何故、日本の音楽は文学的な歌詞の曲がなくなったのか
硝子のプリズム あなたとあのことわたし
硝子のプリズム きれいな三角形ね
赤橙黄緑青藍紫 もう 屈折しそう
こんな歌詞きた時は度肝を抜かれたな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。☆
そのためには、公的年金と生活保護を段階的に廃止して、
満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば
財源的に可能です。頒布も含め、よろしくお願い致します。 詞に限らず、発声や歌心のない歌手に、本物の楽器の音を知らない音へのこだわりもない曲が増えた
自然に触れない経験が乏しいから感性が育たないというのもあるが、音楽で表現したいというより、便利で気軽な世の中になり目立ちたいだけの平凡な人で溢れかえるようになった
凝り性の人が埋もれ、その道のプロがメジャーなところにいなくなったのではないか 文学的な歌詞も比喩も季節感も言葉の陰影も90年代の小室哲哉が全部ぶっ壊しました!!! バンド系の歌詞は充分理屈っぽいだろ。
歌詞が喚起するイメージが鮮烈な曲も多いし。
いわゆる爺の考える文学は音楽どころか活字の世界でも消えつつあるから仕方ない。
さだまさしレベルで文学と呼ぶなら単にムードの問題で今は売れないってだけだろ。 日本人は
尾崎豊の歌詞の
盗んだバイクで走り出す
だけで怒り出すからな。
盗むのは良くないとかなんで盗む必要あるんだとか。
そんな風潮だからwaになって踊ろうとか
そんな歌しか作れなくなりそれが続いている。 バイクを盗もうが飛ばそうがどうでも良いが今の時代は皆で頑張ろう、親に感謝、友人は宝、家族は命、未来に希望を的な当たり前の道徳みたいな説教みたいな歌詞をヒップホップ系のdqnなヤカラまで本気で有り難がってるのが凄い。
それだけ現実がシビアと言うことなのか。 心の岸辺、心の色
ピンクのモーツァルト
レモネードの夏 尾崎豊だって盗んだバイクがとか窓ガラス割ったとかだけじゃなくて
17歳の地図の歌詞で「親の背中にひたむきさを感じてこのごろふと涙をこぼした」
って詩があるじゃん
そういうのはスルーなんだw <詞が秀逸な、特撮ヒーロー物主題歌>
ぼくらのバロム1 - 水木一郎、コロムビアゆりかご会(1973年)
https://www.youtube.com/watch?v=S4Htf0bMiz8 オレが一番衝撃をうけたのは卓球
オールナイトロングを超える歌詞はまだ聴いてない そもそも音楽に文学性なんて要らないんでww
ボブディランとかジョンレノンの過大評価も異常
声や楽器の響きやメロディ等が音楽の本質
文学自体が文系学問の中でも低い扱いなんだし、
どうしても文学やりたいなら小説や俳句でやれアホとしか思わないwwww 言葉なんてのは本質的には単なる情報伝達の道具でしかない
言葉ごときに執着するのは、
もっと重要なものを知らない低レベルの人間だけ 校舎の陰
芝生の上
吸い込まれる空
その後に続く内面の葛藤の前の情景といい
なんて抒情的なの お前がいくら めかしこんで
俺の前に やってきても
そんな事には かまっちゃいねえ
おれはただおまえと やりたいだけ
やりたいだけ やりたいだけ
なんて抒情的なの 文学性ていうか詩・言葉の感性はいるでしょ。それをどう歌うかにもよるが
いきものがかりの歌詞が酷かったら聞かない 日本人は
槇原やゆず、コブクロ、ドリカム、いきものがかり、星野源なんかが
好きなんだよw 校舎の陰
芝生の上
吸い込まれる空
この支配からの卒業 >>44 ドリカムはもう凋落したけどね。星野もさっぱり。槇原は新曲も出せないんでは
米津、藤井風ぐらいの世代、あと桑田、中島みゆきみたいな古い世代の新曲のほうが話題になってる 日本人はサカナクションや優里やadoやあいみょんや緑黄色野菜や髭男爵が好きなんだよ