祈りと申しますのは、大きく分けて「自我に戻ってくる」祈りと、「自我に戻ってこない」祈りがあります。
「自我に戻ってくる」祈りとは、欲望から発せられた祈りで「何かがほしい」「何かを実現してほしい」
というご自分に何かを与えてほしいという祈りです。
「自我に戻ってこない」祈りとは、いわば感謝の祈りです。
たとえば「今日も一日無事でした、ありがとうございました」とかです。
それでは「世界人類が平和でありますように」はどうなのでしょうか。
これも何かほしい・・・平和がほしいという欲望の祈りなのでしょうか。
そうなのです・・・しかし欲望にもレベルがあるのです。
欲望と申しますのはある意味「愛」なのです。
「愛」と申しますのは、様々な形、様々なレベルがありまして、物質レベルの「愛」が「欲望」なのです。
しかし「世界平和を願う」という欲望はとても物質レベルということはなく、
もっと高いレベルのいわば「希望」に近いような「愛」なのです。

考えてみますと人間にとって祈りは単純な作業ではありますが、使い方によってはものすごく効果のある
いわば「メソッド」なのです。

実は五井先生の祈りには肉体と魂魄(こんぱく)の間を調整する強い特別な力があるのですが、ここでは省略しておきます。

仏陀も五井先生も向こうから人類を見守っておられる姿は、非常に尊いものがあります。
何をするでもないのですが(干渉しない)、その見守るというお姿が究極の「祈り」なのです。

2007/12/30 No.24
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