敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
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2009年(主日B年) 5月10日 復活節第5主日
使 9:26〜31 Iヨハ 3:18〜24 ヨハ 15:1〜8
使徒パウロはダマスコ途上で復活のイエスを見た後、直ちに洗礼を受けて、キリストの福音を宣教し始めました(Iコリ 9:1 参照)。
これはおとぎ話ではありませんから、私たちはパウロが直ちに使徒たちから伝えられた福音の伝承を “受け取った” であろうことを考慮しなければなりません。
彼は決して、自分独自の新発明の福音を語ったのではありませんでした。
ガラ 1:18以下 の記述と、vv.28-29 との間に、古くから矛盾が指摘されていますが、とにかく使徒パウロはエルサレムの使徒、特にケファ(ペトロ)から福音の伝承を受けようとしたに違いないと思われます。
彼はダマスコでも(使 9:20)、アンティオキアでも(使 11:25)、12使徒のみならず、広義における使徒、すなわち “主を見た証人たち”(使 1:21-22)の伝承を受け取ったことでしょう。
それらの伝承には、要約された初期の信仰告白、イエスの言葉や生涯に関する報告が含まれていたと考えられます。
パウロの ガラ 1:12 の言葉は、この “使徒の伝承” というものの特殊性を明示しています。
すなわち 「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」
文字通りに読むと理解が困難なように見えますが、彼が受けた福音の伝承の背後には、復活のキリストが立っておられ、伝承が伝えられること自体の中にキリストが働いておられる、という理解がそこにはありました。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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チロチロ
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チロチロ 2009年(主日B年) 5月10日 復活節第5主日
使 9:26〜31 Iヨハ 3:18〜24 ヨハ 15:1〜8
O.クルマン という新約学者は、「使徒たちすべての共通の証言だけがキリスト教の伝承を形成することが出来、その中に、主御自身が働き給う」 と説明しています。
代々の教会は、今日に至るまで使徒継承によってキリストの福音の伝承を受け継いで来ました。
しかし、それは使徒たち自身が福音を受けたのとは、決定的な点で異なっています。
現代の教会がそれを受け継ぐのは “聖伝と聖書” を通してであって、あくまでも福音についての規範的な権威は使徒にあるからです。
この “使徒たちから伝えられたこと”(神の啓示に関する教義憲章 8,9)を学ぶことによって、現代の私たちも 「神の子イエス・キリストの名を信じ」(Iヨハ v.23)ることが出来るのであり、
その同じ福音を聞く人々の間で、その同じ福音を信じて救われた者たちの間で、「互いに愛し合うこと」(同)が可能になります。
互いに愛し合うとは、なによりも先ず福音を分かち合うことであり、教え合い、学び合うことに他なりません。
福音を説明したり弁明したりすることは、教導職の仕事であって、信者はただ善良な生活をしていればよいというのではありません。
「理解力が豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリスト(の福音)を悟る」(コロ 2:2)こと、「知恵を尽くして互いに教え、諭し合う」(コロ 3:16)ことが、すべての信者に求められているのです。
私たちは希望し、確信しようではありませんか。
「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。」(Iコリ 1:8)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
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信者の前で がなってる あ〜ァホの金ちゃん、信者の女に手を出して893を使って口封じ♪
元893自慢をするけれど本当は枝の葉っぱでした、殆んどインチキ学位の見栄張り自慢が痛過ぎ♪
被害妄想で信者を追い込み脅して騙して金を取る、ナマポを騙して取得させ信者をタ〜ダで こき使う♪
893の関係チラつかせ周囲の牧師を見下して悪口し喧嘩する、裏で信者の陰口なんて茶飯事♪教会を離れると糞味噌に言われます♪
注卒なのに、それを隠し偽物学位(薬物注卒?)じゃないでしょか♪○○○担がせ歩かせる 金ちゃんの見栄の為だけじゃないでしょか♪
なにか刺激のあるイベントを開いては、金ちゃんが偉大であることを強調し、裏事情に詳しいことをアピール、信徒が減るのが怖くて実際は臆病なだけじゃ無いでしょうか♪ 2012年(主日B年) 5月6日 復活節第5主日
使 9:26〜31 Iヨハ 3:18〜24 ヨハ 15:1〜8
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」(ヨハ v.1)
「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 わたしにつながっていなさい。」(ヨハ vv.3-4)
「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」(ヨハ v.8)
ヨハネ福音書には、最後の晩餐における感謝のいけにえの制定の場面が記述されていませんが、今朝のテキストは正にそれを思い起こさせるものです。
ミサの奉献文で 「これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪の赦しとなる永遠の契約の血」 と唱えられる、その “まことのぶどうの木” がイエス・キリストであるという宣言で、語り始められているからです。
このまことのぶどうの木につながっているなら、豊かに実を結ぶように父なる神が手入れをなさる(刈り込んでくださる/フランシスコ会訳)。
それは洗礼の秘跡を受けた信者は、キリストの福音によって 「既に清くされている」(ヨハ v.3 フランシスコ会訳/13:10 参照)からです。 (つづき)
言うまでもなく、ここで 「わたしの話した言葉」(ヨハ v.3) 「わたしの言葉」(ヨハ v.7)とは、イエスの語られたあの言葉この言葉を指しているのではなくて、
原始教会の伝承としての “伝えられた教え”(παράδοσις/Iコリ 11:2、IIテサ 2:15,3:6)のことです。
それはカトリック教会が “聖伝” と呼んでいるもので、成人の入信に際しては求道期の教育で、また幼児洗礼を受けた子供たちのためにはカテケージスで、
本来 “組織的かつ体系的に” 教導される筈のものです(カトリック教会のカテキズム 序論 5)が、実際には指導者等の無能によってほとんど全くスキップされて来ました。
自ら福音を学ぶことをせずに、ただの善意だけでカテケージスの奉仕が出来ると、多くの司祭と奉仕者たちが勘違いしたことに原因があります。
私たちがミサで、ことばの典礼と感謝の典礼を通してお会いするキリストは、過去の物語りの中の思い出のイエスではなくて、神の右の座に着いておられる天上のキリストであり、
「わたしの話した言葉」(ヨハ v.3) 「わたしの言葉」(ヨハ v.7)は、そのような意味で理解されねばなりません。
そうでないと、教会が “それによって、父が栄光をお受けになる” ような実を結ぶことは不可能だからです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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牧師金ちゃん、まだしゃぶって末世!目的は自分の名を挙げ上座に座ることや♪
今も元◎X△を強調しそれをひけらかせては周囲を恫喝!
教会を離れた信徒の悪口に陰口、自己正当化を謀る様々な愚行!
日本の教会の未来はまるで自分の肩にかかってるかのようにかっこ良く語るが、とても尊敬できるような人ではない! 2003年(主日B年) 5月25日 復活節第6主日
使 10:34〜48 Iヨハ 4:7〜10 ヨハ 15:9〜17
神がどれほど私たち教会を愛してくださるかは、その御子イエス・キリストの十字架のいけにえが記念されるミサによって、代々の時代の信者たちに伝えられて来ています。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハ v.13)
私たちのために命を捨ててくださったのは、他の誰でもなくて、御子イエス・キリストでありました。
この主が、この主だけが、私たち教会に 「互いに愛し合いなさい」 と命ずることの出来るただ一人の方なのです。
このように聖書が、特に福音書がミサの中で朗読されるとき、復活のキリストは今も御自分の体である現代の教会に向かって語り、使徒たちが聞いたのと同じことを私たちに聞かせてくださいます。
ですから現代の信者である私たちも、福音書のイエスの言葉を最初に使徒たちが理解したように理解しなければなりません。
ミサに集う私たちは単なる書物としての聖書を読んでいるのではなくて、復活して今生きておられる主イエス・キリストの御言葉を聞いているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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人 2006年(主日B年) 5月21日 復活節第6主日
使 10:44〜48 Iヨハ 4:7〜10 ヨハ 15:9〜17
「愛する者たち。 互いに愛しあいましょう。」(Iヨハ v.7)
神の愛、キリストの愛と、世俗の隣人愛との間には、共通する部分がありますが、決して同一ではありません。
聖書を通して使徒たちが証言している愛は、キリストが私たちの罪を償ういけにえとなってくださった愛(Iヨハ v.10)、
来るべき(終末の裁きの)怒りから私たちを救ってくださるイエスの愛(Iテサ 1:10)、
その救いを受けた人々が一致団結してキリストの体を造り上げて行く愛(エフェ 4:12)です。
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。 愛は神から出るもの ・・・・・ だからです。」(Iヨハ v.7)
父の右に座したもうキリストは、21世紀の教会が聖伝と聖書を通して再び、使徒たちが伝えた福音に耳を傾けるようにと、今朝も呼びかけておられます。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 2009年(主日B年) 5月17日 復活節第6主日
使 10:25-26,34-48 Iヨハ 4:7〜10 ヨハ 15:9〜17
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。 ここに愛があります。」(Iヨハ v.10)
キリストの十字架の死が神の愛であったことを、それ故に、私たちすべてのために御自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された神の愛を、聖伝と聖書を通して代々の教会は今日まで聞いて来ました。
そして、それは “ただ一度 ・・・・・ 成し遂げられた”(ヘブ 9:12)だけでなく、その福音は信じる者たちの間で今も “現に働いている”(Iテサ 2:13)のです。
「互いに愛し合う」(Iヨハ v.7)とは、この福音を信者の群れが共有することなのであって、「知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、 ・・・・・ 感謝して心から神をほめたたえ」(コロ 3:16)るということを通して、福音は教会の中に常に働き続けるのです。
“神から出る”(Iヨハ v.7)のではない “この世の愛” によっては、人が 「成長し、救われるようになる」(Iペト 2:2)ことは決してありません。
論理を逆転させる人は、神を知らない人です(Iヨハ v.8)。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ 2012年(主日B年) 5月13日 復活節第6主日
使10:25-26,34-48 Iヨハ 4:7〜10 ヨハ 15:9〜17
「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。
・・・・・ そこでペトロは、“わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか” と言った。」(使 vv.44-47)
聖書はその全巻に亘って、聖霊が降るところには神の力が働くという理解を語っています(ルカ 1:35、使 1:8 参照)。
聖霊とは神から独立した別の力ではなくて、神御自身であり、教会に聖伝と聖書を通して託された福音に耳を傾ける人々には、復活された天上のキリストが聖霊を通して訪れてくださるということが起こるのです。
神がコルネリウスたち異邦人に聖霊を送って、彼らをユダヤ人と一緒に神の国を受け継ぐ者、同じ約束にあずかる者(エフェ 3:6)にしてくださいました。
このように、教会の主体は人間ではなくて、神であることを感謝しましょう。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。 わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハ 15:16)
「あなたがたの救われたのは恵みによるのです。」(エフェ 2:5)
そして、私たちも使徒パウロと共に宣言しようではありませんか。
「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(ガラ 6:14)と。
・・・・・ 以下、本文参照。
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チロチロ 今年の 「聖書講義」 に、<2018-2> を追加しました。
今回は、ユダヤ教の聖書とキリスト教の旧約聖書の違いについて、基礎的な紹介をしています。
http://www.kuwaei2000.com/Study/2018/2018.html >>883
カスタマーレビュー
カスタマートーマス
★★★★★★5つ星のうち6.0 最高傑作
2018年5月8日
キリスト教徒になるためには、大変素晴らしい内容です。
キリスト教に興味がある方、キリスト教徒として幸せな人生をおくりたい方には必読書になります。
絶対オススメです。機会があれば、是非是非ご一読を。
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牧師金ちゃん、まだしゃぶって末世!目的は自分の名を挙げ上座に座ることや♪
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教会を離れた信徒の悪口に陰口、自己正当化を謀る様々な愚行!
日本の教会の未来はまるで自分の肩にかかってるかのようにかっこ良く語るが、とても尊敬できるような人ではない! 2006年(主日B年) 5月28日 主の昇天
使 1:1〜11 エフェ 4:1〜13 マコ 16:15〜20
福音の起源が、復活のキリストによる使徒たちへの教えであることを、初代教会は強く主張しました(使 v.3)。
なぜなら彼らの教会は、使徒たちが教えた福音を大切にし、その福音に基づいて共にミサをささげる共同体であったからです(使 2:42)。
地上のイエスの最後の言葉は、聖霊を通して天上のキリストが今後使徒たちによる福音宣教と共にいてくださるという約束でありました(使 v.8)。
この使徒たちの宣教の継続を今日に至るまで支え導いておられる方は、やがて再び来られる終末のキリストとまさに同一の方であることを(使 v.11)、現代のキリスト者は再認識しなければなりません。
教会の宣教活動は、今日においても使徒たちの宣教の継続以外ではあり得ず、それは “贖いの福音” “罪の赦しの福音” “神の国の福音” の宣教による信仰覚醒運動でなければならないのです。
決していわゆる西欧的なキリスト教思想や道徳の宣伝、キリスト教文化圏を広げるための大衆活動と混同されてはなりません。
使徒たちはキリスト教思想の宣伝をするために遣わされたのではありませんでした。
彼らはキリストの福音を宣教し、人々を 「信仰による従順へと導くために」(ロマ 1:5)召された人々でありました。
・・・・・ 以下、本文参照。
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