なぜ洋楽も聴かなかったの〜?
昔は洋楽の方が沢山いい曲があったのに
聴かなかった人って、もったいないなあと思うわ。
そういう人も案外多いよね。 なぜ洋楽なのか?
アジアにも良い曲いっぱいあるぞ
台湾、香港、シンガポールが好き 洋楽は中高生の頃にヒットチャートは一通りチェックしていたけど
特に誰かのファンだったということはない。 >>26
宗教的な要素が有る音楽が売れ易いのは古今東西同じ
歌詞とかに食いつくjpop信者も、ある意味宗教と大差無い
そんな洋楽ばかりじゃない
知ったかすんな、アホ 英語も分からないのに洋楽なんて、はクズ耳のアホの認識
言葉に囚われてしか音楽聴けない奴が低脳クズ耳なだけww
クラシックもそうだが、西洋音楽の美しさを分かってない奴は音楽的には下級な人間
最近でこそ白人は有色人種に押されて劣化したが、音楽に限らず美的分野は元々白人がリードしてきたんだよ
下品な有色人種の音楽しか知らない奴が洋楽を語ってはいけない
プロだろうと音大生だろうと
最終的には感覚が全て
技術も理論も知識も感覚の下僕でしかない ちなみに知能が高いほどインストを好むとオックスフォード大学の研究結果有ります
言葉に囚われてしか音楽聴けない奴は低脳のクズ耳wwww クラシックと20世紀後半の白人音楽は、良い曲の割合としては至高だった
ちなみに黒人のマイケルジャクソンのスリラーのサウンドは、TOTOなどの優秀な白人ミュージシャンが担当している
売れた黒人シンガーのサウンドも大抵白人が関わっている
黒人音楽が白人音楽に影響を与えたのは事実だが、最終的に美しく洗練された者に昇華させたのはあくまでも白人
メジャーな楽器も殆どが白人の作った音色がクリアで洗練された西洋楽器
白人の優位性を否定する悪平等主義者が芸術を語ると芸術を穢すだけ 各国の民族楽器なら
日本の雅楽
インドのシタール、サーランギ
インドネシアのガムラン
モンゴルのモリンホール
クラシック音楽なら
ギヨーム・ド・マショー(1300年頃-1377年)から存命中の作曲家まで
音楽なら何でも聴くほう
外国の外国語のラジオも聞く 音楽なら何でも聴く、は決して良い事ではない
良いものだけを択んで聴くのが本物 音楽に限らない
良いものだけを択ぶから本当の意味で豊かになる
多少横道にそれたりするのは構わないが、良いものだけを選ぶという姿勢は必要 商業的には良いものだけを供給という訳にはいかないから、業界は良いものだけを供給したりはしない
むしろ金になるなら悪いものでも何でも供給するのが業界
良いものだけを選び良くないものを切り捨てるのは、そんな業界との時に面倒で時に楽しい戦いでもある メチャクチャ下品な例えだが
女一万人とヤりました
→全く自慢にならない
美人百人とヤりました
→まあ自慢になる 源流をたどると
西洋クラシック音楽の楽器の起源は中東やインドにたどり着く。 >>64
人間は元々猿だった
猿の方が人間より偉い
みたいな下らない話ww
最終的に良いものが勝ちです
その論法だと、楽器も元々単なる材木とかの話になる 微分音を使って作曲したクラシック音楽の作曲家のアロイス・ハーバの作品を聴くと、
非西洋圏の民族音楽のように聞こえる曲、調子はずれに聞こえる曲などがある。 弦楽器の楽曲で、スコルダトゥーラ(特殊調弦)の楽曲は
バロック時代と現代音楽では多いが、古典派、ロマン派時代の楽曲では少ない。 メシアン 『トゥーランガリラ交響曲』 1948年作曲 1949年初演
リヒャルト・シュトラウス 『4つの最後の歌』 1948年作曲 1950年初演
同じ頃の作品だが、 『トゥーランガリラ交響曲』は現代音楽で、『4つの最後の歌』 はロマン派的作品。
なお、メシアンは(1908年-1992年)で約40歳、リヒャルト・シュトラウスは(1864年-1949年)で晩年の84歳頃
同時代の日本のポピュラー音楽は、藤山一郎の「青い山脈」など。 何年に作曲されたか、何歳のときに作曲されたかということになると、
ハイドン(1732年-1809年)
モーツァルト(1756年-1791年)
ハイドンのほうが前の世代の作曲家だが、
ハイドンの交響曲で言えば、交響曲第99番が1793年、交響曲第104番が1795年だから、モーツァルト没後の時代の作品。
交響曲第104番がモーツァルトの最後の作品よりも新しい作風なのは、作曲時代からしてもおかしくはない。 ビートルズがメジャーデビューしたのは1962年
その頃のクラシック音楽の作品は
ブーレーズ作曲の『プリ・スロン・プリ』
ブリテン作曲の『戦争レクイエム』
ショスタコーヴィチ作曲の交響曲第13番 変ロ短調 作品113『バビ・ヤール』