流星ひとつ☆藤圭子
オリコン歴代記録保持者、いまだに破られていない
アルバム37週連続1位(新宿の女・女のブルース)
(アルバム42週連続1位、上記に加えて、前川清との全曲集コラボ)
シングル18週連続1位(女のブルース・圭子の夢は夜ひらく) 中学同級生・吉崎真の話
Q、どんな性格?A、一言で言うとピュアな人、純粋な人、聡明で純真すぎる、
不思議な少女、レベルが違う、世界が違う、だから何も恐れない、言い訳しない
だから誤解される、圭子の性格は、絶対主張を曲げない、芯が強い、潔癖症
誇り高い、妥協しない、だからごまかしが効かない、世渡りがヘタ
汚辱に充ちた社会に適応できない、それに逆らい続けて来た人性だった
最も純粋、純真な東北人の魂を持った人
正義の人だから、誤解されたってかまわない、心がきれいで、
誰を見ても差別しない
Q、それで最近テレビで放映された彼女のビデオを見ると
一般の人からも理解され難いのではないですか
A、でも私に言わせれば、あの時と変わっていないな、テレビ見て
昔と変わっていない、周りが何と言おうと全く気にしない
あの人の口から出たことは一ミリの嘘がない
ピュアだから打算的なことは考えない、そういう計算ができない 体育以外はオール5、慕う友人多数
全員集合で跳び箱でダメ姿を披露する圭子は
体育が上手くできない子の代表としての役どころ
そこでは三枚目を務めていた
全員集合は、高視聴率番組だったが
石坂と大喧嘩しながらよく出ていた
エンディングでマイクを向けられた圭子が
「はぁー、ビバノンノン」とやるのを見るのは皆恥ずかしかった 〜YouTubeや市販のレコード、CD音源で
青江三奈と藤圭子の同曲カバーを比較〜
ひとり酒場で、人生劇場、
星の流れに、船頭小唄、明治一代女、黒い花びら、命かれても、赤坂の夜は更けて、別れの朝、
カスバの女、赤と黒のブルース、下町育ち、
あなたのブルース、君こそわが命、なみだの操、
うしろ姿、星の流れに、、、、、、、、
↑これらはいずれも青江三奈が上である。
何回聴いても、飽きさせない大した才能だ。また、
二度聴いてから、良さが分かるという作品もある。
80年代に少し、衰えた時期もあるけれども、
90年代から最晩年までの多くの映像で
青江は持ち直している。やはり上なのだ。
さてさて絶賛されている藤圭子が優れているのは
アカシアの雨がやむとき、うそ、
のニ曲であってな。
港町ブルースは編曲では藤が勝るが、歌声では
青江が格段に上。
藤圭子の池袋の夜、高校のブルース、長崎ブルース
たしかに
上手いけれども、青江三奈ほどの面白みはない。
藤圭子と青江三奈を比べると藤圭子の同曲カバーは
飽きるのが早いのだよ。
以上、青江三奈のほうが明らかに歌手としてのレベルが上ということが分かる。
ちなみに、同程度に評価できるカバー曲は
好きだった。 池袋の夜、恍惚のブルース、長崎ブルース↑
船頭小唄なんか聴くと、青江と藤の差が歴然だ。
藤圭子は曲の内容を忠実に再現しているに過ぎず、これという面白みも無い。青江三奈は自らの歌唱ですべて味付けして、しかもハマっている。
別れの朝も藤のほうが声が出ているが、聴いていて
退屈なのだ。青江のように引きこまれないのだ。 ちなみに、リマスターボイスに収録されている
京都から博多まで
は、青江節で素晴らしい。持ち歌さえ藤圭子は
青江三奈に、すっかり歌われてしまっている。
藤圭子verがいかにつまらないか分かるだろう。
これらの質と量を考慮すると
本当の意味で、カバーの上手い歌手は
青江三奈なのだ。
ちあきや藤は足元にも及ばない。そのあたりが
分かったからこの2人は引退同様にフェードアウト
したと思えてくる。青江には敵わない。 例えば、彼女が70年初頭のあの一世風靡だけの歌手であったら
自殺は人気がなくなったことや、病気のことを苦にしての
いわば人生の敗北として世間に見られ、本人もそうとして処理されたかもしれない
しかし彼女の才能を引き継ぎ、彼女がプロデュースした宇多田ヒカルの存在で
再び脚光を浴びたからには、その自殺は敗北からの自殺ではないと誰もが思うだろう
自殺願望、自殺念慮は、彼女には若いころからあった
しかし敗北としての自殺は彼女の美学に反していた
だから娘が歴代トップの売り上げを誇る歌手になったという栄光が
藤圭子という栄光と結びつき
永遠の藤圭子への、死への花道を形作った やっぱり、同じ早死にしたテレサテンの方が人気あるな
テレサを視聴してから藤圭子視聴すると、嫌悪感がわく
テレサのオリジナルアルバム全18枚、すべてCD化されアマゾンで売っている 藤圭子の場合、マイナーなものも含めてオリジナルアルバムは全部で19枚あるが
CD化されたのは7枚にすぎない 清との結婚は意外と好意的、レコード会社も同じ
クールファイブの事務所の方が小さかったので
周囲の思惑も一致
新婚旅行もマスコミ集団引き連れて団体旅行のよう
ワイドショーも連日の祝福
前川の言い分「仕事で留守にするとき、飼っている魚の世話を
圭子に頼みたかったけど、圭子の方も忙しくて家にいない
ともかく二人はすれ違い、結婚生活一年のうち
夫婦が一緒に過ごせたのは、自分(前川)が病で寝込んだ一週間ぐらい
とても夫婦と言える生活ではなかったので別れた」 >>51
歌手ってのは、とどのつまり"声の好み"なので
あって
俺も
淡谷、二葉、ペギー、青江、テレサ、倍賞
てなところは大好きで、よく聴くが
藤とちあきは、どーも苦手である。なぜかというと
声が好きでないから。
ちあきに限って言えば、青江やペギーの後に聴くと
丁寧な歌唱が、スーッと入ってくるが
そんなに多くは聴きたくない。
こればかりは、声の好みでどーしようもない。 ただ、データで青江さんの擁護をすると
カバー曲を含めて
ちあきと藤は暗い、湿った歌でそれも演歌・歌謡曲
ジャンルが殆どだが
青江さんは、クラブ時代に
ジャズと流しの経験があるから、藤ちあきと
比べると、その生涯でキー変化も含めて
明るい歌から暗い歌まで幅広く歌っていたろうな わいが好きなのは、西田佐知子、伊東ゆかり、藤圭子、テレサテン
みな上手いし、声がいい、藤圭子は異色だが 藤圭子は酷使されて声のツヤを失ったんだよ
それで一度引退したんだよ 言及してる人が少なくて驚くんだがyoutube観たら
青江さんの、衰えた時期が長すぎるんだよ。
あれさえなければ女性歌手なら、3本の指に入る
評価をされるはずの人。
明るい曲調から暗い曲調まで、歌った分野で言えば
ちあき、藤よりも格段に広い。
紫のタンゴ(灰田勝彦)のカバーみたいな、
陽気な作品がもっと知られれば、変わるはず。
70年代後半から80年代なんて、高音出にくいし
キーは下がるし、声量も減ってる。あれからよく
96年の30周年コンサートまで、
声量持ち直したよ。
最晩年の長崎ブルースなんて、迫力が戻って
実に素晴らしい。
あと10年生きてくれたら、かなり評価が変わってた
と思う。 >>55
俺は、年代に関係なく
藤ボイスは青江ボイスから、ハスキーを減らして
青臭くしただけに聴こえてしまうんだよな。
それなら、青江の声で聴きたいと思う >>59
これは、好みでしょう。人並みに、聴いてます。
生涯を通して、藤とちあきは
それほどハスキーでもなければ
それほど美声でもなかった
=歌える幅が限られた
というか解釈です アップテンポで歌ってくれれば
藤もちあきも聴いてられるかな 青江三奈の、つい最近
カバーアルバムが何枚か復刻されたばかりだ
これらがもっと普及すれば、認識も変わるだろう。
ジャズやラテンの録音は、もっと残ってるだろう 他の方も仰せの通り、リマスターボイスの青江ver
京都から博多まで は、絶品であるから
お聴きになると宜しい。藤圭子ファンも唸るよ 他の方も仰せの通り、リマスターボイスの青江ver
京都から博多まで は、絶品であるから
お聴きになると宜しい。藤圭子ファンも唸るよ 続き。京都から博多まで。
藤のほうが、抒情は上手いけれども何度聴いても
飽きないほど音楽的なのは青江では?
その点青江も、ちゃんと情感を
工夫して歌ってるんでしょうが
青江三奈の多くの歌には森進一などの
恋歌にありがちな、聴き手の同情を誘うほどのものでは、ないように思います。
でも、どこかでなんとも言えない情感とくに
優雅な味わいがあるのが青江であり、藤やちあきに
ないものを個人的に、感じるのです。 ちあきや藤の歌は、悲しみを歌うことに
長けていたのであってジメジメシトシト、、、。
青江みたいな優雅な、清涼感に欠けるわけで
歌に優雅な味わいを求める当方には
それらの多くが惨めったらしく
どうも、入り込めない歌手となっています。
森進一も青江同様に好きな歌手ですが、
彼の感情移入スタイルの歌唱には、ちゃんと
血の通った芸術を感じます。
藤さんも、ちあきさんも、どうもその辺りが
中途半端で、陰気臭いのです。 青江は玄人というかケバイ印象が、歌う時いつも微笑してキャバレー歌手的な雰囲気があった
藤圭子は薄幸の少女が水商売の女の歌を歌うというギャップがよかった ちあきなおみは詞の世界に没頭するあまり、
語尾を伸ばさずに消すように歌ったりするのが、
あまりにも多すぎる。聴く側は、音楽を聴きたいのであって語りを聴きたいのではない。
歌い上げるのが、良い楽曲もあれば語る楽曲も
必要である。
語る歌い方は、抑えた表現であり美徳とも取れるが
彼女のように、多用しすぎると単に歌として
つまらなくなるだけである。 ひばり過大評価
かつ
ちあき過小評価
などと言う意見が、散見出来るが
こういう人達は、ちあきの声が好きで
ひばりの声が嫌いなのだろう。
当方のように、ちあきの声が嫌いな人も
割合に多いのではないだろうか?当方に言わせれば
ちあき、ひばりは過大評価である。歌唱芸として
良いのはわかるが、声が受け付けない。 藤圭子の場合、歌いっぷり良し、
感情表現も上手いが、声がイマイチ中途半端。
ハスキーかと思えば、部分的であり
美声かと言われれば、違う。
言っちゃ悪いが、所詮青江三奈の亜流である。
また
藤さんのリズム感はあくまでも譜面通りに歌うこと
である。
聴く人が聴けば
青江の声と拳回しのほうが
充実感とか深みを感じられるはずだけれど、、、。 あの日に発覚したマンションで同居の男性は
天皇に産まされた子だという
それでその重要参考人であるはずの男性に関する情報が全く出てこない理由が分かった ちあきなおみとか藤圭子みたいな、
ネクラ歌手好きなネクラが多い。ネクラども笑笑
青江三奈には、優雅な味わいが
あるし暗い歌でも、悲惨にならないセンス。 久しぶりに見たが、あいかわらず青江三奈命のお人が居ついているんだ。
しかし、藤圭子の板で青江三奈の話というのも悲しいね。 悲しいついでに、テレサテンは喘息の発作で死んだが
その前に、中国民主化運動に身を投じた、そのストレスが発作の原因になったらしい
やはり藤圭子もストレスが引き金になって身を投じたのだろうな 藤圭子ほど頂点を極めた歌手はいない(自身の記録、娘の記録)
その頂きから眺めた景色は、すでに生死を超越した心境を呼び起こしたに違いない
その頂上から降りることは考えられなかった もてる男は女を捨てる、なぜなら女の醜さを知っているから
もてる男は女の性欲の対象となる
女の性欲ほど醜いものはない(フィヒテ)
もてる男にはそういう女が群がるから女への不信感が出来上がる
女の方は自分のそういう性欲を愛と勘違いする
捨てられた女は女の命である自分の貞操を捨てたことに
男への不信感をつのらせ
それが幾たびも重なると男への完全な不信感が出来上がる
そういう世界が藤圭子の世界 藤圭子さんを、ものまね出来ない事を再認識した。なぜ無理して真似ようとするのか不思議に思う。 かつては京都〜博多各停ひかりまであったのが今や岡山止まり
その岡山止まりもいつかは新大阪止まりに短縮されるのだろうか
【山陽新幹線直通】京都以西各駅停車ひかり消滅の日は来るのか
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1678987262/ 今時はそんなのもねえのだろうけど昔は
家族事務所ってさ親が口出しとかしてきたりあるらしいが
その点藤圭子さんはエラかったらしいってどっかで聞いたがよ
すべてお任せしますとプロに一任
これが大正解だったようだな
あのイントロはすげー!よね
もちろんあの曲で行こうとなる
当時テレビも何も見れなかったが
あのイントロがかかっちゃうと
やっぱ曲へ引っ張り込む力の強さに驚いちゃうよね
たぶんイントロのところはお静かにして
曲流してくださいとか頼んでそうって思うな
そういうプロの計算とかやっぱあったのかな?
プレミアム感とかやっぱ半端ねえよね
全国のお茶の間聞き入り静まりかえる!って 感じありそう
すべてプロに任せればよいという
藤圭子さんのファインプレーが光ったって聞いたわ 藤圭子の歌唱、青江三奈の歌唱をやたら比較する方がいたの私もでちょっとここで
細かくやってみたいと思うんだけど。曲はみんなが知ってる「柳ヶ瀬ブルース」
以下にYouTubeでの両者の歌唱をUPするのでYouTube聴ける人は簡単に
聴き比べられる。PCある人ならどこの個所でも簡単に出せるでしょう。
柳ヶ瀬ブルース / 青江三奈
https://www.youtube.com/watch?v=AqQNndo619E
藤圭子 柳ヶ瀬ブルース
https://www.youtube.com/watch?v=7JVrOWKrFqc
たとえば2番を出すとしますと。2番は
「二度と逢えない人なのに/なぜか心がまた痛む/忘れたいのにあの夢を/思い出させる
この酒が/ああ柳ケ瀬の夜に泣いている」です。
「忘〜れ〜たあいいのにーああの夢を」をピックアップすると。青江さんの動画で
1:30あたりから
「わすうれ〜たいい(ん)のに〜」と途中「ん」を小さく挿入して
一瞬ためて歌うのがわかります。
藤さんの動画では同じく1:30あたりから同じ個所が始まる。わかるのは
青江さんの歌唱と違って「わすうれ〜たあいいのにぃ」と青江さんのような
「ん」のためを入れない。むしろ一切ためずに「たあいいのにぃ」としている。
私は藤さんのような、ためずに、スラーで噴出させる方があの個所の気持ち
すなわち
「忘れたいのに(忘れられない)」
という気持ちがよく出てると思います。 むしろあそこで小さく「ん」を入れることでどっかわざとらしいことになってる
んではと思います。ああいう悲恋の世界でそれを感じさせてはならない。それを
青江さんはやっちゃってる。
その次の行。2:02「おおーもおい、ださせええるーこおのさあけええがあ」では。
青江さんは割合すんなり「おおおもおいい、ださせええるー」とやっている。
対して藤さんは「おおおもおいい」では「おおおもお(〜)い」でまずコブシを
まわす。つづく「ださせええるう」では「だ(っ)させええるぅ」と
タメを作ってる。しかも「だ(っ)させええるぅ」では「っ」でタメを入れながら
ダメ押しのように感情をこめる。しかもよく聴くと、ほとんど
「だ、さ、せええるぅ」
と区切りながら歌っている。その区切り歌唱によって、より感情がこもってくる。
実に微細なところをはずさない。これしかない、
という線・点でおさえている。でなければ歌は伝わらないと知ってたからでしょう。 つづく「こおのさああけえがー」も同じです。
青江さんは2:07「こおのさああけえがー」と割合直線的にこなしてる。
対して藤さんは同じ個所で「こおのさああけ(〜)があ」とまたもコブシを
挿入。「こおの」ではほとんど息を吹き込むように、未練を吹き込んでいる。
「さああけえ(〜)があ」でダメ押しのようなコブシをまわす。
サビである「ああ柳ケ瀬の夜に泣いている」はどうか。
青江さんは「ああああ柳ケ瀬の」を涙声のように震わせながら歌う。
「夜に泣いている」
は「よるうに」でスラーさせ、音量上げ、「(ん)ない(〜)てえいるぅー」では
冒頭で小さく「ん」を挿入。また「ない(〜)て」で小さくコブシを回して。
「いるぅー」ではここで決めるとばかりに上へスラーさせる。
ここがキメの個所だと悟っていたのでしょうさすがに工夫しています。
藤さんは青江さんのように震わせないが続く「夜に泣いている」で全開で
「よるうーに(〜)、ない(〜)てえいーるう」と途中コブシを多用。
青江さんはさすが女性の気持ちをこめるのが上手い。サビで涙声を使うのはさすが。
藤さんもあのドスを効かせてキメている。
サビの部分は両者の作法の個性の差異が大きく出ているキメ方になっている。
しかし私は藤さんが劣っているとは全く思えないですね。理由はここまでに
さんざん書いたと思いますが。このころは天才だと思います。
青江さんが秀才だとすると藤さんは天才だと思います。 もう次スレは
【魅惑の】青江三奈・藤圭子【ハスキーボイス】
でいいだろ、もう 藤圭子のカスバの女は確かに別格。
わざわざ、キーを半音下で歌唱しているのも計算だろうけど
良いよね。手術前は確かに神声だったな
手術せずにイベルで治しておけば
スーパースターになっていたと思う