太田裕美その2
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公式サイト www.sonymusic.co.jp/hiromiohta/ ブログ 太田裕美オフィシャルブログ「水彩画の日々」Powered by Ameba ameblo.jp/hiromi-ohta /前スレ 太田裕美 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1487599608/l50 シングルで歌謡曲的でないのはテクノ期を除けば弾き語り路線かな。 しあわせ未満は歌謡曲チックなのかよく分からない不思議な歌。でも名曲。 デビュー45周年の歌手を今さらファンが型にはめてムキになるなってのwwwwww 個々に好き嫌いや捉え方に差違があるのはしょうがねぇだろうよwwwwwww だってアイドルとして売り出された歌手がフォークやらニューミュージックやらバラードやらポップスやら多様なジャンルを歌ったんだぜwww 旦那さん、渡辺音楽出版入社・新入社員研修でキャンディーズのファイナルコンサートへ。 その前年の9月に九月の雨リリースだから、裕美さんは雲の上の人だったんだろうなぁ。 でもまだこの時旦那さんはキャンディーズのランちゃんファン。 ニューミュージックも歌謡曲並みによく分からないジャンルだけどな 自作自演ならすべてニューミュージックと言ったわけで 音楽的傾向を表す言葉じゃないしな 全員集合なり夜ヒットなり、指揮者が居る大所帯のバンドに乗って歌われた歌謡曲。 フォーク・ニューミュージックはコンサートでのシンプルな生ギターや 小編成によるバンドサウンド。 そういう、音楽活動の場・サウンドの違いがあったと思う。レコード音源でも フォーク・ニューミュージック系はあまり管弦その他ガチャガチャ 入って無かったんじゃないの?そんなイメージ。 夜ヒットとか、番組のバンドを休ませて、自前バンドで歌唱とかNM系に多かったな。 裕美さんだって、コズミックララバイやサウスウインドと共に出演の回があった。 >>374 そうなると太田裕美はすべて歌謡曲ってことになるよ 「まだニューミュージックという言葉が出る前で、デビューした時に、ちょうど フォークと歌謡曲の中間みたいな音楽の世界を作ろうと試行錯誤して 歌って来た感じです。」(歌い継ぎたい昭和音楽祭、太田裕美 談) 確かにサウンド傾向みたいなことも総論としてはあるが じゃあはしだのりひこの「花嫁」やバンバンの「いちご白書」や イルカの「なごり雪」や上條恒彦&六文銭「出発の歌」なんかは どうなんだよ、って話になっちまうからな これらの曲は豪勢にストリングスやらホーンが入っていたはずだ 小坂明子の「あなた」とかふきのとう「白い冬」とかもそうだよな ニューミュージックというジャンルが定着していく過程は、歌謡界との交流・融合でも あったんじゃないの? 当初、筒美京平さんをして「新しかった」と言わしめたニューミュージックだけど、 歌謡界に取り込まれて新鮮さも続かないし、境界線も曖昧になっていったというかな。 ニューミュージックという言葉がない頃いち早く歌謡曲側から アプローチして橋渡しの役割を担ったのが裕美さんだったという話も見聞きした。 TVに出ない歌手=ニューミュージック 裕美がナベプロにいた以上、ニューミュージックではありえないんだよ >>381 そんなこと言ったらニューミュージックとして認識されている庄野真代や渡辺真知子はどうすんのよ 音楽番組ではよく見た顔だぜ あと、その当時の関係者が後年になって話している内容は、音楽のみならず様々な分野でもアテにならないことが多々あるから注意な ここら辺は当時の週刊誌やら音楽雑誌を含めて検証する必要があるかもしれない 当時か後年、どっちが本当かは分からんけどね。 裕美さんもシベリア鉄道について当時のコンサートでは「気に入ったから、ワガママ言ってもらった」とか言ってたのを聞いた覚えがある。 庄野真代に渡辺真知子、現在「青春ポップスコンサート」での裕美さんの相棒だね。 それに、渡辺プロだから、NMじゃないっていうのもね。 裕美さんのデビュー当時、社内の土壌からは似たタイプのタレントしか 生まれないと感じていた裕美スタッフは、ユイ音楽工房との繋がりから 裕美さんをペニーレインに伴ったり、フォーク・イベントへ前座で送り込んだり してた訳だよ。で、裕美さんが売れた後に「若者のNM志向を高める目的」で 渡辺プロ内に「ノンストッププロジェクト」を立ち上げたりしてるんだよな。 裕美さんを筆頭に大塚博堂、山下久美子他、所属アーティスト数名が居たはず。 「私の歌はフォークでもポップスでもロックでも歌謡曲でもないんです。ユーミン(荒井由実)のようなニューミュージックともいえないんです。 色分けすること自体が無理ですし、私は、誰にもない私なりのニューサウンズをめざしているんです」 アサヒグラフ S51.05.21 プロデビューした頃の拓郎みたいなこと言っていたんだね ホントだね。アサヒグラフのその発言は知らなかった。嬉しい。裕美さんブラボー! 記憶が殆ど薄れちゃってるんだけど、大昔レコード店内で裕美さんを囲んでいて、 司会者が「何か裕美さんに質問は?」って言うんだけど、反応無しで気まずくて、 裕美さんの音楽ジャンルについて質問した事がある。歌謡曲なのか?フォーク・NM なのか?家の近所のレコード店では歌謡曲の場所に置いてあるけど…みたいな 聞き方だったと思うけど、裕美さんから「フォーク・NMの所に置いてあるお店もあります。」 という、短い受け応えしか貰えなくて残念だった事がある。 「木綿」でブレイクした頃すでに、そういう意識を持たれていたんだね。 昭和49年のデビュー当時、芸能雑誌(明星、平凡、プレイボーイ、TVガイドなど)に掲載された紹介された記事に共通しているのは「ピアノの弾き語り」という部分 曲のジャンルは一切書かれていないが、それ以前から山本コウタローとコンサートをおこなっていたから、やっぱりスタッフはフォーク系統を意識していた? 昭和51年のナベプロ宣伝部による広報資料には、次の一節にある。 「渡辺プロダクションの新しい旗手として、ニュー・ミュージック・ポップス・演歌とかといったジャンルにとらわれず、新しいスタイルの音楽を形づくり、ニュー・ムーブメントを起しつつあります 又、コンサートを中心に独自の活動を行っており、最近では鑑賞団体、フォーク・コンサート、キャンパス・コンサートからの需要が高まっており、ピアノ、ギターの弾き語りを主体としたオリジナリティあふれるユニークな構成と内容が好評を博しております」 前述の資料によると好きな歌手は、 エルトン・ジョン、ロバータ・フラック、リンジー・ディ・ポール、ミニー・リパートン、エリック・カルメン、ジャニス・イアン、井上陽水、森山良子 今日CSで、去年行われた「杉田二郎50周年コンサート」を放送していた。 出演アーティストが皆、二郎さんの曲を歌い繋いでいく構成。 裕美さんは真っ白な衣装で「八ヶ岳」を歌われていた。裕美さんのピアノと 岩井さんのギター。 いやあ、凄く良かった。裕美さんの歌とピアノと白の衣装、最高の取り合わせだ。 二郎さんの50周年コンサート、裕美さんにとって「なごみーず」の相棒、 伊勢正三と大野真澄、「青春ポップス〜」で一緒の、庄野真代と渡辺真知子、 イベント「君と歩いた青春」の仲間であり、「もののけクローバーZ」として組んでいる イルカと尾崎亜美全員集合。 他にも森山良子、きたやまおさむ、堀内孝雄らが出演。他には、こういう大勢参加の イベントだけではなく、ジョイントコンサート等でも裕美さんと組んだ人達が。 主役の杉田二郎を始め、因幡晃、鈴木康博、永井龍雲、ビリー・バンバン、 細坪基佳、三浦和人。話に出ていた山本コウタローも参加していた。 VTR出演だった、ばんばひろふみも裕美さんとジョイントコンサートしている。 >>390 それまにうけると歌謡曲でもフォークでもニューミュージックでもないなw ナベプロ&ソニー側に明確な戦略としてあったわけよ ニューミュージックと歌謡曲の中道路線を狙う、ってのが。 自覚的に、戦略としてあったわけ 小坂明子の大成功を見て、いわばニッチを狙ったわけだあ やまがたすみこみたいなのはあったけどね シンガーソングライターなんだけどアイドル性もみたいなん 「フォークみたいな貧乏くさくなくて、しかも歌謡曲みたいな作りごとでもない、 なんかその中間がシェアとして、凄く巨大なシェアが、まだ誰も目を付けて ないんじゃないかと思って…」<松本隆> 「シンガーソングライター風な作りだったんですよね。実験的、初めから あれは、ヤラセって云えばヤラセ。こういう弾き語りのようなものを違う所 (歌謡曲側との意味か?)で作ろうという…。」<筒美京平> (BSフジHIT SONG MAKERS〜栄光のJ-POP伝説〜筒美京平)より <筒美>「ポップス系に振れていった。音楽自体が。もうちょっと僕が出て来た、 例えばグループサウンズにしても、作っているものは凄い歌謡チックなものが 多かった。」 <松本>「『木綿』辺りからポップにしていった。」 <筒美>「そうね。」 <松本>「結果的に、だから元祖Jポップなんだと思う。」 <筒美>「ああ、そうかもね。」 (NHK 希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平―歌謡曲とニューミュージックの融合 筒美京平×松本隆のコーナー)より もともとナベプロは太田裕美をシンガーソングライターとして 売り出すつもりだったんだよ >>398 その路線は本田路津子も少しだけ入るかな もっと後に水越けいこや石川優子 >>399 フォーク=貧乏臭い、は短絡的じゃないかい松本センセ そりゃ泥臭いジャンルだけどさ そもそも"日本のフォークソング"に絶大な影響を与えたPPMが 作られたグループだったりするからな 金髪の女子を入れたらウケるはずって狙いでマリーを入れたらしい つまりアイドル性ねらいで入れたわけ >>401 そうなんだよね。 ところが、白川Dが先輩の酒井さんの言葉で翻意してしまったんだよな。 「白川、デビュー作が上手く行かないと殆どアウトだからって言われて、 結構プレッシャーだった。一作目が売れなくて全然駄目だとディレクターとして 上手く行かないよと。」 でも、裕美さんのシンガーソングライターとしての部分を全く引っ込めた 訳でも無くて、アルバムやシングルのB面に裕美さんの自作の曲が取り入れられた。 ザ・リリーズのシングル&アルバムにも書いていた。 白川DはナベプロじゃなくてCBSソニーな ナベプロとしては初めは売れたらラッキーみたいな感覚だったんじゃないか、年齢的にも遅いソロデビューだったし、中村有子とセットで売り出す感じだし 歌謡界初と言われる、1stアルバム『まごころ』以来のコンセプトアルバムの 発表、作品内容、フォーク系コンサート活動、ピアノの弾き語り等と共に、 この作詞作曲も行うという事も歌謡界出身の裕美さんがフォーク色 ニューミュージック色を身に纏う上での強い武器だったと思う。 数年前、週刊誌での酒井さん、伊勢さん、裕美さんの三者対談を読んだ。 裕美さんのシンガーソングライターとしてのデビュー計画に待ったを かけた形になった事を酒井さんが軽い感じで「申し訳無かった」みたいな…。 裕美さんも「いえいえ、とんでもない」みたいな感じだったかな。 「フォークは商売になると参入して来た便乗派」として裕美さんの名前が 挙がったのをテレビで観たこともある。 フォーク番組で、なぎらさんが、ホワイトボードに相関図を書きながら フォーク界の歴史を解説していた中での事だった。 かまやつさんやあおいさんの名前と一緒に。 >>409 なぎらはイデオロギーが先行する排他主義者だから話半分で聞いといた ほうがいい 残念ながらほとんどの人は「なぎらさんは詳しいステキ」みたいな 受け取りかただがな なぎらみたいな奴こそ便乗だからな お前だって生まれたときからフォーク歌ってたのかっ て話だから キャンディーズの選に漏れてアイドルを残しながらも方向を変えたんじゃないの >>412 でも、そのマスコットガール・オーディションだっけ?その時って 裕美さん、まだヤング101にも入ってない頃でしょ?方向変えるも何も…。 裕美さんデビューに際して、小坂明子や高木麻早のイメージがあった様だけど、 101時代に裕美さんの歌われた「あなた」が収録されているよね。 あと、裕美さんとやまがたすみこって上野学園の先輩後輩じゃなかった? 色々と繋がってるね。 長年感じてたんだけど、N〇Kの〇さな旅のテーマがかかるたびに 「あっ」て思っちゃうんだよね、サビ終わりが岸辺に酷似してて だから何だって話なんだけど タイミングさえ合えば、恋の予感はシングルで出してもヒットしてたと思いますよ。 タイミングが合わなければ君と歩いた青春ですらダメなんだけど。 いや、俺は>>415 さんの言われた事、俺なりの共感はあるな。 『12ページの詩集』で良く聴いたツートップがその2曲だし、共に名曲だと思う。 実際、当時「恋の予感」のシングル化を願っていた。でも、あの時裕美さん&スタッフは 更に上を目指して「恋愛遊戯」&『こけてぃっしゅ』をリリースしてきた。 「良い曲が書けた」と裕美さんが悦んでいたという話をずっと後になって知ったけど、 タイミングの話で連想したのはこういった事。渡米直前の時期に発売された シングル「君と歩いた青春」のタイミングは言わずもがな。イイ曲を書いている 裕美さんだけど、シングルヒットのタイミングが無くて残念だという気持ち。 「しあわせ未満」ではなく、「最後の一葉」に続いて「恋の予感」の可能性は 無かったのか? それも、シングルで同じタイプの曲を続けず二匹目のどじょうという考えは 捨てていたとスタッフ話に在った気がするので、やっぱり「恋の予感」の シングルは無かったな。残念ながら。 >>417 恋の予感は地味な気がしてシングル候補って感じはしなかったけど、あのアルバムのラストにはピタッとはまってた気がする。 デビュー前はエメロンシャンプーなどのCMソングも歌っていたようだがね >>410 なぎらは岡林や高田渡といったアングラ系の信奉者で、これこそ真のフォークと叫ぶ そして彼らと対照的だった拓郎に対する恨み節をまき散らした陰湿さ ぎんざNOWやヤンタンに出演していたから、75年春頃はマルチタレントみたいに書かれた記事もある 平凡や明星といった月刊誌のカラーグラビアには滅多に登場しなかった(水着もなし)から、アイドルとは一線を引いていたのは間違いない? 背中合わせのランデブーは裕美さんの声の調子が悪かったのを指しい引いても、聴いてて良いアルバムだと思うんですよ。A面はあのかすれた声が妙にあってる。 一人ぼっちの海はやはり絶好調ボイスで聴いてみたかった。 景色が思い浮かんで来るんだよね。 一人ぼっちの海と恋の予感は小坂明子のあなたに遜色ない出来の良曲だと思います。 ただあそこまで売れるとも思えんけど。 俺的には裕美さんの2曲の方が遙かに好きだけどね。 >>422 その2曲は自作ということを差し引いても「太田裕美っぽい」曲って感じがする……松本筒美の作る世界観とは全く違うから殊更 今の裕美さんが作る曲に近いイメージがある、と勝手に思う やっぱり「しあわせ未満」や「12ページの詩集」あたりの調子で聴いてみたいねえ 「木綿のハンカチーフ」「赤いハイヒール」の連続大ヒット、続く「最後の一葉」〜 「九月の雨」まで、売上げ30万枚以上、オリコン順位ベスト10以内(恋愛遊戯を除いて)の 絶好調時、 次々とタイプの違うシングル曲だったね。弾き語りに戻した「最後の一葉」、 フォークタッチの「しあわせ未満」、ぐっと洗練されたボサノバ・ポップス「恋愛遊戯」、 “歌謡曲になっちゃった”「九月の雨」。 ブレイク中に出た「最後の一葉」に続けて、もし「恋の予感」のシングルカットが あったら、当時の俺は大歓迎だった。「雨だれ」「たんぽぽ」「夕焼け」大好きな 俺としては。 「恋の予感」は自作の弾き語り曲だから、「最後の一葉」との連続で弾き語り路線の 再アピール+ソングライターイメージも加えられる。 可愛いルックスによるアイドルとしての人気は放って置いたって付いてた時期、 ピアノを弾くミュージシャン、作詞作曲をするアーティストとしての印象付けを もっともっとして欲しいと思っていた。 勿論、「しあわせ未満」も「恋愛遊戯」も「九月の雨」も大好きだったけどね。 >>429 それほど、意外ではない。これってティーンがテレビや雑誌で見ている 好きなアイドルへの投票って感じだけど、裕美さんが“元祖学園祭の女王”と 呼ばれて来たのも事実。 明星の読者層と裕美さんの主な支持層の違いが大きいと思うけどな。 あと、裕美さんの場合、中間路線による露出の度合いの問題もあると思う。 身体一つで双方を掛け持ちしていたら、どうしたってテレビや雑誌への 露出の頻度が落ちる。明星も見るけど、フォーク系にも関心が強いというような ティーンは多くは居なかっただろうなと。 この所のレスに多かった、裕美さんの音楽ジャンルや活動を語る時に、 フォーク・ニューミュージック系の話は避けて通れないし、無視出来るものでは無い。 話に出ていた顔ぶれを見ても判る。明星の人気投票は、明らかにカテゴリー的に 「アイドル歌手」のメンツが多いし、歌謡界の範疇での話だよな。 >>431 今考えると「学園祭の女王」と言うフレーズはあの頃のアイドル系歌手には殆ど当てはまるんじゃないか、確かアグネス・チャン、麻丘めぐみ、林寛子、岩崎宏美、岡田奈々も凄かったハズ 太田裕美はそちらを重視していたから回る大学数も多かった 月刊の平凡・明星は一応フォークやニューミュージックの特集ページが毎月あったねえ ただ週刊の方でも裕美さんは取り上げられる機会が少なかった 太田裕美って 1978年ぐらいですでにバリバリのアイドル感は無かったよ 例えば俺ぐらいの年齢で好きな歌手で太田裕美てか言う奴は皆無。 1979年の段階で同級生のヤツが好きな歌手は岩崎宏美ってヤツがいて その時の俺の内なる感想をいまだに覚えているが 「こいつシブいこと言うな。でもちょっと嬉しい」と思ったものだ。 ちょっと嬉しいというのはアイドルアイドルしてる歌手じゃなくて 岩崎宏美みたいな本格派を挙げたことへの嬉しさ。 で太田裕美の位置だが岩崎宏美のこういうポジションに近い。 岩崎宏美だってアイドル歌手とされていたわけで。ただ まだ岩崎宏美よりは太田裕美のほうが"アイドル性"はあったろうが 1979年の段階で小学生が好きな歌手は岩崎宏美、と言うことの「ちょっとシブイ」感じ すでに1979年で岩崎宏美ってそういう存在だったというリアルタイムでの 実感の記憶の話。 つまりさらに岩崎宏美よりデビューが早かった太田裕美は岩崎宏美より 可愛かったけど ちょいシブイ感じをすでにまとっていた >>434 太田裕美は20前後が主な支持層だったが、当時は好きな歌手として名前を出すのが恥ずかしかった人はそこそこいる 1978年で小学生だったなら「シブい」と思われても仕方ないかな、でも「年上のお姉さん的雰囲気」に惹かれた、というマセた元小学生を知っているw シブい、というのは世間一般の同級生的な相場感を観察しての話な 俺は太田裕美、岩崎宏美は好きだったよ だから「嬉しかった」と思ったわけで たぶん50手前じゃね? ちなみに自分は50ちょっと過ぎ。 裕美さんをテレビでチェックするようになったのはドールあたりから。 家にレコードプレーヤーが無かったので、ラジカセでテープで聴いてた。 アルバムは「海が泣いている」〜「想い出を置く君を置く」まで持ってたが、その後は聴かなくなった。 一応リアルタイムファンぽいが、全盛期の裕美さんはよく知らなかったわけ。小中学生だったので勿論コンサートになんて行った事なかった。テクノ期なんてまるで知らなかった。 リバイバルでファンに戻ったのは、リーマンショックの頃。つべを検索してたら、昔一度だけラジオで聴いた事があった「君と歩いた青春」があって、繰り返し何度も何度も見た。 丁度その頃、「オールソングス・コレクション」が出たので、購入して一通り聴いた。 毎日聴くようになって中毒になったのは数年前にflacにリッピングしてから。 今年はパイオニアのブルーレイプレーヤーを中古で手に入れて、ステサンSACDをdsfにリッピングしてヘビロテほぼ毎日。 リアルタイムでファンだった年代はこち亀の秋本治氏とか裕美さんと同い年かやや上あたりでしょ。 福岡さんは裕美さんと同い年だったかな。でも元々はキャンディーズのランちゃんファンだったそうで。裕美さんの担当ディレクターになったときも裕美さんの曲をあまり聴いたことなかったらしい。 しあわせ未満は清貧の思想だよね 清貧の美学 デフレ時代の今こそ似合う歌だ 男が甲斐性無しでビンボーなだけかと。 裕美さんの優しい歌声で二人のハッピーエンドが予感させられてしまうけど、 結末は比較的リアルなとこで煉瓦荘あたりかと。 ビンボーすぎてピッツァハウス22時にもならない。 リボンだったら目も当てられない。 女の子の頭の中がスワンのうちが花 最高のハッピーエンドでもドールだな。 やっぱ陰鬱な曲に行き着いてしまうのね…… そんな時は「失恋魔術師」か 「しあわせ未満」のダメ男は嫌い 別れたあと、男は社会人を立派に勤めてしあわせな家庭を持つんだけどな、 元カノがこっそり覗いてSummer and Samba よりを戻して不倫関係で冬の蜂 お前ら全然わかってねえな 貧しいから駄目とかそんな視点しかないのか まつもとにああいう歌詞を書かせた時代性とか そういうところに考えがいくだろ普通 80年代には絶対あんな歌詞はまつもとでも書かないわけで 12月は大阪の歌舞伎座 庄野真代との共演 観に行くよ 大阪だと毎年10月に君と歩いた青春コンサートやってるけど メンツが同じなので さっきNHKでシベリア鉄道流れたけどいいわ 裕美ちゃんの伸びやかな甘い歌声が 下半身を刺激するわ >>433 “元祖学園祭の女王”と呼ばれた裕美さんには、あなた自身も言われた様に、 そう呼ばれるだけの実績があった訳で、他に挙げられた顔ぶれを裕美さんと 同様だとするのは強引過ぎるよ。 それに、>>431 で言わんとするのは、その事では無くて、学園祭云々以下の文だしね。 あと、裕美さんが平凡・明星等に登場機会が少ないのは、>>421 さんが言われた、 アイドルと一線を引いていたというより、(たとえ気持ちの上で好きで無かったとしても) 両サイド掛け持ちによる手一杯が本当の所ではないかと思っている。 「学園祭が最盛期の頃だったから、学園祭に出さなくちゃいけない。かといってあの時代、 学園祭はニューミュージックのプロダクションがみんな握っていたから、 そこへ食い込まなくてはいけないというんで、ペニーレインでユイの社長の 後藤(由多加)と話しているうち意気投合して、協力してくれると言うので。 それで、山本コウタローとウイークエンドとか、ユーミンのコンサートの前座に スケジュール、バァーっと組んでもらった。 (太田裕美ヒストリー より抜粋) 《テレビ中心だったアイドル歌手、だが太田はフォーク・グループと一緒に 学園祭やライブ活動に力を入れた。》 (NHK名盤ドキュメント、番組ナレーション) 「アイドル系や歌謡曲のテレビ番組に出てると、『裕美ちゃんってフォークの 人たちと一緒にコンサートやってるんでしょ?』とか言われたり、 フォークの人も、『裕美ちゃんはテレビにも出てるんだね』って。 両サイド的にも不思議なタイプの人が出て来たと思われていたかも知れない。」 (太田裕美、同番組より) 裕美さんがデビューされた頃、歌謡曲のアイドルは、テレビやラジオに出て、 雑誌の取材を受け、レコードはシングル中心で、アルバムはシングルにならない曲や カバー曲等の寄せ集め。 フォーク系は、テレビには出ずにラジオの深夜放送でPR活動。アルバムに力を入れて コンサートで披露する、といった好対照な世界。 そんな中で裕美さんは、「両方の良いとこ取りというか、二人分の歌手活動だった。」と。 アイドル歌手のように、テレビやラジオに出演し、雑誌にも登場する。 そして、フォーク歌手のようにコンセプトアルバムを発表し、NMスタイルの コンサートツアーを行なっていた裕美さん。(年間約130本、実に3日に1回の割合) この後半部分を知らずに、「太田裕美って、テレビや雑誌でそんなには見なかった」 と感じる人は、太田裕美という歌手の半面しか捉えていない。 同時期のアイドル歌手がしていなかったコンサートツアーを行なっていた裕美さん。 当時、シングルレコードの歌詞カードには、ツアー日程が載っていた事も。 そんな裕美さんなれば、テレビや雑誌で観る機会も他のアイドル歌手に比べて、 多くはなかったし、又シングル曲のリリース間隔も少し長かった。 他の売れているアイドルの多くが3か月に1枚ペースだったのに対して、 裕美さんは4か月に1枚だった。(これが精一杯だったか、あえて少し長くしたか?) 白川Dの方針で、彼が主導した間はライブ盤が出る事は無くて残念だった。 だから、同時期のアイドルが出していたライブ盤を眼にすると羨ましかったな。 裕美さんのように数多くのコンサートをしていた訳では無いし、 そのスタイルも違うけど。ホールでやる歌謡曲の歌番組のイメージ。 司会者が居て、曲間にトーク。「それでは次の歌に参りましょう」というような。 オーケストラをバックに歌う歌謡曲的なスタイル。「○○ちゃん祭り」とか 「誰それリサイタル」みたいな…。そういう自分好みでないものでも、 ライブ盤のレコード・ジャケットを見ると正直、いいよなあと思っていた。 フェイスブックで入っているコミュニティに本名で太田裕美の人がいて、名前を目にするたびに心がざわつく 裕美さんが全盛期の頃、自分みたいに小中学生だったのはコンサートなんか見に行ってないんですよ。 First Quater やツベにアップされたのからかろうじでコンサートが伺い知れる程度。 それでも、初ソロコンサートの「はじめに愛があった」や、イルカとデュエットの「ミモザの下で」 、デビュー二年目か三年目にコンサートで歌った「ひとりごと」なんかを聴くと、とても良いわけ。 アルバム世界とはまた違った裕美さんの声なわけ。カバー曲とかもいろいろ聞いてみたいわけ。 「一人ぼっちの海」とか好調な歌声で聞けるかもしれないわけ。 だ か ら、 ライブアルバムBOX「まごころコンサート Part1~10 豪華ブックレット付」 出してください。 同時にハイレゾ配信販売でDSD128かDSD256もお願いします。 >>467 んなこと言わないでよん チミだって欲しいでしょ? 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