用意している姿は、カルトそのものです。

「神が与えたい」と、それを信じるから、「下さい」と手を出す。
甘露台というのは、あたえを頂く台ですから、神が与えてくれると信じていないとして、台を作りましょうと言うのでは、詐欺のようなものです。

>>1
> おやさまは、「あると言えばある、無いと言えば無い。
あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」との意、
語ったと伝えられている。
そこで、あると信じたときに、ご利益があること。
それは、天からの与えがあるということですから、神はあるということ。

神の実体そのものは、「ご利益」なのだ。
これが、甘露台信仰の本質ということに、なります。
0254基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:52:41.63ID:W/QjebaE
そうなのです。
泥鰌が人間の種になると言う発想が、おやさまの「甘露」と言う教えの発想なのです。

甘露については、以下のような資料があります。
天理教祖中山みきの口伝等紹介。

 『今度屋敷へ生れる時は、名を玉姫と云い、乳や乳母で育てるのではない。甘露で育てる』と仰せになり、
又『十八歳迄は人並に成人するが、十八歳から先は、なんぼ年をとっても、いつも十八の姿や』と仰せになった。
 それから御帰幽になった時『満三十年経ったら産れて来る』との御言葉があった。
 明治十四年三月、兄秀司殿の御死去の際には、『小寒は先へ死んだが、今度の世ではやっぱり妹として生れさす』との御言葉であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「乳や乳母で育てるのではない。甘露で育てる」
この直接的な啓示。甘露と言うものは、そういう具体的なものだということになります。
0255基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:59:00.56ID:W/QjebaE
>「十八歳迄は人並に成人するが、十八歳から先は、なんぼ年をとっても、いつも十八の姿や」
これは、甘露で育てるわけですから、当然の事です。。

増野鼓雪先生が、厳密な理としての表現よりも、
文学的な表現であると言うことに留意しても、
十八の姿でずっといられると言うのが、理としての甘露の持つ意味をきちんと示しています。

「乳や乳母で育てるのではない」という言葉ですが、これは、「生母の乳」や「乳母の乳」で育てるのではないと、理解されます。
「いわゆる母乳」で育てるのではないと言う事です。

当然のことで、十八になっても十八の姿のままであるとするならば、
その女性は授乳と言う行為そのものとどういう関係になるのか。
そこで、「甘露」という言葉の意味が、良く見えてきます。
実に、甘い、露の事です。

神の与えと言うものは、人間の都合に合致した「甘い露」である。
それが基本です。
「十八の姿でおいてやるかわりに、こういう労苦を背負いなさい」では、十八の精神でいられないし、労苦と言うものが、老いを生みます。

つまり、おやさまの教えはもともと、人間に「甘い露」を与えたいと言う前提で、「たすけたい」である。
それが、深く実感されないと、甘露の神意は見えてこないと言うことになります。
0256基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:39:06.85ID:W/QjebaE
【よう苦労して来た】逸話篇114

 泉田籐吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。
その時、頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしもの・かりものの理であった。
それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、
大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形もない。
 余りの素直さに、薄気味悪くなって、一物も取らずに行き過ぎてしもうたのであった。
そこで、泉田は、又、着物を着て、おぢばへ到着し、教祖にお目通りすると、教祖は、

「よう苦労して来た。内々折り合うたから、あしきはらひのさづけを渡す。受け取れ。」
と、仰せになって、結構なさづけの理をお渡し下された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追いはぎですから、
> 「心根の腐った出来が悪い人」
> 「畜生以下の人間」
と、みなされても仕方が無いと思うのですが、おやさまは違う。

「うちうち折り合った」との理をお諭しになっている。

つまり、一列兄弟という当たり前の世界においては、そういう人に対して、礼節を尽くしてものを与えるという事を望まれている。
0257基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:43:44.83ID:W/QjebaE
「ほしい人に貰ってもらえばなお結構」という、逸話も有ります。
普通のものの考え方と、ちょっと違うのは、「ほしい人」と言われたのは、この場合、追いはぎではなく、泥棒さんでした。

そしたら、欲しい人というものにみんなあげてしまうことが、おやさまのお望みという事になります。

そこで、立場を変えてみれば、欲しくても手に入らないものがある事に気がつきます。
つまり、あげたくてもあげれないものがあるとわかります。

たとえばそれは、おたすけの名人泉田先生の効能ある「おさづけの理」。
それは、欲しくても貰えるものではない。
そういうものがあります。
「命」、命を貰って延命すると望んでも、それは貰えません。
「健康」、その人の健康を自分に欲しいと願っても、手に入れられません。
「若さ」、「美しさ」、「才能」、・・
欲しいから、欲しい人が何でも貰ってよいとしても、貰うに貰えないものがあるということです。

おたすけにんなら、人さん助けさせていただく理。
欲しいと望んでも、盗むことも出来ない。

天よりの与えとは、実は、人に分けてあげたくても、どうぞと差し上げるわけにいかない。
この、本質的な違いです。
0258基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:47:23.24ID:W/QjebaE
良いのか、悪いのか、判りませんが・・(笑)
お筆先三号には、このような理が知らされてあります。
 このよふは にぎわしくらしいるけれど
 もとを知りたるものハないので     三号92

普通の天理教徒さんが言われていますところの、
> 金で買えるものとかは、与えてしまえるもの。
それは、賑わしい暮らしそのものの、アイテムと見てよいでしょう。
衣服も家も、自動車も、幸福な生活のアイテムは、おいはぎや、泥棒から見たら、手に入れたいもの。
自分が幸福になるためには、賑わしさ、つまり繁栄こそ必要なわけで、
「物質文明」と呼ばれるその物質は、実は、欲しい人には貰ってもらえるもの。差し上げられるものなのです。

でも、
 このよふは にぎわしくらしいるけれど
 もとを知りたるものハないので     三号92
と、教えられた、理の世界がそこにあると言うこと、それが、「甘露」について知るためには、一番に大切なことでしょう。
 「元を知り足るものは無い」ので、・・立教も、甘露もすべては、それが原因なのです。

 このよふは にぎわしくらしいるけれど
 もとを知りたるものハないので     三号92

 このもとをくハしくきいたことならば
 やまいのおこる事は ないのに     三号93

甘露が、寿命薬とか、食事なしで済むとか、色々に言われます。
病まない、死なない、弱らない。そのシンボルが、「甘露」です。

賑わしい暮らしをしていても、病は起きる。
この元を知ったら、病は、起きない。

こういう風に、読めてしまう、お筆先でした。
0259基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:51:06.75ID:W/QjebaE
おやさまご存命の時代に、おやさまの所にたすけを求めて大勢の人が来ています。
それは、ご利益を求めてでありました。

山名系教理で説くところの「人間完成の道」を求めてのものではなかった。
人間が、成人したら、人間が完成したら、たすけてやろうと言うおやさまではありませんでした。

おやさまは、「ほこりを払うよう」にと、言われています。
 
 この元を詳しく知りた事ならば 病の起こる事は無いのに 三号94
何もかも知らずに暮らすこの子供 神の目にはいぢらしき事 三号95

神の目には、いじらしいのであって、「この未熟者め」ではないということ、「甘露」という教理の大前提になっていて、
それが判らぬと、神様がわからないという事になってしまうことでしょう。
元を知ったらと言う、その元とは、おやさま・天理王命さまの元の事。
その場合には、元の理を知るという言葉にて、私たちは語りがちですが、
親の心を「神の利益」として知る事が、神様を見るということになるのですから、知識として元を知るのではなく、
「ご守護・不思議」として神を知ることが、「願う心のまことに見えてくる利益としての神信心」になることなのです。
0260基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:54:28.60ID:W/QjebaE
それがおやさまのお心だから、おいはぎさんにも、泥棒さんにも、貰ってもらえばなお結構と、教えられています。
そうですよね。。

この元の基本は、一列兄弟の「をや」がいる。です。
そして、おやは「ご利益」を下さる。

これが神様なのです。
おやから、頂くと言う事に熱心である方が、お筆先の教えにそっていると、それが人間であると言う基本です。

>おやさまの示されたのは「助け」であり「救け」ではないと、基本的にはそうりかいされます。
どちらでそう理解されているのかお教えいただきたい
具体的な著作物等、参照

お筆先の三号に、
「この話、悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」とあります。

この話というのは、おやさまの教えのことですが、直接的には、前のお筆先に知らされてあります。

「柱さい しいかりいれた事ならば この世確かにおさまりがつく」 三号13
「この話 悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」  三号14

つまり、「この世を治めるこの話とは、悟りばかりの話であるという事ですから、悟るのは「人間」です。
人間が悟り、証拠ためしをする。 
それに対して「たすける」のが神であるという事は、「この世を治める・たすけ」とは、人間が悟って行うことに対してという範囲で理解するなら、
「助力」と言うことですから、「助け」です。
「救済」という「救け」というのは、人間が成し遂げるべきことであり、それに対しての「神の助け」です。

親神様のこの世の救済は、神様の仕事ですから、神様自身の問題。
それはなにも、親神様が親神様に、話しをする必要も無いものです。

親神様が人間に「この話」をするのは、人間に対してのお話ですから、容器暮らしをする人間への、神からの助け、という事になります。
0261基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:07:08.30ID:4cjCf34b
「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17
たすけるのは親神様です。。
それだけを見つめますと「救済」と言う意味に感じ取れます。
「救済」→「救け済み」。つまり、済んでしまったとか、済ませてしまうという意味を含んでいます。

「泥海の中より守護を教えかけ それがだんだん盛んにるぞや」  三号16
「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17

親神様が人間にたすけ一条を教えると言う行為は、「救済」でしょうか。
元にさかのぼって、親神様が泥海の中から教えかけたのは、「だんだん盛んになった」というのは、「救済」でしょうか。

元始まりにて、教えかけたのは「助け」であり、「救済」ではない。
これは、理解できると思います。
「神の助力で」「だんだん盛んになった人間」と言う意味です。

すると、
「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17
と、「も」「も」と、なっていて、
「このたびは たすけ一条教えるガ」ではない。
「これハ 無い事はじめかけるで」ではない。

泥海からの元始まりと、天理教の立教の元始まりも、
同じ「元の理」ですから、

つまり、「救済」という意味での「救け」ではなく、「助け」と、私は理解する。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0262基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:17:25.86ID:4cjCf34b
りやく=神、でなく、りやく=神の存在を納得させるもの、神の一面
という理解でよろしいでしょうか

おやさまは、「神は理である」と教えられています。
これは、教理の基本です。

そして、おやさまは「りやく」と語られているわけです。
聞いた、神官守屋は「利益」と聞いた。
そして、高弟たちは「利益」と伝承した。

おやさまは「ごりやく」と語られていないから、「りやく」という言葉だったとして伝承されています。
「ごりやく」ならば、「ご利益」と感じをあてられます。

「理は神である」
そしたら「りやく」が神の姿というのですから、「理やく」と文字をあてた方が、理が通ります。
0263基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:20:37.48ID:4cjCf34b
元の理には、「上から突くにより、つき様」とか、こう言うおやさまの語呂の用い方が、なされています。

すると、「ごりやく」ではなく、「りやく」なのですから、
「理・やく」、「理役」と、このように、漢字を当てる事も出来ます。

それは、親神様はお一人であるのに、十の柱に、「道具の役」として、分けて教えられた「こふき話」にならえば、
「神様のご守護の理・神様の役」が、「理役」、つまり「りやくだと、そういう基本に到達します。

すると、
> りやく=神、でなく、りやく=神の存在を納得させるもの、神の一面
と、言う理解も、それに当てはまりますが、
このりやくは、何の神様の何のご守護と、そういう「理」の役割、機能を見ることで、神が見えるのだと、そういう意味に、なります。

曖昧な物ではなく、十全の守護の理の何々と、理を役割として分けて、「りやく」が見える。
そしたら、「神様」の姿として、納得できるわけです。

「ご利益」とは「神の理の益」とは、「何々の守護の理の益」と、わかることで、髪の姿が見えるという事に、基本的には理解します。
0264基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:23:27.49ID:4cjCf34b
原典に参照しますと、お筆先二号に、「よろづたすけの模様」について、
きちんと親神様は、理を知らされています。

「世界中 どこが悪しきや 痛みしょ 神の道教せ 手引き知らすに」 二号22

「この世に 病と言うて 無いほどに 身の内障り 皆思案せよ」   二号23

病魔というのは、神からの「みちおせ」「てびき」「しらす」に。
それを、
あると信じて、願うまことに、見えてくる「りやく」が神のすがた。
こういう、基本を示しているお筆先です。

直近の実例ですが、ある方が末期のがんの方に、病の理をおさとしした。
それで、持ち返した。
それから、熱心に信心をしていたら、再度悪くなった。
そこで、質問させて頂いたのは、
「おやさまは「ひとことまでで皆たすけるで」と、教えられています。
最初の、「身の障り」について、何をお諭ししたのですか」
「○○の理の病であったので、○○すると心定めでした。」
「それから跡に、信仰的によさそうな事、させたでしょう」
「そうでした」
「それは、だめです。おやさまは、一言までて皆たすけるでと、教えです。」
「そうでした」
「最初の、身の知らせ、一言、ひとつの事だけです。」
・・・
神様の殻の、身の知らせ、たった一つの事だけで、その理でお助けする。
そしたら、神の理が、助ける側も助かる側も、きちんと分かる。

ごちゃごちゃと、よさそうなことを色々させると、肝心の神の「理」の役割が燃えなくなります。
0265基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:28:25.41ID:4cjCf34b
> 昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。
元の理は、かみの「りやく」=姿を知るための基本ですが、
それが、教団教義では歪んで解かれています。
その事は、関連スレとして、2ちゃんに述べてありますが、関連を、一部引用します。
深谷忠政著「教理研究」元の理 その批判。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100

> そのはしがきには、このように記されている。
頁1、「天理教教典が出た時、"第三章元の理が無ければ、
未信者にそのまま読んで貰っても、まとまっていて大変匂いがけに都合が良いのですが、
あれがある為に、一般の人にそのまま教典をお渡しするわけにいかなくなる"という声を何度か聞いたことがあった。」
「現在でも同様の思いをしておられる方が多いのではないかと思う。」
「元の理は新しい別席のお話台本にも出てくるし、これを表に出す以上、
何等か解明の手がかりがあたえられなければならぬと考えたものの、それは極めて困難なことであることを自覚せぬわけではない。」
・・・・・・・・・・・・・・
教団インテリは、病と理との基本を諭さないで、「つとめの人衆」の魂の因縁論を語ることで、ごまかしたということですが、
第三章元の理が、布教の基本、よろづ助けの模様であるのです。

元の理。
それは、甘露は、絶えずに降りているという、おやさまのお優しさへの、安心です。
0266基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:32:13.89ID:4cjCf34b
やまと言葉と言うものは、もともとは「やまとの国」の言葉。
つまり、関西弁です。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大和言葉(やまとことば)あるいは和語(わご)は日本語の語種(単語の出自)の一つであり、漢語・外来語に対して元々日本で使われてきた固有語のことである。
「やまとことば」は「倭詞」や「和詞」と表記することもあり、「やまとことのは」ともいう。漢字の訓読みは漢字の意味に対応する大和言葉である。

お筆先は「和歌」です。「和語」(やまとことば)で書かれています。

「甘露」についての教理の誤解というものについては、「信仰の信仰に応じて見えてくる」と言う事と、
「神様からの与え」というものの、相違点について、誤解があるということです。
0267基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:36:43.44ID:4cjCf34b
其の頃御教祖は、信仰の進んだ者には、扇の伺いと云うのを御許しになって居りました。
扇の伺いとはどういうのであるかと申しますると、教祖から頂いた扇をもって伺うたら、神様の御心が分ったのであります。
御神楽歌に
「こゝ迄信心してからは一つのこうを見にゃならぬ、十ど此の度見えました扇の伺い是不思議」とあるは この扇の伺いの事であります。
聞く所に依りますと扇の伺いを貰われた或方が、天気の好い日に足駄(※2)をはいて、雨傘を持ってお地場へ来られる。すると近村の人々が大変笑ったが、
帰られる時には丁度雨が降って来て、雨傘と足駄が間に合うようになる。それを見て近村の人は不思議がったと云う話が、今でも残って居るのであります。
 此の点から考えますると、信仰とは病気を助けて貰うとか、安心を得るとか云うのが最終の目的ではなく、神意の悟得(※3)が其の目的でなければならん様になって来ます。
即ち安心や病気の助かるのは、此の神意の悟得が出来たら、なんでもなく出来る筈であります。此の点に於て、本教の信仰の目的は明らかなものだと云えるのであります。

「信仰の進んだ者」には「扇の伺い」を与えられたというのは、大きな誤解であったと、理解しなければならない。
それが、今日的な過大だと思います。
 御本席も始め此の扇の伺いを教祖から頂かれたのであります。そしてその扇の伺いを使われた事で今日まで語り伝えられて居るのは、
勤場所を建築される時、教祖が御本席に蔵へ這入(はい)って伺えと仰せになった。
其の時御本席が蔵の中で扇で伺われると、我知らず蔵の中をかけ廻られた。そして其の事を御教祖に申し上げられたら、
教祖は、それは蔵を取り払えと云う事やと仰せになった。
それで蔵を取り払うて勤場所を建てられたと云うのであって、これが御本席の扇の伺いを立てられた始めであるようであります。
0268基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:39:57.41ID:4cjCf34b
> 其の頃御教祖は、信仰の進んだ者には、扇の伺いと云うのを御許しになって居りました。
この、↑増野鼓雪先生の解説は、すべてが天理の事実と一致するとはならないわけです。
三十年も苦労したという結果に渡しているのではない、元冶元年ころ入信したての人に渡してしまわれているのですから、
「渡す時期というものは、本人が求めたら」という事での時期も有るということです。
渡し方にもさまざまあり、おさづけの例で言えば、「小児」に渡した史実もある。
「信仰の進んだものには」という解説は、とても危険な解説だったということに、やがて、なります。
0269基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:43:13.14ID:4cjCf34b
本席様は、扇の伺いを「教祖の御命で」伺っています。
本席様は、扇の伺いの結果について、「教祖に」伺っています。

扇のさづけを頂かれていても、それを自分で解釈したり、自分勝手に用いているのではない。
その、「元の理」。「をやという理」に効能という理が有るということです。

「扇」を持つと言うことは、普通の天理教徒さんの立場で言えば、おさづけの理を頂くということだと、あなたが言われていますよね。
そしたら、おさづけというものは何に使うかといえば、病助けですから、「たすけ一条」の道具ですから、おたすけに用いるもの。

おやさまのお言葉ですが、二つの内容を含んでいますよね。
ひとつは、これです。
「世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。」
もうひとつは、これです。
「道は、辛抱と苦労やで。」

「世界の事は何も心にかけない」「世界の事は何も知らない」なんて、とても簡単なことですよね。
政治のことも経済のことも、何も心にかけなくていいのですから、まさに、ノー天気そのもの。

それに対して、「道は苦労と辛抱やで」これはどういう意味かといえば、重荷だという感じです。
さて、この、二つは、どのように二つ一つなのかという問題です。

じつに、この二つは、一つなのです。
0270基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:47:09.13ID:4cjCf34b
> おやさまのお言葉には、
> 「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。
世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。道は、辛抱と苦労やで。」
> と、お聞かせ下された。
つまり、「たすけ一条」をつとめる道としては、「苦労と辛抱」で、難儀不自由したり、
人から悪く言われたりして、「成人」していくということですよ。
そして、「世界の事は何も知らなくても、心にかけなくても、皆世界の胸の内が映るようになっていく、そういうことが、その成人の過程が、
道を通るものの、当然の苦労です。

おたすけの効能の理を頂いてしまった者の、「成人してからの」道の、苦労ということ、辛抱ということではないかと、
うすうす感づかれているのでしょう。

「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。」
おやさまから、お助け人として、成人免許を与えられたという、そういうお言葉です。

そして、
「世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい」
だって、この人には、それだけの「理」が許されている。

そしたら、「道は、辛抱と苦労やで。」
とは、成人を目指すものではないと、冷静に思案したら、わかる事です。
0271基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:50:53.56ID:4cjCf34b
依頼人がいれば、「頼まれて扇を使う」のは、神様の道具として、当然の事です。

そこで、「世界のことに無知で、何にも心にかけない」とは、「あほう」という言葉が、自然に付きまとうでしょう。
人間が成人すると言うことは、あほうになるという事だと、そんな表現がされたりしました。

でも<< 
まじめで正直であるとか、世間に無知であるとか言う、
それが「天理に精通した」姿として、語られる場合には、「皆世界の胸のうち」を、映る、大前提としている。
そんな風に、思案するのが、基本です。
0272基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:54:22.31ID:4cjCf34b
「夜昼の理」。
こんな風に、おさしづでは示されていますが、おやさまは、「夜に」道を始められました。
そして、「昼に」扉を開かれました。
これが、基本としての、「夜・昼」の理です。

九つ、九、この世とは「苦の世」。
夜の理と言われるのは、立教前の世界のことです。
「裏守護」の時代とも言われるものです。
それに対して、「立教」とは、「神が表に現れた」、つまり、「昼に」なったと言うことです。

そこで、今が夜と考えるのか、昼と考えるのか、
夜というのは、「おやさま」不在、昼と言うのは、「おやさま存命」。
この違いを、基本として、思案します。

天理教教典第三章、「元の理」には、「この間、九億九万年は水中の住居、六千年は知恵の仕込み、
三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる 。」と、あります。
「六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み」と、ありますから、立教直前は、「文字を」、その前は「知恵」を仕込んでおられたわけです。
すると、これは、「仕込み」の最中ですから、「心の成人」が至らないと言うも何も、
まだ、「知恵」から「文字」を、教えていた最中ですから、
「何も知らぬが無理でないぞや」
なのです。
0273基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:58:06.14ID:4cjCf34b
認識の差と申しましょうか、何党が政権政党になっても、「権力」であると言うことは、治まらない。
それが天理に知らされているところです。
「権力」というものは「高山」であり、高山の中にも真実真心の者がいると言うことはありますが、権力の周りには「利権」というものが付きまとう。
政治とは、本来は、「祭りごと」であり、豊年を祝って祭る、祭りごとでなければならない。

ところが、「飢饉の為に備えましょう」と、そうして、「宮」は民の為に貸し付けて、それが、高山になっていった。
この意味をきちんと理解しなければならない。

豊年であると言うことは、「昼」である。
だが、夜に備えて、権力と言うものは発生し、発展してきた。

おやさまが、突然に「甘露」を降らそうというのは、そういう高山の利権構築に対する、天理を示したものと言うことです。

宗教も政治も、何をもって権力を構造として完成してきたか。
例えば「学問」と言うものは、権力は独占してきた。
例えば「情報」というものを、権力は独占してきた。
「教養、知性、博識」とは、権力を独占し続けるためのアイテムであり、それらが谷底に幸福をもたらすのは、極めて例外だったと言うこと。

その権力がどうにもならぬもの。
それが、おやさまの支配くださる「火水風」の守護。

「火水風の守護」。
こんなもので、世界を普請すると言う中山みき。
おやさまは、甘露を下さる、人間の親神様天理王命様です。
0274基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:02:08.13ID:4cjCf34b
例えば、私も債務奴隷であり、世界中のほとんどの人が債務奴隷になっているけれど、
身体的には拘束されていないし、福祉があって保護はある。

この構造を変えない限り「陽気くらい」にはならない。

仮に、とか、もしというと、少し奇異に感じられるかもしれませんが、
甘露台が素直に信じられる心になるとすると、それは、世界がろくぢになると言う事に直結している。
そういう論理を、普通の天理教徒さん、お分かり頂けますか。

神様は「高山に火と水が見えてある」。
そして、谷底には「甘露」「甘露台」なのだ。
こういう天理の基本がきちんとわからないと、甘露台は「成人した魂の人のための台」なのだという、
「利権構造」が、宗教高山が、切り無く生まれてきてしまう。

それでは、甘露を降らすわけには行かないと、そういう、事情について、考察してみてください。
0275基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:05:16.36ID:4cjCf34b
争いの原因というのは、貧困です。
「高山」というものは、人の生命財産を保護し保障する権力が、政治制度として「高山保護・育成」につとめている。
それは、貧民から救済するという、
たとえば、生活保護とか、江戸時代の「飢饉米」とか、
それは、「貧困」が前提で居て、その貧困を逃れようという不安が、権力者に統治をゆだねるという結果を生んでいる。

だが、甘露が降れば、それを受け取る「甘露台」があれば、貧困の恐怖も、「労病死」そのものが無くなる。
ここがあって、そして「高山には火水」。
甘露台というのは、そういう意味の台であり、高山の火と水が見えていないと、甘露台の意味も見えなくなると、そう思います。
0276基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:09:34.17ID:4cjCf34b
天理教の年表には、立教5年、6年頃の事として、次のような記述があります。
「ついに村人、役友達、親族不付き合いとなる。」

これは、「夜」と言う状態であり、「昼」とは言えないシーンです。

「夜昼の理」の事です。

「夜昼の理」。
こんな風に、おさしづでは示されていますが、おやさまは、「夜に」道を始められました。
そして、「昼に」扉を開かれました。
これが、基本としての、「夜・昼」の理です。

九つ、九、この世とは「苦の世」。
夜の理と言われるのは、立教前の世界のことです。
「裏守護」の時代とも言われるものです。
それに対して、「立教」とは、「神が表に現れた」、つまり、「昼に」なったと言うことです。

「昼」になったはず、「立教」なのに、五日の理では暗転した「闇夜」。
その原因のことです。
それは「甘露」を受ける上では、とても大切な意味を持つと基本は思案します。

「22の2の五つ」という教理があります。
ろくぢでないと「理い吹く」ではなく「立腹」となる。
「理い吹く」は「昼」。
「立腹」は神の立腹ですから、「夜」と、舞台は変ります。
そこが、分岐点です
0277基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:13:11.27ID:4cjCf34b
「22の2」とは、男女二人、が三組で、222です。
おつとめのてをどりの、お立ちの方の数理です。
おさしづに、「ほんの三日や千日や」とありますが、三年千日の苦労をすれば結構になると言う天理の基本があります。
すると、1838年12月12日に立教したのですから、1841年には、結構になっていなければならない。
1841年とは、天理教年表では、「おびやためし」の年です。
ところが、夫善兵衛は、自分の眼病は助けられた。妻の病気も治った。
特に長男秀司の足痛も助けられたというのに、おまけに、おびやためしで、流産の産後も助けていただいたのに、
「貧に落ちる」を拒んだ。

もし仮に、すっと、仰せのようにしていたら、簡単に、道は「昼」だったと、そういう事かも知れない。
> 「・・ついに村人、役友達、親族不付き合いとなる。」
の原因は、「貧乏を命じた親神」にあるのではなく、病を助けられても、神に約束しても、実行しない「夫善兵衛」にあったと、
そういうことになります。
それは、「高山因縁」が切れていなかったと言うこと。
「高山因縁」を切りたくなかったという、執着にあった。

夜ではない、昼なのだ。
とは、「貧乏神ではない、豊年神なのだ」と、存命のおやさまを信頼することです。

『不自由なきようにしてやろう 神の心にもたれつけ』
と言うのが、「昼」である基本になります。
0278基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:17:28.74ID:4cjCf34b
神様は、勤め場所の普請の開始の前に、扇を授けています。
「正月こえのさづけ」と、ありまして、肥えのさづけは、一番最初に授けておられる。
つまり、最初に「路銀」を渡すと言う、天理の順序。
それは、おやさまの場合にもそうでした。
しかし、それで昼で通れるのに、「夜」にしてしまった、私たちの先輩がいます。
初代といわれる、方々です。

善兵衛さまは、最初に三年の苦労すら通らないで、おやさまの霊力で信仰体を作ろうとした。
それで、昼を夜としてしまったのは、2ちゃん「天理」スレに、黒の基本さんが投稿した話題に、そうした事実が書かれていますが、
初代のほとんどは、苦労三年で、「三年千日」で、大教会初代になっています。
それならば、その五十年後には、戦争協力という「暗転」。
大切なおつとめも、原典も、神の理に背いてしまう情けなさです。

そこに、甘露を頂くという信仰は、素朴で素直であるべきだという、基本が見えます。
神の心に、もたれ付けないという事、それでは、「夜」。残念なことです。
0279基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:26:55.08ID:4cjCf34b
こじまつな態度というものは、言うならばいちいちにうるさいという事です。
当局は、いちいちにうるさかったとか、官憲のような態度が、こじまつという態度で、反対側で言うと、「鷹揚」と言いますか、のんびりという態度。
「夜」と「昼」と言うものは、理において、「夜」は節約型。
人間の体の場合ですが、「夜」はこじまつに、してあるわけで、「昼」は消費型。
「昼」「日る」「費る」。
つまり、燃えるということはなくなるわけですから、こじまつの反対側には「浪費」がある。

浪費は、エコではないので、「倹約・節約」の方が理にかなっているとして、こじまつそのものは、「夜」の理に人を導くという、そういう事になりますむ。

つまり、天理教会は「こじまつ型」に固執していて、「浪費型・ゆさん型」ではない。
それが、高山に癒着したことと、因果関係上にあるのではないかというこだわりです。

「甘露」という言葉には、こじまつは、ふさわしくない。
皆が、甘い露を頂くというときに、「こじまつ」にされたら、そりゃ、ぶち壊しというようなものです。
気分が悪くなる。

あんたは成人段階が、もう一段足らんから、「甘露」は跡ですというような、状態が「夜」。
それでは、「甘露」の「甘さ」が無さ過ぎる。

甘い採点、甘い判定、甘い生活。
それと、まるで相容れないものが「こじまつ」。
そしてそれは、私たちの中に体質としてあるもの・・。
天理教会が、信仰に対して、厳しい生活をよしとしているのは、
「夜」の道しか頭に無いからだと、そんな気さえします。
0280基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:31:07.07ID:4cjCf34b
> 「信仰」「教育」「訓練」「伏せ込み」「忍耐」「執着心を取り去る」「仕込み」等々の<美名>が付けば

それは、まさしく、こころを暗くしてしまう。「こじまつ」そのものと、言えましょう。

さて、秀司先生は、どうして小始末をしたのか、その点から、この「小始末信仰」の本質を自覚したいと思います。

5月21日(陰暦4月9日)、奈良警察署から秀司宛てに召喚状がきた。秀司は、40日間留め置かれた上、
罰金に処せられ、帰ってきたのは、6月29日(陰暦5月19日)であった。
その理由は、杉本村の宮地某が、ひそかに七草の薬を作り、これを、秀司からもらったものであると、警察署へ誣告した為である。
この頃から、秀司は、「人さえこなければ、こんなことはない」と云って、道人のやってくるのを拒み始めていた形跡が有る。
 この時の教祖のお言葉が次のように伝えられている。
「監獄へ曳かれるというのも、誰がしたと思うなよ。神の事聞かんから、神が連れていぬのやで。神が止めているから、出られんのや。
神の云う通り、早くつとめに掛かるなら、直ぐに連れて帰るほどに、つとめをせよ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)。

 この頃の秀司の言葉として「皆が寄って来てくれるは誠に忝(かたじけな)いけれども、このように色々心配しても、どうしても警察の権利で苦しめられるから、
もうこれからは小始末(こじまつ)するほどに、皆もなるだけ来んようにしてくれるよう」(「改定正文遺韻」)とある。

これに対し、おやさまは、「こじまつするとこじまつになるぞ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)と仰せられた、と伝えられている。
これに対し、教祖は、「小始末すると小始末になるぞ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)と仰せられたとも伝えられている。

つまり、おやさまの論理と秀司の論理には、「夜」と「昼」の認識の違いがあったと、見て取れます。
0281基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:35:30.67ID:4cjCf34b
おやさまの言う事によれば、こうなります。↓
[神の言う事を聞かない]→[神が秀司を監獄に入れさせた]

秀司の言う事によれば、こうなります。
[皆が来るから]→[警察が権利を行使する]

いったい本当は、どちらがどうなのでしょう。
もしおやさまの言うとおりだとすると、官憲はおやさまの手先という見方すら出来てしまうわけです。

「神の言う事聞かぬから、犯罪者として始末させた」親神さま。
それは、神様の小始末なのか否か、

みな他人事だから、秀司先生の発言を、神を信じられない愚か者と、軽蔑できたりするのですが、
本音、官憲は、お上は、「お上の意思」で取り締まっていると、秀司さんは考えた。
そして、おやさまは、「神の意思」で取り締まらせたと言う。

これ、神様を信じると言うのは、口で言うはたやすいけれど、目の前が真っ暗なのに、「昼」だと言われたようなもの。
その時、「小始末」(こじまつ)に入ってしまう、
つまり、「神への不信」が、小始末を生む。
それを、見て取れてしまうと言うことです。
0282基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:39:08.54ID:4cjCf34b
【講の結成】(1878年)(明治11年)(教祖81才)
 1878年(明治11年)4月頃、秀司を講元として「真明講」が結ばれる。
世話人は、仲田儀三郎、辻忠作、松尾市兵衛、中尾休治郎ら。この頃から金米糖を御供えとして渡す。

 この頃、教祖の行為は村にとって迷惑だから、「天理さんを止めてもらいたい」と中山家に申し入れが為されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな風に、れんだいこさんは、まとめています。
上↑「この頃から金米糖を御供えとして渡す。」は、「御供え」では無く、「御供・ごく」です。

秀司は、「明日・あすにち」を、一日は一年と判断し、一年後には、信者組織を「講」としてかたちづけ、自分は「本部」の役割をうけもって、「御供」を渡す役割に位置づけたと言うことです。

「あすにちからわ をふくハんのみち」という、「予言」を形にしてみせた。
それは、「信じていない人間のナス行為」とみなした方が、的を射ているでしょう。

「夜」だとしか認識できないから、「真明講」と言う、明かりを、付けて見せた。

宗教家のやりがちな、予言の実現加工ですが、
そういう、作為的な「信仰行為の美化」をする時に、

>「信仰」「教育」「訓練」「伏せ込み」「忍耐」「執着心を取り去る」「仕込み」等々の<美名>が付けば
> それは、まさしく、こころを暗くしてしまう。「こじまつ」そのものと、言えましょう。
という、暗い精神文化を、育ててしまう。

おやさまのお言葉を信じるのなら、素直に信じる事。
信じないけれど、信じられないけれど、何とか信じた形を作ろうとする。
それは、「美名と嘘」のブレンド。

「一日を一年」と読んだのは、「理」を利用した態度。
しかし、おやさまを疑ってしまいつつ、お言葉を行おうとする。
その不自然さが、「小始末」。
大きな始末が出来ない、人間心のあざなさというものでしょう。
0283基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:44:28.52ID:4cjCf34b
親神の言う事がうそなら、それは親神ではない。
インチキ神。

それにしても、国家権力相手に、「神」と「上」の力比べだと、大口叩いては、拘引され留置される実母さんのおかげで、誣告され自分までも、拘留された。
そういう境遇。
権力の支配の対象に自分までも含まれていると知った秀司には、組織の合法化以外頭に無くなった。
秀司の「応法」の道とは、その悪しきは、講社を組織化するまではともかく、本部に「真明講」をおいて、上下関係として組織化した事にあります。

理の親信仰の原型は、秀司が作ってしまっていた。
「こじまつにする」という宣言を発したことそのものが、「一列」ではない、高慢因縁の発露そのものであった。

そういう秀司が組織した講は、同じ因縁の支配欲によって、一度は隆盛となっても、元の形もあとかたなく、霧散してしまったと、言うべき運命をたどるのでした。

秀司が信じられなかったもの。
それは「神」のお働き。
お筆先の予言は、嘘なのでしょうか。
確かめておかねばなりません。
0284基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:50:11.19ID:4cjCf34b
実は、今まで気が付かないでいたのですが、それは、
お筆先三号の1、の文字表記の事でした。

お筆先十三号も第一首の一のおうたは、

「4月28日九どきより 
 一けふまでわなにかしんぱいしたなれど
 あすにちからわ をふくハんのみち    」 十三号1

と、こうあります。

今まで気が付きもしなかった「一けふ」という表記に、「アッ」と、「けふ」では無く「一けふ」だと、
と、言う事は、・・・

お筆先十三号も第一首の一のおうたは、
明治10年の陰暦4月28日、それは、陽暦では1877年6月9日執筆です。「けふまで」と、執筆されていません。「一けふまで」と、執筆されています。
「けふまでとは立教からの38年と数月」。
それを一単位としますと、「一けふ」と一かたまりにて単位と出来ます。
それなら、「一けふ」「二けふ」と数えられます。

「一けふ」「二けふ」と数えますと、このお筆先の執筆されました明治10年陰暦4月28日までの「一けふ」から、次の「二けふ」までは、38年と数月後のこと、
もともとは日数ですから、日数で言いますと、39日。
それが「一けふ」済むと「二けふ」。に相当しますから、
お筆先第十三号執筆の立教40年(1877年6月9日)から、39日後は、立教79年になりますから、「あすにちから」とは、立教79年目からと悟れます。
その年、悟りとして「二けふ」に該当する年。立教79年。
官憲によって、ゆがめられていた「朝夕のおつとめ」は、復元されました。
「みかぐら歌」本が、公刊されました。

一けふまでわなにかしんぱいしたなれど
 あすにちからわ をふくハんのみち    十三号1

これは、お筆先の予言の通りに、実現しています。
0285基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:55:53.59ID:4cjCf34b
基本的な数理を、整理してみます。
4月28日九どき
この数字ですが、
3625 は、(3×6)+(2×5) で、28年の基本数理で実数で数えました。

その実例にならいますと、
(4×2)+(8×9) 80年の基本数理が、一つ考えられます。
1877年6月〜 1年目
1956年6月〜 80年目  稿本天理教教祖伝 公刊。

おやさまのお歳で申しますと、明治10年は八十才です。
お誕生日は、4月18日です。このお筆先は 4月28日です。
正月26日はおやさま、2月26日は御本席様にゆかりがあります。
そこで、18→28という理は、一段二段ですから、
ご誕生から80日が明治10年で、このお筆先。
その80日に、稿本天理教教祖伝 公刊。
二代真柱様が、お筆先の数理をご承知のことと、拝察します。

二段目に入っていると言う、お知らせと感じます。
0286基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 03:40:42.25ID:4cjCf34b
元を本部から数えると言う基本もあります。

本部からの4年は、「教祖存命についてのおさしづ」
この時、それがちゃんと理解され、実行されていたら、「昼」であった。
だが、高慢因縁に、「教祖存命」、それを教団幹部自ら否定してゆく「夜」。

本部からの32年は、
本部1年目は1888年4月〜
本部4・28の32年目は1919年4月〜  財団法人天理教会本部となる

本部からの41年は、本部1年目は1888年4月〜
そして、4・28・9の41年目は1928年4月〜 昭和3年おふでさき公刊・おふでさき講習会。

222の五は、2月22日で、立教五つの理。
又、(2×22)+5の理 で、49年の実数が基本の数理でした。 

その実例にならいますと、4+28=32
1877年6月〜 1年目
1908年6月〜 32年目   天理教一派独立認可  

おやさまは、人間の親だから、絶対に「上」よりも、偉いと、
なぜ、そう思えなかったのか。

ここに、初代たちの信仰の限界が見えてきます。
それは「甘露」ににっこりと、笑顔にて、楽しめない、わが身思案の限界と言うものです。
0287基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 03:44:13.18ID:4cjCf34b
説き流しの時代には、そばの人々は、神様の言葉を聞き取りもしなかった。聞いても忘れてしまった。
当然ながら、大きな意味での「昼」には、ならなかった。
そして、実の箱時代の中の、2である、「おふでさき執筆時代」になって、
「九が無くなる刻限」を迎えた、それがお筆先13号執筆の「刻限」だったということで、
「四月二十八日」という、月日で、四の数理は「四つよんなか」「ようき棟梁」・・
八の数理は「八方に開く」「山の中」「屋敷は神の・・」・・。

そこで、おやさまの年齢八十歳の誕生日は「四月十八日」でこれが、一段。
二段目にあたる「四月二十八日」という、月日にて、「よんなか」・40年の一区切りの刻限を、お知らせ下された。

この、四・28の数理は、4+28は、32年で、お筆先執筆開始の数理でした。

改訂版天理教辞典の「夜昼の理」には、次のお言葉が引用されて、解説があります。
「二十六日は夜に出て昼に治まりた理。」29/2/9。
・・・・・・・・・
解説では、夜に出てとは「立教」の事で、昼におさまりたとは「扉を開いた」事だと言います。

おやさまのご誕生は、6月2日五つ時、つまり、222 2の五つ。
昼の理にて思案すれば、おやさまのご誕生そのものが、すでに「昼」であったと、明白です。

おやさまは、ここまでも数理に厳然として、お生まれになられた。
そして、数理に厳然として、お筆先を知らされた。

子供可愛い一条のおやさまの「陽気」に、「昼の理」は満ち溢れていると言うことです。
0288基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 03:59:52.37ID:4cjCf34b
夜昼の理については、「昼」の理がわかることが大切と、認識するのが基本です。
おさしづには、

明治二十三年八月十二日 午後八時
本席御身上願
さあ/\尋ね返やす。又さしづせにゃなろうまい、幾重さしづせにゃなろうまい。分からんか/\。さあ/\身の障り/\、歌のように聞くようではしょうも無い。
どのくらい刻限聞かしてある/\。その場だけ/\理は無いと思う。なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。
歌のように思て居ては、ばったりより仕方が無いで。
さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。
前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。
夜という柔らかい事、さしづ何をすれど、昼その理さえ分かれば、思うようになる。どんな事でも自由自在。
千に一つ悟りくれにゃならん、万に一つ悟りくれにゃならん。小人三才、一寸些かな事である。尋ね尚分からん、よう聞き分けにゃ分からん。
同時
さあ/\身の障り/\、尋ねる話、その場に書き取りその場だけ、生涯のもの。
聞く時後の心どうもならん。
その場の結構は分かるけれども、後の結構は分からん。
身の障り/\、幾日でも、どんなに休んでも、そのまゝ三才子供、放って置く事も放って置けよまい。

さしづ何をすれど、昼その理さえ分かれば、思うようになる。どんな事でも自由自在。
千に一つ悟りくれにゃならん、万に一つ悟りくれにゃならん。

おやさまが、この世にお生まれになって、それは昼の理。
この原点を、しっかりと思案したいと思うは基本です。
0289基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 04:06:06.09ID:4cjCf34b
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、及び国家神道の信徒諸君、一神教は都合の悪い事実を隠し、歴史を捏造する悪い癖がある。

(注.薩長開宗の「国家神道」はその開宗目的からしてもキリスト教らと全く同質の「和製一神教」です)

宗教を支配・統治に利用するという為には、一神教は利用しやすい。
因縁的に言うなら、モーゼのマジック、エジプトの神官のテクニックそのものが人心を惑わすものでありました。
過ぎ越し祭りの、起源そのものの手法、そこには「つくり策」という、おやさまのお嫌いなものが、混じりこんでいます。

おやさまが、日清戦争・日露戦争の予言を書かれたのは、お筆先第四号でした。
777 74の数理にて、何年後の数理を示されていますが、そのことは、情報操作という「五月五日」の出来事に深くかかわっているわけです。

「夜」「昼」の理が、わからなくなってしまう。
そこには、高山の情報操作があり、軍国主義の背景があるということです。

 このひがらいつの事やとをもている
 五月五日にたしかでてくる      第四号3

 それよりもをかけはぢまるこれをみよ
 よるひるしれんよふになるぞや    第四号4
0290基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 05:07:36.81ID:4cjCf34b
>「明治二十七年七月二十六日 朝」
> 日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願
> ここにも、『事情はふでさきに写してある。今の間にも見えると伝えて、どうでも是非々々残念を現われにゃならん。』と、
日清戦争の事情は、おふでさきの予言の実現である事が知らされています。
> 『幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。』
> 『五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』
> ここに示されているのは、おふでさきに五月五日と知らされたものは、今の事情なのだよという、明確な内容です。
>

先ず、おふでさき六号に知らされた「五分五分として成人した」、これが、明治27年の事情を、あらかじめ知らしていたことは、お分かり頂けたと思います。
> 『幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。』
これは、おふでさき十号のおうたを直接的に示しています。
 このひがらいつころなるとゆうならば
 たあのしゆりをしまいしだいに   十号16
そして、「ひがら」とは、おふでさき四号にしらされてありました。
 このひがらいつの事やとをもている
 五月五日にたしかでてくる     四号3

> 『五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』
この、五月五日よりというものが、おふでさき四号3、に知らされたものであり、それが、日清間の事情であると言う事をしめしたものです。
0291基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 05:12:33.01ID:4cjCf34b
第四号、七十七歳老女 明治7年4月。 (←扉に記載)

1年目 1874年4月〜  
お筆先四号 77歳 7号 7年  4月 予言

4年目 
1877 西南戦争 
[(2月から)9月24日 西郷軍敗戦]

4+7=11年目 
1884 秩父事件 
[(10月31日)から11月9日にかけて、農民武装放棄鎮圧]

7+7+7=21年目 
1894 日清戦争
[(7月)から1895年(4月)、日本勝利]

7+7+7+4+7=32年目
1904 日露戦争[(2月6日)から (明治38年9月5日)日本勝利]

4×7=28年目 
1901年 日本初の社会主義政党。治安警察法によって禁止された。


7+7+4=18年目
1891年 足尾公害事件 第2回議会(1891年11月26日開会)田中正造議会闘争。
0292基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 05:15:26.41ID:4cjCf34b
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 |:;:;:;:\;:;:|| | <  __)ゝ__人: : : : : : : :▽// _つ 【2022】
0293基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 05:21:40.34ID:4cjCf34b
おやさまは、「この夜」を「昼」に、陽気なものに立て替えるために、「昼の理」の数理、刻限に誕生され、立教された。
それは、お釈迦様の悟り、イエス様の愛として、それまでにも教えてきたものであったが、
宗教組織は、政治権力そのものとなり人を支配する「高山・谷底」の統治術を駆使する側にまわり、
お釈迦様やイエス様の教えすら、統治のマジックに利用されている。

日本の「天皇」を一神教にみたてた、政治制度も、その例に他なく、日清、日露へと国民は誘導され、
それが「夜」なのだということは、第二次大戦の敗戦まで、国民は自覚できなかった。
現在も、「おかけ゜」信仰は、続いていて、お払いさんが降ると言う、「夜」の理は、はびこっている。

忘れてはならないのは、おやさまは、この世に「昼」の理をお知らせに来たということです。
0294基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 05:33:36.78ID:4cjCf34b
> 明治二十三年八月十二日 午後八時
> 本席御身上願

『さあ/\身の障り/\、歌のように聞くようではしょうも無い。』
『どのくらい刻限聞かしてある/\。』

この世界は理責めの世界。
お筆先に刻限を知らされていても、「すばらしいお歌だ」と、歌のように聴いていて、理として聞かない。
それでは、「理・神」がわからない。

『その場だけ/\理は無いと思う。』
お筆先のお歌なんか、その時のその場だけのものだと思って、「理責めの世界の理」なんか、無いと思っている。

まさに、教団信仰者の実態をずばりと、突いています。
山名系天理教学、天理神学は、一神教の悪因縁である「詐術」「装飾術」に長けていて、最悪であり、まるで、お筆先の理を、重い刻限という理の思案が無かった。
現在までも続いている「理の親信仰」は、その宗教家の悪因縁そのものということです。
0295基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 05:39:26.84ID:4cjCf34b
> 明治二十三年八月十二日 午後八時 > 本席御身上願
『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』

なかなかと言うのは、ひながた時代では「秀司先生・小寒様」を示します。

中には、と訳しますと、ひながたでは「何時にこうであって」と思っているものがいる。
そういう意味になります。

『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』
でも、中にはという中にも、「なかなか」の者という深い意味があります。
そういう刻限・数理の思案をしてきた者が、いたということ、示されているわけです。
それは、二代真柱様のように、「なかなか」いない限られた人たちであったと受け取るのが、基本です。

『歌のように思て居ては、ばったりより仕方が無いで。』
理を理としてわからない、悟らないでは、ばったりより仕方ない。
道は途絶えてしまう。

『さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。』

『前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。』
0296基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 05:44:56.91ID:4cjCf34b
> 『さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。』
> 『前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。』

お言葉に「赤衣は赤衣につれられ、黒衣は黒衣につれられ」とあります。
おやさまの教えというのは、赤衣。
しかし、それに黒い衣装を着せろと命じたのは「高山」です。
法律に応じる道として応法の道は、実は本席の時代。
つまり、「黒衣に連れられ」と言うのは、天理教会の細道の時代。
これも、別の予言があることは、2ちゃん天理スレに投稿してあります。

この時代は「神が世上の道理を通す、通させる」と、通させた時代。

その認識で、受け止めなくてはなりません。
「なかなか」の者、「なかなか」の人にしか、お筆先の理は、「理」として、認識されていなかった。
信仰者として、心の闇路にさ迷っていた。
それは、「昼のくらがり」、最悪でした。

『夜という柔らかい事、さしづ何をすれど、昼その理さえ分かれば、思うようになる。どんな事でも自由自在。』

『千に一つ悟りくれにゃならん、万に一つ悟りくれにゃならん。』

まさに、千にひとつも万に一つも、お筆先の刻限の数理は、悟られること無く、天理教団の暗黒の時代へと、戦争協力へと、突き進みました。
「世上の道理を、通りたがる」それは、「昼の理」がわからないからです。

万に一つでよい、千にひとつでよいから、お歌の理を、重く受け止めて、「昼」に生きること。

大切な基本です。
0297基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 06:42:46.95ID:4cjCf34b
「刻限」という用語については、ご存知だと思います。
「今なんどきだ」と、質問するという事は、「時刻」を訊ねているわけです。
刻限というのは、時間という意味であり、それは「月日」というもののもつ本質的な要素です。
人間の成長にも時間が必要で、「月日」の守護がないと、育ちません。
そこで、つまり、時間という意味ではあるけれど、刻限には格別な真意というものが託されてあるわけです。
一つの例としまして、原典の公刊という問題があります。

明治二十二年一月十五日(陰暦十二月十四日)午後六時三十分
[本席御障りに付願]
さあ/\/\身の障り、さあ/\どういう事を知らす/\。
さあ/\身上々々善悪を分ける。身の知らせ、身上の処、善悪の知らせ。
さあ/\長くやない、僅かの間。
先ず/\十日半月の間。
席はすっきり外へ出せんで。
さあ/\あちらへ歩き、こちらへ歩きするのを、一寸の処知らさん事には。
皆んなの中へ知らし置く。今日から十日半月しっかりと用心。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように明確な数字が示されたおさしづがあります。
このおさしづは、明治22年で、一日とは一年ですから、
「先ず」という意味で、
明治22年とは、1889年です。
この時から、「先の」、十日と半月席は表に出すな、ですから、合計三十五日、
つまり35年間は、「席は出すな」ですから、
1889年の翌年から35年の隠蔽、つまり、1990年から1925年までの間は「席」については公にしなかった。
1926年 昭和元年 おさしづ公刊
このように、きちんとおさしづは歴史に実現していて、それはつまり、神のさしづは、歴史に実現していたという事です。

この例は、おさしづを予言として「時刻を示す」という意味で教団の歴史は生きているという事を、意味しています。
0298基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 06:45:05.24ID:4cjCf34b
> 基本の過去の投稿までは、たぶんご存じないと思いますので、この事について基本を申し上げます。
> 親神様は、予言をされています。 > 明治二十二年陰暦十月十日の事です。

それは、次のおさしづです。

明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時 [本席身上障り願]
さあ/\/\、一寸知らし置くで/\。さあ/\どういう事を知らし置く/\。
すっきり道理上を知らし置く。さあ/\道理上々々々、これから道理上、暫く道理上通らんならん。
難しい。よう聞き分け置かんならん。
これまでというものは、細い道を通して来てあるで。細い道を連れて通りた。
どうもならんから、世界一つの理によって、一寸世界往還道を付け掛けたで。
そこで皆々心許す。往還道通すと、どんと油断してどうもならん。
長い間、道理上の道を通れとは言わん。何年々々の切りを切りて置こう。
さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印を打って置く。
一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
ようこれを聞いて置かねばならんで。
さあ/\多くの人が出て来る。
一時どうもならんと言うて出て来る。
諭す処、暫く世界の道理上の理で通らにゃならん。
一二三の印を打ったら、神一条の道、人間の道理上を以て世界という。
人間から世界の道理上を通らんならんようにするから、どうでもこうでも、道理上の道を通らんならんように成る。
皆心で拵えてあるのや。
さあ今の道、世界の往還道やで。
そこで何でも彼でも、どうもならんと言うたら、道理上の道からどんな理が発しるやら分からん。
油断しては踏み被ぶるで/\。
そこで世界の道理上から、道理上の道を拵えるから、道理上を通らんならん。
どうでも心で拵えてあるのやと思えば、どうも仕様が無い。
そこでどうもならんから、一二三と印打つ。だん/\難しいなる。
早く知らそうと思えども、昼はさわ/\して騒がして諭する事が出けん。
どうもならん。そこで刻限で知らす。
どうでもこうでも、言わにゃならん、聞かにゃならん、聞かさにゃならん。三つ理を。
そこでちいとこれだけの事を、知らし置くという。
0299基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 06:48:08.05ID:4cjCf34b
つまり、明治22年11月2日の午後九時と言うのは、
五つ時とは午後七時から午後九時までですから、つまり、
22 2(1+1) 2 の五つ時。
2222の五つに、
それは、陰暦の十月十日に、知らされた「重大な」お知らせでした。

史実としては、復元。三十年、三十年の予言で、教えの復元の予言は実現しています。
でも、それは、人類の「宗教」の因縁として自覚されるべきだと思います。
0300基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 06:51:42.55ID:4cjCf34b
「聖書には、先ず始めに言葉ありき」と教えられています。
デジタル大辞泉の解説によれば、
始(はじ)めに言葉ありき
《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。
言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在するという意。
・・・・・・・・・・・・・

この事の意味ですが、「言葉≡ロゴス」なのですが、ロゴスはミュトスと対比される言葉、対句というようなもののようです。

『ミュトスに対して、ロゴスはある。
「空想」に対して「理性」があり、「物語る言葉」に対して「論証する言葉」があるのである。』
・・・・・・・・・・・
つまり、聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。

ヨハネ伝の聖書の文言そのものが「先ず理ありき」と約されても、
意味として正しく、そして、イエス様は、天にては、父なる神の右手に、
いぬいの方向に位置していると言うことも、イエス様そのものから、語られている。
まさに、先ず始めに「ロゴス」あり。となる。

「神は理である、理は神である。」
「あると信じて願う誠に、見えてくる利益が神の姿である。」

それは「理」を信じると言うことであり、「理」が見えない世界とは、まさに、心の闇の世界。
おやさまが存命でおられるということは、「理」が理として、常にそこにあると言う意味をなす。
0301基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 06:54:13.49ID:4cjCf34b
> 《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》
> 創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。
> 言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在する

> 聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。
これは、「先ず始めに言葉ありき」の、間違いでした。

先ず始めに言葉がある。
その言葉とは「ロゴス」であり、それは、物語ではなく「理」であること、
お筆先が、まさに、「この世は理で責めたる世界」だと、示している通り。

即ち、原典とは、「理」であって、物語ではない。

聖書と言う「こふき」を有しながら、大工のイエス様の教えを、宗教高山と政治高山の横暴で、泥海にしてしまった、
しかし、「土壌」は、あるのです。
「どぢょ」は、土台となるべき「序」は語られていて、「こふき」として、あるのです。
謙虚に、大工のイエス様の教えに耳を傾けないとすれば、それは、こちらが宗教高慢だということです。

三十一歳で「宮清め」したイエス様の、実行力こそ、天理青年の手本だと、そういう見方も、正しいと思います。
0302基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 06:57:26.90ID:4cjCf34b
「歌のように思っている」
「賛美する、賛美歌」

同じなのです。
山名系天理教学は、「いままでも神学こふき」と、お筆先にありますように、イエスの言葉を口記した書物を、「聖書」と美化するのも宗教高慢であるように、
「天国へのの道」とか「人間完成の道」と言うのは、みな、「ミュトス」であって、「ロゴス」でない。

何かを犠牲としてその代償に幸福を得ようという思案こそ、大工のイエス様が、お掃除したかったもの。
人は、陽気ゆさんをする為に、この世に生まれてきたのです。
陽気に暮らすには、「歌」よりも、先ずはじめに「理」「言葉」。

私たちには、お筆先があります。
原典があります。
真に、申し訳の無いことです。
0303基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 07:08:27.06ID:4cjCf34b
日清戦争 お筆先四号の予言 7+7+7 で結果  見えた姿・戦勝
日露戦争 お筆先四号の予言 4+4×7 で結果  見えた姿・戦勝
太平洋戦争 お筆先四号の予言 (4+7+7)×4  見えた姿・敗戦

このように、勝って「昼みたいに」負けて「夜みたいに」と、
 
『夜昼知れぬ用になるぞや』

日本の敗戦は、お筆先四号の数理の世界でした。

「7」の神様の嫌いな埃は「欲」。
「4」の神様の嫌いな埃は「腹立ち」

七の組み合わせとは「欲」の原因。
四の組み合わせとは「はらだち」の原因。

日清戦争は、侵略という「欲」のトリプル。
日露戦争は、ロシアへの腹立ちのダブルに、「利権の欲」かけあわせ。

太平洋戦争は、(4+7+7)×4
腹立ちと欲と欲を合わせておいて、そこに腹立ちが、掛け合わされた。


ちなみに「西南戦争」は、腹立ち、士族の怒りが原因と、数理は、きちんとしています。

「歌のように思っていてはならない」のです。
0304基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 10:37:17.54ID:4cjCf34b
おやさまは、権力の情報操作に対して、このように思想を示しています。

「人間の身体にたとえて云えば、あげ下しと同じようなもの。あげ下しも、念がいったら、肉が下るようになるほどに、神が心配」

国民の不満を煽り立てて「4」の理の「埃」。「腹立ち」。
国民の欲をかき立てて「7」の理の「埃」。「欲」。

それが、「お払いさんがふる」と言う、宗教的マジックで薩長は明治維新を成功させた。
「欲にきり無い泥水」という、「高山」の理の間違いは、「富国強兵」に国民を、
そして、「帝国主義の天皇制」を構築します。

同様の欲があるから、天理教内高山は、戦争協力に走った。
これをとことんさんげしないと、心の闇は、晴れないということです。

 はらだちとは、「理をたてないで、われを立てて、腹を立てる」のです。
 よくとは、「散財のない」姿。

甘露を、頂いて、それを神の理とも思わず、自分の権勢に、支配に用い、人に腹を立てて、
欲に切り無くなれば、戦争を起こしてしまう。
天理教団こそ、肉がくだらないように、いんちきな教理は説かないような、理のある姿に、立ち返るべきなのです。
つまり、情報操作も念を入れると、国民の生命にかかわるという思想です。
0305基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 10:41:28.90ID:4cjCf34b
予言と言いますと、何時に何が起きるという予言だと、そう認識されています。
しかし、何がおきるかは、実は人間が決める。
その、心の理の結果として、結末が待っているわけです。

「五月五日に」と言う理は、「五つ理を吹く」です。
そして「五分五分」です。

まいた種が生え来る。それが「五つ理を吹く」の五日の理です。
その、理の吹く旬に、神の残念を見ると言うのは、それは「埃」を積み上げたと言うことに相違ないわけです。
そんなことしてると、いつか、神の残念を見るよと、言うのは、「いつか」・・「五日」。
そして、それは、五分五分。
天理教信者であれ、なかれ、みな五分五分。
理には隔ては無い。

そして、五の理の神様は、くもよみさま。
情報とは「五の理」。
それを、捜査して、人の心を惑わすと言う悪は、「高山」の悪そのものです。

おやさまの、おふでさき四号の予言は、人間が、「四の理」と「七の理」を、誠として通らせて頂いたのか、
それとも、埃として通ってしまったのかと言う、結末になるのであり、
それは「夜」か「昼」かは、心次第の道と言うことです。
それには、隔て心の無い世界、情報操作に惑わされない世界が、実現されなければならない。

一列兄弟とは、実に、重い教えです。
0306基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 10:44:12.16ID:4cjCf34b
江戸時代の中ごろから、領主のきびしい年貢の取り立てや引き上げに対して、
農民が集団で反抗する百姓一揆が全国で増えてきました。
郡上郡でも、宝暦郡上一揆 ほうれきぐじょういっき と呼ばれる一揆が起こりました。
1754(宝暦4)年、郡上藩主金森頼錦
かなもりよりかね
は、藩の財政難を解消するために、年貢の取り方を、それまでの定免取り
じょうめんどり
から検見取り
けみどり
に変えようとしました。農民たちは、これに反対して、団結して一揆を起こしをしました。
藩では、きびしい弾圧をして、検見取りを行おうとしましたが、
農民たちも、激しく抵抗し、4年もの長い間一揆を続けました。
この一揆は、藩主から農民まで、一揆にかかわる人すべてが処分を受けるという、類のない大事件でした。
そして、百姓一揆が原因で、幕府の首脳部まで処分を受けたのは、江戸時代を通じてこの事件だけでした。


……郡上藩の百姓が、130人も牢屋
ろうや
につながれ、男たちはちりぢりになって一人もいなくなりました。江戸でも40人余りが閉じこめられ、村に残された家族も難儀
なんぎ
しています。
郡上藩は、山に囲まれ、土地がやせている上に、寒さやけものの害が多く、毎年不作で困りきっています。
わたくしどもは、なんでもかんでも検見取りに反対する気はありませんが、
こんなに年貢が重くなってはどうにもなりません。わたくしどもの願いをお聞きくだされば、検見取りのこともお受けいたします。
まず、牢屋につながれている百姓たち、へやに閉じこめられている百姓たちをときはなしてください。
その上で、わたくしどもの訴えごとをお取り調べください。
0307基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 10:48:29.11ID:4cjCf34b
「高山」の「真の柱」はとふじんである。
このお言葉の意味するところは、人間社会の「幸福けにとって、銃ぬ゛異な意味を持っています。
根本的には「支配者層は、何もわかっていない」という事を意味しています。

「とふじん」=「からの人」=何もわかってない人。

何もわかっていない「高山」は、思想として「宗教」を心の支えにしている。
と、言いますか、行動原理を「宗教」においていて、自分がモーゼであろうとし、マホメットであろうとし、キリストであろうとする。

そこで、例えば「天国と地獄の紋の鍵を持つ人」。キリスト社会で言えば「法王」のような、
「神のおそばに仕える人」・聖人ペテロの後継者がいて、「神の剣を行使する人」聖人パウロの後継者が、存在することになる。
「支配層」は、神の代理人として、権威を有しているという、それが、「とふじん」社会の実態ということです。

この時、神の子イエスも「偶像」であり、「救済」という幻想を大衆に与え続けるという意味で、幻覚剤・アヘンのような役割を果たしています。
それば、「宗教」はアヘンだという意味となります。

宗教儀式は、「五輪」のように、それを見ていれば「一列」の平和と幸福のシンボルなのですが、
「マスゲーム」のようなものだと、さめて見詰めれば、この世に幸福を与えるという、とふじん的おもいあがりの、
「支配層」の、地上楽園演出の道具だということは、見えてしまいます。
それゆえに、マスコミは賛美し、スポーツは実は管理されているという、現象を生んでいます。
0308基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 10:52:30.56ID:4cjCf34b
陰暦の正月二十六日。二月二十六日。三月二十六日。
この、一、二、三について、確かめておきます。

陰暦の正月二十六日、扉が開かれました。
さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。
よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、
子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。
しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。
扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。
さあ、これまで子供にやりたいものもあった。
なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。


明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午後一時三十分
刻限御話
一寸正月二十六日、これまで話てある。
さあ/\事を始め。
二月二十六日というは、今初めやで。多く始まり、追々。
さあ/\今一時世界も分からず、世界も不思議や。
それ/\の道一寸付け掛けた。
0309基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 10:55:07.49ID:4cjCf34b
「高山」の「真の柱」はとふじんである。
このお言葉の意味するところは、人間社会の「幸福けにとって、銃ぬ゛異な意味を持っています。
根本的には「支配者層は、何もわかっていない」という事を意味しています。

「とふじん」=「からの人」=何もわかってない人。

何もわかっていない「高山」は、思想として「宗教」を心の支えにしている。
と、言いますか、行動原理を「宗教」においていて、自分がモーゼであろうとし、マホメットであろうとし、キリストであろうとする。

そこで、例えば「天国と地獄の紋の鍵を持つ人」。
キリスト社会で言えば「法王」のような、「神のおそばに仕える人」・聖人ペテロの後継者がいて、
「神の剣を行使する人」聖人パウロの後継者が、存在することになる。
「支配層」は、神の代理人として、権威を有しているという、それが、「とふじん」社会の実態ということです。

この時、神の子イエスも「偶像」であり、
「救済」という幻想を大衆に与え続けるという意味で、幻覚剤・アヘンのような役割を果たしています。
それば、「宗教」はアヘンだという意味となります。

宗教儀式は、「五輪」のように、それを見ていれば「一列」の平和と幸福のシンボルなのですが、
「マスゲーム」のようなものだと、さめて見詰めれば、この世に幸福を与えるという、
とふじん的おもいあがりの、「支配層」の、地上楽園演出の道具だということは、見えてしまいます。
それゆえに、マスコミは賛美し、スポーツは実は管理されているという、現象を生んでいます。
0310基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 10:58:12.21ID:4cjCf34b
陰暦の正月二十六日。二月二十六日。三月二十六日。
この、一、二、三について、確かめておきます。

陰暦の正月二十六日、扉が開かれました。
さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。
よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、
子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。
しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、
扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。
さあ、これまで子供にやりたいものもあった。
なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。


明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午後一時三十分
刻限御話
一寸正月二十六日、これまで話てある。
さあ/\事を始め。
二月二十六日というは、今初めやで。多く始まり、追々。
さあ/\今一時世界も分からず、世界も不思議や。
それ/\の道一寸付け掛けた。
0311基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 11:01:31.95ID:4cjCf34b
明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午前四時
真之亮代理伺
幾重の話聞く。大工というて知ったは神一条、仕事場は神一条、北は鍛冶屋南は大工で、神一条。
さあ/\尋ねる処事情知らす。
又々心で知らし置く。
どうでも皆その日来るなら、働きも十貫目渡るもあり、二十貫目渡す者も皆心次第。
これ心尽せし程、目札を付けて渡す。さあ/\付けるとも。刻限事情を知らす。
大勢ではざわ付く。誰が筆執れは言わん。
さあ/\一人ではよいのやで。大層せいとは言わん。神のさしづ言わん。
・・・・・・・・・・・
この、一、二、三のうちの、二の段階については、どのようなものであったかというと、全く、神意に沿えていないものでした。

おやさまは、世界一列をたすける為に道を開始された。(一月二十六日)
そして、大工と鍛冶屋の・本席と真柱の、おさしづに基づいての、
世界たすけの道は、おやさまの神名すら説けないと言う、まさに、理に反したものでした。

謀反同様の、教団幹部の間違いについて、二月二十六日に、
親神様は、次のように、おさしづされています。

 手遅れ/\。だめの諭と言うたる道は、先になりても立つ。

明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時 のお言葉です。
0312基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 11:13:37.82ID:4cjCf34b
明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時
未だ御身上すっきり致しませんが、何か運ぶべき事ありますか、と申し上げ

手遅れ/\。だめの諭と言うたる道は、先になりても立つ。
内々や。
何時どういう事出来るとも分からん。
人間というは死すると言う。生まれ更わり。
何年居たとて同じ事/\。
もうこれ暫くの処、どういう事も幾年間なる。何年したらどうなる。皆力を付けてある/\。
皆々よく差し入ってくれ/\。
そうして内々の処、こうして三軒棟を並べてある。
一軒の方/\立ってない/\。立たんとすれば楽しみも無い。これも第一長らえての道、余程大望な事である。
治まり無いと言えば、有るも無きも同じ事。

押して、三軒棟あって一軒立ってないという処、此辺如何の事でありますかと願

西に余分々々、余分は一人あるわい。一人こちらへ/\。
それが気に合わんとすれば、今限りやで/\。
ウヽヽヽヽ。
もう立て合いの日の立て合い/\、日の立て合いは正月二十六日、二月二十六日、これ日の立て合いや。
さあ/\何かの事も自由と言うてある。自由。

理の親信仰というものがはびこって、おやさまの元の理をないがしろにした天理教の幹部たち。
おやさまは、厳しく、理を責めておられます。
0313基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 11:58:10.34ID:4cjCf34b
おやさまの、「昇天(死)」の日は二十六日であるという事は、存命中から、知られている事でした。
そして、明治二十年の正月二十六日でした。
おやさまは、予言どおりに、その「二十六日」と言う日に、お体つめたくなりました。
それは、本席と真柱の神一条の開始の二十六日、二月の二十六日への一段という「だんだんの道」を、到来させるものでした。

しかし、本席おさしづの時代は、応法の道であり、その応法の道は、人間の自分勝手な道そのものとして、
世界一列をたすけたいという道ではなく、天理教団の内内さえ順調ならよいという「教団組織エゴ」の横暴がはびこり、おやさまの教えそのものを歪曲化し、
政治権力と迎合しての「とふぢん」のままにする「から」に、陥っていたという事です。

親神様は、教団幹部の願いが「わが身の内内の幸福」にしか無いと、見抜かれていて、第二段に相当する「二月の二十六日」に、
「組み換え」を宣言されています。

明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)夜十時
刻限御話
それ/\聞いて一寸問い、組替え楽し道なるや。
こうなる願の道、言う事ももうとっと楽しむ内々、刻限成る成らん、道何をして居るやら、こういうような事も言い。
聞き分け、よう聞き分け。
刻限延ばし、さあ/\思案。
五十年目に、目で見て改心。

日送りして言い、話して置く。
0314基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:01:06.84ID:4cjCf34b
本席が死を迎える三日前の、出来事として、「組み替え」の予言、「刻限のばし」の宣言、「五十年目に改心」の予言。
そういう、重大な内容である、「おさしづ」が、出されています。

まさに、そのとおりの人間であり、天理教団は「五十年後」どんな姿を見せられたでしょうか。
明治21年 1888年 天理教教会本部の開始
      1937年 応法の道 五十年目。

 1937(昭和12).7.7日、日中戦争(支那事変)勃発。

 「みかぐらうた」は、よろづよ、三下り目、五下り目が削除された。
おふでさき、おさしずも各教会から回収され、天理教教典のみを教義として時勢に協力した。

戦争協力の道にまいしんする事となったのは、神様から見ての残念そのものだと思います。
0315基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:05:16.98ID:4cjCf34b
「満足の理が世界。」
これが意味しているところは、極めて大切です。

明治二十八年十月七日 夜十時
さあ/\これ/\、今夜という今夜はすっきりしたさしづ、どんな事もさしづ通り用いらねばならん。
どういうさしづするなら、日々忙しい急がしいというは、どういう処から忙しなる。
皆んな出て来る。
満足を与える。
満足の理が世界。
今まで結構は分かりてあれども、この理が分からん。

おつとめの完成によって、甘露が降ると言う思案は、「応法」のようなもので、「結構」の理を教えてはいますが、
「満足を与える理」は、それでは分かっていない事になります。

天理教会が公認されて「結構な道」になったと、「結構な理」は分かったとして、
「満足を与える理」のための、天理教会なのだから、
天理を求めて来る世界からの人々に、「天理」を伝えるということ、「満足」させるという事を、第一にしなければならなかったという事です。
0316基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:08:05.83ID:4cjCf34b
> 間違っていると、親に教えてあげないと、子供が悪いという事になります。
それは、こういうおさしづがあるからです。

増野正兵衛及び春野たか身上の願
明治三十四年四月三日(陰暦二月十五日)
・・・ 年取れた者諭したる。こらどうでも成る。
なれど、伯父甥という。親兄弟も同じ事、深い中。
すれば遠く所からいんねん以て寄せる。
たゞめんめん若き/\だけ話し諭して、これまでと十分立て替えやろ。

めん/\芯という同じ心以て子を親が始末して、
又子が親を始末するが道理である。

繋いでしてあるが、めん/\親子同様、何処へもするのやない、彼処へもするのやない。
めん/\皆身に付く。
たんのうして年取れたる者どうでもなる。
この理分からん。年取れたる中、言葉優しくたんのうさすが台。
又日々暮し方何も分からせん/\

めん/\聞き取って又宅分けにゃならん/\。
何よの事十分々々してやるがよい。大層言わず/\、めん/\同じ事や/\というは、神が守護すれば神が話する。
神の話する事にどうやろかこうやろかではならん。
しっかり同じ子供に同じ暮らし方する程にと、めんめんも楽になる。

めん/\言わず語らず働きて居る。

同じ一つ心煩い/\、その心定めて、どうやこうやと、しっかり楽しみ付けてやるがよい。
0317基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:12:17.02ID:4cjCf34b
第3号 108
いまゝでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんの事やら

このお筆先が、意味しているものを理解してみよう。
「先ず、いままでハ」の「ハ」、それから「ゆへあれど」と記されているから、
この三号108執筆以前には、と言う意味に理解される。
@「おふでさき執筆以前」A「おふでさき執筆中」B「おふでさき執筆以後」の、
一、二、三の「三段一つ」において、この状態があったという事であるから、
「しょこためし」とは、今までには言われていた。
それは、@、A、Bの全ての段階で言われていたという事である。

そして、しょこためしという事が言われていたが、「かんろふたいもなんのことやら」であったという事は、
甘露台とは、「しょこためし」の一つと言う意味に理解される。
「ためし」について、お筆先にはどのようになっているのか、ですが、

このよふのたしかためしかかけてある
これにまちがいないとをもゑよ
第3号 22
いまゝでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんの事やら
第3号 108
いまゝでもためしとゆうてといたれど
もふこのたびハためしをさめや
第3号 134

以上の3首が、全て「三号」の中に記されていると分かります。

甘露台と言うのは、「証拠ためし」の一種類であって、「証拠ためしの試しおさめ」なのであると言う、
原典からの視点が、きちんと見えてきます。

「なんの事やら」では、「理の間違い」状態。
きちんと、その理と訳を、意味を、知る事が「理で責められている」わけです。
0318基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:15:10.37ID:4cjCf34b
悟りが無いのが、神様の残念であると言う、基本があります。
甘露台と言うものは、@お筆先執筆以前、Aお筆先執筆中、Bお筆先執筆以後と、
それぞれの段階で教えられていたが、それぞれの段階で、「なんの事やら」であった。
まさに、悟りが無いのが、神の残念です。

「ためし」というものは、「おびやためし」が基本です。
お筆先には、「上」に対するものとして「甘露台」のためしが、位置づけられています。

にち/\に神の心のせきこみを
そばなるものハなんとをもてる
101
上たるをこわいとをもていすみいる
神のせきこみこわみないぞや
102
むねあしくこれをやまいとをもうなよ
神のせきこみつかゑたるゆへ
103
たん/\と神の心とゆうものわ
ふしぎあらハしたすけせきこむ
104
このふしきなんの事やとをもている
ほこりはろふてそふぢしたてる
105
あとなるにはやくはしらをいれたなら
これでこのよのさだめつくなり
106
このはなしはやくみへたる事ならば
いかなものでもみなとくしんせ
107
いまゝでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんの事やら
108

「上」をこわいと思う事にたいして、「甘露」という位置があると言うこと、基本として、心得るべき事です。
0319基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:18:12.13ID:4cjCf34b
「かんろたい」甘露台については、お筆先2号にて、その本質が語られています。

第2号 39
めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる

Mezurashii kono yo hajime no Kanrodai
Kore ga nihon no osamari to naru

Marvelous is the Kanrodai of this world's beginning. It will be the cause of peace in Nihon.
この世人間創造の理を現した珍しいかんろだいが建てられて、かんろだいのつとめが行われるようになったならば、
その霊徳により親神の真意がにほんに広まり、つづいて世界に行きわたって、一列人間は勇んで陽気ぐらしをするようになる。
・・・・・・・・・・・・・・
英文のお筆先と、日本文の解説には大きな隔たりがあります。

英文のお筆先は、「にほんのおさまり」を「peace in Nihon」と訳しています。
日本文の解説では「親神の真意がにほんに広まり、つづいて世界に行きわたって、
一列人間は勇んで陽気ぐらしをするようになる。」と、違訳になっています。
現在までの、教団教理の「あやふや」が、きちんと見て取れます。
0320基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:21:42.09ID:4cjCf34b
> お筆先には、「上」に対するものとして「甘露台」のためしが、位置づけられています。
そして、「にほんのおさまり」とは、「平和」という事を意味していると言う、それが英文訳にきちんと示されていると言う事です。

第2号 39
めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる

英文訳では「平和」は、「It will be the cause of peace in Nihon.」であり、未来形の表現になっている。
それでは「めつらしいこのよはじめのかんろたい」は、時間的にはどうかといえば、
「this world's beginning.」と、表現されていて、過去のものではなく、開始されている今の事として、訳されている。
つまり、「将来に立つであろう甘露台」というような、山名系教義や教団指導者の教理は、まるで陳腐なものだと理解されます。

「甘露台」とは、それが開始されたという事そのものが、日本の治まりになると言う、そういう性質を持つものだという事です。
0321基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:00:04.08ID:4cjCf34b
泥海世界にあって、人間の種にされたという「どぢょ」とは、
実体はどのような生物でしょうか。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドジョウ科
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E7%A7%91
分類
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 条鰭綱 Actinopterygii
上目 : 骨鰾上目 Ostariophysi
目 : コイ目 Cypriniformes
科 : ドジョウ科 Cobitidae

ドジョウ科(ドジョウか)は、コイ目に属する科。
腹部は平らな形状を有し、底生である。およそ160種を数える。
ほとんどが雑食性の清掃動物(腐食動物)であり、通常何でも食べる。
主な食物は水棲の甲殻類、昆虫やその他の小型の無脊椎動物、およびデトリタスである。
一部の種は水質の良くない場所にも生息し、イトミミズなどを捕食する。
種によっては、空気を飲み込む事によって大気中の酸素を呼吸することができ、劣悪な環境に適応しうる。
一部の種は渓流など急流に生息する。

腐食性を持ちたいていの淡水の生態系に適応する能力があるため、本来存在していなかった地域にも移入し、
在来種を脅かす外来種として問題となっていることがある。
0322基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:03:11.63ID:4cjCf34b
↑ 底辺に位置している。

神話の世界として組み合わせると、「龍」←「鯉」←「どちょ」。
つまり、滝登りをすれば、鯉は龍になる。
その鯉の、最底辺の存在がどぢょです。
川底を綺麗に掃除してくれている、それが、どちょ。
侮るべきではないと思います。
「聖人」とは、底辺にいて、あたりを清めていて、どんな環境にも対応する。
まさに、「どちょ」とは、「聖人」、「セイント」。
そういう、意味があります。

お筆先には、人間をはじめかけるに神は、「どぢょ」を食して、その心根を味わい、種としたとあります。
どぢょとは、淡水性の「底生」のコイ科のうおです。
川底を綺麗に掃除する。如何なる環境にも対応する。
そして、滝登りをすれば、龍にもなれる「鯉」は、「節句」には「鯉のぼり」を立てて祝ってもらえるが、
谷底のどぢょには、何の祝福もない。
汚れにも、急流にも生息し、生活する姿は、まさに「聖人」のごとき、暮らしぶりです。


その、谷底に暮らす、「心清らか」な人たちを、「平和」のために、
甘露台の開始に用いると言う、そこに、「世界ろくぢ」のおやさまの理が貫かれています。

「どちょ」であり「鯉」であっても、「霊能・不思議」がなければ、「龍」にはなれない。
そこに、「どちよ」の清らかな心と暮らしぶりを見て、そして、
それを「平和」の為の戦士として活用すると言う「聖人」思想は、「聖人星矢」の原風景ですが、
谷底にいる「ブロンズ」に「小宇宙・コスモ」があるという発想の、もっと以前に、
おやさまは、「どぢょ」に「人間の魂」を見ていたと言う事です。
0323基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:07:40.93ID:4cjCf34b
甘露台については、神様は早くからお話しをされていたと思われます。
「大工が来る」と予言があって、そして伊降伊蔵さんが来た時には、八方の神が手を打って喜ばれました。
それは「神殿普請」の大工として利用したのは、人間の事情であり、おやさまは「甘露台」の模型を作成させています。
寒露台世界の普請に取り掛かる事のための大工であった事は間違いないのですから、「大工が来る」という事が予言されていて、
甘露台も予言されていたと理解されます。

その、甘露が降ると言う事と、「大社高山取払い」という事が、
一対の事情であるという事は、お筆先三号のお歌にも、一貫して見られます。
0324基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:28:54.05ID:4cjCf34b
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%9C%B2
甘露(かんろ)とは
中華世界古代の伝承で、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。後世、王者が高徳であると、これに応じて天から降るともされた。

インド神話の伝承で不死の霊薬とされたアムリタを、漢訳仏典では中国の伝承の甘露と同一視し、甘露、あるいは醍醐と訳す。

つまり、天(の王)が、やまず死なず弱らずの「甘露」を降らせるという思想は、中国の陰陽五行思想に、あった。
その、台を地に(人が)の立てると言う思想は中山みきの思想の特質だと言う事です。

> 中華世界古代の伝承で、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。
> 後世、王者が高徳であると、これに応じて天から降るともされた。
為政者に道を説いた孔子様が「陰陽五行」の理を説かれた。
それが「易経」。
高山に、王の徳に対して降るとされる「甘露」が、民の徳に対して天から降ると説いた中山みきは、陰陽五行の理についても、裏守護の中で、説いています。
「木火土金水」の五行を、五十音に当てはめて説いた教理本が、戦前にはありました。
五十音表と、陰陽五行の理を説いたのは、中山みきの「言語」思想の根幹にあるものを、感じさせるものです。
それは、弘法太師が、「真言」として、日本語を『理の音』と、五十音表に整理した「真言思想」を、
五行の理にてさらに理を明かすという手法であり、月日が教え来たる「陰陽五行」の重大性も、忘れては、天よりの甘露という思想は、理解できるものではありません。

どんなことも皆、口で言わせるというおやさまの思想は、その音としての、言葉そのものに「理」があるという、実を知らすことで、天理を知らそうというものであり、
「かなの教え」の、かなそのものに、「音」に「文字」に、「真」があるという、恐るべきオカルトを、示していたということです。
0325基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:33:19.65ID:4cjCf34b
『五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、伝統中国医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられたことば。
「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指す。』

貸し物借り物の教理として 当時の市販教理本には、こうあります。
『 腎は白、心は赤、脾は黒、肝は青、肺は黄色 』

この、「色」の部分は、もう少し考察の必要がありますが、色彩的にではなく記号的に見るのが基本です。

声の問題ですが、当時の市販教理本には、こうあります。

『五音の理』
『水声は、腎の蔵より発し、言語静かにして、余程長く伸びやかなるを腎声という。』
0326基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:36:16.32ID:4cjCf34b
静岡県には、観光施設として「天理教山名大教会」が登録されてあります。
諸井国三郎が、その山名大教会の創設者である。
「国」と名が付いていて、「三」と付いている。
「国から」、諸井国三郎から開始された「国から」という道の、
「一二三」の「三」の天理の基本について、語る場を、静チャンネルに用意させて頂く。

諸井国三郎埼玉県幡羅郡東方村にて身上障り、おぢばへ登参の上願
明治二十年七月十四日(陰暦五月二十四日)
この時のおさしづに、
『皆神の自由、先々一つの講、国から/\国から来なくては渡られん。
さあ、それからそれ、一方の手続き、だん/\と話伝えも出来るであろう。』
と、神のお言葉があります。
「国からの国三郎」。と、呼ぶべきお方です。

諸井国三郎埼玉県幡羅郡東方村にて身上障り、おぢばへ登参の上願
明治二十年七月十四日(陰暦五月二十四日)
身の障り、何よの事も聞かしてある。しいかり思案。
いかなる道、どういう道、こうしたら早かろうか。あゝもしたら、早く開けたろう。さあ/\めん/\の思うであろう。
いかなる心、真実運ぶ処、身の内障り、どういう事か。
国々先々、いかなる事、身の内自由現われてある。
皆神の自由、先々一つの講、国から/\国から来なくては渡られん。
さあ、それからそれ、一方の手続き、だん/\と話伝えも出来るであろう。
どうせこうせ、言うでない。
国の処も第一、国から/\、だん/\の筋道。
目の前の楽しみ、その楽しみは短い。先の楽しみ、細い道のようなれども、先の長い楽しみ。
後で見れば、短い。先は長い楽しみの道。
よう思やんして、真実の楽しみ。あちらで抑え、こちらで抑え、通り難くい道も通る。
外々の道筋、心真実、一つ国々長い道中運び来た故、これからたすけの証拠、神の道、一つのさづけを渡す。
しいかりと受け取ってくれ。あしきはらひたすけたまへ天理王命、
三遍唱え、三遍づつ三度、三三九遍の唱え、このさづけを渡す。しいかりと受け取りて置くがよい。
又々の道もある。
心真実一つ先の楽しみがあるで。
0327神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 13:39:41.02ID:r4kQk3rI
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです b

その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
0328基本。
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2018/12/13(木) 13:40:05.49ID:4cjCf34b
諸井国三郎御暇を伺いし際
明治二十年七月十七日
さあ/\後々を待って居る。
さあ/\先々国々に手続き、それ/\皆々待って居る程に。
早う/\。一度では分からん。
一度二度しっかり伝え。
真実の話、ようしっかり伝えるがよい。
それ/\皆々待って居る。よう伝えるがよい。

「国々優先」とは「地方優先」、天理教の言葉で言えば「末端が優先」。

この順序というものが、天理教の順序であると言う事、甘露台世界への道は、国々から、末端からと、
それを、国三郎には切々と説いているおやさまです。

山名系の理の間違いは、もう語れないAチャンネルで、それはつまり、まあ周知されたと言う事。
それならば、静岡の観光地「山名大教会」の、お国自慢の方で、語るという、甘露台への道です。

ここ、静岡宗教板も、新スレッド立てられない制限、生じています。
後、わずかの中に、甘露とは「末端から」「国々から」「国々の地場から」という、
天理の本質を、語ることとしましょう。

諸井国三郎口中舌の障りに付伺
明治二十一年三月十一日
さあ/\運ぶ処、ぢば一つ運ぶ処、一つの理、一つのこうのう、いかなるもぢば一つ、一条の道。
小児へ渡す処の理、国の処、それ/\理いずれの所の理、一つのこう。
さあ/\小児へ渡したる処の理、一代二代三代四代五代ではない、これ末代の理渡してある。

国の宝、国の柱、しいかり聞き分け置かねばならん。
諸井ろくさんへの小児の水のさずけこそ「国の宝」。
つまり、地方の地域の「宝」。袋井の宝だと、おやさまは、国三郎に念を押されています。
0329基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:48:44.23ID:4cjCf34b
インターネットが登場して、以来5チャンネルは自由な議論の場としての役割を果たしてきました。
また、各種掲示板も一定の役割を果たしてきました。
天理教フリーフォーラムの時代、5チャンネルには第二宗教板の在った時代もありました。
ザ掲示板にもお世話になりました。
そうしたネットを「布教」の場に利用しようという意味では、天理教教団擁護派も、異端も、天理教批判、組織撲滅も、皆ネットを利用し、「情報操作」もどきを実験、実践しました。

ある意味で基本は、たった一つのことを語り続けていました。
それは、「おやさまが、親神天理王命」であるという根本の天理であり、
そして、「理の親信仰」という天理教団の理の間違いが、おやさまを親神として認めないという原因だという事でした。
その、「中山みき親神」の証拠証明としての「原典の数理」は、
異端数理としての3625。
天理教団誕生の数理としての六ヶ敷き事。
復元の予言としての「一二三、一二三の切り」。
始まりの数理としての222の5。
全てが、事実として、歴史上の年表にきちんと「偶然に」そうなっている事を、書き続ける事をしてきました。

それは、世界の宗教史の、親神が裏から教えた神の教えと、宗教組織が大社高山として説いた教えの、本質的な相違点が、今日の「債務奴隷社会」を生んでいるという、
おやさまの「立教」の原因を掘り下げる事であり、
理の親信仰という悪因縁が、本来は隔てなき世界のはずの現代社会を「泥海世界」同様にしてしまっているという、現実の、確認、そのものでした。

問題は、人間にあるのではなく、人間の親神にある。
それは、最も基本的な天理教の教えです。
それゆえに、親神は、「ほんなんでもない百姓の女」として、誕生し、世界一列を助ける道を付けた。

それは、世に言う「信者・未信者」などという隔てとは無関係の、救済の開始と発動であって、
その証拠証明には、「3625の数理」などは、なければならないものだった。
その、余りにきちんとした、準備。
この世のためしと仕掛け。

それこそが本来掘り起こされるべき、天理であるということです。
0330基本。
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2018/12/13(木) 13:52:01.84ID:4cjCf34b
諸井ろくという、小児に、水の授けを渡した時の関連のおさしづには、「国」という表現がきちんとある。

諸井ろく身上伺
明治二十一年二月
小児の処、一寸身の障り有るから尋ねる。
小児の処、何も無くして尋ねん。
道中の処は案じる事は無い。いかなる聞き分け。
国の土産や、一つの印を渡し置く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国の土産という以上は、「国」。地域。
教会本部・地場の為の、授けではないという事が、ここでも分かる。

それが、国三郎さんには、分かっていなくて、「分教会設置」に執着し、固執した。
天理教会本部組織での「大社高山因縁」に、とらわれたというべきだろう。
33歳で、奥さんは、半身不随となってしまった。

諸井その三十三才身上障りに付伺
明治二十二年十一月二十日
さあ/\尋ねる処/\/\、事情心鎮めてしっかり聞き取れ。
長らえて事情不足という。
よく聞き分け。国々一つの理を始め、だん/\尽す一つの理を悟らんならん。
長らえて内々事情、身の処いつになっても鮮やかと言わん。
前々元々理を聞いて、国に何でも十分の理である。
よう理を聞き分け。日に不自由思う一つの理心にある。
どういう事聞き分け。話一条の理、身が速やかになる。
だん/\映しある処、人間皆神の子供、この理よう聞き分け。
いんねん事情諭し、同じ神の子供可愛い子供、いんねん事情聞き分け。
それよりたんのうという。
身が不足通ってたんのう思わりゃせん。
人間始め掛けたる理から見てたんのう、世界の理を見てさんげ。
日々身に不足なって世上の理を見て、随分皆んなたんのう/\の理より受け取りは無い。
よく聞き分けくれねばならん。
一時一つの理を諭し掛けよう。
0331基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:08:00.35ID:4cjCf34b
明治三十年六月五日
さあ/\尋ねる事情/\、さあ尋ねる事情には、これまで遠い話にも聞いて居る。
事情一時以て尋ねるは、遠い話には、一寸追々の理ともいう。身上に一つの事情無ければ、何時なりと。
さあ速やか許し置こう/\。

国からの国三郎さんは、いつの間にか海外に布教しようと思い立ちます。
お気の毒です。

さて、諸井国三郎さんも山本利三郎さんも、国からの橋については、事実上何も出来ないままでした。
おさしづに於いての、国の地場、国の芯柱の問題は、とりあえず、ここまでの事としよう。
ネット掲示板投稿の最終コーナーは、お筆先十号に触れて、甘露の研究の一区切りとさせて頂く。
> もっと天理教を信心なさったほうがよろしいですよ
励ましのお言葉を頂いて、信心深く、ありたいと。

お筆先九号
このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ
58

このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに
59
そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ
60
ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする
61
天よりにあたへをもらうそのをやの 心をたれかしりたものなし
62
月日よりたしかに心みさだめて それよりハたすぢきもつの事
63
月日にハこれをハたしてをいたなら あとハをやより心したいに
0332基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:12:38.54ID:4cjCf34b
このひがらいつころなるとゆうならば たあのしゆりをしまいしだいに
16
それからハなにかめづらしみちになる つとめのにんぢうみなよりてくる
17
たん/\とにち/\心いさむでな なんとやまとハゑらいほふねん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第10号 16
このひがらいつころなるとゆうならば たあのしゆりをしまいしだいに
Kono higara itsu goro naru to yu naraba Ta no shuri o shimai shidai ni
To say when this will come: it will come as soon as the weeding of the rice fields is done.
註 たあのしゆり庄屋敷附近で稲苗を植え付けて後、田の修理即ち除草、中耕は大体三回位で、第二回は土用の入りころ、
第三回の済むのはお天気次第で一定せぬが、順調にゆくと大体土用の終るころ、即ち立秋前後である。
立秋は、陰暦で七月の節、陽暦で八月七日にあたる。

屋敷は神の田地と、御神楽歌に知らされてあります。
田の修理とは、天理教団内の雑草・異端教理を抜くことであり、中耕とは、教理の掘り起こしの事である。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0333基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:20:51.10ID:4cjCf34b
おやさまは、扉を開くか閉じるかを人間に尋ねて、結果として扉を開いて「地を均し」た。。
その頃も、奇跡的にお助けが上がったと。それは、おやさまのお陰。
なのに、人間は、おやさまの神名「天理王命」を復元するどころか、その逆であった。
それで夜昼を変える事情となった。
今までにもご紹介した、お指図に残された明白な史実です。

天理教の今の旬は、「国から」。
言い換えるなら「末端」から。
宣伝行事のイベントお助けには、「匂い」はあるけれど、匂いばかりを、正味と勘違いしない事です。
本当の豊年を「末端から」。
それが、今の旬と言う事です。
本部から何々しますは、古臭い理の親族の手法なのです。
0334基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:24:38.04ID:4cjCf34b
お筆先の中に記された「甘露台勤め」。
そして、おつとめの地歌の「模様がえ」といわれる、二種類の地歌。
そこに、原典に記された「甘露」の教理の基本があります。

「一列すます甘露台」。
月日が一度言われた事には普遍という、この思案大切です。
「一列澄まして甘露台」。
これも月日が言われた事です。
この、二つは、二つ一つに思案してようやく意味が分かる、「二つ一つが天の理」の、まさに天理と言う事です。
模様を替えたと思案した当時の高弟達と同じ誤解に、陥らぬ事です。
0335基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:28:16.21ID:4cjCf34b
さて、もう少しきちんと話を詰めておかねばならない。
お筆先九号では、「台が出来建ち次第→つとめする」と、理が知らされてある。
 このだいがでけたちしだいつとめする どんな事でもかなハんでなし 52
 このだいもいつどふせへとゆハんでな でけたちたならつとめするぞや 53
 これさいかつとめにかゝりでたならば なにかなハんとゆうでないぞや 54
 これをみよたしかに月日ぢきもつの あたゑしいかりたしかわたする 55

それでは、十号には何が示されているかというと、「人衆の模様・人衆寄せ→台が出来る」と、言う順序である。
 このだいをこしらゑよとてたん/\に 月日人ぢうのもよふするなり 29
 人ぢうがしかとよりたる事ならば そのまゝだいもでける事やで 30

そこで、「人衆を寄せる→台が出来る→つとめする」と言う順序が明白にあると分かります。
では、「澄ます」という問題は、どの順番で出てくるのかというと、

お筆先では、第十号に、このようなお歌があります。
 このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ 79
 なに事もみなこのとふりはちめかけ せかいぢううの心すまする 80
世界中の心を澄ませるのは、元の屋敷に「証拠」があってなすことという順序があるということです。
「一列澄ます甘露台」とは、十号のこのお筆先に知らされた、甘露台の意義を明確にしらせてしるお勤めの地歌ということです。
0336基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:36:24.97ID:4cjCf34b
人衆が寄り来る、→ 台が出来る → つとめが出来る
この順番は、基本という事になります。

人ぢうがしかとよりたる事ならば そのまゝだいもでける事やで
30
このみちハどふゆう事であるならば 月日つとめのてゑをふしへて
31
それよりも月日一れつせかゑぢう つれてゞたならひとりでけるで
32
これさいかたしかにでけた事ならば 月〃つとめちがう事なし
33

そこで、不可欠な要素というものが、指摘されてあります。
「月日つとめのてゑをふしへて」。
31に知らされた「手を教える」という要素です。

それよりも月日一れつせかゑぢう つれてゞたならひとりでけるで
32

人衆を寄せるには、先ず先に、月日が勤めの手を教えておく必要がある。
次に、「月日が連れて出る」必要がある。

つまり、「本部志向」ではなく、「世界一列」に出て行く必要がある。

だから、海外のお助けイベントは、月日から教えられた「手」・おさづけの手を、外にて使用している点で、
そこだけは理にかなっているという偶然があって、おたすけがあがったというけれど、
実は、心澄ませる、という「澄ます」は、
それだけでは何もないわけで、おさづけは効くぞと自己満足では、まったく原点無視の天理教。
イベント大好きな理の親族の悪しきをひきづっていては、出鼻のにごりではなく、単なる悪しきです。

月日が連れて出るには、何が大切なのか。
それは、お筆先十号に切々と語られています。
そして、世界の心を澄ましに出るという意味も、意義も、語られています。

おさづけが効いたぞではなく、心澄ませるという理の働きに、かつもくすべきです。
おさづけは「路銀」。道中の目的は、心澄ませる人材の寄せにある。
それはすなわち、一列に澄ますであり、澄まして甘露台という、天理の実行に着手せよという、神意そのものです。
0337基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:42:21.63ID:4cjCf34b
つまり、月日が「つとめ」の手を教えるという事は、普通の意味としては「勤行」の為。
そのように人間は理解しがちです。
すると、諸井国三郎さんや山本利三郎さんのように「本部・中央」志向という落とし穴にはまります。
お筆先では、外向けに、出る事を諭しておられます。だから、ここに逆転の発想が大切になります。
 「つとめ」の手を教える → 世界に出る・一列澄ます →人衆寄せる
「つとめの手を教える」とは、その「手振り」で、お助けして、一列の胸の掃除をするという意味がある。
「一列澄ます甘露台」とは、その事を意味します。

その結果として、一列の中から人衆が寄せられて、そして「甘露台」が立つ。
「一列澄まして甘露台」とは、その事を意味します。

二つは一つなのです。
それは、田の修理を終えた、神名の復元の叶った今という旬から始まる。
天理王の道に、私たちは、立っています。
0338文責・名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 14:46:43.94ID:4cjCf34b
【読売新聞つまらないもん】読売新聞が25年ぶりに値上げ!全国の販売店で経営難が深刻化
⇒ネット「解約します」「丸に金使いすぎ」「軽減税率の対象なのに?」

読売新聞 購読料を来月から25年ぶりに値上げ

読売新聞社によりますと、来月1日から朝刊と夕刊のセットでの1か月の購読料を、
現在の税込み4037円から363円引き上げ、4400円にします。1日当たり10円余りの値上げになります。

また、駅の売店やコンビニなどで販売する朝刊は、
現在の1部130円から20円引き上げて150円にします。

値上げは、消費税率の引き上げに伴うものを除き、平成6年以来25年ぶりだということです。

値上げの理由について、読売新聞社は、
人手不足や配達コストの増加などで全国の販売店で経営難が深刻化しているとして、
新聞の配達網を維持するためだと説明しています。
0339基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:49:44.40ID:4cjCf34b
八つ 山の中でもあちこちと、天理王のつとめする。
九つ ここでつとめをしていれど 胸の分かりた者はない

おやさまから、つとめの手を学ばれたら、
山の中へと行く。
それが「あらきとうりょう」。

山本利三郎さんは、国の架け橋、心がけず地場に固執して・・
諸井国三郎さんは、国からの橋を、心がけず本部に固執して・・
甘露とは、先ず「地域社会」。
「国々処ところ」
ここに、天理王のつとめの舞台。「道なき道」がある。

お筆先に知らされた、本真実です。
暮らす現場、地域社会の日常。そこに道なき道に、道を付けることは荒木棟梁の使命です。
それは、「いんねん」とのいわば闘いです。

宗教の本部指向は「ユートピア幻想」「理想郷幻想」です。
この世ならざる世界に救済を求めるようなものです。
おやさまは、百姓女という日常から、道をお付けになった。
それは、因縁切りの道そのものであり、幻想ではなく現実です。

いんねん。
因縁ある土地、人々、そこでつとめの手を振るとは、天理の実践であり、教理を学ぶのは、そのためのものです。
0340基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:02:34.50ID:4cjCf34b
おやさまは、国会ではおさまらないと言われています。
人間が議論を尽くすということは、世論を重視するということは、
ある意味では人間思案の寄せ集めですから、「人間思案」ではどうもならないという天理の基本があてはまります。
冷静に見つめるなら、国会ではおさまらないというのは、
「濁った者はえらい/\道。 」
偉い、では、治まらないという事で、理は一致します。

甘露台一条の道というものは、そうした権力とは無関係にあるもの。
 5チャンネルもまた、掲示板もまた、権力とは無関係にいられる間だけが、正味の価値ということでしょう。
経済は大河です。
政治で管理できるのは、そのほんの一部分。
それを過大評価するという誤解は、あってはならないと自制します。

悪魔よりも悪魔的なものが、中山みきの教えた天理ではないかと、常々から思案しています。
そう簡単に、幸福が得られるようなものではない、そこにブラックがあります。
この世を普請する、そこには、「人間の心の自由」を保障しつつ、人間の心の欲している幸福ではない、
世論に支持される幸福ではない「陽気ゆさん」という幸福を流布する、
悪魔的な、世界観があります。

今、基本が悩んでいるのは、その流布の「善・悪」についてです。
0341基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:06:36.14ID:4cjCf34b
人間のものか神の物か、
この世の全ては神のものだと、簡単に言いますが、「人のもの」と言うものがあります。
「人のもの」は人のもので、神・親神のものではない。
「人間身のうちは神の貸し物」ですから、神のものです。
「心ひとつが我が物」ですから、人のもので、肉体は、貸主としての神のものだが、
借主としての、使用主としての人の、人のものと、天理は示しています。
この関係は、「人の心」の中の「神の心」「人の心」の中の「人の心」においても、成り立ちます。

神の心が人間の本心であるときには、人は神なのです。
濁った心が人間の本心である時には、人は人なのです。
偉いというのは、人間である証明。濁りが無いようでは人間味も何もない。
その人間の濁りを「認めながら」、この世を普請するというのですから、中山みきの教えは、神聖ではなく悪魔的なのです。
0342基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:11:50.72ID:4cjCf34b
中山みきの・つまり親神の教えは、「人のもの社会」を「神のもの社会」に普請する教え。
つまり、神・革命に他なりません。
その時の条件が「誰に頼みはかけんでな」であり、教えだす事はあっても学び習うことは無いという条件。
その親神自身の自己規制は、人間の心の自由を保障する最低限の自己規制でした。

「天然自然」というのは「神の手法」、「人為的」というのは「人のもの」を拡大する手段。
この世の普請において「人為的である」ということは、みき・親神様にはありえない事です。
政治、軍事とは人為そのものですが、人為的ではなくこの世を普請し、陽気づくめにするという、
奇跡を、なせと、言わんばかりのなぞ賭けが.そこにはあります。

みきの立教後の行為は、そのまま反社会的であり、家族親族、知人に排除されようとしますが、排除されなかったのは、
理由は、みきを排除しようとすると病気や不幸になるという、オカルトでした。
この原則は、信者組織形成期においてはまさに鉄則であり、病気にして引き寄せるという大原則があります。
そして、残念のものには「死・出直し」が、ある。
まさに悪魔的です。
0343基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:14:15.45ID:4cjCf34b
この世の中の廃れ者、厄介者から助ける道と、みき親神は定義付けしていますが、
それは、人間社会の廃物であり、「人のもの」としての欠陥品に他なりません。
人間からの「有益」であるからこその「人の思い」は、人を人が必要とし価値があるのですが、
不用品は、人間社会から見たら無用のものですから、ある意味では「神の物」としても、誰からも文句が出ない。

医者の手あまり助けるが道の台というのも、同じ意味で、肉体的に廃棄物になった人間は、人間社会の、人のものとしてみたら、欠陥品ということです。

中山みきは、「利巧はつけんで」と言われています。
つまりそれも、おんなじ意味です、

しばしば本席の後継者として「上田ナライト」さんの名を、誤解して上げる人がいますが、
明確に精神病者であって、そのままでは「人のもの」としては、隔離するしかないわけで、
人のものではなく「神の物」となるには、社会や医者や、親兄弟から見捨てられなければならないという、
まさに、悪魔的な事情がそこにあるということを、忘れてはならない。

梶本家の長男として、親の思いがかけられて、長男亀造さんは「死」ぬ。
この、「神の物」だけで普請するという、おやさまの発想は、「ヒトのもの」は一切利用しないという、
鉄則に貫かれているということです。
0344基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:17:34.15ID:4cjCf34b
重大な問題は、廃品に等しかったはずの「神のもの」候補が、「価値あるもの」との評価を得てしまった場合です。
ナライトさんの場合もそうですし、おやさまから「いずれこの神屋敷に来るように」と告げられた候補者の娘さんの場合もそうですが、
「廃品=神のもの候補」のはずなのに、
神様のお呼びがあった事から、「貴重品」とみなされてしまうと、それは、実は神の用向きには使えない、破損状態になるわけです。

この実例は、きちんと史実とお指図に残されています。

お筆先において、「十人の中の三人片腕」の場合も、「廃品だから道についた人物三人」が、「片腕」になった残念の証拠です。
つまり、「火水風とも退く」。「死」というオカルト。悪魔的厳格さが、そこにあります。

基本の場合も児童の頃の憧れが「柏木庫冶」だったから、
子供を東大に入れるという「付加価値」の意味が、廃品ではない道という、
神のものとしての神の道具ならざる道という、そこに誤解していて、
大きな間違いをしていた。
言うなら「二代真柱式・六十年の道草」の、悪しき応法の道をなぞってしまったわけで、
そういう単純ミスは、有りがちな事と、冷ややかに見るばかりです。

三人の子供の三番目高校の頃になって、ようやく「学歴・中卒」に育てるべきだったと、
取り返しのつかぬミスに、気がついた、情けない道の遅れという事実です。

まあ、廃品にセットしないと、つまり谷底におちた状態で無いと、
中山みきの悪魔的な、「甘露」の美味は、頂けないと、ようやく知ったわけです。
0345基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:56:45.96ID:4cjCf34b
社会的に価値がある「高学歴」は「人のもの」。
元々は月日が教えたものを「人のもの」として、人間思案で勝手に使っている部分において、高学歴は「偉い」。
濁りはあって、「偉い」。しかし神のものではない。

社会的に価値がある「資産・財産」は、人のもの。
偉いのだけれど、濁りがある。
濁りはあっても、偉い。
だから、廃品になってみないと、偉いものの、人のもの社会の、エゴそのものには誰も気がつかない。
気がつかせようともしないのは、底の濁りの泥を、視界から隠しているに過ぎない。

だから親神は、人のもの一切を、拒否し、拒絶して、神社会の構築を目指している。
ここが、最大の眼目です。
0346基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 23:15:30.83ID:4cjCf34b
奇妙な疑問だと笑われてしまいそうですが、天理という表看板を揚げるべきか否か、
そういう問題に、基本的な理の思案が到達していない、そこで表の道なのか裏の道なのかという思案があって、
表ならば天理という表看板がいる。
裏ならば、当然無くても良い。
お指図では、「表は大工や、裏鍛冶屋」。

さて、廃品から神の道具になって「初代様」になって、花が開いて、貴重品になって、 → 理の親信仰をしたというのは、
それは、表の道を選択したということで、つまり「信仰の指導者・大工」になろうとしたわけで、
その過失は、茨木基敬先生の過失に代表されています。
3625の数理において、本席の後継に名乗り出て、除名された、異端といわれる人です。

そうした事実を踏まえますと、表の看板はいらない。
裏とは、そういうものになります。

おやさまのたすけ一条とは、世界一列をあまねくたすけたい。
中においても、廃るしかない廃品同様の、悪しき因縁の道にある者こそ、たすけあげたい。
そこには、悪因縁の者だからこそ通らせて頂ける道というものもあるという、おやさまの親心があります。

あんなものが、こんなものと言う、天理の世界において、なすべきは裏の道。
一夜の間にも天理王命にして見せるという、おやさまの悪魔的な自信を、恐れ入るばかりではなく、
その弟子としての自覚は、誰も通ったことのない道を通るという、悦楽の中にあります。
0347基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 23:18:19.81ID:4cjCf34b
因縁が切れていく道が、誰も通った事の無い道と、そうなります。

覚悟という大それたものではなく、因縁というものがあるからこそ、切る道があるわけで、因縁を通り返すよりもはるかに簡単なことは、自明です。

理の親信仰の教団史においてのルーツは、山名系でもなく、川原町系でもなく、その先駆者として、茨木基敬さん、「北」の系統を上げておかねばなりません。
茨木さんの布教方法というものは、自分が布教師を仕込んで、組織的に布教するという方法であった。
おやさまの、なさらなかった方法です。
泉田藤吉さんに助けられて、入信した後は、最初は泉田さんの弟子としておたすけをされていた。
それが、自分が講元になると、自分の采配と指図で、布教戦線を拡大したわけです。
「つくりさく」という、おやさまのお嫌いな「人為」。
人のものを、実行した。
そして、対外的にはいち早く、神道の教導職の資格を得て、自分が公認された状態で、
応法の道そのもので、初期の天理教会の発展の先駆者となった。
つまり、理の親信仰の裏のルーツは、「北」にあるということです。

それだから、最後には自分には天啓があるという、本席の死の後の、謀反事情にて、「結果」を見てしまうことになるわけです。

茨木さんの、お上には「応法」、おたすけは泉田藤吉仕込の借り物の教理という、裏表の使い分け、
それを見習ったのが、その後に、理の親信仰をはびこらせた各講元たちと言う事になります。
異端として、排除されたために、茨木さんに
見習った事実そのものは、記録には残されていませんが、時間経過と内容にて、
茨木式の神道と「こふき話」の融合型、布教の組織的展開というものは、山名系にきちんと応用されていることは、見て取れます。

その茨木さんの失敗が、家業から捨てて神道職にあったということにおいて、おやさまの理の厳しさが知れます。
0348基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:11:45.11ID:92aNcDLS
> 書いてよいものかと、思うのですが

ご自分のお心で決められたらよろしいと思います。
ご自分のお心の内を、さらける行為でもありますから・・。


> 二代眞柱も愛妻を亡くし、後妻を迎えられたことを、後悔されたのでしょうか。

これも、同じです。
初恋の人と結ばれる人もい、結ばれない人もいる。
「めんめん手でした事や無い、口で言うた事やない、ただ心」。
と、教えられた理の世界です。
戸籍上の夫婦も内縁の夫婦も、ただ心。
先妻も後妻も、ただ心。

そういう基本的な理の思案をなされたらどうでしょうか。

「ただ心」の世界においては、一婦一夫、一夫一婦の関係のみの夫婦など、空想の世界。
心では初恋の人を思いひとすじで、手でしたことは、複数の関係という場合には、それは、純愛でも真の心一筋でもない。
それは、泥海というものです。

おふでさきでは「悪事はらうて 若き女房」と、理を示されて4います。
悪事とは、払うべきものです。
0349基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:14:23.61ID:92aNcDLS
本来は、天理そのものである儒教や、キリスト教、仏教が、政治高山・経済高山と癒着して、
大社的な権力支配の道具として用いられたとき、
男女間の倫理や、先妻後妻、正妻内縁、などの地位扱いが生じたわけで、
性の不倫、それは、腐敗だと、云々は、「人の思案・ひとのもの」・高山からの借り物の思想。
その一方で、風俗産業の従業者は、どんどんと生まれる社会。
泥海というものは、人のものの、社会そのものです。

人間の互いの関係は、
「夫婦の中、人見るや無い」と、おやさまは言われています。

人の寿命というものも、「三才も一生」「一生も三才」ですから、「若死にした」とかいう価値観そのものも、人のもの、「若死に」に、
意味を考えすぎると、大社高山の洗脳効果に汚染された見方そのものです。

応法の天理教が、道草から本筋に復元するには、出直ししかないわけで、
応法の真柱は、出直しが早いほどよろしかったと、そういう思案です。

> いんねんあって秀司先生の奥様となられた大和国平群郡平等寺村の小東政吉二女まつゑ様
小東家は、法隆寺の金融関係を扱う家で、言うなら高山の手先。
中山家は、金貸して百章から土地を取り上げしていた、「地持ち」。
いんねんがあっていたというのは、まさに宗教家業の「大社因縁」の実行犯としてのことでした。

家業を無くさせて、現代の実例は、こんな事もあります。
小さな電気屋さんは大型量販店の下請け工事業者になり、やがて債務によって、淘汰されていく。
大型量販店の激安は、家業を喪失させて・・。
それこそが、大社高山支配につながっていると言う時代。

おやさまは、だからこそ、家業第一。
一に百姓たすけたい。

オカルトにて、神の物で普請しようという神意は、人のもの社会の、泥水をしっかりとご存知の、親神のお覚悟。
安易な、家業第一では、大社高山のえさ、です。
0350基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:17:48.58ID:92aNcDLS
天理とは天然自然と、そのように教えられているが、甘露を頂くという問題になると、
人間は天然自然から道を逸脱しがちであると言う事が、どうやらひな型五十年の道という道の意味として、
底にあると言う事、ようやくにして、気が付いたと言うことになる。
教祖のひな型については、「貧乏せい」と云う事から誤解がなされて、
「貧乏なる物の心」という問題を理解させたいという「おやさま」のお気持ちとはかなりずれた方向で、天理教信者の誤解は理論化された。
「貧乏なる物の心」とは、一口で言えば「貧乏は嫌だ」に尽きていて、それに決まっている。
ところが、「貧乏をたんのう・我慢せよ。それが心の成人だ」という、まるで真逆の「教理」にまとめあげられた。
そして、「全財産お供えしろ」と云う、おたすけの現場での教理が「金科玉条」となり、
お金をせっせと大教会や御本部に運ぶことが「悪因縁を切る」のだと、誤解が誤解を理論武装させた。

「報恩信仰」も、そうした誤解の大間違いの「お供え信仰」そのもので、お金をだして健康を買うという、
お金を出して幸福を買うというでたらめな信心をはびこらせた。

信者から搾り取る仕組みを「理の親」支配として形成した天理教、その天理教を真似した新興宗教群は、
又各種宗教家業家たちは金で守護を買うという、まがまがしい毒に汚染されていて、
現実には格差社会を下支えしていると言う事、「清貧」という美化された「貧乏」を神がお喜びだと誤解を撒き散らしている。
それも、もう終わることになる。

貧乏なる者の心とは、それを知れと言う事は、この世から貧乏をなくせという神意を、きちんと理解しろと言う事に他ならない。
おやさまが「貧に落ちた」と言う事は、その悲惨さを通ることで、「貧を無くす」というおやの意思にある。
「いつも豊年教えたい」とは、それこそが「甘露」の世界を普請しようというおやのおもいそのものなのだ。
0351神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 02:20:46.10ID:92aNcDLS
久しぶりに給水停止になった。
水道料が支払えていないからである。
予定をしていた入金が遅延していて、各種支払いが遅延していて、電気はとりあえず止まっていないが、収入の予定は立っていなくて、
ようやく、もうどうにもならないというところに来てくれた。
十月のこの時期までも、ひっばったのは、ただただ、基本的な誤解が解けていなかったと言う、基本的な理の間違いに起因している。

「清貧」をすばらしいと美化していたのは『私』自身であり、ひながたの意味を、性格に的を射抜いていなかったのも、私である。
それでいて、自己矛盾して「甘露」世界を普請しようとしていた、それでは、五日で済む道でも五十年はかかってしまう。
貧に落ち切れとは、貧乏を根絶せよという、親神様からの強烈なメッセージだったのだ。
「貧に落ちきれ」とは、「欲を無くす事です」などと、
まことしやかに、嘘を説いていたのは、基本的なミスであり、これをさんげしなければ、何の甘露台信仰なものか。

道を逸脱した、つい今しがた迄の、自分の誤解を、どうお詫びしたらよいのか。

私のせいで、少なくとも私からそれを問かれた人々に、多大な迷惑をかけたことを、おわびし、取り消しのための行動あるのみではないのか。
理の分からない人というものは、それはつまり私自身のことだが、なんと気の毒なものであろうか。
その誤解に付き合わされた、皆々様には、まさに、お詫びしかない。
0352番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
垢版 |
2018/12/14(金) 02:26:00.68ID:92aNcDLS
保守速報の敗訴が確定に!在日朝鮮人の女性に損害賠償、まとめを悪質と判断!
ヤフコメでは擁護派も出現

*保守速報
いわゆる2ちゃんねる系のまとめブログである「保守速報」を巡る訴訟で、
12月11日に最高裁第三小法廷は保守速報側の上告を棄却すると発表し、大阪高裁の判決が確定となりました。
大阪高裁では記事内容の差別性を認めて200万円の支払いを命じる判決を出しており、これで保守速報の敗訴確定になったと言えます。

保守速報側は「ネット上の情報をまとめただけ」として反発していましたが、判決文には「読者に与える心理的な印象もより強烈かつ扇情的なものになっているというべきである。
そして、2ちゃんねるの読者とは異なる新たな読者を獲得していることも否定し得ない」というような痛烈な批判が書いてありました。
2ちゃんねる系のまとめブログ全般に対する画期的な判決でもあり、2ちゃんねるのコメントをまとめただけだとしても内容によっては違法となることが確定した形です。

ただ、保守速報の読者や支持者からは怒りの声が相次ぎ、ヤフーのコメント欄などは今も様々な意見が飛び交って騒然となっています。
保守速報はかつて安倍晋三首相のフェイスブックがいいねを押していたこともあるサイトで、依然として読者の数は多いです。
0353ネトウヨホイホイ ◆xfRYPxKEbc
垢版 |
2018/12/14(金) 02:29:28.70ID:92aNcDLS
保守速報、敗訴が確定。在日女性への差別を認定、「まとめサイト」の新たな判例に


まとめサイト「保守速報」をめぐり、その差別的な内容によって名誉を毀損されたとして在日朝鮮人の女性が同サイトを訴えていた裁判で、
最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は12月11日付で、保守速報側の上告を棄却した。保守速報に対し、
損害賠償200万円の支払いを命じる判決が確定した。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】
0354基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:32:22.06ID:92aNcDLS
親神様は、一夜の間にでも天理王命(の教えの世界)にしてみせると、おさとしになった.
現実にはそうなっていないから、親神様を疑うのは無理の無いことである。
まして「甘露が降る」などということは、信じるという人こそ、頭おかしいと、思われて当然である。

そこで、当事者は誰だという分かりやすい問題がある。
甘露が降ると言うことは、その甘露を頂く当事者は誰かという一点で、多くの場合誤解が生じる。

心澄み切った成人した「魂の因縁ある」尊いお方が、
いただけるのだとそんな誤解のはびこっていた時代があった。
天理教団がしっかりしないからいけないのでという議論もあった。

渡す側の、親神様の事情と言う物を、そこに真剣に見つめておかねばならない。

おやさまは、最初相場と言う物を、教えて、儲けさせた。
そして、おやさまの、妹の嫁いだ家は、その相場で、損したことから、天理教から離脱したと、そういう事情がある。
小寒の許婚で、秀治にばくちを教えた、いとこは、家がみきの指南の相場をしていた事は知っていたから、
ばくちで儲けさせろと、おやさまにお願いした。

難波の街の、神名流しは、まさに初期の信仰者の、流産的利の間違いの証拠になっている。

ばくちや相場で、なくしてしまった秀治は、なぜ儲け損なったか。
「神の言うこともちいらず」と、ある。

神の言うことを「用いていたら」ばくちも、相場も、神は勝たせたということ。
「用いらず」では、ご守護の仕様も無い。

それが、甘露を頂く側の決定的な条件となる。
神の言うこと、用いること。

そこに、基本的な理の誤解があっては、用いる以前の問題として、
相場もばくちも、神の言いつけ以前の理由で、敗退することとなる。
0355基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:35:15.73ID:92aNcDLS
米の相場についてのエピソードは、リラックマンさんのブログで、紹介されている。
伊蔵さんから、辻忠作さんが、米の相場の予言を受けていた。
それで、辻さんは儲けた。
ところが、病気になった。
おやさまに伺うと、その、伊蔵さんから伺って儲けた事を指摘されて、
「全部施せ」と、諭されたと言う。

そこで、辻さんは「儲け」全部を施した。
が、「元金」までは施さなかったので、病は全治せず、傷となって残ったという。
そういう、エピソードが、残されている。

当時の古い信者の間では、「相場予想」は、日常の常識であったと思慮される。
おやさま、妹の嫁ぎ先、秀治、小寒、いとこ、そして、梶本家との縁談に関与した、辻忠作。
伊蔵が、質問されれば答えていた事実。

あとあとまで、辻忠作に傷跡をのこした親神様は、「相場・ばくち」の勝利を神に日常的に依頼していた、信者たちの状態を、
きちんと、証拠証明として残こされたわけである。
谷底に、救済すべき資金としての、「元金も設けも」全部施せという、「神の言うこと」。
用いらず、辻忠作さんは、傷を肉体に刻んだ。

甘露は、降るとして、誰が頂くのか。
それは、谷底の人々であって、元金すらも、手元に置かないという決心は、不可欠である。
0356基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:55:08.49ID:92aNcDLS
教長脳の芯痛むに付身上願
明治二十八年五月三十一日 夜十時頃
さあ/\事情尋ねる/\処、さあ/\事情尋ねる。心というは余儀無く心であろう/\。
身の処切なみ一つ事情今日はどうであろう、又明日どうであろう。。。
日々思う処/\、又一時どう、日々であろう/\。
よう/\一つ理それ/\所にては皆取り決まり、談示一つほんにそうやなけにゃなろうまい。一つでなろうまい。
一つ諭すによって、よう聞き分け治めてくれ。
身上切なみいつ/\までにはなろまい。
これまでちゃんと済んである。
身の内切なみ無けにゃ楽しみ諭す/\。

神一条実と取りて治めてみよ。

又しても苦労は、心で苦労して居たのや。
楽しみ、心改めたら苦労あろうまい。

陽気遊びと言うたる。
陽気遊びというは、心で思たりして居た分にゃ、陽気遊びとは言えまい。
これから心に悔しみありては、陽気ぐらしどころやない。
早くにこれだけ分かったこっちゃ。

分かったら、日々飲んだり着たり、いつ/\まで楽しみ。
これ一つ聞き分け。
一時早く諭してくれにゃならんで。
0357基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 03:00:42.68ID:92aNcDLS
陽気くらしとは、日々の飲食にある。
飲んだり食ったりという、「実」「神一条実けにある。

先ず皆が、飲んだり食ったりという、陽気な楽しみの世界こそ、天理教は普請すべきなのである。
おせち、なおらい。
どんちゃん騒ぎの「飲食」が祭典日のたびにあった、あの黎明期の天理教団の「ゆさん」は、どうして消え去ったのか。
客間や特別室での「理の親の特別料理の接待・遊山」。
一般信者には、遠ざけられ、やがて、なおらいの飲食が喪失し、
たった一日の遊山すら消えた姿は、天理教団衰退との因果関係は明白である。

親神は言う。『神一条実と取りて治めてみよ。』と。
それは、精神的な苦労をする事が神一条実だと錯誤しがちな教団エリートへの厳しいお言葉である。
「・・・又しても苦労は、心で苦労して居たのや。楽しみ、心改めたら苦労あろうまい。」
「陽気遊びと言うたる。陽気遊びというは、心で思たりして居た分にゃ、陽気遊びとは言えまい。」
「これから心に悔しみありては、陽気ぐらしどころやない。早くにこれだけ分かったこっちゃ。分かったら、」

分かったら、「日々飲んだり着たり、いつ/\まで楽しみ。」
陽気に飲食し楽しむ事の「実行」あるのみではないか。

『これ一つ聞き分け。一時早く諭してくれにゃならんで。』

世間の人は、晩酌の一杯を楽しんで飲食する。
宗教組織だから「金主禁煙」と言う、精神苦労の禁欲を、やめてしまわないと、「陽気暮らしは」有り得ない事になる。

天理教団の幹部たちは、理の親たちはグルメであり遊山が大好きであろう。
それは、世界一列に全て施し、元金すらも残さない、「飲め屋歌えや」の道、おやさまの大好きな、「神一条」のその真実、
「神一条実」とは、日々の飲み食いにあると言う事、しっかりと実行の時が来ている。
0358基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 04:54:20.85ID:92aNcDLS
初代真柱様への厳しいお指図を根として、
二代真柱様は、天理教典にて「陽気暮らしの天理教」を表明されていた事。
まさに、今日になって、ようやく気が付いた基本。
「陽気暮らしではなく陽気遊山だ」などと、小ざかしくさとしていた昨日までの自分を、「一に勢いの人だった」「出鼻の濁りだった」と、評価してあげます。

それじゃ「甘露」は渡せない。
おやさまのお気持ちです。

貧に落ち切れは、「貧乏根絶」と言う真意。神一条とは「日々の陽気な飲食とファッション」。
これを真逆に説いていた「清貧」「禁酒禁煙」「着る物には執着するな」。実行もしていた基本自身。

これじゃ正に、心で苦しみの種をまいて、水道止めたり貧乏続けたり、うまいもの食えなかったり、ぼろ着たり・・
「甘露いただける天理教」を説くものとして、まさに、大笑いです。

二大大間違いの基本の、反省は、全ての天理教徒に捧げます。
飲む打つ買うではなく、飲む食す着る。神一条実と、やっと決まったと言う事です。

陽気遊びを決めて行えと、いう神意は、「五月五日」という陰暦におさしづされています。

教長御身上の願
明治二十八年五月二十八日(陰暦五月五日)朝
さあ/\尋ねる処/\、さあ/\どうもこれ一つ思やん分かろうまい/\。
身上に一時これどうなろう知らんと言うた処、幾重々々の理は諭したる。
皆それ/\談示の理を治めて事情運べば、成程と言えば身上は楽々なれど、
一つ/\の理を思い、誰と/\の思やんはあろうまい。
二人事情の思やん、我も思い俺も思い、先々は何も言うやない、思うやない。

これから先は陽気ぐらし陽気遊びという、
楽々の心を一時定めにゃならん。

この理を諭し置こう。
0359基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:15:04.39ID:92aNcDLS
五月五日。五分五分、いつかいつか、いついつ。

> 分かったら、日々飲んだり着たり、いつ/\まで楽しみ。
> これ一つ聞き分け。

いついつまで、とは隔て無き 楽しみ。いつもいつもの楽しみ。
その諭しを受けていて、いよいよ教祖十年祭の準備に入ったとき、幹部たちは何をしていたか。

基本も出鼻の濁りで一に勢いだけのお仲間だから、聞いてさんげ見てさんげ、
いついつの理はすっかり消えうせて、「陽気遊び」の飲ませよう、食べさせよう、着させようという思案はぱたりと、いついつではなくなった。

次のおさしづに、半年後のその事情は、見え見えとなります。

本部長の御普請本部員会議の上御願
明治二十八年十一月十三日
さあ/\尋ねる処/\、さあ/\前々から尋ね掛ける処、皆仮家とさしづしてある。
仮家と言うはほんの仮家、いつ/\までのものは仮家と言わん。
十分すれば、何時なりと取るという訳には行かん。
仮家として何処へなりと何時なりと、今日して明日直すという心ですれば、十分自由という。
又続きや/\と言うようでは、後々遅れる。
そこでこゝらよかろう、何処がよかろう、そら取り持ち運んでくれ。
又、続き/\続きやと言えば、後々暇要る。
不都合やなあ、いっそよそかと。十分すればだん/\遅れる。
十年祭々々々日を切りて言うのは、これも余儀無くという。
普請は取り掛かりたら切り無しと言う。
これだけと言うて切って了たら仕舞。
十年祭これだけせにゃならんと言うから、後々遅れる。

未だ/\先々という心を運べば楽しみやろ。
行け/\や。
0360神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 14:16:56.98ID:92aNcDLS
つまり、十年祭の時には、幹部たちは、「みなが五分五分で、飲み食い着物」遊山ではなく、
立派な「いついつまでも続く」建物を建てようとしていた。

「いついつの理違い」。
大ばか者たちだった。

「よう潤うなら」、と、「飲み食い着物の」「潤沢」をおさしづされた。

『 よう潤おうなら、いつ/\までと言う。片寄ると根が差さん、根が差さんと芽が差さん、とさしづして置こう。』

天理教は、この十年祭にて暗転する。
内務省秘密訓令、水屋敷事件の謀反。橋本清の裏切りの根。

それは「いついつ」の理違いにある。

甘露を頂いたら「片よってはいけない」。それは、芽が出るためには不可欠な要素なのだ。

こうして、陽気暮らしの大切さが、やっと基本にも見えてきた。
神意をすなおに頂いて、陽気遊びの人生を、人も我も偏らずに、信者未信者かたよらずに、かたきも味方もかたよらずに、潤う事。
それが甘露の道と言う事なのだ。

ありがとうございます。おやさま。
0361基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:21:11.33ID:92aNcDLS
天理教用語:お書き下げ(おかきさげ) とは?
親神様のお教えを教えて頂く「別席」は、九度運ぶと「満席」となり、「おさづけの理」を拝戴させていただきます。
「おさづけの理」を拝戴すると、病気や怪我で苦しむ人に対して、親神様に
その回復にお働きくださるよう「おさづけ」を取り次がせていただくことができ、「よふぼく」として親神様の御用にお使いいただける人材となります。
「おさづけの理」を拝戴する時、「おかきさげ」というものを頂きます。
おさしづにも

九度はこんで満席、かきさげより一つの事はいらん、かきさげだけよくこれを
一度の処二度、二度の処三度、三度の処四度、五度六度までかやせば心によくおさまる (明治三三・十・七)

と「おかきさげ」の重要性が説かれています。

「おかきさげ」は、荒書(あらがき)と細書(ほそがき)の二通からなっていて、
荒書はおさづけの理を下されるお言葉が記されてあり、細書はおさづけ人としての心得、おさとしが記されています。

もともと、おやさまご存世当時にはお言葉だけで、おさづけを頂かれた方、
また本席様が代役をつとめられるようになってからも初めの間は、お言葉だけを書いたものを頂いていた方がありますが、
明治二十三年七月十五日のおさしづから、
「仮席」でこのように「おかきさげ」を下さることとなり、後に細書も一定の書式になりました。

「おかきさげ」を下さるのは、おさづけ人が日々常にこの心を忘れぬよう座右にという親心からです。
したがって、「おかきさげ」を袋に入れたままでしまい込まずに、
「おかきさげ」を何度も何度も再読させて頂き、その事柄を守らせてもらう日々の心を定めるのです。
0362基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:27:00.56ID:92aNcDLS
そこで、
『さあ/\だん/\の席返す/\の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以って一つ席とす。
席に順序一つの理は、よく聞き分け。
席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。
生涯の理を諭すには、よく聞き分け。
難しい事は一つも言わん。
どうせこうせこれは言わん、これは言えん。
言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。』

これが冒頭です。
冒頭のお言葉から、その内容と、冒頭にあるという事実からして、「席に順序」が、第一の基本です。
「生涯の理を諭す」ですから、「一生涯」と決めることが、順序です。

神が「生涯の理」諭す「席」に「出席」して、
自分は、ちょこっと聞きかじろうかでは、すでに、順番外、順序外です。

生涯「おたすけ人」生涯「おさづけ人」、一生涯人たすけ、きめるという事、順序です。
0363基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:30:33.71ID:92aNcDLS
生涯の理を諭されたら、次の順序は、「言わん言えんの理を聞き分ける」です。

『難しい事は一つも言わん。
どうせこうせこれは言わん、これは言えん。
言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。』

神は全てを語っているわけではない。
「言わん、言えん」がある。

昔の教理に、「言われてするのは正直者、言われなくてもするのが真実誠の者」とありました。
言われたからする。
神の御命だから従います。
これは、単なる、「言われてするのは正直者」と言う事で、真心からの行動ではない。
真心からの行動、真実誠の人助けとは、「言われなくてもする」なのです。

おやさまが「ならん」と言ったけれど、それでもと、縁談をすすめた人がいる。
おやさまが、「たすからん」と言ったけれど、それでもと、たすけを願った人がいる。
それを、真実誠と、ひながたは、逸話偏にてお示しがあります。

おかきさげは、おさづけを頂くときのお言葉です。
「鮮やか」とは、「言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やか」なのです。

それは、おたすけの現場においても、「べらべらと理を語るのは、鮮やかが無い」という意味を含んでいます。
「諭してやらせたら」、それは真実誠の行いを、していただいた事にはならない。
「諭さずに、真心誠の真実を待つ」、そういう普通の態度が大切です。

内容としては「難しい事は一つも言わん。」
その、平易を、教えられています。

後の本文は、「生涯の理」「言わん言えん」の後にて、ご思案されたら宜しいと思います。
0364基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:33:09.51ID:92aNcDLS
>『 よう潤おうなら、いつ/\までと言う。片寄ると根が差さん、根が差さんと芽が差さん、とさしづして置こう。』
皆に潤沢ならば、いついつまでも守護しよう、そういう神意がありまして、それが「片寄る」と、神様のご守護が切れるという事です。

「うるおい」と言うのは「水気上げ下げの守護の理・五柱目の神様の守護」であり、
「いついつ」とは、「五つ五つ」。
五分五分であるべき人間が、偏りのある場合には、「根がささん」。この姿が、天災にて現れているのは、現在の放射能汚染事情です。

どのよふなものでもしらぬ事ばかり これをふしへる月日をもわく 8号42
月日にハたん/\しらぬ事ばかり なにもをしへてせかいたすける 8号43


こらほどにをもう月日のしんばいを せかいのものハなにもしらずに 8号44
心さい月日しんぢつうけとれば どんなたすけもみなうけやうで 8号45
とのよふなたすけとゆうもしんちつの をやがいるから月日ゆうのや 8号46

この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを 8号47
このはなしなんでこのよにくどいなら たすけ一ぢようけやうのもと 8号48

さて、人間が一番に分からなければいけないことは、人間は皆親神の子であり、一列は兄弟であり、
「皆が潤う」べきであると言う事です。
0365基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:36:29.75ID:92aNcDLS
「甘露」とはまったく逆に見える「天火火の海」。神の返し。
大震災、大津波の教理の思案を、二ちゃんねる宗教板にて、書きました。

心一つが物だねだと言う、天理の教えを、きちんと理解できることが、一番に大切なことと思案しました。

この甘露の問題に絞り込んで、投稿量そのものをへらします。

宗教板で、ぼちぼちさんと、お相手したかったけれど、規制が解除されるまで、・・といいますか、
さらに大きな天災が「来るか来ないか:、」
来るのが、数理の示すところですが、どんな事態になるのか、見守りたい。

明治20年 1887 (陰1月26日)午後2時頃、教祖現身を隠す
5X5X5=125年後 2012年
まだ記述がありません。 近未来です。
と、書きました。
今年の六月から、来年の六月までが、一番危険です。

おつとめで難が逃れられると、書きたくて、書けなかったわくですが、
おつとめに期待するしかないでしょう。

> おつとめに期待するしかないでしょう。
神楽の起源は、天岩戸。
この世が真っ暗になったとき、人は景気をつけるなんてものではなく、大酒盛りの大騒ぎ。
そういうことを書きたかったと、いう事です。
0366基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:40:04.91ID:92aNcDLS
> 「38年後は「月日より三十八年以前にて天下りたる元の因縁。」
> 「月日よりその因縁がある故に何か委細を話したいから」
> 「上たるハそれを知らずに何事も世界並やと思うているなり」
> 1875年、2月、親神は、38年という数理を示して、委細を話したいと、告げられました。
> 1875年、5月、こう。宣言されています
> 「日々に月日残念山々と積もりてあるを晴らしたいから」
> これは、お筆先八号の冒頭です。
> 「この処つとめ場所は人間を始め出したる処なるぞや」
> 「人間を始め出したるこのをやは存命でいるこれがまことや」
> これが、承知できていない事こそ、最大の残念であると、親神様は言われています。
> 「かみなりも地震大風水つきも これは月日の残念立腹」
> 「この事を今まで誰も知らんから、このたび月日先へ知らする」
> 親神様は、地震も、先に知らせておくといわれました。
> 明治24年10月31日に、濃尾平野の大地震へのおさしづの中で、親神様は、
> 「やれ恐ろしい、やれ怖わい、やれ恐ろしい。これまでに話し、刻限事情にも諭したる。」
と、刻限事情として既に諭してあると、宣言されました。
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。
このような38という数理があります。
0367基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:43:52.11ID:92aNcDLS
根本問題は、大教会制度そのものの、「不合理」です。
「天理教団」からの引用を続けます。

> 明治34年5月25日に、御本席は、本部員を残らず寄せて、
一同が打ち揃いしますと、その時には、お敷布団しかずにお座りのままでおさしづをしました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」開口一番のお言葉です。
> この明治三十四年5月から38年後といいますと、1939年、1940年です。
> おふでさき、おさしづは本部に回収となりました。
> 「天理教教典エン義」が刊行されました。戦争協力体制一色となりました。
> 月日の名前はまさに取り払われました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」
> まさに、本席おさしづをおとしめた38年後の天理教は革新の時代、国家に従うばかりでした。
> 明治34年5月25日のお言葉の中に、
> 「なかなかこれ38年以前、九月より取り掛かり、十分一つ道ようよう仮屋仮屋、仮屋は大層であった。
> 一寸ふしあった。皆退いて了た。
> 大工一人になった事思うて見よ。思うて見よ。」
> こうあります。
> 38年の後には、お前達は、本席さしづなど地におとしめてしまうとの予言から開始されたおさしづの中で、
本席は、38年以前の、元治元年勤め場所の普請の節の事情をおさしづされています。
> 「なかなかこれ38年以前」
> 「なかなか」とは、秀司、小寒の道のことです。
> 38年という数理とその後、その前をおさしづした、数理の神意は重大な意味があります。
0368基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:46:54.55ID:92aNcDLS
99年たって皆出直しという、予言があります。
99年たって皆出直しという、その99年目を、教祖が扉開いて、百年目と数えていた人たちは、
「百という時に、白紙にかえる」真柱の言う言葉の意味を理解できなかった。
それは、教祖は、定命115才で、あるべきを、25年縮めていた事に、思いが至らなかったからです。
教祖は、明治20年に扉を開かれていますが、本来は、明治で数えるなら、45年に、うつし身を隠すことでした。
つまり、今の年祭は、教祖の扉を開かれた時から数えていますが、
本来は、25年ずれている。
そこで、扉開いてから、125年を過ぎた、翌年、
126年。(正月26日も126です)に、白紙に帰る旬となるというのが、
基本が一貫して説いている、数理の悟りです。
。。。。。。。。。。。。。。。。
理の親信仰の根絶が、最重要の課題です。

おふでさき、やさしづの予言は、的中しています。
基本は、予言はした事ありませんから、あたり外れは、今の所なんともいえません。

だいたい、「見えてから説いてかかるは世界並。見えん先から説いておくぞや」。
これが、親神・中山みき様です。
天理教団の行く末もみな説かれてある。
それを解読する能力が、無いと言う事を自覚ください。
基本は、基本中の基本をご紹介したいるにすぎません。
0369基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:49:04.93ID:92aNcDLS
寛政10年 1798 4月18日、教祖(中山みき)誕生。 1880 この年、眞之亮は中山家へ移り住む
1923年9月1日 関東地震(大正関東地震。被害については関東大震災に記述) - M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人(日本災害史上最大)。
おやさまご自身の事情から、125年。
しん 真柱様の事情から43年。
ひながたです。 日本の大震災の数理として、おふでさきにしらされ、現在も進行形の事態です。


1923年9月1日 関東地震(大正関東地震。被害については関東大震災に記述) - M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人(日本災害史上最大)。
963年10月13日 択捉島沖で地震 - M 8.1、三陸沿岸で津波。
1995年 1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災)
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)。Mw9.0(日本の地震観測史上最大)。 福島第一原子力発電所事故..

これほどまできちんと、親神様はお知らせあると言うのに、天理教団は、何をしていたというのでしょうか。
0370基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:36:11.26ID:92aNcDLS
おふでさき8号です。

かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく 58
この事をいまゝでたれもしらんから このたび月日さきゑしらする 59

明治8年 1875 おふでさき第6号半ばより第11号まで執筆。
     6月29日(陰5月26日)、かんろだいのぢば定めが行われる。
     9月27日(陰8月28日)、こかん出直(39才)。
    この年、表通常門竣工し、教祖その西側の10畳の室に移る(「中南の門」)。
    「いちれつすますかんろだい」の歌と手振りを教えられる。
    また「おびやつとめ」などの手を教える
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の個人的感想でいいますと、38の数理は年数を実数で数える。
そんな風に、感じます。
0371基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:38:30.81ID:92aNcDLS
このせかい一れつみゑる月日なら
とこの事でもしらぬ事なし
51

このお筆先です。
第8号 51
このせかい一れつみゑる月日なら とこの事でもしらぬ事なし
Kono sekai ichiretsu mieru Tsukihi nara Doko no koto demo shiranu koto nashi
To Tsukihi, who can see everything in this world, nothing is unknown.
,52 月日は、世界どこからでも拝めるものであるから、世界中の事は如何な事でも知らぬという事はない。
それと同じく、親神は人間の思う事為る事をよく見定めて、善と悪とを区別する。

Doko no koto
音では、どこの事と読みます。
文字にては、「とこのこと」。

つまり、地震については「とこ」の問題が問題であるという知らせが、あると悟りとれます。
0372基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:43:34.12ID:92aNcDLS
日本の都市の多くは沖積平野にあります。これは地層の中でも一番新しい沖積層でできていて、まだよく締め固まっていません。
もっと古い、例えば恐竜時代の地層等と比べると、その固さは土鍋とその中の豆腐くらい違います。
私達はその豆腐の皮の上に街を作って住んでいるのです。
この下には、第三紀層と呼ばれる、もう少し固い地層が潜んでいます。
これも、さらにその下にある花崗岩に比べると、やはりずっと柔らかい地層です。

地震は、地球表面を覆っている花崗岩や玄武岩の岩盤の中で急激に起こる破壊現象です。
そこで生じた地震波は、まず岩盤を伝わって行きます。
・・地震波は、固いものから柔らかいものに伝わった時には振幅が大きくなります。
だから、花崗岩から第三紀層、沖積層と伝わっている間に、振幅がどんどん大きくなります。
地震波は柔らかい地層から固い地層へは伝わりにくいので、一度柔らかい地層へ入ってしまうと地震波は外へ出られずに、底や地表で跳ね返されながら走り回ります。
このため、沖積平野では揺れはなかなか収まりません。
土鍋に豆腐を入れて激しく揺すってみましょう。
たとえ鍋一杯に豆腐を敷き詰めたとしても、土鍋を揺するのをやめても豆腐はしばらく止まらず、ふわふわと動いているでしょう。
 同じ鍋でも、土鍋の代わりに中華鍋を使えば中の豆腐の揺れ方が違います。
沖積平野の揺れ方も、その底の形によって様子が違います。
私達の街がどう揺すられるかを知るためには、鍋底の形を知らなければなりません。
0373基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:46:07.05ID:92aNcDLS
第2号 40
高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか
Takayama ni hii to mizu to ga miete aru Tare ga me nimo kore ga mien ka
I can see fire and water in the high mountains. Can you not see this with your own eyes?
上に立つ人々にも親神の守護が分かりかけているのに、人々にはこれが分らんのであるか。
註 火と水は、「火と水とは一の神」と教えられているように、親神様の御守護を意味し、
又、特に親神様の絶大なお力を現実にお現し下さるを言う。火とは燈火もむ火、体温も火、火災も火である。
水とは飲用水も水、雨も水、身体の水気も水、つなみも水である。

↑ 解説は、宗教家のお仕事だが、おふでさきは、
現時点、「産業高山」「電力高山」には、「火」と「水」が、見えてあるという宣言になっている。
地震は「天日火の海→じしん」と悟るなら、
「余震」ではなく「ほんしん」を神が用意していると、いう思案は基本である。
早く、関西に製造を戻さないと、日本の製造量は、中山みきに、たたき潰されると、
それは、見えないのだろうか。

上の統治術を、急所への一撃で潰す。
この、100年単位の戦いに、眼を開いて、天理を知る事になる。
0374基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:49:08.30ID:92aNcDLS
竹中さんのコメントがありました。
誤った議論の代表は「復興税」だ 慶応大学教授・竹中平蔵

それには、復旧、復興、その後の改革を一体化し、迅速かつ切れ間なく行う必要がある。東北の農業を単に復元するのではなく、
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)対応型の強い農業にする。
街の再建では完全エコタウン・防災都市に仕上げる。
市町村合併を進めて強固な基礎自治体にし、東北の地方分権を本格化させる…。
そんな構想力と、それを実現するため、戦後の安定本部(「安本(あんぽん)」)のように縦割り行政を超えた強力な「復興安定本部」が必要だ。

政府批判の形を取っていますが、「経済高山」の本心がきちんと見えていて、大変、よく意味が分かります。

統治術そのものから、語るなら、福島県のペットボトル用キャップが全国製造の10割というような手法です。
そこを抑えておいたら、ペットボトル飲料の全生産量は自動的に把握できてしまう。
こういう手法です。
自動車関係、電機関係でもこういう手法を用いたら、小さな部品1品を独占化していれば、全てを支配してしまえる。
財閥は、大きな商社ではあるが、小さな資源、今風に言えばレアメタルは、絶対に寡占化を保持していて、競争原理を持ち込ませていない。
それを東北では、製造業として、世界の「レア部品」寡占をなしていたわけです。
「甘い露」ならぬ「永遠に甘い汁」のシステムを構築していたという事です。

それは、「高山」の誰にも気づかれぬ「横暴」。
キチガイ婆さんが、天日火の海活動で、力比べするのは、高山への神の返しです。

神の返しとは、して返せば、神の仕返しと言う意味です。

高山さんたち、相手は、人間では無いのですよ。
無謀なわがままは、神の返しにあいますよ。
0375基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:52:10.69ID:92aNcDLS
 岡山大の山中寿朗准教授(地球化学)らのグループは19日、
鹿児島湾奥の海底にレアメタル(希少金属)のアンチモンを多量に含む鉱床を確認したと発表した。
推定で国内年間販売量の約180倍に当たる約90万トンが埋蔵されている可能性があるという。
 山中准教授によると、世界で産出されるアンチモンの約8割は中国産。半導体やバッテリーの電極など、さまざまな電子部品に使われている。
 グループは2007年、鹿児島湾の海底活火山「若尊」周辺の深さ約200メートルの海底で、
熱水の噴出孔を発見。無人潜水艇や海中ロボットを使って調査を続けていた。
海底の堆積物を調べた結果、直径約1・5キロにわたり円状に鉱床があることを確認した。
 山中准教授は「日本には同様の鉱床がほかにも多く存在する可能性がある」と指摘。
今回発見した鉱床については、採掘可能な水深だが「内海なので掘削すると
海洋汚染による漁業被害が考えられ、対策が必要だ」と述べた。
0376野良天 ◆3gxC3xwhfc
垢版 |
2018/12/14(金) 19:59:37.00ID:Zdh9L+UT
基本。って修養科でてたっけ?
出てたとしての質問。
何期?
俺は566期
0377基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:59:39.13ID:92aNcDLS
第10号 104
たん/\とこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ
Dandan to kono michisuji no yotai wa Mina waga koto to omote shiyan se
Take each course of this path as your own matter and ponder.

容態・ようだい。
おやさまが高山の「上」に、神の自由を見せて、親神を信頼しもたれるようになる、道筋の容態は、
それを、わが事と思い思案するようにと、↑ 知らされてある。
高山対親神の問題は、わが事なのだ。

自然エネルギーの普及阻む勢力と戦う孫正義氏 この問題を、見る場合も同じである。

米国に踊らされた日本政府は国策として原子力発電を進めてきた。
これほどの大事故を招いていながらその姿勢を変える気配はない。
 「自民党は電気事業連合会の言いなり、民主党は電力総連に骨抜き。メディアは電力会社から広告漬け。
(そうしたなか)自然エネルギー計画をどう着地させるのか?」、ジャーナリストの上杉隆氏が質問した。
 孫氏は「原発は国民の一番の関心事。啓蒙してゆくこと。これが王道」と答えた。
 心配症の筆者は、原発に反対していた佐藤栄佐久・前福島県知事に孫氏が重なる。
佐藤前知事の逮捕容疑は収賄だが、佐藤氏自身「原発反対も逮捕理由のひとつ」(18日、日本外国特派員協会)と捉えているのである。
 政権はあらゆる規制を駆使して自然エネルギーの普及を妨害してくるだろう。マスコミは孫氏を絡めてネガティブキャンペーンを張ってくるだろう。
 筆者は上記(「佐藤前知事」「政権による妨害」「マスコミのネガキャン」)を説明したうえで孫氏に「具体的に対抗策を考えているのか?」と聞いた。

 孫氏は「損害を被ることもあるが、それでも正義を通さなければならない時がある」と決意を示した。
0378野良天 ◆3gxC3xwhfc
垢版 |
2018/12/14(金) 20:00:11.37ID:ixSz1pot
基本。って修養科でてたっけ?
出てたとしての質問。
何期?
俺は566期
0379神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:01:29.70ID:yPxzFxkj
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0380神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:01:52.17ID:yPxzFxkj
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0381神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:01:59.09ID:MuiatZ5x
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0382神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:02:55.18ID:MuiatZ5x
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0383基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 20:06:48.47ID:92aNcDLS
エネルギー問題に首っぴきで取り組んだ結果、
「今、日本人を不幸にしているのが原発問題」、「批判ばかりしていてもしょうがない」として「自然エネルギー財団」を立ち上げることを決めた。
アメリカでは昨年から太陽光による発電コストが原子力発電を下回るようになった。
孫氏は世界中の科学者100人を集めて太陽光発電を中心に自然エネルギーの普及を目指す。
・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、東電が行ってきた事を、学者を大量動員して「原発」に向けてきた事を、
「太陽光発電」に向けて、同じ事をしようとしているに過ぎない。

「学者の動員」それは、「高山の特権」そのものであり、一列隔てなく、
「太陽光」に、絞り込まず、自由な研究を学者に保証しなされていない点で、何一つ変わっていない「高山体質」が見えてしまう。
誰の心にもある、間違いと言う事だ。

高山の統治術には、情報操作は、圧倒的な武器になっている。
デジタル大辞泉の解説.によれば、コマーシャリズム 【commercialism】とは、
商業主義。営利主義。「―に踊らされる消費者」
・・
政財官の高山が、「財。経済界高山」のCMを、「マスコミ高山」にて垂れ流していて、
原発推進は、まさにコマーシャリズムそのものだから、
「営利の為の原発推進」は、止めたくない「高山」の事情となっている。

核は、人間が扱うには厄介なものであり、原子爆弾と言う登場の仕方のように「核」は、高山にとっては「武器」でもある。
それを、永続的に支配することは「高山」の欲高慢にとって、魅力的。
だから、統治術の全てを用いて、原発の推進再開への道筋を、高山は空けようとする。

「上と神」。
真の支配者は、どちらなのであろうか。
0384基本。
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2018/12/14(金) 20:15:05.63ID:92aNcDLS
ここで、しんばしらは、全おふでさき中、二首です。

せかいぢうむねのうちよりしんばしら
神のせきこみはやくみせたい
第3号 51

このたびハうちをふさめるしんばしら
はやくいれたい水をすまして
第3号 56

世界中、と、このたびはの内。
二首あるという事です。

さて、肉体的欠陥は、それを劣のと、唱える事は、精神のみの存在としての「自己」に、
自覚が至っていないからである。

神の貸し物だから、「欠陥が無いはずだ」とは、天理を侮っている。
そんな自分の都合優先の「神」しかイメージできないことが、「精神の未熟」を物語っている。

どんな借物をお借りしていても、それを用いるのは人間である。
そこに、研摩が大切で、使い道を間違えないことだ。
0385神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:28:57.88ID:MuiatZ5x
>>340
えらい
には
しんどい
という意味もあるんやで。
0386基本。
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2018/12/14(金) 20:45:15.66ID:92aNcDLS
刻限御話
明治二十一年九月七日(陰暦八月二日)午後四時四十五分
さあ/\/\余の儀外の儀やないで/\/\。
さあ/\一廉一つの事情改める/\。さあ/\一つ事情改める。
さあ/\しっかり聞き分け/\。
日限の刻限改める。すっきり改め、日々の処改め。
どういう事改める。これまでの処、日々取次の処、扱って早く聞き分け/\。
日々一つの事情取次処へ、何かの処すうきり改める。
日限の事情、これまで日々の取扱い深きの処、繋ぎ合い深きの事情、さあ/\尋ね一条から又聞かそ。
すっきり改めるからすっきり改め。
日々出替わり遠くの所受け取りてある。
知らして居る者もある。互い/\契り結んだ理を立て、契り結んだ理を立てゝ、これまでの処何人も居る。
一人の理では何ぼの人にも成りたないと、これよりも言う者はこうで成りた、俺はこうやとこれまでの処分かり難くうてどうもならなんだ。
これから幾名何人ある/\、めん/\の処、何名々々事情によりて一時も放って置けんと/\。
めん/\それ相応に/\めん/\に幾名何人あると、これより話聞いてあると。
話一条一つの理、事情というは、又一つには方角の許しも、又縁談一つ事情処も言うまでやない。
取次に委せてある。
これまでにも委せてある処、又一つだん/\誠の心の理という処、たすけ一条の理も渡さにゃならんという処、先ず/\それより一つ先ず/\伺い一条には、尋常に秘そかに/\、一日の日にも渡す日もある。
何年経ちても一日の日ともいう。
分からん処は何遍も/\取次より聞かし、これまでとなら尋ね一条にもころりと変わる。
成るだけ秘そか/\。たすけ一条の理は一名一人とこれ聞いて、速やかな理を治めてくれるようと。深きの事情という、先に説いてある。
世界一つたすけ一条の処、日々処による/\。
0387基本。
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2018/12/14(金) 20:48:53.65ID:92aNcDLS
> 一命一人
お指図では、一名一人と、文字が当てられています。
基本は「一命一人」と文字を当てて、みました。

> たすけ一条の理は一名一人とこれ聞いて、速やかな理を治めてくれるようと。
> 深きの事情という、先に説いてある。
> 世界一つたすけ一条の処、日々処による/\。

教団組織とは、「一名一人」「一命一人」というたすけ一条の天理には、無用とみなされます。
その、刻限が、引用紹介しましたお指図です。」

> 教会が嫌でたまらなかった。神実様が御本部から附下された
ものでなく大教会に転がっていたなんて、愕然としました。
↑ 全ての大教会でこのような事をしているどうかは、疑問ですが、貴兄の所ではそうであったと、。。
残念です。

おやさまは、きちんとたすけてくださいます。
教団と言うものは、亡霊に過ぎない。
一人。
それが、おやさまのお示しになった「神一条」です。

第1号 50
このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事

おやさまは、組織論なぞ語ってはおられない。
「一名一人」、「わが事」の問題として、「神一条」は語られている。
0388基本。
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2018/12/14(金) 21:29:02.92ID:92aNcDLS
先日、全くの初見のご婦人に、その方が原因不明の低体温症で、長年悩まれているということで、
私、その病気の事は、治るように神様に頼んであげますから、カラオケ楽しみましょうと、
そんな話をしました。
一昨日、その日以来初めてそのご婦人にお目にかかったとき、良くなっていました。
病たすけで、信者増やす時代は終わりました。
組織のための時代は、終焉し、
それは、刻限に知らされていたわけです。

『互い/\契り結んだ理を立て、契り結んだ理を立てゝ、これまでの処何人も居る。
一人の理では何ぼの人にも成りたないと、これよりも言う者はこうで成りた、俺はこうやとこれまでの処分かり難くうてどうもならなんだ。』
理の親信仰の当時が、きちんと、語られていて、厳しく批判されていますね。

「互い互い結んだ理」というのが、「理の親分」「利の子分」、「上級、部下」という関係を示しています。
そんなものを、自慢しあって、俺はこうだとか、分かりにくい当時の姿。

この話は、「みなわが事」というすっきりしたものです。
0389基本。
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2018/12/14(金) 21:32:14.06ID:92aNcDLS
おやさまは、震災の予言をしたのではなく、助かり方を教えたのだ。

【原発】非常用冷却装置が津波前に停止していた
テレビ朝日 - ‎5 分前‎
東京電力は福島第一原発の事故直後のデータを公表し、1号機の非常用冷却装置が津波の到達前に停止していたことが分かりました。
運転員が止めた可能性があります。
データによると、地震直後の午後2時52分、原子炉が緊急停止した1号機で、非常用の冷却装置が正常に自動で ...
・・・・・・・・・・・・・・・・
東電の情報操作、がんばってるなー。

中日新聞はこう書いている。
【社会】 本震直後に非常用復水器3時間停止 福島1号機
2011年5月17日 02時00分
 福島第1原発事故で東京電力は16日、非常時に原子炉を冷やす1号機の非常用復水器が、
本震直後から3時間にわたり止まっていたとの調査結果を公表した。
東電はマニュアルに従って止めた可能性を強調するが、津波ではなく、地震の衝撃による不具合だった可能性がある。
1号機は後に炉内の温度が上がり、炉心溶融を起こしている。

パルスにやられていたとなると、安全基準は全て白紙だから、手動でとめたと、言い張るのだろうが、
もう遅いのだ。
天理は、みんな知ってしまっているのだから。

炉内圧力が急激に低下
それは、パルスで穴が開いたのだと、誰でもわかる。
0390基本。
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2018/12/14(金) 21:35:18.70ID:92aNcDLS
天災がなかったら、原子力で統治された奴隷国家が完璧に出来ていたでしょうね。
この社会、立て直します。
中山みき母が、全責任を持って、「大社高山とりはらい」します。

さて、スレの主題の戻ります。
甘露とは、この世泥海の世間世界に流されず、係わり合いを最小限にするための、
親神の用意した、もの。

この社会立て直すためには、必需品でした。

自動車部品、共通化へ 震災で供給網寸断、経産省が検討

東日本大震災で寸断された自動車部品の供給網を強化しようと、経済産業省が部品の共通化の検討に入った。
6月中旬に自動車や素材のメーカーと方針を確認し、対象となる部品を選ぶ。
独自性にこだわってきた自動車づくりが、震災を機に変わる可能性がある。

高山は、甘い汁を求める。
0391基本。
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2018/12/14(金) 21:38:42.39ID:92aNcDLS
本席身上御障りに付願
明治二十二年七月三十一日(陰暦七月四日)午前六時十七分
さあ/\/\/\、どういう事を言い掛ける。何にも分かろうまい/\。
世界の道理事情の処、神の道は分かり難くい/\といえども、世界の道理上の処、一寸分かるやろう/\。
神一条の道は大変であろう。
長らえての道の処、分かり難くいといえども、なれど世界の道理上から思やんすれば、分からんであろうまい。
どんな事を定めるのも、神一条の道を以て定める。
どうもならんから世上道理上の道、一寸通してあるのやで。神一条の道をどうでも聞き分けにゃならん。
長らえての道の処分かり難くい。よう聞き分けてくれ/\。どんな事も、さあ世界ありながらどんならん。
余儀無きの道でないで/\。よう聞き分けてくれ/\。
さあ/\世界の道は何処でも付けられる。
世界の道を以てあちらにもこちらにも本部や、偽の本部やと言うて居る理聞かしたい。
どんな事でも聞かしてある。
一日も早く理を見せたい。
鏡やしきの理を失う、失う。
さあ/\理を失う処、急がしい事情知らずして、年が明けたら、お陰や/\。
国会が開ける。
何にも分からず、開けたらと言うて居る。
急がしい事はその日来にゃ分からん。
一寸事情ありて治めて居る。
日々は通れる。早く聞かねばどうもならん。
よう聞いて置かねばならん。元一つ鏡というは、内から言うのやあろうまい。
世界から神の理を見て鏡やしきと言うのや。
鏡というは何処から何処まで分かるが鏡やしき。
0392基本。
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2018/12/14(金) 21:41:27.42ID:92aNcDLS
天理教会一派独立の件に付伺
明治二十五年十二月二十日
さあ/\尋ねる事情/\、順々と言えば、後々ともいう。
順々の道と言うて、これまで長らくの間、長い日柄、又一つ事情にては第一事情、これまで諭したるは千日の事情と諭したる。
どうか一寸千日、もう事情治まり、又一つ事情、又事情これより始める、始まる。
どうでも一時話通り、よく/\事情、古き道夜々刻限事情、だん/\事情諭したる。
日限という。
もう一段一つ一時世界だん/\の理を諭したる。
事情一時触れ流し出したる処、見るよう聞くようの理が始まる。
しっかり改め。
一時道の事情何時なりと言うて、これまで話通り事情ある。
又一つ一寸事情ある。
立て合いの理、世界一時の道、事情ある。立
て合い世界始まり掛けたる道、順序の道、事情第一順序は世界、誠一つ、天の理、これ思やん。
これ諭し置く。又一時後々の道、今一時世界早くという。今順序互い世界という。
危なきような道ある。
又、思やんもせにゃならん。
又出て行く、出て来る事情ある。
表の道独り立って来る。
事情ある、出る。
尋ね掛けたら、元ある元が分かる。
一時一つの道のため、成る成らん事情、放って置いても出て来る、立って来る。
一時に開く、一時に成る。これ諭したる。
さあ/\急いで万事何か運び掛け。
さあ/\許し置こう/\。
0393基本。
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2018/12/14(金) 21:52:59.77ID:92aNcDLS
表の道独り立って来る。

本席の身上御障り願 明治二十四年五月十六日 午前九時
さあ/\続いて話し掛けたる事がある。
どういう事を話し、これまで聞いたる事や。
聞いてあっても刻限に外れるやない。
皆遅れるのや。第一の理を話したる。刻限の理に話したる事は外れるやない、遅れるのや。
第一事情皆ほのかの理になる。
刻限の話めん/\の思いに忘れる。
そこで遅れてどうもならん。
今の処は二つある。一つの道は表の道、一つの道は心の道や。
表の道一寸の道や。心の道は違わしてどんならん。
分からんから皆見許してある事を、どんな事であったやらなあ。見許してあるから、遅れてどんならん。
胸の道あればこそ、これまで通り出来てある。これをよう聞いて置かねばならん。
世界道というものは、とんと頼りにならん。しっかりしたようで、ふわ/\してある。
世界の道に力を入れると胸の道を薄くなる。
ほんの分からぬ世界の道に力入れては何もならん。
そこで、皆んな戻りたら、この理を皆聞かして置かねばならん。世界の道に心を寄せたらどうもならん。
胸の道は神の道やで。一つに心を寄せて置かねばならん。

これまで刻限話と言えば、何や流行歌のように思うて、あちらへこちらへ言うたぶに、これまで刻限話というたら、何やいなあと、言うて了うてある。
つい月日が経てば忘れて、何やいなあ/\と言うて了うてある。
それではどんならんで。これ胸の道が第一やで。
しっかり聞いて置かねばならん。大事の刻限の道やで。
0394基本。
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2018/12/14(金) 21:55:26.30ID:92aNcDLS
遅れるという事は、「実現が遅れる」と、そのように解釈されてきた。
しかし、それは、実行が遅れるという意味にもなる。
良く読み直してみると分かるのは、
「第一の理を話したる」
「刻限の理に話したる事は外れるやない、遅れるのや。」と、
「第一の理」と「刻限の理」とふたつ、ある事が分かる。

本席身上おさしづ
明治二十一年六月五日(陰暦四月二十六日)
さあ/\/\いかなる処/\、身上いかなる処、尋ねる。知らす。身上一つ身上ある。いかなる処、さあ/\早く止め、
神一時、一つ話、これに先々に毎夜この道下がり、さあ/\どんな話も仕掛けてある。
一寸今一時尋ね出す。早く通し、まあ一寸始め掛ける。どんな道を始め分からん。
まあ/\それより成る成らん。これまで一寸話伝え、夜々出て話、
一つ話、あっちこっちの理を見遁がし、今一時世界理多く十分早く世界事情運ぶ、
分からん、上下とも理分からん、いつまで言うではない。
いずれ一つだん/\日柄刻限移るなら、道の通り連れて通らねばならん。
又々所々変わる処、実の処、早く求めよ。いかなる道も分かるであろう。やれ/\と言う日もあろう。
一つ心早く一つ運ばねばならん。
0395基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:00:27.32ID:leafH98I
お筆先二号は、かんろたいについての理を知らせています。

めつらしい このよはじめのかんろたい これがにほんのをさまりとなる 39

甘露を頂く台であるから「甘露台」です。一般的な理解は、↓「はてな」に要約されています。

『天理教において、教義における人類誕生の地と主張されている場所「おぢば」にある置物。
「かんろだい」とも書く。本部神殿にある。
本来は石製で作られるものであり、明治初期に製造が開始されたものの、
途中で石工が逃げ出して製造は中止状態になり、
のち未完成の石製かんろだいは警察に押収され所在等の詳細は現在も不明。
現在はレプリカ的ものが木製で作られ、置かれているに過ぎない。
救済が行われた際に天から甘い雫が落ちてくると教えられている』

先ず、「レプリカ」だという事は、理として間違いである。
「ひながた甘露台」と呼ばれているように、「ひながた」であり、ひながたとは、理として重いものである。

問題は「霊力」であるが、43年前の数理にて確かめたように、
大工の伊蔵の制作した「模型」も、歴代真柱の「木製ひながた」も、いずれも「43年後の震災」にきちんとリンクしていて、
「ぢばのしん」→「じしん」と、きちんと理は実現してある。

問題は「石」であるか否かに、その本質は無いと言う事にある。
0396基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:03:06.83ID:leafH98I
天理教から独立した教団「ほんみち」の代表職の名称。」として、「人間甘露台」について語られている。

甘露を頂くのは、人間なのだから、「地場」という地面ではなく人間が甘露台なのだという説なのだが、それは、「おやさま・中山みき」お一人であり、おやさまから、甘露は分けて頂くものである。
そして、「地場」というものは、単なる地面では無い。
この一点を、信じるか否かで、「甘露」は頂け無い事にもなる。

つまり、甘露と言うご利益は、「地場を聖地」と信じるという信者以外には、意味を持たないと、そういう事は自明です。

神楽つとめという、つとめは「地場限り」です。それが天理です。

すると、地場以外でお勤めしていた「山名」、それを意図していた「河原町」は、「甘露」を頂く資格は無いのが、天理です。
では、そういう場合には、神様は「水」・・「甘露では無い・水」を、水のさづけとして渡されていたと、そういうことになります。
0397基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:11:46.71ID:leafH98I
水のさづけについて、説明を見ましょう。

この「水のさづけ」を戴かれた小兒ろく女は、前記の如く生後十ヶ月目になる嬰兒である。
この「水のおさづけ」を戴いた日、宿へ歸ると、同行者の一人であった小栗市十氏が、きびしいお障りでおさづけを頂き度いと願つた時、ろく女が座つて手を拍つてお授けを渡した。
この時には同行の人々の何れも不思議だと云つて驚いた。

こんなエピソードがある。
ある先生(すでに出直されている)から直接聞いた。

ボク(先生)が若いころ、修養科に入ったんだが。
同期の修養科生で、精神的にかなり問題のある女性がいたんだ。
おかしいのなんのって、そうとうなモンだった。
修養科で御守護戴こうってことなんだが、よくなりゃしない。
補導員(教養掛)がほとほと困って、ついに、おろくさんにおさづけのお願いをする決心をした。
なんたって、直々の水のさづけだからね、畏れ多くて、お願いなんて滅多にできるモンじゃない。

ボクは思った。
「いくら水のさづけ、ったって、あんなワガママなばあさん(ろくさん)のおさづけなんか効くワケがない」ってね。

その女性がおろくさんの座っている別間へ入って、出てきた時にはマトモになってた。
気の間違いなんて、これっぽっちもなくなってた。
それっきり、普通の人になっちまったんだ。

これにはたまげた。
そんな馬鹿な、と思った。
ビックリした。

ボクはね、決めた。
修養科終わって、そのまま東京に、単独布教へと出たんだよ。
0398基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:14:55.59ID:leafH98I
ひながた時代には、「飯田岩次郎」、そしてお指図時代には、「諸井ろく」に小児水のさづけ。
お指図時代には「東・水のさづけ」が、あります。

飯田家は、お屋敷とは別に宗教家業をしていた飯田善六さん。
諸井家は、天輪講教会で、偽神楽つとめしていた諸井国三郎さん。
東は、東京の信者は全て東の縄張りだと、「東京本部」きどりに、上原佐助さん。

甘露には似合っていませんが、「水のさずけ」なら、お渡しくださるおやさま。
「何も見ずに」渡すおさずけでした。

水の授けの効能に衝撃を受けて、単独布教に出るのなら、それは「宗教家業」にまい進するという事です。
おやさまは、「人間は働く為にこの世に生まれた」と教えられています。
通常は「働く」とは「労働」と理解されがちですが、「労働者」という意味ではなく、「自営業」という意味においてのもので、
「資本家であり労働者である」という、自立自営が原則になります。

それは、宗教と言う世界に霊能を求めるだけではなく、農業においての「肥えの授け」のように、
経済行為そのものへの「特別な守護」を意味しています。
0399基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:18:02.02ID:leafH98I
教祖伝の逸話編の13に、「種を撒く」というお話がある。

摂津国安立村に、「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。
二人の間には、次々と子供が出来た。もう、これぐらいで結構と思っていると、
慶応元年、また子供が生まれることになった。
それで、タツは、大和国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。
しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。
すると、教祖は、「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。」と、仰せになった。
タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、尋ねた。すると、教祖は、
「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と、お教えになった。

とあります。
0400基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:23:28.04ID:leafH98I
イエスキリストは、種まきについてこう教えられています。
「マルコによる福音書」 

0403> 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 0404> まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
0405> ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 0406> 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
0407> ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。 
0408> ほかの種はよい地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
0409> そして言われた、「きく耳のある者は聞くがよい」。

イエスキリストは、言われました。 0414> 種まきは御言をまくのである。
おやさまは、言われています。
「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と。

御神楽歌では、「肥えの授け」が歌われています。

「種をまく」→「肥を置く」→「修理丹精」→「作りとる(収穫)」と,示された順序を、
教会組織上に理解して、
「効能を結ぶ」「講を結ぶ」が、本来の信心の講を、拡大解釈して「教団」の大組織化に向かったのは、人間の悪因縁、宗教高山「大社」思想でした。
0401基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:26:23.28ID:leafH98I
甘露の教理は、遊山の教理であり、豊年の教理。

自分だけが甘露を食するわけにはいかないので、
ひたすらに、投稿し続けましたが、もう、そろそろ甘露信仰の結実を、これも研究しなくてはならないわけです。

原発問題は、目覚めてしまった方々と、高山の唐人とのせめぎあいが続く。
そして、おやさまが、味方して、「にほんの者」が勝ちます。

それには「効能」。
「効能」を結びましょう。

「出直して甘露で育つ赤子になるん?」「それなら早くもどっておいで」
と、お見通しの言、有り難く思います。
この世を陽気に普請するには、甘露で澄ますしかない。

「一列澄ます甘露台」なのか「一列澄まして甘露台」なのか。
「月日より一度ゆうた事」は、何時になりても変わることなしが天理ですから、「一列澄ます」が、普遍の真理です。
模様替えと言う言葉が、その変更について、用いられますが、
甘露台で一列澄ますと言う事は、「甘露」で澄ますという事に他なりませんから、
世間的な言葉で言う「太陽政策」、北風さんでではなく、温かさとやさしさと言うもので、心を澄ますという意味になります。

現実に今のお勤めは「一列澄まして」ですが、
実は「一列澄ます甘露だ」なのだという、原点が、地中の根であると言う事になります。
0402基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:29:27.39ID:leafH98I
甘露と言う視点でみますと、原発は「沈まない太陽」であり「人工甘露」の一種とみなして良いでしょう。

セシウムの除去について、研究が発表になったというニュースがありました。
汚染水の放射性物質除去、金沢大教授が処理剤開発 

・国や東電には処理剤を開発したことを報告しており、被災地からの関心は高い。
福島県のある自治体からは、放射性物質で汚染された土壌の除染を依頼された。
↑ 問題点は二つある。
ひとつは、吸着されても、「処を変えただけ」という1点。
もうひとつは、天然のものではなく「合成物質」である事。の、2点。
吸着した結果として「放射線を浴び続けた後」について、長期間の後に来る問題の研究は、まだ何も出来ていない。

おやさまの「水晶」の一言を、基本的には採用したいと言う事になる。


 また、東京都議からは、
下水処理施設から出た汚泥に残る放射性物質を処理出来ないか相談を受け、現在、研究を進めている。
0403基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:33:06.26ID:leafH98I
真之亮よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願

明治二十年十月二十六日
さあ/\いかなる処、どうせこうせは言わん。
時談々々、時談はすうきり要らん/\/\/\で。
心次第の道を知らんか。
どんな者でも、道に譬えて一つ事を聞き分け。
さあ/\一分一厘の理を、よう聞き分け。

最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。
神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。
今の楽しみ、先の細道。
今の細道、先の楽しみ。先の道を見て居るがよい。

どういう道や、よう聞き分け。

五人七人十人はどういう心、いかなる定め、十分定め。
成程という理であろう。よう聞き分け。
難学やで。
人間心要らん/\。
神一条でさい取り決まられん今の道や。

自由自在だん/\説き聞く/\。
内にもある、外にもある。

いかなる理と思うか。
どんな思やん幾重々々、一つの実を定め。
一人でも何人でも同じ事。

こうしたらよかろうか、何にも要らん/\で。
一人は一人の心定め、百人千人万人でも同じ事やで。
0404基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:36:12.13ID:leafH98I
>>402
結局は、ゴミの処理が、成果の結果の後始末が問題と言う事です。
本物の甘露。
おやさまからしか、与えられない、ものです。

初代真柱様は、「研究」について、お指図を伺っています。
親神さまが、「十月二十六日」「研究の吉祥の日」に仰せられたのは、「心しだいの道を知らんか」という、基本です。

それは、「最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。」という、言葉で、説明されていました。

「神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。」と、補足の説明もされておられます。
つまり、元一日の日から、神様は「一つの与え」をお渡し下さってある。
それは、守護の道具としての与え。

基本教理に言う、「甘露は既に降りている」という事は、
この、「与えを渡してある」という親の宣言に基づくものです。
0405基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:40:08.89ID:leafH98I
乳呑児に、乳を含ませて下さるおやさまです。
私たち赤子に、乳を含ませて下さるのは当然としまして、生まれた赤子に、最初から「与え」はお渡し下されてある。
それは、「道具」、陽気遊山の道具としての、特性であることは、こふき話にある、比ゆの通りです。
「ふぐは毒があるゆえに」、「切る神」となり、「カレイはその身薄いゆえに」、「風の神」なった。
そういう、個性が、心通りにきちんと、発揮されること。
その研究が、基本とならねばならない。
つまれ、甘露の研究とは、今与えて頂いてある、「与え」そのものに対する研究でなくばならないと言う事です。

基本は、おやさまが、すっきりいらんと言われている「時談」としてではなく、天災の教理を語り、
そして、おやさまが、論はいらんと言われている「論」ではなく、「掃除」として、山名系批判をして来ました。
それは、天理教団を「たちもの」とみなしてのものでした。
「たてもの」ではなく、「たちもの」。
門の内にたちし、たちものは、早く急いで取り払いせよと、おやさまは言われている。
もう、理の親・教団組織は、取り払って、あたらしく「たてもの」を普請しなければならない旬だと言う事です。

「たちもの」、門の内のたちものとは、山名系教理、愛町系、言うなら「教内異端」。

これは、おやさまの与えが、全ての人に平等に渡されていると言う、あたりまえの天理の基本を無視したものでした。
高潔な人格や、完成された人間にのみ「天の与え」があると言う、
妄説は、愛町の関根先生は「魂の徳」ある、特別な方だと言う、プロパガンダを撒き散らしました。
山名系の教義のといた理の親信仰と、同根の、「たちもの」。
その自覚のない、ふがいない天理教団は、もう掃除ですから、速く急いで説いて説きました。

時談では無い、道具の自覚。
天の与えの自覚。
それなくして、研究はありえないことだと、お指図は示しています。
0406基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:43:15.85ID:leafH98I
3号 77才老女 明治7戌年1月ヨリ 

このたびハもんのうちよりたちものを
はやくいそいでとりはらいせよ (3-1)

すきやかにそふぢしたてた事ならば
なハむねいそぎたのみいるそや (3-2)

しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ
神一ぢよで心いさむる (3-3)

だん/\とせかいの心いさむなら
これがにほんのをさまりとなる (3-4)

いまゝでハなによの事もハかりない
これからみゑるふしぎあいづが (3-5)

こんものにむりにこいとハゆうでなし
つきくるならばいつまでもよし (3-6)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「たちもの」とは、明治七年のおやさま77才の時に、取り払えとおおせられた、掃除の対象が、ひながたにある。
0407基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:40:22.48ID:leafH98I
それは、「しんの柱を入れたい」と言う「神意の発動」でした。
だん/\とをふくよせたるこのたちき
よふほくになるものハないぞや (3-49)

いかなきもをふくよせてハあるけれど
いがみかゞみハこれわかなハん (3-50)

せかいぢうむねのうちよりしんばしら
神のせきこみはやくみせたい (3-51)

せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ (3-52)

これからハ神がをもていあらわれて
山いかゝりてそふちするぞや (3-53)

いちれつに神がそうちをするならば
心いさんてよふきつくめや (3-54)

なにもかも神がひきうけするからハ
どんな事でもぢうよぢさを (3-55)

このたびハうちをふさめるしんばしら
はやくいれたい水をすまして (3-56)
0408基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:44:26.58ID:leafH98I
それは「真の柱」とは「甘露台」であり、「真柱」であると理解されていますが、
おやさまを親神として認めていない、「たちもの」の存在こそ、「この世のしん」が分からない、「教内異端」でした。

これまでハいかなはなしをといたとて
ひがきたらんでみへてないぞや (3-62)

これからわもふせへつうがきたるから
ゆへばそのまゝみへてくるぞや (3-63)

しかときけ三六二五のくれやいに
むねのそふぢを神がするぞや (3-64)

しやんせよなんぼすんだる水やとて
とろをいれたらにごる事なり (3-65)

にごり水はやくすまさん事にてわ
しんのはしらのいれよふがない (3-66)


濁りの水とは、「宗教家業」異端信仰であり、当時で言えば、有力者たちの信心のありさまで、
3625の数理によって、異端は、異端であると発現する、そして掃除となると言うひながたでした。
0409基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:47:19.79ID:leafH98I
旬の到来と言う事について、一つの誤解があるように思います。
旬とは、「旬のもの」と言う表現が示すように、
「陽気遊山」の旬の到来と言うのが、本来の「立教の旬」の意味となります。
年数が到来したと言う、時期の問題とだけ思案するのは、誤解と、言えるでしょう。

それは、心澄ましてみれば、見える世界なのですが、濁りの水にあっては、見えることの無い世界となります。

おやさまが、神がかりから立教したことは、「旬」の到来であり、それは、陽気遊山できる条件は満ちていると言う事。

けれど、陽気に暮らせる条件はいくら整っていても、人の心がそれを、陽気に活用するのではなく、
欲一条に、あるいは泥水混じりにしてしまえば、それは、陽気の要因が打ち消されてしまいます。
その、陽気に暮らせるための、天然資源を、寡占独占する高山の、
その欲のための横暴は、目に余るものがあると、おふでさき三号は厳しく指摘しています。

人のものかりたるならばりかいるで
はやくへんさいれゑをゆうなり (3-28)

資源は、人が、陽気に暮らすための「人のもの」です。
技術も学問も、みんな「人のもの」。
その人のものを、高山はわがままにして、独占専横している。
その一例は、寡占の水利権、電波の使用権、鉱山の採掘権などなど。
それは、谷底の人々を債務奴隷に陥れて、宗教思想と政治軍事の権力にて支配すると言う、この世の泥海を生んでいます。

債務奴隷からの開放は、全資源の人類への解放を伴うものでなければならない。
0410基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:50:40.40ID:leafH98I
> 人のもの借りたるならばりがいるで はやくへんさいれいをいうなり 三号二八
このおやさまのお筆先は、「人がものを借りたなら、利息もいるし、
はやく返済して例を言うがよい。」(芹沢茂・おふでさき通訳)と、解釈されています。
さらに「(二八)に賃借のたとえをもって、お話下された真意は、・・貸物借物の教理を暗示している。」(芹沢茂・おふでさき通訳)と、
このような解釈まで生んで、借りたら、利がいるから、お供えをしなさいという横暴教理として信者に強要している宗教もあるようです。
これは、大きな間違いで、宗教の因縁と言うものの自覚の無い姿です。

人を債務奴隷とみなす、借りたものの恩を返せと言う、お供え信仰は、「異端」の姿。
門の内の「たちもの」として、きちんと、その心得違いがおふでさきにも、現実の姿にも、現れています。
0411基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:54:04.77ID:leafH98I
『12世紀になると、各地からの律令税の徴収や年貢米の都への輸送に不可欠な
商業・輸送ルートを掌握していた神人(じにん)・供御人(くごにん)が請け負うようになった。
彼らは、公家や社寺に奉仕者として仕えることが認められた特権的武士であり、
天皇や神仏の権威により日本中を自由かつ安全に行き来することができた。』

以前に「ザ掲示番」に、投稿しておいた事は、債務奴隷のルーツの問題でした。
現代社会は、資源のなかでも、特に「エネルギー資源」は、大社高山の独占寡占の下にある。
農業資源の支配においても、様々な悪行がある。
それを、悪事を除けるのは、親神の仕事としても、その悪事に加担するのでは、陽気くらしどころではないのに、
天理教団は、山名系を指導者に、戦争協力を積極的に行って、布教に利と使用とした。
いまだ反省の言葉も無い。

そして、真柱の理を、一番に軽く扱ってきた。
まさに、「たちもの」は、天理教団そのものであるという惨状でした。

真柱が、「しん」でないのなら、「地場」が「ぢば」でないのなら、
それで陽気くらしは、出来るべくもない。
世界は、陽気にならない。

天理教団は、生まれ変わるしかない。
126の旬が、今まさに、訪れようとしています。
0412基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:02:56.16ID:leafH98I
さて、おやさまがいるということは、「陽気暮らしができる」という、絶対に狂わない真実です。
そして、予言があると言う事は、「おやさまがおられるのですから」、予言は実現するという、絶対に狂わない天理です。

傍陽気さんは、どうして迷われたのでしょうか。
そして迷いながらも、教団批判においては、他の投稿などで、舌鋒鋭く語っておられた。

この矛盾は、後に「山名」と自ら名乗って、基本の説く基本教理の批判・観察と言う行為に連なりました。

おやさまの予言があると言う事は、必ずそうなるのだと言う、天理の当たり前が何で見えなくなるのでしょう。
それは、「祝う心」が無いからです。
おやさまは。「祝ってくだされ」と言われた。家こぼち。
貧に落ちきることを祝う心。
「祝ってくだされ」と、頼まれながら、それをともに祝えない。
この、自らの貧乏を楽しめないのは、「予言」を信じきっていない、正味のていたらくでした。
0413基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:09:23.21ID:leafH98I
予言は実現すると言う、当たり前は、間近には東北大震災にて、
震災の数理で神様はきちんとお見せになりました。

それは、人間は陽気遊山できると言う、予言も必ずそうなると言うことを示す一例にすぎません。
そして、おやさまの予言は、「かんろだい」と「真柱」というしんを、基点としての数理でした。
世界は、おやさまのお働きで、ろくぢになります。
その時私たちは、まさか、宗教家業なんて、してますか?
それは、おやさまが、在世中に、一度も許さなかった事。

天理教中山みき派なら、誰でもわかることです。
0414基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:12:33.41ID:leafH98I
それならば、天理教会は必要ないのかと言う事になりますが、天理教会神一条は、扉開かれたおやさまが、
「応法」としてお許しのものですから、天理教会は必要です。
人間の因縁上も必要な天理教会であり、どうでも信心すると言う者にとっては、
講として、理の親支配制度の無い、素朴な信心の場となる教会は、なくばならないものと、それが基本です。

「お屋敷」には「おやさま」「真柱さま」がおられるのだから、国々に「国のしんはしら」がいるという、信心がある事は宜しいことです。

おふでさき第三号は、「門の内のたちもの」の掃除と、「しんの柱をいれる」と言う事と、
「大社高山に対しての掃除」と、そしてそれは、「3625の胸の掃除」と、
つまり、「異端信仰」の排除について知らされた予言です。
学会と言う異端、松下政経塾と言う異端。
キリスト教原理主義者も含めて、世は異端の時代です。
山名系も愛町系も、これが、おやさまの教えを、基にしていながら、たちものとして存在している現代において、
基本教理は、絶対に必要なのだと、かっての傍陽気さんは熱く語ってくれましたが、
通らぬ道は道とは言わない。
貧のどん底に、難儀の底にて手を打って待つおやさまの、「祝うてくだされ」を素直に通る道がないなら、それは道とは言わないのです。
0415基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:18:03.05ID:leafH98I
しかときけ三六二五のくれやいに 
むねのそふぢを神がするぞや (3-64)

しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり (3-65)

にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない (3-66)

はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく (3-67)

このよふをはじめた神のしんぢつを といてきかするうそとをもうな (3-68)

いまゝでもしんがくこふきあるけれど もとをしりたるものハないぞや (3-69)

そのはづやどろうみなかのみちすがら しりたるものハないはづの事 (3-70)

これまでハこのよはじめてない事を たん/\といてきかす事なり (3-71)

なにもかもない事はかりとくけれど これにまちごた事ハないぞや (3-72)

十一に九がなくなりてしんわすれ
正月廿六日をまつ (3-73)

このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ (3-74)

にち/\に神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい (3-75)
0416基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:22:19.81ID:leafH98I
おやさまは、「こうき」という思想を提言されています。
おやさまの世界たすけは、「たすけ一条」とおやさま自らが定義をなされています。
おやさまの「たすけ一条」は、外観上のたすける立場の人と、たすけられる立場の人は、
二つ一つにひとつであり、ともにたすけ一条である。一つであるとされています。

 このたびハたすけ一ぢよをしえるも これもない事はしめかけるで 三号17
 いままでにない事はじめかけるのわ もとこしらえた神であるから 三号18
 にちにちに神のはなしがやまやまに つかえてあれどとくにとかれん 三号19
 何ににても説かれん事はないけれど 心すましてきくものハない 三号20
 すみやかに心すましてきくならば よろづのはなしみなとききかす 三号21
 このよふのたしかためしがかけてある これにまちがいないとをもえよ 三号22
 このためしすみやかみえた事ならば いかなはなしもみなまことやで 三号22

おやさまが、たすけ一条のうえで、この世にかけた「ためし」が、間違いないと思うこと、
そして、そのためしが見える事が、何よりもの、大切な事です。

 はやはやとみへるはなしであるほどに これがたしかなしょこなるぞや 三号26
 これをみてなにをきいてもたのしめよ いかなはなしもみなこのどふり 三号27

おやさまが、確かに仕掛けたためし、の目的は、「このどうり」と示されています。

 人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八

即ち、「債務奴隷社会」からの脱却と言うためしです。
0417基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:26:40.01ID:leafH98I
おやさまの、思想を知り、平野楢蔵は、「女郎屋」という債務奴隷の所有者であったが、女郎たちに、礼を述べて解放した。
明治18年のことである。

この事は二つの意味を示している。
明治五年の人身売買禁止令は、有名無実化し、法を免れる形で遊郭は経営されていたと言うことである。
平野楢蔵は、その経営者であり、暴力で支配していた博徒である。
もう一つは、その楢蔵の「奴隷解放」よりも先に、おみかという女性が、奴隷を解放していたという、先覚の存在である。

> 明治5年に、江藤新平の尽力で、人身売買禁止令を出したとき、この頃、金剛院の妾として、
夫が在りながら屋根屋と言う女郎屋のおかみをしていた「おみか」は、この頃既におやさまを知っていたと言う。
> そのおみかは、女郎屋を廃業し、抱え女に旅費を持たせて国へ帰したと言う。(同)

> おみかの子と孫が、おやさまの前で三味と踊りを披露したともある。
「この話は、舞踏をやった当のおますから、筆者(高野友治氏)が、直接聞いた話である。
 当時おますは、七、八才であったようで、踊りが終わるとおやさまが、
 『また来て屋や、』と、仰せられ、お菓子を下されたという話しだ。』
0418基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:32:04.59ID:leafH98I
この、明治五年の前年には、おやさまは、「春を売る女を舟で運ぶ」家業の男の、耳の不自由を、たすけている。
大阪の三軒屋の、博多市次郎さんである。
この時、おやさまは、自分の耳が不自由となることで、博多市次郎さんの耳の自由を叶えている。

人も我も隔て無しという、おやさまの思想が、「債務奴隷」解放の思想の、基本にある。

人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八
おやさまは、明治7年に、このお筆先をもって、人の固有の精神と、
それに神が貸し与えた肉体とを、つまり「人のもの」を奴隷のように束縛し
利用する「高山」に対して、決然と、その、「返済」即ち「奴隷解放」を迫ったが、
それは、明治6年に政府が、地租改正条例(太政官布告272号)を制定、
明治7年から地租改正に着手した高山への、厳しい理の責めであった。

地租改正は明治14年に改正作業が完了した。
その間、お筆先は、この高山の意図のどこにあるかを、厳しく理を責めておられる。

 高山は世界いちれつをもうよう
 ままにすれどもさきはみえんで 三号四八

つまり、「博徒」が分教会筆頭という事実。
傍陽気さんには、その方法を直接に伝えて、参画頂いて、「博徒」としての守護は、絶対にあるけれど、
それは人間が得られるものでは無いとのコメントに至った事実経過がある。

その、秀司が、相場とばくちで失ったと言うひながたは、容易に解読できるものでは無い「ひながた」であるが、
「祝福」、「祝うて下され」。
天国の門は、モンテクリストの宝は、いつでも神の祝福と共にある。
0419基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:36:11.53ID:leafH98I
人身売買の盛んであった地での被災。
そこでは、エネルギー産業への身売りが、政官財で奨励されていた。
それは、タイでもありトルコでもあった。
数理の支配する、天災の原因を示す事実。
これを、変えていくには、おやさまは、三号の理にて、「異端の掃除」を示されている。

このはなし一寸の事やとをもうなよ 神がしんぢつみかねたるゆへ (3-82)

これからハ神のちからと上たるの ちからくらべをするとをもへよ (3-83)

いかほどのごふてきあらばだしてみよ
神のほふにもばいのちからを (3-84)

しんぢつの神がをもていでるからハ
いかなもよふもするとをもゑよ (3-85)

いまゝでハからがにほんをまゝにした 神のざんねんなんとしよやら (3-86)

このさきハにほんがからをまゝにする みな一れつハしよちしていよ (3-87)

をなじきのねへとゑだとの事ならバ ゑたハをれくるねハさかいでる (3-88)

いまゝでわからハゑらいとゆうたれど これからさきハをれるはかりや (3-89)

にほんみよちいさいよふにをもたれど ねがあらハればをそれいるぞや (3-90)

このちからにんけんハさとをもハれん
神のちからやこれハかなわん (3-91)
0420基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:40:15.86ID:leafH98I
人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八
おやさまは、明治7年に、このお筆先をもって、人の固有の精神と、それに神が貸し与えた肉体とを、
つまり「人のもの」を奴隷のように束縛し利用する「高山」に対して、決然と、その、「返済」即ち「奴隷解放」を迫ったが、それは、明治6年に政府が、
地租改正条例(太政官布告272号)を制定、明治7年から地租改正に着手した高山への、厳しい理の責めであった。

地租改正は明治14年に改正作業が完了した。
その間、お筆先は、この高山の意図のどこにあるかを、厳しく理を責めておられる。

 高山は世界いちれつをもうよう
 ままにすれどもさきはみえんで 三号四八

この地租改正は、日本の帝国主義の道に向けての、国家の財政基盤を固めて、国民を牛馬同等のみちにおとしめていく一大悪法であった。
女子の身売り、自作農の小作化、女工哀史、そうした直接的な「債務奴隷」を生み、国民を総奴隷化する道を開けた。
このことを、おやさまは見抜いていた。

明治7年四月、おやさまは、おふでさきに、
 このひがらいつのことやとをもている
 五月五日にたしかでてくる       四号三
 それよりもをかけはぢまるこれをみよ
 よるひるしれんよふになるぞや     四号四
と、日柄を予言した。
0421基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 05:56:40.73ID:leafH98I
明治政府が、地租改正で実行し意図した、国民総奴隷化計画は、日清・日露の戦争において、具現化していく。

おやさまの唯一の弟子、伊蔵は、日清・日露の戦争の件にて、「五月五日」とは、今の事情だと解説している。

「五月五日」
「端午の節句」
「大本営誕生の日」

預言者、おやさまは、奴隷を産む社会は、戦争国家であると、見抜き、理を責めていた。

地租改正、それは、高山が谷底をままにする、税制と言う奴隷制度であった。
0422基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 06:00:46.88ID:leafH98I
種子メーカーのカルテル

2002年8月26日、公正取引委員会は、国内種子メーカー32社と業界団体の日本種苗協会を、独占禁止法違反で勧告と警告を行った。
勧告を受けた32社は、平成10年3月から12年8月まで、白菜、キャベツ、大根、かぶの交配種の販売価格を話し合いで決めていた。
この32社で、この4種子の国内の販売量のほぼ全てを占める。
32社には、タキイ、サカタ、トーホク、カネコなど、よく見かける種子会社のほとんどが名を連ねている。

国内最大手のタキイ種苗は、南アフリカの種子会社(メイフォード社)を買収するなど、積極的にアフリカ、アジア方面への進出を狙っているようだ。
米・モンサント社を始め先進国の種子メーカーの多国籍化は、共通の流れのようである。
発展途上国の種子会社を買収し巨大化した多国籍アグリビジネス企業が、やがてその国の種子を掌握するようになるだろう。

「南」の経済的に困窮している発展途上国では、農産物を輸出してお金を稼ぐことを余儀なくされている。
そのような状況では、農民は商品価値の高い農産物を作りたいだろうから、個体差が少なく、よく成長し、見栄えもよい、
新しく入ってきた改良品種と称するF1種はとても魅力的だろう。

しかしこれは、後々呪わしい結果をもたらしそうだ。
なぜなら、まず第一にF1種は採種ができないなので、毎年種子を買わねばならない。
それに、新しい品種が永続的に多収性や耐病性を保っていられるかどうかは全く不確実である。
仮に、F1種は出費がかさむ上土地にも適ないことが判明し元の在来種に戻そうとしても、
その時はその在来種は消滅しかかっているといったことにもなりかねない。

このような話は、今世界中できかれる。種子メーカーの販売活動は、生態系全体への影響を考えれば、自然の法を侵すものである。F1種の拡大は、
一私企業である種子メーカーによる種の支配につながり、多様性への脅威となって、最終的には貧困の拡大再生産にしかならないだろう。
0423基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 06:05:01.16ID:leafH98I
立毛、百姓をままにする高山は、今の事です。。

それならば、どう通るのか。
通らぬ事は、道とは言わん。
因縁上「博徒」ならば、博打で勝つ以外には「因縁きりは出来ない」。
それは、教理の基本ですが・・・。

愛町系への批判に対して、愛町無双さんが、基本の傲慢な態度に反発されて、
基本に対して批判をなさいましたが、その批判として、「予言」が当たる、当たらないと言う論点からの批判がありました。

> 基本。がペテン師なのかどうかは、年限が来たら分かることだよな。
> 時間が解決する。「行ったとおりになるかならないか」それだけだ。
行ったとおりになるは、言ったとおりになるの誤字も知れません。
でも、教えがあったとして、「行い」がなければ、「言った」という言葉の予言のみでは、なるとは限らない。
教えが、履行されて、理が現れるわけですが、先にゆうて、それに賭けて、行わないとすれば、意味は成立しません。
つまり、基本さんそのものが、行うことが全く無いとしたら、「いったとおりになる」ものも、その意味、範囲は限定されますが、ならない状況を生むわけです。

愛町無双さんは、「言うておく」→「おうたら」→「成る」の順序において、
「おうたら」は、文字や言葉の意味だけではなく、「行為行動」も含まれると言う事をきちんとはご存じないわけでした。

現実的に「着手・行動」しなければ、予言も何も、理がないのですから、教えは、その範囲、発現しません。

このはなしさとりばかりであるほどに
これさとりたらしよこだめしや (3-14)
このたびハたすけ一ちよにかゝるのも
わがみのためしかゝりたるうゑ (3-44)

わが身が試せない、わが身で試せないでは、たすけ一条の道は、その人においては発現しないと言う事です。
関根さんに出来たのだから、自分にも出来ると、
わが身で試さないと、「苗代という」「ガラパゴス」にて、朽ち果てるのみでしょう。
0424基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 06:10:15.74ID:leafH98I
山名系教義の誤解は、愛町系教理の誤解は、言うならばおやさまの教えに「泥」を入れたようなものでした。
それでは、「おうていない」から、「成る」わけがない。。
宗教家業のテクニックで粉飾したり、豪華な建造物で目を奪ったりと、
そういう手法で信者が増えたと言うのも、お助けが上がったと言うのも、みな、泥水事情。
そういう、大きな理の間違いと言うものを、きちんと指摘するのは、基本の基本的実行に相当します。

いまのみち上のまゝやとをもている
心ちがうで神のまゝなり (3-120)

上たるハせかいぢううをまゝにする
神のざんねんこれをしらんか (3-121)

お筆先三号の解釈の問題です。
第3号 120

いまのみち上のまゝやとをもている
心ちがうで神のまゝなり

Ima no michi kami no mama ya to omote iru
Kokoro chigau de Kami no mama nari

You are thinking that the present path is at the mercy of the high places,
but you are mistaken. It will be as God pleases.

この道を、上に立つ者が自由に出来るように思うて圧えようと思うが、
これはたすけ一条の道であるから、人間のままにならぬ。親神の意図通りになるのである。 上:高山
0425基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 06:59:05.16ID:leafH98I
親神様は、「心違うで」と言われていて、
それは、道の者の心が違うと、言われているわけです。
英文おふでさきにて、それは、きちんと分かります。
You are thinking that the present path is at the mercy of the high places,
but you are mistaken. It will be as God pleases.

お前たちが間違っている。
心違うのは、山名系であり愛町系、お前たちであって、「高山」の問題とは、このお歌では示されていないわけです。

お筆先3号には、こうあります。
 だん/\とをふくよせたるこのたちき よふほくになるものハないぞや (3-49)
 いかなきもをふくよせてハあるけれど いがみかゞみハこれわかなハん (3-50)

教えをすっきりと受け止められないで、いがんだ、
かがんだ受け止め方しか出来ない当時の「先生方」は、用木では無いと、そういう事でした。
0426基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 07:03:07.81ID:leafH98I
既に、この世は陽気の旬になっている。
しかし、おやさまの教えを聞いた初代たちは、「道は神のまま」とは受け止めきれず、「道は上のまま」と理解した。
それは、元冶元年のつとめ場所の普請において、当時の高弟の本音として、心どうりに表に現された。
こういう「濁り」があっては、陽気の旬は来ていても、人の心が「昼の暗がり」を、心通りに出現させてしまう。
おやさまの教えは、「人類のもの」である貸し物借り物を「我がまま」にする大社高山の取り払いを説いているのに、
初期の信者の中の有力信者(高弟と言う高山)たちは、その天理の掃除の対象の高山に、媚を売るような態度ですらあった。

明治七年、明治政府は、国民を豊かにという「 pleases」として、富国強兵にまい進した。
0427基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 07:07:03.16ID:leafH98I
人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八
おやさまは、明治7年に、このお筆先をもって、人の固有の精神と、
それに神が貸し与えた肉体とを、つまり「人のもの」を奴隷のように束縛し利用する「高山」に対して、
決然と、その、「返済」即ち「奴隷解放」を迫ったが、
それは、明治6年に政府が、地租改正条例(太政官布告272号)を制定、明治7年から地租改正に着手した高山への、厳しい理の責めであった。

地租改正は明治14年に改正作業が完了した。
その間、お筆先は、この高山の意図のどこにあるかを、厳しく理を責めておられる。

 高山は世界いちれつをもうよう
 ままにすれどもさきはみえんで 三号四八

この地租改正は、日本の帝国主義の道に向けての、国家の財政基盤を固めて、国民を牛馬同等のみちにおとしめていく一大悪法であった。
女子の身売り、自作農の小作化、女工哀史、そうした直接的な「債務奴隷」を生み、国民を総奴隷化する道を開けた。
このことを、おやさまは見抜いていた。

明治7年四月、おやさまは、おふでさきに、
 このひがらいつのことやとをもている
 五月五日にたしかでてくる       四号三
 それよりもをかけはぢまるこれをみよ
 よるひるしれんよふになるぞや     四号四
と、日柄を予言した。

明治政府が、地租改正で実行し意図した、国民総奴隷化計画は、日清・日露の戦争において、具現化していく。

おやさまの唯一の弟子、伊蔵は、日清・日露の戦争の件にて、「五月五日」とは、今の事情だと解説している。

「五月五日」
「端午の節句」
「大本営誕生の日」
と、日柄を予言した。

その、戦争協力の天理教団に組織を指導した山名系も又、初期の高弟と同様の、理解しか出来ていなかったということだ。
0428基本。
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2018/12/15(土) 07:52:01.08ID:leafH98I
おやさまの弟子たちは、上に従い、王政の「祭政一致」に媚びへつらい、こともあろうに、おやさまの思想の対極にある明治政府に、公認の道を模索していました。
それは、当時の信者の民意であり、総意であり、それは「真柱」にゆだねられた、信者の要求でした。

弟子の中でも「仲田義三郎」は、「山本利三郎」とともに、公認運動に教団をリードした指導者でした。
彼らの模索したものは、稲荷講の発展に見られるような、
http://inari.jp/g_koumu/g02.html
明治政府の政策に迎合しての、教団の「繁栄」でした。
しかしそれは、お稲荷さん信仰の歴史の示すように、もともとの信心とはかけ離れた、「天皇中心の神道からの天下りによる思想支配」でした。

「大教の詔」を宣布し、国家を一つの宗教で統一しようとする高山に、迎合しようとする弟子たちは、真柱を代表として、おやさまに問答しました。

1887年一月十三日(明治20年陰暦12月20日)、真柱の立場にある中山真之亮と控え柱の立場にある前川菊太郎は、明治政府に迎合したいという趣旨で、おやさまに、おうかがいをします。

その時に言われたのが、

『ぜんもって つたえてある。むっつヶしきことをいいかける。ひとつのことにとって しあんせよ』

との、お言葉でした。
弟子たちは、
「前以って伝えてある。難しい事を言い掛ける。一つの事にとって思案せよ」
と、理解し解釈しました。

しかし、実は、
「「前以って伝えてある。六つが敷き事を言い掛ける。一つの事にとって思案せよ」
と、言う意味でした。

これが、おふでさき六号の事を示していた。わけです。
「お前たちの希望は、おふでさき六号の「元の理」の数理のままに実現するのだ。どんな事も、「元の理」の「一つ始まりに基づいて思案せよ」

事実歴史として、お筆先六号の元の理の数理のままに、天理教会神一条の道は、実現し、天理教は、一派独立しましたが、それは応法時代の、ことですが、
「ひながた」においても、元の理の数理のままに、歴史に刻まれているのです。
0429基本。
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2018/12/15(土) 07:55:39.47ID:leafH98I
> 1861年 南北戦争 ←→ 元の理の数理に基づく「つとめ」の開始。

その開始は、【一寸身上に】逸話篇というもので始まりました。
『 文久元年、西田コトは、・・庄屋敷へ詣ったら、
どんな病気でも皆、救けて下さる。」という事を聞き、早速お詣りした。すると、夕方であったが、教祖は、

「よう帰って来たな。待っていたで。」
と、仰せられ、更に、
「一寸身上に知らせた。」

とて、神様のお話をお聞かせ下され、
ハッタイ粉の御供を下された。お話を承って家へかえる頃には、歯痛はもう全く治っていた。
が、そのまま四、五日詣らずにいると、今度は、目が悪くなって来た。激しく疼いて来たのである。それで、早速お詣りして伺うと、

「身上に知らせたのやで。」
とて、有難いお話を、だんだんと聞かせて頂き、拝んで頂くと、かえる頃には、治っていた。
 それから、三日間程、弁当持ちでお屋敷の掃除に通わせて頂いた。こうして信心させて頂くようになった。この年コトは三十二才であった。』
おやさまの思想は、「命のやりとりは、おやさまが支配がする」という思想。身体そのものにおやさまが知らせるという思想。

大社高山の人間業では、絶対不可能な命題をつきつけて、命のやり取りの「理の世界」にて、人間のこころを掃除するという、思想であり、
それだからこそ、元の理を伝え、つとめの理にて、世界を普請するという、真実真心が、おやさまの思想には、満ち溢れています。

元の理の数理を歴史に残した「六つが敷き事」。
それは、西田ことさんからはじまつた。
ろくぢはまず女からという、おやさまの思想。

とふじんの干渉し、とふじんの支配する「日本」。

おやさまだけは、せかいろくぢに向けて、元の理を教え、つとめの理の完成を、身をもってお説きになっていたのでした。
すべては理の世界にあると歴史に示して、のことでした。
0430基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 08:05:37.31ID:leafH98I
> 八十八夜は、1956年の陰暦1月から、1957年の陰暦1月までの期間です。
> 「教祖70年祭執行」
> 「1/26(12/24)より2/18(1/17)までを年祭期間とし、毎日つとめを、つとめる。」
> 天理市において、天理教が「おふかん道」に出たのは、「八十八夜」の旬でした。

二代真柱様の「八十八夜」は、今日の「おうかんみち」の到来であり、
七十年祭は、「なぜか」、陰暦を基準に、祭典日が定められ、かぐらつとめが、毎日つとめられたと記録されています。

それでは、初代真柱様の「八十八夜」は、どのようなものであったでしょうか。

明治二年(1869年)の陰暦1月、から、八十八夜は、1869年から、5夜を一年とと数えて、5夜5夜と数えまして、八十八夜=17,6年ですから、きちんと整理しますと、
一夜から五夜は、
1869年の陰暦1月から1870年の陰暦1月までの期間。
六夜から十夜は、
1870年の陰暦1月から1871年の陰暦1月までの期間。
・・・このように、数えていきますと、
七十六夜から八十夜は、
1884年の陰暦1月から1885年の陰暦1月までの期間。
八十一夜から八十五夜は、
1885年の陰暦1月から1886年の陰暦1月までの期間。
八十六夜から八十八夜は、
1886年の陰暦1月から1886年の陰暦8月頃までの期間。

このように、「八十八夜」とは、1886年の陰暦1月から8月頃までの期間と分かります。

陰暦1月、心勇講の信者が、豆腐屋の二階にて十二下りてをどりつとめました。
その事から、櫟本の分署跡の今に残る監獄に、教祖、真柱の真之亮、桝井、仲田が拘引、留置されました。
教祖は、『「心勇講」は、一の筆』と言われています。

八十八夜のことは、年表には、こうあります。

「7/21(6/20)」
「教祖『四方暗くなりて分かりなきようになる。其のときつとめの手、曖昧になることにてはならんから、つとめの手稽古せよ』と仰せられる。」

このお言葉を書きとめた初代真柱様は、「つとめの稽古」に取りかかりました。
八十八夜の出来事と言うことになります。
0431神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 08:40:32.28ID:leafH98I
それでは、八十八夜とは、なんなのか、歌が大好きなおやさまの、真骨頂です。

「夏も近づく八十八夜」→「茶摘み」です。

明治三年三月(陰暦1月)に、教祖は、お筆先を記されました。

 ちやつんであとかりとりてしもたなら
 あといでるのハよふきづとめや    二号 三

これは、茶摘み歌にあります、「八十八夜」の予言でありました。。

一連を通して、拝読します。

 これからハをくハんみちをつけかける
 せかいの心みないさめるで      二号 一

 上たるハ心いさんでくるほとに
 なんどきにくるこくけんがきた    二号 二

 ちやつんであとかりとりてしもたなら
 あといでるのハよふきづとめや    二号 三
0432基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 08:43:07.04ID:leafH98I
おはらいさんが降るという、操作で、民意をあげくだしした「高山」。
神仏の分離を命じた政府に対し、教祖は、厳しく、理を責めておられました。
その、経過です。
慶応3年
* お払いさんのええじゃないか ←→ 立って踊る十二下り。
* 神仏判然令。神と仏の分離政策。 ←→ 南無天理王命。一体に唱える。
明治2年
*           ←→ お筆先一号。「胸のわかりた者は無い」
*           ←→ お筆先二号。「唐人がにほんの地に入る」
明治3年
* 大教宣布の詔宣布  ←→ 神楽のだし「ちょとはなし」教えられる。
明治4年
* 伊勢神宮を頂点に神社制度。

この明治の御代の始まりに、帝国主義を意図的に邁進する、その「高山」の悪意を見抜いて、
教祖は、理の証拠として、お筆先二号においては、おうかんみちが到来する刻限を、茶摘みの「八十八夜」にて、予言していたのでした。

初代真柱においては、「八十八夜」にて、その準備を、
二代真柱においては「八十八夜」にて、現実の「往還道」が到来しています。

明治二年のお筆先に知らされた「高山」の掃除の問題は、我々ようぼくの、心に置くべき、大切な教えです。

明治2年に、教祖は38日間の断食をしています。
明治2年から、38年を経て、明治41年に天理教は一派独立しました。

明治5年に、教祖は75日間の断食をしています。
明治5年から75日を経て、立教111年。おしえの復元開始となりました。
0433基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:20:33.23ID:leafH98I
このように、歴史に予言をきちんと刻まれたのは、疑い深い人間に、確かな証拠を遺し、「こわき危なき道」を、未然に防ぐようにと言う、親心からと悟らせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高弟たちは、神の支配と思わないで、実は「上」の世界と思っていた。
何一つ、狂いの無い天理であるからこそ、濁った天理教団幹部の「半信半疑の指導者」=「実はとふじん」がいては、濁りの水であり旬は来ていても、人に陽気が到来しない。

それが、諸井神学であり深谷教学であって、諸井は「天理神学」を説いて、深谷は「元の理=こふき」を説いた。

第3号 69
いまゝでもしんがくこふきあるけれど
もとをしりたるものハないぞや

このように知らされていて、それならばなぜ、「神のまま」という「この世の元」が研究できなかったのか。
それは、おやさまを、なめてたと、みなすより無い事です。
0434基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:23:05.70ID:leafH98I
天理教社会というのは、「陽気普請の職能・機能集団」です。
社会とは、一線を画した所に位置している。
それには、宗教社会という隠れ蓑は、宗教の因縁上からも、隠れ蓑として利用される事は、妥当です。

そして、世の中の「厄介者・廃れ者からたすける」。
これも、天理教組織の重大な役割です。

それに対して「講」というものは、「非天理教社会」です。
天理教会は、その意味で、「講」であるためには、職業を持ち家業をなさねばならない。
そして、社会の中の普通の経済体としての、存在に、戻る事しかない。
教会が講と言うのは、それだけの実践があった後の事です。

世の中そのものの中に、「講」としてあるというのが「講」です。
天理教系統信仰の、あり方の中では、それは、不可能です。
つまり、系統をばらしてしまう事は、
幼稚園児が一列に手をつないでいる姿を批判するようなもので、
成人の途中としての姿である以上、系統はばらせない。解体できない。
一人前になった時から、自立した。
自立したものが、結ぶのが「講」。
自立できない信者の、手をつなぐ姿そのものは、意味を成さない。
と、言う事です。

そこで、より深い考察が大切です。
「にほんの根」の問題です。
0435基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:26:04.83ID:leafH98I
苗代は、苗代として、世界の普請の人材を育て道具を育む。
けれど、苗代には、収穫は無い。
おやさまは、「東に種撒きゃ、西に生える」と言われました。
人間はその理を知らず、東に撒いて東に収穫しようと、
天理教団の繁栄という収穫を天理教団に種撒いて、結果として得ようとした。
恥ずかしいことです。

地場は苗代として、東。だと仮定しますと、各家庭は、西。
そこに収穫がある。陽気遊山がある。
収穫は、おのおのに、・・・
それがおやさまの、陽気遊山が見たいおやさまの、教えです。
0436基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:30:00.60ID:leafH98I
「東に種撒きゃ、西に生える」は、神様に尽くしておけば、必ず自分に返ってくるという意味として説かれたりします。
それは、天よりのお与えとしての「甘露」とは違う次元のご守護です。
天が無条件に与えてくださるものと、心次第のものには理として大いに相違があります。
そして、心次第と言うのは、天理教に無関係な人も批判する人も他宗の信者も、一列です。
無条件にお与えくださる「甘露」とは、甘露台で、おやさまがお渡しになるものですから、それは、一列に渡すためのお与えですから、
特定の〇〇さんの受け取った独占物ではない。
どこどこまでも隔てない、おやさまのご配慮が、大前提となります。

魂の徳のある関根先生と言う表現は、「追従」であり、関根豊松さんは、おやさまの子にすぎません。

信仰上にままある、虚構。
嘘と追従。

諸井慶徳さんは、一度も客観的ではなかったと、指摘が評価としてありましたが、
客観的で無いと言う事は、「虚構」と言う事です。

おやさまの教えは、「客観的」であり、厳然とした数理で、客観的に予言は実現してある。
主観的な信仰と言う「嘘」の世界が、泥水の実態です。

山名系・愛町系という異端は、虚構ゆえに異端なのです。
0437基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:33:21.51ID:leafH98I
僕は何にも持っていないと言いながら、熱海に梅園をちゃんと持っていた関根豊松さん。
しまいには、自分が神だと言うような、嘘。
本部の直属にと勧められても、それには従わず。
弟子には関根式「理の親信仰」で、素直さを教え込む大嘘。
上級の為に、自分は部下であり続けると言う、それでいて下克上と言う関根式「嘘と追従」は、
まさに「遅れてきた初代」そのもの。
全国各地の大教会初代たちの「嘘追従物語」の、最終章の、末路でした。

おやさまは、そんなインチキな苗代を拵えたのではない。
拵えさせたのでもない。

ようやく、99年が経ち、100年になろうとしています。
皆、出直しです。
0438基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:36:01.93ID:leafH98I
3号 77才老女 明治7戌年1月ヨリ 

このたびハもんのうちよりたちものを
はやくいそいでとりはらいせよ (3-1)

天理教の一門の中に、私的財産として教会を経営している「理の親信仰」の掃除は、
神の望みです。
後継者さんには、それを壊してしまう役割があります。
壊してしまうと言うのは、建物破壊では無く、欲の心の破壊です。
教会を私物化させないで、ありもしない神の為ではなく、人のために活用する事です。

このたびハたすけ一ぢよをしゑるも これもない事はしめかけるで (3-17)

いまゝでにない事はじめかけるのわ もとこしらゑた神であるから (3-18)

にち/\に神のはなしがやま/\と つかゑてあれどとくにとかれん (3-19)

なにゝてもとかれん事ハないけれど 心すましてきくものハない (3-20)

すみやかに心すましてきくならば
よろづのはなしみなときゝかす (3-21)

このよふのたしかためしかかけてある
これにまちがいないとをもゑよ (3-22)
0439基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:39:07.02ID:leafH98I
おやさまは、この世の中の「確かな証拠」として、「ためし」をかけました。
このためしすみやかみゑた事ならば
いかなはなしもみなまことやで (3-23)

なにもかもいかなはなしもとくほどに
なにをゆうてもうそとをもうな (3-24)

めへにめん神のゆう事なす事わ
なにをするとも一寸にしれまい (3-25)

はや/\とみへるはなしであるほどに
これがたしかなしよこなるぞや (3-26)

これをみてなにをきいてもたのしめよ
いかなはなしもみなこのどふり (3-27)

人のものかりたるならばりかいるで
はやくへんさいれゑをゆうなり (3-28)

このためしすみやかみゑた事ならば
いかなはなしもみなまことやで (3-23)
0440基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:41:38.43ID:leafH98I
ためしをかけたと言う事は、それを見せたら、

このためしすみやかみゑた事ならば
いかなはなしもみなまことやで (3-23)

ためしとは何であったのか。
それは、お筆先三号においては、基本的には、


しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや (3-64)
十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ (3-73)
いまゝでの事ハなんにもゆてくれな 廿六日にはじめかけるで (3-113)
二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす (3-147)

つまり、3625の数理。0126の数理。22の2の5の数理。
これが、見えたときから、理の世界がきちんと見えて分かるようになると言うためし。
かけておかれた、おやさまでした。
0441基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:44:07.09ID:leafH98I
お筆先には、三号の147にあります。
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」
これですね。
 先ず、お筆先の前後を参照、考察しておきましょう。
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」 三号147
「高山の説教聞いて 真実の神の話を聞いて思案せ」 三号148

つまり、「元の親神様のお話」と「高山の説教」との、対決宣言のような内容ですね。
 もう一つ、こういう見方も出来ます。
「今の道 埃だらけであるからに ほふけを持ちて掃除ふしたて」 第三号145
「後なるハ 道ハ広くでごもくなし 幾たりなどと連れて通れよ」 第三号146

「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」 三号147
「高山の説教聞いて 真実の神の話を聞いて思案せ」 三号148

このように、セットにしてみますと、
「掃除する→大勢を連れて通れる」→→「教えの説き始め→高山の説教との対決」
と、このように見ますと意味が良く理解できると思います。
0442基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:47:02.83ID:leafH98I
「22の2の五つ」と言う数字ですが、先ずひな型においては、夫善兵衛様の問題と言うように、理解するのが基本です。
それは、嘉永六年に、二月二十二日に出直しになっています。66歳です。
この数字の並び、「22の2」の数理として、ろくぢという、二が三つで6という意味に解しています。

ろくぢと言う教えに反していて、掃除されたと言うのが、基本的な見方です。

22年に出直しているという意味では、真柱に欲しいと望まれていて、
親が承知しなかったので「迎えとられた」梶本亀造さんの例があります。
立教       天保九年 10月26日  西暦 1838年 12月12日 1年目
梶本亀造の出直し 西暦 1860年 2月20日 22年目  (1859年12月12日〜1860年12月11日 の間)

いずれの場合も、「谷底」に落ちると言うおやさまの方針に対して、各々地方の「高山」として、そむいたと言うことです。
0443基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 14:50:10.16ID:leafH98I
予言の書としてのおふでさきは、音と文字の二通りにて告げられています。
文字としては、 この神の残念と発生の43年の数理は、以下の15号の和歌に書かれています。
 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13

紹介しました、15号のおふでさきには、
 10番のお歌で、「明日から働く」とありますね。
 13番のお歌で、「さあ今日は」とありますね。
これが、何時の事かと言いますと、これが書かれたのは、第十五号 明治13年1月より 90首 83歳 1880年の1月。
 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12

つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、
神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」1880年の、翌年1881年から一年、二年と数えて、
その43年後が、
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
と、腹がはじける事態となるとの予言です。確認します。

1880年から、数えて43年、1923年。関東大震災。
関東大震災という、まさに月日のはらがはぢけた震災が、
襲ったのは、キチガイ婆さんの予言の数理そのものでした。
0444基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:23:04.12ID:leafH98I
>天理教
>人助けを、名目で多額の寄付を、つのる教会があります。
>全然人助けになってないし、相談にもならない
>それだったら共産党のほうが、よっぽど人助けしている。
>少なくとも共産党は、多額の寄付を要請しない
>少しは、共産党みならえ!

「地場は独り立ちしてある」と教えられていますが、それは、「天理教会は地場の万分の一の理」ですから、
天理教会は自立自活していなくてはならない事の意味を含んでいます。
つまり、家業と言うものを持っていなければならないし、持っていれば「集金業務」はしなくて良いわけです。
中山家は、現実には家業をしています。百姓・寺子屋・お針子・・それらは、成立しているわけです。
各大教会も、福祉や教育の仕事を経営していたりしていますが、その余分に、信者からの献金を、生活費や贅沢費に集めていて、
大教会が集金した金の二割は、本部に届いていたとして、あとは、届いていないでしょう。
大教会の直属教会もその理の子だと自称していたほどですから、まず八割は、自分の教会にて使ってしまっていて、いやそれ以上を中間搾取していて、
神が怖くないわけで、
その分、色々と手入れ頂いていて、健康管理に必死なことでしょうが、親神様はとても怖いので、お気の毒です。
0445基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:26:51.17ID:leafH98I
>「とうじん」とは親神様の教えを知らない人、信じていない人の
>他に、この資本主義経済社会をつくったユダヤ人という意味も
>あるのでしょうか?

とても難しいご質問です。
> この資本主義経済社会をつくったユダヤ人
これが、客観的事実としてそうなのかどうかという問題が先ず先にあります。
客観的事実としては、「産業革命」があり、「拡大再生産システム」が作られて、つまり工業生産においての「いつも豊年」の状態が出来たと言う事です。
それが、「資本家」においての膨大な資産形成を容易にして、「資本家と労働者」というような構図が格差としてこの世に生まれた。
その、資本家たちが市場を支配し、金融資本家として、「この資本主義」を作ったと言う事は、そのとおりでしょうが、
それは、「おやさま」の手の平の内であって、
欲の心から、利益独占のための大社高山がそのように振舞うことは、世界一列を放念にするための神の「ためし」であったと言うのが、基本的見解です。
0446基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:29:08.39ID:leafH98I
> 「とうじん」とは親神様の教えを知らない人、信じていない人
この事については、以前にザ掲示板にて、述べてありますので、引用しますと、

> 明治2年、おふでさき二号にて とふぢんがにほんのぢいい いりこんでままにするのが かみのりいふく 二号32
 元冶元年の頃には「大和神社」は、拝して通れと、おやさまは、敬意をしめされています。
しかし、「大教の詔」の後の、「大和神社」には、決然と、理非を諭されています。
この相違点こそ、明治維新の裏の「高山」たちが、本来の「やまと=にほん」に介入したと言う、宗教事情をきちんと示しています。
 ほんらいは、おやさまの思想を「裏から教えていた」、「にほん」に、「とふじん」が、干渉し、支配を開始していたのです。

前年   ええじゃないか、(プロパガンダ)の世直し。
     王政復古。
明治1年、神仏判然令。
     排仏毀釈運動おこる。(プロパガンダ)の宗教統制。
明治3年 大教宣布の詔(みことのり)
明治4年 皇室の祖先神を祭る伊勢神宮を頂点に神社制度を設けた。

対して、おやさまは、明治2年、おふでさき二号にて
 とふぢんがにほんのぢいい いりこんで
 ままにするのが かみのりいふく     二号32

決然と、理を責めておられます。

おやさまと、たかやまのとふじんとの、たたかいは、一貫したものであったと言う事です

つまり、ひながたの史実においては、「ユダヤ」ではなく「アメリカ」が、「とふじん」でした。
米国は、「割礼」を現行していて、処女マリアを処女で出産したと説く国、「説く大社」に支配された国です。
0447基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:31:01.41ID:leafH98I
学問のススメにも、明治維新の「高山」の一部にも、大きな影響を与えていたものは、それは、アメリカの思想である。
・・キリスト教徒には、罪深き黒人を、救うと言うことと、奴隷にすると言うことは、けっして矛盾したものではなく、
アメリカの自由と独立は、そこに奴隷がいてのものであり、「とふじん」の思想そのものであった。
しかし、劣等国から先進国の仲間入りをめざした明治の「高山」には、
その「とふじん」の思想が魅力的なものに見えていたと言うことである。
「米国」、「自由と独立」、その背景の強い武力に、あこがれを抱いた軍国主義者が、明治の高山の「とふじん」に大勢いた。
 おやさまは、その思想背景をきちんと見据えておられた。
0448基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:33:30.16ID:leafH98I
> 実は、維新の幹部たちは、奴隷制に支えられた大農場を基盤とするアメリカの経済力と軍事力を、模倣すべく、
> 地租改正と徴兵制への準備に入っていて、
> それは、アメリカの思想の影響下にあったと言うことです。
日の本の、大和の庄屋敷の片田舎にいて、おやさまは、世界を動かす、帝国主義の覇権行動を、じっと見据えておられました。

 これからハからとにほんのはなしする
 なにをいうともハかりあるまい    二号31
 とふじんがにほんのぢいいいりこんで
 ままにするの神のりいふく      二号32

この時代、「唐人」と言えば、「唐人お吉」が有名です。
アメリカ人を「唐人」と呼んでいたのは、明治の社会の常識です。

米国の思想介入は、米国の大社・高山の思想背景が、聖書の原理主義であるとみなすのが基本です。

 1840年アヘン戦争。     ←→ この年「貧に落ちきれ」との神命。

 1853年ぺりーの軍艦威嚇。  ←→ この年「母屋のとりこぼち」。酒肴で祝う。

 1856年唐人ハリス下田に。  ←→ この年、足達重助の四歳の娘、足立つ。たすけ開始。

 世界中の、債務奴隷の難儀を、谷底からたすけあげようと言うおやさまの思想は、こうして、
「とふじん」がままにする姿に対して、自ら難儀の底に落ちて、吹き上がると言う、思想を示しています。

世界が、植民地支配される中、米国は経済支配のみならず思想支配をリンクさせた奴隷国家に植民地を陥れていきます。
それが、「債務奴隷」による支配。「金融市場主義」のよる、「債務支配」です。
米国そのものも「国家」は「債務奴隷化」されてしまっています。
市場もまた、しかりです。

しかし、おやさまは、そうした「大社高山」の取り払いの道を、ひながたにきちんと残されています。
それは、奴隷経済では無い「自立経済」です。

この年、足達重助の四歳の娘、足立つ。たすけ開始。
足が立ったのではなく、おやさまのたすけの道が立ったと言う事です。

唐人は米国民の大多数も債務奴隷にしていて、しかし、奴隷と感じさせないために、
快楽もまた、宗教思想もまた、統治に用いられていると言う事です。
0449基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:35:38.99ID:leafH98I
ひながたの史実を客観的に見つめれば、天理教指導者たちは、明治政府の意には従わず、素朴に谷底競り上げにまい進できたのですが、
高弟たちは、自分たちが宗教的権威権力になりたくて、逆に、明治政府に媚を売りました。
また、宗教家業の専務となり、寄付され寄付された宗教建造物の資産を、私的財産として扱い、
まさに理の親信仰と言う「奴隷住み込み人」までありという、真逆の謀反状態すら、見受けられて、
天理市の施設は軍部の協力に専心したほどです。

おやさまの教えに背いた彼らは、ことによったら、ほんの昨日までの大教会や有力教会の実態かもしれません。
0450基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:41:22.05ID:leafH98I
今日の現実の事ですが、神様から〇〇に手入れがあった、知らせがあったと、
基本に質問してくる場合に、会った知らせと言うもの全てではなく、
一部を相談し、一部は相談しないと言う事があります。
それは、誰にもある事ですが、聞かなくても分かってるとか、どうせ言われることは一緒だとか言う判断がそうさせたりします。
又、本人に深くかかわることは、それだけは相談しないと言う場合もありました。
これも、客観的でない場合の一例になりますが、そういう場合には、「身の知らせ」そのものが、知らせとして「客観的には・成立」していません。

問われた瞬間に、「それ知らせですか?」と、疑問が湧く場合には、ほとんどそういう、恣意的な質問の場合です。
その場合でも、問われれば理の意味はお答えしますが、
それは「重大なキーワード」の無い状態でパズルを解くように、見当違いに誘導されてしまう。

天理教の幹部が、おやさまの教えを客観的真実とみなさず、「宗教的真理」とみなしたのは、
自分に都合不都合が優先していたと、幹部の都合で、教理を曲げて説いたと言うべきでしょう。

それもこれも、実はみなおやさまの、手の平の上なのです。
高山が、そうであって、今もそうである様にです。
0451基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:43:44.55ID:leafH98I
そういえば、こんなことがありました。チャンネル秋田に「生活出来ない」SOSの投稿があって、その方を招きました。
身の知らせで、・・と、言う話がありました。

お知らせあったけど、覚えが無くて、そっちかなと思って、と聞いて来たとの事でした。
それで、今彼がいるよ、と、簡単に経過を話したら、
「仕事、手伝って欲しいな」と、
「神様から、知らせあったから、こっちに手伝った貰うよ」と、

長男は基本とは完全独立していて、自営業していて、その仕事を頼みたいというのです。

ま、長男夫婦のことは、何処までか、…
神様のお知らせだと、勝手に言っているわけですが、
今日は、基本の奥さんが案内して、どんな仕事か見てもらった。
本人は、やってみますと、そんな話のようです。
とりあえず、なる理に任せてみます。

「神様の知らせだと勝手に言っている」と書いたように、都合で知らせの一部を利用していると、基本的には分かっていました。
彼は、基本よりは、長男の夫婦を選択し、私から離れ、社員になって仕事を始めました。
それから、どうなったか、・・、対偶の問題から対立し、今年一月には、離れていかれました。

身の知らせは、客観的でない場合には、つまり、天理の返しとして、本人に「嘘つき」という烙印を押したりします。
心得たい基本です。
0452基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 17:46:55.65ID:leafH98I
つまり、おやさまは、「から」の思想の本質を、「から」と一言で諭しきっておられる。
「一に百姓助けたい」との、おやさまの思想。
「農業という業を営む」。これには、「から」は無い。

しかし、金融資本主義を見たらわかる。
尽くが「から」である。

株券が、電磁化された事は、まさに、「から」であることの自白である。
金融市場においては、実際の製造も製作も無い。
マネーゲームと呼ばれるが、元々、親神様が人間にお貸し下された無料の物を、
人間が価格をつけて付加価値として金銭に交換した貨幣経済においては、貨幣と対価の物品が存在した。
しかし、それには、限度がある。
人間がルールをこしらえて、株式の売買というゲームにおいて、無から有を生み出し、
世界中の経済は、そのゲームそのものに支配されている仕組みに見えている。

東京の不動産が高騰していて、バブルに向かっているという。
土地というものは、それ自体、親神様からの貸物借物である。

公地公民の時代には、天皇陛下からのお分けいただいた口分田であった。
少なくとも江戸幕府までは、土地は、公のものという認識が支配していた。

それを完全に崩壊させた、明治維新の唐人思想。
税制の改革で、土地は、マネーゲームの対象になった。
「需要と供給」という経済ゲームのルールは、土地に適用されて、大都市の地価は高騰し。
その信用力に、金融資本が投下されて、貸物借物の土地は、「大社高山」の基盤となった。
・・・
今は、情報が、マネーゲームの対象となり、大社高山は、そこに、今までに成功したノウハウを集約している。
・・・

それは、親神様の、手ひどい返しの、道具を自ら構築しているようなものである。

旬刻限の到来の意味は、そんなに単純なものではない。
現代社会とは、「神が表に現れた」、「現れた時代」という自白とも解する事が出来る。

すでに、天火は、人類をろくぢに向けて、降り注ぎつつつあると言う事だ。
0453神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 18:35:20.41ID:vzxOEloR
貧困層ばかりで頭の中は金だけ!
資格の無い伝統芸能に入り込み
師匠の許可も無く師匠と同等と勘違いして
適当に指導して暴利を貪り
その暴利で外見着飾り
中身はケチ・セコイ・タカリ
ばかりなりにけり!
0454基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 19:18:46.10ID:leafH98I
恐竜の教訓があります。
高山が、強大で難攻不落のシステムを作り、構築する。
それは、滅亡の道。

親神様は、ヒットマンとしては、神です。

お筆先13号です。水不足への理が知らされてあります。
 月日よりにち/\心せきこめど そばの心にわかりないので    100
 せきこみもなにの事やとをもうかな りゆけつくれば水がほしかろ 101
このはなしみな一れつの心にわ なんとをもふてしやんしている 102

月日にわ大一これをたすけたさ
そこでとのよな事もゆうのや    103

なにもかも月日いかほどくどいても
まことにきいてくれるものなし    104

それゆへに月日のざねんりいふくが
山/\つもりかさなりてある     105
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親神さまの警告に耳を貸さなかったのは、天理教内の高弟と言う「高山」
それは、九十九年たって、皆出直すまでの、天理教団の姿。

このたびの月日ざねんとゆうものわ
よいなる事でないとをもゑよ (13-32)

月日にハこのしんぢつをせかへぢうゑ
どふしてなりとをしへたいから (13-33)

それしらず月日ゆう事みなけして
あとわにんけん心はびかる (13-34)

このさきハ月日のざねんりいふくを
みなはらすでなこれがしよちか (13-35)
0455基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 19:24:36.64ID:leafH98I
ここからが、お筆先の本論というべき、理の責めが続きます。

月日よりあまくだりたる心な なんの事やらたれもしろまい (13-59)

 大一わりゆうけつくるをたすけたさ
 こゑ一ぢよふをしへたいから (13-60)

こゑてもなどふしてきくとをもうなよ こゝろを神がうけとりたなら (13-61)

 いまゝてハしんぢつ神がゆてあれど
 うちからしてもうたがうはかり (13-62)
 此のたびハなにをゆうてもうたがうな
 これうたがへば月日しりぞく (13-63)

この事ハあくどいほともゆうてをく これうたがへばまことこふくハい (13-64)
月日より一どふゆうてをいた事 いつになりてもちがう事なし (13-65)

 いまゝでわ月日なに事ゆうたとて
 みなうたごふてゆいけすばかり (13-66)

月日にハ大一これがざんねんな なんでもこれをしかときめるで (13-67)
これからハ月日ゆう事なに事も そむかんよふに神にもたれよ (13-68)
したるなら神のほふにもしんちつに たしかひきうけはたらきをする (13-69)

 月日にハこらほどくどきつめるから
 心ちがゑばすぐにしりぞく (13-70)

つまり、天理教団神学も、愛町関根豊松も、
 いまゝでわ月日なに事ゆうたとて
 みなうたごふてゆいけすばかり (13-66)
そういう状態であって、親神さまの第一の目的である、「 大一わりゆうけつくるをたすけたさ
 こゑ一ぢよふをしへたいから (13-60)」を、言い消していたわけです。

↓次のお歌の理ばかり説いていた。
「しんちつに心にまことあるならば どんなたすけもちがう事なし (13-71)」

「こえ」について、「りうけ」について、これが神意の「第一」だと言う事は、打ち消すばかりであった。
自分たちの都合で、教えも知らせも、守護もおたすけも、自分たちの都合で、どこにも客観性が無い。
山名系教義、愛町系教理、では、親神さまを「残念立腹」状態に追い詰めていたと、そう言う事です。
0456基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 19:34:02.76ID:leafH98I
「正月こえのさずけ」と、御神楽歌にあります。
それは、「第一番」に出てきます。
「一に百姓たすけたい」と、おやさまは言われました。

おふでさきは、よろづよの八首部分の、すぐからこう続いています。
 だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ (1-9)
 このさきハかくらづとめのてをつけて みんなそろふてつとめまつなり (1-10)
 みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる (1-11)

いちれつに神の心がいづむなら
ものゝりうけかみないつむなり (1-12)

りうけいのいつむ心ハきのとくや
いづまんよふとはやくいさめよ (1-13)

りうけいがいさみでるよとをもうなら
かぐらつとめやてをとりをせよ (1-14)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このようにあります。
陽気遊山の土台は、「ところ繁盛」であり、それには、食糧問題こそ最重要だからこそ、
親神様は「こえ」を、教え、与えようとして、「立教」されたのです。

それを、きちんと伝えられないどころか、わが教会わが信者、わが理の親、わが理の子と、
恥も外聞も、お筆先も、全く無視の、かれら天理教と言う門内の「たちもの」。
これを掃除しなければ、親神さまの残念は、立腹は、収まらないと、
お筆先には、ちゃんと書かれています。
もう、皆様には、理が、見えたと思います。
0457神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 19:42:18.47ID:leafH98I
「とうじん」については
ありがとうございました。
とうじん思想はおやさまがお嫌いなのは理解しました。
イギリスがイランに対して報復すると発表しました。
すでに、イランの核施設に攻撃情報もあります。
ただでさえ、ヨーロッパ経済危機が騒がれているのに…
これから世界はえらいことになってきそうです。

ところで、「とめふで」本部未公認の本席さまなる
お言葉がありますが、信じていいものでしょうか?
まるで、世界終末の予言のようです。
0458基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 19:48:39.80ID:leafH98I
とめふでについては、以前にも述べた事があります。「異説」そのものです。
異説である根拠を、説明しますと、とめふでの文章の、矛盾です。

「とめふで」・・・・・
さあ、これより一寸さとして日本中授けで響きわたらす。
神の話みな疑うている。
討つ者あれば討たれてみよ、向かって切る者あれば切られてみよ。
一人一名の心定めたら一人で千人助けするのや。
神がにをいかけて出すのや。一人でも人の助けさすのや。これ程大きな「こうのう」はない。
道の者は、神の授けたる借りものの理をわきまえたものは、心の因縁、道のものは田地はいらん。
田地は世界の信者のものがある。これも作ってあまりの心を運ぶ。これを結構と思わにゃならん。
また、席ずみのものは、見わけ聞き分け、この世の因縁の理を聞き分けて、財産を売り払い人を助け、これは因縁の理とす。
これにそむけば、命も財産も神が受け取る。
この事はいつの事やと思うなら、三六二五の暮合いに、これを百十五年限りとす。
この時は、小さい魂をこの世に返して牛馬と生き返す、これを承知せよ。
それ故に、今日一日を生涯の日とす。早く悟れよ。神がせき込む。さあ/\急いで働け。
わずかな日やで。今日一日を万日に向かうよう、聞いて悟らにゃならん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「道のものは田地はいらん。」これは、おやさまの教えには無いものです。
0459基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 19:51:41.30ID:leafH98I
> 「道のものは田地はいらん。」これは、おやさまの教えには無いものです。
天理教の教えの上で、一番の基準は「みかぐらうた」ですが、みかぐらうたには、こうあります。
その、原典の御神楽歌には、七下り目にこのようにあります。

三ッ みなせかいのこゝろにハ でんぢのいらぬものハない
四ッ よきぢがあらバ一れつに たれもほしいであらうがな
五ッ いづれのかたもおなしこと わしもあのぢをもとめたい
六ッ むりにどうせといはんでな そこはめい/\のむねしだい
七ッ なんでもでんぢがほしいから あたへハなにほどいるとても

おやさまの教えは「いつも豊年教えたい」のですから、「田地」が無かったら、豊年はないわけです。
その田地を、道の者はいらないと言う、そんな教えは、天理では無い。

「命も財産も神が受け取る」という文言にも明らかなように、
また、「席ずみのものは、見わけ聞き分け、この世の因縁の理を聞き分けて、
財産を売り払い人を助け、これは因縁の理とす。」という文言でも明らかなように、
田地財産を、神に奉納せよと言う、投げ出せと言う意図が明白です。

天理教の異端が、おふでさきの言葉を混ぜて、言葉上手に組み合わせて、
信者から財産を巻き上げる為に作文した、「偽おさしづ」ですね。
0460基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 20:03:02.54ID:leafH98I
お指図は、お筆先とは共通の用語は、あまり用いられていません。
天理教の教理を悪利用して、脅して、「財産放棄」を信者の義務だと、洗脳するための、偽造原典。
内容が、過激だから本部が認めていないとか言う、口上は、詐欺師の常套社団です。

異端の作成した偽造お指図ですが、教団幹部が、『いや、実は門外不出の、「とめふで」があって、
田地や財産を売り払わないと因縁は切れないと、教えがあるのですよ。』
『今に、死人の山が・・・』『その時に、たすかるには、因縁を切ってないとたすけて頂けない・・』
こんな風に、脅し揚げていくのにも、利用された事でしょう。

情けない事に、教団幹部、山名系や愛町系には、
まことしやかに、そういう脅しの偽教理で集金していた「泥水」が混じっていると言う事も、忘れてはいけません。
0461基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 20:05:03.21ID:leafH98I
> 本席様の後継者は上田ナライト様ですよね。
このご質問ですが、そうではありません。
「本席」と言う言葉は「別席」という言葉と対句のようなものです。
親神さまが座る席という、そんな風に理解したら分かると思います。

人は神というお言葉がありますように、誰の心にも「神の席」があるわけです。
そういう、隔ての無い思案の上では、本席様は特殊では無いと言う事です。
k指図では、
明治二十年三月二十五日 午前五時三十分
刻限御話
『一寸頼み置くと言うは、席と定めたるといえども、今一時にどうせいと言うでない。
三人五人十人同じ同席という。
その内に、綾錦のその上へ絹を着せたようなものである。』

このようにありまして、「同席」の皆同列の中に、綾錦の上に絹と言う、その程度の差と言う事は明らかです。

本席様と言う立場を、「教祖の後継者」と定義するのは、重大な理の誤解です。
ですから、「教祖→本席→ナライト」という、天啓者の継続と言う組み立ても、大間違いです。
ぜんぜん物が違うという言い方が出来ます。

> あちこちの教会でもこんなことがあるんでしょうか?
私の近所の教会長さんは、入信したてのころ、赤衣のおやさまを見て、それで熱心な信仰をしています。
でも、お地場にて、赤衣のおやさまを見ても、その後信心は全くしなかった人の例も知っています。

重大な問題では無いと思います。

皆「同席」、一列ということですから。
0462基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 20:10:59.79ID:leafH98I
  授 訓 に 就 い て

   一

 今回前管長夫人が上田奈良糸様の御病気御差支えに付授訓の運びをせらるゝに至りました。
そこでこの事情の経過を知らざる部下先々に於いては、多少の誤解が生じんとも限らぬので、
如何にして前管長夫人が授訓の運びをせらるゝに至ったか、その事情の経過を明瞭にすると共に、本教の教義の上からも、
本教の歴史の上からも、これが当然の処置である事を説明しておきたいと思うのであります。
 そもそもこの問題は、本年の三月廿三日来の上田奈良糸様の病気が動機となり、遂に今回の結果になったのであるから、
この病気及びこれに対する本部員の協議から申し上げなければ分明(※1)せないのであります。
::::::::::::::::

資料は、↑、当時の事情を述べていますが、
お授けを渡すということについては、東京に教会本部が設立されたとき、「松村吉太郎さん」が、一時、渡していたという史実があります。
それは、おさしづにて、神意を受けてのものでした。
松村吉太郎東京に於てさづけの事に付伺

明治二十一年五月二十三日(陰暦四月十三日)

さあ/\尋ねる処、一寸分かるまい。一名一人さづけ処、内々しん/\処々、あちらこちらで違い、代として又一つ代理勤めさそう。

このように「代理勤め」として許されています。ナライトさんを引っ張り出すとか、していません。

誰が渡すのではない「おやさま」が渡すのです。
代理は、内内の「しん」がなさるようにということですから、その部者部者のしんが、代理するのは、きわめて自然な天理です。

代理が誰かということは、内内の事情ですから、考えすぎても意味はありません。
0463基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 20:18:54.94ID:leafH98I
おやさまがご存命で、お屋敷はおやさまの、神屋敷です。
それが、いつになっても同じことだという、それを理解できていないと、意味のない考えすぎに陥ります。

医者が薬を渡した、それを受付の事務員が代理して渡した。
免許証を、受け取るときに、代理人はだれかと、問題にする人はいません。
当事者というのは、代理人に過ぎない。
誰が、代理人に選出されたとしても、渡すのは「おやさま」です。

おつとめは、基本は、「たすけのためのおつとめ」です。
自分の「ほこり」はおつとめで、払うということは、結果論的にくっつけるとそうなるかもしれませんが、それは、食堂とトイレをくっつけた様な無理な論理です。

掃除用のバケツの水と、渇きを癒すための水を、一緒くたに思案するのは、味噌くそ一緒。暴論です。

埃を払うには、自分の精神そのものです。あるいは、行為そのものです。
何かに祈願して、自分の贖罪をするというのは、天理ではありません。
「信心するものの心得」で、一番大切なのは、「陽気遊び」が、基本です。
原典でいうところの「陽気づくめ」です。
0464基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 20:22:14.05ID:leafH98I
ですから、「信心して、陽気になる」という、そういう思案は、原典にかみ合いません。
信心していても、いなくても「陽気づくめ」が、可能であり、大切なわけです。

では、どうして信心するのでしょうか?
それは、おやさまが恋しいからですね。そしてこの世の普請をおやさまとともに、したいからです。
だから、おたすけの為の「おさずけ」を頂くわけですね。

そして、よろず助けのおつとめの、学びをし、朝晩に、たすけを祈願する。
それが、信心のはじまりですね。

> ここ最近熱心に信仰していた方が、若くして病気で亡くなりました
先ず、この問題ですが、熱心な信仰というのは、「近道」、最短距離というものを求めがちです。
生きる事を急ぐと言う事は、密度を濃くする事ですから、濃い時間をすごして、生き急ぎ→死に急ぐ。
「薄きは誠」「薄きは天の理」と教えられています。
熱心が、急く事になりますと、それは、埃そのものですから、生きている事そのものの意味を失うことになります。

さて、大工さんが仕事をしている現場では、木屑、鉋屑はたくさんあります。
それは、正味となる「柱」や「板」が、出来ていくから、屑も出ます。

屑のまったく無い現場は、いわば死んでいる現場です。

埃の出ないような人生では、正味も、少ないということ、理として心得るべきです。
0465基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 21:57:06.90ID:leafH98I
生き急がないで、つまり死に急がないで、埃の無い現場にしない。
そういうことの一例として、おやさまは、病んでいる手と健康な手を示されて、
やんでいて何もしない手は、きれいだと、働いている手は、そんなものではないと、示されたと、ありました。

旅行やお酒を飲んで歌うのも、働いているから、楽しい、楽しめる。
そういう陽気もあれば、じっとお月様を眺めていると言う陽気もあります。
「信仰の不熱心」が楽しめたら、「埃ばかりの現場」が楽しめたら、陽気づくめに、なれます。
「因縁の切れない事」が、親神様のお慈悲である事すら、楽しむ事です。
0466基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 22:42:56.91ID:leafH98I
「たんのう」。
これが、因縁を切る唯一の道と教えられています。
「我慢、辛抱」も、たんのうのひとつですが、「たんのう」とは「堪能」と理解する事です。

「たんのう」とは「堪能」、つまり精通する事です。

大工仕事に堪能と言えば、精通していると言う事です。
お酒に堪能と言えば、お酒に精通していると言う事で、酒のみの因縁を切ろうとしたら、
御酒に精通し、お酒の飲み方に精通し、お酒の肴に精通する事です。
精通しようとしたら、酔ってなんぞいられない。
利き酒の出来る人は、なめる程度しか召し上がりません。
酔いつぶれていたら、ソムリエにはなれません。
精通しないで、辛抱しないで、我慢しないでいたら、本当の味も飲み方も分からない。
ただ、酔っているだけと言うすがたが、因縁の切れていないすがたと言う事です。

酒の楽しみ方を知らない。
つまり、因縁が切れていないということは、酒で陽気になれない姿。
酒に精通し、うまい酒をうまく飲む事、楽しめることが出来たら、因縁は切れているのですが、
「断酒」していては、酒で楽しめないと言う、悪因縁は全く切れていないと、そういう事です。

陽気づくめに、酒を飲めたら、因縁が切れたということ、です。

精通するには、たんのう。「単能」です。
シンプルに、そのことにのみ能力を注がないと、精通は難しいものです。
「単能」の反対が「万能」です。
万事に精通すると言う事を、望むと、「欲」です。
「単能」ではなく、「万能」になったら、「玄人」として、無理があります。

人を助けたいとしても、万能はおやさまにお任せして、自分はたんのうであることです。

出来ない九千九百九十九の、己の無能を、「結構やなあ」と楽しめないと、たんのうは、成り立ちません。
0467基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:01:43.02ID:leafH98I
> 「埃を払うには、自分の精神そのものです。あるいは、行為そのものです。」
> について具体的にお聞かせくださいませ。
> 精神は人をたすける心使いで行為はおたすけなのでしょうか?

具体的にいいますと、「正味=真の持ち味」と「正味でないもの=埃」との、精神においての「分別」であり、「仕分け」を、日常に常に行う精神力です。
例えば、人が誉めてくれたとしますと、これを、「正味」と受け取るのか「埃」と受け取るのか、心を澄ませて思案する、精神、精神力が、必要と言う事です。
奥さんが真心から、悪いと叱る行為を、「カス」と、いらん事してと、受け止めていては、埃の掃除は出来ません。
友人が、悪いことに誘うのに、とても親切で優しくても、「さすが友情」と受け止めていたら、埃の掃除は出来ないわけです。

それで、基本的には、おやさまにお願いして、「善悪」をお知らせ頂けば良いわけです。
それは、「左善・右悪」と、教えて頂いていますから、日日に、おやさまに教えてくださいと、頼んでおけば安心です。
知らせが何も無かったら、悪では無いわけですから、埃だと、神経質になる必要はありませんが、
右足をくじいたり、右手をはさんだり、右頬に出来物が出たら、基本的には埃ですから、すぐ、対処し、心を変えればよいのです。
0468基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:06:20.90ID:leafH98I
行為そのものとしては、その知らせ、サインのようなものですが、サインに従うことです。
赤信号なら、止まり。青信号なら、進む。

サインの見落としは、しても、たいした問題ではありません。
神様が、またよこせばそれで、すみます。
サインの無視は、三回やったら、見捨てられる行為ですから、神の慈悲にすがっても、無理です。

精神とは、「精」「神」。
「精」とは、国語の意味は、
[1]生物の根元にあるもの。たましい。精霊。多く人間以外の霊魂についていう。スピリット。
[2]生命の根本にある力。心や体に備わる力。精力。
つまり、その人の根源ですから、全てにおいて、心の根源を、
「神」に置くと言う、状態が、精神そのもの。
おやさまに、お任せすることです。

そして行為とは、おやさまのお知らせや、なって来る理に、「理」に素直と言う行為です。
0469基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:09:05.18ID:leafH98I
> 精神は人をたすける心使いで行為はおたすけなのでしょうか?
人をたすける心と言うものは、「誠真実」ですから、神に適っています。
しかし、それだから、「埃」は無いかと言えば、人をたすける心と言う心にも、「埃」は、それは必然的に生じます。
人をたすける行為だから、汗をかかないのかといえば、汗は出ます。
真心でしている行為でも、大工の仕事場なら、屑や埃は、それは、あるのが当然です。

つまり、真心の料理でも、台所には、生ゴミがでる。
おやさまは、「私でも台所に立ったら埃が出る」と仰せられたとの事です。

つまり、「埃の掃除の為に、人をたすける」というのは、
「お座敷とトイレが一緒」なので、ちょうど、刑務所の中での生活のようなものです。

埃の掃除をしたかったら、それは、人たすけでは無い。
人をたすけたいという、その心だけが正味、真価であり、人をたすけてわが身助かるのは、教えられたところの「天理」ですが、
それも、全てをおやさまに、もたれきると言う、天理教徒なら、当然のことに、心は砕くべきです。

↑ このように比ゆしましたのは、「因縁切る」ということを、「罪の償い」と、そのような認識があるから、
結局は、人をたすけることで、己を清めようと言う、言うなら贖罪の発想が、心に浮かぶと言う事を、お分かり頂きたかったからです。

人をたすけると言うのは、己の「神性」を生かしきる行為です。
しかし、それにも「埃は、必ずある」、ということは、「埃とは正味の本質を教えてくれるもの」です。
お魚の「アラ」を掃除して、お魚の真の美味を味わうのであり、
それを、仕分けし、分別しないと、人助けどころか、わが身への執着となり、一緒くたに、ゴミになってしまいかねないと言う事ですね。

お分かり、頂けたでしょうか。
0470基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:12:07.84ID:leafH98I
> 八つのほこりを使わないよう常に気をつけて
> 「陽気づくめ」なのでしょうか?
埃を余分には出さない配慮は、マナーかもしれませんが、埃を出さないということは、正味が生かされていないと言う事に成ります。
例えば、増井りん先生は、怒りっぽくて、一寸でも遠慮したりすると、すぐ、怒りつけたと、聞きました。
正味を出すとは、埃を積極的にバンバン出す、それくらいな気持ちだないと、真価は表れず、道は先に進みません。

おやさまは、この道は、と、限定されて、道の者の出してはならない「埃」を教えられていますから、それだけは、気をつけるべきです。


このみちハをしいほしいとかハいと よくとこふまんこれがほこりや
第3号 96

つまり、欲しい、惜しい、かわいい、欲、高慢。は ← 道の、「埃」。
では、残りの三つは「憎い、恨み、腹立ち」は、 ← 人間生活の「埃」。

つまり、「欲しい」は、正味に「意欲」があれば、必ず出る埃。
理想を見れば、見れば必ず出る埃ですから、「欲しくない」人は、本当の道の者ではない。
増井おりんさんは、「あんた私の上げるものいらんのか」と、遠慮する人には、叱りつけたそうです。
欲しがるととても喜んでいた。
当然おやさまも、欲しがる人を喜んだ。「汚なはすか」という逸話が雛型です。

それは、「惜しい」という埃も、それが出ないようでは、道の者ではない。
惜しむのは、価値を知り、恩を知るからです。
0471基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:19:51.68ID:leafH98I
おやさまには、なんの堅苦しいことをしなくても、「おやさまお知らせ下さい」だけで、良いのです。
親子ですから。

お言葉に「一度は許す、二度は見逃す、なれど三度目は」とあります。

私の十代の頃の仲間には、単独布教から教会を設立した、現役の会長さんたちがいました。
「君は熱心に天理教を布教しようと考えているが、そんなんじゃだめだ。
じっとしていても、神様が信者さんは連れてきてくださる。
通ればわかるよ」。
「おたすけおたすけで、朝から晩まで布教していた○○さんという人がいたが、雛型だ雛型だと、ご飯は冷や飯にお湯掛けて流し込んで・・
結局、何もならんことだった。」「おやさまのひながたなんて、そんなものじゃない。」

こんな話を、聞かされて、・・でした。

熱心な大教会長さんで、熱く道の展望や将来を語ってくれて、ともにやっていこうと、・・
その時、この方危ないと思いました。
数ヵ月後には、死にました。
熱心な会長さんで、アウトになった人、後継者でアウトになった人、大勢見てきています。
おやさまに、お聞きするというのは、セレモニーではだめです。
普段着でないと、だめです。

おふでさきでは、「儀礼的な信仰していて・死んだ」実例が、残されています。
逸話篇に、「絹と木綿」の話題がありますが、そのお諭しを頂いた本人です。

「近道も欲も高慢無いように」と、お筆先にはあります。

欲は「重欲・強欲」。高慢は「自慢に我慢に高慢」。これは、あっては、本当の道には出られないと言う事です。
0472基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:22:26.01ID:leafH98I
> 信仰を知り始めた人でおやさまに半信半疑でも大丈夫ですか?
> 年限がものを云うのでしょうか?
元冶元年のつとめ場所の普請の時、大工の伊蔵さんは「超信仰の浅い、年限の無い」入信したてでした。
明治七年に、入信したてが、増井りん先生。
おやさま扉を開くときの、直前の入信は「増野正兵衛」さん。扉を開く当時においては、松村吉太郎先生は、年限なんて浅い若造。

年限は、浅いほど、チャンスがあるわけです。

おやさまに、半信半疑の場合は、半信半疑というのは、「信じていない」という、事として、理解されていれば、大丈夫です。
人は、「半分信じて、半分疑って」で、文字は半信半疑ですが、良く考えれば、「疑っている」そのものです。
それは、ちゃんと自覚が大切です。実は、疑っているのだと。
そして、疑う以上、試すべじです。

試すようにと、おやさまは、おふでさきに、知らされています。
0473基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:26:15.73ID:leafH98I
能力は、人は皆神の子ですから、誰にでもある です。
ですから、霊能力者と称する人にも、能力としてはあるでしょうが、
甘露とは、元なるおや、つまり、存命の中山みきさまのみから、渡されるものですが、うちと外には、隔ては無いのですが、
精神の問題と言うものは、そこにあると言う事です。

さて、平野楢造さんの逸話ですが、あの日、平野さんは、「お守り」を手放してしまっていて、それで、「山本利八先生」に相談したら、
「そりゃ、あんたの命はないのや」と、諭されたと言います。

楢造さんは、「あんな寂しい思いをした事は無かった」と、語られたそうです。
そうか、自分はもう死ぬのかと、家路にも着かず、お屋敷にいて、
そこに、暴漢が殴りこんできて、おやさまをさらおうとした。

俺はここで死ぬのだと、思われたそうです。

おやさまの為に、死のう。
「このものゝ度胸を見せたのやで」

★★★

天理教への妨害組織と、乱闘に告ぐ乱闘の、楢造さんでした。

奈良にて、乱闘があった後のこと、「ご教祖様でも、このような事はなかっただろうと」か、そのような事を誰かが言ったとき、
楢造さんは、それを否定されたそうです。

針が別所の謀反の時には、竹槍立てて取り囲む中を、おやさまは、お一人、泰然自若とお通りになって、助造さんに、お諭しになった。
おやさまは、どんな道もお通りになっておられるのだと、諭されたそうです。

度胸とは、
楢造さんには、そんなおやさまの、お姿そのものだったのでしょう。
0474基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 23:30:12.75ID:leafH98I
能力の話と言うものを、もう少し、語りましょうか。
能力は誰にでもあるとしまして、神様の知らせというものが、あるとします。
あるとしまして、それを悟り、行うとします。
すると、それは自分の力であると、そのように考えて、それで皆間違えていくわけです。

或いは、本人は自分の力とは思っていなくても、周囲や、弟子たちが、その人個人の特殊な能力だとか、間違えてしまう。
それは、どこにでもある光景です。

能力としてではなく、知識としてだけの事でも、普通に見たら神秘的に見える事もあります。
それで、「異端」が生まれるのです。
それは、謀反です。

それで、異端の数理として、「3625」がお筆先に知らされてあります。
 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや (3-64)

しやんせよなんぼすんだる水やとて
とろをいれたらにごる事なり (3-65)

にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない (3-66)

お筆先において、はっきりと、「澄んだ水に入れた泥」というものが、「異端」であり、謀反であると言う事の理が知らされてあります。
針が別所の助造さんは、おやさまから頂いたさずけで、「奇跡的霊救」を行い、自分が「本地」だと説いた。地場は「垂迹」だと、説いたわけですが、
それは、おやさまを「元の神」とは認めずに、おやさまは、自分と言う本地を登場させるための存在だと、そう言う理屈ですから、
真柱、甘露台という「しん」に対する「濁り」です。
おやさまが、渡された以上は、異端になったとしても、霊救の効能には変わりがない。それは、澄んだ水。
しかし、泥をいれると言う事、それが問題なのです。
0475基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 02:59:25.50ID:/75jq5NP
霊能について語り合うことは、おやさまの望まれない事と思案します。
足が速いとか、疑うまいと言うのと同じですから特別視しないし、特別な話題とは、しない立場です。
ごめんなさいね。
能力と言うものは、人はトラに劣り、サルに劣る、泳ぎなら魚に劣る。
空も飛べない人間が、霊能においては、空が飛べて、深海を遊泳できる。あり得ない事です。
「不思議」にも二種類あります。「自由」は、「じゅうよう」と読みます。
自由な霊能とね自由でない霊能です。
暴力の問題は、「倍かえし」と訓えられていて、神はそうします。

鍵と鍵穴の関係と言いますか、因縁と呼ばれますが、洗脳者と被害者と言うのは同じ体質と認識すべきでしょう。
ご自分の描いている「理想型」をそれ以上のスタイルで、洗脳者に見出して、共鳴してしまっているから、
洗脳されたと言うよりも、自分悪因縁に時分では待っていると、見たほうが、宜しいでしょう。

その場合、「こふまん」の埃が、原因ですから、
高慢の心と言うのは、「自慢に我慢に高慢」が、高慢のすがたの基本です。
高慢の心と言うのは、正味が「引き出し・引き伸ばし」という守護の理の正味から、出た埃です。

人よりも引き出されて、リーダーになったとき、それを自分の力と自慢する。
努力して、成績が上がって、クラスのトップとなったと、その時、「元々俺は頭良いんだ」と、自慢する。
そういう、正味とかすの関係ですから、如何にして正味の側の心を覚醒させるかと言う事です。
0476基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:08:02.50ID:/75jq5NP
そして、「大戸辺命」さまの守護の理ですから、
をふとのべの命様は、天にては、宵の明星となって現れ、男神なり。お姿は黒ぐつな(黒蛇)なり。
この者は、勢いつよく、引いても切れぬ故に、人間の食物立毛、万物引き出しの道具に使うた神様なり。
又、物を引き出すには、お綱が要り、且つ おお手でのべん事には引き出されん。
故にをふとのべの命と神名を授け給う。
 また、なに事も先にたって、引き出すものを玄人と今にても云うのは、この黒ぐつなの理から来るなり。
 人間身の内では、生まれる時の引き出し、五尺の引伸ばし、五尺の身体への引伸ばし、又、知恵、工夫の引き出しはこの神様の守護。
世界では、立毛、立木一切の引伸ばしの守護。
 この神様の守護が、欠けてくると、逆子、難産になり、又、脳、筋の患いになる。これは、高慢の心を使うて通る故なり。高慢と云うても、
自分の知っている事を人に教えてあげるならいいけれども、知らない事を知ったかぶりする心使いが埃となる。
 裏守護に於いては、不動明王、役の行者、弘法大師は、この神様の守護なり。宗門にては、真言宗なり。
 方角に於いては、西、酉とも云う。時は酉の刻、午後六時から午後八時。季節は、秋の守護なり。
 以上、くにとこたちの命様から、おおとのべの命様までを、八方八柱の神様と云い、仏法では、な む あ み だ ぶ つ う と云うなり。
0477基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:18:36.91ID:/75jq5NP
長々引用しましたが、「こふき」話からの引用です。
『役の行者、弘法大師は、この神様の守護なり。』
日本を代表する霊能者の代表お二人は、役の行者と弘法大師。そういう大目標を目指さないで、
小物や代用品で自己満足している心が、「高慢」ということで、
仕事が長続きしない、苦労して玄人になろうとしない。
そういう「高慢体質」を、ひとつで良いから、直す事です。
たいした事を期待させると、直らないでしょう。こんなこと誰でもできるよねと言う事から、苦労していただく事です。

このたすけどふゆう事にをもうかな ほふそせんよにたしかうけやう (12-95)
またゝすけりうけ一れつどこまでも いつもほふさくをしゑたいから (12-96)
このみちをはやくしこもとをもゑども 一れつ心わかりないので (12-97)
せかいぢうどこにへだてわないほどに 一れつしやんしてくれるよふ (12-98)
しんぢつに心にさだめみなついて 神のゆう事そむきなければ (12-99)
それよりも月日の心しいかりと うけとりしだいたすけせきこむ (12-100)
このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや (12-101)
これさいかはやくしいかりみせたなら とのよな高いところなるとも (12-102)
こればかりにんけんハさでないからに 月日ぢうよふそむきでけまい (12-103)

能力そのものに対して執着している。それがこふまん。
仮に努力していても、能力を得るための努力は、高慢のそのものですね。
0478基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:21:08.72ID:/75jq5NP
神の言うことに背かないなら、たすけの能力はおやさまが、つまり神が引き受けるのです。
 しんぢつに心にさだめみなついて 神のゆう事そむきなければ (12-99)
これが肝心だと思います。

> もっと高い目標や理想を持って、地道に努力を重ねるべき
という意味ではなく、「神通力」という能力が大切であって、努力を積み重ねて能力者になる事は、高慢に過ぎないと、そのようにご理解ください。
役の行者と弘法大師。ともに、裏守護のお方です。
裏で、親神さまが守護していたと言う事。です。

このみちをはやくしこもとをもゑども 一れつ心わかりないので (12-97)

心わかりないので、とは、おやさまのお心を分からないと言うことです。

このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや (12-101)
「こふき」→「子富貴」。
このように理解しますのが基本です。
0479基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:24:35.98ID:/75jq5NP
おさしづの「修行」については、
飯降政甚大祭に帰りしに付、又々神戸へ出越すの願
明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
さあ/\修行々々、学問上十分という、心通して修行。
学問上何が違う、彼が違う、どういう事であろう。
身上どんと不足なれば、どうする事も出来ん。
どんと不足あるとて、さしづ一つで速やか。
何年幾年了えたら、身上どんと不足成ったらどうもならん。
修行の処、身上不足取次何も案じる事は無い。
修行のため、銘々身上磨きに出るのが修行。
通さにゃなろまい。修行という、心の身を磨きに出るのや。
修行、大切に扱うては修行にならん。そら水汲みや、掃除や、門掃きやと、万事心を磨くのが修行。そこでさしてくれるよう。

ここで言われているのは、「学問上の充分な修行は意味がない」と言う事と、
「身上磨きに出るのが修行」という事です。

飯降政甚の伺 明治二十三年二月三日 これが先にあります。
さあ/\尋ねる処、身上一寸の事情、どういう事である。案じる。
たゞ一つ修行という、深きという。これからどうでも思う。
日々の処治まり難ない。それよりの事情計り出す。
日々どうでも思う、大抵何も一寸修行という。
修行の理は分かりて居る。
身上の事情あっては出来難ない。
速やかになる。暫くの処これどうであろ。
深き何でも十分の学をし、十分の学を治めよう。
智者学者あっても何にも治まらせんで。一つの理を始め掛け、日々暮らさせたい。
思う道もう暫く。日々の理、事情より治まる理が無きという理を治めくれるよう。

つまり、「深く修行」させようとしていて、病気になった。それでお指図を伺った。
神様は、そういう中を、「一つの理」を始めかけよと指図してありました。
「一つの理」とは、「天理」と言う事です。
「心の身を磨きに出るのや。」つまり、色々な状況を、心一つで健康において頂く修行そのものを、心と身を修行せよと言うおさしづでした。
0480基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:31:47.64ID:/75jq5NP
肉体と精神の関係を、実地に通る修行と言うこと。
本席様は、下足をそろえておられて、深谷源次郎さんが、もったいないと、交代をもうしでたとき、なんと言われたか。
「これはあんたには出来ん仕事や。人の心のあっち向いているものを直しているのや」と、言われたそうです。
これが、修行です。
下駄をそろえるだけなら、修行では無い。履いていた人の心を揃えてあげられるように下足をそろえる。
こういう修行として、水撒きも拭き掃除も、なされるようにとお指図されました。
結果として、柾甚さんは、「書道は超一流」。道楽で散財、お屋敷からたたき出される寸前までになっています。
書道の訓練や、立派な後継者の修行が、とんでもない食わせ物と言う事は、事実が語っています。

柾甚さんには、「大工」の修行が、本当は神意でしたが、
高邁な宗教家にふさわしい教養の修行ばかりさせた、兵神の勘違いが、
当時の高弟の共通した誤りでした。


※安倍晋三首相が「地球儀を俯瞰する外交」を進めながら、
 「成長戦略」の柱の一つに据えてきた「原発輸出政策」が、ここにきて全滅
0481基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:36:38.79ID:/75jq5NP
古記ではなく「子富貴」ですか?
初めて聞きました。
もう少し詳しくお聞かせくださいますでしょうか?

これは、基本が教理研究して、悟ったものであり、証明作業はこれからです。
教理的には、以前にザ掲示板にて おやさまの思想を述べた内容が基本です。

> 「とふじん=西欧人」の思想。それは、現代でも、アメリカにおいては、民意に深く根付いています。
> 聖書の執筆者の一人パウロが、「ローマ人の手紙」で書いたものは、ユダヤ教からキリスト教を経由して、
アメリカと言う聖書主義の国に、「割礼」の子たちを、数々排出しているという事。
それは、もう一方で、「マリアの処女受胎」を受け入れてしまう民を大勢生んでいるという事。

このような、「天然自然の理に反した思想」は、「高山の支配の道具」になっています。
おやさまは、「高山の真の柱はとふじんや」と、権力構造そのものを「大社・宗教と言う権威」として、
「取払いの思想」を語られているのは、その「オカルト利用の悪意」に対する批判からです。

イエスキリストの教えを「弟子。使徒たち」が、書き記したものが「新約聖書」として世界中に、イエスキリストの思想を伝えています。
おやさまは、神が「啓示=おつげ」として説き聞かしたものを弟子たちが書き残した書物の事を「こふき」と呼び示しています。
おやさまの思想では、イエスは「完成の意義」を伝えた神です。

新約聖書は、その、神・イエスキリストの言葉そのものではなく、それを弟子たちが、イエスの行動の記録と共に思想の記録として、死後に著述したものです。
「聖書と言うこふき」、それには、「神の言葉=イエスの言葉」は含まれているけれど、実は弟子たちの思想の書。でした。
0482基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:39:07.09ID:/75jq5NP
「聖書と言うこふき」、それには、「神の言葉=イエスの言葉」は含まれているけれど、実は弟子たちの思想の書。でした。

中でも、キリスト教社会の思想に多大な影響を与えたのは、「使途・パウロ」の思想でした。
パウロは、イエスキリストの死後の弟子です。

> 平田篤胤が本居宣長の、死後の弟子であった。

イエスキリストの死後の弟子が、キリストの「こふき」を「聖書」として書き記したという事。
その「こふき」が、世界の列強の海外侵略の、強い思想根拠となっていたことを、おやさまは、見抜いておられたということです。
このパウロが、「ローマ人の手紙」の冒頭に、神の教えを異邦人に伝える事を、神に対する神の子の義務だと説きました。
異邦人を、キリスト教によって、教化すると言う行為は、実は「奴隷」を増やし集める行為として、歴史に無数の悲劇を刻みました。
日本に来た宣教師が奴隷を本国に搬送していたのは、紛れも無い事実。
それで、日本の江戸幕府は、仏教による統治を敷いて、キリスト教を禁じたのであり、
明治の開国において、「大教=天皇教」を宣布したのも、その強迫観念に由来するのかもしれません。
「毛唐」と忌み嫌う思想の根底にあったものです。

死後の弟子パウロと、死後の弟子篤胤。
それは、元々の教えを、オカルト絡みで、政治思想に育て上げた、「祭政一致」の「こふき」の作者という事になります。
世界を支配している「パウロのこふき」、日本を支配した「国学のこふき」。
その根は、旧約聖書の思想にあります。
0483基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:42:03.96ID:/75jq5NP
旧約聖書の説いている世界は、「絶対唯一の神の世界である」
おやさまは、八百万の神を仏を裏から守護して教えてきた。
旧約聖書は、キリスト教とイスラム教、ユダヤ教のルーツにあたる。
言うならば、「こふき」である。

「こふき」には、口述されたものを記録したと言ういみで「口記」だと文字を当てる思想がある。
それは、実は、おやさまの思想と言うよりも、弟子たちの解釈である。
また、同じく弟子の解釈として「功記」と言うような解釈もある。

新約聖書が書かれた事について、秀司の生まれかわりの中山正善氏は、死後百年以上たって「聖書」は作成された。
天理教でも、ちゃんとした書き物が書かれるには、おやさまが姿をかくしてから、百年は要するであろうと、書いた文章を読んだ記憶がある。
教祖直々の原典があり、それなのに、「天理教の聖書」が必要なのかと疑問に思った記憶があるが、
それは、聖典といわれる宗教書とは、信者の信仰告白であり、
同時に、教祖の思想を伝えるものであるために、教祖が死なないと、作成されないためであると言うことだと思う。
聖書や仏教の経文は、弟子の作成した聖典であるからこそ、当時の信仰のありのままを伝えてもくれる。
神の言葉だけでは無いから、人間には理解されやすい。

さて、旧約聖書の伝える信仰とはなんであったのか、神の思召しとはなんであったのか。

創世記に、それはきちんと「口記」されている。
0484基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 03:45:03.59ID:/75jq5NP
長々と引用しましたが、現代の米国は聖書の「こふき」を信奉しています。
その「子孫繁栄の子富貴」の手段と統治術は、「大社」「高山」による我がままによって実行されています。

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つまり、旧約聖書とは「こふき」を文字にあてはめると「子富貴」そのものだと分かります。

絶対的唯一の神は、「目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。
見える限りの土地を全て、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」と、約束されています。

もし仮に、欲一つ無き農夫であったなら、「見える限りの土地」とは、
せいぜい、農夫本人と、妻と子の、ささやかな土地の広がりに過ぎなかったでしょう。
「高山」に登って、そこから、見渡していたら、
もっとたくさんの大地が手に入ると、「欲深くなき農夫」ではなかった族長のアブラハムは、「高い山に登ろう」とします。

神の言葉は、そのような意味だったのか、「問う」事が、全ての始まりにありました。

唯一絶対の神は、『あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。
大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
さあ、この土地を縦横に歩き回れがよい。
わたしはそれをあなたに与えるから。』と、言われています。
0485基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:02:49.56ID:/75jq5NP
それゆえに、「歩いた土地は全て自分の子孫のものになる」と解釈した事は、
船と、汽車と、戦車と、どんな機械を使って歩いた土地でも、
自分のものになるのだという、人間のおごりを生んでいます。

神は、「歩いて」と言われています。
人の身の分限の中での富貴を諭されている。

伝承を受け止めて、それを聖書にまとめ上げた「モーゼ」は、
奴隷を支配しての地上の楽園を「子孫の富貴」だと、「こふき」である聖書にまとめたわけです。

おやさまの教えた「よふき」とは、これに対照して、「世富貴」。

我が子、我が子孫の永遠の繁栄を求めるあまりに、
神から与えられた見渡す限りの土地を手に入れようと、「衛星」から見下ろして、我が物にしようとする、「高山」の思想。

その肝心の、「子供」を神が、(聖書風に言うならば)犠牲にしろと迫るほどの、心得違いが、そこにはあるのではないか。

肝心の子供の精神に、「夢に」、神の働きかけるものは、なんなのか。

おやさまは、世界中の子供の「よふき」を望む思想。
幕末、明治に日本に到来した「とふじん」の「こふき」は、モーゼの旧約聖書であり、
それは、「高山のたたかい」の原因である、我が子、我が一族のみの繁栄を求める、帝国主義思想にあると、
それに、対抗しうる、「世」を全て「富」ませ豊かにし、人を「貴」ぶ、真の「よふき」を伝える書物。
にほんの「こふき」を求めると、その思想を早く伝えたいと、語られています。
0486基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:05:04.70ID:/75jq5NP
おやさまのお筆先は、「文字と音」で読むのが基本です。
文字については、原典として市販されています。
音については、ローマ字本があります。
第12号 101
このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや

Kono tasuke chotto no koto ya to omouna yo Kore wa nihon no ichi no Koki ya

Do not think of this salvation as being trivial. It is the principal matter of the Divine Record of Nihon.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
音では、「Koki・こうき」ですが、文字では「こふき」です。
音での意味から、「口記」「功記」と文字が当てられています。
文字での意味では、「こふき」「子富貴」が一番似つかわしいと思います。
英訳では、the Divine Record of Nihon.→日本の神の記録。

そこで、「こふき」を文字通りに「子富貴」と読んで、西欧の「子富貴」の書物、聖書に対比したわけです。
0487基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:08:04.43ID:/75jq5NP
つまり、旧約聖書には、人間への神からの契約として、子孫の繁栄が書かれているわけで、それが「こふき」の一番の骨格です。
繁栄にいたる道筋としての、こふき、古記。
天理教の教えも、神と人間の約束としての「陽気遊山」があり、
それに至る道筋があるのですが、モーゼが書き記したようなその記録が無い。
天理教の繁栄の歩みは、事実繁栄出来ていないので、記録がない。
神に言われたことを背いた、山名系の歴史とか、愛町系の神人伝とか、こふきに該当する「記録」が無いわけです。
おふでさきは、「違いがあるから知らせた、間違いの記録書」です。
おさしずも「功記」ではない。
サクセスストーリーが欲しいと言うのは、親神のお筆先に記された、こふきが欲しいと言う、趣旨そのものです。
0488基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:11:04.90ID:/75jq5NP
サクセスストーリーがない理由は、月日の言う事を聞かない弟子ばかりだったからです。
なに事も月日の心をもうにわ にほんにこふきほしい事から (10-87)
にほんにもこふきをたしかこしらへて それひろめたらからハまゝなり (10-88)

このはなしなんとをもふてみなのもの にほんのものハみなわが事や (10-89)

それしらずなんとをもふて上たるハ むねがわからん月日さんねん (10-90)

このところどのよなこふきしたるとも これハにほんのたからなるぞや (10-91)

一れつの心さだめてしやんせよ はやくこふきをまつよふにせよ (10-92)

しんぢつのこふきがでけた事ならば どんな事でも月日ひろめる (10-93)

月日よりひろめをするとゆうたとて みなの心ハしよちでけまい (10-94)

それゆへにとりつきよりにしいかりと たのみをくからしよちしていよ (10-95)

このひがらこくけんきたる事ならば なんどき月日どこいゝくやら (10-96)

にち/\にとりつぎの人しいかりと 心しづめてはやくかゝれよ (10-97)

このみちハどふゆう事にみなのもの をもているやら一寸にわからん (10-98)

月日にハなんでもかでもしんぢつを 心しいかりとふりぬけるで (10-99)

このみちを上ゑぬけたる事ならば ぢうよぢざいのはたらきをする (10-100)

月日よりこのはたらきをしかけたら いかなこふてきたるとゆうても (10-101)

心よりしんぢつハかりすみきりて とんな事でもをやにもたれる (10-102)

このさきハせかへぢううハどこまでも よふきづくめにみなしてかゝる (10-103)

たん/\とこのみちすじのよふたいハ
みなハが事とをもてしやんせ (10-104)
0489基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:14:04.43ID:/75jq5NP
たん/\とこのみちすじのよふたいハ
みなハが事とをもてしやんせ (10-104)

つまり、この「こふき」作成ストーリーは、基本のわが事でもあるわけです。

こふきとは、神の教えそのものが、こふきであると知らされてあります。
しかし神のこふきは、旬が来ないと実現されない。
そこで、こふきを待つという事の意味が見えてきます。
「日柄刻限」。これが、旬です。

そこで、こふき作成当事者としての基本は、神の教えを根を掘ることを、一意一頑として、年限かけてきたわけです。
わが事として、認識したのは、十八から二十歳の時でしたから、
教理の研究をわが事として、一貫の人生であって、こんなにも幸福な人生は無いと感謝しています。
126の旬に、正月に向けて、こふきの実体化に向かうために、
当スレに、甘露の研究を書き続けたのは、教理的な吟味、洗い直しでもありました。
0490基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:17:03.56ID:/75jq5NP
米国の正義は、敵国を裁判すると言う、宗教国家ならではの風習を国際化しましたね。
普通、戦争ですから勝者が敗者を支配するのは、常道ですが、「人道」という基準で、実は宗教基準で、裁判と言う方法で、宗教的優越を公開する。
「とふじん」の大社高山らしい、思いつきで、戦争の当事者として、浅ましいものでしたね。
おやさまが、世界の高山の胸元に風穴を開ける今、旬の到来を、陽気に遊山する「こふき」の開始と、基本的には悟っています。

この闘いの、一面ですね。
西欧の才とは、テクノロジーであり、西欧においては神と科学は対立しながら、宗教は科学を容認しつつ、支配の武器に、用いて来ました。
繁栄は、洋才が、そしてこの世では無い、あの世の審判後には、宗教がという、
二つの基準の幸福が、「とふじん」の価値観となっているわけですが、
それは、「空虚・から」の思想であり、おやさまの「ころり」を願うお気持ちは、切ないものです。
0491基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:20:04.74ID:/75jq5NP
そこで、基本自身のなすべきは、『子』としての『富貴』そのもの。
自分が、わが事として通るために、通りつつ研究していた、
これからが、テクノロジー対オカルトの、基本のこふきに、なります。

『俺がするのやで』というお言葉があります。
みんなわが事と思うて思案せというお筆先をまじめにわが事と受け止めますと、この、「俺がするんやで」のお指図が、実感として理解できます。
すでに世界中の一列兄弟が、陽気遊山できるだけの、ご守護と言うものは、この世にお与え頂いてあるのですが、
大社高山が、谷底をままにする支配があって、それで必ず奴隷状態の谷底を用意しながら、高山の繁栄は維持され続けているわけです。
そのカラクリはそんなに単純なものでは無い。
最初私は、もう少し安易に考えていて、家業として事業を立ち上げる最初の段階で、
金融資本、行政、司法と真っ向から対立するような、そんな経験を重ねました。
その経過は、長いストーリーなので、この場では語りませんが、これから、通る道の為の、大きな教訓として、残されています。
情報は、ことごとく管理されていて、新規事業を立ち上げることは、食われるための注文の多い料理店現象だと言う事です。
だから、こうして投稿していると言う事も、基本が「子富貴」に向かうと言う事は、本当にそうなる目が出てきたら、徹底的に妨害されると、理解できています。
オカルトは、果たして、現代社会の支配の構造を打破できるのか、です。
そんなこと、おやさまが尽いてる限り、勝てるに決まっています。
0492基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:23:03.08ID:/75jq5NP
その人は〇〇○銀行経営相談所の所長さんでした。
「基本さん。銀行と言うのは、一度記録に残ってしまうと、絶対忘れないものですよ」
「戦前に、銀行とトラブル起こした方がいて、戦後かなりすぎてから、ま、そのころは表向き円満なお取引先でしたがね、
ちょっとしたことから、きちんと潰されました。覚えていてくださいね。」
「所詮個人企業みたいなもので、恨みはとことん忘れないものです」

地元で、倒産した病院がありましたが、その経理担当者さんが語っていました。
『あの日、手形を落とすためのお金を持って、銀行に行きました。
そしたら、支店長さんが、応接室にと通してくれて、いろんな話をしていたら、「あ、もう時間ですね。不渡りです」と、やられました。』
やくざさんに追い込みをかけられていた方で、たすけて欲しいと相談に来られて、その時に聞いた話です。
地元の弁護士さんでも「あんたに協力したら、ご飯が食べられなくなる」と、正直に断った方もいました。
そういう、この世の常識の数々を学んだのは、とても良かったと思っています。
「難儀せねば難儀なるものの心わからん」と、それは実に本当の事でしたから。
警察さんとも、裁判所さんとも、行政とも、ずいぶん色々と、バトルしました。
当然ながら、やくざさんにも厄介が色々ありました。
社会の構造そのものに、批判的であると言う事は、敵ばかりです。
そういう中から、何をもって、富貴になろうというのか、まさに、行った所が袋井やという、楽しい道です。
0493基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:26:15.84ID:/75jq5NP
あの頃、〇〇銀行の経営相談所は三社の面倒を見ていました。
その内の一社が、基本の経営で、その内の別の一社は食品関係で順風万歩、TVCMでもおなじみとなり、
地方の一中小企業から、上場企業になるという勢いでしたが、
ニュースを賑わした一寸したトラブルで、その美味しい部分は、大企業に吸い取られました。
あの頃、所長さんは、コンビニの地方展開プランを語って、私に質問するので、
「それを又潰すきで、別なコンビニを近くに用意しているのでしょう」と指摘すると、そのとおりです。
良く分かりますねと、笑っていました。
『基本さん、物を作って売る次代じゃないのですよ。お金がお金を生むのです。者を作って売るなんて、時代遅れで巣よ。』
ご指導を頂きました。懐かしく思い出します。
投機の時代と言う事を、教えたかったのでしょう。
おやさまも、相場の必勝法を教えていたのではと、思われる節があります。
以前に、書いたことがありますが、秀司さまに博打を教えた従兄弟の家や、言上の伺いを許されていた女性の家に、教えられていて、
その間違いで、相場で損したと言うことがあったりして、道から離れたのではと、推察したりしてます。
辻忠作さんが、伊蔵さんから、米の相場の予言を聞いていた話は、再三述べたので、お分かりの方ばかりでしょう。
能力が本物なら「金が金を生む時代」には、天理をマスターしていたら、
「金で金を生む」ことが可能なわけですから、難儀の救済をそうした資金で行うなら、宜しいことです。

ところが、基本さんは、神様が失敗するけれどやれと言う知らせで、〇〇銀行経営相談所の後ろ盾で、
失敗すると確定の事業に三千万ほどの資金融資を得て、突入したわけです。
それはまさに、面白おかしいお話でした。
0494基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:29:03.03ID:/75jq5NP
なにせ、工場長のお一人は当時の自民党長野県一の実力者の側近で村会議長、
もうお一人は、経営相談所のお墨付きの資産家で、勤勉勤労、西部デパートに一発で販路を空けてくれる。・
日本を代表する電子機器メーカーの80%出資の子会社が全面的に技術協力で、共同開発。
全国理美容協同組合が納入業者に指定、現金問屋の大手にて取り扱い開始、桂由美ファッションショウにて採用、・・・
絶対に失敗するおやさまのお知らせは、このような展開で、営業が開始されました。

では、なんで失敗したのか。

日本を代表する某メーカーの電子回路に、不良が発生した。
そこで、おやさまのお知らせだけを頼りに、原因を調べると、
実は製造をしていたのは、その下請けの一個人事業者であった。しかも、意図的に不良部品を使っていた・
さらに、基本の会社に修理した改良品を納品すると約束する一方で、基本以外の別のメーカーに共同事業を意図して、動いていた。
神様の知らせで、探偵社を雇って、密会の現場を写真の証拠に、また、銀行の担当者の会話を録音して、業務妨害の証拠にして、
銀行と企業に、損害賠償の請求をなし、1500万円は得たが、すべてのルートは絶たれていた。
和解のときの銀行の支店長の、哀れむような目は、とても印象深かった。

通れといわれれば、通ると、こんな目にあうという見本であった。
0495基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:32:03.07ID:/75jq5NP
ともかく難儀の底に手を打って待つというのだが、膨大な負債で倒産した。
従業員は50名はいたので、社会保険料の焦げ付き額が長野県内最大であった。
どうしたか。
社会保険担当の課長は、すべての帳簿を改ざんして、なかったことにしてくれた。
社員の支払いのためにサラ金がちょうど開始されたので、最高限度額借りまくった。
やくざさんとは、融通手形の割引と言うだましあいをして、資金をつくり未払い工賃の支払いに当てた。
社会党系の労組にて労働債権確保をなして、やくざやサラ金に渡さず、労働の皆さんに解雇予告一か月分まで支払えた。

そのかわり、やくざの追い込みは厳しく、特に経営相談所推薦の工場長は、経理事務員を脅して
手形を乱発させて手に入れていて、それを渡されたやくざの追い込みはかなりだった。
窓をぶち破り事務所に侵入して、金目のものは盗んでいった。警察は、「あの人たちは悪い人じゃない」と取り扱わない。
結局、名古屋で別件の窃盗で逮捕されたが「元警察官」であった。
そう簡単な修行ではないことは、明白だったが、お上と戦えというお知らせがあったので、真剣にバトルをしたりもした。

基本は、おやさまが、失敗するがやれというから、やってきたのだが、そんなおやさまがというような話、誰が信じるというのか。
そんなものは、いいわけだとみなされて、「人の笑いを」紙はしっかりと楽しまれたであろう。
0496基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:36:03.14ID:/75jq5NP
法廷闘争では、勝てそうな場所では相手を追い詰めなかった。
そんなことして,勝ってしまったら、おやさまの道は通れなくなるからだ。
長野県の公文書が書き換えられていると「証拠保全」の決定を勝ち取ったことがあるが、それはそれ以上、追求しなかった。
当時は、公文書公開関係のニュースが盛んに取り上げられていて、そんな事で時の人になったら、天理教研究家にはなれないからである。
警察にもわなを仕掛けられた。
裁判所とも争った。
それは全て、教理研究のためであった。
あらゆる場面で、頼みの綱は原典であった。身の知らせであった。
今なら3秒でわかることも、三日うなって、思案し続けた。
今より真剣であった。
おやさまのせかいろくぢへの執念の原因を体感した。

失敗するからと、予告されて開始した事業であったが、「八棟八商売」というご神言と「家業第一」が基準にあった。
そして、その理念は、大社高山との戦いなくしては実現しないという、当たり前に、関係者誰もが気がついた。

それは、連戦連敗の基本の事業への不信感となり、つまり勝てっこない戦いをしている、ドンキホーテへの失望となって、何名かの同士は去った。
0497基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 04:40:15.79ID:/75jq5NP
今している事業も「ためし」であるが、おやさまは、失敗するとは示していない。
だが、「失敗するよ」という仕事の時には、周囲は極めて熱く仕事にまい進したが、もう覚めていて、簡単に踊らない。
そして、旬を逃し、道に踏み迷う。。
それだから今は、言うこと聞かないと病気になり聞くと治る人しか、スタッフにしていない。
教理の実験という、この世のためしという、おふで先を、研究する以上は、「子富貴」として、おやさまにお見せしなければ、教理にはならぬから。
その意味で、甘露の研究は、甘露を得ることが、研究そのものと言うことになる。
基本の教理が、役に立つとすれば、それがきちんと証明されてからと言うことになる。

おやさまが扉を開いたとき、それが世界ろくぢの道の開始だと、誰も理解できなかっただろう。
真柱さまと、本席さま以外は、教団の先を案じていただろう。
本席が出直したときにも、初代真柱が出直したときにも、それが世界ろくぢの道の開始とは理解できなかったろう。
教団の先を案じてばかりの、情けないうから、やからと言う事だ。
今日は何日、「26日吉祥」と言い残して死んだ。
初代真柱は、おやさまの定命の115才に、間に合うように、神殿普請をして死んだ。
それは、世界ろくぢの道に進むための普請であった。
いさいをおやさまにお任せして通るという、天理教の当たり前が、実現したことがなっかたのに、なぜか天理教はそこにある。
それこそが、最大のご守護なのだろう。

安心してよいのは、旬が来ていると言う事だ。
0498神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 12:29:14.66ID:/75jq5NP
\  さいごのガラスをぶち破れ〜    /
 *      \ 見慣れた景色をけりだして〜 /*
  *  ( \/ /_∧   <./|   /| +     /\___
   + ..ヽ/ /Д`/⌒ヽ  / .| / /     /    //
。     / /\/ ,ヘ  i   ̄ > \_/ * /____//
      し' \_/    i  />      ̄ ̄ ̄ ̄
   +     i⌒ヽ  ./   ̄>__  + 。    ..|| |::
     /⌒ヽ i  i  \(    .|/  / /\  + .|| |::
 *  ..i    | /ヽ   ヽ  *∠__/   ̄ +  *..|| |::
     ヽ ヽ| |、 \_ノ  >   <>  *    || |::
  。    \|  )  ̄  ./V   *     。   .|| |::
____  .ノ ./⌒)∧ /  ..+_________||___
  。  / し'.ヽ ( .∨    /\________|__|
    //    し'  / /\ + ̄:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
049947の素敵な(茸)@転載は禁止
垢版 |
2018/12/16(日) 12:32:06.69ID:/75jq5NP
   |_|                   |l
┌─┴─‐┐          ─◇
│| ̄ ̄ ̄|│              /
│|___|│       ♪
└───‐┘ ∧_∧ 〜
        ( ・∀・)__   __
        (  つ¶ /\_\. |[l O |
        │ │ |\/__/ |┌┐|
        (__)_) __ll__  |└┘|
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 ̄ ̄ ̄ ̄  __∧____ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       l´
        │  客来ねーな。 飯田の演歌王の俺様の店だというのに…
       l,____
0500神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 12:35:08.70ID:/75jq5NP
\もうね、アボカド/ \バナナかと/
                     ┌┐
      ヽ           / /
     γ⌒^ヽ       / / i
     /:::::::::ヽ       | γ⌒ヽ
     /::::::彡⌒ ミ     | (,,゚Д゚)
     /::::::::(,,゚Д゚)       |(ノi  |)
    i:::::(ノDole|)     |  i  i
     ゙、:::::::::::::ノ      \_ヽ_,ゝ
      U"U         U" U

                (~)
シ ⌒ ミ.         γ´⌒`ヽ
´・ω・') ドウモ   )  {i:i:i:i:i:i:i:i:}
    ヽ.  ζ  ((  ('・∀・`.)
.゚   ゚|ヽニミ[ ̄] ゝ━(]⊂ヽ::::::::ヽ
 .,',. |   . ̄ (._=_)  し―-J
 iuj |
 ̄ ̄ ̄ ̄|
0501ちゅらさん
垢版 |
2018/12/16(日) 12:39:04.26ID:/75jq5NP
                  _,..- ‐‐‐‐- 、
                /::::::::::::::::::::::::::::::\
               //´\:::::::::::::::::::::::::::::\
             .//     \::::::::::::::::::::::::::::V
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            /:/ ヘ        /`.\:::::::::::::::::V
           }:::{ r、_\    /_,.-‐ァ .|:::::::::::::::::::V
           |:::::ハ_.{0ト、i  .7 {0} ./  |::::::::::::::::::::V
           |::::|  `ー/ /  '-‐"´   .|::::::::::::::::::::::V
           |::::|   //        .|::::::::::::::::::::::::V
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           /::ハ ヘ  v‐--- ‐v‐´   /  .\:::::::::::::::::V
          レ' .ヘ::ヘ  乂ニフ"  //    .\__:::::::::V   < 高市早苗で悪かったわね!
         /   ヘ:::::\    _,./ ./        `゙\:::V
        i      ヘ::::}`ー"´  /           }::::V
       .人    \、__ .i- 、__,.‐イ   __,..-‐     ./´⌒ヽ、
      _./  ./`ー―――ト ァ'‐ト、_j-=ニ二..........---‐フ"   ___\
   ./´/  ヘ      //  .ヘ\       ./´  ./7´   ` \
  /   \   \_/ /  ./   ヘ \   ./  /;:;:;:/        Y
/    i  \    /   /    ヘ \/  /:;:;:;:;:;:/         |
0502100式
垢版 |
2018/12/16(日) 12:42:47.53ID:/75jq5NP
天理教の教会の子供は親の躾が全くできていない。
一般信者の子供とはあまり接触する機会が無いので、
実態はどうだかわからないが、目糞・鼻糞だと思う。
躾の可否は、受動側の生い立ちで差異が生じるとは
思うが、「人に挨拶をする」という行為は、万人に
共通する最低限の躾というか、躾以前の必須要件と
思う。年齢・性別を問わず、今だ嘗て子供から先に
挨拶されたことが無い(漏れは某教会に通算で三年
くらい出入りしていて当然子供全員と面識も有るし、
何度も会話したことが有り決して初対面では無い)。
ちなみに漏れが出入りしている教会の子供の構成は
長男(大学生)長女(同左)次男(高校生)三男(中学生)
次女(同左)及び親類の長女(社会人)長男(高校生)の
計7名である。同教会には教会長夫妻の他に会長の
両親(前会長夫妻)おまけに「住み込み」4名+1
(住み込みAのつがい(池沼)♀)+「通いの住み込み」
(別に自宅が有るが、教会にも自室が有るという、
変則的な準住み込みのような人)も一人いるという
大人がいっぱいの環境であるにも関わらずである。
教会内や教会関係者(傘下の教会や一般信者全般)が
相手なら百歩譲ってまあいいか(良くないが)と思うが、
近い将来、一般社会の「善意の第三者」(漏れも以前は
こっち側だったが今は教会の準構成員扱いされている
orz)と関わるようになったらトンデモな事態になる
のは保証してもいい(笑)。まあ漏れの知ったこっちゃ
ないが(汗)。DQN扱いされて初めて気付いても遅い。
ここまで書いたら、天理教の工作員に身バレして、
彼らの手で「出直し(命BANの意)」させられるかも
知れないが、そうなった時の遺稿としてここに書き
残しておこうと思う。長文スマソ。m(_ _)m
0503神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 13:33:53.83ID:/75jq5NP
.____________________________________
|┌──────────┐ 履歴書     平成30年10月11日
||  // ̄ ̄ ̄ ̄\..  .  | ┌────────────────
|| 彳丿; /,,,,,,,,\ u lヽ  . | |氏名:  松本人志
||  入丿 -◎─◎- ;ヽミ. .| ├────────────────
||  | u:.:: (●:.:.●) u:.::|  .| |生年月日 昭和38年 9月8日
|| . |  :∴) 3 (∴.::: |  . | ├────────────────
|| ...ヽ、   ,___,. u .. ノ . . | |現住所: 実家暮らし寄生虫株ニート
|| /\ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ\.| ├────────────────
|| |   .\/゙(__)\/゙  . .,|  .| 連絡先: 電話無し、携帯無し
|└──────────┘.└────────────────
| ┌───┬─┬──────────────────────
| | 年  . |月|          学歴・職歴
| ├───┼─┼──────────────────────
| |     . |  |          学     歴
| ├───┼─┼──────────────────────
| |昭和55|03|       高校中退(最終学歴=中卒)
| ├───┼─┼──────────────────────
| |      .|  |
| ├───┼─┼──────────────────────
| |      .|  |          職     歴
| ├───┼─┼──────────────────────
| |平成○|○|   アルバイト・派遣(正社員経験なしの株ニート)
| ├───┼─┼──────────────────────
| |     . |  |   現在無職に等しい芸人気取り
0504名無しピーポ君
垢版 |
2018/12/16(日) 17:27:56.13ID:/75jq5NP
通報がありますたので きますた
        \   |    /
         _┌┬┬┬┐_
       ――┴┴┴┴┴―、        
      //    //       || \      
  __[//____//[ ](´・ω・`) ||_ \__
 lロ|=☆= |ロロ゚|■■|■■長野県警■■||  
 | ∈口∋ ̄_l__l⌒l____|___l⌒l___||
   ̄ ̄`ー' ̄   `ー'  `ー'   `ー'
0505基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:31:35.24ID:/75jq5NP
『 他者との交わりを絶ち、一人大自然の中で、ひたすら虚空蔵菩薩の真言を唱え続けること、
実に100万回途中で行をやめると発狂するとまで言われる荒行である、命を落す危険も十分ある。
だが真魚は、すでに自らの進む道はこれしかないと決意していた。
この行の果てに何かが見つかるかもしれない、かくして彼は、大学から突如として出奔する、吉野・大峰・熊野へ修験道のみちを行く。
 竜神、高野、金剛、葛城、犬滝、海を渡り彼は、室戸岬の崖上に座し、一心に求聞持法を修めていた。
 今まで夏には穀物を断って懺悔の毎日を過ごし、冬には、下着1枚で外に出て行に臨んだ、真理を求める修行の歳月はまたたく間に過ぎ去り、
かれは、「虚空を蔵する」というこの菩薩の名の通り、真言を唱えるほどに心は一点の曇りもなく、澄み渡り、万象を包含するかのように思えた。
体は大自然と一体になり、どこからどこまでが自分なのかも判然としなくなる。
真魚は、その拡大した全身をもって、大自然の響きを聞いた。
おりしも明けの明星、金星が水平線の彼方に輝いている。
だがふと気がつくと、それは「彼方」ではなくなっていた。
今の真魚には、爛々と燃え上がる金星が、ほんの自分の目と鼻の先にあるように思えた。
とそのとき、金星は突如として輝きを増し、すさまじいスピードで真魚めがけて飛来した、と思うといきなり彼の口の中に飛び込んできたのである、
「うおぉーー」体のなかで何かが開花し、意識が大宇宙に溶け込んでいく・・・
どれくらいの時間が経ったのか、一気に星を吐き出すと、光が海を金色に染めていった。
明星来影すのちに空海はそう簡潔に記している、金星は、虚空蔵菩薩の化身といわれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきがこふき話として説いた内容には、「弘法大師」は、十全の守護の理の「八柱目の神・おふとのべ命」様と説かれています。
「天にては明星として、御現われになる」と諭されています。
空海師は、明星を口から体内に入れて、明星になった。
地にてハ、弘法太師さまになったのが、「洞窟修行」の結果であったと言う事です。
0506基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:34:25.90ID:/75jq5NP
言葉といえば、「かしこね命」の守護の理と想起しますが、「真言」は「大戸辺命」様であったという事、
その意味については、読経百万回を洞窟にて行うと言う、密教の修行方法そのものの意味に求める事が出来ます。

中山みき本人は、浄土教の経文や讃歌を毎日称えると言う少女であり主婦でした。
「お経」を唱えると、仏と一体になれると言う、この「称名の利益」の意味として、空海の修行法は、脳を活性化させるといわれています。
つまり「引き出し引き伸ばし」の守護の理。
能力を引き出し引き伸ばすのが「真言・マントラ」を無心に唱える効果だと理解するのが基本です。

そして、真言には「文字を唱える」と言う意味だけではなく、「響き・倍音効果」として、「発声する」という意味がある。
「言葉」と言うよりも「振動。波動」としての「真言」だという事に、「洞窟」や「蔵」に籠もり唱え続けると言う事の価値があるわけです。

中山みきは、立教から三年間「内蔵」にこもって、「おうた」を「お言葉」をうたい続けた。
内蔵の中からの声が、外に、響いていた。
この「倍音効果」を持つ意味において、甘露台三下がりのおうた。そして「窓無し蔵を建てて、
つとめの人衆十人の息を通す」という意味が、その「マントラ」効果に意味を有していたと言う事です。
0507基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:37:29.53ID:/75jq5NP
分かりやすくいいますと、何の修行もしないで、その道の玄人になると言う事は、あり得ないことです。
おやさまのお陰で、自由自在な力が病たすけにおいて仮に得られたとしましても、それはそれで、おやさまのご守護だから宜しいものですが、
「生き通しの神」になると言う事なら、それなりの修行がなければならない。
初期の高弟には、行者であったり修行をしていた、半生の後に入信したが多かった。
一通りは別に宗教を学んでいたとか、「心学道話」」の熟練者であったとか、「易者」においての先生であったとか、
行が行ってあった。
おやさまご自身も、浄土教の修行をなさっていた。
また、おやさまは、ご自身の娘さんたちにも、神社へのはだし参りのような行をさせています。

特におやさまが、内倉にこもられた三年は、「お籠もり」とは修行の一つですが、近隣まで響き渡る声で、おうたをうたわれています。
ひな型の三年千日とした、最初になすべき最大の実践は、「声明」。
「夜昼どんちゃんつとめする」は、これを踏まえてのものと思慮します。

神名流し、これも「声明」。「称名」。
おつとめは、「称名」「称名」。

「声をながす」「声をかける」という、ことの、「正月」は、それがあって、一月二月と次に進みますから、修養科でなら三月、教会生活なら三年、
「南無天理王命」の声を、発声するのは、とても大事な修行と言う事、明らかです。

三日ほど前、耳の少し不自由な人が、基本に一緒に歌って欲しいと、お隣でカラオケを歌いましたが、「耳が聞こえるようになった」と、
当然、未信者さんですし、格別のお求めか髪の知らせなければ布教対象にはしませんので、「お陰話」ではありませんが、
「マントラ効果」があるような声にご守護頂けるなら、歌声だけでも、病たすけが出来るよと言う、匂いを、
神からお掛け頂いたと、常日頃の心使いを反省したところです。
0508基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:40:13.11ID:/75jq5NP
多少の誤解もあると思いますがイメージとしては、ご理解いただけた様に感じています。
> 近所に響き渡るように
そうなんですね、響く声は、称名信仰の必需品ですね。
おつとめとして、なさるのは、普通に「悪しきを払うて」が宜しいと思います。

> 神名を長時間唱えることにより、瞑想状態に至り
> 心が澄んでくるのですね。
振動の問題ですね。
共鳴振動が宜しいようで、密教系の「呪文」は痺れるような振動の声で唱えられます。
地中に埋められて、経を唱え続ける修行もあるようですが、地上に響く声で無いと、直ぐに出されてしまうでしょう。
死にそうかと疑われて。

南無天理王命と唱える神名にはパワーがあるのでしょうか?
それは、おやさまの名です。
おやさまは、パワーの根源です。唱えればおやさまは、お喜びでしょう。


> カラオケを手ほどきしてくださることは出来ますでしょうか?
これは、いつでもどうぞ。です。
ただし、必ず上手になります。
現在は国道153号、豊田市から飯田市に通じる、中馬街道に演歌王の看板の出ている店舗。
「中馬街道演歌王」、諏訪湖の周りで、ガラスの里から岡谷市に向かう湖岸に「天下一」の看板ある店舗。
滋賀県草津市で、「夢うさぎ」という店舗など、各お店のママが、カラオケの生徒さんで、定期的に教えています。
どちらの店舗でも、演歌王先生で教えています。
お近くを選んで、連絡して下さい。
ただし、基本さんではなく、演歌王さんで、お願いします。
0509基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:43:33.34ID:/75jq5NP
おつとめの勤行というものは、神との交流という趣旨があって、それは座禅であっても、読経であっても、意味するところは一つです。
二ちゃんの「天理教教理解説スレ」にて、解説中ですが、
十二下りと言う一人でなすおつとめも教えられてあります。
「名を称える」。と言う事から「称名」信仰と言うものは、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と念じて称える行の事です。

おやさまの内倉のひな型をお通りになりたいのであれば、「十全の守護の理」。
ご自身の選択で、なされたら良いと思います。
基本は子供の頃、父親が「おかきさげ」を毎朝夕に、暗唱せよとの指示で、唱えておりました。
おさづけを頂かれてあるのであれば、「かきさげ一条」と教えがありますので、
先ずおかきさげは、声を出して暗唱されたら、基本どうりだと思います。

おつとめの勤行も大切ですが、一人でなさることです。
大勢が揃うのは、おやさまお望みですが、おやさまお一人がお通りになった。
つれて通るのはその後であり、連れ立っての信心は、おやさまはお嫌いです。
0510基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:46:08.52ID:/75jq5NP
刻限御話

明治二十六年一月十三日 夜二時四十五分
・・・・・・・・・・・・・・・
さあ/\/\/\一つの話、・・・ふでさきにも出てある。
十二下りの理にも出てある、十二下り出て居る。この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。通りたら分かる。
三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。
遠慮気兼は要らんと言うたる。
頼み置いたる一つの理、十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、
中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。
入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。
この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。もうこれ心さえ曇りが無いと思う。
曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。
もう一段一寸掛かり掛ける。
一度にも仕上げる。一時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってくれ。
これまでよりだん/\思やんしてみよう。
嘘は無い。嘘は一つも言うてない。
これ事情にて、互い/\の心を治めてくれるよう。
0511基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:49:19.66ID:/75jq5NP
ご提案ですが、『十二下りの理にも出てある、十二下り出て居る。この事情からはい/\、』
が、「はいはい」で宜しいのではないかと思います。

折角の十二下りです。わが身で声を出しわが身で足を出し、わが身で手を振る。
それが、おやさま直伝の天理教らしい「一人でする勤行」かと、ご提案します。

「はいはい」というのは這い這いです。
よちよち歩きとも思わないことです。
立って踊れるようになったら、やっと、よちよち歩きです。
それから、ものをいう様になったら、三歳です。

隔てが無いと言う事は、「隔離」という行為が無い事。
特別扱いが無いと言う事です。
おやさまの「世界ろくぢ」には、天理教だからという隔離があってはならない。
そこに、意識をおかねばならない。
そう思います。
カラオケ店で、来る人ごとに、相手の心次第に接客したら、「埃・隔て心」です。
相手の歌唱力しだいで接客態度を変えていたら、「埃・隔て心」です。
まして、チップくれたらで接客態度変えてたら「大埃」です。
0512基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:53:23.01ID:/75jq5NP
皆と一緒は、学びです。
お子さんとご一緒が楽しいでしょう。
しかし、精神の修行として、お勤めするのなら、お一人が宜しいかと思います。

今ようやく、真柱派としての自分が、基本として語ることができました。
にっこりさん。
基本は戦士なので、仲良しはしてられないのです。
誰とでもね。

教えの本筋に立ち返る。
しばしご思案いただきたく願います。

明治二十六年二月六日 朝
事情願
さあ/\よう事情/\、これまでの事情にさあ/\分からん/\。どんならん。
分からんからこういう日が出て来る。幾日経てども竦んで居る。
今日は起きられようか、明日は起きられようか。顔が懐しなったらどうするぞ。
ワハヽヽヽヽ、さあさあ皆んな勝手ばかり言うて放って居ってはどんならん。放って置くからこうなる。
未だ/\何でも彼でも働かさにゃならん。
これまでの処、だん/\日を送り、どんならん事情から日延べもし、どうなりこうなりこれまでの処、
ワハヽヽヽヽヽヽ、これまでだん/\さしづ/\で日々の処、危ない処も怖わい処も知らし、こうなる道も知らし、さしづ順序、危なき道を通りたか、よう思やんすれば分かるやろ。
ただ一言のさしづ柔らかなもの、さしづに間違いはあろまい。
心真実の理を見分けるなら、間違うた理はあろまい。これだけ聞き分けて置け。

笑い声が、響いています。

「ワハヽヽヽヽヽヽ」と、昼に明るい道を提灯に灯を入れて、うろたえている人間心が、本当におかしかったのです。
ここにターニングポイントがありました。
0513基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 17:57:13.96ID:/75jq5NP
同日、前事情に付会長はじめ役員一同本席の御機嫌伺いに出でし際の刻限
さあ/\早いと思えば早う成る、遅いと思えば遅く成る。難しいと言えば難しいようなもの、なれどよう思やんすれば難しいやない。
思うように成る事が暇がいるというは、よう聞き分け。
皆心運ぶなら、成らん事は無い。始め掛けが是非無く/\身をかくれた。
なれど日々入り込んで居る。入り込んで居るは承知の事でもあろ。
入り込んで始めたる事に、間違うた事は無い。人間の心なら二つに一つは間違う事はあろ。入り込んで居るならこそ、間違うた事は無い。
早く仕上げてくれ。
思うようにならん。間違いの事情もあろ。万事立て合うてある。
立て合うた事も追々治めて、又入り込んで居る処はどうでもこうでも、どうしたとてこうしたとて、話し掛けたら、せにゃならん。
差し上げて了うと言うた初めの理を聞き分け。
一つの道、一つの理、一つ心、これ三つ一つ欠けてもならん。
どう成っても案じる事は要らん。日々盛大の道を見れば、皆頼もしやろ。手を措いて思やん。
折角の道、三里戻れば今度三里行けば十年も掛かる事、ものというは一時に成れば快いもの、無理々々の理を集めてすればいろ/\の理が出る。
勇む/\と口で勇んだ処が、日々どうよこうよこれが難しい。これをよう聞き分けてくれ。

何をお笑いか、それは、おやさまにもたれ切れない人間の、字なさです。
0514基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 18:01:05.15ID:/75jq5NP
キリスト(メシア)とは、たとえば、
バビロニアからユダヤ人を解放したキュロス王がそう呼ばれたように、
イスラエルを敵国から救う王に与えられる称号です。

ところが、初めはそう期待されていたイエスは、
イスラエルをローマ帝国の圧制から解放するどころか、
ローマ帝国の役人によってあっけなく処刑されてしまいました。

教祖の突然の死という危機を信者たちが
どう乗り越えたかを示す歴史的文書が「新約聖書」となっています。

教祖の死という危機に陥った信者たちは、
メシヤの役割を、本来の「通常はやや政治的な」ものから、別のもの
(アダムの罪を贖うための犠牲の死、犠牲の小羊)へと
新しい解釈をせざるを得なくなったのです。
この新解釈を正当化するための様々な努力が「新約聖書」です。

そうなると、神と人類の間の断絶を生んだアダムの罪が重ければ重いほど、
断絶が深ければ深いほど、彼らの教祖の死の価値が上がるわけですから、
「悔い改めて神に立ち返れば、そこに神の導きと祝福がある」という
本来の旧約聖書のメッセージや、
「悔い改めよ、神の支配は近づいているのだから」という
イエス自身のメッセージのかわりに、
「アダムの罪は神と人類の間に、我らの教祖の死を仲介にしなければ、
取り戻すことのできない決定的な断絶を生んだ、
よって、我らの教祖を信ぜよ」というメッセージが
大いに宣伝されることになります。キリスト教の誕生です。
0515基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 18:06:26.31ID:/75jq5NP
元々より始め掛けたる話、成る成らん、見る見られんもあろうまい。
建家遠い所見るやない。あちらへ行けば草だらけ、それから踏み込み、だん/\始め掛けた道/\。
怖わい/\頼りさえせにゃよいと逃げて了い、何事も真にする者無かった。
一人の主というは、神の言う事用いらず、今年も商いや、相場や、言い/\皆無くして了うた。
よう聞き分け。何も無い処よりそれ/\だん/\道を付けて来た。
道を付けて来たは神の利やくとも言う。
神の働きとも言う。
それよりだん/\上り/\あちらへ入り込み、こちらへ押し合い、分からん/\、だん/\送りて来た。
もう一段という処どうもならん。余儀無くかくれた。
二年三年後の話、皆前後は知ってあろ。

「建家遠い所見るやない」
陽気暮らしの普請。建家遠い所見るやないと言われたのは、皆の心に潜む、案じ心、不信感の確信を突くお言葉でした。
「道を付けて来たは神の利やくとも言う。」
神の利益によって、道が付く。これが天理教の普請である。

しかし人は、人間思案で道の先を案じる。
「今年も商いや、相場や、言い/\皆無くして了うた。」
けれど、「神の利益で付けた道」。
これが、今の道。今からの道。
0516神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 18:09:38.46ID:/75jq5NP
             i⌒V´ヽ                    _
             l   l   |               ,.-v冖マ_}7⌒ク-、         /∨ヘ
                  l  l.  |            人_ン'´ ̄   ̄`ヽイへ    |\/    \/|
     ( `ヽ、     l  ‖ l ,.-、     r‐'フ7/            ∨^〉    |   、_」    └z
       ヽ   \    |   l   V  l       {/ '/ _//l ,ィ   /l  Y_   _」  (乂`)    〈
.     〈 `\   \   |   |  {   l    <人/ /レ`メ、ノ| ,/_」_l_  K`ヽ \          >
      \  \   `ーヽ ノ   ト-  |   く,/ ,イ ≡ミヽ レ/__ ノレl  | トl 〉 <   L )   く
        ヽ  \  '/    j    l   __/ '// | ,,,  `   =≡ 'リ ノ 〉レ′ >         >
.          \  `      ,/    l<i_/\l l l      ,   ,,, // 仆|  <    {__ l l  <
           ヽ      //    j、 \,ハ|ハl、 r'^ー┐   /, /l」_|    〉   (_      >
           ヽ__,   ´  {     / !   Y,ハ N\ヽ_ノ_,. イ l /l        7       ∠_
            ヽ        _/} |     kイ \ `ァ ´ / l/レf⌒ 、     /    |│    /
               \__ ,ノ   / ノ    ト、ハ__、イ又   /, ム⌒}   ヽ    ̄7   ‥    」
               〉`>‐'´ /     |ソ∧// { \/ {/ヽ、ノ     〉     ∨\/\∧/
                 //´ r─<_       | l 〈  ハ ヽ ∨ト 〉    {
             〈/_/      ` ̄`¬、l i、ハ_ノハ_ソ  ノ     \
0517基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 18:13:45.55ID:/75jq5NP
第10号 18
たん/\とにち/\心いさむでな
なんとやまとハゑらいほふねん

Dandan to nichinichi kokoro isamu de na
Nanto Yamato wa erai honen

Step by step and day by day, the mind will become spirited. What a rich harvest will appear in Yamato!
第10号 16

このひがらいつころなるとゆうならば
たあのしゆりをしまいしだいに

Kono higara itsu goro naru to yu naraba
Ta no shuri o shimai shidai ni

To say when this will come: it will come as soon as the weeding of the rice fields is done.

おやさまは、お筆先十号にて、「やまとのえらいほうねん」を予言されている。
0518基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 18:17:32.47ID:/75jq5NP
日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願

明治二十七年七月二十六日 朝

さあ/\尋ねる事情、さあどういう事始まる。どういう事聞くとも分からん。
やれ怖わや恐ろしや、分からん。何度の諭してある。事情はふでさきに写してある。
今の間にも見えると伝えて、どうでも是非々々残念を現われにゃならん。
ならん中の道から新しい道が見せ掛ける。どういうこうと思うた理を計り、
こうしたらよかろう、さしづを以て一つの事情、これ第一の事件、第一話までの話であろう。

ほんに出来たかいなあ、一つの心一つ治める。今一時の道は、怖わき恐ろしい道を通らねばならん。
未だ柔んわりと諭する。

それより人夫一つの理を以て一つ防ごう一つ抑えよう、大概もう世上の処、要らざる事やなあ、
一つには道のため果たしてみよう、聞いたる道が出来て来た。大概の理は諭したる。
これまでうか/\聞いてはならん。
幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。
五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。
多く話伝えて居る。
一時早くの理に人夫と言えば一寸俺も/\と言う。これも道で一寸には集まる。
今一時集まり難くい。一日一日迫り来る事情お前もな/\。
一時の処は応法些かなる印までにして未だ/\治まらん。
どうでも治めてみせる。
遠く所へ出越す。大いの心を働くと言う。難しい理を尋ねる。
さしづの理を以て掛かれば一つの道明らかと言う。
これまでの話の理に心を寄せ、一時一寸の理を運び、一度二度未だ是非々々の道があるで。

それ/\話詳しく伝えて、一時の道を通ってくれるよう。
0519基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 19:44:53.89ID:/75jq5NP
第4号 75
だん/\とくさがしこりてみちしれす はやくほんみちつけるもよふを

前お歌参照 しこりて:はびこるの意。

第4号
いまのみちなんのみちやとをもている なにかわからんみちであれども 1
このさきハをふくハんみちがみへてある もふあこにあるこゝいきたなり 2

このひがらいつの事やとをもている
五月五日にたしかでゝくる 3


それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや 4

つまり、五月五日に始めかけると予言されたおふでさき四号の予言の「第一話」の事件は「日清戦争」であった。
それは、「草」がしこっている、はびこっているから、起こる「神の立腹」の予言と言う事であるけれど、
合図たてあっているから、それは豊年の道の開始の合図でもあると言う事です。
0520基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 19:47:36.37ID:/75jq5NP
つまり、豊年の道には、五分五分の理があって、五つ理を吹くの、豊年の旬なのだが、戦争と言う「神の立腹」の旬でもある。
豊年の道は「非戦」の道であること、これはキーワードですが、その為には、当然に甘露が先に、降っていなくてはならないという、
当たり前の「ご利益」が必要なわけです。

人は、幸福に暮らしたくて、生きています。
結婚も、家族も、交友関係も、本来は幸福に暮らすための人の暮らしです。
しかし、人は幸福であろうとして、色々な欲に絡めとられます。
結婚は二人の世界をつくる事であるとしても、欲の為に暮らしたいるだけという真には心の通っていない二人になっていたりします。
天理教会は、人を幸福に導くのが使命ですが、幸福になるためにはと、「注文の多い料理店」の教会は、実は「信者を食べてしまう」教会ですね。
天理教団の本筋は、そういう「注文無しに」幸福に助けあげてくれる、おやさまの道です。

おやさまの逸話編をよめば誰でも分かる事ですが、おやさまは、たすけてくださいに対して、お助け下さるだけです。
そして、たすけられた礼をしたいと申し出た人には、教えていますが、たすけた人にお礼を求めたり、御礼の仕方を教えてはいません。
天理教団の本筋は、おやさまのひな型です。
人を幸福にするだけの、施す一方の天理教団が、本筋にあたります。
0521基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 19:50:48.10ID:/75jq5NP
そこで、王道を、天理王の王道を行かんとする精神定めが第一です。
雑音には耳傾けぬことです。
人の道には心向けぬことです。

甘露の研究は、当分の間、実験中にて、30年ほど、語りません。

四月四日より
 このはなしなにの事をばゆうならば にほんもからもてんぢくの事 7
 これからハせかいぢううを一れつに 月日そふぢをするでしよちせ 8
 これまでもせへいゝばいにことハりを 月日だん/\ゆうてあれども 9
 くちさきでゆうたるまでハたれにても たしかしよちをするものハない 10

中山みきは、明治9年、おふでさき12号にて、「四月四日」よりの予言を記した。
中山みきは、自身の定命を20年縮めていたが、本来の定命、115歳は、 教祖誕生は1798年、定命は115才、1913年。
ここで、いちど白紙になり、翌年から新たな一を始める理であった。

四月四日は、数理44年。1913年の翌年から44年目は1957年。

この時、東海村に、日本で初めて、原子力発電の火が点った。

「原子の火」初めてともる
これが、中山みき、四月四日よりの、予言の実現の第一歩であった。
0522基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 19:55:26.92ID:/75jq5NP
> 明治15年、中山みきは、明治政府に甘露台石の没収と言う弾圧を受けている。明治15年お筆先17号には、
> このはなしどふゆう事にをもうかな ふでのさきがなみへてきたなら 24
> お筆先でのみきの予言が見えて来た時が、おやさまの本来の道が見えてくるときと、理は知らされていた。
それでは、お筆先17号には、どのような予言がなされているか。神の残念の予言であり、26日と告げられていた。
 この日ハないつの事やとをもている 廿六日がきたる事なら 46
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 教祖誕生は1798年、そに定命は115才、1913年。
そこから、26日の数理は26年、1939年。

 1939年. 9月1日, 第二次世界大戦開始。

「このはなしなんとをもうぞみなのもの 神のざんねんゑらい事やで」

まさに、皆の心通りに、第二次世界大戦が開始された。
中山みきは、こういう高山の闘いを治めるために、天理教を開始したのであった。

谷底支配のために戦争を仕掛ける高山の手法を、封じ込める神に「そふじ」は、
「核」に手を出させる事から開始されました。
0523基本。
垢版 |
2018/12/16(日) 19:58:53.66ID:/75jq5NP
米国は、拡大する反核運動に対し、「核の平和利用」を打ち出し、日本に原発を造らせました。
最初は被爆地広島に原発をという米国でしたが、その目的は、
『「原発建設は日本に経済、政治の安定をもたらす。それは日本の軍事力、ひいてはアジア自由主義陣営の軍事力を強化する」と説明した。』
そして、読売正力松太郎と言うマスコミ協力を利用して、米国は、日本を「核基地化」していく。

『広島は建設予定地から外れたものの、その後、日米間で原子力協定が結ばれ、「原子力基本法」に続いて、
1956年1月には総理府に「原子力委員会」(初代委員長正力松太郎)が設置され、日本での原発立地は着々と準備が進められた。』

「四月四日」は、このようにして、高山は支配のために「核利用」をすすめ、
高山では管理すら出来ない、取り返しの付かない、核施設は、日本に設置されたと言う事です。

1957年、予言の「四月四日」に、開始された、東海村の核の火は、
1999年9月30日に、東海村JCO臨界事故 を迎えました。

30日は、みそかです。
中山みきが、おふでさき一号で、「正月三十日と日を切っておくる」と予言した、三十日の刻限。
 一寸はなし正月三十日とひをきりて をくるも神の心からとて
第1号 39
この予言は、明治二年、1869年から、1月30日は数理130年。
1999年、東海村の臨界事故として、神の宣言どおり送られています。
0524基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 01:29:38.43ID:7odJJoE5
明治七年、中山みきは、こう宣言をした。
「親神にとっては、世界中は皆我が子。一列を一人も余さずたすけたいのや」
これに対して、「まことの神であるならば、この身に罰をあててみよ。」と、挑発を受けて、こう宣言した。
「火水風ともに退くとしれ」
明治2年は1874年の宣言であった。
そこから、「五つ理を吹く・神の立腹」、5×5×5=125年の事。1999年。
1874年の宣言を1と数え始めると、数理正月二十六日は126年目。1999年。

@四月四日に開始された「神の掃除」は、1999東海村原発臨海事故をもって、「正月、第一章の三十日」をみた。

原発事故は「火水風」に反した人間のおごりへの、神の返し・

しっかりと、中山みきの働きを、みておく事だ。
0525基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 01:39:32.94ID:7odJJoE5
高山は「戦い」に、軍事行動によって支配している。それは、最強の武器を持っているからである。
その中でも、最強の軍事高山の米国の、中心思想は「聖書原理主義」である。
「聖書原理主義者」から見たら、イスラムも仏教も神道も、土俗の宗教は全て、聖書に支配されると言う。
「天然自然・月日によって、」現実の「豊年」を封じられた米国は、
米国のエネルギー支配力のある内に、世界を支配下におく必然性に迫られている。

だから、米国もまた「エネルギー基地」を攻撃している。
北朝鮮に対しても、原発に圧力をかけていて、シリアにも核基地に圧力をかけている点では共通している。
ギリシャを債務奴隷化した理由は、ロシアの石油パイプの通路だからであり、イランの石油を取引封鎖しているのも、同じ意味である。

他国の「燃料・エネルギー」を支配する米国が、その心どうりに、中山みきからの返しを受けるのは、天理である。

311・福島は、米国高山の「手先」であったから、天災を受けた。
核による支配の、経済支配の手先としての「にほんの唐人」がいるから、天災は、「地震・大風。水つき」は容赦なく襲う。
竜巻か?電柱15本ポッキリ、ぐにゃり 滋賀・近江八幡
2012.4.4 00:48
「送電設備」による支配を一撃したのは、まさに「天災」の意味を明示している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきの予言は、確実に、現実世界を世界ろくぢを、「かわいい」「こわい」で、諭している。
0526基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 01:50:44.17ID:7odJJoE5
> 「稿本教祖伝」には、お久は水をぶっかけさせなかったと、お久にまつわる事実として、記録されています。

『・・分署にお居での間も、刻限々々にはお言葉があった。すると、巡査は、のぼせて居るのである。
井戸端へ連れて行って、水を掛けよ。と、言うた。
しかし、ひさは全力を尽くしてこれを阻止し、決して一回も水をかけさせなかった。
 或る日のこと、
「一ふし/\芽が出る、・・・」
と、お言葉が始まりかけた。すると、巡査が、これ、娘。と、怒鳴ったので、ひさが、おばあさん、/\。
と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」
と、仰せられた、』

この、弾圧・拷問は、『教祖が御苦労を了えられて、三月一日(陰暦正月二十六日)』までの期間であった。
『三月一日(陰暦正月二十六日)』 
この、正月二十六日から、陰暦時代の天の将軍中山みきの残念への「返し」が開始された。
1886年三月一日  (陰暦正月二十六日)が、1となって、126年。
2011年三月一一日  311・福島は、中山みきの「返し」の開始を示して「11日は十分始まりの日」である。
0527基本。
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2018/12/17(月) 01:53:33.62ID:7odJJoE5
扉書きには明治13年1月ヨリ(1880/1)とある、中山みきのの予言は、
 明治13年1月 第15号 13
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも

月日の腹がはじけたと、神の大立腹を予言している。

みきが扉開いた後の本席(飯降伊蔵)からの「刻限」お指図で予言、明治20年3月11日の予言と内容が一つである。
これは、おふでさきの予言であるが、
13年1月→131との数理で、執筆の1880年から131年は、2111年、東北大震災が起きている。

きちんと、この世が中山みきの理の世界である事を、示すように、幾つもの予言は一つ事を示していて、
それは、「大社高山取り払い」の、正月二十六日に開始されると言う予言です。

おふでさき四号には、6月について、このように理が知らされてある。
 第4号 119
 けふの日ハなにがみへるやないけれど 六月をみよみなでかけるで

この執筆時1794年6月には、中山みきは、証拠守りを渡している。

2012年 6月は、20126であり、126と言う数理の旬となっている。
0528キュア好雄兄 ◇e.MY6XgnM2GE
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2018/12/17(月) 02:05:58.34ID:7odJJoE5
旧約聖書(タナハ)はユダヤ人の神とユダヤ民族を語るもの。
新約聖書はユダヤ人のイエス様やペトロやパウロなど使徒の語るもの。

聖書を理解するには
ユダヤ人の歴史やユダヤと近隣の風習を理解しないといけない。

11.まとめ
・新約聖書は霊感で書かれたと言うが、誤りのある人間が書いたものであるので、当然誤りも多い。
・読む我々も誤りのある人間であり、自分の新約聖書解釈を絶対視してはならない。また絶対の解釈など存在しない。
・新約聖書を学問的、批判的に読むことは決して不信仰でなく、謙遜で誠実でさえある。
・古代人が書いた文書であり、その時代の歴史、社会文化、風俗習慣、宗教制度を知らなければ理解出来ない。
・新約聖書は歴史的出来事も含むが、歴史書そのものではないので、事実とは異なるものが多い。
・教派教会の信仰思想の産物であるので、各文書により解釈が異なるのは当然である。
・文書を細切れに読まないで、全体の流れを把握し、著者編者の考えを知らなければならない。
(以下省略)

はじめにお読みください-聖書研究デスク-
旧約(ヘブライ語)聖書 新約(クリスチャン・ギリシャ語)聖書

ある程度の歴史的事実が含まれている寓話と考えれば良いのはないでしょうか?
0529キュア好雄兄 ◇e.MY6XgnM2GE
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2018/12/17(月) 02:08:13.10ID:7odJJoE5
英国シェフィールド大学のデービッド・ヒューズ天文学博士は述べた。
イエスの誕生は ※紀元前7年9月15日と発表
キリスト誕生を示したベツレヘムの星が土星と木星の異常接近の為
たまたま840年に一度起こる現象とケプラー式から算出した。

※1993年9月15日付ロンドン発『時事通信』より引用

図説 地図とあらすじで読む聖書 青春出版社 船本弘毅監修
P71
第6章 イエスの登場 受胎告知
ベツレヘムの星

魚座  牡羊座        牡牛座
火星 「太陽 木星・月 土星」 金星

〔上〕イエス誕生の頃
(前6年4月17日)の惑星配置
牡羊座と惑星の位置が、救世主誕生を示しているとされる。

〔下〕前6年の後半になると、数日間にわたって木星は、
見かけ上、西から東へと動いてみせた。

参考:「古代世界70の不思議」ブライアン・フェイガン(東京書籍)

ダビデの星=六芒星はユダヤのシンボルではありません _ ぽんちゃんからの伝言

昔昔、1648年のことじゃ
(↑注:日本では江戸時代。古代10部族消失騒動からは2000年以上経ってる)
ヨーロッパでは30年戦争というモンが終盤を迎えておった。
・・・ちなみに始まったのは1618年で終わったのが1648年じゃからな、
・・・[30年]戦争の末期に・・・プラハを防衛した[ユダヤ人からなる]民兵軍が
スウェーデン軍を撃退したんじゃ。
・・・フェルディナント3世はたいそう喜んでなあ、
各部隊に旗印を下賜しようと思い立った・・・六芒星は17世紀になって、
初めてユダヤのシンボルに決まった。
・・・当時のラビ(ユダヤ教の聖職者)は最初、
この六芒星に大反対をしていたという話すら伝わっている。
もし、古代イスラエルから綿々と伝わる
正統なシンボルであったのなら、反対するはずはなかろう。
そもそもユダヤの正当なシンボルと言えばメノラー。
イスラエルの国章にもなっているし
エルサレムの国会前にも巨大なメノラーがある。ユダヤ教の燭台だ。
0530キュア好雄兄 ◇e.MY6XgnM2GE
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2018/12/17(月) 02:10:18.01ID:7odJJoE5
英国シェフィールド大学のデービッド・ヒューズ天文学博士は述べた。
イエスの誕生は ※紀元前7年9月15日と発表
キリスト誕生を示したベツレヘムの星が土星と木星の異常接近の為
たまたま840年に一度起こる現象とケプラー式から算出した。

※1993年9月15日付ロンドン発『時事通信』より引用

図説 地図とあらすじで読む聖書 青春出版社 船本弘毅監修
P71
第6章 イエスの登場 受胎告知
ベツレヘムの星

魚座  牡羊座        牡牛座
火星 「太陽 木星・月 土星」 金星

〔上〕イエス誕生の頃
(前6年4月17日)の惑星配置
牡羊座と惑星の位置が、救世主誕生を示しているとされる。

〔下〕前6年の後半になると、数日間にわたって木星は、
見かけ上、西から東へと動いてみせた。

参考:「古代世界70の不思議」ブライアン・フェイガン(東京書籍)

ダビデの星=六芒星はユダヤのシンボルではありません _ ぽんちゃんからの伝言

昔昔、1648年のことじゃ
(↑注:日本では江戸時代。古代10部族消失騒動からは2000年以上経ってる)
ヨーロッパでは30年戦争というモンが終盤を迎えておった。
・・・ちなみに始まったのは1618年で終わったのが1648年じゃからな、
・・・[30年]戦争の末期に・・・プラハを防衛した[ユダヤ人からなる]民兵軍が
スウェーデン軍を撃退したんじゃ。
・・・フェルディナント3世はたいそう喜んでなあ、
各部隊に旗印を下賜しようと思い立った・・・六芒星は17世紀になって、
初めてユダヤのシンボルに決まった。
・・・当時のラビ(ユダヤ教の聖職者)は最初、
この六芒星に大反対をしていたという話すら伝わっている。
もし、古代イスラエルから綿々と伝わる
正統なシンボルであったのなら、反対するはずはなかろう。
そもそもユダヤの正当なシンボルと言えばメノラー。
イスラエルの国章にもなっているし
エルサレムの国会前にも巨大なメノラーがある。ユダヤ教の燭台だ。
0531神も仏も名無しさん
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2018/12/17(月) 02:13:07.28ID:7odJJoE5
新約聖書 マルコによる福音書 12章

29節 イエスはお答えになった。

「第一の掟は、これである。

『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。

30節 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、

あなたの神である主を愛しなさい。』

31節 第二の掟は、これである。

『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。

新約聖書 ヤコブの手紙 2章

26節 魂のない肉体が死んだものであるように、

行いを伴わない信仰は死んだものです。

新約聖書 ヘブライ人への手紙 13章

16節 善い行いと施しとを忘れないでください。

このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。

新約聖書 ペトロの手紙一 4章

8節 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

9節 不平を言わずにもてなし合いなさい。

新約聖書 ユダの手紙

25節 わたしたちの救い主である唯一の神に、

わたしたちの主イエス・キリストを通して、

栄光、威厳、力、権威が

永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0532神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 02:17:34.03ID:7odJJoE5
新約聖書 マタイによる福音書 9章

13節 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』

とはどういう意味か、行って学びなさい。。

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 13章

13節 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、

あなたがた一同と共にあるように。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0533神も仏も名無しさん
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2018/12/17(月) 02:20:06.16ID:7odJJoE5
ヘレニズム時代のコイネ・ギリシア語(共通ギリシア語)
     主: キュリオス(アドナイ)
   創り主: クティサス(創造主)
   救い主: ソーテール(救世主)
   全能者: パントクラトール(支配者)
   弁護者: パラクレートス(介添人・助け手・慰め手・聖霊)
油注がれた者: クリストス(キリスト・メシア)

聖書でいう「福音」は、中国語で「幸福の音信」の事。
ギリシア語で、エヴァンゲリオンと言う。
意味は、エウ+アンゲリエ(よい+知らせ)
関連で、アンゲリ(み使い、天使、知らせる人、アッゲロン)
人名で、エンゲル
英語で、エンジェル
西語で、アンヘル(地名で、ロス・アンヘレス、英語でロサンゼルス、LA)
0534革命的名無しさん
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2018/12/17(月) 02:23:44.30ID:7odJJoE5
旧賛美歌 112番 諸人挙(こぞ)りて   
@諸人(もろ[びと])挙(こぞ)りて 迎(むか)え奉(まつ)れ 久しく待ちにし
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
A悪魔の人屋(ひとや)を 打ち砕(くだ)きて 捕虜(とりこ)を放つと
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
Bこの世の闇路(やみじ)を  照らし給う 妙(たえ)なる光の
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
C萎(しぼ)める心の 花を咲かせ 恵みの露(つゆ)おく
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
D平和の君なる 御子を迎(むか)え 救いの主(ぬし)とぞ
  誉め称(たた)えよ 誉め称えよ 誉め 誉め称えよ

「諸人こぞりて」讃美歌112番
Studio Kanon
0535革命的名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 02:26:04.95ID:7odJJoE5
お茶の水クリスチャンセンター フライデーナイト
 ひつじの祈り 第26話 テテレスタイ!


新約聖書 ヨハネによる福音書 15章
13節 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

新約聖書 マルコによる福音書 10章
45節 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 7章
23節 あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。
人の奴隷となってはいけません。

新約聖書 ヘブライ人への手紙 7章
27節 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、
次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。
というのは、このいけにえは
ただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0536革命的名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 02:29:37.79ID:7odJJoE5
新約聖書 ローマ人への手紙 3章
25節 神はこのキリストを立てて、その血による、
信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。
それは神の義を示すためであった。
すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

新約聖書 ヘブル人への手紙 2章
17節 そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、
民の罪をあがなうために、
あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。

新約聖書 ヨハネの第一の手紙 2章
2節 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。
ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。
4章
10節 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。
ここに愛がある。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

日本聖書協会 口語訳 「あがない」の供え物
新日本聖書刊行会 新改訳 「なだめ」の供え物
0537神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 02:33:39.10ID:7odJJoE5
最近わかったのですが
古代ローマ帝国で国教となった時の「カトリック」という言葉は
「普遍の」「公(おおやけ)の」「分派ではない正統的な」という意味で
使われていました。

「カトリック教会」は「正統の教会」という意味になります。
つまり「正教会」と言っているのと同じだったんです。

洗礼で唱えるニカイア・コンスタンチノープル信条では
「一つの、聖なる、公なる、使徒の教会を」と唱えられています。

ラテン語で、クレド(私は〜信じます、)
エト・ウナム(一つの)・サンクタム(聖なる)・カトリカム(正統的な)・
エト・アポストリカム(使徒の)・エクレジアム(教会を)
となります。

ラテン語のエクレジアム(教会)は、
コイネー・ギリシア語(共通ギリシア語)の
エクレーシア(〔招集された〕集会)です。

聖餐だけでなく、洗礼を受けるのでさえ、
教会を離れては出来ない事なのです。現在の私はそう理解しています。
0538神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 03:12:11.12ID:7odJJoE5
ハルメギド(メギドの丘、ハルマゲドンの由来)
ファラオ・ネコ2世のエジプトとヨシヤ王のユダ王国が戦った場所。
実際はメギドの谷。丘は駐屯できる要地。BC609年の戦い。
ユダヤが滅びる原因となった戦い。最終決戦の意味で使われる地名。

新約聖書 マタイによる福音書 7章
6節 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙二 3章
10節 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、
「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕

フツー女性に「豚に真珠」って聖書にあるよと言いい
また生活保護や年金暮らしの人に
「働かざるモノ食うべからず」って聖書にあるよと言うと
カチンと来て「キリスト教は嫌いだ」とかなる。
聖句の使い方や聞かせるタイミングを間違えるとエライ目に合う。。
0539あかね
垢版 |
2018/12/17(月) 03:43:35.60ID:7odJJoE5
                    ´ : : : : : `⌒丶
                  /: : : : : : : / : : : : : >:\
                    /:/: : :/ / : /: :/ : : ハ{: : : :ヽ
              ,′: /: |: |: :/l :/! : :/|:i|_ :ヽ '.
                : ト、| : l/W-|イ{: :/`トリ ミ: : i: |
                  {: :lヽ|:! :!ィア行 ∨ ィ行ト }: :!:|V
              '; :V八_{ 弋)ソ   弋.ソ ハ:.N  さすがの私もこれは引くわ
                } :( ∧       '    , )!
                 / : : ーヘ   t‐一ァ  厶i:│
             /イ :! : V 个 、 ー   イ.:/|八
              |八 : :{ : !:.:r}>‐ 'l∨L{_リ }}ヽ
              ∨ \{⌒{  ̄>rく  } 「 }\
              /   ∨ {_/ 孑 ∨  Y  ヽ
              {    |i rく \  〉 /   |i ,/゙ハ
              〉  (\ ヽ\ Y゙i/  _,  ||/ //)
                ∧ __ヽ`ー  ∨/  ( ヽ/ `∠-っ
             {  ‘ー‐ュ `/    }   }  \  (工_
              レ个ー-、    _ノ   人_   _x-r┬ '
                \|  /`ー /  /   ∧  \∨
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0540基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 03:52:42.75ID:7odJJoE5
その日。陽気な日にしたい。
教祖は1798年6月に生まれた。
それから、115才が19131年。
そこから99年たったら、2012年。
214歳の誕生日の、2012年6月。

99年たったら、みな心の生まれ変わりをし、お祝いに、非核を宣言して揚げたい基本です。
現実は、世界暗くなる方向に、高山は唐人は、悪巧みの只中。
中山みきのお働きさえみていたら、安心です。
みていれば、お働きは、ますます盛んです。
0541基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 03:55:46.60ID:7odJJoE5
明治二十一年六月五日(陰暦四月二十六日)
本席身上おさしづ

さあ/\/\いかなる処/\、身上いかなる処、尋ねる。
知らす。身上一つ身上ある。いかなる処、さあ/\早く止め、神一時、一つ話、
これに先々に毎夜この道下がり、さあ/\どんな話も仕掛けてある。
一寸今一時尋ね出す。早く通し、まあ一寸始め掛ける。
どんな道を始め分からん。まあ/\それより成る成らん。
これまで一寸話伝え、夜々出て話、一つ話、あっちこっちの理を見遁がし、
今一時世界理多く十分早く世界事情運ぶ、分からん、上下とも理分からん、いつまで言うではない。
いずれ一つだん/\日柄刻限移るなら、道の通り連れて通らねばならん。
又々所々変わる処、実の処、早く求めよ。いかなる道も分かるであろう。
やれ/\と言う日もあろう。一つ心早く一つ運ばねばならん。何でもならん。
日柄刻限外さんよう。神一条の道である。
早く急げ、取り掛かれ。
まあ/\一寸始め掛けたら、だん/\理を聞かす。
めん/\諭し一つ心も治めねばならん。聞き分け分からん。
天理王命、名を所へ弘め掛け。一つ事情、どちらの理付く貰う理、よう聞き分け、よう思案。
世界それ/\万事一つ事情、分かる分からん多くの中、神一条ならば、計り難く一つの道、これが十分確かな道。
思案第一ならん。いつ/\まで見遁がしはならんという。
いかなる処、人間一条理では、計り難ない、危ぶいものである。
早く取り替え/\、神一条々々々。
0542基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 04:45:16.46ID:7odJJoE5
明治13年・1880年、一月、日本陸軍で、天長節・陸軍始などに、軍隊を整列させて天皇が観閲する儀式。「観兵式」が、開始された。
 この一月、中山みきは、高山の「軍国主義」への残念を説いた。

 このたびのさねんくときのこのはなし みな一れつわなんとをもてる   第15号 40

そして、43年以前からの、偉い験しについて理を知らせた。

 このもとわ四十三ねんいせんから ゑらいためしがかけてあるぞや   第15号 41
 このはなし四十三ねんいせんから ゑらいためしがこれが一ちよ    第15号 50

これが、「天災の数理」の事であって、高山のしんの理の狂いは、天災を招き、43年の数理で日本は地震活発になる。
 この年、中山みきは「初代真柱・真之亮」を、元の地場に入れた。

 この1880年の観兵式、又、民意を束ねるための「国会開設期成同盟」が、行われた、「数理・43年後」から、

  1922年12月の島原地震を契機に、再び大地震が頻発するようになった。

 そして、中山みきが、据えた歴代「しんばしら」は、数理43年にて、真柱の職責と日本の大地震と、連動するという「験し」を歴史に刻んでいる。

「国会では治まらない」「天皇制では治まらない」は、神の験しとして、歴史に、実現化していく。
 「人が核を兵器として用いる愚かな自滅の道を、たすけるために、みきは、この世を陽気に普請する「大工」を寄せる。
神の「試し」が見えたときから、世界たすけの普請は開始されると、みきは、あらかじめ、見えない先に理を説いた。
「筆 先の責め」と、知らされている。
0543基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 04:48:34.02ID:7odJJoE5
「明治14年の政変」
1881(明治14)年1月、大隈重信・伊藤博文・井上馨の三参議の間で、熱海で会議がもたれました。国会を開くことで三人の意見は一致しました。・・・

政府主導の憲法制定に、伊藤は井上毅の意見にかなりの確信を持っていました。井上もまた、政府の憲法起草作業を伊藤に要請し、決断を求めました。
 これに対し、大隈は自分には野心はなく、福沢とも関係はないと弁明し、伊藤との関係も一様収まり小康状態になりました。
 内閣が一致して、プロシア流の欽定憲法制定の方向に踏み切るのは、開拓使官有物払下げ事件による世論の沸騰に驚いてからでした。

明治14年四月より、中山みきはお筆先16号を執筆します。
 にんけんハあざないものてあるからな なにをゆうともしんをしらすに 16号67
 けふまてわとんな事てもゆハなんだ ぢいとしていたこのさねんみよ 16号68
 これからハ神のをもハくするからハ とんな事をばするやしれんで 16号69
 いまゝてハなにもゆうたりをもふたり まゝにしていた事てあれとも 16号70
 このさきわ神がしはいをするからハ とんな事てもまゝにてけんで 16号71
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 真柱の真之亮が、中山家の戸主になって数理43年、1923年、関東大震災が起きました。
0544基本。
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2018/12/17(月) 05:12:10.69ID:7odJJoE5
おやさまひな型の時代、国民を唐人思想化に欺いた明治維新政府に、迎合した中山みきの息子「中山秀司」は、神が迎えとって、明治十三年「しん」を迎え入れる準備とし、
明治14年、「しんのすけ」が、戸主になったが、天理教の組織人は、明治政府に迎合し、宗教家業で信者の財産を収奪する事に夢中と言う情けなさであった。
中山みきの、知らす「理」は、「大工の伊蔵」と「真柱」によって、原典に残されたが、他には誰も理解できるものの無い状態は、
これほどに、「高山」への神の怒りを知らされながら、
天理教は、そうしたご一新政府に迎合し、便乗してただ自教会組織(当時は講)の栄華と発展を貪る情けない状態であった。

開国を迫られて以後の、膨れ上がる貿易赤字、格差の拡大、これには重大な関心を抱いていない、
宗教馬鹿に陥った信者では、国の方向を真剣に見つめる精神の、かけらすらなかった。
今の、天理教信者も、おやさまのお働きにむちであり、格差拡大の根本的解消に、関心をもってはいない。
「しん」を知らない、とは、現在の天理教信者の姿そのものである。

「なにをゆうともしんをしらす」「ぢいとしていたこのさねん」
「しんをしらす」「ぢいとしていた」 → 「震」をしらす。「地としていた」
 地震。

中山みきは、明確に43年の数理を「地震」と、筆先に知らしています。

初代真柱が中山家の戸主になる 1881年→ 43年 1923年 関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め  1952年→ 43年 1995年 阪神大震災。
三代真柱の真柱就任報告祭   1943年→ 43年 2011年 東北大震災。
0545神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 06:52:40.75ID:7odJJoE5
     _ -‐ァ         ┌─┐        __         人
   <三ニニL.         |●|        _j‐-.三>        々
   {:::rj  !        ├─┘      `ト、::::::j          の
  _ノ==-く    三晋晋晋晋晋ミ     ,>ーヘ、       社
 / {    _,.> 晋三 晋晋晋晋三    r=, ̄ ̄ヽ、 ..迷   会
L-!     | (|  晋晋   三晋晋晋   | |    ハ  惑  生
丁 |    Lニ|. I晋 ◆/)||(\◆晋  . /、_j  i   L.|  を  .活
| ,ハ____l l 丶,I◆∠○}liil{○ゝ◆ソ  !`7′ !  |「 |  掛  に
| | {:::::::::::::::ト, l  I│  . ││´  .│I  ノ ハ―-―.{l !  け
| 〉|::::::i::::ヽ| |_j  |  ノ(__)ヽ  .|  rヘ/ |::ノ:::::::::::ハ |  て
` !:::::i:::::::i|   `I   │  I   .I  〉′l:::::::::i::::::| L! は
  |:::::i:::::::::!     i   ├l|!|!┤ / /  |  |:::::::::!:::::|   な
  l::::::〉:::::/     \ |ェェェェ| ,ノ/  | !::::::::!:::::!   .ら
  |:::/:::::/         {    ` ヌ.___ノ   !:::::::i:::::|   .な
  |/:::::/        |i   「`´        |:::::::i:::::|   .い
  /:::::〈_        ヽヽ l         |:::::::l:::::|           
  `ー一′        | l 〈_            |:::::::ト-  
                  `'ー′         └‐┘ .       
0546基本。
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2018/12/17(月) 06:55:32.60ID:7odJJoE5
> 「稿本教祖伝」には、お久は水をぶっかけさせなかったと、お久にまつわる事実として、記録されています。

『・・分署にお居での間も、刻限々々にはお言葉があった。すると、巡査は、のぼせて居るのである。井戸端へ連れて行って、水を掛けよ。と、言うた。しかし、ひさは全力を尽くしてこれを阻止し、決して一回も水をかけさせなかった。
 或る日のこと、
「一ふし/\芽が出る、・・・」
と、お言葉が始まりかけた。すると、巡査が、これ、娘。と、怒鳴ったので、ひさが、おばあさん、/\。と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」
と、仰せられた、』

この、弾圧・拷問は、『教祖が御苦労を了えられて、三月一日(陰暦正月二十六日)』までの期間であった。
『三月一日(陰暦正月二十六日)』 
この、正月二十六日から、陰暦時代の天の将軍中山みきの残念への「返し」が開始された。
1886年三月一日  (陰暦正月二十六日)が、1となって、126年。
2011年三月一一日  311・福島は、中山みきの「返し」の開始を示して「11日は十分始まりの日」である。
0547基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 06:58:03.79ID:7odJJoE5
1876年 中山みきは、「にほんもからもてんぢくの事」と告げています。
 なさけないひがらもちいときたらんで どのよな事もゆうにゆハれん 12号4
 このたびハ月日しんぢつみかねるで どのよな事もみなあらハすで  12号5
 けふの日ハいかほとわがみはびかりて まゝにしたとて月日しりぞく 12号6
 このはなしなにの事をばゆうならば にほんもからもてんぢくの事  12号7

1877年9月19日より、と刻限を示して、お筆先13号を記しました。
この心どふゆう事にをもうかな にほんもからもてんちくまでも    13号77
このあいだみちのりよほどあるけれど いちやのまにもはたらきをする 13号78
いつまでも月日ぢいくりしていれば いつになりてもをさまるめなし  13号80
 それゆへに月日でかけるはたらきに とこへでるやらしりたものなし 13号
81

中山みきは、どこへ出るやら、知りた人物として、「能力者・真柱」がいます。
が、側には、からの唐人ばかりかもしれない天理教団です。
0548基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:01:32.39ID:7odJJoE5
中山みきは、つとめをせいと急き込まれています。
元冶元年1864年つとめ場所の普請を、ご命じになっています。
1864年つとめ場所普請→126年 1990年 最後の核実験。
1870年つとめの手と唄を教える→126年 1996年 国連にて核実験禁止条約成立。

1873年大工にひな型甘露台模型制作を命じる→ 1999年 包括的核実験禁止条約成立。
1875年 ぢば定め→ 2001年 臨海前の状態での実験も禁止される。

第7号 99
 このみちをはやくをしへるこのつとめ せかい一れつ心すまする

中山みきのお屋敷の出来事は、世界助けるモデルであり、ひな型です。

126年待たなければならなかったのは、中山みきの教えを、きちんと説かない天理教団の事情が酷すぎたから、
教理はゆがめられ、真柱は侮られ、中山みきの「神名」さえも取り払われた、情けない初代たち、その後継者たち。

誰もが、意味はわからずとも「おふでさき」を手にして読める。
中山みきの教えが、きちんと、一列に隔てなく渡せるには、
百と26年。
「正月26日を待つ」おやさまは、「原子力に手を付けた」人間の欲・高慢。それでは、
元の泥海に帰るしかない。
だから、毅然として、たすけ一条の先頭に、おられるのです。
0549基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:04:20.40ID:7odJJoE5
中山みきは、国会では治まらないと、宣言されている。
それならば、何で治めるかと、何で治めると説いているかと言えば、「つとめ」であると説く。
つまり「呪法」にて、治めると説いている。
教祖伝第八章には、おふでさき13号の予言が、抜書きされている。
第十三号に入ると、
  月日よりしんぢつをもう高山の
  たゝかいさいかをさめたるなら        一三 50
  このもよふどふしたならばをさまろふ
  よふきづとめにでたる事なら         一三 51
  この心たれがゆうとハをもうなよ
  月日の心ばかりなるぞや           一三 52
  このつとめ高山にてハむつかしい
  神がしいかりひきうけをする         一三 53
  このたびわどんな事でもしんちつに
  たしかうけやいはたらきをする        一三 54
 親神は、心の底から戦の治まりを望む。
戦は、傲り高ぶる人間心から起る。いかにもして、戦をこの世から無くしたいとの思いから、親神は、かんろだいのつとめを始める。
かんろだいのつとめは、世界平和のつとめである。
しかも子供たる人間は、親神のこの真実を知らずして、徒らに差止める。
しかし、迫害も干渉も少しも恐れることはない。親神は、確かに引き受けて自由自在の守護を現わす、と教えられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つとめから126年、平和への動きは、きちんとリンクしていた。
白の基本さんが、示されている。

だが、オカルトの「おつとめ・呪法」には、白ばかりとは限らない。結構をという次元とは、全く別の色、
黒の意味を持つ『神の残念、神の返し』がきちんとあるから、それは、間違いなく中山みきの予言は、実現するのだ。

130(正月三十日)の数理。が発動すれば、「送られる」。
0550基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:07:28.31ID:7odJJoE5
311福島によって開けられた風穴は、日本国家と軍需産業電力が、利益誘導と情報操作によって、地域社会を支配し、原発を、
軍事民事の双方向で、利用しようとしていた事を、暴露し、その悪巧みを、頓挫させた。

日本は、列島が「核基地」として日米軍事同盟のアジア基地として、
要塞になるところだったが、中山みきは、きちんと、そういう事態は「天災」をもって、防いだ。

原発基地そのものが廃炉となると言うのは、実は膨大なコストが追加でかかる事になる。
電力会社は、廃炉の結果値上げ値上げ、するだろう。
電力は、真の意味の「自由な利用」に向けて、高山の唐人は瞑想させられ、無意味なコストを浪費し続けて、やがて掃除される。
0551基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:10:36.16ID:7odJJoE5
おやさまは、「不自由無きよに、してやろう 神の心にもたれつけ」と、教えられています。
科学は、時に謙虚に理を研究して来ましたが、真理を「わがまま」に用いて、科学の力で、誰かが独占的に利益を上げ続ける、そんな強気・強欲が何時しかはびこりました。
この世には、親神のご守護はあふれていて、「不自由無き世」にしてやろうは、いつでも叶う状態にあります。
しかし、谷底にあふれている難儀不自由は、それは「大社高山」によって意図的にそうさせられている、難儀であり、不自由です。
神の心にもたれつくと言うよりも、唯一の神のように支配しようと言う、唐人がそこにいて、世界を苦しめています。

中山みき様は、本来の神仏の教えにそって、この世が助け合って暮らせるために、お一人で、大社高山の取り払いに働いておられます。
谷底の競り上げに、働いておられます。

今、西側諸国・Gnの国に起こりつつある事は、神の返しであり、大社高山の取払いです。
唐人は、情報によって、市場経済によって、金融によってこの世を支配できるつもりの高慢です。
おやさまとの力比べを、きちんと見てあげましょう。
中山みき様は、内外へだてなく、人類の親神で、存命です。
0552基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:15:46.43ID:7odJJoE5
核は抑止力にはならない。
先ずこの問題から、理解しないと、原発依存の含みもつ「核兵器幻想」の愚かさは理解できないでしょう。

核はその殺傷能力と破壊力から、兵器として最高の評価を得てきたわけですが、実は、核施設は、狙われたら、最大の弱点になる。
これが、米国の語らない本質です。

例えば北朝鮮のミサイルなどは、性能的にもたいした事はない、
けれど、仮に北朝鮮が原爆で米国の「核施設・原発・核兵器」に、攻撃をしたら、その場合に最悪が起きてしまう可能性があるわけです。

火薬庫を爆破させるのとは違い、核による核施設攻撃は、
「核物質は集まっただけで核反応を起こす」「核は冷却していないと核反応を起こす」のですから、
火薬庫なら、一度の被災で終わりですが、核施設は、核反応を誘発したら、無限に連鎖する。

つまり、核兵器は、盾として最悪の自滅兵器なのです。
0553基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:19:29.22ID:7odJJoE5
この世には神も仏もいないのかという、人間の絶望は、「天に代わって裁く」という思想を生みます。
この世には神も仏もいないのかという、人間の絶望は、この世に神がいて欲しいという願望を生みます。
それは、人を神と見立て、「上を神と見立てる」支配・被支配の世界観を生み育てます。

大社高山というのは、実は神を信じていない「虚像」、つまり「から」です。
「から」だから、イメージとしての神を「偶像化」し、実際の権力として「実体化」する。
嘘と追従が大社高山には、必ず必要なわけです。

さて、そんな人間を哀れと思し召されて、天理教は立教されたのでしょうか。

救いを求める人間にとって、救いを与える「神」の存在はとてもありがたいものです。
それゆえに、救いを与える「権力」の側の、「虚像の神・現実の上」という大社高山は、民衆を支配し、この世をままにできました。
それを、「まつりごと」、「神事としての政治」に制度化し組織化して、
「官僚」政治がなされ、「官」という、虚の神に仕える「そばなもの」が、支配の実験者になったわけです。

親神は、この「傍な者」・「官」の横暴を深く残念に思われて、人類の成人をまって、立教されました。
「カラの神・官という上」は、その支配を永続的に維持しようとして、
軍事を持って、世界の統治に着手した時、植民地の時代に、神は自らが残念を晴らして見せると立教されたのであり、
人を教え導いて、陽気に暮らせるように誘導や指導を開始されたわけではない。

人は、政治的であろうとする必要はなにもない。
政治的であろうとしたら、それは、親なる神を信じていない証拠となって、残念なことです。
0554基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:22:17.96ID:7odJJoE5
おふでさき12号には

またゝすけりうけ一れつどこまでも
いつもほふさくをしゑたいから (12-96)

このみちをはやくしこもとをもゑども
一れつ心わかりないので (12-97)

せかいぢうどこにへだてわないほどに
一れつしやんしてくれるよふ (12-98)

しんぢつに心にさだめみなついて
神のゆう事そむきなければ (12-99)、こうあります。

つまり、甘露の問題は「神の言う事に背くな」という問題に理解されます。

「いつも豊作」を教えたい。おやさま。
けれど、神の言う事に背いていては、それは実現しない。
「仕込もう」という言葉に、意味があります。
「仕込まれていつも豊年」。それが、神の仕込みに背くならば、豊年にならないのは天理です。

農業であれ工業であれ、豊作の為には、基礎となる知識はなければ豊作は無理です。
基礎となる作業技術がなかれば豊作は無理です。

仕込むと言うのは、そうした知識や技術です。

それは、おやさまのひな型においては、どこに習いに行ったではないというけじめがあります。
世上泥海の因縁まじりでは、神の仕込んだとはならないと言う事です。
0555基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:26:08.63ID:7odJJoE5
「いつも豊作」を教えたい。おやさま。
けれど、神の言う事に背いていては、それは実現しない。
「仕込もう」という言葉に、意味があります。
「仕込まれていつも豊年」。それが、神の仕込みに背くならば、豊年にならないのは天理です。


農業であれ工業であれ、豊作の為には、基礎となる知識はなければ豊作は無理です。
基礎となる作業技術がなかれば豊作は無理です。

仕込むと言うのは、そうした知識や技術です。

それは、おやさまのひな型においては、どこに習いに行ったではないというけじめがあります。
世上泥海の因縁まじりでは、神の仕込んだとはならないと言う事です。
0556基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:30:03.32ID:7odJJoE5
唐人とにほんの者との境界は、はっきりとしています。
少なくともおやさまの目からは、歴然として、見えておられます。
しかし、人間には、その違いが認識できているとは、限りません。
そこで、自白という神の返しがあります。

政治というのは、政(まつりごと)。
それは、統治であり、「上」が「神」を奉り、「神に仕える官」・「神官」が、神の代理として政治を行うわけです。
大統領であれ、総理大臣であれ、権力ではあるけれど「官僚」なくしては政治はできません。
そして、それゆえに、実際には神の代理の天皇でも国王でもなく、官僚が支配する。

それは「そばの者」と、御筆先には示されています。
「傍」・「そば」。
傍流と書いて、意味は、本流ではないという意味になりますが、
神の近くに入るが、神の本流ではない、それが傍です。
0557基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:33:06.97ID:7odJJoE5
治まらないと言う事は、安倍政権でも治まらないと言う事に天理に相違は無い。
民主党であれ、自公であれ、維新であれ、治まらない。
志位であっても、治まらない。

その事の意味は、「能力の有無」の問題として理解されるべきであろう。
情報量が極めて少なかった時代の「統治機構」そのものには能力に限界があり、
中山みきの教えの「天理」の支配には遠く及ばないと、そんな風に理解したらよい。

   |_|                   |l
┌─┴─‐┐          ─◇
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└───‐┘ ∧_∧ 〜
        ( ・∀・)__   __
        (  つ¶ /\_\. |[l O |
        │ │ |\/__/ |┌┐|
        (__)_) __ll__  |└┘|
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄  __∧____ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       l´
        │  客来ねーな。 飯田の演歌王の俺様の店だというのに…
       l,____
0558基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:37:45.09ID:7odJJoE5
中山みきの予言は、「理の責めであって」「理の予告」ではないと心得て思案するなら、
大社高山がどのように「工作」しようと、人知である限り、中山みきには力で負けると言う事。
統治術や、情報操作支配は、もう通用しない、そういう意味に知ることである。

「国」「くに」「那」と言うものは、生活の安定のために生まれた「KUNI」であり、「KUNI」は国床の「くに」である。
それが、現人神による統治術を用いて、王権、帝王権、そういうものを「大社高山」となり駆使してきたが、
それは「核の時代」の到来と共に、1026に立教された天理教という宗教の発現を手段として、天理の時代となって、
天理は神の返しの時代を到来せしめた。

だから、甘露の世は、もういつでもどこでも、実現すると、おやさまにもたれる事である。
0559基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:41:26.95ID:7odJJoE5
「会議では治まらない」と、神の教えです。
「談じ合い」と言う事と「会議」の違いと言う初歩的な説明をしなくてはいけないかもしれません。
それは、「先ず神意あり」が談じと言う事、会議との違いです。
神意は悟りの世界ですから、一瞬と言う時間で理解されます。
会議は、議論する前提ですから、時間がかかります。無意味です。

そこで、「悟り」は、誰の悟りを採用するのかと言うような、
不毛な会議を想定・想起される方は、おやさまを知らない方です。

何もかも悟りは神意でありおやさまの思いに一致してあるのだから、悟り違えには、必要ならお知らせもあるのだから、
「誰の悟りと言うような」選別はそこには生まれませんし、そう言う事も旬が働いて瞬間に、
これが今の採用されるべき悟りだと分かってしまうものです。

おやさまは、「いつも豊年教えたい」と言われました。
いつも豊年、そういう時代になる事こそ、この世治める神意の基本です。

今年からは、基本も、悪事の掃除よりも、豊年を学ぶ事に重きをおいて甘露を頂く道に歩を進めたいと、祈念します。
おやさま、よろしくお願い申します。
0560基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:44:39.89ID:7odJJoE5
神そのものについても、神と呼ぶべきものは何かと言う問題もあります。
天理教では「神が出て」と、或いは「神が表に現れて」と、天理の神を、神自らが定義しています。
いわゆる、神ならば、そのご神体・ご身体はという事がとても重大です。
先ずそこから、ちゃんと理解したいと思います。

天理教の親神は「中山みき様」で、神名は「天理王命」、ご神体は「ぢば」「甘露台」です。
天理教の神は「十柱の神」で、分掌の神として、神名は、
「くにとこたち」「をもたり」「くにさつち」「つきよみ」「くもよみ」「かしこね」「たいしょくてん」「おおとのべ」「いざなぎ」「いざなみ」。
掌(たなごころ)には十本の指があって、その指一つずつが、それぞれに神名一つづつの守護の理に対応しています。

神を拝しますとき、その十本の指は、腹と腹をあわせて柱のように立てて祈念します。
親指は、月日・真実の神の理で、左親指はくにとこたち命さまの守護の理の指。
右親指は、をもたり命様の守護の理の指です。
左は父親、右は母親、親指の力添えが無いと、小指は中指は薬指は人差し指は、指としての機能が制限されます。
手錠をかけずとも、両手の親指を括れば、同等の効果になります。
元の親を離れた思案行動は、不自由なものであり、月日を親神として拝する事は、天理の基本です。
0561基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:48:08.41ID:7odJJoE5
天理教の神は、神が表に現れたものであり、それに対して表に現れていなかったけれど裏には親神が守護していた神があります。
仏教、キリスト教、神道、八百万の神々、これらは、皆立教以前の、裏守護時代の神であり、それも月日が教え来たる、神です。
天理教の神の教え、つまり表に現れた神と、表に現れていなかった時の神と、神の教えそのものには、何の相違もありません。
同列というように考えても良いのです。
ただ一点、「をや」を説いているだけが、天理教の教えの特徴です。

「おやさま・天理王命様」の指の理は、「右小指」です。いざなみのみこと。
同じ十本の指に、同列に存在していて、一番かわいらしい指が、人間の親神の分掌の理の指です。
「小指は子や指」という諭しもありました。左小指にはくにとこたち様が右子指にはをもたり様が、お添いになって守護くださいます。
人間子供を誘導する、誘うという意味が「いざな」にはあります。
「いざな」「き・岐」は、左の小指ですが、「き」は、月様の、どこどこまでも突き通すというご守護の理が添います。
世人の道に導く進化の「岐路」を、守護してくださるのは、いざなぎ様で、「種の理」です。
「種」に存在する誘導の守護が、一貫した成人の道を、絶えず選択してくださっている。
そういう、「をや」の事は、天理教のみの教えです。
0562基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:51:39.16ID:7odJJoE5
教理的に解説しますと、真柱の後継者は内とは限っていない。
初代真柱は、外孫です。
おやさまの逸話には、お子さんのいないご夫婦にお褒めになっている逸話があります。
育児・子育てと言う苦労をしなくても良いという意味で、良い心使いに結果と、そのように誉めておられます。

今の真柱さまと言うのは、遺伝情報的には、夫婦から生まれる子供の遺伝情報は、必ずしも、みき・善兵衛の遺伝子情報が濃いとは限っていません。
これも、重大な問題です。
みき・善兵衛は、いとこ同士の結婚であり、二人の祖父の生まれ変わりが、初代真柱です。
いとこ同士の結婚は、隔世遺伝の、遺伝情報保存の方法として、科学的に合理的です。
初代真柱とたまえ夫婦は、みき・善兵衛の孫の、いとこ同士の結婚です。
こういう観点に立つとき、現真柱の子が次の真柱と言うまちがった固定観念では、遺伝情報の濃さでない基準が用いられることになります。
子供は、無くて当然です。
0563基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:25:56.92ID:7odJJoE5
>では、次の真柱様は、遺伝情報の濃い方といったら、誰ですか?
>血族同士でご結婚された方のお子様という事ですか?
>現真柱様は土佐家の血が混じっているが、二代真柱の魂ではないかという方が居られるが?

さて、個人情報保護の法律ができて、そういう問題は、内々でしか分からなくなっています。。
親神さまのご配慮です。
隔世遺伝と言う観点で、1が3、2が4という唱え方をしているのでしょう。
おやさまの教えでは、そういう遺伝情報の問題と全く別個に、生まれ変わっているかのごときに見受けられる生まれ変わりも説かれているかに見えます。
が、例えば、梶本家と言うものには、どういう遺伝情報が含まれていたのか、これは、調べようが無いわけです。

梶本の母が、辻家の出だったという記述がありますので、辻家からの遺伝情報が辻家の出の女性から、伝承したことは理解できます。
では、辻家と中山家はどんな関係だったのか、これは分からない。辻家と前川家もどんな関係だったか、分からない。
血族よりも、「いとこ」同士が、基本ですね。「同じ祖父母を持つ」です。
それは、女性であっても良い。

ただし、初代様の時のように、人間の思惑がかかると、実現しない場合があるので、つまらぬ詮索はしない事です。
「生まれ出る前から真柱」は、決まっている。
それは、内々では分かっていることでしょうから。
0564基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:30:04.66ID:7odJJoE5
次の真柱が誰かにこだわると言う事は、おやさまが親神さまで存命だと言う事を、疑っている。不信感そのものですね。
お屋敷の事は、おやさまと真柱さまに信頼申し上げたらよいわけです。
ですよね。
そう言う事疑っているより、ご自分の陽気暮らしに専心なさるべきですね。信じて信仰している信者さんならね。

神の問題よりも、人の問題に興味が先行するのは、現実の親神さまを侮っているからですね。
神について、「しらぬ間はそのままや」という天理があてはまっていますから、
神について「教典」に書かれている程度は、暗記できていないと、知らぬ間はそのまま状態です。
しかし、「種無し」「天のお手入れ」と語られたお方は、少なくともその程度は知っておられるわけで、「種」はいざなぎ命様で、
進化の分岐においての守護と読まれたわけですから、
心一つにまこと真実の種が無いと、天のお手入れを、ご自分が頂くでしょうから、それから、思案されたら宜しいと思います。

神のお働きは、ご守護は、身の内に手入れ頂いて、お知らせ頂いて、一つずつ骨身にしみて分かるものです。
0565基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:33:49.72ID:7odJJoE5
>お書き下げに書かれている「まことの心」が、わかる様で難しい。
>まこと真実について解説してください。


普通には、「真心」という意味に、「まことの心」の意味は理解されています。
そこで、「まこと」と言う言葉はお筆先で見ますと、本当の事と言う意味にて用いられています。
お指図でも「まこと難渋な道を通りた」のように、本当に、という意味で用いられています。
それが、基本となります。
また、「真実」は、おふでさきでは「しんぢつ」。「しんぢつの神」のように、これも、本当のと言う意味に使われています。
それは、分かりやすくいいますと「うそがない」「偽りがない」と言う事になります。

『人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。』
これが、おかきさげの本文にあります。
ここに、真の誠とあります。
おかきさげは。お指図が台ですから、お指図のお言葉で確かめることにします。
お言葉は、「初出」の用法が基本的な意味です。最初にそのお言葉の意味や用法がちゃんと示されてあります。
そこで、おさしづの用語検索で、「真の誠」を調べます。
ネット上にては、私の場合、TATENUI おふでさき、を利用させて頂いています。

そこで、「真の誠」をおさしづ検索しますと、次のお指図が「初出」となっています。
井筒梅治郎事情伺
明治二十一年十二月五日(陰暦十一月三日)
さあ/\/\/\、尋ねる処/\、尋ねるには一つの理を聞き分け/\。
さあ/\、世界皆兄弟、身は皆兄弟。さあ/\、真の誠の心が、心は皆々兄弟。さあ/\何かの事も治めてくれるよう。
さあ/\これまでは長々の処治めた。
又これから先は、何かの事も治めてくれるよう
0566基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:38:28.21ID:7odJJoE5
『人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。』

真の誠の心が、心は皆々兄弟。と言うのが初出になっています。
おやさまが、人間の元を教えられて、親を教えられたと言う事は、皆々が兄弟であると知らされた事でもあります。
その、おやさまが真実の親神だと信仰するなら、心は兄弟であるのが真の誠の心と言う事に相違ありません。
おやさまの教えを真実と聞くなら、人間は皆兄弟と言う「本心」が嘘偽りないとき、まこと真実の心と、なる。

さて、そうした心が真のまことの心としました時、
『日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、
誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。』
このお言葉の深さが分かるのです。
おやさまは、常にまことの心であられた。つねに「皆私のこどもや」というお心と態度であられた。
それは、反対攻撃も、無理解からのあざけりも、誤解ゆえの悪口も、ことごとくまことの心にてお受けになられた。
一寸にはみな弱いように思う、そんなお姿でもあったわけです。
一列は兄弟であるという、真のまことの心が、おやさまの教えられた「真のまこと」の基本と言う事になります。
0567基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:41:05.05ID:7odJJoE5
中西金次郎妻ゆき三十七才おさづけさしづ
明治二十一年十二月二十五日
さあ/\/\/\、だん/\の席をしい、又々の席も、だん/\の席もして、
なれど一日の日に生涯という心を定めて、一日の日を改めて、一つの席をするなら、一つの理を聞き分け/\。
さあ/\日々に常々に、誠一つは天の理、
誠一つの心に理があれば直ぐに受け取る。それ常々に真の誠という心多年々々にあれば、それ世界という。
めん/\常々真の誠あれば、自由自在である。
自由自在は、何処にあるとは思うなよ/\。
めん/\常々に、精神誠という心が自由自在や。
誠は天の理。
又それより内々睦まじいという心の理が、それ天の理である。
直ぐに受け取る、直ぐに返やす。
さあ/\又これより一つさづけ/\/\。

おさづけを頂きます時に、それは誰に対して用いるお授けかと言えば、病人さんにです。
では、その病人は、あなたの何なのか。
兄弟。互いがおやさまの子である兄弟なのです。
お授けの病たすけにおいて、自由自在にご守護いただきたいという願う心のまことは、
「きょうだい」であるという真実を、偽らないことて、まこと真実となります。
『常々に、精神誠という心が自由自在や』
病人におさづけをさせて頂くときだけの誠と言う精神では「嘘」。嘘でないことが、まこと。
これが、基本です。
0568基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:44:35.31ID:7odJJoE5
『誠は天の理。
又それより内々睦まじいという心の理が、それ天の理である。』
「それより」、というのは、「一列兄弟」と言う人間の本心より、と、そのようにご理解下さい。
家庭内や、家族内々の睦まじさだけの事は、「嘘」。
面々勝手の陽気と言うようなものです。
根底に一列兄弟の自覚があって、おやさまの子としての本心に素直なままの「内々睦まじい」が、
本物の、まことの「睦まじい」であると、お指図は示しています。

「睦まじい」→「むっつ」。六。→「ろくぢ」。おやさまは、世界をろくぢに踏み鳴らしておられます。

さて、詐欺と言うのは、色は白と黒です。
右の薬指が、たいしょくてん命様の守護の理。黒の神様です。
生き死にの神様で、喪服は黒。
左の薬指が、かしこね命様の守護の理。白の神様です。
基本的に、誕生も死も、知らせは右薬指です。
病人のおたすけで、たいしょくてんの指に知らせがあったら、痛の知らせは「死・たすからない」です。

おやさまは、信仰者には「こじきはささぬ」。信仰者でないお乞食さんには可哀想にと、態度が二つありますが、
それは信仰者さんには「不自由なきようにしてやろう。神の心にもたれつけ」と、言われていて、
神の心にもたれつくことが最優先で、不自由の脱却になる天理ゆえです。
0569基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:47:38.48ID:7odJJoE5
>口先だけの自分の考えも神の言葉だと錯覚していたただの婆。
この見解には、いささかの異論がありますので、基本的見解を語ります。

みきの言葉です。
かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく 第8号 58
日和見な発言ではなく、「月日・みき自身も意味します」の「残念立腹」と、きわめて、はっきりと意思を明示しています。

> 神様は、お筆先に於いて、
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
> 神のかやしというのは、刻限が来たらという予言だということでした。
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。
> 1951年4月に、ぢばにて、ひながた甘露台の据え換えが行われました。
> 1951年4月から数えて、43年後の1995年に、阪神大震災が起きています。
> お筆先で、海は津波やの予言がなされた1874年から、43年を三回数えた、129年後、
> 2004年12月の大津波が起きています。
> 神の残念としての地震が、43年という理で現れると言う事、
> ぢば以外の場所でのおつとめも、教祖が許していたのだという、
山名の諸井国三郎先生の、龍頭の狂いが、「しん」の狂いといて、
「一人狂えば万人狂う」事情と、神様は見せてくれました。

みきの予言には嘘がないと、基本的には理解します。

みきは、みき姉は自分の事を「元の神」とも「実の神」とも語っています。
現実の世に、外れた事の無い数理の予言を的中させているのは、
未来を当てたではなく、未来そのものを現実に守護したという事です。
0570基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:51:02.84ID:7odJJoE5
おやさまの、予言の書。おふでさきは、神のお言葉の聞き取り書・原典おさしづにて、

この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。
晴れん心にもろ/\がどうもならん。これ一つ何でも晴らさにゃならん。
世界一遍に晴らそうと思えど、あちらから雲が出る、こちらから雲が出る。
今までの処存命の間、一々一つの事情委せ置いたる。
ふでさきにも出てある。十二下りの理にも出てある、
十二下り出て居る。
この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。
通りたら分かる。
三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。
遠慮気兼は要らんと言うたる。頼み置いたる一つの理、
十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、
中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。
入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。
この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。
もうこれ心さえ曇りが無いと思う。曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。
もう一段一寸掛かり掛ける。一度にも仕上げる
。一時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってくれ。
これまでよりだん/\思やんしてみよう。嘘は無い。嘘は一つも言うてない。
これ事情にて、互い/\の心を治めてくれるよう。
0571基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:54:21.62ID:7odJJoE5
つまり、みき姉によれば、
「この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。」と言う事で、
神の予言はあっても、「信者が、世界が、みきの教えを分からない」から、その曇りで、始められないと、
そういう事なのだそうです。
考えてみれば、おやさまの名が天理王命とさえも、正確に理解できていない、幼稚園児ばかりでは、
みき姉の理の発動そのものが、開始できないのは、当たり前です。
が、それは、おやである、みき姉そのものの責任でもある。

みき姉の責任その問題は、後にして、「十二下り」の事ですが、十二くだりは、予言であると言う事。
おつとめのお歌も「おふでさき」です。
十二下りの予言として、分かることは、曇りをはらす事になります。
0572基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:59:45.26ID:7odJJoE5
晴れと曇りについては、次のようなお指図があります。
刻限御話(但しまさゑ縁談の話)明治二十七年四月三日 午後二時
『晴れた理は世界曇る。晴れるは世界では分からん。曇る晴れる理まで諭してある。』
これは、まさえさんの縁談についての、関連したお指図です。
相手は、信仰初心者で、未信者というところでしょうか、でも家柄は良く、文化人教養人でもあった。
それで、この縁談には、天理教NO1の、本席の娘の相手として相応しくないという、教内世論があって、
そんな相手なら、きちんと信仰を仕込めと言うような世論、・
又、反対に、相手がなかなかの家だから、高山のように感じて、似つかわしくないという見解、つまりそれは嫉妬なわけですが、
身分と言う考えなら、立場ごとに見方ごとに上下が違うわけで、神意は縁談をすすめるようにとあったが、遅れていたと言う事情があります。
おやさまは、当人の心と心だと、示されているわけですが、縁談事情にありがちな、本をただせばたかが大工。
曇りがあった。
世界では天理教を潰したいわけで、縁談つぶれるようなら、世界は晴れ。
世界が晴れなら、道は曇り。
こういう理と言う物があります。

世界一列の陽気暮らしを見たい親神にとっては、「世界の晴れ」は見たいが本音ですが、
大社高山が谷底をままにしつつ晴れを演出するという、
世界(道に相反する世界並みという意味での世界)の「晴れ」は、天理の道には「曇り」となる。
そういう理があります。
0573基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:02:05.19ID:7odJJoE5
増野正兵衛身上伺 明治二十年六月二十四日(陰暦五月四日)

さあ/\何かの処、皆それ/\、皆障り、さあ/\どういう事を知らす。
尋ね事情、何かの処、さあしっかり聞き分け。何よの処、どういう処、踏み止まる。
取次々々、だん/\取次、しっかり取次、道付け始まる。
どういう大道々々、大道の掛かり。
どういう、何人々々、幾名、一人思案定め/\。
泥水だん/\迫り、泥水が澄まする。
治める処々、名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。
ふでさき通り皆出る。
今度道はいつどう、いつ見える、ふでさき皆知らせてある。
大きなふし見える。大きふしなら、大きな心据える。
大きなふし、大きなふしが出る。忘る一寸、どういう事、こういう事、泥水流れるなら、どういう事、
いかなる水の掛かり。
取次、これをしっかり聞き分け。
又延びるやら知れん。今度の言わん道の処に、ちゃと掛かって居るで。

みき姉、直命の、取次ぎ人。増野正兵衛先生へのおさしづです。
「一人思案定め」とありますように、正兵衛さん、あんた一人で思案を定めなさいと、みき姉さん。
どんな思案か、取次ぎ人として、おふでさきの予言を踏まえて、きちんと理を取次ぎなさいよよいう意味であり、
それは、「今度の言わん道の処に」、つまり、おさしづの無い神は何も言わん道の所に、かかっているよという、
責任の重さを伝えるおさしづです。
0574基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:07:18.47ID:7odJJoE5
この、戦争と言う泥海事情を取次ぎ人として、
親神から聞き取り記録した、増野正兵衛先生は、
伊蔵先生が本席になる以前に、その意味のお指図を頂いていた、
正真正銘の神の選びし取次ぎ人です。

増野正兵衛身の障り伺

明治二十年四月二十四日 午後五時半
さあ/\遠く/\処、さあ/\それから遠く、何かの処も急ぐ。
身上一条の処は、又の道の、いつ/\まで身の障りという事で、なに大抵今までの処、どちら大変処、計り難なき。
やれ/\何でも、一日なりとも、一月なりと、日を送る。何の思案。
月更わる、日更わる。是非に押して/\、残念々々でならんで。残念の処に、残念がある。
残念の中に、何か幾分何かの処、又々それ/\処、何の楽しみも無き、一度の処と立て替える。
仕事場々々々、仕事場はあちらこちら、その時/\さしづ。
何を尋ねる。よう風吹くようなもの。どうやこうや、又々立て替えじゃで。
仕事場委せて置いた。席をすっきり、あちらから/\、こゝで一寸、仕事場にしようか。
席というは綾錦、身の内障り、だん/\もう成ろか、洗い替いせねば余儀無くの。ほんに席にては、十分何時なりとも、席にて伺え。
何時なりともあちこちと、立て替える。ほんに席さしづは仕事場。何時にても、どういう事も早く。
0575基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:17:27.78ID:7odJJoE5
陰暦で言うなら、(陰暦二月十七日)という表記は、二月十八日の一日前になります。
二月十八日と言うのは、普通に言えば、おやさまの死んだ日です。

明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時
刻限御話
内も世界も十分と思うであろう。さあ/\始め掛ける/\。どえらい山がある。
ろくぢ/\という事も聞かせてある。
山を刳り抜かねばろくぢでない。
さあ/\刳り抜くで/\。それ/\へも伝えて置かねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。

1887年(明治20年)2月18日に教祖が死亡した。
1887、と、218と一目で分かるように、1887は1888の一年前です。

つまり、「八」は、「八方に開く」と言う数理ですから、1887は、八の前ですから、おやさまが扉開いて、刻限において、
山が刳り貫かれたと言うお言葉は、次の段階ならそうなると言う意味です。
おやさまは、1887年に扉を開かれた。二月18日は十分八方に開く理。
三月十一日の日付は、十分始まりの数理です。
山を刳り貫くお指図は、山をくりぬくことは十分始まりであるが、十分八方に開く一段前の、刻限だという数理の示すものです。
0576基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:21:21.93ID:7odJJoE5
つまり、『さあ、さあ刳り貫くで、』は、今はじまりだけれど、理としての始まりで、実体としての刳り貫き開始は、その後に来ると、理解されます。
そこで、「さあ」と言うのは「あさ」の「朝の理」ですから、「さあ、さあ」と、二回の夜明けを、告げられていると理解するのが、基本的理解です。

おやさまの命日、26日は、1887年とそれは、25年縮めた命日ですから、
1912年が該当すると、思案されますが、そういう場合実年齢にて数えるのが基本ですから、
1798年(寛政10年)4月18日 (陰暦)- 前川みき生誕。
これから、115歳の定命を満年齢で数えますと、1913年になります。
おやさまの扉を開いた歳は、満89歳。
でも、実は、おやさまは、存命のおやとしての一年を足して、九十歳と、死までの年齢を数えるわけです。

明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午後一時三十分
刻限御話
一寸正月二十六日、これまで話てある。
さあ/\事を始め。二月二十六日というは、今初めやで。多く始まり、追々。
さあ/\今一時世界も分からず、世界も不思議や。
それ/\の道一寸付け掛けた。

このように、一(正月二十六日)二(二月二十六日)と、そういう一、二が、数理としてある。
おやさまが、天理教会をオープンすべく、扉を開くと言う126の次の年の126に一年祭妨害事件を引き起こさせた。
本席の出直しの時、百日のおさしづでは、明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時
『もう立て合いの日の立て合い/\、日の立て合いは正月二十六日、二月二十六日、これ日の立て合いや。』
0577基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:33:23.30ID:7odJJoE5
「一けふ」には、「あすにちからわをふくわんのみち」になると言う予言でありますが、
明日日というのは、一今日に対しては、
仮に言うなら、「二今日」と理解されます。
あるいは、「一けふ」とは、始め(一)においての今日という理解で読み取るべきです。
つまり、13号には、二つの「けふ」がある。
と言う事は、十三号の五月五日けふと、四号の五月五日けふは、
四号は「一けふまで」、十三号は「一けふまの明日日のおいてのけふ」と
このような時間経過があるという事になります。

さて、これは全く独自の基本的な見かたですが、「一けふまで」のおふでさきは、「13号にて完結している」と、このように見立てます。
「十三とは、十分身につく」で、教えが、十分身につく。
そして、四つは、「世の中」「世直り」ですから、
十三号までで、お筆先の教えが十分身についた。→十四号からは「十分世の中・十分世直り・十分幸せ」と、そういう構造と理解されます。

その区切りをお示し頂いたのが、「一けふ」という文字であり、
「一つは正月」。
正月二十六日を待つ。
その、正月には、「一けふ」いごの、道の容態になるという予言になっております。
0578基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:36:04.15ID:7odJJoE5
「三つ身につく」。
       三下り目
一ッ 日の本庄屋敷の 勤め場所は世の元や
二ッ 不思議な勤め場所は 誰に頼みはかけねども
三ッ 皆世界が寄り合うて 出来立ち来るがこれ不思議
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや
五ッ 何時も笑われ謗るられて 珍したすけをする程に
六ッ 無理な願いはしてくれな 一筋心になりて来い
七ッ 何んでもこれから一筋に 神にもたれて行きまする
八ッ 病む程辛い事は無い わしもこれから日の寄進
九ッ ここ迄信心したけれど 元の神とは知らなんだ
十ド この度現れた 実の神には相違無い

十二下りでは、三下り目の十ドになって、元の神実の神と納得しています。

十二下り出て居る。
この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。

天理教の信仰をしていても、元の神、実の神と相違ないと納得は、「三つ身につく」ことです。
0579基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:39:05.23ID:7odJJoE5
・・・中山みきは、そうした方針に断固と妥協しない為に、政府からは、何度も拘引投獄という弾圧を受けました。
が、監獄から出るたびに、出迎えの信者は増えていくと言う、「節から芽が出る」という姿にて分かるように、
各地域での布教成果は上がり続けていて、
それは、権力との上手な妥協をしていた弟子たちの功績なのです。
そこで、神道の組織に参入する道を選んだ、初代真柱は、時の神道管長を招いて、政府の方針に従うと誓書を差し出します。
これが、応法の道と言われる天理教会の道の始まりです。
教祖が、邪魔だ。教祖を黙らせろと言うのが、神道の幹部の意見でした。
0580基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:42:06.28ID:7odJJoE5
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや

実のたすけとは、「世直り」「よんなか」(豊年の意味)「幸せ」「陽気」・・四の理。
四の理とは、資産、資本。社会資産と社会予算の、柱の理。
「家業第一」の基本を貫かず、いつも豊年教えたいおやさまの「四の理」。
そういう四の理の「四つ」に入って行こうとしないで、
「三つ身につく」で、三年の苦労で初代が身につけたものを、教会の財産資産を「私物化」し、世直しに向かおうともしなかった。
天理教団の四の理の間違いは、「四つ夜の中」。
四は戦争の闘いの、腹立ちの埃。

実のたすけは、いまだ行われず、三つ身につくことばかり求めての、
元の神実の神とも得心しない天理教団、開始から、ずっとそうでした。
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