>>890のつづき

ルーブル美術館から、
ちょっとセーヌ川を下ったら、
Les Hallesと言う地域がある。
オシャレな若者が多く、
NYCのEast Villageに雰囲気が良く似ている。
そこで小さなジャパレスを見つけた。
値段は結構リーズナブルだった。
ラッキー。
店の入り口には掲示板があって、
アルバイト情報や空きアパート情報が、
日本語で所狭しと張り出されていた。
当時はSNSなど無かったから、
ジャパレスの掲示板は日本人社会で、
非常に大事な役割を果たしていた。
無料の日本語新聞もあった。
俺は刺身ランチを食いながら新聞をめくった。
フランスの労働ビザが無くても、
雇ってくれそうな求人情報が結構あった。
これもNYCと良く似ている。
日本人の不法滞在者は多いのだろう。
俺はその後、とぼとぼと、
Opera Garnier(オペラ座)まで歩いた。
そこには驚愕の風景があった。
オーマイガー。
風光明媚な美しいパリの街並みに、
大きな日本語の看板が見えた。
黄色のバックグラウンドに明るい赤で、
「おみやげ」と書いてある。
日本の土産屋だった。
よくこんな看板が許可されたもんだ。w
当時はまだバブルの影響が残っており、
裕福な日本人観光客が多かったのだろう。
その土産屋のすぐ近くに日本の書店があった。
ジュンク堂だった。
俺がNYCで買った地球の歩き方の最新版が、
パリでは遥かに高額で店頭に並んでいた。
店員さんは若い日本人男性だった。
俺は彼に、
美味いジャパレスを教えて貰った。

…つづく
かもしれない。