2008年(主日A年) 11月23日 王であるキリスト
エゼ 34:12〜17  Iコリ 15:20〜28  マタ 25:31〜46

「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(Iコリ v.22)
「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(Iコリ v.20)

キリスト教を信心することが、人に生き甲斐を与えるというような、そんな信仰理解がしばしば語られて来ました。
しかしイエスの話や、マリア、聖人たちに関する美しい話の数々が与えてくれる生き甲斐が、現代人には空虚なものにしか思えなくなったので、教会には人が集まらなくなり、日本人の司祭も信者もほとんど高齢者ばかりという現実が結果しました。

近年の教会の衰退は、教会が我が国の政治や倫理に関わる努力に不足していたからではなくて、そうではなくて、教会が自らに約束された終末の希望を軽んじ、真面目に信じなくなったからなのです。
いったいこの “王であるキリストの祭日” の主題が、どれだけ信者の心に響いているでしょうか。
典礼暦の最初に置かれた待降節さえもほとんど無視されて、ただのメリー(楽しい)クリスマスの空騒ぎが “終末の希望” という主題をかき消してしまっているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
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