ただ一乗の教えの通り、阿含の上座部仏教や般若方等の他大乗仏教から法華に導くのと、直接法華に導くのはどちらでもいいのだと思う。
前者が天台大師や伝教大師、後者が日蓮上人。

まず自分が生病老死の苦しみを取り除き、知恵を完成させ、それから人々を救い、最終的に法華経の教えに導き人々に広めさせる。
その道筋は修行による自力救済でも、他の大乗仏教による他力救済でも、最終的に法華経にたどり着ければ何でもいいのだと思う。

法華経は他の仏典を全肯定(上座部と大乗の対立さえ止める)し、また同時に全否定するものでもある、これもまさに「空」。
どちらも答えは同じ。