太田裕美その2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
改めてテクノ時代の記事を見ると、活動休止前の音楽を否定している
「常々スタッフの顔色を気にしていた」とか「気分が乗らなかったらレコーディングを止めていたが今は全くない」とか……
これじゃあファンが離れてしまったわけだ
裕美サン自身がテクノ時代について余り触れないからわからないが、実際に満足していたのだろうか? >>211
少なくともテクノ時代は満足してたんじゃないの。 >>214
話していましたか…一昨日のは行っていない、というか6年くらいご無沙汰なので
触れようとしない時代だと勝手に思い込んでいました
こちらとしては、テクノ時代に直撃したとき、好きな男にレ○プされた女の気持ちはこういうものなんだ、と誰かの言葉を例に考えてしまいました
結婚後も琴のフル演奏をバックに歌っていたりもして色々ブッ飛んだ人なんだと思っています >>217
俺は当時レコードを聴いてはじめは変貌ぶりに驚いたけど、どのジャンルでも個性を発揮できるポテンシャルの高さに感心した。
山元みき子(銀色夏生)の詞の世界ともマッチしてたと思う。 >>217
京都終るまでは内容を書くのは控えておきますが
ご本人の思いが伝わってきました 京都行って来たけど、暑さのせいかお客さんがおとなしめに感じたな もともとビートルズが好きでタイガースが好きで芸能界に入ったひとなので
クラッシクは習い事の延長程度だったのではないかなと思っているよ
それをいうと天地真理もそうだけど国立付属高校音楽科。それでも彼女はフォーク志向
だった。
60年代の女の子はみなピアノやってたから猫も杓子もピアノを買って長屋でも
団地でもスタンドピアノがあってと言う時代
NY遊学前でもリーリトナーが好きだとか洋楽志向はあったから
なにか煮詰まってたのは事実だと思う
80年4月25日の夜ヒット 裕美さんの出演 新人の聖子がでてきてソニーの歌姫のバトンタッチみたいな感じ
だった。 >>220
恵比寿のほうもイマイチおとなしめだった
けっこう客席から声は掛かってたけど
京都は一応ラストアンコール曲のときはスタンディングしてたから
最後あいさつして舞台に引っ込むときに
PAに蹴つまづいてコケかけた裕美さんw 京都は「今日は白川さんと大瀧さんの誕生日です」のMCが効いたんだと思う >>222
デビュー当時(49年)のナベプロ広報誌によると、好きな歌手or目標とする歌手は雪村いづみと井上陽水になっているね。
先輩・天地真理がコンサートでアコギやピアノを弾き始めてフォーク系にシフトチェンジを始めた頃に太田裕美がデビューするのは何とも皮肉。
確かにNYに行く前はいわゆる「オトナの歌手」にイメージチェンジしようとして煮詰まってしまったけど、テクノ期は「フラれて泣いてる女の子はもうイヤ」なんて本人は言っていた。でも渡米直前の落ちついた雰囲気の曲が個人的には一番好き。
洋楽に凝っていたのは間違いなく、例としてエルトン・ジョン、スティックス、フォリナー、TOTOといったロック系やリトナーやアール・クルーといったジャズ系を好んでいた。 客席の大人しさは基本的にあまり変わってない印象。少し前の書き込みでも、
それでイイ、上品に聴きたい、スタンディング歓迎しない等の意見が挙がってた。
でも、客席からの大声や、「ひぐらし」の時、数人で立ち上がる姿も見た。
裕美さんの元気に呼応するような熱い人だってそれゃ居るよね。少しは。初参加の人も
少しづつ増えてるのかな?嬉しいじゃないか。 3年前の現時点で最後の呉竹は滅茶苦茶盛り上がっていたぞ。 >>228
んなこたぁない。
俺は今じゃかなり好きだけどね。 テクノについては、昔はダメだったけど
今はスキというファンはよく見るなあ
ちなみに俺はやっぱりダメ(笑
結婚・出産を経て、活動再開した後の
曲がスキ 「私はフォークシンガーでした」
じゃあテクノは何だよ! って話 すれちがいも幸せ未満も恋のハーフムーンもロンリーピーポー4もパパとあなたの影法師も好きですが。 ソロコンサートの回数が減ってるのがちょっと悲しい・・・
しかも今年は1週間に東京京都2回でセットリストもほぼ同じだったし >>232
悪気はないのだが思わずツッコんでしまいたくなるよなww
>>236
ノドも消耗品だからなぁ...
そのうち自分の声に納得いかず歌わなくなる曲も出てくるかもしれない
でもソロ以外ではコンスタントに仕事をこなしているし、
まだまだ歌手活動を続けていくんじゃない? ファン歴7、8年の40代後半男です。昨年の渋谷、今回の恵比寿を観に行きました。
太田裕美を聴くきっかけになったのはCS放送の「ドリフ大爆笑」で唄った「恋愛遊戯」で、そこからYouTube、25周年、35周年記念盤、ソロコンサートまで行き着きました。
初めて太田裕美を知ったのは83年前後、歌番組の過去映像で見た「ドール」で当時は歌詞がダサいという印象でした。エアチェック系の雑誌のインタビューの記憶では、刈り上げ頭の今で言うイタい女性ぐらいでしかなかったです。
好きなアルバムは『こけてぃっしゅ』『ELEGANCE』ですが「九月の雨」「ドール」は苦手です。いわゆるシティポップを唄う太田裕美が好きで、自分より若い世代もシングル以外の曲を聴く機会があれば、はまる人はいると思います。 >>238
おれも40代だけど遅いな
木綿はリアルタイムで覚えた曲
シティポップがどうこうなんてのは20年おそい
あんなのすっかり再評価してたし
むしろシティポップの対岸こそ光を当てて見ないと ベストテン見ながら南風ランクインしねえかなあ、この曲歌詞がPOPだしなあ
と思ってたし結局ベストテンに一度も入らなかったし まあ
そういうポジションでよしとするか と思って見てたけどな >>239
80年代はパンク、ニューウェーブを90年代前半はオルタナを中心に聴いていたのね。
渋谷系ブームの時は乗れなかったので筒見京平再評価も自分には関係なかったな。
90年代後半はサイケガレージ、2000年代にトロヴァイヨーリ、ウミリアーニ、S・トロッシとか渋谷系が評価していたような音楽を聴くようになって、太田裕美の曲もわかるようになった感じかな。 評論家気取りwww
お前らみたいなのが駄目にしたんだよwww 歌謡曲、フォーク、ニューミュージックを経由しないで聴く人もいるんだよ。 今現在は初期のフォーク・ニューミュージック路線よりも、シティポップ(歌謡曲含む)路線が良いというファンは多い。
ただ結果的にその路線がジリ貧を招いてしまい、最後は原点回帰のアルバムを制作するも歯止めはかからず。
起点となったのは、皮肉なことに最後のヒット曲とも言える「九月の雨」で、バリバリの歌謡曲にそれまでの支持層は困惑してしまった。
実際、フォーク世代の大学生を中心にファンを得ていて、私も太田裕美はやはりアイドル歌手だったと認識させられた一曲だった。 裕美が休業後、アコースティックに回帰したのは、身も蓋もなく言わせてもらえば、休業中に頭を冷やしたのと、ナベプロとというバックを失った環境では他に選択肢がなかったというのもあると思う。 「雨だれ」って小林麻美と朝倉理恵がアルバムの中で歌ってるね。
麻美のは裕美から1か月遅れの発売だから裕美の発売時には既に録音済み。
理恵だって半年も遅れてないし裕美が有名になった時期でもないから、
他人のカバーではなかったものの裕美だけに作られた曲ではなかった。
その程度の期待でのデビューだったのか?
まぁ小泉今日子などカバーでも売れたのもいるけど。 CBSソニーは太田裕美を一大プロジェクトに
あげていたが、ナベプロとしては
同期の中村有子を強く推していた
しかし、裕美はメイツ(ナベプロ前座組のライブハウス)や
大学の文化祭で地道にPR活動を続け、
アイドル的ルックスを持った小坂明子として周囲に認められ、
レコード発売前にファンクラブが結成
されたり南沙織の「夜霧のコンサート」
という深夜ラジオにゲスト出演するなど
順調をスタートを切った
後年の松田聖子と中山圭子のケースと
似たもので、事務所の構想と相反した
結果になったのである 数年前、年配の友人から「太田裕美は癒やし系」と言われて戸惑ったことがある。
そういう見方があるなんて予想すらしていなかったので。
でも今振りかえると太田裕美のファン層は広いんだろうなって思う。 >>250
銀座メイツは前座組の店ではないよ。小柳ルミ子など当時の第一線の歌手も出演してた。
歌謡系のライブハウスであり、場所がらファン以外の飲み客も多かった。
1日3ステージで、売れてる歌手は入れ替え制、売れてない歌手は3ステージとも見れた。
太田裕美だと途中から入れ替え制になったのだろうか。
自分はもっぱら藍美代子に野中小百合と森田つぐみで、開店直後から最前列に座っていた。 前座は流石に言い過ぎた
ただ、ライブハウスにしては薄暗く
キャバレークラブのステージのような
雰囲気だった記憶がある
太田裕美のファンクラブ結成イベントは
うっすら覚えている
10人ちょっと、とにかく小規模で、
女性ファンもいてムサ苦しさがなく、
主役は青色だったか藍色の衣装だった
場所は残念ながら覚えていない 松本 隆 ?@takashi_mtmt
延々と続く松林を歩く。バンドを解散して途方に暮れていたぼくの前に
ふっと現れ、新人の女の子の詞を書いてくれって。
それからもう40年くらいこうして付かず離れず歩いて来た。
この人がいなければ今のぼくはいない。 >>240
当時はキリンレモンのCF挿入歌
君は光の
オレンジギャル〜ってハモってたなぁ
個人的には好きな曲でした 南風はアルバムに入らなかったんだっけ?
当時買ったアルバムは行方不明になってしまったが、あっても再生できないね。 >>253
基本は飲み屋だがスナックでもクラブでもバーでもない雰囲気だった。
銀座にしては安く、月1〜2回なら学生でもバイトで何とかなる金額だった。
(ボトルをキープして、つまみ2〜3品にショーチャージが加わって1回あたり数千円)
客層はファンと接待で飲みに来るのと完全に2分化。
場所は検索すれば分かるだろうが、有楽町から新橋に向かってJRの横を走る
高速道路の下。(地下1階) >>256
あれCMだけで流れた歌詞違いバージョンがあるんだよなあ >>258
アンタよく覚えているなあ……
でもファンクラブの結成披露はメイツでは
無かったと記憶しているから、
その会場となった場所を
覚えていないのさ 失恋魔術師は拓郎節が強いのもあるけど
それまでのシングルと比べると
異質とも言えるほどアイドルチックな曲調なんだけど
太田裕美の声と良くマッチしてる 失恋魔術師は拓郎のアルバムでは「大いなる人」期に重なり
作風も「大いなる人」的な作風
このアルバムはかなり異質 ああ拓郎がフォーライフの社長業に
専念していた頃だったな
「大いなる人」は鈴木茂がポップにアレンジ
していて、当時の拓郎ファンはかなり
酷評したが、実は佳作揃いのアルバム
聞き流しでも飽きてこない 8月12日が近づいてくる。33年前のこの日、日航機事故で坂本九が亡くなったが、
その8〜9年前に奇しくも日本航空の提供で坂本九がパーソナリティーを務めた
ラジオ番組があった。その番組の中でCMとして流れたのが「翔び立つ私」。
これを聞きたいために毎週聞いていた。
(フルコーラスのため番組で曲が流れるのは一度だけ)
この曲のために25枚組のBOXを買ったと言っても過言ではない。 教えてください
とあるベスト盤には First Quarter と All Songs Collection のどちらにもない
バージョンの曲が入っているというような話を聞いたことがあります
これが本当ならベスト盤と曲名を教えてください >>267
その曲ほとんど記憶になかったわ関西だけあまり流れなかったのかも
その翌年に森田公一繋がりで夏に梅田コマライブを森田のバンドで演った
共演というか、これが全然よくなくて、コットンケーキじゃないと雰囲気がでなかった。 でその77年というのはコットンケーキがやめてコズミックララバイに移行する時期だったので
バックバンドがいなかったのかもしれない
76年のFM東京の録音はまだコットンケーキだった
http://musictown2000.sub.jp/mmn2/people25.htm コットンケーキの名付け親はジュリーらしいね、ナベプロ友の会に載ってた
でもアイドルのバックなんて
ヤル気がないから離れた話は本当? >>268
2000年5月発売の『2000BEST』(SRCL-4809)に噂があったけど真相や詳細は不明 ヒヤシンスならAll songs collection にあるね。 はっきり言ってこの人の旦那は
愚鈍なスノッブだよね 旦那についてはよく知らないなあ。
表に出たことあったっけ。 >>277
最近はヤマハのmysoundっていうサイトで時々コラム書いてるけど、ディレクター時代は特に表には出てなかったと思う。 旦那のプロデュース時代は売れなかったから昔の曲をいっぱい歌ってくれてる
それだけは旦那の功績
聖子は自作の変な歌がまぐれで売れたから、ずっと自作セルフプロデュースで
劣化アルバムだしつづけて元ファンの顰蹙買ってる 何年か前、大阪の南部でコンサートしたとき
「この辺りが旦那の実家」とか言ってたわ ,いまの旦那じゃなくて松本驍ニくっついていたらどうなっていたんだろう。本人はもちろん、聖子の歌手人生もかなり変わっていたのではなかろうか。 >>282
昔から好きな人だって居るさ。松本筒美の頃の曲も勿論好きだし、
帰国後の作品も好きだよ。違う味わいだね。この間のソロコンザートでも
「ランドリー」とか「満月の夜 君んちへ行ったよ」とか好きな曲演ってくれて
嬉しかった。今までも他に「葉桜のハイウェイ」とか「移り気なマイボーイ」なんかも
LIVEで聴いたけど、ノリノリの裕美さん、楽しそうでイイネ。「青い実の瞳」を
是非LIVEで聴きたい。 >>280
2013年5月の堺市美原かな?前日、京都呉竹文化センターでまごころ39だった。 銀座メイツ,渋谷ジャンジャン,下北沢ロフト等、ホールコンサートだけでなく、
こういったライブハウスのステージも裕美さんはよくされていて、
自分はコズミック・ララバイの頃かな?何度か行った。ステージと客席が
近いのが魅力だね。 美原のあたりはヨソ者が歩いてると弓矢が飛んでくるんやで 京都劇場の時、座席に座ってる自分の前を松本さんがス〜と通り過ぎたわ。 あの番組、毎回楽しみ。一人の時、ペアでDJの時、生歌有り無し
その時々で違ったけど、出演回数裕美さん多い方じゃないかな? >>252
藍美代子って「ミカンが実る頃」ぐらいしか知らないけど、あの曲は
とても好きだし、あの歌声は素晴らしいね。少し前につべで久しぶりに聴いたけど、
何度も繰り返して聴いてしまうほどに聴き惚れてしまう歌声だった。 聴いてませんが、恒例のイベント「君と歩いた青春」の宣伝はしたでしょうね。
小椋佳の番組?にも出るみたい。 https://reminder.top/706594460/
旦那さん、元々はキャンディーズのランちゃんファンだったらしいよ。 今年も立川でディナーショーやるよね
東京の多摩地区によくいらっしゃるけど
何かあるのかな? Wikiに1979年1月、明日の刑事(第58回ゲスト出演、看護婦役)って記されてるけど、
看護婦じゃなくて銀行員、小沢ひろみ役だよね。
当時、観たんだよな。裕美さんはゲスト出演だけど、鈴木ヒロミツさんは、
このドラマのレギュラーメンバーだった。そして、二人はヤンタンの
レギュラー陣だったので、話題に乗せた事があった。ヒロミツさんが
裕美さんに、ドラマのセリフちょっと言ってみなよとかなんとか言って。
で、裕美さんが「○○さ〜ん」ていう初登場の時の短いセリフを言ってた記憶。
窓口に座ってる銀行員が利用客を呼ぶシーンだった。
明日の刑事に出演されたのは、その一回だけだった筈だし、夜明けの刑事に
出られたという話は聞いた事ない。ドリフ大爆笑の看護婦役は最近観たけどね。
他のドラマで看護婦役があったのかな? 明日の刑事はよく見てた
だがどんな話だったかまったく覚えていない テニスやってへそまで出してたのはどっちだっけ?
太田裕美史的にはサービス度頂点w 銀行員の恋人を持つ男が首謀する銀行強盗か何かの話じゃなかったかな?
明日の刑事だけど。ストーリーは殆ど忘れてるなあ。ヤングタウン東京では
MC仲間の裕美さんとヒロミツさんだけど、ドラマの中では、刑事役のヒロミツさんが、
坂上二郎さん演じる先輩格の刑事に「あの女(裕美さん演じる銀行員)
怪しいじゃないですか!」とか言うセリフがあった気がする。結局何か知らされてた
訳ではなく、利用されていただけみたいな役柄だったんじゃないかな?確か。
書籍「背中あわせのランデブー」にロケ写真か何か載ってたんじゃ?
林の中の木の側のカット。後ろ手に縛られて何時間も大変だったとかの
芸能記事もある筈。 ラスト辺りで傷心の銀行員(裕美さん)を少し離れた所から二郎さん達刑事が
眺めて、「大丈夫。若いんだから直ぐに立ち直るさ。」みたいな…。 「シャボン玉こんにちわ」でキンキンと夫婦役のドラマをやってたね。舌足らずの裕美に長台詞やらせてたな。
あの番組、主婦たちには太田裕美のイメージが変わったとかで好評だったらしいけど、収録が音楽活動の負担になるから降板してしまった。 毎年恒例の「君と歩いた青春」コンサート
裕美さんに「パルナスのうた」を独唱してもらいたかった 心が風邪を引いた日のSACD買ってから多分もう100回ぐらい聴いてる。
他のは10回ぐらい。 SACDの音は、アナログレコードの音に近づいたかな? ★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス 裕美さんの九月の雨と八神純子の思い出は美しすぎてコラボした動画をYoutubeで見た 泣きそうになった 八神純子の「思い出は美しすぎて」と裕美さんがコラボ…。
それ「九月の雨」じゃなくて「雨だれ」でしょ。グランドピアノ2台突き合わせて
二人が向かい合って弾き語り、2曲をコラボ。
それだったら、つべでも視たし、当時リアルに視て、とても感激した。
多分ミュージックフェアで、裕美さんの衣装が「失恋魔術師」の時のものだから、
1978年の春頃だろうな。 裕美さんと純子さん、「RADIO1980〜2017冬」で共演されてたなあ。あの番組、
生歌も良く演っていたから、太田裕美・八神純子久しぶりのコラボに期待もしていたが、
その時生で歌われたのは、八神純子のみだった。何故だかわからないが、
裕美さんの生歌、今日は無いんじゃないかと、そんな予感がしないでもなかった。
遡る事2年。同番組2015冬では、太田裕美は谷山浩子と、八神純子は岩崎宏美との
ペアで出演しDJを担当された。
そしてこの時は、両ペアとも生歌コーナーがあり、それぞれ2曲歌われたのだが、
太田裕美・谷山浩子ペアは八神純子の「思い出は美しすぎて」も候補になった様だが、
結局は岩崎宏美の「ロマンス」他1曲が歌われ、八神純子・岩崎宏美ペアも
「君と歩いた青春」他1曲の生歌披露だった。 >>321
1978年のモノですよね。
八神純子がハモりだした途端泣けてきたわ。 >>317
超えた
レコードはあんなにDレンジが広くない これほど長く、広く愛されたポップス歌手も珍しいでしょ 世間一般じゃ太田裕美といえばアイドル歌手という位置付け
でも劇的な変化なく歌い続けているのは評価されても良いんじゃないの 友人から、太田裕美は「癒やし系」って言われて、そういう見方もあると知った 初恋ノスタルジー聴いたらこみ上げてくるものがあった。
昔聴いたときはここまで感激しなかったんだがな〜。
今となっては美しすぎる・・・ 裕美さんはルックスもアイドル級だけど、歌声が心を鷲掴みにするから
アイドル成分 < シンガー成分 なんですよ。
アイドルでもあるが、シンガーが勝るわけ。
自分の場合、厨房のときお顔も知らず 幸せ未満 聴いてノックアウトされました。
当時裕美さんの代表曲の木綿のハンカチーフを知らず、クラスメートに笑われましたっけ。
8時だよ全員集合は毎週見てた筈なんだが・・・・モメハン自体をなぜ知らなかったんだろう???
泳げ鯛焼きくんは耳にこびり付いてたんだけどね。 >>333
たぶん、ルックスに当時はピンと来なかったんだろうな。 >>335
ルックスもめちゃめちゃ好きでしたよ。でもルックスを知ったのは幸せ未満の虜になってから。 裕美さんは頬骨が出てて丸顔、極端な話でスラブ系の顔立ち
アジア人は頬骨を隠そうとするが、逆に白人は引っ張りだそうとするんだから面白い
でも当時の裕美さんてチンチクリンだったねえ
スーや岩崎宏美がスマートに見えたよ >>336
虜にって言ってる位なら、曲名は正しく書こうよ。 >>312
「シャボン玉こんにちは」は、平日昼だったからあまり観られなかったけど、
裕美さんの出演期間、約1年9ヵ月あったんだね。
二十数年前、欽也さんのラジオにゲスト出演された裕美さんが、欽也さんと
楽しい思い出話を披露されていた。
1年半前は、うつみさんのラジオに出られて、これまた凄く楽しい時間だった。
うつみさんの話に依れば、「シャボン玉こんにちは」で裕美さんを
自分の後任に推したのは、うつみさんご自身だったと。
「そうそう、そのままやってくれちゃったんだわ、この人は。」とか話されていた。
「シャボン玉〜」の前、裕美さんとうつみさんが共演された
文化放送「わいわいワイド善行け土曜日」や裕美さんと欽也さんが共演された
四十数年前のラジオ番組がとても懐かしい。「カエルって呼びたい、ピンクのカエルで
ピンクケロッグ…」とか何とか言われていた欽也さんの声が耳に残っている。
2011年、欽也さんのゲスト出演・リクエストで「木綿のハンカチーフ」を歌われた
裕美さんだが、歌唱前のトークで“カエル話”もされていた。(NHK歌謡コンサート) ソロライブが極端に減ってコラボ中心に
来年もそやろか?ちょっと悲しい >>341
実家住まいだったから、親に頼んで録ってもらってた……3本のVHSを回し録りしてさ
>>342
ソロがキツくなってもおかしくない年齢
細く長くやってほしいよ 少しでも永く裕美さんの現役姿を観ていたい。喉の酷使が心配。
「九月の雨」をオリジナルアレンジで歌われると、今でも落ち着かない気分になる。
よく聴くゆったりとしたアレンジの時は、何故か安心して聴いていられる不思議。 九月の雨を紅白で歌ったとき俺小4だったが
一緒に見ていた母親が高音がきついねとか何とか言っていた >>332
「初恋ノスタルジー」の美しさ、私も同感です。後々沁みて来ました。
A面の「しあわせ未満」の話をされる時、裕美さんはよく、「レコーディングの時、
絶好調で4〜5回でOKが出たけど、もっと歌いたかった。」と言われていますが、
B面の「初恋ノスタルジー」の録音の際も同じく絶好調だったのかも知れませんね。
本当に素晴らしい歌声で聞き惚れてしまいます。
運良く、数年前のライブで歌われたのを聴きましたが、とても感激でした。
オリジナルキーだと言われていました。 失恋魔術師のころはのど痛めて声出てないのは
如実にわかるな 「喉を直すには、喋ったり、歌ったりはしばらくやめないと直らない。
でも、それはイヤだっていうし、手術もイヤだというし。ただ、しばらくは
休ませました。一ヶ月ぐらい。高音のファルセットの部分が出なくなった。
裕美の声の一番いい所。そこが消えてしまうのは、どんなものかと、
毎日スタッフ会議をしていました。結局、とにかく休ませるのが一番だと。
『九月の雨』が一番しんどかったです。実音にならない。一番高いところがね。
NHK紅白が『九月の雨』でと言われた時はしんどかった。」
「ファルセットで歌う《♪セプテンバーレイン、レイン》の所、声が出なくて、
マネージャーを泣かした事がある。この人、基本的には芸能界の人だから、
レコード大賞とか歌謡大賞とかすぐ出すわけ。そんなの出ても声が出ないんだから。
後のことを考えるんだったら、そんなもの降りちまえって言って。
でも、社内事情で降ろすわけにはいかないみたいな…。
それでお前、マネージャーなのかみたいな、乱暴な議論吹っ掛けて泣かしちゃったよ。」
「高い声が出なくなっちゃって、レコーディングの時も無理だよこれはという事が
何回もあったんだけど、みんな当時のスタッフも良かったし、本人も性格いいから
暗くならずに「なんとかなるよね」(笑)と。そういう意味じゃ、細かい事を
チマチマいう人がいなかったのよ(笑)。その辺、却って良かったんじゃないかと思いますよ。」
と、そんな辛い時期も、みんな揃って明るく切り抜けたようである。
(太田裕美の軌跡〜First Quarter〜同梱の太田裕美ヒストリーより抜粋) のどの酷使で見る影もなくなってしまった人はいっぱいいるからなあ
八代あきとか水前寺清子とか大杉久美子とかなあ 朝春になあれやONE MORE CHACEはあのかすれた声だからこそ良いように感じてるっつか錯覚してる今日この頃。
でも一人ぼっちの海は痛める前の声の方がたぶんいいよね。 「九月の雨」は歌手人生のターニングポイントになった曲だから好きじゃないよ
歌謡曲の太田裕美は見たくなかったし、あの絞るような高音を聴いてると不安な気持ちになってくる
喉を痛めるのは事務所から禁酒令を出されてた飲兵衛だから必然だと思われ 他ジャンルの要素を吸収して、あれもこれも「歌謡曲」と言えるという
意味なら話は又別だと思うけど、歌謡曲、フォーク、ニューミュージック、ポップス等を
並列にそれぞれのジャンルとした話なら、裕美さんのされて来た音楽は
ガチガチの歌謡曲じゃ無い。
デビュー当初から、フォークと歌謡曲の中間路線を目指そうと、裕美さんご本人
スタッフ共々決めていたとはよく聞かれる話。
名盤と評価の高いアルバム『こけてぃっしゅ』に至っては、先行シングルにもなり、当時の洋楽と比べても遜色ないと評された
「恋愛遊戯」を始めとしたポップ感溢れる楽曲が並んでいる。そんな
『こけてぃっしゅ』の中に1曲異質な曲が混じっている。
筒美京平さんが、アバのような曲をと作られたけど、「歌謡曲になっちゃった」という
「九月の雨」だよ。
俺は>>352 じゃないから、>>352 がどんな意味で
「九月の雨、歌謡曲の太田裕美」と言われたのかは分からないけど、
連想したのは、ざっとこのような事。
付け加えれば、裕美さんの中間路線は作品内容だけでなく、音楽活動にも言える事。
尤も歌謡曲畑の歌手としての一面は現在では殆どないだろ。
今、裕美さんを取り巻く音楽仲間の顔ぶれを見れば、実際の所、フォーク系として
長年活動し積んできた実績が解ろうというもの。 >>354
ものすごい長文だけどそんなことは誰でもわかってる
そうじゃなくて何でじゃあ「九月の雨」だけが"歌謡曲"あつかいなのか
わからないw >>355
レスの中の「世間一般じゃアイドル歌手という位置付け」とか「それまでも歌謡曲」
という言葉を見て、裕美さんの音楽活動について想いを吐露したくなっての事なんです。
私が書いた事が、本当に誰でも解っている事なら、嬉しいですよ。
ただ、あなたの私へのレスはあまり愉快ではありませんよ。他人と話を交わす
第一歩にしては。
裕美さんに関心あるもの同士として、冷静に話を交わせるなら応じたいと思います。 >>356
もうそんなん90年代から100回ぐらい俺どっかに書いてきたぞ 多分おれが最初なんだろうな
そんなの書いてるやついなかったからな
やっと5周ぐらいしたのかな >>356
たしかに358は優しさが足りないとは思うが、あなたも初対面の人にいきなり長い話をされたら面喰らうだろう。
もう少し短くまとめる努力は必要だと思うぞ。 そういうこと言うんだったら"何が歌謡曲か"
歌謡曲とは何か、 という問いに答えなければならない シングルガールはかなり歌謡曲だと思うが、これはこれでまたよい。 まーた不毛な議論かよwwww
お前ら自分の中にある太田裕美像を無理して定義にしようとすんなよww シングルで歌謡曲的でないのはテクノ期を除けば弾き語り路線かな。
しあわせ未満は歌謡曲チックなのかよく分からない不思議な歌。でも名曲。 デビュー45周年の歌手を今さらファンが型にはめてムキになるなってのwwwwww
個々に好き嫌いや捉え方に差違があるのはしょうがねぇだろうよwwwwwww
だってアイドルとして売り出された歌手がフォークやらニューミュージックやらバラードやらポップスやら多様なジャンルを歌ったんだぜwww 旦那さん、渡辺音楽出版入社・新入社員研修でキャンディーズのファイナルコンサートへ。
その前年の9月に九月の雨リリースだから、裕美さんは雲の上の人だったんだろうなぁ。
でもまだこの時旦那さんはキャンディーズのランちゃんファン。 ニューミュージックも歌謡曲並みによく分からないジャンルだけどな 自作自演ならすべてニューミュージックと言ったわけで
音楽的傾向を表す言葉じゃないしな 全員集合なり夜ヒットなり、指揮者が居る大所帯のバンドに乗って歌われた歌謡曲。
フォーク・ニューミュージックはコンサートでのシンプルな生ギターや
小編成によるバンドサウンド。
そういう、音楽活動の場・サウンドの違いがあったと思う。レコード音源でも
フォーク・ニューミュージック系はあまり管弦その他ガチャガチャ
入って無かったんじゃないの?そんなイメージ。 夜ヒットとか、番組のバンドを休ませて、自前バンドで歌唱とかNM系に多かったな。
裕美さんだって、コズミックララバイやサウスウインドと共に出演の回があった。 >>374
そうなると太田裕美はすべて歌謡曲ってことになるよ 「まだニューミュージックという言葉が出る前で、デビューした時に、ちょうど
フォークと歌謡曲の中間みたいな音楽の世界を作ろうと試行錯誤して
歌って来た感じです。」(歌い継ぎたい昭和音楽祭、太田裕美 談) 確かにサウンド傾向みたいなことも総論としてはあるが
じゃあはしだのりひこの「花嫁」やバンバンの「いちご白書」や
イルカの「なごり雪」や上條恒彦&六文銭「出発の歌」なんかは
どうなんだよ、って話になっちまうからな
これらの曲は豪勢にストリングスやらホーンが入っていたはずだ 小坂明子の「あなた」とかふきのとう「白い冬」とかもそうだよな ニューミュージックというジャンルが定着していく過程は、歌謡界との交流・融合でも
あったんじゃないの?
当初、筒美京平さんをして「新しかった」と言わしめたニューミュージックだけど、
歌謡界に取り込まれて新鮮さも続かないし、境界線も曖昧になっていったというかな。
ニューミュージックという言葉がない頃いち早く歌謡曲側から
アプローチして橋渡しの役割を担ったのが裕美さんだったという話も見聞きした。 TVに出ない歌手=ニューミュージック
裕美がナベプロにいた以上、ニューミュージックではありえないんだよ >>381
そんなこと言ったらニューミュージックとして認識されている庄野真代や渡辺真知子はどうすんのよ
音楽番組ではよく見た顔だぜ
あと、その当時の関係者が後年になって話している内容は、音楽のみならず様々な分野でもアテにならないことが多々あるから注意な
ここら辺は当時の週刊誌やら音楽雑誌を含めて検証する必要があるかもしれない 当時か後年、どっちが本当かは分からんけどね。
裕美さんもシベリア鉄道について当時のコンサートでは「気に入ったから、ワガママ言ってもらった」とか言ってたのを聞いた覚えがある。 庄野真代に渡辺真知子、現在「青春ポップスコンサート」での裕美さんの相棒だね。
それに、渡辺プロだから、NMじゃないっていうのもね。
裕美さんのデビュー当時、社内の土壌からは似たタイプのタレントしか
生まれないと感じていた裕美スタッフは、ユイ音楽工房との繋がりから
裕美さんをペニーレインに伴ったり、フォーク・イベントへ前座で送り込んだり
してた訳だよ。で、裕美さんが売れた後に「若者のNM志向を高める目的」で
渡辺プロ内に「ノンストッププロジェクト」を立ち上げたりしてるんだよな。
裕美さんを筆頭に大塚博堂、山下久美子他、所属アーティスト数名が居たはず。 「私の歌はフォークでもポップスでもロックでも歌謡曲でもないんです。ユーミン(荒井由実)のようなニューミュージックともいえないんです。
色分けすること自体が無理ですし、私は、誰にもない私なりのニューサウンズをめざしているんです」
アサヒグラフ S51.05.21
プロデビューした頃の拓郎みたいなこと言っていたんだね ホントだね。アサヒグラフのその発言は知らなかった。嬉しい。裕美さんブラボー!
記憶が殆ど薄れちゃってるんだけど、大昔レコード店内で裕美さんを囲んでいて、
司会者が「何か裕美さんに質問は?」って言うんだけど、反応無しで気まずくて、
裕美さんの音楽ジャンルについて質問した事がある。歌謡曲なのか?フォーク・NM
なのか?家の近所のレコード店では歌謡曲の場所に置いてあるけど…みたいな
聞き方だったと思うけど、裕美さんから「フォーク・NMの所に置いてあるお店もあります。」
という、短い受け応えしか貰えなくて残念だった事がある。
「木綿」でブレイクした頃すでに、そういう意識を持たれていたんだね。 昭和49年のデビュー当時、芸能雑誌(明星、平凡、プレイボーイ、TVガイドなど)に掲載された紹介された記事に共通しているのは「ピアノの弾き語り」という部分
曲のジャンルは一切書かれていないが、それ以前から山本コウタローとコンサートをおこなっていたから、やっぱりスタッフはフォーク系統を意識していた?
昭和51年のナベプロ宣伝部による広報資料には、次の一節にある。
「渡辺プロダクションの新しい旗手として、ニュー・ミュージック・ポップス・演歌とかといったジャンルにとらわれず、新しいスタイルの音楽を形づくり、ニュー・ムーブメントを起しつつあります
又、コンサートを中心に独自の活動を行っており、最近では鑑賞団体、フォーク・コンサート、キャンパス・コンサートからの需要が高まっており、ピアノ、ギターの弾き語りを主体としたオリジナリティあふれるユニークな構成と内容が好評を博しております」
前述の資料によると好きな歌手は、
エルトン・ジョン、ロバータ・フラック、リンジー・ディ・ポール、ミニー・リパートン、エリック・カルメン、ジャニス・イアン、井上陽水、森山良子 今日CSで、去年行われた「杉田二郎50周年コンサート」を放送していた。
出演アーティストが皆、二郎さんの曲を歌い繋いでいく構成。
裕美さんは真っ白な衣装で「八ヶ岳」を歌われていた。裕美さんのピアノと
岩井さんのギター。
いやあ、凄く良かった。裕美さんの歌とピアノと白の衣装、最高の取り合わせだ。 二郎さんの50周年コンサート、裕美さんにとって「なごみーず」の相棒、
伊勢正三と大野真澄、「青春ポップス〜」で一緒の、庄野真代と渡辺真知子、
イベント「君と歩いた青春」の仲間であり、「もののけクローバーZ」として組んでいる
イルカと尾崎亜美全員集合。
他にも森山良子、きたやまおさむ、堀内孝雄らが出演。他には、こういう大勢参加の
イベントだけではなく、ジョイントコンサート等でも裕美さんと組んだ人達が。
主役の杉田二郎を始め、因幡晃、鈴木康博、永井龍雲、ビリー・バンバン、
細坪基佳、三浦和人。話に出ていた山本コウタローも参加していた。 VTR出演だった、ばんばひろふみも裕美さんとジョイントコンサートしている。 >>390
それまにうけると歌謡曲でもフォークでもニューミュージックでもないなw ナベプロ&ソニー側に明確な戦略としてあったわけよ
ニューミュージックと歌謡曲の中道路線を狙う、ってのが。
自覚的に、戦略としてあったわけ 小坂明子の大成功を見て、いわばニッチを狙ったわけだあ やまがたすみこみたいなのはあったけどね
シンガーソングライターなんだけどアイドル性もみたいなん 「フォークみたいな貧乏くさくなくて、しかも歌謡曲みたいな作りごとでもない、
なんかその中間がシェアとして、凄く巨大なシェアが、まだ誰も目を付けて
ないんじゃないかと思って…」<松本隆>
「シンガーソングライター風な作りだったんですよね。実験的、初めから
あれは、ヤラセって云えばヤラセ。こういう弾き語りのようなものを違う所
(歌謡曲側との意味か?)で作ろうという…。」<筒美京平>
(BSフジHIT SONG MAKERS〜栄光のJ-POP伝説〜筒美京平)より <筒美>「ポップス系に振れていった。音楽自体が。もうちょっと僕が出て来た、
例えばグループサウンズにしても、作っているものは凄い歌謡チックなものが
多かった。」
<松本>「『木綿』辺りからポップにしていった。」
<筒美>「そうね。」
<松本>「結果的に、だから元祖Jポップなんだと思う。」
<筒美>「ああ、そうかもね。」
(NHK 希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平―歌謡曲とニューミュージックの融合
筒美京平×松本隆のコーナー)より もともとナベプロは太田裕美をシンガーソングライターとして
売り出すつもりだったんだよ >>398
その路線は本田路津子も少しだけ入るかな
もっと後に水越けいこや石川優子
>>399
フォーク=貧乏臭い、は短絡的じゃないかい松本センセ
そりゃ泥臭いジャンルだけどさ そもそも"日本のフォークソング"に絶大な影響を与えたPPMが
作られたグループだったりするからな
金髪の女子を入れたらウケるはずって狙いでマリーを入れたらしい
つまりアイドル性ねらいで入れたわけ >>401
そうなんだよね。
ところが、白川Dが先輩の酒井さんの言葉で翻意してしまったんだよな。
「白川、デビュー作が上手く行かないと殆どアウトだからって言われて、
結構プレッシャーだった。一作目が売れなくて全然駄目だとディレクターとして
上手く行かないよと。」 でも、裕美さんのシンガーソングライターとしての部分を全く引っ込めた
訳でも無くて、アルバムやシングルのB面に裕美さんの自作の曲が取り入れられた。
ザ・リリーズのシングル&アルバムにも書いていた。 白川DはナベプロじゃなくてCBSソニーな
ナベプロとしては初めは売れたらラッキーみたいな感覚だったんじゃないか、年齢的にも遅いソロデビューだったし、中村有子とセットで売り出す感じだし 歌謡界初と言われる、1stアルバム『まごころ』以来のコンセプトアルバムの
発表、作品内容、フォーク系コンサート活動、ピアノの弾き語り等と共に、
この作詞作曲も行うという事も歌謡界出身の裕美さんがフォーク色
ニューミュージック色を身に纏う上での強い武器だったと思う。 数年前、週刊誌での酒井さん、伊勢さん、裕美さんの三者対談を読んだ。
裕美さんのシンガーソングライターとしてのデビュー計画に待ったを
かけた形になった事を酒井さんが軽い感じで「申し訳無かった」みたいな…。
裕美さんも「いえいえ、とんでもない」みたいな感じだったかな。 「フォークは商売になると参入して来た便乗派」として裕美さんの名前が
挙がったのをテレビで観たこともある。
フォーク番組で、なぎらさんが、ホワイトボードに相関図を書きながら
フォーク界の歴史を解説していた中での事だった。
かまやつさんやあおいさんの名前と一緒に。 >>409
なぎらはイデオロギーが先行する排他主義者だから話半分で聞いといた
ほうがいい
残念ながらほとんどの人は「なぎらさんは詳しいステキ」みたいな
受け取りかただがな なぎらみたいな奴こそ便乗だからな
お前だって生まれたときからフォーク歌ってたのかっ て話だから キャンディーズの選に漏れてアイドルを残しながらも方向を変えたんじゃないの >>412
でも、そのマスコットガール・オーディションだっけ?その時って
裕美さん、まだヤング101にも入ってない頃でしょ?方向変えるも何も…。
裕美さんデビューに際して、小坂明子や高木麻早のイメージがあった様だけど、
101時代に裕美さんの歌われた「あなた」が収録されているよね。
あと、裕美さんとやまがたすみこって上野学園の先輩後輩じゃなかった?
色々と繋がってるね。 長年感じてたんだけど、N〇Kの〇さな旅のテーマがかかるたびに
「あっ」て思っちゃうんだよね、サビ終わりが岸辺に酷似してて
だから何だって話なんだけど タイミングさえ合えば、恋の予感はシングルで出してもヒットしてたと思いますよ。
タイミングが合わなければ君と歩いた青春ですらダメなんだけど。 いや、俺は>>415 さんの言われた事、俺なりの共感はあるな。
『12ページの詩集』で良く聴いたツートップがその2曲だし、共に名曲だと思う。
実際、当時「恋の予感」のシングル化を願っていた。でも、あの時裕美さん&スタッフは
更に上を目指して「恋愛遊戯」&『こけてぃっしゅ』をリリースしてきた。
「良い曲が書けた」と裕美さんが悦んでいたという話をずっと後になって知ったけど、
タイミングの話で連想したのはこういった事。渡米直前の時期に発売された
シングル「君と歩いた青春」のタイミングは言わずもがな。イイ曲を書いている
裕美さんだけど、シングルヒットのタイミングが無くて残念だという気持ち。 「しあわせ未満」ではなく、「最後の一葉」に続いて「恋の予感」の可能性は
無かったのか?
それも、シングルで同じタイプの曲を続けず二匹目のどじょうという考えは
捨てていたとスタッフ話に在った気がするので、やっぱり「恋の予感」の
シングルは無かったな。残念ながら。 >>417
恋の予感は地味な気がしてシングル候補って感じはしなかったけど、あのアルバムのラストにはピタッとはまってた気がする。 デビュー前はエメロンシャンプーなどのCMソングも歌っていたようだがね
>>410
なぎらは岡林や高田渡といったアングラ系の信奉者で、これこそ真のフォークと叫ぶ
そして彼らと対照的だった拓郎に対する恨み節をまき散らした陰湿さ ぎんざNOWやヤンタンに出演していたから、75年春頃はマルチタレントみたいに書かれた記事もある
平凡や明星といった月刊誌のカラーグラビアには滅多に登場しなかった(水着もなし)から、アイドルとは一線を引いていたのは間違いない? 背中合わせのランデブーは裕美さんの声の調子が悪かったのを指しい引いても、聴いてて良いアルバムだと思うんですよ。A面はあのかすれた声が妙にあってる。
一人ぼっちの海はやはり絶好調ボイスで聴いてみたかった。
景色が思い浮かんで来るんだよね。
一人ぼっちの海と恋の予感は小坂明子のあなたに遜色ない出来の良曲だと思います。
ただあそこまで売れるとも思えんけど。
俺的には裕美さんの2曲の方が遙かに好きだけどね。 >>422
その2曲は自作ということを差し引いても「太田裕美っぽい」曲って感じがする……松本筒美の作る世界観とは全く違うから殊更
今の裕美さんが作る曲に近いイメージがある、と勝手に思う
やっぱり「しあわせ未満」や「12ページの詩集」あたりの調子で聴いてみたいねえ 「木綿のハンカチーフ」「赤いハイヒール」の連続大ヒット、続く「最後の一葉」〜
「九月の雨」まで、売上げ30万枚以上、オリコン順位ベスト10以内(恋愛遊戯を除いて)の
絶好調時、
次々とタイプの違うシングル曲だったね。弾き語りに戻した「最後の一葉」、
フォークタッチの「しあわせ未満」、ぐっと洗練されたボサノバ・ポップス「恋愛遊戯」、
“歌謡曲になっちゃった”「九月の雨」。 ブレイク中に出た「最後の一葉」に続けて、もし「恋の予感」のシングルカットが
あったら、当時の俺は大歓迎だった。「雨だれ」「たんぽぽ」「夕焼け」大好きな
俺としては。
「恋の予感」は自作の弾き語り曲だから、「最後の一葉」との連続で弾き語り路線の
再アピール+ソングライターイメージも加えられる。
可愛いルックスによるアイドルとしての人気は放って置いたって付いてた時期、
ピアノを弾くミュージシャン、作詞作曲をするアーティストとしての印象付けを
もっともっとして欲しいと思っていた。 勿論、「しあわせ未満」も「恋愛遊戯」も「九月の雨」も大好きだったけどね。 >>429
それほど、意外ではない。これってティーンがテレビや雑誌で見ている
好きなアイドルへの投票って感じだけど、裕美さんが“元祖学園祭の女王”と
呼ばれて来たのも事実。
明星の読者層と裕美さんの主な支持層の違いが大きいと思うけどな。
あと、裕美さんの場合、中間路線による露出の度合いの問題もあると思う。
身体一つで双方を掛け持ちしていたら、どうしたってテレビや雑誌への
露出の頻度が落ちる。明星も見るけど、フォーク系にも関心が強いというような
ティーンは多くは居なかっただろうなと。 この所のレスに多かった、裕美さんの音楽ジャンルや活動を語る時に、
フォーク・ニューミュージック系の話は避けて通れないし、無視出来るものでは無い。
話に出ていた顔ぶれを見ても判る。明星の人気投票は、明らかにカテゴリー的に
「アイドル歌手」のメンツが多いし、歌謡界の範疇での話だよな。 >>431
今考えると「学園祭の女王」と言うフレーズはあの頃のアイドル系歌手には殆ど当てはまるんじゃないか、確かアグネス・チャン、麻丘めぐみ、林寛子、岩崎宏美、岡田奈々も凄かったハズ
太田裕美はそちらを重視していたから回る大学数も多かった
月刊の平凡・明星は一応フォークやニューミュージックの特集ページが毎月あったねえ
ただ週刊の方でも裕美さんは取り上げられる機会が少なかった 太田裕美って
1978年ぐらいですでにバリバリのアイドル感は無かったよ
例えば俺ぐらいの年齢で好きな歌手で太田裕美てか言う奴は皆無。
1979年の段階で同級生のヤツが好きな歌手は岩崎宏美ってヤツがいて
その時の俺の内なる感想をいまだに覚えているが
「こいつシブいこと言うな。でもちょっと嬉しい」と思ったものだ。
ちょっと嬉しいというのはアイドルアイドルしてる歌手じゃなくて
岩崎宏美みたいな本格派を挙げたことへの嬉しさ。
で太田裕美の位置だが岩崎宏美のこういうポジションに近い。
岩崎宏美だってアイドル歌手とされていたわけで。ただ
まだ岩崎宏美よりは太田裕美のほうが"アイドル性"はあったろうが 1979年の段階で小学生が好きな歌手は岩崎宏美、と言うことの「ちょっとシブイ」感じ
すでに1979年で岩崎宏美ってそういう存在だったというリアルタイムでの
実感の記憶の話。 つまりさらに岩崎宏美よりデビューが早かった太田裕美は岩崎宏美より
可愛かったけど
ちょいシブイ感じをすでにまとっていた >>434
太田裕美は20前後が主な支持層だったが、当時は好きな歌手として名前を出すのが恥ずかしかった人はそこそこいる
1978年で小学生だったなら「シブい」と思われても仕方ないかな、でも「年上のお姉さん的雰囲気」に惹かれた、というマセた元小学生を知っているw シブい、というのは世間一般の同級生的な相場感を観察しての話な
俺は太田裕美、岩崎宏美は好きだったよ
だから「嬉しかった」と思ったわけで たぶん50手前じゃね?
ちなみに自分は50ちょっと過ぎ。
裕美さんをテレビでチェックするようになったのはドールあたりから。
家にレコードプレーヤーが無かったので、ラジカセでテープで聴いてた。
アルバムは「海が泣いている」〜「想い出を置く君を置く」まで持ってたが、その後は聴かなくなった。
一応リアルタイムファンぽいが、全盛期の裕美さんはよく知らなかったわけ。小中学生だったので勿論コンサートになんて行った事なかった。テクノ期なんてまるで知らなかった。
リバイバルでファンに戻ったのは、リーマンショックの頃。つべを検索してたら、昔一度だけラジオで聴いた事があった「君と歩いた青春」があって、繰り返し何度も何度も見た。
丁度その頃、「オールソングス・コレクション」が出たので、購入して一通り聴いた。
毎日聴くようになって中毒になったのは数年前にflacにリッピングしてから。
今年はパイオニアのブルーレイプレーヤーを中古で手に入れて、ステサンSACDをdsfにリッピングしてヘビロテほぼ毎日。 リアルタイムでファンだった年代はこち亀の秋本治氏とか裕美さんと同い年かやや上あたりでしょ。
福岡さんは裕美さんと同い年だったかな。でも元々はキャンディーズのランちゃんファンだったそうで。裕美さんの担当ディレクターになったときも裕美さんの曲をあまり聴いたことなかったらしい。 しあわせ未満は清貧の思想だよね 清貧の美学
デフレ時代の今こそ似合う歌だ 男が甲斐性無しでビンボーなだけかと。
裕美さんの優しい歌声で二人のハッピーエンドが予感させられてしまうけど、
結末は比較的リアルなとこで煉瓦荘あたりかと。
ビンボーすぎてピッツァハウス22時にもならない。
リボンだったら目も当てられない。 女の子の頭の中がスワンのうちが花
最高のハッピーエンドでもドールだな。 やっぱ陰鬱な曲に行き着いてしまうのね……
そんな時は「失恋魔術師」か
「しあわせ未満」のダメ男は嫌い 別れたあと、男は社会人を立派に勤めてしあわせな家庭を持つんだけどな、
元カノがこっそり覗いてSummer and Samba
よりを戻して不倫関係で冬の蜂 お前ら全然わかってねえな
貧しいから駄目とかそんな視点しかないのか まつもとにああいう歌詞を書かせた時代性とか
そういうところに考えがいくだろ普通
80年代には絶対あんな歌詞はまつもとでも書かないわけで 12月は大阪の歌舞伎座 庄野真代との共演 観に行くよ
大阪だと毎年10月に君と歩いた青春コンサートやってるけど
メンツが同じなので さっきNHKでシベリア鉄道流れたけどいいわ
裕美ちゃんの伸びやかな甘い歌声が
下半身を刺激するわ >>433
“元祖学園祭の女王”と呼ばれた裕美さんには、あなた自身も言われた様に、
そう呼ばれるだけの実績があった訳で、他に挙げられた顔ぶれを裕美さんと
同様だとするのは強引過ぎるよ。
それに、>>431 で言わんとするのは、その事では無くて、学園祭云々以下の文だしね。
あと、裕美さんが平凡・明星等に登場機会が少ないのは、>>421 さんが言われた、
アイドルと一線を引いていたというより、(たとえ気持ちの上で好きで無かったとしても)
両サイド掛け持ちによる手一杯が本当の所ではないかと思っている。 「学園祭が最盛期の頃だったから、学園祭に出さなくちゃいけない。かといってあの時代、
学園祭はニューミュージックのプロダクションがみんな握っていたから、
そこへ食い込まなくてはいけないというんで、ペニーレインでユイの社長の
後藤(由多加)と話しているうち意気投合して、協力してくれると言うので。
それで、山本コウタローとウイークエンドとか、ユーミンのコンサートの前座に
スケジュール、バァーっと組んでもらった。
(太田裕美ヒストリー より抜粋) 《テレビ中心だったアイドル歌手、だが太田はフォーク・グループと一緒に
学園祭やライブ活動に力を入れた。》
(NHK名盤ドキュメント、番組ナレーション)
「アイドル系や歌謡曲のテレビ番組に出てると、『裕美ちゃんってフォークの
人たちと一緒にコンサートやってるんでしょ?』とか言われたり、
フォークの人も、『裕美ちゃんはテレビにも出てるんだね』って。
両サイド的にも不思議なタイプの人が出て来たと思われていたかも知れない。」
(太田裕美、同番組より) 裕美さんがデビューされた頃、歌謡曲のアイドルは、テレビやラジオに出て、
雑誌の取材を受け、レコードはシングル中心で、アルバムはシングルにならない曲や
カバー曲等の寄せ集め。
フォーク系は、テレビには出ずにラジオの深夜放送でPR活動。アルバムに力を入れて
コンサートで披露する、といった好対照な世界。
そんな中で裕美さんは、「両方の良いとこ取りというか、二人分の歌手活動だった。」と。 アイドル歌手のように、テレビやラジオに出演し、雑誌にも登場する。
そして、フォーク歌手のようにコンセプトアルバムを発表し、NMスタイルの
コンサートツアーを行なっていた裕美さん。(年間約130本、実に3日に1回の割合)
この後半部分を知らずに、「太田裕美って、テレビや雑誌でそんなには見なかった」
と感じる人は、太田裕美という歌手の半面しか捉えていない。 同時期のアイドル歌手がしていなかったコンサートツアーを行なっていた裕美さん。
当時、シングルレコードの歌詞カードには、ツアー日程が載っていた事も。
そんな裕美さんなれば、テレビや雑誌で観る機会も他のアイドル歌手に比べて、
多くはなかったし、又シングル曲のリリース間隔も少し長かった。
他の売れているアイドルの多くが3か月に1枚ペースだったのに対して、
裕美さんは4か月に1枚だった。(これが精一杯だったか、あえて少し長くしたか?) 白川Dの方針で、彼が主導した間はライブ盤が出る事は無くて残念だった。
だから、同時期のアイドルが出していたライブ盤を眼にすると羨ましかったな。
裕美さんのように数多くのコンサートをしていた訳では無いし、
そのスタイルも違うけど。ホールでやる歌謡曲の歌番組のイメージ。
司会者が居て、曲間にトーク。「それでは次の歌に参りましょう」というような。
オーケストラをバックに歌う歌謡曲的なスタイル。「○○ちゃん祭り」とか
「誰それリサイタル」みたいな…。そういう自分好みでないものでも、
ライブ盤のレコード・ジャケットを見ると正直、いいよなあと思っていた。 フェイスブックで入っているコミュニティに本名で太田裕美の人がいて、名前を目にするたびに心がざわつく 裕美さんが全盛期の頃、自分みたいに小中学生だったのはコンサートなんか見に行ってないんですよ。
First Quater やツベにアップされたのからかろうじでコンサートが伺い知れる程度。
それでも、初ソロコンサートの「はじめに愛があった」や、イルカとデュエットの「ミモザの下で」
、デビュー二年目か三年目にコンサートで歌った「ひとりごと」なんかを聴くと、とても良いわけ。
アルバム世界とはまた違った裕美さんの声なわけ。カバー曲とかもいろいろ聞いてみたいわけ。
「一人ぼっちの海」とか好調な歌声で聞けるかもしれないわけ。
だ か ら、
ライブアルバムBOX「まごころコンサート Part1~10 豪華ブックレット付」 出してください。
同時にハイレゾ配信販売でDSD128かDSD256もお願いします。 >>467
んなこと言わないでよん
チミだって欲しいでしょ? 途中から不自然なほどsageでの書き込みが増えているが自演か? ほんとどうでもいい昔の話を延々とかいてるやつはアルツハイマーなんかね
若年性アルツハイマーとか
ほんとどうでもいいよ
フォークか歌謡曲か 筒美京平松本隆コンビでうれた ユーミンや他の
シンガーソングライターの書いたアルバムも出した12ページの詩集
アルバムに1−2曲は裕美の作曲もはいってた 後の聖子もそんな感じ
今は駄作のセルフアルバム地獄を見せられてる聖子オタとジュリーオタ
裕美さんはいい曲しか出版しないからまだまし >>472
ジュリーはともかく松田聖子というネームバリューは今でも活きているが、聖子ファンは惰性で続けてそう
まあ裕美さんも最後にオリジナルアルバムを出したのは12年も前になる
あと1回ぐらいは可能性があるか? >>466
>アルバム世界とはまた違った裕美さんの声
私も裕美さんのライブ盤はずっと願って来ました。特にデビュー当初の頃の
ライブ音源は喉から手が出る程…。
前スレで
>売れる前はしっとりしててよかった
>あれが理想郷、戻れないユートピア
こんなレスがあったけど、羨ましい。
ここ数年のソロライブで、スタンディングの盛り上がりを楽しみに
していた自分ですけど、一方で『まごころ』『短編集』の頃の未体験な
ライブ音源を切望しますね。お声だけでなく、コンサートアレンジに依る
アルバムとは違った楽器編成とか別フレーズ等、サウンド面の楽しみも大きいですね。 デビュー前後にメイツで2回(1回?)聴いたことがあるが、弾き語りのムードはあるがジミ〜な印象だった
あるファンサイトがデビュー前の写真を載せているが、本当にあんな感じのジミ〜な女の子だった
売れてからファンになったクチだから、その後とは全く違う雰囲気のライブだった そりゃおまえの感性がキングオブボンクラだったからだろう! 当時高校生位まででは裕美さんファンでもコンサートなんか行った事ない者が殆どだと思うんですよ。
つべにある「夜のヒットスタジオメドレー」聴いても、カバー曲だって凄く良いわけです。
新たに当時のライブアルバムが出るとしたら、オールソングス・コレクション買った人なら興味あると思うんですよ。あれ何セット売れたのかな?再々々々販だから最低でも予約分2500セット・・・4000セットぐらい売れたのかな? 裕美さんのコンサートに初めて出掛けたのは高1の時だった。
年上の人達に混じって、私も幸福な時間を過ごさせて貰いました。
話に出ている「一人ぼっちの海」や「恋の予感」もそうですが、他にも
「グレー&ブルー」や「白いあなた」といった裕美さん自作の曲をピアノの弾き語りで
歌われていたのが印象深い。これらの曲はアルバム発売時に限らず、
よく選曲されていたと思う。 ごく初期は エレピ フェンダーローズとギタリストの男と2人でデパートの屋上なんかで
やってたまごころこんさーと それは関東圏の人しかみたことないだろう
木綿からは全国ツアーになったけど
1976 自分も高校生だったけど観に行ったよ まだ紙テープを投げる習慣があって
出てきて開口一番 痛い痛い!ボコンボコン 紙テープの芯がマイクに当たる音 >>484
松崎さんという専属の人だった
裕美さんが最初にギターを習ったのは、確かこの人
今なにしているんだろ 484だけど
まつざわひとし ていってなかったか
紹介の時 AGの松沢等さん、色々と加入・脱退のあったバンドメンバーの中で、
永く在籍して裕美さんを支え続けた方ですね。
コンサートの中で、裕美さんのPfと松沢さんのAGだけのコーナーが設けられる事が
あったが、お二人の息の合った演奏はとても素晴らしかった。
コンサートアレンジで奏でられるお二人のコンビネーションプレイ
に依る「袋小路」や「一人ぼっち海」は最高だった。 まつざわひとしは単体なんだよ バンドじゃなくて
バンドはコットンケーキ(ローラーコースター)77年の夏にバンドがやめて森田公一トップギャランがバックを勤めた
その後コズミックララバイに交代 45年目...1974/11/01(1年目)〜2018/11/01
45周年...1975/11/01(1周年)〜2019/11/01
俺もうダメかもしれんな 当時コンサートの他では、サイン会やテレビ・ラジオの公開放送等で裕美さんを
目にする機会もあった。 東京の人は 銀座NOWの司会で観れたんじゃないのか 「裕美もドッキリ!」スターどっきり報告!
プーブークッションをさりげなく拒否して微笑み、「あらら〜」と
三波さんを困惑させていた裕美さん。 「報告」で憶えているのは、「九月の雨」と「失恋魔術師」の頃、出演されていた回。
一つは、市ヶ谷・CBSソニー社屋で収録中の裕美さんが、折しも起こった
爆弾騒ぎに巻き込まれるというもの。
もう一つは、林の中?でインチキ占い師か何かによって妙な踊りやら振りやらを
させられるとかいったものだった。 ドラマで見せたへそまで見えるパンチラだろ
そんなんやるなら水着グラビアやれよとw あれは夜ヒットや隠し芸大会もやってた疋田Pの番組なので
歌手はみな断れなかったんだよ 今やったらパワハラ セクハラで問題になるような
どっきりが多い。 視聴者観覧ハガキが当たったかして河田町まで行ったんだな確か。 とんねるずの石橋のように、ヤングタウン東京観に行った人もいるだろう。 「一千百万人の音楽」でののど自慢参加者への一言、「裕美の音楽コーナー」、
ゲスト歌手歌唱前の質問。裕美さんの出番は基本こんな感じだったかな?
毎週のように、ラジオを聴いては会場の様子を漠然とイメージしていたけれど、
何かの時、ヤンタンのステージ後方からのカメラアングルがテレビで
流れた事があって、裕美さんを始めレギュラー陣の後ろ姿や明るいステージ、
暗い客席等をほんの数秒間視た事がある。 「裕美の音楽コーナー」は基本、裕美さんのその時々のシングル曲が
歌われていたけど、稀にコズミック・ララバイと一緒にNEW ALBUMから
「自然に愛して」「太陽写真」「SHOWER GIRL」 等を演っていた憶えがある。
また、「木綿のハンカチーフ」や「雨だれ」が歌われる事もあった。 https://www.youtube.com/watch?v=X8z0fDIZtC0
デビュー1年目の75年、貴重な映像
軽やかに先頭を走る百恵サンの後ろをムキになって走るランちゃん...裕美サンはドン尻
悦ちゃんは流石の走りっぷり、やっぱりカッコいい 佳孝さんのビルボードライブ、行きたかったな。裕美さんの事を
「可愛い、可愛い」と盛んに言われていたそうな。コラボ観たかった。
前に、偶然新幹線でバッタリ遇って盛り上がったって話されていたよな。 もちもち坂に、ひとつまみでも〜♪
コレ書いた人のせいで… TBSチャンネルで1975年のレコード大賞やってたよ
かわいかったよ 12ページの詩集が心地よい季節になって参りました。 13日 筒美ッ子ということで何曲か筒美京平の曲を二人でやってました。
井上順のお世話になりました 中原理恵の東京ららばい
大瀧の曲 夢で逢えたら は始めて聞いた 久々に「スカーレットの毛布」を聞いたら歌詞を間違って覚えていたことが分かった
あなた=毛布 → あなた=あなた
羽根の袈裟なら恋も分かれる → はねのけたならこのまま帰る
笑顔下さいな → 笑顔くれたら
太めの街 → 氷雨の街 新歌舞伎座初出演だったようで
隈取り化粧してこないといけなかったのかなwって言ってましたけど
ここは歌舞伎はほとんどやらないですね 歌とお芝居中心 テレ朝の「日本の名曲グランプリ」で、女性歌手楽曲部門(アイドル編)で
木綿のハンカチーフが「最も人気の曲」に。 スカパーが見ることができる環境にある人
明日の朝7時から1975年のレコード大賞の放送があるよ
新人賞で出てくるよ レコード大賞かわいかった
今とあまり変わってなかった 片平なぎさも変わってねえな、と思ったら来年が還暦だったのね……太田裕美は早生まれだけれども今年63なんだもんな 裕美さんの若さは驚異的。「良い年の重ねかた」「あんなふうに可愛いまま年を…」
といった裕美さんに対する言葉を見聞きする。つべに上がっている「木綿」の
動画のコメントの中で、約30才程も年齢を勘違いされていた。10年位前の
放送だと思われる「NHK歌謡コンサート」に出演の裕美さんの映像を見て、
「当時の映像でしょ?」だって。50幾つの裕美さんには、木綿のヒット当時だと
勘違いさせる程の若さがあったんだね。 昨日土曜の塩野義ミュージックフェアに鈴木雅之とでてたね
大瀧の歌唄ってた。 >>531
最近はやや年相応になってきたが、40代50代ぐらいの頃はマイナス10歳は若く見えた
10年ぐらい前の番組で、ピアノを演奏している手がアップになったとき、自分のツレと同じ主婦の手だなと妙に感心した記憶あり >>534
10年くらい前のイベントで握手したら、家庭の主婦的な手の荒れ方でなんか親近感を覚えました 裕美さんが還暦を迎えられた頃、【徹子の部屋】に出演され、ピアノの弾き語りで
「雨だれ」を披露されていたが、それを観たどなたかの言葉だが、マニキュアも
していない指先に見入ってしまったとか、普段は家事をきちんとされている人
なんだろうと。 「雨だれ」の弾き語りと言えば、話に出ている1975年のレコ大は、弾き語りを
させて貰えず観ていてやっぱり残念。風邪が治りかけだという裕美さんに
森光子さんが、「あなたは風邪よりピアノを弾くんだ。」とアピールしてくれたり、
小川哲哉アナがイントロ部分で「ピアノの弾き語りでデビュー、フォーク調の
ソフトなフィーリングがファンに支持されている。」との紹介はあるが…。
あと、「下町育ちの勝ち気な女の子。」とも。不自然にワンハーフっぽく
短縮されているよな。各々2分前後の持ち時間って感じだ。 こんな人いるんだね
ttp://www.youtube.com/watch?v=XO47b8d5bko 43年前の番組に恨み言は怖ェよ……
テレビじゃ弾き語りはやってなかったイメージなんだが TBSチャンネルを見て、当時抱いた想いが甦って来て書いただけだがな。
「雨だれ」の弾き語りをテレビで観て惹かれたからこそ、賞番組での
ハンドマイクが残念だったという事。 「雨だれ」「たんぽぽ」「夕焼け」「最後の一葉」「恋愛遊戯」「振り向けばイエスタディ」
「青空の翳り」「ガラスの世代」「恋のハーフムーン」「君と歩いた青春」
渡米前までのシングルA面曲で云えば、弾き語りはこんなラインナップか?
B面やアルバム曲でも、ミュージックフェアや夜ヒットで「白いあなた」「一つの朝」
「海が泣いている」等、弾き語り曲を演ってたのを憶えている。 懐かしいな。
それにしても新人歌手のアルバム曲をわざわざ弾き語りで歌わせて地上波で放送するなんて、昔はいい時代だったなあと思う。 ザ・リリーズが「春風の中でつかまえて」を夜のヒットスタジオで歌った時、
作曲した裕美さんがピアノ伴奏したり、八神純子とグランドピアノ2台で
「雨だれ」「思い出は美しすぎて」をメドレーしたり(夜のヒットスタジオ)、
同じく八神と連弾で高田みづえの紅白での歌唱をサポートした事もあったな。
刑事犬カールでも「犬のおまわりさん」を弾いてたかな。 「雨だれ」「思い出は美しすぎて」のメドレーはミュージックフェアだったか。 八神純子とのコラボは良いね。
いまでもしょっちゅう見てる
カメラはハモる方にピントをあててるんだよね。 八神純子さんは5月のポプコンエイジ・コンサートで久々に生歌
聴いたけど歌唱力がハンパなく衰えてなくてビックリした。 最近の八神純子は声が出なくなって酷かった記憶があるんだが 見逃した人
明日もレコード大賞の再放送あるよ
かわいい姿を拝もう 本日は、スカパー無料放送日
TBSチャンネル 「トップスターショー 歌ある限り #30」PM11:00〜0:00
出演:朝丘雪路、森進一、太田裕美 (1977年) 「ザ・ベストテン」の前の番組で、久米宏も出ている。 森田公一「裕美ちゃんはラリルレロが苦手」
久米宏「アンリ・ルネ・ルノルマンの流浪者の群れ」
裕美ちゃん「あんりれるれるのれまんX#$%&*¥?」
久米宏「ラレリリルルレロラロ」
裕美ちゃん「らりれるるれろ、らるりれら#$%&*¥?」
「しあわせ未満」の頃は結構やせてたんだね、「48K未満」か TBSの月〜金のお昼に
しゃぼん玉こんにちはをキンキンとやってたよね
あのときの映像残ってないかな
肩の力が抜けたバラエティーでおもしろかった記憶がある つべに幾つか限定的に公開している人いるよ
運が良ければ見られるよ [しゃぼん玉〜]の過去V、鶴瓶と酒井ゆきえMCの番組[女と男 聞けば聞くほど]に
裕美さんが出演された時、ほんの少し流れてた。
東京進出前だった鶴瓶さんにラジオで頼まれた裕美さんが、[しゃぼん玉〜]の冒頭、
「鶴瓶さん元気ですか〜?」とか言われたらしい。鶴瓶さんは、その場だけの
話でいいんですよと振り返られていたが。
そんなエピソードが[女と男〜]で[しゃぼん玉〜]の番組映像と共に紹介されてた。 コント 酒場
ってのしか見つからなかった
コントやってる姿がかわいかった 昔も今も裕美さんの可愛さは変わらない。歳相応でなくて、昔のイメージのままだよね。
実況だったか「裕美さんより可愛い60台って日本に居るの?」とか「還暦少女」とか。
「石川ひとみ59歳、太田裕美63歳凄すぎる」みたいな。
「石川ひとみは太田裕美の背中を追っている」なんて発言を見た事も。 >>566
美形や美形や、こんなママおったら毎日通うわ。 でもわいカネ無いから、飲み代カラダで払うわ。 100グラム98円ね。 1980年頃は野郎ばかりだった会場に女性グループがチラホラ見えるようになった
少しセンセーショナルな出来事だった 1980年は博品館があった年。東京では他にも、暮れに恒例の“まごころこんさあと”、
原宿ラ・フォーレや池袋サンシャイン劇場等でもあった。
原宿は、珍しい裕美さん自作曲しばり(一部の例外を除く)のステージで、
ライブでのみ披露された楽曲もあった。
アン・ルイスさんのお母さまも観に来られていたらしい。
上記一部の例外は、中盤に設けられたリクエストコーナーだったが、
採用された一人は女性で、「トライアングル・ラブ」だった。 >>572
8月からのラフォーレ、ジァンジァン、サンシャインのコンサートは覚えてる
そん時にカップルや女性グループを見たんだよ ギャルズカーニバル・イン・ラフォーレ 太田裕美コンサート
1980.8.24 Sun.14:00〜於 原宿ラフォーレ劇場
セットリスト
M1) やあ!カモメ
M2) 待ちくたびれて
M3) さよならのワルツ
M4) 白い朝
M5) 白いあなた
M6) 空に青さを(※未発表曲、正確な表記識らず)
M7) タイトル未定「雨の歌」(※未発表曲、ステージでの裕美さんの曲紹介のママ)
M8) 振り向けばイエスタディ
M9) トライアングル・ラブ
M10)黄昏海岸
M11)クロスワード・パズル
M12)SHOWER GIRL
M13)ガラスの世代
M14)?(※タイトル識らず、裕美さんのコンサートのテーマ曲のような…。)
EN1)WING
EN2)青春はアンコールのないコンサート
※ピアノ弾き語りは多分、M1,4,5,7,8,13で、M6はギター弾き語り。他はハンドマイク。
特にM14をもう一度聴きたいものだ。
♪楽しい時間ほど、あっという間に過ぎてゆく だから今この時を大切にしたいの〜 >>575
いいですねぇ〜
こんなセットリストのソロコン死ぬまで1回は観たかったな・・・ >>576
原宿で歌われなかった自作の曲は他にもありますし、1980年以降も
裕美さんは曲を作られています。今の裕美さんに自作曲オンリーのコンサートを
開催して欲しいと私は願っています。希望する人は多く居ないかも知れませんが。 CBSソニー時代にアンケートはがきがアルバムに入っていて
ぜひ裕美さんの自作だけのアルバムが聴きたいと書いた
そしたら夢が叶って、背中合わせのランデブーで片面すべて裕美さんの自作
片面が拓郎の曲だった。売れなかったorz ここから凋落が始まったと思っている
2年後には聖子も出てきたしね 「グレー&ブルー」「恋の予感」「一人ぼっちの海」辺りは、裕美さん自作の中でも
「白いあなた」等と共にコンサートでよく演られていた印象だ。
折角の好機だった原宿で選曲されてないのは少し意外。
その分、歌う機会の少ない他の自作曲をという事かな。 阿久悠以降は1−2−3番で物語性を持っていないと売れなくなったんだよ
そういう意味では裕美さんの自作歌詞は古くさい散文風味 もともとジュリーが好きでナベプロにはいったということだから
いまの沢田を見てどうおもってるかね サンシャイン、ニュー・ミュージックフェア初日 太田裕美コンサート
1980.9.1 Mon.18:30〜 於 池袋サンシャイン劇場
セットリスト
M1) 嘆きのバラ
M2) 泪の中に顔がある
M3) モモンガー モモンガー
M4) 思い出を置く 君を置く
M5) 青春のしおり
M6) インストゥルメンタル 演奏:レインボー・カルテット
M7) 一人ぼっちの海
M8) 袋小路
M9) タイトル未定「雨のうた」(※8日前の原宿で初披露された1ハーフの未完成曲)
M10)グレー&ブルー
M11)雨だれ
M12)インストゥルメンタル 演奏:サウスウインド
M13)乱反射(ハレーション)
M14)ピッツア・ハウス22時
M15)ドール
M16)Misty Nightにさよならを…
M17)最後のー葉
M18)黄昏海岸
M19)小さなキャンパス
ENC)南風―SOUTH WIND―
※3部構成のステージ。レインボー・カルテットに依る弦を前面に押したサウンドを
聴かせる第1部(M1〜M6)。
Pfの裕美さんとAGの松沢等さんに依る第2部(M7〜M11)。
サウスウインドが揃い、裕美さんはM17以外、ハンドマイクで歌われた
第3部(M12〜ラスト)。 >>578
尾崎亜美、八神純子、石川優子、沢田聖子といった後発のニューミュージック系アイドルが台頭すると同時にジリ貧が始まった感じ
アルバムまで伸び悩んだしなあ 1978年頃からのニュー・ミュージックブームは肌で感じていた。裕美さんも、
中間路線とか中途半端な事していないで、ニューミュージック側に完全に
移行出来ないものかと願わせる程の勢いがあった。 >>583
尾崎亜美は同期くらいじゃないか
ひな祭りコンサートに一緒に出てたから >>584
そういう勢いはなかったよ
連んでたけど >>585
尾崎亜美のデビューは1976年の「冥想」とかいう曲じゃない?同期ではないな。
以前、亜美さんは「先輩だけど、裕美ちゃんって呼ばせて頂いてる」と。
>>586
>>584 の「勢い」は1978年頃からのニュー・ミュージックブームを指してるよ。 ひなまつりコンサート、木綿の大ヒット中の1976年に飛び入り出演以来、
裕美さん毎年出演を重ねていた。観に出掛けた1979年は豪華なメンツだった。
確かに下降線だったが、出演順はトリのひとつ前。
1980年は、NHK総合テレビの録画とNHK-FMの生放送(丁度裕美さんの出番から)で。
つべにもあるみたいだが、FMでの、出番を終えた裕美さんに対するインタビューを
された所太郎さん、「裕美ちゃんには、この後もお手伝いしてもらいたい」として、
新人の横山みゆきと沢田聖子へのインタビュー時に裕美さんを再登場させて、
先輩・おねえさまとして持ち上げていじったりしてる。
司会の山本雄二は裕美さんを紹介する際、「このひなまつりコンサートには
欠かす事の出来ないチャームポイント」だと言われていた。併せ持つ
アイドル的な部分やテレビ出演等による裕美さんの知名度あればこそ
ではある。 ブームだの下降線だの40年も前の事だよね。でも、今でも裕美さんと接点を持って
活動されてるのは、フォーク系の先輩らとブームを担ったその後輩の人たちだよね。
75年の同期、レコード大賞新人賞受賞仲間との接点の方は…。 何年か前、片平なぎさが司会の番組に岩崎宏美と一緒に出演していたな。
片平なぎさは太田裕美を「裕美さん」、岩崎宏美を「宏美ちゃん」と呼んでいた。 >>590
デビューだと太田裕美、片平なぎさ、岩崎宏美の順だな
生まれだと裕美、宏美、なぎさの順だが アイドルがオリコントップ10にシングルを送り込める期間はせいぜい
長くて3年だからね
そういう意味では普通 >>592
モ娘。AKBあたりは長いな。西野カナはアイドルなのか?
デビュー年齢も上がってきているけど。 >>593
それは近年の現象。SMAPにしても嵐にしても ずっーっとオリコンに入ってる
理由は明快でずっとテレビに出てるから。
人気があるからテレビに出る、のではなくテレビに出続けることが
できるから人気がある。
つまりテレビ局と事務所と広告代理店の癒着の構造の強化が進んだから だから南沙織、天地マリ、伊藤咲子、岩崎宏美
聖子、明菜 etc.
オリコントップ10にヒット出せた期間を調べてみたらいい
だいたい3年までだと思う 今も若々しく、旬の頃のイメージを持ち続けて、キーも変えずに素晴らしい歌声を。
永いこと歌一本で今年45周年を迎えられる裕美さんは決して普通ではないよ。 まあ途中にサボってた時期があるからね
全盛期は76から78くらいの3年でそれ以降はのどを痛めるほど歌ってないというのが
あって。 裕美・真代・真知子コンサートの再放送、偶然にも20日かあ。 >>598
自分で「インチキ○○周年」とか言うからね笑
でも喉を傷めて「しあわせ未満」や「12ページの詩集」あたりの歌声が聞けなくなったのは残念だった 1990年代半ば位から少しずつライブを再開されて、25周年があって、
その頃からの少人数編成のバンドでも「しあわせ未満」はよく歌われるけど、
アレンジがレゲエ調っていうのかな?詳しくないけど、あまり良いとは…。
ドラムが入ってから「しあわせ未満」演奏されたかな? 今後のソロコンはずっと(といっても年1、2回か・・)ドラムとタイコさんのKB入りかな? 去年の恵比寿、京都では確か「しあわせ未満」は演らなかったよな。中程の座席だった
京都は、ドラムが加わった演奏も良い具合に聴こえてとても良かった。
逆に、珍しく最前列だった恵比寿では、ドラムの音が近すぎて。 製作中の映画で青春のしおりってあるけど、さすがに裕美さん関係ないよね?
テーマ曲やエンディングで青春のしおりとわかれ道流れたら自分的にはかなりやばい。
たぶん号泣。 >>604
主人公 シュンが、命短い 栞理と出合い・・・
ウッドストックのCSNYとかとか赤毛のアンとか元町とか
あまり関係なさそう 「僕らはちっぽけな夢をほどきながら」とか「恋のうた」「土曜日の恋人」とか
聴いた? ヘアダイのノックに怯える
横山ノックのあの髪でヘアダイができるのか
あの歌詞はそんなことを思い浮かべさせる >>599
見たよ
どすこいすぎるだろ
誰とは言わんけど >>614
滑舌悪すぎて使ってもらえなかったかもしれんな そんなキモい世界じゃなくて裕美ちゃんは日の当たる世界で生きてきたの アコースティックの単独コンサートだけ行ってるんだけど
今年も京都は夏かねぇ・・
一昨年までの4/5月が良かったんだが >>615
若い頃のラジオも聞き取れないことがよくあったからね
「さくら」の時の、見てる側をヒヤヒヤさせる芝居はご愛嬌 ファンでもと言うかファンだからこそ
見てられなかったわw 「さくら」出演の話、放送前年(2001年)のコンサートのMCで知って、
とても喜んだ事を思い出す。 「さくら」と言えば…
5月ソロコンはお馴染みの渋谷さくらホールが決定。 浅田美代子との共演が嬉しかった「さくら」。
それまで、ふたりを同じテレビ画面で見たこと無かった。
美代子さんがお手伝い役だった「寺内貫太郎一家」の貫太郎そのまんまの
雰囲気で亜星さん、裕美さんの父親役。母親役が中村メイコさんなのも御主人の
神津善行さんと「ワイワイワイド善行け土曜日」で裕美さん共演されていたし、
はづきさんと裕美さんがニューヨークを闊歩されていた話を、愛川さんがラジオで
ゲストの裕美さんとされていたので、キャストの面白さもあった。 銀色夏生をゲストで呼ぼうとしてた時があったが(40周年の時か?)、
今回の記念イヤーのソロコン、何かサプライズは?
BSの40周年ライブSPでは、イルカ,伊勢,大野と出演したライブ映像も
流して、彼らのコメント取ったりもしてたけど。 袋小路の歌詞の中に
アイビー越しにタワーが見えた
ってるけど
アイビーって何だろ
アイビールックとかアメリカのアイビーリーグくらいしか思い浮かばない 年齢はともかく何年これがわからないまま
袋小路を聴いてきたのかと考えると驚きを禁じえない アイビーってなんかアメリカっぽくて
憧れた言葉
自分には似合わないなあって思ってただけに おれは小学生の頃、「蔦のからまールチャペルで」の「ルチャペル」というのがなんだかわからなかった >>635
よしだたくろう「旅の宿」の くりの首 どんな栗だ?
中島みゆき「わかれうた」の うかれ町 どこにある町だ? >>638
それ全然違うじゃん
上の例は、前の単語の語尾が後ろの単語の頭について、子どもの耳には別の単語に聞こえたということだろ
音符の切れ目と言葉の切れ目のずれによって生じる現象だ 旅の宿には替え歌があった
土方の〜君は〜木綿のふんどし〜♪ ♫かたこと くびふるふるふるせんぷーき
が、古扇風機だとは思わなかったな
好きな曲なんだけどね 青春ポップス再放送今日も。先程終わった。
「遠い夏休み」は『手作りの画集』の中で特に好きな曲。
高田みづえもコンサートで歌ったみたいだ。 LIVE盤『Your Sweet Songs』で確か人気の高いアルバム曲として
「夏の扉」と共に「遠い夏休み」が選曲されていた。40周年の時も「遠い夏休み」は
しっかりチョイスされているし、屈指の裕美楽曲と言って間違いないと思う。 >>645
歌い出し♪あの夏あなたはランニングシャツ 小川で沢ガニとって遊んだ(中略)
遠い日の夏休み もう帰らない♪
郷愁を誘う歌詞に乗って歌われるバラード曲で、私は大好きな曲です。
耳に残るフルートの音やベースラインの格好良さ、ほぼ全編に亘る
素晴らしいハーモニーも大好きなんです。 あさってのイルカさんとのライブ観に行きます
「ミモザの下で」聴いてみたいなぁ 中野サンプラザのイルカ裕美観れて良かったあ。
40数年前のひなまつりコンサートの話もされていた。当時、二人の共演を
取り上げた週刊誌を見たけど、見開きページにピアノ&ギターを弾き語りする
二人の大きな写真とトーク中の小さいカットもあった。
それが目の前で展開され感激した。 翌日が新曲のレコーディングとか言ってたから
渋谷のコンサートで初お披露目なのかな? 遊佐未森のデビューアルバムに提供した太田裕美作詞作曲
花ざんげ
やさしいだけで物足りなかった
あなたを急に抱きたくなる
こんな生々しい曲よく書けたな
しかも清楚な不思議系で売り出す遊佐に歌わせるとは
福岡は何考えてたんだ >>655
そんなことを言ったら太田裕美だって「いつもクールなあなただけども 今日は激しく愛してほしい(白いあなた)」とか自作で歌ってるぞ。
声質とか歌い方でも印象は変わるからなあ。 >>656
そちらの方が生々しいなこれは意外
空耳の丘収録の夢のひとは遊佐のイメージどおり
ハルモニオデオン収録の空色の帽子は(曲のみ)良かったよ 空色の帽子、ラジオでコラボしてたのは1年半程前か。 遊佐未森ライブに太田裕美ゲストは去年か。行ってはいないが。 大昔、FM東京に観戦チケットの投稿をしたら当選したっけなぁ
厚生年金PA席の真後ろ、良い席だった 白いあなたはしかもシチュエーションが夕方だし。
私スキを先取りしたような曲。
たぶんゲレンデで聞いても違和感なく気持ちいいと思う。 ゲレンデの情景が浮かんで来るようなアレンジがイイネ「白いあなた」は。
ライブでもよく選曲されていた。勿論、ピアノ弾き語りで。
つべに在ったが、人気沸騰の頃だから、夜ヒットで、自作のこの曲と
新曲「最後の一葉」の2曲が歌われていた。 >>665
いい歳なんだからそりゃそうだろ
むしろ色々工夫して維持してる方だと思うよ 2年ほど前のライブで「たんぽぽ」歌ってるの聴いてすごいな〜と思った
かなり高音はキツそうな曲なのに 八神純子はあのお年で
ポーラスターやミスターブーを難なく歌っちゃってるよなあ 裕美さんがライブやイベント、ラジオ等で共演されている渡辺真知子や
尾崎亜美、八神純子らは裕美さんより2〜3学年下だよね。
因みに岩崎宏美や石川ひとみは4〜5学年下。裕美さんと同学年なのは
庄野真代や伊藤蘭、南沙織辺りか。 本人は原キーで歌えなくなったら引退すると言ってるね 昨日のユーミン@武道館行ったけど、高い部分は年々出なくなって来てる 八神純子とのピアノジョイントをYoutubeでよく観る 京都スケジュール出たよ
7/6(土)1730開演
京都劇場
特別先行3/29まで 京都の7月は異常に暑いからなぁ・・・
前みたいに4月5月でやってくれればいけるのに チケット価格 微妙にあげてきてるよね
2013年頃はまだ3500円くらいだったのに
太田 裕美
? @ohtahiromi1974
3月8日
京都のソロ・コンサート♪
発表になりました?
こちらもお見逃しなく??
東京も京都も
かなりコアな内容に
なると思いますので
覚悟の上で
お越しください???♀? http://www.sonymusic.co.jp/artist/HiromiOta/live/45550 …
43件の返信 47件のリツイート 461 いいね >>685
本当にそんなこと言ってたのか
ネタかと思ったよw 裕美さんの高音部はファルセットという曲が多いのでまずキー落とす必要がないんだよ
聖子は現在 1〜1.5キーを落としてる 昔は地声がD5まで出てた
裕美さんはそれより低いB4あたりでもファルセットの裏声(赤いハイヒールの最初ねえ
のえの音は裏声) オリジナルキー云々の話の後も、又ちょっと揺れているとか聞いた気がするけどな。
晩年の枯れた歌声の良さを何かに聴かれて、ああこういうのもイイと思ったとか。
今までのように歌えなければ辞めたいというような想いと共に
そういう気持ちも持たれているんだなと。 東京と京都のコンサートかなりコアな内容になるって・・・
ファンにとってはたまらないな 今年はさすがに東京と京都の公演間の
日にちは空いたね
出来れば少しでもイイからセットリストの
違いがあったほうがうれしい ピアノの大古さんが好きでソロに行くんだけど、
なごみーずとか他のコンサートでも裕美さんとはジョイントしてるのかな? ◆払込金額 (チケット代金¥6,500×枚数)+送料¥400 ここみると700円だね
http://www.eonet.ne.jp/~nw1/sen-ohta.html >>697
これH/Pのライブ情報の上とかメールで送ってきたのと内容違うやん・・・
ナウウエストワン宛になってるし
それともメールの払い先は渋谷の内容をそのままコピペして間違ってるのか?
おれメールで来たボイスアンドリズムのほうへ支払い手続きしてしまったわ 698だけど
ボイスアンドリズムと連絡取れてメールのほうの内容で良いと聞いた
ボイスアンドリズム宛は
◆払込金額 (チケット代金¥6,500×枚数)+送料¥400でした >>698
ありがとう
メールで来た方は400円だったのに…と思ってたんだけど
こっちが正しいのですね 安心しました
ところで、もう受付開始してました?
これも上記HPの方だけど「2019/3/22〜29の消印有効」となっていたので >>700
自分は京都公演のメールが3/8に来てたもんだから
もういつもの条件反射で3/11に郵便振替で申し込み終えていましたw
そのへん(いつからいつまで)は話さなかったですねぇ・・ 渋谷一般発売10:00発売開始 10:00完売
労音、ピア、イープラス等全て 古いウォークマンに
*木綿のハンカチーフ(album ver.)
*木綿のハンカチーフ(single ver.)
*木綿のハンカチーフ(backing track)
が入っている
今聴くとアルバムバージョンも良い感じだな 両方とも好きだけど、より好きなのはアルバムVer.の方。
テレビで「木綿」を裕美さんが歌われる場合でも、演歌・歌謡曲系番組での
シングルVer.に沿ったアレンジよりも、「なごみーず」やこうせつバンドとか
風街バンド等の演奏に乗って歌われた「木綿」の方がはるかに好きだ。 演歌・歌謡曲番組のオーケストラ演奏だと、アレンジだけでなくテンポも
シングル音源に則って演奏されるみたいだが、聴いていて幾分速く感じる。
フルで約3分45秒、3コーラスの短縮バージョンで3分00秒前後となるようだ。
これがバンド演奏での木綿だと、フルになるケースも多いし、テンポも少し
ゆっくりになって聴いていて非常に心地良い。フルで4分15秒と
30秒程長いケースもあった。 裕美さんご本人もアルバムのアレンジの方をお好みらしい。 single ver.は、レコード会社主導のアレンジなんだろうけど
やっぱりalbum ver.好きな人が多いんだな 毎年この季節は
振り向けばイエスタデイを口ずさんでしまう NHK見てたけど、顔が原型から崩れてきてる…
二年前までコンサートに行ってたんだがテレビだとこうなるのか、年取ったんだな >>713
逆に、保っているほうが化けモンなんだと考えるんだ! >>713
40年以上前の姿を重ねるからよ
元々タヌキ顔だから変化に気がつきにくいし >>718
ん、タヌキ顔?
タヌキ顔ではないでしょ 薬師丸ひろ子の姉の役やったぐらいだから、たぬき顔でしょ。 以前、ステージ上の山本潤子に呼ばれて尾崎亜美と二人で袖から出て来た
裕美さんが「ちびまる隊で〜す」とか言って笑いをとっていた事があった。 TVの時はコンサートの時より化粧がけばい気がする
実物を見たのは二年前のコンサートだけど チラ裏な話し…
彼女の楽曲の多く(渡米前)をなぜか東芝レコードのエンジニアが手がけていました。 >>720
可愛がられていた愛川欽也には
カエルと言われてたって本人が言ってたよ >>727
Twitterにもほとんど無いね
まぁ曲の是非よりも
太田裕美が高齢者応援ソングに手を出した事に
感慨深いものがあるな テクノポップ期のボックス出して〜
レーザーディスクで発売したライブビデオもつけて1万くらいで 刈り上げしなくなってからも歌われているし、以前からIdo,You doは
名盤だと思ってた。今はTAMATEBAKOもお気に入りだ。 まごころこんさあと PART1〜10 CDBOX 豪華ブックレット付 だべ。
同時にハイレゾ配信販売 DSD128 or DSD256 >>733
去年から妄想書いてるバカ
オーダーメイドファクトリーは復刻版しかださないよ Q 「オーダーメイドファクトリー」とはどのようなサービスですか?
A 廃盤となり入手困難な商品や、新たなベスト盤企画、貴重な未発表音源やブックレットが付いた豪華BOXセットなど、様々なタイトルを皆様のご予約によって商品化してお届けするサービスです。
設定された予約期間内に、予約数が規定の数に達した場合のみ商品化決定となります。 最近交流があるようにも思えないが
蘭ちゃんとコラボしてほしい >>733
近頃のオーダーメイドはそうとは限らない
むしろ一般市場では売れない枚数のコンピレーションやベスト盤も増えている デュエットなどで参加した他人の曲を集めたのはと思ったけれど、
ソニーから発売されたのが半分以上でないと難しいかな。
何があるか探し尽くせないし、1曲のためにCD買うのもムダだし。 >>739
稲垣潤一/男と女/木綿のハンカチーフ
大野真澄/VOCAL'S VOCALS/地球はメリー・ゴーランド
キンモクセイ/さくら/木綿のハンカチーフ
こんのひとみ/保健室ものがたり/光の旅
高橋鮎生/Red Moon/全曲
南こうせつ/サマーピクニック/あの日の空よ ほか
宮川弾アンサンブル/pied-piper/bottles
Mプロジェクト/若いってすばらしい/ひとりじゃないの
オムニバス/KUROちゃんをうたう/Banana Spirit
オムニバス/あらからくん/うた ほか数曲
このほかの参加曲の情報を求む 高橋鮎生 EARTH GUITAR - 千の春の物語 5.今宵は春の夜 >>736
太田裕美、伊藤蘭共演イイネ。コラボ見たい。
目黒雅敘園でのスクールメイツ大同窓会で一緒の写真に収まってた。
あと、天童荒太作品「悼む人」を通して二人の間で連絡があったらしい。
舞台化された「悼む人」に出演の伊藤蘭が観に来ない?と太田裕美を誘ったと。
原作本を読んでインスパイアされ、曲も書いていた(Hope)太田が伊藤に
「聴いてね」と言ったところ、その話を伊藤は作者の天童に伝え、太田裕美×天童荒太
テレビ対談のきっかけになったとの事。 >>740
「この愛は始まってもいない」「友達よ泣くんじゃない」「イエスタデイ・ワンス・モア」
「みかんの花咲く丘」「Fun×4」「指輪のあとに」等々。
参加曲、思いつくままに。 デビュー当時の近代映画に慶大映画研究部がドキュメント映画を製作したと載っているが、どこかに残っていないかなあ
30分ものだそうだ NHK・BS3のイルカ.コンサートにゲスト出演してた
正やんもいたから仲良しグループではあるね
しかし1955年生まれって本当ですか?僕より一回り年上?結婚して下さい、友達からでも 宇宙戦艦ヤマト、裕美さんコンサートで歌われた事あったな。
漫画メドレーのコーナーが設けられてポパイやムーミン等と一緒に。
1978年か79年辺りだった筈。まだアニメとは言ってなかった。 「桜月夜」の生歌、なごみーずのソロコーナーで。凄く気に入った。
聴けて観れて良かった。 なごみーず、イルカ、亜美、真代、真知子…。この辺りは関係濃いな。
こうせつ、ばんば、二郎さん等々。二郎さん50周年ライブに裕美さんも参加してたけど、
その時集まってたメンツの殆どと裕美さんジョイントコンサートしてると思う。
でも、伊藤咲子、岡田奈々が新曲出したり、伊藤蘭ソロデビューとか。
岩崎宏美も当然…。デビューが近いという事で45年間の中身が違っても
ニュースとして被っては来るんだよな。 あの年この歌で少し流れたけどスローテンポの木綿もいいなぁ
歌では小坂明子さんも互角なんだけどビジュアルがなぁ 小坂明子もそうだし正やんの奥様や高木麻早と同じタイプのシンガーになる可能性もあった
>>752
岡田奈々の新曲リリースは本当にビックリした
豪華特典もついているらしい 「あの年この歌」観た。木綿の4番のみの過去映像だったけど、凄く良かった。
ライブやテレビ出演を少しづつ再開し始めた頃の1997年のものだったな。
アリさん、羽毛田さん、西海さんがサポートだった。
「あの年この歌」は数年前、ゲスト出演もして坂崎・高見沢バックで「木綿」フル
歌われてた。 79年の森田公一とのライブの台本がオクにでてるけど
台詞全部書いてあるのな
森田さんがいるからかそれともソロライブでも台詞決まってたのかね
アイドル時代だから変なこというと怒られるし >>757
この動画だと客席へのサインボールのプレゼント、裕美さんとバンドメンバーが
バットを持って交代で行われたようですね。
私が観た漫画メドレーは東京でしたが、メドレーの途中で「巨人の星」の
BGMに乗って袖から出て来たスタッフがバットを振ってた記憶。
まあ、薄れた頼りない記憶ですが…。とにかく懐かしいですねえ。 野球チームを結成してアーチストのチーム同士で対抗試合もしてた裕美さん。
あの頃の裕美バンドは「コズミックララバイ」、野球のチーム名は「ヒロミックララバイ」でしたね。 対戦相手は宇崎竜童のチーム“ブギウギーズ”とか庄野真代の“マヨネーズ”、
あと田山雅充チームや岸本加世子チームなんかもあった。 昔行った裕美さんのコンサート、曲間のMCで野球が話題に登っていたが、
巨人の調子が悪い事に不平を洩らし嘆かれる裕美さんに客席が反応し、あちこちから
声が飛んで、裕美さんと客席の間で選手の名を挙げたやりとりに
発展して大いに盛り上がっていたのを憶えている。
長嶋監督を始め、中畑、山倉、ホワイト、シピン、高田らの名前が上っていた。 先月、武道館のイベントでイルカ、尾崎亜美と一緒に「春一番」歌われたって!? 来月のソロコンは
OP曲=新曲A
ごあいさつMC後=新曲B
ED曲=新曲A
EN曲=新曲B
で行こうかなぁと思ってます たぶん昔、自分がケロンパなのにキンキンと一緒に裕美さんをケロケロカエル扱いしたんだろう。 おそらく結納の席での話では?裕美さんがゲストのラジオで笑って回想してた。
2回ほど聴いた記憶がある。 うつみは略奪結婚で最後はまた愛人に略奪されてて精神を病んでたと聞いたけど
そういえばスーチャンもそういうので不幸なひとだったね よしこカット!が印象強すぎて 中学生の時に聴いた「しあわせ未満」が好きだ
同級生のカワイイ子が卒業の寄せ書きに「しあわせ未満「と書いていて
どういう意味だろうと色々考えたものだw 新曲、還暦過ぎてるのに凄いですね。でも聴いてて疲れてしまう。聴いてるうちに慣れるだろうけど。 辛い思いをしてまで聴かなくても、好きな歌だけでもいいじゃん 最高だった。熱唱に次ぐ熱唱、渾身のステージに涙出て来たよ。 自分としていい感じと思ったけど、>>777みたいな意見が出るのもうなずける なんか自分が聴きたい曲はもう絶対無理なような気がしてきた・・・
それと指笛、うざい 指笛はもうアンケートにみんなが禁止して欲しいと書き続けるしかない 「クリスタル・ムーン」大好きだなあ。後にシングル「恋のハーフムーン」に
なった感じ?
曲の方は筒美さんと大瀧さんだけど、何か近い感じがする。 前々からお世辞にも元気がいい客席とは言えないと思っていたけど、
とうとう裕美さん本人からダメ出しされちゃったな。
あの後は少しはましな手拍子だったじゃない?ドールやシベリア鉄道でも
手拍子が起きない事もあるもんな。みんな右へ習えなんだろうな。
裕美さんをがっかりさせたくないと率先する人が多く出てこなければ
活気のある客席は望めないと思う。指笛の響きを煩いと感じる人ばかりではね。
因みに私は指笛出来ないから出来る人がうらやましい。 初参加の人は少なくて、複数回来てる人ばかりだもんな。 太田裕美の生の歌声を聴きたいのか、太田裕美のステージで歌う姿を見たいのか、全て引っくるめるてライブの熱気に酔いしれたいのか
どっちつかずに成りつつある自分、会場にいるだけで満足しちゃってるのかも
やっぱり歳はとりたくないよォ ラスト際のスタンディングは止めてほしい
裕美さんが煽ってるから仕方ないけど、座ったままでじっくり見ていたいのに
前が立つのでまったく見られない 指笛ぐらいいいかなーと思ってたけど
真後ろの席でやられるとキッいなw
後半は耳鳴りで聴きづらくなった
ほどほどにしような >>784
そんなのあったのか……まあ、平均年齢高いからしょうがないね。 普通に歌を歌って聴くコンサートは成り立たないのか? 告知のあった11月の国際フォーラムがどんな感じになるのかね・・?
正直、最近は青春ポップスの方が素直に楽しめてる自分が居るw もう最初から最後まで「ヒ ロ ミ チャァァァン!!!!」のコールをすれば良いんだヨ
野郎だらけの40年以上前を思い出してサ 今でも時折、コールが聴こえたりもするよな。本当は思い切り叫びたいと
思っている人、結構居るんじゃないかな?笛の人は、コールとか声援もしているのかな?
もしも大コールが沸き起こるような奇跡でもあれば、大喜びしてくれるよ。 本人のモチベが上がる事ならしてあげたいな
アップテンポな曲のクラップとか
オーラスでのスタンディングとか
あとMCのリアクションも大事
コールや指笛は自己満足ではなく
場を盛り上げるための奉仕の精神でよろ 自分はライブで聴いたことがない
「こけてぃっしゅ」からの2曲が良かった >>784
1曲作ればいいw 作詞作曲太田裕美
新曲「手拍子くらいしたっていいじゃない!?」からスタート〜 好きなアーチストのコンサートを年に何回か観にきたときくらい
自分の年齢とかどうでもいいと思う むしろ忘れたいw
身体が保たないと思うのならそれはその人なりで楽しめばいいと思う >>797
冗談抜きで面白そうww
テクノ並に尖った状態で作ってほしいwwww
でも神輿を担ぐようなコンサートはヤダなという気もある レインボーシティライトは聞いたことないな
バンド形式ならやってほしい ちょっとイイ年wになったんで
色んなレジェンドアーチストのコンサート行ってるけど
たぶん年寄りな・・・見てたら手拍子苦手やねん 合わへんのよコレが
最低でも演者のほうからリクエストきたときぐらい
オレはするけどなぁ >>801
「レインボー・シティ・ライト」、聴いて観たいのは勿論だけど…。
(乗ってくれるんでしょうね?)という声が聞こえるようですね。
あんなノリノリの曲、演ったはいいけど、石像の如くの俺らを見たら
又がっかりだろうなあ。 爺ばかりだと立ったらうしろの爺が怒るとかあるんやないの ライブは活きものだという証拠では?以前、周りが大勢立ち上がってる時以外でも、
「ひぐらし」で突き動かされるような感じで立ち上がってた人居たよ。 個人的にはむしろ座りっぱなしの方が疲れる
京都と11月は登場と同時にオールスタンディングにしようぜw
腕とか突き上げたりさ(肩上げれる人だけ)
無理だろな・・・ >>806
イイネ!賛成!記念イヤーなんだし、永くファンやってる人なら尚の事、
感謝の想いとか色々あるんじゃないかな?自分も固まって聴いてるだけって
苦手だし、45周年を祝いたい気持ち。近年にない大盛りあがりの会場を
経験してみたい。 客が総立ちとかいうのは80年代のMTVの演出が大きいのよ
70年代だとロックのライブでも皆座ってみてたから
海外でも つまり裕美さんがババアの声で新曲ばかり歌うと。
うん。 裕美さんがババアになれば俺らもジジイになるんだもの…
声のかすれは年々増す一方だし 東京コンサートで西海さんだけ何故か離れた位置に居たことで
裕美ちゃんが危険人物だからとか冗談を飛ばしてたけどあれって何か意味があったのかね? 何で発達障害の話がこんなスレに出てくるんだ?
大丈夫?w チケット代払ったからって言って
ファンでもない部外者に会場に居座られたら
ファンとしてはやだよね? それにしてもボイス&リズムは結局どういう事務所なのか。
太田さんの個人事務所と思っていたら離脱するし、離脱してもチケットや通販はここが扱ってるし。
そもそも本人のいまの立場は? フリー? マネジメントやってた懇意のおばはんが辞めただけでは
知らんけど 「第二の木之内みどり」
人気が下火になってきた頃のゴシップだったから、ちょっとビックリした 京都、時期が暑すぎてパスしたけど、キャンセルが出ましたって聞くと行きたくなった・・ 昨日の「徹子の部屋」、ゲストは伊藤蘭だった。蘭さんの話の中に裕美さんの名が。
>>623 に関連する話があるが、神津はづきさんを裕美さんから紹介して貰ったと。 武道館の裕美さん、テレビで視たけど、とても良かった。三人で歌われた
「春一番」、珍しいものが視れた。 裕美さんがキャンディーズの楽曲を演ったことって過去にあんの?
もしかして初? アイコンが犬を連れた普通のオバさん。
完全に群集に埋没しててすれ違っても見過ごしそう。 昭和は輝いていたで流れた歌謡大賞の時の雨だれ、見れて良かった。
もの凄くかわいいな。音楽と歩いた青春ではちょっとしか使われなかった同じ映像。 割と商魂たくましい
ファンで居るにはカネがかかる人かもしれない ぢゃあ、まごころコンサートのCD BOX出してよん。 >>837
初めてだったか否かは分からんが,自分は初めてだったし,楽しめたな。
ソロコンでも演らないし、なごみーずや青春ポップスでも同様。又、大阪城イベント等、
フォーク系イベントでも選曲されはしないし,裕美さんの過去のカバー曲収録にも
無いよね、多分。若い頃のコンサートやテレビ等で演った事があるかどうか?
今回演られたのも、泉谷しげる曰くの沢田研二を茶化しつつ応援という意味での
「TOKIO」(宇崎竜童・泉谷しげる)→「春一番」(イルカ・太田裕美・尾崎亜美)の流れだったもんな。
ドタキャン(ディーズ)だから。 じゃあ、たぶんプライベートでカラオケで歌ったた時ぐらいでしょうね、勝手な推測ですけども。
プライベートだとどんな曲歌ってんだろ、「恋する夏の日」「六本木心中」とか歌いそうな気が・・・
「ワンナイト・カーニバル」は無いだろうな。 キャンディーズの曲ではないが、天地真理「レイン・ステイション」や
山口百恵の「曼珠沙華」(夢先案内人を希望だったが)をカバーされたし、「六本木心中」
ではないが、「女はそれを我慢できない」でお若い頃、アン・ルイスの歌まねされてた。
MFで岩崎宏美と共演の際は、少し「聖母たちのララバイ」を歌われたし、
数年前ラジオで谷山浩子と一緒に、初めて「ロマンス」を歌われてもいる。
10年位前に、ライブで「学園天国」や「なんてったってアイドル」(小泉今日子)を
歌われた事があった。テレビで森高千里「SO BLUE」ELT「UNSPEAKABLE」とかも。
あと、Mプロジェクトの時も「ひとりじゃないの」(天地真理)とか大勢で歌われたりも。
石川ひとみ、伊藤蘭、桑江知子、中尾ミエ、リリーズ、山下久美子らと共に。
まあ、でも「翼をください」「風」「あの素晴しい愛をもう一度」辺りを歌われる機会が
圧倒的だと思われる。なごみーずと青春ポップスで一緒に歌われる曲を除けば。 質問です
太田裕美さんの とにかく寂しいのです という曲を偶然聴耳にする機会があり
木綿のハンカチーフくらいしか知らなかったのですが
この曲のフルサイズで収録されているCDとかはあるのでしょうか?
iTunesには配信は無くレンタルショップのベストなどにも収録されていないようなので質問した次第です シングル青空の翳りのB面曲なので、
太田裕美 Singles1978~2001 Hybrid SACD
これに収録されてる。 >>850
ありがとうございます!
これって普通のCDとは違うのでしょうか?itunesに落とせるのかなと >>850
Hybrid SACDなので、通常のCDとしても普通に使えます。
普通にリッピングもできます。
更にSACDプレーヤーが有れば、DSDのハイレゾでも聞けます。 今サッカーファンなんだ。
もう巨人ファンやめたのかな。
「裕美ちゃん、今日巨人勝ったね」
「王さんがHR3本打ったの〜」
夜ヒットの会話がなつかしい。 長嶋解任劇の頃のステージ上での事。
大の巨人ファン長嶋ファンを公言していたのに解任問題に何も意思表示がなく
ショックだ、とのファンからの便りを読み上げてから、私も機会を見つけては
発言していたと話された上で、更に「私はあれから下を向いて歩いています。
何故なら、一億円を拾ってONを引っ張り込んで、新球団を作る積もりだから。」と
返事を書こうと思うという、時事ネタを盛り込んだユニークな話をされていた。 名盤ドキュメント 太田裕美「心が風邪をひいた日」木綿のハンカチーフ誕生の秘密[字][再]
7月6日(土) 15:00〜16:00 NHKBSプレミアム ツイッターの集合写真なんかみると本当にちっちゃいね。
まさに小さな巨人! 心が風を引いた日は
ひぐらしっていうムーミンの書いたきょくがよかったな ひぐらしは京都のご当地ソングとして定着したから
今度の京都劇場でまた聴けるやろね「きょうとぉ〜〜」 数年前、円山でのイベント『京の旅人』の時も「ひぐらし」をノリノリで歌われてた。
ばんばひろふみ曰く、「何度も裕美ちゃんのステージ見させて貰ってるけど、
今日は凄かったね。跳ねてたもんね。」 ユーミンさんは
裕美さんに提供した3曲はセルフカバーしてないんだね
袋小路 ひぐらし 青い傘
シングルカットしてないそれぞれアルバムの中の1曲という位置づけだからか? >>800-803
こんばんは
木綿のハンカチーフ 道路の真ん中で「♪Let's Shine 〜」のポーズ! 今回は「ミモザの下で」歌ってくれた
弾き語りの「恋の予感」は出色の出来だった 自分の聞き違いだと行けないので確認したいのだけど、東京フォーラムの話の時にさらっと「45周年記念アルバムに先駆けて」とさらっと言ってなかった? 雨だれ 弾き語り
筒美京平、萩田光雄、太田裕美のメッセージ付き
https://youtu.be/E1o-IxcSX4U 京都はバンドはいつもの手抜きバンドだった?
たまにはリサイタルなんだから
5人編成くらいのベースドラム付きので
やってほしいな 今回もピアノは大古富士子さんでした?
この人目当てにいつも行くんだけど、今回行かなかったから気になる >>884
ここ何回かはずっとドラムは「キリンジ」の楠さんが
参加してるよ。
ベースについては専任は居ないけど、よくよく聴いてたら
岩井さんがリードも奏でつつ、ギターで低音パートを
出してる曲もちらほらあったと思う(器用やぁ)。
ここにもし太古さんまでもが入ったら
裕美さん自身もマルチプレーヤーwなので
山下達郎クラスのビッグバンドじゃあないッスか〜。 >>888
ありがとう。まじですか・・
毎回チームかと思ってた ツイッターみたらいつものしょぼいメンバーで萎えた
高い金とってあれじゃぼったくりだよ
リサイタルなのに。 >>890
去年あたりから太古さんじゃない事が多い 一時期 洋楽が好きでリーリトナーに弾いてもらってたりしてたのに
音にはこだわりがなくなったんかね 沢田研二は最近のライブ演奏ギター一本で8000円とか
もっと酷いけど 数年前からバンドなのにベースがいないとか無茶苦茶だった。 やっぱりナベプロ期はナベシンさんがいたせいもあるけどバンドに手抜きはなかったね https://www.youtube.com/watch?v=WapOtut-xeU
1978年のライブ
バンド編成 keyx1 Drumsx1 Guitarx2 Bassx1 hornx2 chorusx3
同じ京都でも10人のバックバンド
https://www.youtube.com/watch?v=joTRExTJC_k
’82年のライブ
7人編成
keyx1 drumsx1 guitar x2 bassx1 flutex1 chorusx1
最近のライブ
guitarx2 keyx1(いないときもある)本人がピアノ >>894
ジュリーは見に行ったけど、ギター1本と言っても長いつきあいの柴山さんだし、ベースレスだからダメとは思わない。(選曲とかは微妙だが)
しかしフルバンドで太田裕美の唄を聴きたい自分としては、最近(でもないけど)では風街のステージが最高だった。 恋のハーフムーンとかは現在の編成では無理あるわな
というか岩井さんに負担かかりすぎだよ バンドはボランティアだと思ってんの?
金ないからむりなんだよ 京都については7000円ほど取っててナベプロに搾取されないのだから
昔よりもっと舞台に金をかけられますよ けちってるだけで。 さすがにソロリサイタルでバンド3人とか客舐めてない? 昔みたいにツアーとか◯DAYS公演じゃないからね
単発ライブにそこまでコスト掛けられないでしよ バンドマンのギャラは安いよ 1ステージ数万円
それさえケチるとは ハゲあたまのクソじじいになったら文句しか言わんな・・・ 60歳以上はライヴ参加禁止な
理由 うぜーしバカだから 売り上げ予定 6500円x940席として611万円
使用料が665000円 午前中搬入 終演後撤去なので当日料金だけ
https://www.kyoto-gekijo.com/riyou/pdf/price201809.pdf
プロモーターが制作費込みでギャラ300万払っても十分 まともなバンド連れて行けると思いますが 70年代はレコードそっくりに演奏してくれたのがすごい感動した
茶色の鞄とか そうか?・・・ここ数年のライブが3人(たまに+太古さん)
だったからドラムが増えて喜んだんだが・・・ ビートルズでも4人
引退間際でやっと臨時キーボードが参加 ベースとドラムスがないのをバンドとは言わない
人数の問題ではない 10年前ならともかく3500円くらいでやってたから金をかけられないという言い訳は
成り立つが、今は7000円ほど取って演奏がアンプラグドでは納得しない人も多い
そんなにケチる理由は銭ゲバでしかないから そんなことよりも、京都ではなんだか声が野太く感じたんだけど、音響ないし歌唱法のせい?
それとも気のせい? ぼくのかんがえたおおたひろみのそろらいぶ
意見は本人のTwitterがあるんだから凸してこい そんな不平不満なことイイながらも
東京フォーラムにぞろぞろ現れる初老軍団 twitter、始めた頃からフォローしてたけど、つまらなすぎたやめた ドラムとベース入れるだけでもかなり変わると思うけどね
当時の曲の再現性
萩田光雄はフルートとかオーボエをアレンジでよく使ってた
それはシンセでなんとかなるから
ポールマッカートニーのバンドも5人だけど昔の曲の再現性が高い 大古さん居ないなら次回もパスだな・・・
ワンマンコンサートでなくても裕美さんは見られるし マヌケ&クソジジイはレコードの完全再現を望むからなW 当時の大学生ファンなら裕美ばあさんより年上だから70近いよ
デビュー時に東大にファンクラブできたとかあったでしょ シンセとシーケンサーつかったらかなりのこと出来るけどね
人力の生演奏ではなくなるから賛否はあるだろうけど
オーケストラの音でも出せる >>926
こんなとこでぐだぐだ言ってるのが初老
それ以上(初老ではない)のは息してるだけ
ただ会場へ来るだけ
手拍子しない、拍手もしない、立つなんてとうていしない
・・・たまに夫婦でボソボソ そら裕美タンが初老のおばあさんになりかけてるんだから無理もない 「初老」ということばは、何歳ぐらいの人のことを指すのでしょうか。
かつては、40歳ぐらいの人のことを指していました。ただし寿命が長くなった現代では、「初老」が当てはまるのは60歳ぐらいからと考える人が多くなっています。 まあライブ行くと禿げとばあさんばっかりだよ
大阪でやってる君と歩いた青春も しょうやんもヅラなんかな >>933
このドラマーじゃなくて記事書いたライターが、だろ
まあコットンケーキ(ジュリー命名)がバラけた理由にアイドルのバックをやりたくなかった話はホント
メンバー不足で裕美サンの知人女性が入っていたこともあった チケット一般発売日:9/28(土)
【LIVE】 出演:太田裕美
『太田裕美コンサート?まごころ大感謝祭<45周年45回転でくーるくる>』
☆11/24(日)開場:17:15 開演:18:00 東京国際フォーラム ホールC
チケット:全席指定¥7,000
○各先行予約等は決まり次第ご案内させていただきます。 不満があるなら「誰か」ではなく、自分が意見しろ
気に食わないなら、いかない
あなたの意見が多数派なら、コンサートには閑古鳥が鳴くだろう 毛(沢東と人)民のハンカチーフ
赤いハイアール
君と暴れた墳青
最後の一派
プチブル未満
造反有理
十月の革命 さては裕美は老後の資金ためにかかってるな
しょぼい3人バンドで経費節約 メイクのせいかもしれないが「たんぽぽ」の頃はやけに老けて見える
デビュー前のステージ101のほうが木綿で売れた以降の顔なんだよな...ふしぎ 1975年 前列右から2番目?
1974年 上から3番目、中央やや右で髭長髪に顔半分隠れてる? かくし芸大会の収録に全員集めちゃうのね
まさにナベプロにあらずは人にあらずの時代だなw ’76のみたらあがた森魚もナベプロにいたことあるんだね
ガロもいたけど >>955
1974年はメイツで歌っていたが、まだナベプロとタレント契約をしていなかったから集合写真にいなかったんじゃないか
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shimme/fo/hiromi3.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shimme/fo/hiromi5.html
ステージ101 二人のコスモス
https://www.youtube.com/watch?v=rnZVlk6VFkk
夜ヒットたんぽぽ(初登場回がさよならザ・ピーナッツで、天地真理、ハナ肇、野沢那智、殿様キングスの寸劇がインサート)
https://www.youtube.com/watch?v=xPF5R5WNYWc
夜ヒット夕焼け
https://www.youtube.com/watch?v=ovxXeVXiwgQ 夜ヒットのいつの回だったか忘れたけど小さいときに亡くなった障害者の弟のエピソードだされて
泣きながら歌ってたことがある 今から思うと鬼畜な演出だったと思う
なんとか泣かそうとして個人情報を探ってえげつないなと思った 年子で弟妹が1人ずついたんじゃないっけ?
週刊誌のコーナーで3人並んだ家族写真を見た記憶があるんだが...もう1人弟さんがいたのね >>959
夕焼けって
ようつべetcでいくら探しても
ライブ動画(音楽のみは除く)はコレしか見つからない
最近のソロコンでもこれは歌わないな 70年代アイドル大集合! 「ビューティフル・サンデー」
https://www.youtube.com/watch?v=Ew07dqnsPZw
裕美さんご本人はアイドルじゃないと言ってるけど、これ見ると超可愛いから仕方ない。 流れをブッタ切ってすみません!
いつぞやの生意気な若輩者です
去年の夏数十年来の太田裕美ファンの方の
頭髪を揶揄するレスをしてしまいました
レスした後「まずい」と思いつつも
今までそのままにしてしまいました
頭髪など薄かろうと白髪であろうと
問題ではありませんでした
面白くない気持ちの時にあるおじさまの
レスを見てつい反射的に反発するレスを
してしまった事をお詫びします
太田裕美さんの全盛期を知っているおじさま方の
レスをこれからも楽しみしていますので
どうかよろしくお願いします >>964
隣の岩崎宏美がちょっとダルそうw
前に「たまりまセブン」でピンクレディー、百恵、岡田奈々と踊っている映像がチラッと流れたが、裕美サンは結構ノリノリだった
アイドル的な振付も嫌いじゃないのね 旦那さんはランちゃんファンだったらしいね。
裕美さんファンとしては失礼な話だよな。w
>>964 を見ても太田裕美の方がいい女だろうと。
渡辺音楽出版に入社して新人社員研修でファイルコンサート行ったんだと。
新人社員と大物歌手、この時は裕美さんは雲の上の存在だったはず。 >>962
その子が亡くなった子だろ
幼稚園くらいの時に あんまり詮索するもんじゃないが、その家族写真は当時のリアルタイムで、弟さんはハタチ、妹さんは18歳となっていたぞ
https://youtube.com/watch?v=21z53Azb-pY
このラジオでも弟と旅行に行ったと発言しているし 東京フォーラムのライブ
チケット先行の案内まだかな? 東京フォーラムのライブ
チケット先行の案内まだかな? on the radio〜
このメロディ〜
去年の夏〜のヒットソング〜♪
去年の夏に何が流行ったかなんて
覚えてないわ
40年前の夏のヒットソングなら
覚えているけど キャンディーズと裕美さんのシングルを時系列にしてプレイリストにした。
1.あなたに夢中
5.雨だれ
6.年下の男の子 (伊藤蘭がセンターに)
12.木綿のハンカチーフ
13.春一番
22.暑中お見舞い申し上げます 「普通の女の子に戻りたい!」
23.九月の雨
27.微笑がえし
28.失恋魔術師
29.ドール
30.つばさ
49.金平糖 >>972
DA PUMP 『U.S.A』
カーモーン ベイビーアメリカおんふさ 蘭ちゃんは、芸能人的な若さを保っているのに、裕美ちゃんはおばさんを通り越しておばあちゃんの領域に入ってしまった お化粧しだい
蘭ちゃんだって見るからにかなりの厚塗り 伊藤蘭
アップになると相当劣化してるよ
藤本美樹はそれ以上だけど キャンディーズと裕美さんのシングルを時系列にしてのプレイリスト
27.微笑がえし
28.失恋魔術師
29.つばさ ←
30.ドール ←
ここの順番がキモでした。
キャンディーズが引退したあと、模索する裕美さん。
ヒットチャート的には振るわなくなっていったけど、今こうして聴くとシングルガールもガラスの世代もとても良い。
キャンディーズを絡めることで、裕美さんの音楽的変遷の追体験にリアルさが増した気がする。 君と歩いた青春は12ページの詩集版こそ至高だとおもってたけど、こうして時系列に眺めるなら、シングル版こそ輝いてくるのであった。
次のロンリーピーポー2からは青天の霹靂のごとく。いい、凄くいい。 クロスワードパズル、スカーレットの毛布、オレンジの口紅、
海に降る雪、スナックシェルブール、
いっぱいある スレ埋めにチラシの裏にでも書いてろ的な自分語り
自分が太田裕美ファンになったのは1980年代後半。
きっかけは「星の瞳のシルエット」という少女漫画。
原作者の柊あおいが太田裕美ファンで作中に「星がたり」の歌詞を使っていたのがきっかけ。
で、80年代後半といえば休業中(自分の感覚としては引退してると思ってた)で、
太田裕美さんに関する情報は殆ど無く、完全に「過去の人」状態だった。
レコード屋に行ってもレコードからCDに切り替わっててかろうじてカセット版とCD版での
シングルベストがあるだけ。
そんな感じで悶々としてたけど一念発起して当時まだあった中古レコード屋をあちこち廻って
なんとかシングルやらLPを中古で探しまわり、買い漁る日々を送る。
80年代後半はそんな日々を過ごしてました。
(つづく) おれは多分木綿のリアルタイマーとしては
最後方。最後の木綿リアルタイマー 泳げたいやきくんに惹かれて入ったレコード店で木綿のハンカチーフを売り込む太田裕美本人に会った。
小学生のころ九州の小さな町で。 子供だったのでおよげたいやきくんを聴いて満足して店を出た ちんぽこゴシゴシでちんぽこすりへっちゃうよピョンピョン 蘭ちゃんではこいたけど裕美さんではやってない、とマジレス。 最近
youtubeで見ごろ食べごろのキャンディーズのコントを見てます >>>984
続き
そんなこんなしてる内に90年代に入って音楽界はCDバブル・ミリオンセラーバブルの
時代になってちょっと懐メロリバイバルブームみたいな動きもあり、70年代〜80年代初頭に
活躍した歌手がまた再活躍する潮流が出てきた。
そんな中で太田裕美さんも「はじめてのラブレター」で本格的に復活すると知って嬉しかった。
その次の「Virginからはじめよう」も一応シングルは買ったけど何故か不思議と自分の中では
あまり盛り上がらなかった。
その時自分は太田裕美が好きなんじゃなくて太田裕美の1975年から1985年までの「音楽」が
好きだったという事に気が付き、そのままその後の音楽活動・芸能活動には距離を置くようになった。
だから「さくら」への出演もみんなのうたにも特に何も感じなかった。 >>995
このスレが埋まったら、次スレでも続き書いてね。 おれはベストテン枠のCMのタイアップ曲の南風
応援してたよ
でも結局ベストテンには入らんかったな >>996
下らない長文読んで下さり有難うございます。
>>995
これが最後です
そんな訳で自分の中で一度は冷めた太田裕美熱だったがYouTubeで気軽に過去の
色んな映像・ライブなどの音源が視聴できるようになってまた少しづつ太田裕美という
歌手について考える時間が出来ていき、この人の魅力とは何だろうと1周して再考して
いる段階です。
その魅力というものを考えていく中でやはり「太田裕美の音楽」だけで物事を見ることに
限界も感じていてやはり「太田裕美」という人の歩んできた色んな道のりみたいなものにも
目を向けざるを得なくなってるかな、という段階です。
特にオチもない文章でスレ汚し失礼致しました。
願わくば太田裕美さんをリアルタイムで感じる事のできる時代に生まれたかったな、
という思いはファンになった80年代後半当時からずっと引きずってる感覚としてあります。
当時からのファンの諸先輩の貴重な書き込みはこれからも楽しみにしつつ、
静かにロムらせて頂きたいと思います。 >>999
自分の場合、リアルタイムでしあわせ未満から好きになって、アルバムは「海が泣いている」から買いはじめて、
「思い出を置く、きみを置く」までで、その後裕美さんから離れました。
なのでアメリカ留学もテクノも主婦路線も知らず、ふとYouTubeで裕美さんを検索したらラジオでしか聞いたことが無かった「君と歩いた青春」のライブ演奏があって感動して、
なごみーずのコンサートにも行って、そしたらたまたまその頃All Songs Collection CD BOXが発売になったのを知って購入して色々聴くようになりました。
CD BOXを手に入れても、最初は短編集とかテクノ系とかはジャケットで毛嫌いしてしばらく聴きもしなかったんですが、
徐々に聴く範囲が広がって、今では短編集もTAMATEBAKOもHIROMIC WORLD〜FIRST LIVE ALBUMも大好きです。
「どんじゃらほい」も感動しました。
自分が結構ディープなファンになったのは、CDをリッピングして持ち歩くようになってからで、ここ7、8年ほどの事です。 このスレッドは1000を超えました。
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