0531老クリスチャン
2017/12/16(土) 10:43:50.88ID:/K0V4Unpイザ 61:1-2a,10-11 Iテサ 5:16〜24 ヨハ 1:6-8,19-28
「神から遣わされた一人の人がいた。 その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。 光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しするために来た。」(ヨハ vv.6-8)
待降節第3主日には、私たちは毎年、洗礼者ヨハネについての福音書の証言を聞きます。
しかし彼は“光ではなく”(ヨハ v.8)、“メシアでもない”(ヨハ v.20)。
彼は “荒れ野で叫ぶ声である”(ヨハ v.23)。
彼は “来るべき方”(マタ 11:3)、すなわち ”光について証しするために来た”(ヨハ v.8)のであって、彼はその存在と使命をこの “来るべき方” に負っている。
そのように、待降節第3主日の福音のテキストは、実は共にミサをささげている私たち教会に対して、来たり給うキリストを証ししているのです。