美空ひばりの、川の流れのように の評価について
好き嫌いの別れやすいこの歌。
みなさんに、この歌が好きな理由と嫌いな理由をそれぞれ書き込んでもらって、
出来れば、昭和歌謡論のような話題に
発展させて欲しいです。 時代や周りに流されるまま生きていたいってのが日本人らしくていいよね 最初はいい歌だと思って何度も聞いてると歌詞がクソダサく感じてくる 自分は、この歌は美空ひばりが
歌うのに相応しくない駄曲だと思っています。
ありきたりだし、
3分くらいの歌謡曲の歌詞なのに直喩と隠喩が混ざっていて言葉の響きが悪いのです。 最近の人は語彙力不足で、黄昏という言葉をよく理解していないんじゃ無いでしょうかね。
黄昏、、、夕暮れ時、夕方、物事の終わり頃
染まる、、、色がつく、
思想や概念に感化される
感化 という言葉は人間にしか使えません。
要するにこの歌詞は、黄昏を色彩表現に使うという日本語の誤用が行われているのです。
でもまぁ、日本人は文化レベルが低いですから
こういった言葉の誤用にも気づかないんです。 秋豚が美空ひばり最後の曲になることを見越して作詞したと聞いて大嫌いになったわ
ひばりも人生を振り返る様な歌詞が遺書みたいで嫌いだったらしいし >>8
俺は、晩年のひばりが
この歌を歌いたがったという話を信じていたんですが、出典は何処でしょうか?
できたら美空ひばりが生前好きだった歌も書き込んで下さい。 だいたい、体調ボロボロの状態で
歌ったラストシングルを代表曲扱いするなんて
失礼きわまり無い。
代表曲扱いするなら、悲しき口笛だと思う。 この歌が好きな人は、この歌嫌いな俺に
良さを教えて欲しいです。 子供の読書不足 という言葉が平成に入ってから流行りましたけど、昭和からあったんだと思います。特に詩や小説類です。
美空ひばりが無くなった直後ですが、
俺みたいにこの歌を駄作だと考える人と
人生について歌ったスバラシィ歌だ!
とか言っちゃう人とに
ひばりファンは分かれた気がしますね。
この歌の歌詞が良いと思う人は
人生を道に例える、時代の流れを川に例えるなんていうのは鴨長明の方丈記の頃からあったって知ってるんでしょうかね。
さっきの黄昏の意味もそうですが、、、。
この歌が良いと言う人は、文学的素養が無い人が多いですね。言葉の表現に敏感じゃ無いんですよ。だから秋元康のこんな薄っぺらいもの歌詞に感動して褒めてしまうんですよ。
好き嫌い以前に、歌詞が在り来たりかどうかに
気づかないのは審美眼が無いとしか言いようがない。ロクに本も読んだこと無いでしょうね。 知らず知らず歩いてきた細く長いこの道
ふりかえればはるか遠くふるさとが見える
でこぼこ道や曲がりくねった道地図さえない
それもまた人生
ああ川の流れのようにゆるやかに
いくつも時代は過ぎて
ああ川の流れのように空が黄昏に染まるだけ
道と川と空の関連性がサッパリ分かりませんね。本来、比喩というものは分かりやすくして
彩を添える働きがある物ですが。
古今東西の文学作品でもそれは同じです。 >>13
昔の作詞家は、文学活動の合間に作詞活動をしていた人が多いんです。だから
昭和の有名な歌は日本語の響きやヒネリの効いた表現が沢山見つけられます。
その後の世代の、なかにし礼や山上路夫などの
も見本にしているはずです。
作詞家には文学的才能が必要です。
川の流れのように と星野哲郎のみだれ髪なら
雲泥の差があります。 世界救世教・東方之光・MOA
の内部では毒物や薬物による信者の暗殺が行われている。
お茶に細菌を混入させることにより、施設内で体調不良を訴えることなく、
一週間以内に発病させ、病院で死ぬ。なんの証拠も残らない。
オウムと同じように多数の優秀な医師が教団施設には勤務している。
港区にある高輪療院には常時医師が5-6名在中していて、保険適用の
アドバイスを行っている。
健康科学センターもあり、研究者や学者もいるが、暴力団山口組との癒着もあり、
生物兵器の培養が行われている可能性もある。
炭疽菌などをお茶に混入させて死亡させているとすれば、
オウム真理教と同じ警戒レベルの、生物兵器テロ組織とも考えられる。
http://www.mhs.or.jp/
現在、教団内では暴力団による宗教を派閥で乗っ取る方向で進められていて、
東方之光による、教団の独裁が計画実行されている。
公安調査庁はこの組織の内偵を徹底すべきだ。
オウム真理教に次ぐ日本社会の脅威である。 >>13
道と川はどっちも人生の比喩じゃないの?
川は特に人生の時間の流れを表してるんじゃないかと
空は黄昏になるっていうのが、まあ老いたことの表現だろうな >>17
歌詞の最後は、殺し文句と言って良いくらい大切だよ。"空が黄昏に染まるだけ"なんて日本語の
飛躍と言えるような優れた表現とは思えない。
夕方という言葉からは、茶色の空、1日の終わり頃、遊んでいた子供が家に帰ってくる等。のありきたりなイメージはすぐに浮かぶだろ。だから俺には"空が茶色に染まる"の
言い方を少し変えてみたようにしか思えない。 >>18
優れてるかどうかじゃなくて、比喩の意味の話をしてるだけ 秋元は当事若いから重さが感じられないと言うことかね? 「川の流れのように」という曲は、もともとは「星の流れのように」だったと聞いたことがあります。
歌詞を「星の流れのように」と直したほうがまだ自然ですね。 NHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」:★1 この曲は秋元康がウエストリバーの近くで作詞した曲らしい 自分も>>3と同じだなあ
最初は雄大な感じのいい歌だと感じていたが
TVで何度も聞く内にコレ薄っぺらで安っぽい歌詞の駄作じゃないか?と思うようになった
ひばりの最晩年のヒット曲としてテレビやラジオで流すなら
これじゃなくて愛燦燦の方にして欲しいと毎回思う 「川の流れのように」は、シングルカットの予定が、なかったそうだ。
美空ひばりの要望で、シングルカットした。
美空ひばりにとっては、良い楽曲なのでは? >>23
最後の歌うシーンだけ見た
唄はともかくビジュアルが美空ひばりに見えなかった
いつ頃の美空ひばりを再現したのか不明だがもっとメイク濃い方がらしく見えたろうに
CGの動きも溜めや震えが無くてひと昔前のゲームレベル
唄はサビの同じフレーズ繰り返すとこもっと変化付けるはず
自然に歌ってるよう仕上げる段階まで持っていくのに一杯一杯だったんだろうか 地図さえないそれもまた人生 あたりの表現は陳腐だよなぁと思う
ありきたりというかなんというか この歌は美空ひばりの最後の曲である為、その詩の内容からもひばりの人生とオーバーラップされる曲でもある。
純粋にこの詩だけを見ると薄っぺらで、人生を振り返る際に出てくる耳障りのいい言葉を並べ立てたパッチワークに過ぎないことがわかる。
そこからは阿久悠や松本隆の詩の様に、風景や物語は決して浮かんでこない。
しかしこの歌( 詩 )を聴く人のほとんどが、美空ひばりという偉大な歌姫の人生と重ね併せて聴く為に、キャッチーな言葉の羅列が補完され、初めて物語が見えて来る。
陳腐な詩が美空ひばりの人や歌に依って、ひとつの作品に昇華されてゆくのである。
この詩はとてもラッキーなのである。
たとえばこの曲が美空ひばりの歌としてこの世に出ずに、AKBが新曲として歌ったことを想像してみよう。この詩の本当の価値が見えて来るに違いない。 >>31
ちょっと違う
ひばり没後、毎年のように放送されるテレビのメモリアル特番で決まってハイライトに
東京ドーム復活コンサートでのこの曲の歌唱シーンを流したことによる刷り込み効果で
そう思わされているだけ >>23
イーストリバーじゃないの?Wikiにはイーストって この曲をコンサートで歌ったのってもしや小倉の1回きり? まあ、どっちでも良いような曲
ひばりサンの歴史を辿れば、昭和敗戦からしばらくした
頃の歌にはソウルがあって良いと思う
ただ、ベースか演歌コブシ歌唱だからポップ系の
音と合わないのが残念だ 全く同感のコメント。川の流れは駄作。ひばりの名声を毀損している。愛燦燦が全然深みがある代表曲だろう。 どこが緩やかなんだよ
平野の下流部以外は急峻な地形で流れも速いのが日本の川
クッソ嫌いな秋豚ソング
秋豚の最高傑作はSHADOW OF LOVE 去年の10月の終わり
リハビリ棟で医療関係者さんたちの開いてくれた音楽会があった
高齢者がほぼ8割の病棟
車椅子を押して貰って一階ロビーへ
40分ぐらいのコンサート
懐メロばかり
最後に「川の流れのように」
あの時の私の状態は大腿骨骨折、動かない足のリハビリに励んでいた
思わず、涙したこの曲
2部に分けてのコンサート、一部ではベッドに寝たきりの人たちが
ベッドのままロビーで聴いていた
励ましの曲、癒しの曲であったことは間違いない 「愛燦燦」は小椋佳だからな。
でも実はセールス的には全く売れていない。
ヒット曲なんてそんなものなんだけど。