不真面目な生活保護の残金スレ55[無断転載禁止]©4ch.net [無断転載禁止]©2ch.net
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1おつ どないしよ。1400円しかない。
カチカチでもするしかないか。 刑務所 正社員 生活保護
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労働時間 8時間厳守 10時間以上 働く必要がない
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通勤手段 徒歩数分 満員電車1時間 通勤する必要がない
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朝食 食う 食えない日がある 好きなものを食える
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昼食 食う 食えない日がある 好きなものを食える
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夕食 食う 食えない日がある 好きなものを食える
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夕食後 テレビや読書など自由 仕事 自由(酒もパチンコも可)
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残業 全くない ない日がない 全くない
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残業代 残業がないから無い 残業があっても無い 残業がないから無い
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休憩 午前午後それぞれ15分 上司次第 24時間365日
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土日祝 確実に休み 働くこともある 24時間365日
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年数 刑罰に応じる 会社が必要とする期間 もらい放題
------------------------------------------------------------------ 働かなかったら賞金 →生活保護
働いたら罰金 →所得税
買ったら罰金 →消費税
貰ったら罰金 →贈与税
継いだら罰金 →相続税
あげたら罰金 →贈与税
起業しても罰金 →法人税
乗ったら罰金 →自動車税・ガソリン税
入ったら罰金 →入浴税
飲んだら罰金 →酒税
吸ったら罰金 →タバコ税
持ったら罰金 →固定資産税
住んでも罰金 →住民税
若いと罰金 →年金
老けても罰金 →介護保険料
老いたら罰金 →後期高齢者
死んだら罰金 →相続税
生きたら罰金 →住民税
働いたら【負け】だよな・・・やっぱりwww
そこらじゅうに貼って生活保護を無くしましょう
他にも罰金あったら追加お願いします。 神 経営者(毎日奴隷に働かせ贅沢残身)
人 生活保護(働かずに税金で生活)
間 不労収入生活者
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奴 公務員(働いて税金で生活)
隷 大企業正社員
中小正社員
派遣社員
多重派遣社員
論 ホームレス(リヤカー押して段ボール拾い)
外 ____
/ \
. / _ノ ヽ\ わたしのーお部屋のーまーえでー♪
/ ( -‐) (‐-)
| (__人__)| 泣かないでくださいー
\ _ `i i´ノ_
/ `⌒く(::::) そとにーわたしはー出ませんー♪
|  ̄ ̄ ̄⌒) .|
| ´ ̄ ̄ ̄ /. .| | ハロワなんか行きませんー ____
/ \
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) | 働く気ないない
\ ` ⌒´ ,/
r、 r、/ ヘ
ヽヾ 三 |:l1 ヽ
\>ヽ/ |` } | |
ヘ lノ `'ソ | |
/´ / |. |
\. ィ | |
| | | ,. - ─── - 、
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ', ここのおばちゃんたちだけ
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうちてはたらかなくっていいの?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l | あたちもしょうらいこのひとたちみたいに
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l はたらかなくっていいのかな?
|l ilト、 n '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬'´ハ` '`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
ゝノ-‐^ー'一''丶 ヽ ヽ
ト、_ `ーァ'¨不ヽ
| | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′
l l. l l ! !└' l |
└ L 」_,|__l_l.__L.l′
| | | |
l l ! !
l l. l l
ト--┤ !--‐1
f‐t央j. ト央ァヘ
| 甘l、 / 甘 |
l ,.-‐ヽ レ'⌒ヽ/
`く.__ ノ ゝ--‐′
人は成長しているのよ
昔のおばちゃんだけ悪い見本なのょ
良い子だから昔の人のマネなんて絶対にしちゃだめなのよ
でないと、あなたまでこんなのになっちゃうのよ 競馬で勝って、飲み歩いてたからさっき帰宅した。
雨の中タクシーで廻って贅沢にハシゴ酒した。
4軒行って、58000円の散財。
競馬で27万なったからいいけど、何も考えずに使う俺・・・
普段セコクやってるのに、金入るとパーって使う・・・
とりあえず寝る、眠い >>1
テンプレわろたwwwwwwwwwwwwwww 27万くらいじゃ妄想とは言えないけどな?
俺も去年競馬で44万勝ったから。
さすがに、2700万とかならなあれだけどw
何でも妄想思う奴って、金が無いんでしょうね。 金があるないじゃないよ。ここに自慢毛に
書き込む事態気持ち悪い >>24
数十万なんかすぐ無くなるから2700万くらい勝てなきゃやってられんわ。
コスモオオゾラの単勝で29万1000円ゲットしたけどあっという間に無くなったわ >>25
自慢?別に勝ったよ〜って言ってるだけだけどな。
自慢に聞こえるほど、あんた金が無いのか?
なさけないw
書き込みなんだから、勝った負けた書いたところでいいでしょ別に。
俺は思うけどね。 勝ったまではいいよな?あのあとの書き込み
読んでみ なにに金使っただの遊んだだの
自慢毛にしてるじゃねえかよ だからギャンブルできない単身は、月に12万、生活扶助費8万だけしか
ないわけで、副収入がないから金なんか貯まらんし、ストレスだけ
溜まるよな ずばりギャンブルができない健康体単身ナマポは受給受けるべきじゃないんだよ。
受給額が少なすぎてやってけんだろ。 ナマポの金額で十分な収入だとおもってる自分は根から貧乏性なんだろうな
社会人経験がないからどのくらいの金額稼げるかしらないってのがあるけど >>32
来月1日支給日で食費1万だけど余裕だぞ? 金ねー、金ねー、ばっかなw
ねーなら、増やせばいいんだよ!
負けが怖いなら、黙ってナマポしとけ!
俺は増やしてナンボだと考える。
月8万しかねーんだから、そんな金で遊べるかよ!
増えたら遊ぶ!減ったらそれなり。
増えたお陰で豪遊できた月もあったな何回も。
その逆で、負けてミジメにやってた月もあった。
腐ってもタイじゃねーけど、ナマポ落ちても
豪快に遊びてーんだよ!俺はな。
だからギャンブルは止めない! >>37
余裕過ぎるわ。こっちは1400円しかないのによ。あーイライラする。目の前スマホ見ながらトロトロ歩くアホの真横を自転車で思いっきり通りてーわざとぶつかるふりしてー >>38
言葉は乱暴だが、まったくもって正論、正しい 増えた時に遊んだ内容。「67万の時」
一ヶ月の内容
デリヘルx5回
キャバクラx3回
スナックx8回
焼肉x2回
女と居酒屋x6回位だった?
タバコや米、日用品、その他買う物・・・全部!3か月分!
服や靴・・・それなりに。
こんなとこだな。
負けた時。
ほぼ一ヶ月、強制禁煙。
20日位缶詰め。
食い物何も無くて、4日位小麦粉焼いただけの時もあった。
極力ミールは使わない。
駄目ならミール。
こんな感じで、極端だった!勝ち負けでな。 今日は花の慶次やってきた
全然かぶかなかった
かーぶけかぶけかぶくがはなよー ルパンで22000発
一昨日ね、その前に、セクシーフォールやらで7万負けてたから助かった。 年末に買い込んで売れる物あって良かった
使わない物や転売用に押さえといてプラスになった >>45
競馬だよ!
パチやスロじゃ、でかくは勝てないよ。
それに、パチンコ屋ここ三年行ってないから。
毎週競馬のみ。
しかも、3連単のみ!
当ればでかい!当ればな!
67万の他に、40万越えが4回と、30万越えが2回と、10万前後は
何回もあるよ。
正し、パンクして丸々1ヶ月文無しも、何回もある。
気にしない! >>50
すごいね
それで生活できるんじゃない?
たしかにぱちんこじゃ大勝ちできない 2〜3万勝った所で、どうせ、次の日無くなるからパチンコ屋じゃな。
競馬でデカク!)勝てば、)しばらくは持つよ!
それに、土日だけだから開催がな。
月〜金までは、当然負けは無い!パチは毎日だからな・・あれが駄目
だからデカク勝てば1ヶ月は余裕で遊べるんだよ!
スナックくれーなら毎日行けるよ。
俺はそーやってる。
正し負けた時は、最悪レベルだけどな。
タバコすら強制禁煙!
今はタバコだけは10カートンほどストックしてるから何とかなってるよ。
飯なんかは、缶詰めありゃ食えるよ米さえあればな。
極端なリスク覚悟有るなら競馬のがいいよ。
今の残金が、とりあえず、57万程有るよ。
だから悩みも、ストレスもねー〜♪ 全然おもしろくない人→「>>55」←全然おもしろくない人
なにコイツ(笑)(笑)(笑)→「>>55」←(笑)(笑)(笑) 捕まってないのに適当なレスしかできない輩↓
→「>>55」←(笑)(笑)(笑) >>41
悪いことは出来ないよ。保護停止になりたくないし。だからほんとはダメかもしれないけどポイントサイトとかで稼ぐよ。カード作って回数券買って金にしたりとか。
パチンコ屋でトイレットペーパーもらったことはあるけど店員もアホじゃないからジロジロ一緒に入ってきたりして厳しくなったよ。 年金組なのにあと1万5千円
今月乗り越えればまた勝負できるんだけどなー おまえらさ、振り込め詐欺の出し子とかはやらないの?
月給100万だぞ。 >>60
貰います( ・ε・)って紙に書いておいたよ。
あと22日もあるよ。暇だよお。金ないと引きこもってるから隣のナマポジジイがうるさくてムカつくよ。金あれば適度に漫喫行ったりして回避してたのに。 隣のヤツ、正月引きこもって、しかも風呂入ってねえから、匂いがアパート中に蔓延してる。
とないしよ?部屋もそいつの隣だから、部屋の中も少し匂い始めたわwwwww
ほんと、風呂ぐらい入れよ、こじきナマポがwwwwwwww >>72
クソカスコジキのレスを欲しがる構ってちゃん?正解?wwwww セブンのミール後払いってどうやれば出来るのですか?口座の登録のやり方すら分からない… 教えて下さい。 そーれそれそれそーれそ
そーれそれそれそーれそ
そーれそれそれそーれそれそれよっしゃぁ 毎日朝から晩まで酒飲んでるけど
飲食費3万円以内に抑えている
金麦、トリスハイボール、日本酒など飲んでます
残金はギリギリだ 最低限度の生活の漫画でアル中のオッサンが出てきて娘の写真見ながら昔はまともな人生歩んでた時もあったとか言うけど腹立つし。
実際そういう奴いたけどナマポになるくらいなら子供作るなやアホ こういう奴一番ムカつくし そういや年末のパチ一斉撤去の噂ってどーなったの?
今日甘なら打てるかなーと思って見に行ったら釘ガチガチに締めてやがったから
5千円だけ打って帰ってきた >>93
先延ばしになったみたいよ ハーデスも再検定通してまだ稼働してるし >>94
情報ありがとう
GOD童貞だから打ち納めにいくかなー
来月支給されたら・・・ さて年末年始と三連休おわってやっと打てる時期になった
タネ銭すらないやつら回収期にお疲れ様ww 打てるとかいうけど、わざわざ店員が釘あけるの? どうせ客来るならずっと回収しとけばいいじゃん。
1k30回るように調整するわけでもないのによ >>98
惜しい。
29000円負けた…。
1パチ7000円
4パチ22000円
残金3548円 支給来月5日
4パチ甘戦国乙女2、ST入ったのにワンセット終了(T_T)
4パチ、ガラガラ。
来月は、店変えるか! >>103
惜しいな 同情するよ おれは103好きだよ
負けたらまた報告たのむ
勝った報告はいらん 敵意がわく >>102
今は釘さわるのは違法だろ
回る台・回らない台電圧のイカサマだよ 起きた
今日は最後の5千円もって一発勝負いってくる どないしよ。来年で平成が終わってしまう。どないすればええねん。平成が終わるまでに結婚したいよ。 >>113
年金組だよ
4パチの甘狙ってくる勝って今月凌ぐんだ ヤベーマジヤベースロで負けて残金1700円こんなのは毎回だが今さっきケースワーカーから電話で洗濯機代金のレシート回収に近くまで来たから部屋くるわ洗濯機もないしレシートもないし洗濯機代もスロットで溶けた 120だが金曜までに洗濯機のレシート提出で誤魔化したヤマダ電機とかのゴミ箱行ってくる糞ー糞クソスロットなんかやらなきゃなーミールかよKUSOGA 無知でスマン。洗濯機のレシート提出ってなに?保護費とは別に洗濯機代の金が出るの?
メガネは出るの知ってるけど 被害がひろがないようにあげとこかw
これからも被害者がでない為にも貼っとくかw
警告
↑
乞食猿と汚物豚
↑
この2匹は最低最悪のカスで晒し魔です。
皆さん注意しましょう。詳細はこのスレを読んでください。
(=^・^=)1 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1482753234/
提供
乞食猿被害対策本部
定期的にあげますwww。 >>129
生活に最低必要な家電は買ってもらえるとこ多いよ 中古の一番安いやつな。
最新型の新品をかってもらえると思ったら大間違い >>131-132
そうなんだ。知らんかった。ありがとう。中古でも買ってくれんならいいね >>133
ホームレスで何もない時だけだと思うぞ。
元々住む家があって申請して保護もらってから洗濯機ないので買って言っても無理だよお お前らさ、人生潔くスパッと逝くのも悪くないぞ
だらだら生きてても仕方がなかろう? >>139
俺の場合は国民が許してくれないのだ。それに比べお前らはどうだい? 5000円でつっこんだけど甘で3千円勝ち
一日中暇潰してプラスなら十分だわw かのかで一杯やってます
雪がすごくて、まいったなあ〜 >>145
そうなの?電子レンジも買ってもらえるの?
壊れかけてヤバイよ。パチンコ屋のゴミ店員に金盗られたからいろいろ買ってもらいたいよ。
あと3週間もあるし。金欲しいよおお TBSで、おデブのテレビ始まるから、デブ専の俺は、オナヌンして寝るかなwwwwwww >>154
ウホッ
お主も好きやのう
(´・ω・`) うわぁ、70000円溶かした
あと30000円しかない >>150
昼間、パチ屋にいるのはナマポが多いのか? ギャンブルやめて真面目ナマポになろうと思ったけど無理w
日中暇すぎるのとナマポの金だけじゃ生活できんわ 3500円しかない。
ロト6当たらないかな。当ててよ(T_T)今年になって何もいいことないよ。横断歩道渡る時に絶対車が曲がってきてぶつからないか不安になるし、立ち読みしようとしたら俺より先にいたアホがずっと咳してて風邪うつりそうだったし。 昨日3000円勝ったから今日はそれを種銭にして6000円くらい勝ちに行ってくる サラリーマンからみれば移動はない倒産もない病気になった時も
安心なんて幸せだよ
ただ時間があるからその時間を上手く使うかによって天国にもなり
地獄にもなるみたい 俺は貯めたんじゃなく遺産が現金で5500万円入った不動産はいらないから お金はあるけどやる事がない
暇や
パチなんか勝てる訳ないしな 宇野壽倫と色川高志(青戸6)の告発
秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大氏は、明らかに冤罪
http://youtu.be/gj0X2qLNbUg&t=54s 就職決まった。
正社員は初めてだ。
とりあえず、社会保険料がえらい高いなぁ。
手取り30万円で三万以上…。
コレはナマポの身には痛い 手取り30万円なら総支給38万円ぐらい?
社会保険料は5万円以上になる。 いいなあ。働きたいよお。
CWがまた来たよ。先月来たとこだろ。
居留守したら隣のナマポと話てるよ。どないしよ。外に出たくても出られないよ。鉢合わせしそうだよ。 >>184
家賃補助四万も入れたらそうなるな。
先程、寮観に行ったんだが、4部屋もある…。
2部屋で十分なのに…。
工業地帯だから、安い部屋埋まったって。
五万とかふざけんなよ。 >>181
おめでとう
さぞナマポになる前はスペックがたかかったんだろう 掲示板で共通の趣味の若い女と毎日ラインして
週2〜3日で違う女と会ってる そか、おめーの女ってのは、右手か左手だろwww
2人しかいねーじゃん
wwwwwwwww
wwwwwwwww
wwwwwwwww やってしまった5万負けた
朝いちから今帰ってきた絆で新瞳術いれたのに負けた
月末までどうやって生活しよう >>190
昨日7万溶かした
どうやって生活していいのかわからない >>191
スロ吸い込みえぐいな
ミール生活して来月やりくりするしかないわ
負けすぎて笑えてしまうわwww 一時は二千枚近く積んでたのに全部吸い込まれたとかありえないわ
ホルコンしてるんじゃねーの >>192
そうだな
えぐすぎる
ミールだな、やっぱり >>193
2000枚飲まれたのがありえないことで
その2000枚まで出たことは
ありえないことと思わないところが
パチンカス脳やなwww >>190どうやって?
ねーまま過ごすだけだよ。
バカかお前はwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwww
雑草でもテンプラして食えばいいじゃねーか!
wwwwwwwwwww
俺は無理だが、おめーならできんじゃねwww 今月こそパチやらないと決めていたのに既に四回行ってる意志弱いからナマポなんだなー あーーーー負けたよ
今月はもう2430万円負けたよ ついてないわ 12日間で2430万円って
1日200万円以上の負け? >>187
だよな。でもそんな奴がナマポに落ちるのがおかしいよな。稼いでもろくに貯金も出来ずもらえるものはもらっておけ的な感じでナマポもらうプライドもない感じ >>202
スペックというより、今は人手不足らしいぞ。
最初らへんハロワで求人探したが、担当者が
「あなたの歳(31)で東京行けるなら腐るほどある。」って言われた。 なんで宝くじ当たらないんだろうな
7億当たったらナマポから抜けるのに >>207
絶対無理。600万人の中から選ばれる自信あるか? >>205
そんなにあるんか。でもどうせ職歴なかったらグチグチ言いそう。あいつら吟味しすぎたよ。人手不足なら働ける奴を順番に採用すれば1万人くらいナマポ減ってニュースになるのに。いっつも何で辞めたの?もったいないとか言ってうるさいしよ。 >>208
そうだな
選ばれる自信はないけど
当たったらいいなって思って買ってる 障害年金の等級落ちたら就職考えようかな来月更新だし
障害者加算のないナマポなんて生活できんわ >>213
ここのやつらって全員働けるけど働かないナマポなんだろ?
パチ競馬いけるのに働けないってわけねーだろw >>215
俺も今は禁止されてる就労不可だ
だけど障害者加算なくなったら働かないと生活できんって話よ
加算は手帳だけど年金の等級落ちたら就労指導はじまるからなー >>216
等級落ちそうなの?
たしかに加算ないときついよね
年金の等級落ちたら就労指導か >>219
去年ナマポもらいはじめたんだけどそれまで働いてたよ >>218
なんか審査が厳しくなったらしいよ
というか日常生活を1人でできたら普通精神2級なんてとれないらしい
今の医者が病状を重く書いてくれてるから障害年金うけてるだけ
加算なかったらパチ打ってる余裕まじでないぞ >>222
たしかに手助けが必要という項目があった
ヘルパーも頼めと言われたけど結局自分でやってる
頼んだら楽なんだろうけど人に入られるの嫌だしね
医者は重く書くよ
加算無かったらもやししか食べられない >>223
審査厳しくなってから更新できた?
一応更新できるように努力するけど >>226
だから11月12月の不足分が13日今夜入る >>224
同じくCWにヘルパーたのめって言われてる
でも掃除も料理も洗濯も全部できるんだよなー
>>228
おー昇級おめ!
でも年金って収入にはいるから来月の保護費から引かれるんじゃないか? >>228
なんの病気?
俺統合失調で3級
どうやったら2級もらえる? >>230
掃除、洗濯、料理できるならいいんじゃない?
ヘルパー頼むとしたら何やってもらうかだよね
料理とか絶対頼めない
人の作ったもの食べられない >>230
引かれるけどCWに相談する、持ち金無いから >>231
俺も統合失調症で2級
>>232
ヘルパーさんになんかしてもらうのは申し訳なくってねw
だってヘルパーさんより多分元気だもんw
>>233
相談しても来月分から引かれるだろ >>237
なるべく月末まで引き伸ばして翌月分からにすればOKだろ >>237
元気で羨ましい
去年悪性症候群で入院してから体調や体力が元に戻らない >>238
今週は乗りきったから、来週乗りきれば翌月からだな >>238
だから来月分っていってるだろw
来月と翌月って同じ意味だろ?
>>239
筋トレのためにジム通うくらい元気だったからなwww >>239
筋トレすごいね
信号点滅しても走れなくなったよ
悪性症候群って怖い病気だ >>241
バカか?今月末までに来月分の処理しないとダメだから。乗りきれば、来月処理扱いと言ってる。だから3月分で引かれる
。あんたの頭じゃ2級止まりだよwww >>244
あーそいうう意味か
じゃあ2月は年金でうはうはだなー
>>245
まぁジムで無理して体壊して筋トレできなくなったんだけどねw
体は健康なんだけどメンタルが打たれ弱いんだよなー >>245
メンタルか、私も弱い
人間関係でダメになる
体もおかしくなってきたし、何か弱気になってる >>248
俺だったら交渉うまくいかなかったらと考えて使えないけどなw
まぁこの時期に5万の収入はでかいよなおめでとう お前ら一時的にお金もらえたならいくらもらったらナマポ抜ける?
100万?200万?
私は100万返納するのはもったいないかなと思ってる
使い切ったらまたナマポになればいいんだし >>252
100万も200万もすぐなくなりそうだな >>253
数千万単位ならバンザイしながらナマポ抜けるけど
100万だと抜けるか微妙だよなー一年もたないもん
返納しても10ヶ月分だと思えば返納したほうが安定か >>254
そうだな
抜けるとしたら数千万円くらいの単位でないとな 今の若者は物欲なし
飲み行かない 買い物興味なし
今年やりたいこと
2位節約 1位貯蓄 20代の平均貯蓄190.3万
バブル後の世代は金ないと不安だよね
で、おまえら、あっというまに数百円、笑わすなよ 俺ら若者が頑張ってるのにさ
少ない給料から貯金以上に税金引かれ、おまえら養ってる
ホントたちの悪い集団だよね 俺はナマポなってから年金申請したから遡及分で40万一気に入ってきたけど
CWがこの資金を元手に自立しては?といってきたので即答で返納しますって答えたよw >>260
自立しては?って言われるってことは働けるんだよね
いいな >>259
サービス残業したり、嫌がらせ受けながら働いたよ
その結果病気になって、親からは障害年金巻き上げられ、病院に行く金ももったいないから病院に行く回数減らせとまで言われてナマポになったんだけど 遺産や宝くじが数千万単位で当たって保護抜ける場合、
CWになんて理由言うんだ、おまえら?
使い切って数年後にまた絶対保護を受けるという想定でね。 >>263
全部は使い切らないでナマポになればいいんじゃないの? >>268
そんなにプラスされるんだ、いいな
私は11000くらいだよ
地域によって違うのかな セブンミール、味は美味いが、ボリュームが…。
つか、ツケでモノ買うのやめたいわ。 月末支給残金1万
あと20日くらい食費だけならぎりぎりいけるな
家賃、光熱費、携帯代滞納になるが >>263
1億以上なら宝くじ当たったて言う。
1000万くらいなら知人のとこで働くから給料出るまで飯代とか確保してくれるしすぐ廃止にしてくれていいって言う。でも全然当たらない(T_T)今日もロト6で当たってる奴はいるのによ。一生に1回当たるだけでいいのによ。totobigが今回だけ1等10億だし買うかな。2等以下安いけど >>277
使っちゃダメな金は使うなよ。
何に使ったんだ。 >>279
スロ
モンハンに2日で8万持ってかれた 飲みに行って、今帰宅。
年末の有馬記念で勝った金がまだ22万も残ってる。
金って、有れば有れで、毎日飲んだりして使うな・・・
無くなるまでは贅沢する。
タバコとか必要な物のストックは十分買ったので。
なぜか、?有馬の後、ギャンブルしたく無くなった・・・
だから今日まで金が残ってるんだろね。
してたらとっくに無いな。 >>263
別に保護を抜ける理由を役所に言う必要は無いんだよ。
単に保護離脱の用紙書いて提出すればいいだけ。
保護離脱するわけだから、もうCWと会話する必要も生活の変化状況を
報告する必要も一切なくなるわけだから。 空面接バレてますた、強制的に三件面接…残金3000円
オワタ 人ゴミで過呼吸がでるんですって病院行けば
就労指導なくなるよ
その代わり病院通いになるけどね
薬は捨てたらよろし
売ってもいいけどね >>288
なんでバレたの?
会社に確認の連絡でもされたのか? >>290
役所呼ばれ面接の会社名と電話番号が外れて言い訳したら弁明とか怖い事を言われて、取り敢えず三件行けと… >>291
それって働ける人には働けって言うの?
私は言われたことないけど働けないってことなのかな? >>292
詳しい事は分からないです、班長に報告しますとか私も、取り乱してしまって
前借りの相談したら凄く怒られてビビってしまい断念…ちなみに38歳の健常者です ブックオフでDVDとかゲーム売った金はバレないよな? >>293
前借りができるとは知らなかった。
38歳で健常者ならまだまだ頑張れると思う。
ただ3000円しかないんだよね?
大丈夫? >>291
>面接の会社名と電話番号が外れて
これは適当な番号書いたのがバレたってこと?
それなら、書き間違えましたって言えば良かっただけのことじゃ?
なんでこれくらいで取り乱して空面接だと自ら自供したんだ? >>303
前借りの相談って書いてたからできるのかなって思った >>295
身体を壊した時に保護なりまして現在は普通です。
空面接は就活報告書に適当な内容で記入したら指摘され…
前借りは大失敗でした烈火の如く却下でした >>305
ばれるもんなんだね
適当に書いたりすると調べたりするのかな? >>306
分からないですね。ただ電話番号は23区内で下8ケタで判別されました03から適当に書くと危険です、というか福祉を欺くと怖いと再認識しました反省 >>307
これからは気をつけた方がいいね
実際にある会社できちんとした電話番号書けばいいのかな?
実際かけてみたのかも知れないしね
怖いよね >>293
おめーよ? 甘えてんなよ?
働けよクズが 安倍は何考えてる
フィリピンに1兆円も援助するなら
生活保護費一人1万円増額せよ >>278
その知人の名前とか連絡先をしつこくCW聞かないかな? >>287
その通り。変な理屈こねる奴がいるんだよな。 あのさ、思ったんだが、保護申請する時、まとまった金を持ってても
CWが家に来たときに、その金をコインロッカーにでも入れとけば、
保護受給できちゃわない?なんも切羽詰まった状況で申請しなくても
金銭的余裕があるうちに申請て可能じゃね?隠せば。コインロッカー
じゃなくても別に布団の中に隠してもいいよね?布団の中まで
申請家庭訪問のとき、見ないでしょ? >>315
それって申請する前にわかってればやったんだけどな
ただふとんはめくられるかもしれないからコインロッカーのほうがいいな ニンテンドースイッチが値段発表されたが
パチで勝ったら買おうという思考にしかならん
3万負けてきたとこだけどw 祖父が資産家だからいずれ保護ぬけなければならない
一回抜けて家賃上限の物件に引っ越して家電の買い替えと原付き買ってタンスして再受給を狙ってる
絶対に働いてやるもんか >>319
同じだな。知恵を出し合おうぜ。原付は最初から持ってると
そのまま所有して受給できるの? >>316
おれも糞正直に所持金5万円切ってから申請したよ。
何十万かするダッチワイフ持ってると申請の時に何か言われるかな? >>321
私は所持金6000円だった
ダッチワイフは人形だからいいんじゃないの? >>325
やっぱ原付バイクは50ccじゃないとダメかな?
90ccとか125ccの原2種はダメかな? 俺は550円で申請したな。親切なCWのお姉さんが支給開始までに5000円くらい貸してくれた。 >>311
うむ。しかしフィリピンなら日本に貢献もできるが。ナマポにはできないという負い目もある。 >>326
125までセーフと書いてあった気がするが難色示すCWもいるだろうな 競馬で負けて残り7000円や
平場何てやるんじゃなかった 残金1万2千
甘一回勝負いこうかなー
まだ月末まで遠いかw totoBIG買ったから1600円しかないよ。
せっかく買ったけどろくな目じゃないしよ。10億当たらないかな。
てか就活報告書に電話番号書くの?会社名と職種しか書いてないよ。求人みて適当に書いてるけどそろそろ真面目に行かないとヤバイかな 支給27日残金2000円
1月分は12月22日に支給されたから先がなげえ… パチンコしたいよお。イライラするし。
SOD打ちたいよお。隣のナマポジジイムカつくし。あんなジジイ助ける必要ないだろ。さっさとくたばれや。金欲しいよおおお >>349
嬉しいって言いながらすぐ無くなるくせに。
チラシの裏に書いておけや。お前絶対頭悪そう
入力に慣れてなさそうだからそれしか書けなかったって感じだな。バカだろ 残金5千円で朝からパチつっこんでくるぜー
一か八かいってくる おいおい最後の一万握ってホールいったらこの時間には溶けてた
甘デジなのにあたりもしない残金2000支給1日 >>357
さっそくミール注文した
やってらんねー パチンコ屋の店員を食わせてるだけだと思ったら大間違いだぞ ハイハイ、朝鮮人がやってるパチ屋に
寄付してきたんだな!
wwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwww
寄付して、てめーが飯すら
ろくに食え無いって・・・・・・
男の中の男だね〜〜〜〜〜
wwwwwwwwww
俺はしないけどなwww
一言だけいいか〜
いい気味〜wwwwwwwww 金がねー、金がねー、金がねー
wwwwwwwwwwwwww
なあ!バカども!
使うから、ねーんだよ!
いい加減、気づけ!
wwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwww
あ!バカだから、分からないのかw
そりゃ失礼〜ww
じゃー使って、飯も食えなくて
泣けよ!
バーーーーーーーーーーーーーーカ!
wwwwwwwwwwwww >>355
カスというお前がカス
さっさとくたばれよ 俺はしぶといよ。
お前みたいなカスと違って頭いいから
お金もらえる方法探すぞおお >>340
トトとビッグは別のくじなんだってば
何でみんな混同してるの
トトは自分で紙に勝敗予想を書くくじ
ビッグは完全に機械がランダムに選ぶくじ
同じ部分はサッカーくじってだけ 今月中のミールの払込金と光熱費とスマホ通信費で来月も地獄 >>276
口座引き落としだが、ジャックスが代行するので、
過去にジャックスに対して事故ありだと多分むり。
ロハコもコンビニ払いの審査はジャックス。 コンビニで1800円もつこてもうた
明日は1500円以内にしょ 保護費少なすぎんだよバカ政府!!!
今月もう残り1000円しかねえ!!!
引く以外に道ねーだろ!!!
最低40万は寄越せや!!! 残金二千円なのにパチならワンチャンあるかとおもって行ってしまいそう
ほんとくずだとおもうわ >>375
ええなー、知障は39万も貰ってんのか
クスリたくさん飲んで悪化しないようにしろよ
心配してるぞw 32000円負けからの20000円勝ちwwwwww >>376
クズだな。あるわけないだろ。さっさと使ってしまえよ。楽になれよ トンテキ用の肉を買ってきた
美味しい美味しいトンテキを頂きます セブンミールが駄目ならケンコーコムがある!後払い期限は10日後までだけどね。口座も不要。 2000円すぐなくなったリーチもかからんかったわ夢も希望もないな 競馬で勝って、うな重食ってきた。
浅草でな。
雷おこしも買ってきたけど、久々に食ったら
美味いなこれ。
香ばしい。
とりあえず着替えてから飲みに行く。
財布に29万も入ってるから大船に乗った気分で飲めるよ。 同じナマポでも
・引きこもり 金使わない
・デイに行く 金使わない
・ある程度リア充 金使う
・就活生 金使う
・作業所 金貯まる
こんだけ違いがあるのに一概に言うのはおかしい 同じナマポでも、こんなに差!
ただ保護費だけでやってるカス・・・無くなるだけ。
保護費でギャンブル!・・・うまくいけば百万単位で金が入る。 モンハンに負け続けて既に12万負けてる
逆にモンハンさえ打たなければ収支プラスなんだけどなー
一回でもいいから勝ちたいと思ってしまってついうってしまう どなたか出会い系の登録にご協力いただけませんか?
お礼に1000円差し上げます。
よろしくどうぞ。 thaiyuu@ヤフー お礼の払方をまず言えカス。
銀振込みならナマポじゃ無理だろ
その他あるなら言えカス 甘酒作ったけど温まるよ。
マグカップで10杯分くらいある。
これで250円だから材料費だけで得だね。
酒かすから作った。
ショウガ汁少しいれたら激ウマ! >>395
銀行振り込みです。
この板ですでに5人ほどご協力いただきました。 マルシンハンバーグで頑張っている、あとは鯖の缶詰
魚肉ソーセージ >>386
次の月の生活保護支給日から逆算して10日になったら注文する。来月支給日1日なら今月の22日に配送して貰うと良い。 >>402
支払い期限は配送された日から10日後なの? 注文は22日より前にして大丈夫? ケンコーコム見たけど、パンで検索してもろくなのないな。最初パンパースが出てくるしよ。
イーコンビニの方がまだいいか。高いけど。 パチ屋到着、これから俺様のイキザマをとくとご覧ください
残金14000円で戦国乙女、4000円で様子 >>403
商品受け取りから10日以内です。注文はそれ以前でOK。配送日は指定できます。確かにちと高いけど背に腹はかえられないので。 >>406
順調にいけば13時前にはスッカラカンだなww 中京、京都競馬中止みたいだな
わざわざ京都競馬場まで行ったギャンブル基地外ザマァァァァァ >>410
中山開催あるから無意味じゃねえだろ
アホじゃね 土日月火とJRA4日間開催だな
競馬好きナマポにはたまらない展開だ >>412
雪のなかわざわざ現地までいく大バカはっけ〜ん♪ザマァァァァァ♪ >>412
京都はどうですか?雪積もってますか?ザマァァァァァァァ!!!!!! 京都競馬場はすいとんがおいしいんだよな
体も温まるしこれで熱燗とか雪見酒には最高の環境
贅沢っすね 15日朝早く、埼玉県川口市で開店前のパチンコ店から火が出ました。現在も延焼中です。
午前5時半ごろ、川口市源左衛門新田のパチンコ店「宝石ゼウス」で火災報知機が作動しました。
消防が駆け付けると、店が激しく燃えていて、現在も延焼中です。けが人は出ていません。
火事の影響で、店が面している国道122号の下り車線は一時、通行止めになりました。
煙が周囲に広がっているため、警察は数十メートル離れたアパートの住人約10人に念のため、避難を呼び掛けています。
店は午前10時からの営業で、当時は無人で火の気はなく、警察が出火の原因を調べています。
http://news.tv-asahi.co.jp/articles_img/000092151_640.jpg
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000092151.html
ざまあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
燃えろ!燃えろ!燃えろ! 1万握り絞めパチ屋行ったら、9千円負け…。
残金1237円(T_T)
27日のバイトの給料まで、どないしたらええんや。 暮れの有馬記念で勝ったから
まだ26万もある。でも、24万ほど使ったけどな。
少し地味に過ごすよ・・・調子こくのやめた。
26万は大事に使う。 ここで金ないっていってて本当にないのって自分だけの気がしてきた 9年半使ってる冷蔵庫、18500円で修理した。新品を買うと
4万円はするので、修理を選んだ。この18500円は役所に言えば
もらえるかな? >>446
もらえるわけねーだろたわけが甘えてんじゃねーよ 18500円www
お前バカだろw
一回しんどけやw >>445
たぶん出ないよ
俺なら安いの探して新品買うね では期待に答えましょうかw
被害がひろがないようにあげとこかw
これからも被害者がでない為にも貼っとくかw
警告
↑
乞食猿と汚物豚
↑
この2匹は最低最悪のカスで晒し魔です。
皆さん注意しましょう。詳細はこのスレを読んでください。
(=^・^=)1 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1482753234/
提供
乞食猿被害対策本部
定期的にあげますwww。 >>449
冷蔵庫て15年は持つんだよ。凄い人は20年以上。
だから新品は4万円するんだって。わけのわからんメーカーのだったら
2800円ぐらいのもあるかもしれんがね。 >>434
ダセェw
寒い時にパチで負けるのって惨めだなw totobig当たってなかった。いい加減にしとけや!絶対当てないようにしてんだろ。
もう嫌だよ。1500円しかないよ。どないすればええねん。あと16日もあるし。白飯しかないやろがよ そろそろ寝るかお、((((('ω`ヽ)))))
よぼよぼ >>458
いやいや頭で考えて後悔しているうちは改まらない
やがて体が反応するようになるから 真面目にナマポしてるから
金も有るし、何も困る事が無い。
ちゃんと毎日好きな物も食えてるしね。
ちゃんとやればナマポでも問題なく生活できる。 >>452
9年前のだと電気効率も悪くなるし
最近の少エネになった冷蔵庫のほうがトータルで安いな >>464
いや、冷却ファンを変えただけなので効率はよくなって、電気代は
変わらないそうだ。4万は払えんね。 >>465
冷却ファンが治っただけだから
効率が0から良くなるのは当たり前
電気代は壊れる前と変わらない
つまり9年たった冷蔵庫の効率
別に損してるの俺じゃないから
俺賢いと思い込んでればいいさ 乞食冷蔵庫wwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwww
電気代も掛かる古いのwwwww
いい気味 >>466
そもそも、この時期でもおれ暖房費含めて電気代5000円なんだわ。
満足してる。 >>467
誰かがパソコンは中古でいいとカキコしてたが、それこそ乞食パソコンだろw 車10年以上も乗ってるやつもゴロゴロいるのにな。
それ全部乞食車で、効率悪いだろ。新車買ったほうがいい。 パチやスロで金捨てるより
○○の方が家のパソコンで儲かっていいのに・・・ >>471
〇〇はFXか先物かだったら税務署は全て
把握しているぞ、最終的に酷い事になるぞ お前ら、真面目に残金書けや!
残金3060円(T_T) 現7000円 電子マネー6500円
振込みの4日は土曜日だから3日だ ちょっときついな 477だけどなタンスは書いてないよ
毎月2万は除けて使わないようにしてるさ >>449
>俺なら安いの探して新品買うね
安いのって、中国産の三流メーカー品か?
うちの親がハイアールの冷蔵庫を安いという理由で買っちまって、
モーターの低周波騒音に悩まされてるなw
寿命も短いらしいから、すぐに壊れて買い換える羽目になって、
リサイクル料金と新規購入で、結局高く付くんだろうなw >>464
>最近の少エネになった冷蔵庫のほうがトータルで安いな
高いインバーター方式の冷蔵庫は効率がよくなってるが、インバーターは
大型機種しか設定がなく、故障した時の修理代が高額になる代物。
昔からある旧式冷却方式の冷蔵庫は壊れにくいが、方式的にそんなに
昔と効率が変わらないから、電気代もそれほど大きくは下がらない。 >>480
それそれ、ハイアール!!!
おれもそれか修理かで悩んだんだが、修理で正解だったみたいね。
やっぱ安いのはそれなりだね。ハイアールなら28000円だね。 >>482
ハイアール買わなくて良かったな。
うちの親が買ったハイアールがキッチンに置いてあるが、モーターが
回るとキッチン中にブォ〜〜〜〜ンという低周波が蔓延して気分が
悪くなる。
冷蔵庫のすぐ横で寝る環境だったら眠れなくて不眠症になるだろうって
くらいの低周波騒音。 >>483
修理箇所以外のとこが壊れる場合もあるから、何年とは言えないんじゃ?
うちで前に使ってたサンヨーの冷蔵庫は22年間故障しなかった。
でも、消費電力測ったら表示の1.8倍も食ってて、130gで中が狭いと
感じてたから、今はパナソニックの165gの冷蔵庫に買い換えた。
パナのはほとんどモーター音がしないから安眠できてマルだね。 >>480
それ俺のレスだわ
今は冬だから急ぐ必要がないからゆっくり安いのを探して新品を買うよ
家電は製造打ち切り後10年までは部品はあるけど何がって言うと
消費電力が違うはず 家電はすべて省エネになって来てるから
去年エアコン変えたよ 富士通のエアコン20年動いてた壊れたわけじゃないんだよ
エアコンの電気代は6割だね 冷蔵庫は100リッターくらいなら3万ぐらいで
ないかな? 多少予算オーバーしても量販店行って交渉してみる。 >>483
おれもモーター壊れてたら新しいの買ってたよ。
不具合箇所が冷却ファンだけだったので修理を選んだ。 >>479
どうでもいい。不真面目にいなくていいだろ。
お前ってちょっと言われただけでムキになるタイプだな。負けず嫌い。 残金2億3千5百70万と6500円 どうや
わいは負けず嫌いなんや 残り1500円しかないから競馬しかないよ。
新春杯何かえばいい?
800円で当たらないかな(T_T)
昔は800円で10万くらい当たったのによ。2ちゃんでマイネルフロストが穴あけるってスレが建ってたおかげでゲットできたけどさ。
寒いよおお。 >>494が一番の大金持ちということでいいですか? 今日、役所に行ったら廊下もトイレも暖房をガンガンつけてた…
しかもトイレの蛇口を捻ったらお湯が出た…
税金の無駄使いだよな… ____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | < 糞コテ死ね
\| \_/ / \_____
\____/ >>502
それしか言えんのか?
つまらんからくるな! >>500
なるほど。JRAのデータ分析みたら一番ありそう。あとヤマカツライデンとシャケトラとモンドインテロかな。レーヴミストラルは微妙か 寒いんで外出たくない
銀のさらで寿司注文したら待ち時間80分だった
金はあるとこにはあるな >>508
オレオレ詐欺にあう人の失う金額見てれば分かるだろう >>512
_, ,_ パッァァァン!!!
(´・ω・`)
⊂彡☆))З゚)∵: >>513
_, ,_ パッァァァン!!!
(´・ω・`)
⊂彡☆))З゚)∵: EジャンGジャン最高じゃん♪EジャンGジャン最高じゃん♪
EジャンGジャン最高じゃん♪
EジャンGジャン最高じゃん♪
EジャンGジャン最高じゃん♪
EジャンGジャン最高じゃん♪
EジャンGジャン最高じゃん♪ 親父の部屋の荷物預けてる
トランクルームを色々ほじくり返してたら、
18金のネックレスとブレスレット出てきた。
両方で180gあって、50万以上の買取金額だった。
そっこうで売ったよ。
かなり古い感じだったが、金は関係ないらしい。
重さのみの評価だった。
デザインや古い関係ないんですね。
現金受け取った瞬間、手が震えてたよ。
CWや役所にばれたらどうしよう〜・・・てね・・
これ、分からないよね?身分書として、免許は出したけど・・・
まずいかな? 世界の資産家上位8人の総資産と世界の人口の約半数の36億人の
貧乏な連中の総資産が同じなんだとさw >>516
全然、平気。口座通さなければ、そう簡単にはバレないって。 先週(金)に、洗濯機レシート提出の人どうなりました?心配で夜も眠れずにおります。 516 ですが、売った物って税金ってどうなるんでしょうか?
無論俺は払わないけど、売った先がどうなるんでしょうか?
この人から買ったとか税務署に言うんですかね?・・・
そーなるとやっかいなのですが・・・ 残金2000
虎の子のブランド物ダウン売ってしまおうか
寒くってひもじいのは身にこたえる・・・ 年明けに冬物は値段がガクン!って、下がるよ!
シーズン前じゃないと意味が無い。
それで俺は前に失敗してる。
本当に、ウソ!ってくれー小額だぞ!着る物って。
何百円、何十円の世界。 >>527
いい人だったのに残念やな 本人より洗濯機がほしいな ヤフオクでヤフーマネー受け取りが一番やと思うわ
みかん10kgとか買えるで >>532
構ってちゃんのレスコジキ野郎
カスよ、もう死んでいいだぞww いらないもの処分して金に換えたらCWにばれるのかな
銀行振り込みとかじゃなく書留とか現金手渡しならOK? オクで欲しかった品が出てたけど即決しなかった
他と比較してる間に落札されてたけどそこまで欲しくなかったんだろうな >>522
ううん。8点買い。
ヤフーにシャケトラは危ないって書いてあったから外すかな。 ヤフオクも生活保護の副業用に、口座を介さずにお金が受け取れる
システムを作ればいいのにな。
ヤフーマネーだと宝くじとか買えないから不便なんだよな。 >>542
Amazonギフト券みたいなYahoo!ギフト券を作ってくれればいいんだよな。
あるいはYahoo!ポイントでヤフオク支払えるようにするとか。 何が3京円や ホラ吹きが ったく冗談は止めて正直に書けよ
俺はさっき買い物済ませたが残金2億8千5百45万円と小銭850円だよ おう だんだん真ともになってきたな
電子マネーに7万円チャージ出来るか? 7万も電子マネーに入れないな
ホラの吹き太郎だ 嘘ばかりだな
残金財布に56000円小銭入れ600円ほど
タンス12万円 >>548
兄貴!1000万程、わしに融通してつかあさいや、のう^^ 電子マネーに大金入れる理由は2%ポイント還元だから そういうスレなのにその返事はおかしい
バカの三冠王 >>558
おかしいって・・・言われても
知らんがな ミッキーロケット2.8倍に落ちてるじゃんかよ。どいつも買いやがって。当たっても安いじゃんかよ。 >>560
すまん 俺が300万買ったんだよ おれも必死だよ なんで買わない日に限って人気馬くるんだよ
競馬で一回も勝ち越したことないわ! ミッキーロケット単勝うまかったわ
ほくほくになったぜ 来月の支給で据え置きゲーム買って再来月の支給で新しい大きなTVかって真面目ナマポになるぞ
ギャンブルはもうしないと決めた!
半月で5回出動して8万も負けるとかもうスロもパチもだめだな >>565
だめだな っていま分かったんかいな
支給日に取り返してこいよ 次は勝てる
思い出せよ あの大勝ちした時の気持ち >>566
スイッチに期待してる
>>568
今の台で昔の大勝ちはできないもう無理なんだよ
事故って二千枚だよ ナマポでいまだにギャンブルとかコイテルバカって
いんだなwww
ワロタwww
今頃朝鮮人が事務所で、ギャハハハハって
笑ってるよ!
おめーらゴミどもから金集めて
その金で、女抱いて、酒飲んで、いいもん食ってな!
全部お前らバカが出した金w あと200えんしかないよ
来月3日までどうしよう
畑からアレしちゃうか 毎月携帯代月末払えなくって翌月の15日に引き落とししてもらってるんだけどブラックいれられてる?
スマホ壊れたから分割でかいたいのだけど断られるかな?
今月ももちろん月末払えないから来月15日以降ならいける? 料金未納だと、その携帯会社でも、他社でも、未納を納めない限り
新しく買う事はできない。
未納・・・次会社・・・未納・・・次会社ってのを、避ける為にな。 >>570
何十億って脱税できるんだからな
どんだけ踏んだくってんだよww 近所のパチ屋が潰れまくってるんやが
おまいらの地方はどないや? 西成は大阪で一番大阪弁を喋らない人が多いエリアだよ
日本中の流れ者が集まる所 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170117/k10010842921000.html
市職員が「不正受給許さない」のジャンパー 厳重注意
1月17日 18時41分
生活保護を受給している人たちの支援にあたっている神奈川県小田原市の職員らが不正受給は
許さないという趣旨の文言が書かれたジャンパーを着て受給者の家庭を訪問していたことがわかりました。
市は「不適切だった」として着用を禁止するとともに上司らを厳重注意としました。
小田原市によりますと、ジャンパーを着ていたのは生活保護を受給している人たちの自立支援などを担当
している生活支援課の職員らです。
ジャンパーにはローマ字で「保護なめんな」と書いたエンブレムがプリントされているほか、
英語で「不正受給をしようとする人間はカスだ」という趣旨の文言が書かれています。
このジャンパーは10年前の平成19年に生活保護の受給をめぐって職員が男から切りつけられた
事件をきっかけに有志の職員によって作られ、
職場で着用されていましたが、その後、一部の職員が受給者の家庭を回って支援に関する相談に
応じる際などにも着ていたということです。
ジャンパーは業者に製作を依頼してまとめて購入したあと1着4400円で希望する職員に販売され、
これまでに64人が購入したということです。
小田原市は「市民の誤解を招きかねないうえ品位を欠いた表現で不適切だった」として、ジャンパー
の着用を禁止するとともに上司ら7人を厳重注意としました。
小田原市福祉健康部の日比谷正人部長は「市民に不快な思いをさせたことを深くおわびします」と
話しています。 >>565
お前は絶対に真面目なんかになれない なれるなら既になってるし スーパーにギリで行ったら牡蠣が半額だった。
4パック買って来て、牡蠣鍋にしたよ。
白菜や野菜類は前日に買ってあったやつで牡蠣と豆腐のみ買ってきた。
4パック全部入れたらすごい量・・
でも久々に牡蠣食った〜って感じ。
しばらくいらないw >>579
5年経てば時効になって他社の携帯なら契約出来る
ソースは俺 食った後、牡蠣フライ用に2パック残せばよかった思った。
フライのがどっちかと言うと好きだからな。
調子こいて全部鍋にした。
まーいいや。 ニュースで100g3000円の佐賀牛見たんだが、その時俺はg48円の鶏肉食べてた >>588
うまそうだな
今日は、娘から寿司おごってもらった
安い寿司だけど 60倍の違いかw
でも鳥肉も美味いからな。
いんじゃね。
腹が一杯なりゃいいんだよ!飯なんか。 >>593>>594
旨かったよ
どんな安い肉でも焼き肉のタレさえ旨けりゃ美味しく感じるよ
安い肉でも美味しく感じるなんてある意味幸せだと思う >>596
私、女だよ
そうだよね
理解というか母子家庭でぎりぎりまで働いていたこともあって
仕方ないって思っているみたいだね >>598
じゃあ姐さんは自分の産んだ娘さんに寿司を御馳走になったの? >>599
そうだよ
娘が一生懸命働いた金でおごってくれた
こっちが金ないのわかってるから
逆にお金あげたいくらいだがあいにく貧乏でなにもしてあげられない 頭の病じゃなかったら、ナマポ抜けて働くんだけどな
CWに見張られたり、口座監視されたり耐えられない
金も少ないし −=≡ _ _ ∩
−=≡ ( ゚∀゚)彡 ウンコーおぉぉぉぉ!!!
−=≡ ⊂ ⊂彡
−=≡ ( ⌒)
−=≡ c し' キャリアまとめ払いで現金化できる所無いか?
昔はヤフオクで盛んにやってたが
今も在るの? パチンコと税金絡みで使えないだけで現金とかわらなく使えるだろ >>567
金ばっか使ってんな、おまえ。だから貯まらんのだぞ。がまんしろ −=≡ _ _ ∩
−=≡ ( ゚∀゚)彡 ウンコーおぉぉぉぉ!!!
−=≡ ⊂ ⊂彡
−=≡ ( ⌒)
−=≡ c し' /⌒ヽ←>>619
( ^ω^)●
/ 、 つ
プリ(_(__ ⌒)
●∪ (ノ >>622
15 今日のところは名無しで 2017/01/18(水) 17:57:09.39
>>11
ナマポ減額されるん? 電気代節約の為に図書館行ったらホームレスがいっぱいいるよお。
同じように見られてそうで嫌だよ。
0.5パチで500円負けて1000円しかない。どないしよ。1日1食分の食料しかないよ。 1日1食で十分だろ!
働きもしねーゴミなんだから
栄養取る必要がないだろw。
ついでにダイエットでもしたら〜wあ!強制的にやれるか!
wwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwww
いい気味w 田植えだってよ〜
wwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwww
バカ丸出しwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwww
お前、田舎モンだろwwwwwww
w←見ると田植えに見えるんだな!田舎モンって
wwwwwwwwwwwwwwww 二ヤ汚は好きだったけど、マンネリだったし、新パターンで復活してほしいワラ✖3は嫌い 早寝して朝起きてって真面目な生活してると時間余ってパチ屋いっちまうんだ
こうして夜更かしして昼夜逆転する不真面目ナマポが実は真面目なまぽになる第一歩 確かにそうかもな。昼間やる事なくてパチ屋行っちゃうもんな。 「ばっかだなぁ〜ギャンブルがダメだと分かっているのに根性がないから我慢が出来ずに行ってしまうんです」って時点で「真面目です」なんて言って良いわけないんだよ?
って分かりやすく教えてもらわないと理解出来ないんじゃね?ナマポの時点で人間のクズ乞食くらいにしか見られてないのにね ベンドウは前に競馬に勝って金があるという
設定で頑張っていたが今はどういう設定なんだ? 花の慶次Xで4万負けました
お金ないでちゅ
次の支給日は3日
どないしよ
助けてくだちゃい
なんでもします! 変な味の唾液が出る。ダイエットしてるからなのかな?
気持ち悪い。二週間ほど前から… >>643
本当に助けてくれるんでちゅか?
1万貸してください! 田植えワロタ
ポイントサイトで何とか稼いでるよ。あと13日か。悔しいよ。金欲しいよお。ナマポ入ったらヤンマガにあったハンチョウみたいなことしたいよお。
リーマンどもがビール飲みたくても飲めない昼間にスーツ着て串カツとビールで一杯やりたいよ。 今月はほんと長いなぁ… 45円しか無い。食い物はあるからいいっかぁ… 何か体だるい
食欲もないし
鬱みたいな感じで楽しくない あなた達は国民の税金でパチンコして悪いと思わないんですか?
こんな事は絶対におかしいです。
今すぐそんな事はやめてください! >>663
お前に何がわかるんだ?
そういうおまえは生活保護もらってないで税金おさめてるんだろうな?
偉そうに何様だっての!
むかつくんだよ!偽善者ぶって! パチや競馬は生活保護にとって数少ない楽しみやからな。
禁止されてる訳じゃなし 保護もらう時にもらった栞に慎むようにとは書かれてた >>663
カスのナマポにそんな難しい意見をされてもw >>670
換金したら不正受給だけどもちろん申告してるんだよな? >>674
こないだ7万負けたけどその分ってもらえるんだろうな >>674
うるせーな
保護者をなめんなよ SHAТジャンパーでも着て来いよ 生活が出来ないから生活保護受けてるはず。
最初、困った顔して役所に相談行ったくせに、
ナマポなってやることが無いと
パチンコ屋通いかい?・・・
どんな神経してんだ?お前らゴミって?
パチンコする金有るなら生活に困ってねーなら保護取り消せよ! >>680
お前ナマポ?w
こっちは家賃分しかもらってねーよ
偉そうに何なんだ?
CWか?
いらいらするから出てくんな >>680
ハ,,ハ
( ゚ω゚ ) お断りします
/ \
((⊂ ) ノ\つ))
(_⌒ヽ
ヽ ヘ }
ε≡Ξ ノノ `J >>680
生活に支障をきたさない程度のパチは法的にも娯楽として認められてるんだよ
文句あるなら判決だした裁判官のとこいってこいや 今月負けまくったから支給日までポイントで生活しないといけなくってつらい
マツキヨとTポイント貯めといてよかったわー
13日に大負けしてから残金一円も減ってないw >>685
判決とかの問題ですか?
常識がわからないの?
だからナマポなんですね。 オリンピックに向けてナマポは日本の恥ってことで減額していくらしいよ >>689
>>690
自業自得です。
苦しみなさい。 >>691
日本は法治国家です。
判例は大事です それが理解できない貴方は何なの?
ひょっとして外国の方ですか? そうやってすぐ外国人認定するんですねw
朝鮮人とかの方があなた達より税金納めてますよ。
あなた達は社会のお荷物ですw >>698
お前お荷物以下じゃねぇか。
テメェより下みつけて叩く事でしかテメェの精神保てない憐れなカス >>698
身体に気を付けて出来るだけ残業でもしてしっかりと納税して下さい。
私たちはストレスの少ない環境で長生きして税金を出来るだけ使わさせて貰います
また娯楽の一環としてパチンコも頑張りますのでしっかりと働いて下さい。 >>698
ナマポじゃねぇのにこんなとこに居るヤツの方がよっぽどクズだわな >>698
国に認めてもらって受給してるんだし
税金納めるの頑張ってね >>704
_, ,_ パッァァァン!!!
(´・ω・`)
⊂彡☆))З´>∵: ああ廃墟0回やわ。取敢えず0回超えて安心させてほしいわ 小田原じゃなくて良かったあ。場所によって変なCWいるんだな。
オメーらも税金の御世話になってるくせによ マックの100円コーヒー午前中ならタダでもらえるみたいだぞ。金曜までだって >>698
韓国や北の人達は日本人より恵まれていますよ。彼等の保護費は日本人より多いですw
もう少し学んで下さいね!
支給された保護費を仕送りしたり本国では家持ちとかねw 今日はカレーの材料買ってきた総額500円の貧乏カレー
今月さえしのげれば来月年金がはいるんだ そういや銀行のやり取りって入金だけ厳しくって送金は問題ないんだよな?
ヤフオクで買い物したいんだけどそれはセーフ? >>717
俺も何年も前から毎月ヤフオクで買ってて、それを見られても何も言われた事ないぞ >>715
朝鮮人の方が保護費が多いとかなんでわかるんですか?
2ちゃんねるの見すぎです。
今すぐ面接の電話しなさい!
バイトくらい出来るでしょ? CR花の慶次Xで4万負けてオケラ
支給日は来月の3日
同じような人いない? >>721
花の慶次とエヴァで7万負けてオケラ
支給日は3日 >>722
支給日までどうするの?
あとミール使ってる人多いみたいだけど後々、地獄見るぞ
ケンコーコムで缶詰めとかパスタでも買ったほうがいいと俺は思っている >>724
とりあえず食べ物があるうちはいいけどなくなったらミールかな オケラってネタだと思ってたけど
ここの奴はマジなんだな >>728
あのーあなた達と違って恋人がいますのでw ____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | < 糞コテ死ね
\| \_/ / \_____
\____/ 北朝鮮というのは、大日本帝国陸軍(関東軍)がつくった国で、
日本のいわば兄弟国家に当たる。日本本国はアメリカに支配され
アメリカの属国となってしまったが、北朝鮮は大陸に大日本帝国を
引き続き作り上げることに成功し、アメリカにいまだ立ち向かっている。
ちなみに、両国とも実効支配をしているのは、在日朝鮮人。
横田めぐみは、李氏朝鮮と日本の天皇家の血が入っていたので拉致された。
金正日との間に金正恩を生んで現在は北朝鮮の皇太后という絶大なる
地位にいる。 日本国の芸能界・政界・スポーツ界・経済界、長者番付
すべて在チョンで埋まる。天皇家も明治維新から田布施の朝鮮部落の
血が主流になっている。日本人はサラリーマンになるしかないのね。 何を言いたいか?
天皇を含む、メディアに出てくる有名人というのはすべてチョンだということ。 >>737
本場のは辛過ぎる
あんなもの毎日食べてたら喧嘩っぱやくなるわけだ >>719
何でってw
知っているから言ったまでですがw
市民オンブズマンに聞いて下さいね無知さん!
それと貴方の命令口調な書き込みって強要ですかね?w >>742
命令口調も何も国民の義務です!
義務も果たさない人間が偉そうなこと言わないでください! 韓国産キムチ
寄生虫の宝庫!考えただけで、ゾってする。
今は日本の国産でも美味いキムチいくらでもあるから
それ食べてる。
韓国産で使える食材は、唐辛子だけ。
唐辛子は虫等が付かないから、これだけは大丈夫。
あとは一切無理レベル。
生物なんかとんでもねーレベル。 天下り許せないぜぇ…
正義の鉄槌なまぽ10年延長だぜぇ… >>726
1週間水と塩だけで凌いだ強者もいる
あとは100円のスティックパン1日1袋
他にもこういうのあったら教えて >>714
午前中って思い込んで行ったから100円盗られたよ(T_T)
あいつらケチくさいわ。残り470円だよ。
来週ポイント申請して1000円入ってもタバコで半分消えるし。どないしよ。 残金800円で月末までっておもってたらSuicaに2500円もはいってた!
余裕で月末までもつぜw 支給日もうすぐやけど次までが長いなぁ(´・_・`) 年金組でもある程度はいるだろw
マジキチの年金だけで保護費ほとんどなくなるレベルの人かな?w >>757
東北なんで電気代とガス代でかなりなくなってしまう 黙って原付バイク買って登録したらばれる?
大変なことになるかな? おい5スロのハーデスで27000円も使っちまった
馬鹿だろ? 5スロで27000円負けとか相当だな
20スロなら10万超えだった 意固地になった
サンドに万札入れれば後プッシュするだけだしな
大人しく20のAタイプでも打てばよかったが後の祭りだ 5スロでも、2万、3万の負けは当たり前の様にあるよ。
だから、俺は止めたんだパチンコ屋行くの。
止めてから3年経つな・・・
やりたいとも思わないし、いままでやってたのか?って感じ・・・
パチ屋行く=100%負けって思ってから止めた。
アホらしいからな。
出るとか出ないとかじゃない、出ないんだよ!出ない!
管理されてるんだから、出るはずも、出すはずもねー
考えたらあほらしくて行くなんてありえなくなった。
お陰で、金にも困らなくなったし、色々買える様になったから
正解! 確かに出てないし新台ですら客飛んでるもんな
3ケ月ぶりのスロだったんだが思い知ったよw 客が居なくても、新台購入・従業員の給料・電気代等光熱費・その他経費
これをな、じゃー誰が出すか!って事だ!
そりゃあんた、きたエサを全部食うだけ!
だから、出るなんて、ありえねーわな。
つーか、出せないんだよ!取る事はあってもな。
そんな所へ、わざわざ行くだとか・・・w
考えろ!お前らもよ! ベンドウ?何だベンドウって?
お前はバカか?
弁当が食いたいんけ?なあ!
ww
オケラけ? まあそう言うなよ
好きで行ったんだし只の馬鹿な報告じゃん タバコは学生の時に吸うと体に悪いと教えておきながら何でパチンコは教えないんだよ!!
ちゃんと道徳の時間にでも授業しろや!
パチンコばかりしてたら人生オワタになってナマポもらうはめになって(笑)(笑)みたいになりますよって教え炉や 誰が回しても当たる確率は同じことなのに気づけばやめられるかもな
立ち回りがどうとかもう関係ないからね
知恵遅れがやろうが当たる確率は一緒 >>771
ベンドウ久しぶりだなw
ラーメン屋の姉ちゃん元気か?
「フランス」料理はまだ行ってるか?
金がある設定はもう終わりか?w 風俗もギャンブルも外食もやらんくて金を消費する術が
ないので、これから毎日、発泡酒じゃなくてエビスビールと
つまみにビーフジャーキー食うことにしたよ。 >>781
精神的に余裕が無くなることのない良い生き方やな 外食ができなくなっちまってね。周りにいる人間が気になって
楽しんで飯食えんのだよ。だから、店で何かいいもの買って
もっぱら家で食うってのが一番安心でうまい。風俗もギャンブルも
交友関係も一切無いので服にも金かからないし、金を使うことが
ほとんどない。 >>783
見習いたい気持ちもあるけど、今はもう一日でも早く死にたい >>784
そんなこと言えるわけないっしょ。
少なければバカにされるし、多ければ通報w 普通の日本人である、おまえらに聞きたい。
できた彼女が在日でもなんの問題もなく愛し、付き合えるか?
また在日の女と結婚できるか?(親兄弟含めて許可してくれるか?) >>794
俺はかまわんぞ。
こちらも訳ありだし、恋愛に国籍は関係ないからな。
その人を好きになるんであってそこには民族とか政治的概念はない。 そもそも帰化したら日本人であってそれについて
ああだこうだ言うのは間違っている。 >>796
きみのその訳を聞かせてくれ。訳アリ日本人男じゃないと基本
くっつかないということはわかった。 >>798
確かに俺は、訳ありだけど、
訳ありじゃなくてもその人個人を好きになるんであって
そこに民族や国籍別の差別的意思はない。
訳ありじゃなくても恋愛もするだろうし、結婚もするだろう。
ただし、その相手が政治的思想でなんらかの活動をするんだったら、
ちゃんといいきかせるし、親兄弟親戚筋がなにか言ってきても俺は一歩も引かず話し合いするしね。
いいか、あくまでその人個人を好きになるんであってそれについてああだこうだは、
誰にも言わせない。 おまえら月に数千円で生活出来るなら修行僧にでもなれば?w おまえら月に数千円で生活出来るなら修行僧にでもなれば?w おまえら月に数千円で生活出来るなら修行僧にでもなれば?w おまえら月に数千円で生活出来るなら修行僧にでもなれば?w >>801
それは、訳ありのきみの場合だから可能な話であって
愛情に包まれた普通の一般日本人家庭で育った多くの純日本人は
在日朝鮮人の女となんて結婚は無理だと思う。親子の縁を切るとか
いう事態を了承するなら話は別だが。いずれにしても親を泣かせるような
ことはするな。日本人の凶悪犯罪の9割は帰化朝鮮人の仕業なんだから。 ちなみに足立区の女子高生コンクリート殺人事件というのは
被害者の女の子は中国系の家庭の子、加害者の男は在日朝鮮人な。
多くの日本人はあの凶悪事件をただの普通の日本人の少年の事件だと
思っているのがやばい。 酒買って残金8000円になった
支給日1日、余裕だ 金ねーヤベーゲームCD売ったら1500円だったわ、発泡酒とタバコとカップラーメン買ったら800円しかねー今月はヤバ過ぎて家賃未払いやっちまった
ヤベーセブンイレブンなんとかからミールの督促状もきた >>814
うるせーこっちは色々とあせってんだよ
俺様を茶化すなや >>797
確かに。言わなきゃ分からないし。
昔働いてた時に帰化した子いたけど言われるまで普通に日本人だと思ってたよ。 ヤベー
あと14000円しかない
3日までもつかな 3連単最低人気きたよ…ってだけだよ
明日頑張ろーぜ ミールの催促の電話やくざみたいなやつだよ
過去にとばしたことあるけど >>823
_, ,_ パッァァァン!!!
(´・ω・`)
⊂彡☆))З゚)∵: >>824
オイオイ、電話まで寄越すのか?連中ナニモンなんだよ?
俺様のトコには手でめくるハガキで料金を支払い下さいとかだけだったわ
管理会社からも赤文字の家賃督促状くるし、勘弁してくれや >>826
そのうち電話くる
払わなかったら詐欺罪でつかまるぞ
分割の相談とかのってくれるけどな >>827
つまんねー弁当の料金で詐欺?割りに合わねーよ、受給日にソッコーでコンビニで支払うわ >>822
ほんとだ。あんな中学生みたいなかおした顔した騎手信用して1点買うくらいなら全部買う方が得してるじゃん!
こんなレースもあるのか。いいなあ >>834
断然ストレートの細麺派
そうめんのような細麺でもいいくらい 競馬で37000円ほど勝って、ダチと飯食った後居酒屋で飲んで今帰宅。
何とかなるもんだな競馬で。 明日リアファルが2番人気で買えるのかよ
残金5000で勝負にでるか・・ っしゃあ!!!!!スロで58000円勝ち!!!!!!!! >>840
無理だろ 未来への翼だよ。芦毛だよ
可愛いよ ここに書かれる馬は来ないので外して買えばいいね(^-^)v ここ見てると
こいつらゴミを食わせなくていい思う。
ナマポ制度は廃止でいいな。
競馬やる金あんだろ?じゃー廃止でいい。 隣のジジイのせいで久しぶりに朝起きてドラゴンボール見てる。
クリリンが警察官になってるって話変わりすぎだろ パチで負けてお金ないでちゅ
どうちたらいいんでちゅか?
3日支給で150円しかないでちゅ >>849
ケンコーコムがあるでちゅ
初めてなら600円割り引きしてくれたでちゅよ >>851
俺のトコにも料金支払い説明きたわ、ゾッとした
10日経つとくるのか?遅延損害金あんのか?怖えーよ まじでギャンブルやるナマポは廃止で良いと思う。
そのぶん普通のナマポに回そうぜ。 >>850
ケンコーコムはたまにお世話になってまちゅが何頼みまちゅか?
カップラーメンがいいでちゅよね? 誰か ドコモポイントをdポイントにしてローソンで使う時には
ローソンのアプリをダウンロードしなければ使えないの?
もし使えるのなら緊急のときに使おうっと思って なんかさー競馬とかパチンコとかギャンブルやってる奴のことを
楽しい娯楽をやってんじゃねーとかの目で見てるのかも知れないけど
わかってないよな
あんな自分の首絞める辛いことをやってるって事なのを 誘惑が多すぎる。競輪、競馬、スロットにポーカーゲーム。
こりゃ、ナマポ専門裏金にいくしかねぇー。 オクとかで売った金は身内の口座使わせて貰ってる
他にもあんな事やこんな事も オキニとロングするためにしこしこ常備の10万に加えて10万ためたのにオキニ飛んだああああああああ >>860
兄貴、ポーカーやれるとこなんてあるんすか? >>859
おまえは中邑・棚橋に気遣ってんだろオラ えーい!おっちゃんに言わせたいんやな!
言わせてもろてええんやな! >>858
いや、やんないほうが幸せになれるよ。
喫煙者ですらいろいろ規制されてるんだから、ギャンブラーもしかりで当たり前。 オケラになって2ちゃんねるする余裕がなくなりそうなナマポいますか?
いたら今の状況教えてください。 >>840
あーあ未来へ翼にしとけば良かったのに( ・ε・) 競馬メイン前にすでに、11万も買ったからメインやめた。
天丼食べてから帰る。
前も勝った時このままソープ行って散財したから
とりあえず部屋に帰ってから考える。
六万は別にしとくよ。
残が3万+5万で8万財布。 六万別って書いてあるけどな?
11万から六万別で、残った5万+元からあった3万
たして、8万だろ。
お前は計算もできねーーーーーーーーーーーーーーーんか!
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
小学1年から、やり直せよ!
バーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ! >>873
分かるわけねーだろ日本語勉強しろよチョン公ww ↑
こいつ、すんげーーーーーーーーーー
バカwwwwwwwwwwwwwwww
生きてなくていいよお前w >>873
別ってなんだよバカ
日本の掲示板に書き込むなら日本語で書けキムチ 食べるものないでちゅ
ケツ拭く紙もないでちゅ
助けてくだちゃい マジレスするとナマポよりちゃんと税金納めている朝鮮人の方がマシw ナマポ?www
働きもしねーゴミかwww
いらねーだろ。
働かないんだから飯なんか食わせる必要がねーww
働かないんだから栄養付ける必要ねーだろw
飢え死にすりゃいいんだナマポなんかw >>879
お前の仕事何?
ゴミ拾いか?
キチガイは引っ込んでろ
中卒のキチガイ >>880
働けやゴミwww
ゴミの分際で2ちゃんなんかしてんじゃねーぞ!
ゴミが! >>881
だからお前の仕事何?
こっちは働いてるよ >>870
それ外してよかったわ
馬連ゲト(^-^)v 2チャンなんかする余裕あるんだ〜・・・
フ〜ン。
じゃーナマポ費は2万程度でいいだろ。
まだまだ削れるなこいつらゴミはw >>886
お前の収入ナマポ以下だもんな。
カワイソスw 日本人とか朝鮮人関係なく国や周りのお荷物になるキチガイはいなくなればいいと思うよ あれ?〜?
ナマポ費ってのは、必要最低限なはずだよな〜?
何で2チャンなんかできるんだ?
まだまだ余裕がるのか?
じゃーあれだな、ナマポ費は今の半額でいいな。
それに3ヶ月で仕事探さないゴミは、強制的にナマポ取り消しでいいな。
ガンガン厳しくしてくよ〜!
by・アベ・しんぞう! >>890
キチガイ!巣に帰れよカス!ww
何を真っ赤に必死になっとんねんww ナマポの分際でPCやスマホけ?
そんな余裕があるんけ?
じゃー来月からナマポ費は半額にするで。
半額でもええわな。
つーかそれで「 やれ 」 >>890>>893
早くしね
来るな
中卒のキチガイ あれだな!ナマポは現物支給でいいな。
米・うめぼし・たくあん・これが食料として支給。
光熱費は役所から払うから
現金いらねーだろ!
食い物は週に1回宅配で送るよ。
嫌なら「 働け 」
だって、食って寝るだけだろお前らゴミって
十分だな! >>895
中卒のキチガイのおまえは梅干し一個でいいな
どうせ残飯漁って生きてるんだろ
惨めな生活だなw あれだな!ナマポは現物支給でいいな。
米・うめぼし・たくあん・これが食料として支給。
光熱費は役所から払うから
現金いらねーだろ!
食い物は週に1回宅配で送るよ。
嫌なら「 働け 」
だって、食って寝るだけだろお前らゴミって
十分だな! お前のように働かなくても
お国からちゃ〜んと
お金が入るんwww
間抜けはバカ! あ!TV・PC・スマホ・は駄目な!w
そのかわりラジオ支給してやっから!
それで「 やれ 」
www あ!ラジオの電池は、働いて買えなw
本体は支給するけど、電池はてめーでなんとかしろw
いいなゴミどもw あの、コンセントに刺さらないタイプのラジオなw
言い忘れたwwwww
電池は「 働いて買え 」
www
それと、エアコンも駄目な!
夏暑いなら水風呂でも浸かればいいだろ!つーかそれで「やれ」
冬は、スクワットでもしてから、布団にくるまればいんじゃねw
つーかそれで「 やれ 」
ww >>899
テレビ、スマホ、パソコン持ってないんだw
貧乏人
あ、ホームレスだからコジキ電波拾ってるのかwww >>904
マイナス10度になるところでもそれやれってのか?
人殺し >>906
飲み屋の空き瓶拾ってそこに残ってる酒のむんだろwww >>906
ゴミ漁り飽きたから飲みにw
じじぃのザーメンでも飲んどけよwww >>906
ナマポもらえないからって妬んでるんだな 小銭を稼いで楽しむ方が自分には合うとやっと気付いた
パチもスロも今の基準じゃ本当に無理だから 1000万くらい一気に当たらなきゃすぐ無くなるからいみないよ。WIN5当たってたらなあ。やり直せたのによ。 働きもせず一日中ゲームして腹減ったらコンビニいって飯買って
たまーにパチいってゴロゴロしてる生活手放せるかっての
来月4kモニタ買ってくるんだでかすぎるとCWになんかいわれそうだから小さめのやつなw >>916
わしみたいなエリートナマポはCWは一切部屋に上がろうとしない >>917
兄貴!部屋にCWが入れない魔除けや結界でもあるんすか? あーパチうちてー
残金2000なら甘で一発ねらえねーかなー
一万勝ったら即ヤメするから出してくれ 甘って言うほど甘くないよな
当たりの確率は確かに甘いかもしれんが出玉と連チャン率で結局ミドルでもMAXでもかわらん
むしろ一回の出玉とへそを削ってきてるから甘のほうがスペック的にきつくないか? 携帯止められたんだけど。
毎月払ってるのに。二社くらい借金滞納してるけどそのせいか?
明日ショップ行って聞いてくるけど気が重い。。 年間44000人不正受給者いるんだね
この人達のせいで僕のような純粋無垢ナマポが辛い思いをするんだね 僕は純粋無垢ナマポだよ
200万人のナマポのなかで最も純粋で無垢な純粋無垢ナマポだよ
ナマポ歴11年だけどCWが家庭訪問に来るとき在宅率100%のLEGEND純粋無垢ナマポだよ >>928
嫌、違う、カードローン。こんなことってあるのかな。
朝一で行ってくる。 ベンドウの屑っぷりとか含め
底辺のスレみていると金があるって
良いな〜と思うわ 月15日くらい働く
もちろん短時間だから、給料は雀の涙だけど
15000円増えるだけでもでかい
就労不可だけどな
リハビリと思って働いてる 残金2000円
朝から携帯にケースワーカーから着信履歴多数
恐怖で震えてきました 不正受給って言葉の定義が大きくなりすぎだろ
ほとんどが収入の申告漏れじゃん
1000円でも申告漏れしたら不正受給
どうみても不正受給を拡張して市民から批判をさせて生活保護費下げるのが目的でマスゴミにアンコンしてるんだろ
故意に不正してるのだけ不正受給にしろよ
200万以上不正してたら訴えられる基準らしいけどな
それぐらいから不正にしろよ
1000円や1万ぐらいの収入申告漏れで不正受給扱いはおかしいだろ
健康で文化的な最低限度の生活 ←ケースワーカーの漫画だけど 面白かったから読んでみて 不正受給の奴等糞ムカつくわ
俺なんか面接でもらった1000円のクオカードですら申告するわ
申告もれはいかなる場合でも罪だわ >>935
カードローン滞納で携帯止まるのはあり得ないよー 屋形が乞食だなんて分かりきったこともう紹介しなくていいから…
同じこと何回も言っているようだし痴呆を疑ってみたらいいと思う
病院…行こ 屋形が乞食だなんて分かりきったこともう紹介しなくていいから… >>954
おい乞食
愉快な仲間たちとの飲み会はどうした? 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです。 このスレッドは1000を超えました。
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