特別寄稿
(2014年 7月13日 年間第15主日)「聖書の学び」 から @

「イエスはお答えになった。 “あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。 ・・・・・ だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。”」(マタ 13:11,13)

イエスは、近づき来たりつつある神の国の福音を “秘密”(フランシスコ会訳では “秘義”) という言葉 (μυστήριον) で表現されました。
この同じ言葉がパウロの手紙で用いられている箇所 (エフェ 1:9 他) では、“秘められた計画”(新共同訳)、“神秘”(フランシスコ会訳)、“奥義”(口語訳) などと翻訳されています。

カトリック教会の神学用語である “秘跡” は、この μυστήριον に起源しています。
教会憲章が “教会はキリストにおけるいわば秘跡” と述べているのは、この μυστήριον のことです。
そして、典礼憲章は次のようにこれを解説しています。
“この教会は、人間的であると同時に神的であり、見えるものでありながら見えないものを備え、活動に熱心でありながら観想に専心し、世の中にありながら旅することを特性としている。
しかも、教会においては、人間的なものが神的なものに、見えるものは見えないものに、活動は観想に、そして現在はわれわれが探し求める来るべき都 (ヘブ 13:14) に向けられ、従属している。”

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より