2008年(主日B年) 12月7日 待降節第2主日
イザ 40:1-5,9-11  IIペト 3:8〜14  マコ 1:1〜8

使徒たちが伝えたキリストの福音を、現代人の理性を基準にして批判するという18世紀の啓蒙思想以来、教養あるキリスト教信者の多くが聖伝と聖書に対しても疑義を差し挟むことが、決して不当なことではないと思われるようになりました。
それは学問の自由であり、19-20世紀の神学の世界も大いにそして多方面に発展したのですが、それで今21世紀の教会の実態はどうなったかを見ると、非常に明確に一つの点を指摘することが出来ます。
それは代々の教会が使徒たちから受け継いで来た “宣教(ケリュグマ)” を、小教区の司牧者も信者たちも全く本気では信じなくなったということです。
特殊な原理主義的な教派の人々は別として、普通のキリスト教信者が “聖書に書かれていることを、そのまま文字通りに信じる” ことは、狂気の沙汰であると思うようになってしまったということです。

カトリックの司祭たちや、プロテスタントの牧師たちの説教が、どれも今や使徒たちの宣教の継続ではなくて、いわば “新作の福音” “新作の説教” であることを、だれも不思議に思わないのです。
現代の私たちが見ているキリスト教は、使徒たちのキリスト教と同じではない、“新作のキリスト教” になっているのです。

「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。 だから、 ・・・・・ 」(IIペト vv.13-14)

この 「だから、 ・・・・・ 」 を、私たちは今日、待降節第2主日のミサで、そのことばの典礼で聞きます。
神のことばは、確かに朗読台から私たち会衆に向かって語られることを、信じることが出来ますように。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より