ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
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ラーマクリシュナ
「万教は同根。真理にいたるにははしごでも縄でも
階段でも、どのような道を辿ってもたどり着く。
無相の真理、有形の神、どちらも正しい。
その人に相応しい形をとって現れる。
大事なのは熱烈に求めることだ」
スマナサーラ長老
「一神教は間違い。大乗仏教も間違い。
上座部仏教のみが人を悟りに導く」 つづき
585:キソー ヴィワンノー バワティ ヒンサマッターナマッタナー:
ナ テーナ ペーター パーレンティ ニラッター パリデーワナー。
(身はやつれ、顔色は悪くなる。自分で自分を傷つける。
死者の供養にもならない悲しむことは、無駄なだけ。)
586:ソーカマッパジャハン ジャントゥ ビッヨー ドゥッカン ニガッチャティ、
アヌットゥナントー カーラカタン ソーカッサ ワサマンワグー。
(悲しみを断ち切らない者が、なおさら苦悩に陥る。
亡き人を嘆く人は、悲しみに呑み込まれる。)
587:アンニェー ピ パッサ ガミネー ヤター カンムーパゲー ナレー、
マッチュノー ワサマーガンマ パンダンテー ヴィダ パーニネー。
(摂理によって死んでいく他の人々も見るがよい。
死期が近づくと、生命は震えるもの。)
588:イェーナ イェーナ ヒ マンニャンティ タトー タン ホーティ アンニャター、
エーターディソー ヴィナーバーヴォー、パッサ ローカッサ パリヤーヤン:
(どのように思い願っても、起こることはその逆です。
(死なないようにと思っても、必ず死は訪れる。)
無常というのはそういうこと。世間の有様を観てごらん。) つづき
589:アピ チェー ワッササタン ジーヴェー ビッヨー ワー マーナヴォー、
ニャーティサンガー ヴィナー ホーティ、ジャハーティ イダ ジーヴィタン。
(もし百年、あるいはもっと長く人が生きるとしても、
親族が死別する。ついに自分も命を捨てる。)
590:タスマー アラハトー ストゥワー ヴィネッヤ パリデーヴィタン
ペータン カーラカタン ディスワー ナ ソー ラッバー マヤー イティ。
(それゆえ、覚者に学び、悲嘆を克服しよう。
逝った死者をみて、「この人、もはや得られない」と〔知ろう〕。)
591:ヤター サラナマーディッタン ワーリナー パリニッバイェー、
エーワン ピ ディーロー サッパンニョー パンディトー クサロー ナロー
キッパムッパティタン ソーカン ワートー トゥーラン ワ ダンサイェー
(家についた火を水で消し去るように、
智慧に満ちた賢者、巧みな人は、わき起こった悲しみを、
風が綿花を吹き払うように、即座に消す。)
592:パリデーワン パジャッパン チャ ドーマナッサン チャ アッタノー:
アッタノー スカメーサーノー アッバヘー サッラマッタノー。
(自分の憂い、未練、悲しみを引き抜くこと。
自分の幸福を求める者は、
刺さった〔悲しみの〕箭を引き抜くのである。)
593:アッブールハ サッロー アスィトー サンティン パップッヤ チェータソー、
サッバソーカン アティッカントー アソーコー ホーティ ニッブトー ティ。
(箭を引き抜き、涼やかになり、こころのやすらぎを得る。
一切の悲しみを乗り越えて、悩みなき寂静に達する。) え?あれ回収されちゃったの?
もしそうだとしたら多分題名
ありきたりすぎたのだろう ちらほら発売され始めた「瞑想経典編 (初期仏教経典解説シリーズII)」をご覧になった方いらっしゃいますか
Amazonのレビューで「書き下ろしではない」と書かれていたのですが
ヴィパッサナー瞑想の何を教えるのでしょうか?期待です 日本に出回るカルト解説本はあまりにもキリスト教系統やオウムみたいな
極端な例に片寄りすぎていて日本テーラワーダ仏教協会のような
伝統宗に擬態した新手のカルトに対応してないような気がする。 スマナサーラ長老の功績は疑似科学の手本をしめしてくれたことにある。
あまり粗末に扱えない逸材だ。もっと泳がせろ。 伝統宗教に擬態した宗教(団体)に、本気で対応しようとすると
ほとんどの宗教(団体)が偽物ってことになるよ。
現実問題。 どーでもいい
お釈迦様の言葉が聞ければそれでいい
てか、現代のこの世にお釈迦様がいないこと自体矛盾していないか?
今日本が苦しい状況にあるのに
東南アジアは発展の一途をたどっているのに いままで日本が札をあまりにもすらなさすぎたのが、苦境の原因だよ
ようやく気がついたみたいだから、マシになるよ >>353
そういえば、千円札ボロボロなのが多い…
お釈迦様は暗に「お金なぞ紙切れだ」と教えてくれたのかも知れない
けど、それは在家や俺がにわかに実感できる話でもなく…
しかし、よく二行で教えられたね アリがd
ただ、立て続けに起こる地震や原発事故、アメリカ軍駐留話、領土問題
これをなるべく俗人(日本人)の理論に即した方向で解決して欲しいのだけれど
お釈迦様だったらどのように動くだろうか?
特に領土問題なんて「もともと歴史的にも日本領だろ?」というところから始まったんだし
いくら地震は起きるものであるとしても今回のはヤバスギ
津波のせいで原発まで巻き添え食らった
こんな不運は他国では類を見ないと思っている
「執着を捨てれば楽になれる」と原始時代並みの生活に逆戻りしてもそっちはそっちで苦しみがあるし
他国に囲まれているのでお釈迦様の故郷のように滅ぼされるのがオチ
お釈迦様と出家者だけが助かったってのは俗人にとって「その当時は」ありがたくない話
困るからこそ今ひとたびこの混迷の時代に即したお釈迦様の言葉が欲しい
すべての民衆生が救われるように お金の話だけど
お金はそれを受け取った人が
それが価値がある
それを誰かが価値があると
思って受け取って貰えるという
心の幻想で流通しているものですよ 原発の事故は不幸だったけど、よくぞあそこで止めたものよと
日本人のものすごさを、おもったよ
これも大丈夫、なんとかなるよ
あともうすぐ世界は核エネルギーの世界に変わるよ 膨らみと気づく、縮みと気づくならよい
この気づくは言語ではない
ただそうであるとあるがままに認識する そうそう
だから「膨らみ、縮み、…」と言葉で捉えてはいけない
そのつど、こうなっている、こうなっている、と直接認知するだけにしないと 膨らみ ちじみはこのあと
自分と一体になってくる
膨らみちじみの中に私があるというか
膨らみちじみもなくなる 私と思っているものは私ではない
と知るなら
どれ程楽に生きられるか スマナサーラはいいこと言うが
結局、無常・苦しみ・あきらめという結論になる
それでいいのかが問題 色即是空はわかっても空即是色がわからないんじゃね。 ”もう悟ってる” なら色即是空も空即是色も知らなくて問題ないね
”もう悟ってる” ことに気づかないと ”悟ってることにならない” なら ただのインチキ言葉遊びだね もちろん色即是空も空即是色も知らなくて問題ない。
単に色即是空で空即是色なだけだ。 寧ろ逆に最高潮だろ
他に別に最高級だろ
当然正反対に最高峰だろ >>369
興奮状態で考えるから問題だと思うのさ。
まあ、起きてるときは少なからず興奮してんだけどね。 スマ本読んだけど他宗の悪口ばかりで気分が悪くなった 早くお釈迦様を超えるお釈迦様が現れればいいんだよ
東京オリンピックまでになんとか間に合わせればいいから そもそもお釈迦様は2600年前のインドで活躍した比丘で、国も時代も違いすぎる
日本に似合った文化背景、21世紀の時代背景で「悟り」をお話ししてくれなきゃ誰も分かりませんっての
スマ長老はその辺に言及してない
上座仏教は流行っても原始仏教は存在しない
そして一過性のもので終わる
昭和にテレビで織田無道が出た時もそれっぽっきりで終わったからな
本当に「平成の仏教ブーム」で終わりそうで怖いね >スマ長老はその辺に言及してない
できないんでしょう。
本人、悟りを開いているように見えないしね。
>上座仏教は流行っても原始仏教は存在しない
>そして一過性のもので終わる
それでいいんでしょう。
普遍性のない一地域のカースト仏教など、下手にのさばられても困る。
ヒンドゥーに例えれば、正統六派哲学をさしおいて
神智学協会がでかい面をしているようなものだからね。
それはともかく、コタムリトの3巻の翻訳、まだ出ませんかねえ…… >>382
> 本人、悟りを開いているように見えないしね。
いえ、本人が悟っているかどうかは関係無いでしょう
お釈迦様の教えを語ってマハシ流瞑想法の指導しているだけですから
悟っていなくても比丘だったらそれなりのカリスマにはなれると思います
ただ、もうそろそろスマ長老とか関係無く「お釈迦様以上のお釈迦様」が日本に現れて日本を初め世界を救ったり
キリスト教だったらイエスキリストの再臨があって救いがもたらされてもいいようなそんな社会情勢なんですよね
いろんな意味でマズいんですよ 新聞とか情報集めてみると
クリミアから始まるロシア関係とか尖閣を初めとする中国関係とかアラブの春を初めとするアフリカ関係とか
だから「せめて東京オリンピックまでに…」と思ったわけです
そうしないと多分オリンピック開催するほどの霊力(精神力)・体力・国力がなくて中止になりかねん
日本国内でも消費税を上げたけどかなり無理している部分があるからねぇ…
いろんな意味で画期的な活路がない限り、力業で科学技術を推し進めて原発だやれ反原発だのやっていても日本が疲弊するだけですよ …ああ、世の中が暗く見えるよなぁ
そうすると余計に悪いことが起きそうで嫌だなぁ >>384
悪いニュースは簡単に人を煽ることができる。
反対に、良いニュースは欲を絡ませないかぎりそうそう人を煽ることができない。
ニュースあるいは情報に気をとられているときは、少なからず自分が興奮してることを
忘れてはならないと思う。
情報を感情を弄ぶだけの刺激として扱うだけなら、ポルノとの違いは何一つない。 >>385
同意。空や縁起を少しでも理解していれば、今を特別、特殊な状況だとは思わない。 ただの比丘と自称聖者じゃ違うだろ
本場インドの自称聖者の方が力強い
向こうは上座仏教の瞑想法とお釈迦様の言葉を学んできた比丘
けどな
ラーマクリシュナがたくさんの人を救いきれるとも思えないんだ
それこそメソッド化しないとな
その点スマナサーラ長老は「マハシ式瞑想法」を21世紀の日本人に改めて伝え
お釈迦様の教えをアレンジして混沌とした日本に対してアプローチしてきた努力は評価されて然るべきだと思うよ 破戒僧スマナサーラは人を救ってるんじゃなしに、共依存してるだけじゃん。
信者に麻薬的妄想を提供して見返りに、破戒行為である金を受け取っている。
狭いカルト内での相利共生が成り立っている内はいいが、いかんせん幼少の
砌から紛争の母体たるスリランカ仏教の洗脳を受けているせいで、宗教的な
対立を煽る煽る。単に商売で妄想を切り売りするカルト教祖で終わらない。 >>394
それはラーマクリシュナの教義をメソッド化して誰でも救われるようにしてからにしろよ >>395
ラーマクリシュナ?知らねぇよ。興味ないわ。
メソッド化でスリランカ仏教(カースト差別がある異教徒大虐殺宗教)や
スマナサーラカルト教祖スマナサーラやの佐藤事務局長みたいになるなら
メソッド化しない方がいいと思うわ。
対して、ラーマクリシュナが宗教対立を煽ったなんて話は聞かないなあ。 要はメソッド化って信者を洗脳して型に嵌める技術だろ。傍目にはそうだ。
このカルトの信者のマイルール押し付けにはヘドが出るわ。 >要はメソッド化って信者を洗脳して型に嵌める技術だろ。
いやまったく。
それもお釈迦さんの教えをもとにしてればまだ言い訳もできるだろうけれど、
近代のマハシ式だったり、三蔵に無い我流の慈悲の瞑想だったりするのがなんとも…
しかもカースト差別の宗派に属する破戒僧とくれば、近寄らない方が良いよね。
もしどうしても上座部仏教のことを知りたければ、もっとましな人を選ぶか、
直接現地にいった方が良いんじゃないかな? スリランカってこれから更に、政情不安になりそうだな。
仏教徒によるイスラム教徒迫害がどんどん、激化している。
坊さんがうれしそうにムスリム迫害を煽っている。ミャンマーも同じ。 仏教は北に向かって広まると、お釈迦様は予言されていたそうです。
つまり南へ伝わったのは、慈悲とは程遠いスリランカ仏教だったと。 スマナサーラ 苫米地 スマナサーラ 批判 スマナサーラ 瞑想
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> ラーマクリシュナ
> 「万教は同根。真理にいたるにははしごでも縄でも
> 階段でも、どのような道を辿ってもたどり着く。
> 無相の真理、有形の神、どちらも正しい。
> その人に相応しい形をとって現れる。
> 大事なのは熱烈に求めることだ」
>
> スマナサーラ長老
> 「一神教は間違い。大乗仏教も間違い。
> 上座部仏教のみが人を悟りに導く」 スマナサーラとスリランカ仏教のおかげで、テーラワーダはオウムより
カルト化するのがよく、わかった。仏教に、幻想を抱かなくなった。 信徒からお布施をくださいと言われたが、
お布施って催促するものなのか? 仏教と言ってもミャンマーやカンボジアで素朴に信仰生活に生きる
お坊さんからスマナサーラのように破戒の道まっしぐらの汚れもいます
ヒンドゥー教はさらにバラモンからアウトカーストまで多種多様です スマナサーラと細木数子を比べるなら比較しやすいが細木の方が
器がはるかにでかいので、これはスマナサーラの分がわるいな。 悟りを開いても、無常という真理を瞑想で発見しても
修行でゆがんだ心では 普通の人間の悲喜こもごもな人生の問題を解決する
センスが無いんだよ。無関心、無慈悲、がさつ、無神経なスマナサーラの話を聞いていると反吐が出る。
あんな人間になるなら、仏道なんて絶対やりたくない。 スマナサーラシンパは論理や理性で生きているつもりだろうが 何のことは無い、
乱暴な机上の空論で現実をぶった切っているだけ。機能はしてない。
本人達がイライラし、信者の悩み相談にも形の上だけしか乗れず 悩みが聞けるような余裕が無い。
あいつらが理性と思っているものは、稚拙な屁理屈。
まだ、必死に泣いたり怒ったりして人生に一生懸命取り組んでる人のほうが、ちゃんと答えを見つけているよ。
スマナサーラ教徒は、心理を実践している、無知な一般人に教えてやるという欺瞞に陥ったまま市ね。 マハーシ式を何年やっても、机上の空論を言い続けたり
仏教を実践しても事実うまくいかない点
(そんな矛盾いくらでもある。たとえば慈悲を実践していれば人間関係はすべてうまく
行ったりしない。平等に接するより自分に得になる人間を厚遇するのはスマナサーラもあからさまにやっている。
また、自分達は戒律を守っているなどと 見リャ分かる嘘をスマは平気でついているが 信者は糾弾しない。悪因悪果ではない。諸悪莫作なんてしてない。)
うまくいかないものは、間違いだと気づきもしない。仏教に対して開きめくらすぎる。
マハーシ式ヴィパッサナーをやればやるほど、イライラし、しつこく怒り、自分を正義と勘違いするように見える。
スマの指導法がごり押しのくそ努力信仰だからだ。瞑想時の意志力を強調しすぎる。
「せったいにやってやるそう」という意思だけで、やっていない。本人すら。
スローガンや、プロパガンダを声の限りさけんでいれば その通りに生きていないことなんて気にしない。
事務局長佐藤哲朗が左翼活動に異常なくらいのめりこんでいるのに、震える。 マハーシやって脳内で
「自分の心はきれいになった」
と思い込んでりゃいいんだよ。スマナサーラ教的には。 他人がどう見えるかは あなた自身をどう見ているかを伝えるものです
現象を通じ教えが現れます。
人個人が教えるのではありません。 >>416
その屁理屈に従えば、外部の宗教ばかりか全ての事象に呪詛を吐く
スマナサーラなんか凄まじい自己嫌悪塊なんだろうね。
んなわけねーつーの。 既成の宗教観に革命的な切り口を与えたこと
そして苦しんでいた人に少なからずの価値観の変化、柔軟な融通性、微妙な真実
を示したことは評価されるべき >>418
誰の話なのかわからないがスマナサーラの話なら信者からみたらそうだろう。
麻原がイケメンに見えていたオウム信者みたいなものだ。 日本という国を客観的に見ている、見られるところ
日本人には決して建前上言えないことも言えるところ
その2点に於いては少なくとも貴重な人だと思う
おそらく日本人には無理だったであろう風穴を空けた 自分やスリランカやスリランカ仏教の都合の悪い ことを隠す所か
ありもしない姿をでっち上げることまでして低レベルな日本批評に
ぶって出たのがスマナサーラのすごいとこ。 クリシュナや、ラマナ・マハルシのいう、真我を一瞬でも垣間見てしまったものは、悪評のある団体の瞑想法も、自己を高める(自我を消していく)ことに生かせるだろう
そして、様々な宗派の、どんな寺、神社、教会、聖地、聖山に行っても、そこに固執することなく、濁った表面の深奥に潜む、深遠なる真理を感じるだろう
焦らず、リラックスして、ただひとつの熱意だけを持ち、何としても、一瞬、ほんの一瞬だけでも垣間見ることを目指そう
真我から溢れ出る慈悲、至福、そこから見た世界の圧倒的な美しさを体感してしまったら、後は自動的に進まざるを得なくなる
本物の聖者は、やはり大まかな道しか示してくれない
しかし、その言葉は、慈悲と恩寵とヒントに満ちている
真の至福だけが、命の目的
道の途中の私も、あなた達も、必ず到達できると信じています スマ長老の言う事すべてが良いわけではないが
仏教を本気で身に着けたかったら必ず学んで損はない
あとはそれを自分でどうまとめ上げるかが大切 そりゃそうだ。誰の言うことでも、学ぶべきものはある。
麻原だって、文鮮明だって、池田大作だっていいことは言っている。
各々の宗旨と宗教的観点からしたら、間違ったことは言っていない。 もし身内を連れてくとしたら、なんだかんだでスマ氏のとこになるのかなぁ
間口の広さや取っつきやすさみたいなのはすごいと思う、みのもんた的要素というか
著書すごい数あるけど、ライトなのはたいてい慈悲の瞑想とヴィパッサナー実践を紹介して締め括り、
みたいなのが多いね 仏教の素晴らしい所は
人間を見つめる目を持たせ、満足や幸福を与え、能力を向上させる
キリスト教は、ほぼ確実に【不幸】になる要素しかない 阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪 >>425
身内を破戒僧のところに連れていくなよ・・。 スマナサーラは やかましい騒音ドリフト族 、
けたたましい愚痴不満の嵐 スマナサーラなんかと比較されるなんてラーマクリシュナが
一体、どんな悪行を積んだのやら。 それにつけても、過激派崩れの、腰巾着い大なる事務局長同志が、悪化させている。http://blog.livedoor.jp/satoutesurou/ スマナサーラと比べるのは小保方とか佐村河内とかが相応しい。 今、アーチャン・チャーの無常の教え読んでるんだけど、無我がどうにも納得行かないんですよ。
目に見えない、触れない、掴めないから無いって、どうにも、納得が出来ない。
目に見えなくとも、存在するものは無数にあるでしょう?
期待にせよ、微生物にせよ、人間の知覚なんて限界があるのに。
例えも突飛で奇妙。
例えば、P193で、誰かが地面を掘っても、大地は、それによって煩わされることはない云々と続くんだけど、心もない、感情もない、痛覚等の感覚のないものと比較されて納得できるわけがないのですよね。
全ては過ぎ去るものという考えも、確かに理解は出来るけど、生皮を剥がされたり、爪を剥がされたりする苦痛も、平然と堪えられるもの?
偉そうに書いているけど、当事者になったら、当然無理だよね。
無限に続かないとしても、いつ終わるともしれない苦痛はやっぱり誰でも嫌なんじゃないのかな。
全ては苦だというけど、実際楽もあるのになんで?
楽は永遠じゃないけど、苦もまた然りなんでしょう。
瞑想は好きだし、仏教も好きだけど、ここら辺が、どうにも理解出来ない。 【奇跡の脳】脳科学者ジル・ボルト・テイラーの悟り体験 http://goo.gl/VifUuy スマナサーラさんとこの欠点って何よ?
スリランカ仏教って大虐殺本当にしたの? 麻原の欠点って何よ?
オウム真理教ってスリランカ仏教よりかなり小規模な虐殺本当にしたの? >>174
ヒンドゥー教の聖者として私もそのお名前を聞いたことがあるラーマ・クリシュナやラマナ・マハルシは、
彼岸に渡る道としてどの道を選ぶかは修行者の性質や適性によるとして、あまりこだわらなかったみたいですね。
バクティとジニャーナには優劣はなく、どちらを選ぶかは修行者の性質による。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7 スマナサーラと比べる相手として相応しいのは尾上縫かな。
スマナサーラの器から考えると大物すぎるか・・・。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています