【1982】昭和57〜平成元年の巨人【1989】
>>196
ただ今現在は当時の熱狂してた記者世代になった自分としては「ブランク12年 長嶋1981〜1992)」という12年昔は
さほど昔とは感じない(今から12年前は2011年 )ので当時、伊藤、松井らに「長嶋さんをどう思う?やっぱり憧れ?」と
聞きまくってた世代はさほど昔話をしてる自覚はなかったんだと思う。今自分らが若いアマチュア選手に「清原(ブランク15年)どう思う?やっぱり憧れてた?」と
やってるようなものだろう。
長嶋解任された時は悲しかったが復帰時は大して感動みたいなものは無かった 江川が絶好調になったし原が3年目までは期待以上に活躍してくれたからな >>196
親にキャンプに連れてこられただけの小さい子にマイク突きつけ
「長嶋監督の背番号「3」見たいよね〜〜」とかふっていたバカ穴女とかも >>197
阪神ファンって一般人の苗字が巨人の選手と被ってるだけで嫌悪感を露わにするよな 王長嶋が監督に興味を示さなかったら牧野ヘッドの昇格とかあったのかな? 巨人を見てて思うこと
選手を競争させるということってマイナスになるということがわかる
ゆとりな使い方のほうが選手は伸びる >>32
当時は山内はカチンと来たんじゃないの?
高畠が落合を張本に見てやってくれと言ったら「いいじゃないか、何で使わないの?」ってなって、山内が「あれじゃインハイが打てない」
張本「インハイを完璧に打ち返した打者が古今東西どこにいたんですか?」 落合は「あのアッパースイングでプロで通用するわけがない」と散々言われたそう
落合が首位打者をとった後すら野村が著書で「アッパースイングを矯正してほしい」と書いていた位で
昔の選手には邪道極まりない打ち方らしい その落合にすら理に反している打ち方と言われる超人大谷 実際落合はアッパースイングに見えるだけでレベルかダウンスイングなんだけどな。 平成元年投手陣はすごかった
斎藤 20勝7敗 245回 防1.62
桑田 17勝9敗 249回 防2.60
槙原 12勝4敗4セーブ 149回 防1.79
槙原の最盛期だったのに故障が残念 >>217
広島の大野・川口との投げ合いが凄かったね
いつも1-0か2-1
両投手とも必ず8回以上投げる
つーか彼ら以上の投手が抑えにいないくらい凄かった >>214
邪道な落合が反理念ということはいわゆる二重否定ということに 大森は大学時代はリーグ三冠王みたいなスター性はあったけど学閥こみ1位でしょう
大成しなかったのはバットスイングに速さ・鋭さがなく、内角に威力のある速球を投げられると、全く打てないという大きな欠点があったからですね 松井が高1で「北陸のタイソン君」として騒がれだしたころ「すげえ不良が出てきた。どんな
人だろう・・」と興味持ったが実際にはクソ真面目で人間的な可笑しみはまるでない人でややがっかりした。
松井が2.3年のころの甲子園アンケートはすべて「ー(無回答)」で「怖そう!」と面白がってたものだが。 >>222
プロ入り第一打席がこれ以上ないアンラッキーだったからね
栗山外野手さえいなければ以後の人生も変わってたかもしれません >>224
フライだし
大して変わらなかったと思います 1981年以降も、王は二軍調整させたり打順を6、7番に下げたりすれば延命できたのではないか? 藤田巨人の問題は若手より外人が酷いことじゃねえのか
クロマティは王寄りだとしたら生え抜きでめぼしいやついなかった
トマソンやモスビーあたりは後付高評感があるし 王貞治もう1年現役を続けて、仮に前年と同じ成績(444打数105安打)だとすると、終身打率は3割を切る 92年藤田監督最後の年
ファースト原をレフトからコンバート
レフト吉村をライトからコンバート
センター緒方をセカンドからコンバート 最後はモスビー
ライト駒田をファーストコンバート
をしたときに
岡崎だけはサード安泰で大森にサードの練習をさせて刺激を与えるとか
出てたけど実践されなかったね イースタンで本塁打王3度、通算120本塁打
の大森は一軍で通算5本塁打
やはり才能限界あったのでは? >>230
というか、その実績で期待した
・・・が識者の意見を見るに、俺の目が節穴だった様だ(´・ω・`) >>229
どうでもいいんだけど、日本語がわかりにくい 落合 広沢 清原と次々来てトドメは慶応の後輩高橋入団でトレードに出された >>224
前進守備だから惜しいあたりになったけど、通常の守備なら普通のレフトフライ 高橋は各球団で争奪戦になってヤクルトか巨人に絞られて巨人を逆指名して
ヤクルトの人は「うちは成田離婚されたようなもんだな」と言っていた
大森は単独1位だったって時点で評価がわかる
他球団のスカウトが「大森は2位でとれた」と言っていた
ちなみに広沢が言っていたが二軍から抜け出せない選手を見ると
変化球についていけていないそうだ 大森は自分によほど自信があったのか「2位ならどの球団も行きません」とか言ってたしねえ
元木がいい迷惑で悪役になってしまった それでいて、
「当時の巨人は層が厚くて、なかなかチャンスが貰えなかった。運が無かった。」とか言ってたからな。
好き好んで入っておいて、何で言い草なんだと。 >>237
それで近鉄にトレードされれば同じ元巨人の吉岡に負けたというw 下請けのジジイが「元木はダイエーに指名されて蹴ったから嫌いだ」って言ってたな
江川みたいなのならまだわかるが単に好きな球団に入りたいために浪人することが悪だと思われてた変な時代 遡れば元木の入団拒否にたどり着く
ドラ1に逃げられる失態を二度と繰り返さぬためには球団そのものに魅力を持たせなくてはならないと、当時の中内オーナーは痛感した
そして数年に渡る交渉を経て福岡ドーム元年に合わせ根本陸夫を西武から引きこむことに成功し、根本はフロントから現場まで全ての体質改善に着手した
これら一連の努力は1999年の優勝で結実し、ホークスは今日に至るまで常勝球団として揺るぎなき存在を築いた
【結論】元木大介さん、ありがとう。 >>238
「元・巨人」ってインタビュー本読んでると、石毛大森は未練たらたら
それに比べて東京人で抵抗のあったはずの吉岡や香田は前向きだったよ 左投手のカーブが全く打てなくて
体に当てられたのに空振りしてストライク取られた淡口 >>243
淡口がレギュラー定着できなかった理由はそれなのかね?
守備が上手くない外野手だとある程度はHRが打てないとレギュラーは厳しいってのもあるが。
高田がすぐにレギュラーになれたのは守備がめちゃくちゃ上手かったからだった。 高田は外野と内野両方でダイヤモンドグラブ賞(後のゴールデングラブ賞)を獲った最初の選手
高田を含め今まででも3人しか出ていない 1982年の土曜21時
土曜ワイド対ザサスペンス
ヌード当たり前でオッパイも平気で揉まれてたな >>244
長嶋が重度の“左対左病”だから左投手の時は代打に出さなかった 1期の淡口に対する左右病は2期で清水に受け継がれた 原は長嶋の悪いとこを引き継いでるな・・・・左右病べテラン起用 >>1
中途半端な区切り
二度にわたる長嶋監督時代の間なら、81~92シーズンだ。 新浦は何故韓国に行ったの?
すぐ大洋に帰ってきたから日本でプレーしたかったんだよね? 成績が落ちて長嶋の薦めでしょ
渡韓して変化球覚えて日本球界復帰