【弾き語りツアー】岡林信康 第6集【全国行脚】
1スレ消化まで約5年近くか
2021、2年までもまだお元気でおられることを願う そのうち 「フォークの神様が死去」 という見出しで・・・
岡林だったら大きく取り上げられるだろうね 初めて「STORM」を聴いたが…
う〜〜〜ん…といった所か…
コミックソング集だと思えば面白いんだが それは「イエイエ」とか「ドーラクレディー」とかそこらへんの感じか。
80年代ふうの軽薄な女子大生ノリをからかうみたいなのは、後の
サザンやBOØWYにもそういう曲出てきたが、コミックソングふうであれ、
御大のほうが早かったんだなと思っている。 文字化けした。「サザンやBOØWYにも」、だよ あれ、なんでストローク符号入れたら文字化けすんの(苦笑)
ボウイだよ、氷室の、布袋の〜(苦笑 >>8 ストーム は ニューウェーブ的なノリを意識したんでは?(レコーディングの前にロンドン行ってきたわけで) ありゃ1980年だからテクノ・ニューウェーブ全盛期で拓郎・陽水・泉谷もそんな事やってたね
どれも今聴くと?だしみんな過去の人になっていった
数年後陽水だけ復活したけど 泉谷は80のばらっどでブレイクしてたよ 拓郎だけ落ちぶれた 84,
僕笑っちゃいますくらいしか話題がない >>16
そうでもないだろ
「唇をかみしめて」とか引退詐欺つま恋とか「Ronin」出演とか
TVにもちょこちょこ出てた
むしろ泉谷がブレイクした記憶がない 泉谷、普通にタレント、俳優として知名度としては
一番成功してんじゃん(それがいいか悪いかはべつとして、
紅白まで出た)。そこらへんにいる若い奴誰でもに聞いてみりゃ
いい。 「不滅の男」逝く。 ご冥福を・・・
ついこないだは、加川良・・・
次は誰だ、みたいなジャンボリー世代のロシアンルーレット
が続いております。
普通ならとっくに定年退職後にゆっくりしてる歳だから、御大も
含めて、70前後で無理があるようなら歌やめてゆっくりしてた
ほうがいいかもね・・・体と命には代えられん。 。。。。は、これで未来永劫返って来ないのであった。 借りたままになったので10万で買ったらしい(1970)
で、岡林はD-50を買ってそれは椎名和夫→山下達郎へと渡って現在もレコーディング用dr活躍中。 >>27-28
月賦払いにしてもらい、頭金の10万円だけは払ったが
それ以後月賦は支払われなかったのが真相のようだ >>28
その初代ギルドはトップが割れてしまったので、川´3`)は同じ型のを買い換えている。 岡林さんって、90年代の前半に田原俊彦主演のテレビドラマに
ゲスト出演したことがあるんだね。 まったく知らなかった。 憶えている印象としては、あんまりセリフ(っていうか、喋ったら俳優としては
なんか棒っぽいw ここらへんは慣れた泉谷みたいにはいかんな)ないんだよ。
寡黙な巻き割り(ここらへんは早くからの山暮らしで得意)オヤジといったところ
の役。セリフ無しに、黙って巻き割ってたらけっこう存在感あった・・という記憶。 かまやつひろし、加川良、エンケン、はしだのりひこ が今年逝去。
御大には長生きして欲しいな。。。 止まらないロシアンルーレット、エンケンからすぐにはしだへ
転がる・・・
はしだは、70年のフォークジャンボリーの司会から、72、3年
頃の「四人の会」(西岡たかし、ミカバンド)で御大と共演した
写真が「信康」の中にありましたね・・
性格悪いとか、加藤北山との不仲とかいろいろ言われてました
けど、「メジャーなヒット曲」の多さという意味では、フォークル時代
から恵まれていた人だったと思います。ご冥福を。
いいかげん、恐ろしい連鎖は当分止まってほしいですな・・ 京都フォークを黎明(れいめい)期から支えた歌手で、ヒット曲「風」「花嫁」などを作曲したはしだのりひこ
(本名端田宣彦)さんが2日午前1時16分、パーキンソン病のため、京都市内の病院で死去した。72歳。
京都市出身。 まあ、ある意味御大よりも先に売れた人だたからなあ
ご冥福をお祈りします 中津川の映画『だからここへ来た』の中の
キャンプファイヤーのシーンで岡林さんとはしださん、二人仲良く踊ってたのが印象的でした。そういえば、四人の会の写真でも踊ってた 笑 流石は同じ同志社だ!? 御大にとっては神学部の先輩でもあるんだね、はしだのりひこ いい人生だったと思います。
人気もあって、
大成功を収めて一度ならず何度も天下取ったんですから。>はしだのりひこ >41
岡林御大のファンだったので、中学生の頃だったかな、四人の会を見に行きました。
御大は当時こもっていた山から下りてきて、主演し、26番目の秋やホビットをサディ
スティックミカバンドをバックに歌っていましたね。
この前、亡くなったはしだのりひこ氏もエンドレス?を引き連れて歌っていました。
加藤和彦はもちろん、ミカバンド。
ああ、なつかしい。
御大は確か、別にこちらから(四人の会に)出る気はなかったけど、気の合った加藤やら
はしだやらが誘ってくれたから重い腰を上げたんや・・」てなことを言っていた記憶があります。
はしだ氏とは大学のつながりもあって仲が良かったのかもしれませんね。 「四人の会」 のコンサートのポスターが、俺の地元・福岡市の街に
貼られていたのを思い出した・・・ >>44
レスありがとうございました。中学生であの顔ぶれの演奏聴いたら、感性がますます育ちそうですね。
ミカバンドをバックに歌う御大も貴重ですね。高中氏とも何かと縁がありますね。
写真を観ると、あの時代でメンバー金髪でしたね。
四人の会、オムニバスと加藤氏の「URC レア・ライヴ・コレクション」(これは発売延期?)くらいでしか聴けませんので、
御大を始め、エンドレスや西岡氏の演奏も聴いてみたいのですが、権利関係とかで難しいのですかねぇ…。 四人の会の西岡さんの単独演奏部分は、
この間出た満員の木の再発盤に入ってるよ。
ミカバンドの演奏で歌う岡林聴きたいよね。 >>47さん、
そうなんですね、ありがとうございます!!聴いてみます。 四人の会(1973/4)時点でのミカバンド
加藤和彦(G、Vo)・ミカ(Vo)・高橋幸宏(Dr)・小原礼(B)・高中正義(G) 世代じゃないですけど、始めて「おまわりさんに捧げる歌」を聞いた時は衝撃を受けた 71年の中津川フォークジャンボリーで「それで自由になったのかい」で微かに聴こえる
荒っぽいストロークは、新宿ゴールデン街から招聘したマレンコフ氏のギターかな? >>52
ソ連の最高指導者...じゃなくてそれに似た風貌の流しのギター弾きらしいね そういえば昔、『驚きももの木20世紀』の新宿の流しマレンコフの回を観ていたら、
急に御大の話が出てきて驚いた記憶が。
マレンコフ氏は数万人のメインステージでの演奏で震えたと。三上寛とも交流のあった方らしいです。 もう亡くなられたんだよね?
最後に見た時は流しには珍しくスティール弦を張ったアコギを弾いてたな ググったら出てきた。二千九年に八二歳で亡くなった模様 >>15
陽水復活は安全地帯と一緒にやるようになったからだね〜♪
安全地帯も日本のトップバンドになったし〜♪
井上陽水と安全地帯は日本のディランとザ・バンドだね〜♪ 安全地帯の玉置は、石川さゆりとデュエットで ペンノレを歌ったことがあるz
玉置は プロの中で歌唱力の評価が高い。 岡林は 伝説のバンドであるサディスティックミカバンド、はっぴいえんど、ジャックス(フォークキャンプにて)をバックに歌った稀有な存在だなぁ。
あとムーンライダース、ダウンタウンブギウギバンド、鈴木茂ぬきハックルバック、ウシャコダ、センチメンタルシティロマンスも。 ・・・なんだけど、エンヤトットになって「電気仕掛けを蹴散らして」に
なっちゃって、その時期が長過ぎたからもったいない・・
サンボとかの若手(息子世代)にリスペクトされるようになって
から、ようやく、かたくなさが抜けてきたのはよかったと思うが。 昨日のライブ、地方だし年齢層高いかと思ったけど、
30代ぐらいの人もちらほら見かけた。 鎌倉でのブレバタ兄のライブから帰宅
春に岡林さんがライブした場所と同じオーリンドーです
バックメンバーにドクター徳武ジュニアと鈴木茂ら
鈴木さんはTシャツ、タオル、エコバッグ、お手製キーホルダーなど並べて
フリマのように自ら販売してました
サイン&握手してもろた ちょっとお話できたし良かった
気さくな人でびっくりしたわ すごくにぎやかなライブで楽しかった
最後は何故か「ふるさと」合唱でした
来年も岡林さんのライブ行くぞー
東京近郊で予定が決まったライブはまだないかな >>63
わー、握手羨ましいなぁ!
私なら緊張して顔を見れないかも…。