【駅】中森明菜vs竹内まりや【Part4】
以前雑誌のインタビューで竹内まりやは、「音楽活動」は単なるアルバイト」と話していた。
バイト感覚の活動で大金と賞まで手にするなんて、すごく恵まれすぎてると思う。 荒井由美時代から好きでしたが、もう貴女の曲は二度と聞きたくない。こんな差別用語を使うとは・・情けないね
私好きで鬱病になったわけじゃないんですけど。メンヘラって言葉でくくられるのは不愉快ですね。
あなたも鬱病になってみたら?
社会復帰するまでもしてからも大変って一言で表せるようなものじゃないくらい辛いんですよ
あなたみたいな人消えてほしい
この発言がどういう意図なのか、本人が書いたのかスタッフの代筆なのか分からないけど、ユーミンがこんな炎上商法をやったり、痛いメンヘラ発言する老害だと思ったら、すっかり気持ちが冷めてしまい、今まで持ってたユーミンのアルバムCDを全て処分しました。
私は多くの患者さんと同様に精神疾患になりたくてなったわけではないのです。 貴方が「滅びろ!」とおっしゃられるほど嫌な存在ならば高いところで反応を見てニヤニヤするような気持ちの悪いことはせずに、今すぐ直接殺しに来て下さい。
中学生の頃からのかファンで、初めての彼女とデートで行ったコンサートもユーミンさんのライブでした。
もし、これがユーミンさんの仰られた言葉としたら非常に残念です。
うつは脳内ホルモンの病気だし。うつの私もメンヘラって言葉は好きじゃないけど誰も好きで病気にならない。病気になって得したことなどないし甘えられない人がうつになるんです。勉強してから発言して欲しいですね。影響力のある立場なのだから。
偉そうに。治そうと前向きになってる人もいるのに。
こんな言葉足らずな発言はやめてください。あなたのファンで、うつを抱かえているわたしにはとてもショックです
62歳にもなる分別のあって然るべき方の発言とは到底思えません。
影響力のあるあなたは、もっと発言を慎重になさるべきでは。
このツイートで沢山の人が心をいためた事は決して忘れないで下さい。
私も4日ぐらいうつが酷くなりました。
リプ失礼します
「メンヘラ」とは本来精神疾患患者を指す言葉で、滅びろとはつまり差別と受け取ってもよろしいのでしょうか?
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>2
この二人の関係は既婚男性の不倫。電車の乗り降りもレインコートも同じなだけで、
彼に待つ人がいることを断定できるのは彼が既婚者であることの裏返し。
恋愛の浮気ならそこまで言及できないからね。離婚したらその街にいられなくなるし、
最低でもレインコートや髪型、雰囲気、駅に同じ足取りで歩くことにならない。
わたし側は、2年で変わったのは髪型だけで、彼に対するまなざしは変わってない。
けれども2年の間に新しい待つ人ができて妥協して結婚もしてそれなりに充実した毎日、元気で暮らしてることを彼に告げたかったんだろう。
ここからは、二人が不倫であったことを前提に見ていく。
「わたしだけ、愛してた」の部分からは、一方が本気で、他方は遊びだということが分かる。
不倫してた頃は両者が愛を育んでたと当然思っているが、関係破綻のときを迎えて初めて彼は結局、遊びだったんだと気付く。
2年経っても離婚しないで同じ駅から電車を乗り降りしてるわけだからね
しかし、わたしも結婚して、心では彼をいまだに愛しているけれど、
じゃあ今の「待つ人」と離婚するかと言われればそこまで踏み込めない。そんな彼の気持ちを既婚者となったわたしは初めて分かるし、
そして、2年経っても私だけがいまだに彼のことを追いかけて気にしていて、彼はといえば電車に乗ってもうつむいて私の視線に気づく隙もないところに
私だけ”が”愛してたことが浮き彫りになって涙が溢れてくるんだろうね
通勤ラッシュで同じ駅で降りて遠のいていく彼の姿に心を痛めて哀しいんだけど、
改札を出てまったく見えなくなってからはまたいつもの日常に戻る。 私だけが愛してたと解釈する人は女性が多い。「私は愛されている」と自信を持って言えるような経験が
無いから男の愛を信じないらしい。愛される女である竹内まりやは「私だけを愛してた」という解釈が正しいと
述べている。 2文目は、一般女性の話?
私だけを愛してたというのは詩のどの部分がそういう解釈につながるの?
本人がそういってるソースが知りたい 「私だけ愛してた」が「私だけを愛してた」なのか「私だけが愛してた」なのか、ネット上で長く論争があった。
その時の大まかな傾向として女性は「私だけが愛してた」と解釈する人が多かった。その理由が
「愛されていると言い切るような自信は無い」。ずっと愛されてきた女で無いとありえない。ということだった。
一方男はバカだから素直に「私だけを愛してた」と解釈する人が多かった。このスレも前スレまでは
そういう議論をずっとしてたんだけど本人がラジオで「私だけを」のつもりで書いたと言ったことで
すっかり下火となった。リンクは今ググって出てきたもので俺が以前見たページではないけど。
https://www.ozmall.co.jp/bbs/6-47096.aspx >>227
本人がそういうのならそうなんだろうけど
詩を見る限りでは「わたしだけ ”が” 愛してた」の方に振れるんだよねー
だってさ、レインコートと早い足取りの情報だけでその彼だと断定して、
駅を降りて、待つ人のところへ行くことも断定するならさ、
それは彼を待つ人に対して彼に愛が無いとはとても言い切れないとおもうんだわ
もしそれがわたしだけを愛していて、待つ人に対する愛がないなら2年の間に別れるなり、
わたしへの愛を断ち切るために引っ越すなりするでしょ。
そうじゃないということは彼はわたしだけを愛してたとは言い切れず、
つまりはわたしだけ「が」愛してたという解釈になるんだけどね
それはまあ詩を読む限りの話で。女というのは感情と言葉がかみ合わないことが多々あるからね
本心では私だけを愛してたと思って歌詞をつくったんだけど詩を見る限りでは論理的にはそうはならないと改めて思いました 単純な男の代表例である俺は2年前の二人は不倫ではなく普通の恋愛をしていたと考える。
よくあるちょっとしたすれ違いの積み重ねで女は男の愛情を疑い、責めた。そして別れに至った。
その原因を作ったのは自分の方である。それが苦い思い出であり、現在も彼に声をかけることを
ためらわせる理由である。
確かに男は日常に疲れているし、待ってる人の存在を自分が知ってるのは不倫だったからと
考える方が納得がいくけどね。でも妻ではなく母親かも?
今回ググってみて以前の時以上にいろんな解釈をする人がいて面白かったです。
本人がどういうつもりで書いたにしても解釈は受け手側の自由だし、解釈の幅が広い方が
作品の価値も上がるので、いろんな解釈をしてみてください。 >>230
この歌詞はおもしろいよね
普通はそこまで熟考を重ねないからさ
誰かの詩を読みつつも解釈は自分の経験にもとづいていて、
どちらともとれるわけだからその結果、この曲を聴いた全員に対して共感を呼んでしまう は?自演じゃないよ まじで
5ch能に毒されてんじゃねえよw クリス松村との対談で、まりや本人が"を"を忘れたと言ってる 気の毒な明菜、大人の竹内、クソの山下
神は見ている。誰がいちばん苦しんで死ぬのかは明らか。 あのデコッパチが要らんこと言ったせいで明菜もまりやも大迷惑や
竹内まりやのイメージダウン甚だしいやろ。
挙げ句後から女々しく言い訳しやがって。 まりやのベストアルバムを買った先輩が解説を持ってきて「駅を歌ったアイドルって誰かわかる?」
それはそれはとてもひどい書かれ方をしていて数ヶ月後、まりやの駅のコメントVTRで明菜だとわかった
提供しておいて解釈の違いに激怒するまりやもまりやだが、マンセーして公にしてしまう達郎も達郎だし、載せてしまうレコード会社もどうかと思う
本人やファンの耳に入るってなぜ考えなかったのか
駅のよさが全くわからないけど明菜のを聴けばわかるのかな 明菜は奇をてらいすぎて失敗してる
拙い発想が聞き手にわかってしまう時点で
それは才能ではなくただの間違った努力 失敗どころかあの時代があったから
今でもファンが残ってんじゃん ほんとは明菜版の駅が正解だけど、達郎が機嫌悪くしたんでまりやが言い訳したんじゃね
嫁が昔の男が忘れられない歌を作ったら旦那が面白いわけねえだろ この曲が妙に頭に残っていて調べたら「駅」とわかり、なんやかんやでこんなスレッドがあったとは!?!?ww
驚いた。
ところでこの曲、
夜の番組のオープニングか主題歌かエンディングかわからないけど使われてた?
〇曜サスペンス劇場、みたいなやつ。
俺の気のせいかなぁ。。 駅は竹内派だが
赤のエナメルとミックジャガーは明菜派 近藤マッチ
「借りていた8千万円あした返すぜ
千万という言葉だけ切り抜いたあと
それがGood-Bye Good-Bye」 ピアノが弾けない自殺森陰気菜と違って
藤井風ってカッコイイよね 昔、ザ・ベストテンで竹内まりや提供曲「けんかをやめて」をピアノで弾き語る河合奈保子を尻目に
「私はカスタネットぐらいしか楽器ができません」と言い司会者2人をズッコケさせた貧乏育ちの中森明菜さん
明菜ファンならこの話を当然知ってる筈。 明菜ちゃん(57歳)は底辺ヤンキー家庭で育ったから低学歴
まりやさんは老舗旅館のお嬢様で慶應大学に入学した才女 中山美穂 ミリオン2作
小泉今日子 ミリオン1作 ほぼミリオン1作
松田聖子 ミリオン1作
酒井法子 ほぼミリオン1作
工藤静香 ほぼミリオン1作
なかもる明菜 CDバブル期にドラマ主題歌をあてがわれたにもかかわらずミリオン0作 頭の悪い中森明菜スレ主が聖子釜聖子釜と馬鹿の一つ覚えの様に連呼してるけど
芸能界のお釜ファン(しかもブサメン)の多さでは圧倒的に明菜>聖子だよねw
自虐で言ってるのかね?ウケルw だよね。同じオカマでも比較的ツラの良い人、例えば平井堅などは松田聖子や中山美穂や松浦亜弥や小泉今日子のファンだもんね。
中森明菜こそブスお釜専でしょ。ガチで自虐だな。www
しかもウンコ食べるのが趣味のスカトロお釜がファンとか終わってる。www >>262
中森ヲタの楽しんご(笑)
本人が陰気だとヲタの変人ばかりになるな >>262
中森ヲタの楽しんご(笑)
本人が陰気だとヲタも変人ばかりになるな
うんこ好きとか…あたおかにも限度があるだろ 竹内まりやには気持ち悪いファンとかいないよね。やはりファンは本人を映す鏡。 そもそも漢字にルビ振って貰わなきゃ読めもしない中森明菜と
慶應に入れる賢さを持つ竹内まりやじゃ頭の出来が違い過ぎるよ。
漢字も読めず語力の無い中森明菜だからこそ「私だけ『が』愛してた」と誤釈したんだろうよ。
並〜それ以上の学力ある人間なら前後の詞から「私だけ『を』愛してた」と普通に解釈するだろ。
そもそも竹内まりやって失恋ソングなんかあんま歌わないし愛されソングの方が多いだろ。
曲書いてくれたアーティストの作品ぐらい聴けや!凡才・中森茎菜! 明菜は、間違ってなかった。
登場人物と作者は、別人格。
そうしないと、
たとえばAIが創った文学作品の解釈で、
登場人物の心情について、
人間の心に合わない答えをAIが出した場合でも、
それを正しいことにしなければならなくなる。
「を」も「が」も成り立つ。
どちらも解釈上、良い面と苦しい面があり、
聴く人の好み次第。
そうなると、「が」か「を」かより、
軽くとるか重くとるか、
その時だけの感傷か、変わらぬ愛か、
その違いのほうが、大きい。
ありふれた夜がやってきても、
主人公の切ない気持ちは、置いてけぼり。
マイナーの同じサビのメロディでは、
切ない気持ちは切り換わらない。
そのような解釈のほうが、主人公の心情に合う。
(それまでに使われた語句やメロディに合う。)
Aに似合うようにと考えて、
Bが服を作りAにあげたのだが、
Aの着こなし方が好みに合わなかったCが、
一般受けしやすいように仕立て直してBに着させてみたところ、
よく売れた。
服の良さがAに合わせたところにあることに気付かずに、
Aを酷評したCや、それに賛同するD。 ※注
上記268内、CやDの酷評の矛先は、
「A側」のアレンジやスタッフに向けられたものとなっている。 竹内まりや作の「けんかをやめて」の主人公が不評だったから 中森明菜はあえて悲劇のヒロインにしたんだろ
中島みゆき作の「見返り美人」を「美人ってのがちょっと・・」って断ったんだろ 「悪女」は進んで歌ったけど 河合奈保子の「けんかをやめて」や薬師丸ひろ子の「元気を出して」(アルバム曲)はラジオなんかで聞いて知ってるが中森明菜の「駅」だけは全然聞かないな
簡単に言っちゃえば失敗作で需要がないってことか? >>272
達郎に批判されたら明菜も歌いづらいだろ ちゃんとした音源で、偏見を持たずに1〜3か月くらい毎日CRIMSONの駅に耳を傾けてみれば、良さが分かるかも。
聴き手の中で研ぎ澄まされていくような。
作品の輝きは元から確かなものなので、磨かれていくのは、聴き手の内面なのだろう。
たとえば、都会のイリュミネーションも綺麗なので、星やダイアモンドの輝きをそれと比べてしまうと、良さが分かりづらい。 でも達郎のアルバムもよく売れてるしな。今のも昔のも
きっと「駅」もまりや版が何事もなかったようにメディアでかかり始めるだろう
明菜自身がこの2人との対立なんて望んでないんだし、沈静化するわ (」゚ロ゚)」おぉ(。ロ。)おぉΣ(゚ロ゚」)」おぉ「(。ロ。「)おぉ~ 今現在、竹内まりや駅で検索して上位に出て来る、YouTubeの線路の映像の
歌唱は、high_note Music Loungeというところによるもので、カバー
らしいのですが、まりやの歌唱そのものと勘違いして、明菜と比べた人も、
もしかしたら相当数いるのはないでしょうか。
まりや本人の歌唱のほうが強いし、微妙なところでは、「を」が「ぅぉ」に
なっていたりするようです。
間違っていたら、ごめんなさい。 駅って明菜側からしたらアルバムの捨て曲だから。
そこにいつまでも話題作りで寄生している禿げ出っ歯夫妻ってしつこすぎやろ コアなファンの中には捨てていると思う方もいるのでしょうが、
周辺の一ファンとしては、あふれ落ちたダイアモンドを拾って、
大事にしています。
CRIMSONの駅は、声の若さとアレンジに魅力がああります。
また、著作権の問題は、公的な認定や関係者の対処次第なのでしょうが、
輝きを受けとめた人の心は、その人次第です。 こんなスレあるんですね面白い
自分は当然のように「私だけを」と解釈してたんだけど「私だけが」と言う解釈もあるとは
個人的な意見としては単純に「私だけが」では
「変わってしまった彼の眼差し」
「うつむく横顔(家庭に戻る事を決めた彼の現状がとても幸せそうには見えない事を簡潔に表している)」
と言った製作者の表現が説明つかなくなるのでは?と思うけど >>281
そうですね。以前の読んだネットの情報では、女性は自分が絶対に愛されていると確信していないので
「愛していたのは私一人である」と解釈するらしいです。対して男性は「お互いに愛していた」と解釈する。
ちなみに竹内まりやは一般女性と違って絶対に愛されていると確信しているようです。河合奈保子の
「喧嘩をやめて」の作詞作曲もまりやですからねぇ。 歌詞の解釈は、作者の心の探究とは違うと思います。
不倫だったと確定できるわけでもないでしょうし、
失恋が彼の表情に影を落とすとしたら2年前で、
時の経過が変えたということなら、
違う要素かなとも考えられます。
もう過去のことになってしまったという主人公の想いとか。
不確定要素があるため、「私だけが」も否定することはできないと
思います。 >>283
>歌詞の解釈は、作者の心の探究とは違うと思います
メロディに合わせて簡潔に纏められた歌詞から意味の全てを理解するのは難しいですよね
でも難しいからこそそこに込められた意味を理解するには作者の意図を読み解こうとする思考は必要だと思います
「意味」を理解した上でどのように「解釈」するかは人それぞれで良いと思いますが >>283
>失恋が彼の表情に影を落とすとしたら2年前で、
時の経過が変えたということなら、
失恋そのものではなく、その別れがその時点では彼としては正しい判断だと思っての事だったなら辻褄が合いますね
お互い好きでも彼にはたとえ愛は冷めていたとしても家庭がありそれを捨てる事も出来ず、彼女とそのまま関係を続けていても彼女の為にも良くない
お互いの未来の為に辛くとも前向きな判断の別れだったと
失恋した悲しみしかない彼女からすれば大人としてのケジメの英断をした立派に見えた彼が2年ぶりに見かけたらとても幸せそうには見えないしょぼくれた様子だった
そこで彼が本当に愛していたのは自分だった事を知り
それでも容易に家庭を捨てられる物では無かった彼の辛さを彼女も家庭を持った現在だからよく分かると
こう言う意味だと思います
これは同時にこの関係が不倫、もしくは彼女は彼一筋だけど彼には結婚間近の他の彼女が居た、という状態であった事の説明にもなります 意味を理解することと、解釈することは、同じだと思います。
他の可能性があれば、それを否定すべきではないと考えています。
また、表現された内容を超えて作者の意図に沿おうとすると、
たとえば、津軽海峡冬景色で、石川さゆりさんより、
阿久悠さんと向き合いたいならそれでも良いかもしれませんが、
AIが作者だと、AIに人間がコントロールされる方向に向かって
しまいます。
つじつま合わせ等、それぞれの方が受け取った物語に立ち入ることは
控えたいと思います。 >>286
歌手は作詞家の歌詞の意味を理解した上で表現しているはずですからまずは理解ありきですよね
正しく理解せずして正しい解釈は無いと言う事です
「うつむく横顔」
「ラッシュの人並みにのまれて消えていく後ろ姿」
これらの描写は元気の無い様子を表現していると思われます
もちろん現実の世界では幸せで満たされた人もうつむく時もあればラッシュに飲まれる事もあるでしょう
でもここではあくまで彼の様子を「観察」しているのではなく「表現」しているので
作者の意図としては「現状が幸せでは無く元気の無い様子」
を表現していると理解出来るわけです
ここに作者の意図から歌詞を読み解く意味があると思うのです >>286
「うつむく横顔」
「ラッシュの人並みにのまれて消えていく後ろ姿」
これらの彼の元気無く寂しそうな現状を現した描写から彼女が「私だけが愛していた」
と感じたと解釈出来る理由とは何でしょうか?
私には見つけられませんでした 理解した内容を解釈として示す、といった意味合いで
言葉を使っています。
言い換えに過ぎない場合もあります。
一般に、理解した内容と、解釈として示す内容は同じはずで、
違う内容になるとすれば、二次創作的なものになると考えられます。
主人公の目に映る彼の様子は、主人公の心情の投影になると思います。
それぞれの方が心に描いたストーリーに立ち入って否定するつもりは
ありません。
また、別の機会に作者の当初の意図を知って、
それに合わせたストーリーとして受けとめることも自由だと思いますが、
他のストーリーを否定することは出来ないと思います。 >>289
「うつむく横顔」
「ラッシュの人並みにのまれて消えていく後ろ姿」
これらの彼の元気無く寂しそうな現状を現した描写から彼女が「私だけが愛していた」
と感じたと理解=解釈していると言う訳ですね?
その理由とは何でしょうか?
もしくはそれらの作者が描写に込めた意図を考慮せず
「私だけ」に焦点を当てて感情の閃くままに(が)と捉えた、と言う事でしょうか?
たしかにそれも個人の楽しみ方かも知れませんがそこには「解釈」はあっても「理解」は存在しないはずです
なぜなら彼女の気持ちを決定づけた理由と言う前程が置き去りにされているからです 1.疲れた彼を癒せるのは、私ではない、ということを痛感したとか。
2.彼自身は、自分が消えてゆくとは思っていませんので、
主人公の未練が表現されていると思います。
3.自然科学の理解と違って、人文科学での理解は通常、
(文法は別かもしれませんが)解釈だと思います。
より説得的かどうかというだけの相対的な場合もあると思います。 >>291
1.現在の寂しく幸せには見えない彼を見て何故彼女は「疲れた彼を癒せるのは、私ではない」
と感じたと思うのでしょうか?
むしろ彼の現状を見て「私だけ(を)」と解釈する方が自然だと思うのですが
自分と別れた彼を見て
「私だけが愛していた(疲れた彼を癒せるのは、私ではない)」
と感じるなら現在の彼が幸せそうに見えなければ辻褄が合いません
2.たしかにそこだけ見ればその解釈も有り得ますね
でも上の1.と合わせて考えるとやはり寂しそうで幸せそうには見えない彼の様子を表現していると解釈するのが自然かと思われます
さらに付け加えると「やけに悲しく」と表現されている点も重要ポイントです
彼女側の未練だけなら彼が消えていく姿が悲しいのは当たり前のことであってわざわざ「やけに」
と強調するのは不適切かと思われます
つまりそこには彼女側には未練以外の別の感情が生じている事の描写かと思われます
3.どのように話を捉えても解釈は生じると思いますし、おそらくそのような話をされているのだと思いますが
意味を正しく理解しているか?理解していないか?によって全く違った解釈が生じますのでやはりまずは理解するのは大切かと思います
ひいては意味、意図に対する理解度によって製作者や曲への評価も変わってしまう重要な部分という事です 1.彼が一番好きだった別の人を選んだからといって、
今、幸せに暮らしているとは限らないと思います。
それでも、彼を幸せに出来るのは、今も自分ではないのが
分かっているとか。
幸せそうに見えないとか、疲れて見えるとかも、
受け取り方=理解=解釈次第だと思います。
2.過去のこと、終わったことにしてきたのに、好きだった人の様子を
直接目にして、思いのほか心に応えたということではないでしょうか。
3.話を捉えるということは、理解するということだと思いますが、
その内容は、聞き手の解釈次第であるため、
理解力不足による誤解もありえます。
受け手の能力の問題は別として、誤解が生じないように
客観的に表現を整えるかどうかは作者次第です。
二次創作ではないので、創作物に関する理解が解釈になると思います。
他者の理解が論理的に明らかに矛盾しているということでもなければ、
批判の対象には成り得ないと思います。
そういう場合以外の論証は、結局は説得的かどうかということになり、
他を排除するには至らないように思えます。 >>293
1.はいそうだと思います
つまり2年前に彼なりに家庭に戻るのを選んだ事が彼にとって実際には良い選択では無かった
つまり「私だけ(を)愛していた」
と彼女は感じ取った、と言う事です
簡潔に纏めると短絡的に感じるかもしれませんがメロディに合わせた歌詞だから仕方ないですよね
だからこそ作者の描写や意図を読み解く(理解)
が必要になると言う話に繋がるわけです
>幸せそうに見えないとか、疲れて見えるとかも、受け取り方=理解=解釈次第だと思います
私は「うつむく横顔」と言う作者の表現から彼の現状が元気無く寂しそうな様子の描写と理解=解釈したつもりです
「うつむく横顔」と言う描写から他にどのような理解したらいいのでしょうか?
ここを説明出来ないのであればその「理解」は「理解している」事にはなりません
それでもどのような理解にも解釈は付いて来るのは分かりますが、その理解そのものが説明の付かない辻褄の合わない物であるならその後の解釈も本来の意味から外れてしまうのは当然でしょう
これは批判ではなく議論と捉えていただければ、と思います うつむくという言葉の意味を確かめたところ、
顔が下の方へ傾くこと、とあり、それ以外のことは、
解釈次第になると思います。
私の意見としては、他の解釈の可能性も否定できないと
述べているだけです。
批判は、非難とは違い議論の一部だと思いますが、
これくらいにしておきたいと思います。 書き漏れで、失礼します。
他の解釈の可能性は、つじつまは合うという前提です。
また、「〜を」だと、「誰々が」が省略されていることになりますが、
明確でない場合に、省略していると取る解釈は、現国的な理解(つじつま)
としては、強引であるという批判も飲み込まなければならないと思えます。 もう止めようと思いましたが続けるつもり遠慮なく続けさせていただきます
> 私の意見としては、他の解釈の可能性も否定できないと
述べているだけです。
否定出来ないとは言っても他の辻褄の合う説明の伴う可能性は示されていないですね
示されないならその可能性は「無い」も同然ですよ
ちなみに説明の付かないあなたの個人的な思い込みや思い入れは可能性ではありません >>295
> うつむくという言葉の意味を確かめたところ、
顔が下の方へ傾くこと、とあり、それ以外のことは、
解釈次第になると思います。
この歌詞が単なる状況観察のレポートでもしていると思われますか?
私は「彼の現在の様子」を表した描写以外の可能性は無いと断言します
だからこそ次に
「思わず涙溢れてきそう」
「今になってあなたの気持ち分かるの」
に繋がるわけです
単に顔が下を向いた人を見ただけで涙は溢れそうにはならないですよね 彼の様子から主人公が何を思い出すかなども解釈次第で、
既に述べてきたことが、違う視点に立つ方にとっては
説得力がないのかもしれませんが、
「私だけが」と解釈する理由も十分にあると考えています。
堂々巡りになってしまうので、この辺りでということです。 >>299
> 「私だけが」と解釈する理由も十分にあると考えています。
それはあなた個人の思い込みやご自身の経験から直感的に「が」と捉えているだけでは?
それはそれで個人の楽しみ方なので良いと思いますよ
理由とか理屈の無い感情だけの話なら他人がとやかく言うのは不毛ですから最初からそう言ってくれたらよかったですね
ただ「他の可能性」「解釈と作者が詩に込めた意図を探る事は違う」
と言われたからこちらとしては他の可能性とは?他の可能性を歌詞の流れからどのように説明出来ますか?
作者の意図を探る思考無くして意味を理解出来るのでしょうか?
と理屈での議論に発展させたわけです 原作に対する脚本のように脚色・肉付けしなければならないわけでは
ないと思います。
他のサイトで色々な人の意見を参考にされたら良いと思います。
作者の意図を探ることが出来るのでしたら、他の考えを曲解して
決めつけるようなこともないはずですから。 とりあえず「他の可能性」を具体例に挙げられないならあなたが言う可能性は「無い」としか言えませんね
理屈で辻褄の合う解説を出来る私の結論に対して、具体的な可能性とやらを挙げられないあなたが反論になると思いますか?
だからあなたが最初から他の可能性とか言わずに
「理由も理屈もへったくれも無い私の中だけの結論なので」
と言えば何も問題も無かったんですよ
それなら私は一才口を挟む事はありません >>301
他所のサイトに「辻褄の合う説明の出来る他の可能性の具体例」
と言うものがあるなら引用してもらっても構いませんよ
まず何かしら示してから反論してください
それすら出来無いならあなたの言う可能性とやらは少なくとも現時点では「無い」のです
無いものを有るかもしれない、と反論されてもこちらは困りますよ 駅に関する解釈の可能性は、私とは関係のないところにあると思います。
私は、自分の正しさをアピールしたいわけではありませんので、私から
離れた検討をお勧めします。
個別のストーリーを否定するつもりはありませんが、気が付いたこと
として三つ挙げます。
一つ目は、0294の1.で、論理の飛躍があると思います。
二つ目は、0287で、作詞家の理解と、歌手の理解と、聴き手の理解が
一致するとは限りません。
三つ目は、0285で、他の価値を優先して、関係を終わらせるにしても、
主人公のことだけを愛しているのに、その時点で表情に影を落とさない
という人格は、特殊なのではないでしょうか。
主人公「だけを」「愛」しているといえるほどの気持ちだったとは
言えないかもしれませんよ。
彼女のためだったとしても、普通は辛いはずです。 駅は、当時の中森明菜さんを念頭に創られたそうなので、駅の世界は、
作詞者から離れて、明菜さんの表現によって完成されたとも考えられ
ます。
作詞者側の意図に縛られると、むしろ駅の世界を正面から捉えることが
出来なくなるのではないかとも考えられます。
その後の、他者によるカバーを否定するつもりもありませんが、
それらはそれらで、その制作サイドの理解・解釈であって、既に出された
CRIMSONの駅を酷評できるわけではないと考えます。
明菜さん側の解釈がどのようなものだったかは分かりませんが、
CRIMSONの駅は、駅の世界のオリジナルの表現として完成されていると
思います。
私はCRIMSONの駅が好きなので、明菜さんの味方になりたかっただけ
です。 画竜点睛として、明菜さんがひとみを入れたことに意味があると
思います。 たとえが適切かどうか分かりませんが、絵画で、拡大してみると
線がはみ出したり、つながっていなくて、違うように見えても、普通に
見たら名画と思えるなら、それで良いでしょうし、地上絵を上空から見たら
分かっても、その場に立ったら、ただの地面かもしれません。
楽曲の理解は、細かい論理でガチガチに固めなければならないわけでは
ないのではないでしょうか。
一枚のカードで、見る角度で違って見えるものもあります。 応答する余裕が無くなりましたので、これで一応一区切りとさせて
頂きたいと思います。
今の様子で判断できる主人公であれば、彼に誠意があるかどうかは、
二年前でも分かったはずとも考えられます。
そして、誠意が感じられない様子だったのであれば、
私だけを愛していたと言えるほどの気持ちが彼には無かったのでは
ないかとも考えられます。
しかし、楽曲について、理詰めで否定する方向の解釈をするより、
それぞれの方のイメージを大切にした方が良いと思います。
共存できる方向で考えるのが良いと思います。
竹内まりやさんも好きです。
内容から離れてしまいますが、深刻な対立状態にある人々が、
共存できる考え方を受け入れることが出来れば、戦争は無くなると
思いますが、宗教や思想や特定の価値を、人の命より優先してしまう
場合がある世界の現状は残念です。 >>304
それで「私だけが」と解釈出来る理由は?
もしくは具体的で辻褄の合う「私だけを」以外の可能性とは?
あなたはこちらの否定だけしてもその先に「私だけが」に繋がる話は何も示してないですよね?
何度も言いますけど具体的に説明の出来ない「有るかもしれない可能性」など少なくとも現時点では「無い」んですよ >>305
>私はCRIMSONの駅が好きなので、明菜さんの味方になりたかっただけ
です。
はい、つまりあなたの言う事はこちらの指摘通り「感情、思い込み、思い入れ」だけと認めましたね
それならそれであなたの自由ですし最初から他の可能性があるとか言わずにそう言えばこちらは何も突っ込んだりしなかったわけですよ
これも繰り返しになるけど辻褄の合う説明の付かない個人の経験による単なる思い付きや思い込みは可能性では無いですからね >>308
>そして、誠意が感じられない様子だったのであれば、
誠意とは?
彼女が現在の彼から誠意の無さを察すると言える描写はあるのですか?
私には分かりませんので説明お願いします
またあなたの感情から生まれたイメージ像ですか?
私は無い物を有ると言う人を受け入れる事が平和とは思いません
例え完璧ではないとしてもそれなりに辻褄の合う説明をしている人間に対して感情と思い付きで「他の可能性もある」言いながら本人は具体的な可能性を説明出来ない事を共存とは思いません >>308
私があなたの立場だったら歌詞を分析して辻褄の合う説明をする人間の主張は尊重して「他の可能性もあり得る」などと言いません
少なくとも他の可能性を示す事が出来ないなら言うべきでは無いでしょう
現にあなたは「作品の理解は作者の意図を分析する事では無い」と詩の理解を放棄してるわけですからね
繰り返しますが「感情のまま、思い付き、思い込み」で歌詞を捉えてもいいと思いますよ
でもそれなら理屈で辻褄の合う説明をする人間に対して「他の可能性もあり得る」などと言うのは辞めましょう 誠意は、彼が主人公だけを愛していたことの要約として使いました。
私は、議論に勝ちたいわけではありません。
駅に関する解釈の可能性が、既に色々と示されてきたからこそ、
議論を呼んで来たのでしょう。
違う視点がつじつまが合わないとお考えでしたら、ご自身で列挙して、
論じればよろしいのではないでしょうか。 誠意の説明を間違えました。すみません。
普通の意味でした。
彼の様子で判断できる主人公なら、
彼の言葉や態度が信用に値するものであることを、
2年前でも分かったのではということです。 「を」説のつじつまだけでは、「が」説を否定することは出来ません。
否定されるのでしたら、ネット上で示されている「が」説を取り上げて、
論証する必要があるでしょう。 >>315
「を」で辻褄が合って「が」で辻褄の合う説明が出来ないなら当然「を」が結論ですよ
こちらの言っている意味が分かってもらえてないようですが、個人であれこれ妄想を膨らませたり個人の感情で「が」と解釈するなら私は反論しません
でも可能性という言葉を使うからには事実に迫らなければおかしいでしょう
詩の意味を理解する事は作者の意図を探る事で無いと思考を放棄したあなたが可能性とやらを盾にとって私にご意見するのはおかしいですね 私は、歌詞の理解を放棄していません。
表現された作品に対する理解が、作者の意図と一致するとは限らない
という考え方は、特殊な考え方ではないと思います。
また、議論は、ここだけのものではありません。
すべては無理でも、私はネット上の議論を踏まえて記しました。 >>317
> 表現された作品に対する理解が、作者の意図と一致するとは限らない
という考え方は、特殊な考え方ではないと思います。
はい、つまり作者の意図を探る姿勢を放棄すれば個人の感情や思い込みで間違った解釈をしてしまう確率が高くなる事の証明ですね
例え世に出た作品であっても間違いは間違いですよ >>314
もちろん当時は両思いだったし彼女は彼から愛されているとは思っていたでしょう
でも彼には妻が居たので「私だけを」というのは今になって初めて解る、という事ですね
同時にこれはこのストーリーが不倫である事を示しています
あなたは不倫かどうかも確定出来ない、と言いましたが詩をよく読んでいけば確定なんですよ
まず詩をよく読んで作者の意図にも思考を巡らせてみてください >>314
主人公がどのように彼の現在の様子から「私だけが」と判断したとお考えですか?
これにはまだ回答が無いようですが
曲がりなりにもこちらは筋道や辻褄合わせを示した上で解釈を述べてますので反論するならあなたもそれを示した上でお願いします 1.
彼の現在の様子から「私だけが」と判断するというようなことも、
既存の議論をご自身で確認して下さい。
2.
作者は、「を」説だそうですが、それ以外の説明で作者の意図と
違った場合に、その理解や決めつけはどのような性質のものになる
のでしょう?
0320「曲りなりに」とあるので、曲がった理解・解釈でしょうか。
3.
0312「感情のまま、思い付き、思い込み」でとらえてもいい
0318 個人の感情や思い込みで間違った解釈
とありますが、肯定しているのではなく、侮蔑的に否定しているという
ことでしょうか?