1977年日本シリーズ 阪急vs巨人
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これくらい巨人から見て良い所がなかった日本シリーズも珍しい 巨人打線は前年より充実していたのに、あまりよいところがなかった
ジョンソンが残留していれば、少しは違ったのかも知れない リンドじゃね。
翌年、シピン獲っていけると思ったのに リンドとマルカーノ・ウイリアムスの差が大き過ぎた
OH砲を擁しながら、打線全体では阪急に負けていた 巨人って日本sの惨敗するときは実力というよりも相手の若さにやられたイメージが強い。 >>4
語り草の中でも蓑田の出世プレイとなった例のホームイン。
神走塁と思ってベンチに戻ったら上田監督に、褒められるどころか
「塁上で打者カウントと照らし合わせてスタート準備してないからあんな間一髪になる」
と怒られた、という話は昨今の阪急関係の書籍でよく出てくる。
が、高井の左前打にカットに入った高田のボーンヘッドぶりに、正確に言及している書籍は最近とんと見ない。
ボーンヘッドはカットしたことそのものではなくて、カットの仕方に問題があったのだ。
当時の週ベでも
「高田は根っからの内野手でないから失敗した。送球に体を正対して受けるなどあり得ない。
普通の内野手ならあの場面、半身になって送球を受けるはず」
と評されていた。
監督になった長嶋の、用兵上の最大のヒットが高田三塁コンバートなら、
1977年シリーズの帰趨の分かれ目となったこのプレイの戦犯も高田。
以降巨人はペナント奪取も簡単でなくなり、江川問題ほか数々の問題を起こして凋落してゆく。
思えば前年1976シリーズ第6戦が、巨人というチームの長い歴史の中の最後の光だったかもしれない。
サヨナラ打は高田だったが、
その前の打者である6回からパーフェクトリリーフ中だった小林が無死一二塁で山田からバスター安打して、
すわサヨナラ!?と後楽園は熱狂のるつぼに。その瞬間の大歓声、テレビの音が割れるほどの凄さ。今も忘れられない。 >>10
1978年第3戦の完封の翌日のある新聞(スポーツ紙でなく一般紙)の見出しが
「38歳の秋・足立芸術だ」
忘れられない名キャプションでした。
>>11
有利「説」なんてもんじゃなく、巨人が勝つに決まってる、という空気でしたね。
王756号の祝賀ムードの中セリーグを楽勝で制し、
ロッテとのプレーオフも先に王手をかけられるほど苦戦した阪急が勝てるはずがないと。
これまた当時の週ベの記事で
「ドくされえんシリーズ バーゲン対甘ったれ 4対1
ふざけんな!もう見てやらん!長嶋の大馬鹿野郎」
と、日本中の巨人ファンのがっかり度がひしひしと伝わってきました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています