【達朗といえば、やっぱ】広岡達朗/廣岡達朗 その10
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幻冬舎HPより
1932年、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。
学生野球全盛時代に早大の名ショートとして活躍。
54年に巨人に入団、1年目から正遊撃手を務め、打率.314で新人王とベストナインに輝いた。
引退後は評論家活動を経て、広島とヤクルトでコーチを務めた。
監督としてヤクルトと西武で日本シリーズに優勝し、セ・パ両リーグで日本一を達成。
指導者としての手腕が高く評価された。92年に野球殿堂入り。
https://www.gentosha.jp/series/nihonyakyuuyosorehamatigatteiru/ https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2019/11/21/110176/
>――今の時代、なかなかそこまで断言してくれるリーダーは少ないですね。
>では再び広岡監督が実現した際のヘッドコーチはどなたですか?
>
>広岡 森祇晶しかいないでしょう。森は選手を育てることはできないけれど、とにかく頭が良くて参謀として優秀。
>私は今でも、彼の能力は買っていますから。
仲が悪くなっても森の能力は評価する
志半ばでクビを切られても今も千葉ロッテのシャツを着てる
短気じゃなければ関係が悪くなることも、野球ファンから色々と誤解されて嫌われることも少ないだろうに 廣岡はいいことも言うがいくら正論を吐いても他人の心に響かなきゃ意味がない
そこがノムさんとの違いだな
ノムさんはいい加減なこと言っても語りが面白いから聞く耳を持ってもらえるが
廣岡はとにかく正しいことは正しいの一点張りだから
廣岡が言ってるだけで聞きたくないと思われてしまうだけ損 いや、マジ最近痴呆きてないか?本格的に言う内容がヤバくなってる 野村は大阪から逃げてきた評論家時代、参考にしたのは広岡。ヤクルトで実績上げたとたん、お互いに険悪になった。
広岡は週べ中心のスポーツ紙、謎の3流誌。あと幻冬舎。毒舌なんでTV放送禁止。
野村はTV朝日中心にTVに活路。長島の悪口いっときゃ取り上げられる。講演会での稼ぎに目覚めたのも広岡の影響。しゃべりがうまくなったのを広岡が分析してる(笑)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200221-00000003-baseballo-base&p=2 この人より年長のLegendは杉下茂と関根潤三だけだね。
関根さんは元祖2刀流。根本睦夫とバッテリー。広岡さんとは巨人で知り合ったのかな。 監督としては成功したよ確かに
でも人間性は糞の極み
自分の考えを曲げないタイプ
よく言えばブレないにはなるが >>5
>>7 にあるように、野村さん努力したんだね。
マスコミへの露出量の違いではないでしょうか。
野村さんはヤクルト選手にもTV番組出演を推奨してたし。 プロ野球は巨人中心
大学野球は早稲田、荒川、近藤、江尻、八木沢、(コミーは違うと思う)
巨人閥は関根(を通じて根本)、藤田、森(現在仲たがい)、黒江、土井、与那嶺
広島県人閥、鶴岡、山本一、なぜかハリー、カープの人々(苑田)
弟子筋、若松、大杉、マニエル、角、水谷、
田淵、石毛、秋山、伊東、辻、工藤など
気の合う人、高木守、落合、大沢親分 南海スレで呉の話勃発中。
ちなみに兄、富夫は呉二中→広島県庁→広島カープ。
1957年7月、カープの選手として広島市民球場で第1号ホームラン。
この年8本も打ってる。一番打ってる藤井が17本。ほんま貧打じゃ。 ノムとの共通点でいうとどちらも評論家活動はサンスポから
広岡がゴースト使わずに自分で記事書き続けたことは有名だけど、
この経験は両者とも大きかったと当人たちが述べてた 野村 70年代…シンキングベースボール&データ野球&スパイ野球
90年以降…ID野球とやらの座学中心(頭脳のみ)
成功した弟子の監督 ??? 稲葉?もうちょい。古田でも挫折、
しいて言えば古葉かなあ成功したの
栗山は微妙(1年だけだし、三原さん?)
真中は1年目だけだし
広岡 70年代〜 体で覚えさせる反復練習中心、筋トレ、食事管理
成功した弟子の監督 若松、工藤、秋山、辻、伊東、渡辺、東尾△
(弟子じゃないけど落合)
失敗した弟子 田淵、石毛、大矢、江尻、近藤、山本一、尾花
阿部が指揮官の巨人の2軍が小宮山が指揮官の早稲田に負けた件でコメントは出した? なんのかんの言ってもいまだに連絡を取ってるのね
日本一にしてくれた監督だから感謝してるんだろうな
天才テリー伊藤対談「田淵幸一」(2)広岡監督は本当に冷酷冷血だった!?
https://asagei.biz/excerpt/13791
田淵 そりゃもう。今でも広岡さんの誕生日には毎年電話していますけど、
今年88歳で30分ずっとしゃべりっぱなしですからね。 >>23
関根潤三か。
根本陸夫とバッテリー。65勝1137安打。二刀流すげえな。
『潤ちゃんは、見た目は紳士だけど、中身はヤクザ』 小宮山伊良部田淵は広岡大嫌いを公言してるが話すと意外と面白いともいっている 広岡は伊良部を好青年と見ていたらしく退団にショックを受けていた。
バレンタインでなく広岡が直接ロッテ監督をやったらどうなっただろうか。
傀儡と言われた江尻監督はダメだったが 年齢的に体が動かない(基本動作ができない)ので監督はやらないと思うよ。
石毛や辻が尊敬してたのも、40代なのに彼らより守備がうまかったから…
また、投手の物まねもうまく特徴をつかんでたとか(アンダースロー好き)
偏屈で口数の少ない、あの高木守がに唯一、日雇い臨時コーチを頼んでた
(もっともギャラは数十万円だったらしいが…)
ちなみに打撃に関しては聞いたことないけど、ほかの人のほうが上手い事を自覚してるのかも >>26
「おまえさん他人には厳しいけど自分に甘いね」とか広岡の目の前で言えちゃう人だもんねえ関根さん
広岡がおとなしくなるだろうって、巨人が六大学での先輩の関根を獲得したとか、
根本が旧友の関根をコーチに誘うとき、「俺一人じゃ厳しいから広岡も連れて行くよ」
なんていうエピソードとか、この二人の関係探せばまだ結構面白そうな話出てきそうだ 監督、なんでこんな食事をしていたのに痛風になったんですか?
⇒二軍落ち決定 関根潤三は大正生まれ。根本睦夫とバツテリー。
広島カープではスカウトの得意な根本、打撃コーチの関根。守備コーチの小森、広岡。
カープでの根本監督は普通より上だった。辞めた後は友人と鉄鋼業というのがおもろい。 潤三は広岡を文句無しに球史に残る名監督と評し、
広岡は関根さんだけは絶対に怒らせてはいけない人と評している。 広岡は野村ヤクルトの礎を作ったのは関根と
広岡ヤクルト時代の選手がコーチだからと言っている。
選手は広沢、池山、伊東などのことであろうが、
個人的には、この辺は微妙だと思う。
若松、角、水谷あたりはそうかも。八重樫はマイペースなので違うし。 片岡スカウトが良い選手を上位指名してくれたのに加えて
アマの大物はヤクルトの交渉権なら99.9%入団してくれたのも大きいよ 片岡は野村のことはボロクソに言うが、広岡との関係は悪くなさそうだな
アマチュア時代の尾花見て、広岡監督がいかにも好きそうな選手だな、と思って
獲るの決めたんだよな >>31
ちょっと調べれば一般人よりトレーニングをしてるスポーツ選手に痛風が多いことは
すぐに分かるんだけどね
まあ贅沢病の一言で片づけられていた30〜40年前の発言だから仕方ないか 85の日本シリーズで第五戦に小野を先発に立てたことを
後から「他に投手がいなかった」と発してたが
渡辺久信は信用無かったんだろうか?
他にいるとしたら小野以外に彼しか残ってなかったのも確かだが 掛布バースがいる阪神相手にサイド下手の松沼高橋直を1,2戦に先発させた時点でおわりだろ
まあ経験ある先発から工藤渡辺につなぎ東尾で抑える戦略だったんだろうが
切り札左腕工藤はバースにいきなり一発を食らう 工藤のリリーフは計算通りと言ってたからな
三戦目の先発の計算通り
俺も間違いではないと思うけど
バースがその上を行っただけかと
兄やんも一応阪神打線抑えてるからな
東尾を抑えに持って行ってる以上ああいう起用は仕方がないな
郭泰源がいないし >>41
そうかな?ライバルと謳われた吉田には勝ちたかったとは思うがな。でも球団内のトラブルでそれどころではなかったのかもな。 1982年〜1983年の頃ほどのやる気はなくなっていたってのはあったと思うよ
「日本一になったのに人気がイマイチなのは広岡の管理野球がつまらないからだ」みたいな言われ方もしていたし 85年阪神敗退はバース対策の欠如に尽きる。
残念ながら森がいなかったのが原因。
広岡さんは後付けでいろいろ言っているけど、球団に切れてたのは事実。すぐ怒るからね。切れた時の辞め方は半端ない。この人、円満に辞めたの広島だけかも。
78年ヤクルト日シリの逆をやられて、監督としては終了。
ロックバンドじゃないけど短命なんだよね。ピーク短いし、振れ幅が極端。
でも、この85年の西武のメンバーが黄金時代になる事も事実。弟子多数。 バース対策よりゲイル対策が甘かったな
走らせれば簡単に崩せる投手なのに
何もせず2敗喰った >>45
どこに行ってもトラブル起こして辞めているのが何ともだな。でも監督としての能力は歴代No.1ではないのか? バース対策言うけど
攻め方見たらそれなりには厳しく攻めてたけどな
所詮の兄やんだってインハイ見せてアウトローにシンカー
完璧に攻めたのにバックスクリーン直前まで持っていかれたり
工藤もブラッシュボール投げまくってるのに
決して甘くない球なのにことごとくもっていかれた >>48
弱いチームを有りものでNo1にするのは歴代1位です。ブレは全く無い。
また野球人としての育成も森、野村はできないが、広島苑田を筆頭に、ヤクルト、西武にも指導者多数。特に息の長い人が多いですね。そう指導してるから。 クロマティが当時のバースについて
「日本に来て恐るべき打者に成長にした。
今の打撃ならメジャーでクリーンナップが打てると思う。」と言っていた
ただバースは守備については一塁しか守れない上でイマイチだったからね
メジャーの一塁手ってクリーンナップを打つ人ばかりだったので
それにとって代わるのは難しくて日本に来た 意外と阪神が勝ったからうまく収まったシリーズなんだよね。
実は、
西武は育成のシーズン。世代交代だった。でもダントツで優勝したので目立たず。
広岡は、スピーカー大音量など甲子園対策をしてた
投手起用が微妙、高橋直、工藤の重用、小野の先発など。森がいたら感を残す。
阪神池田の「西武はヤクルトより弱い」発言は話題にならず
広岡の辞任予定は夏ごろから?
などなど、阪神が日本一になったのと、西武が慢心で悪役だったので、上記の出来事は話題にならなかった。
ただし、翌年からの阪神崩壊、西武森黄金時代も予想できなかったが。 >>44
吉田義男によると試合前に「俺は西武のために頑張ってきたよなあ」と愚痴をこぼしていたとのこと 4戦目の阪神の先発が伊藤と聞いて
「阪神は捨てゲームのつもりか?」
あんたが言うなよ 1戦目投げた投手が4戦目に投げるのがセオリーだったがそれを最初に崩したのが85阪神 >>56
81年のハムな
第1戦先発の高橋一三が第5戦に先発 98年横浜みたいに1、2戦に登板した野村、斎藤隆を4、5戦に回すのはやり過ぎ
連勝スタートだし中6日に慣れた現代だから6、7戦目に回せば良かったと思う
あげくの果てに6戦目に使う投手がいなくなって苦肉の川村で日本一決めたけど
あの時の権藤采配は余裕なかった これだけスレ伸びているってオッサン世代にとって広岡はやはり名監督なんだよな。ヤクルトでも西武でももっとやって欲しかった。 慢心及び上から目線
珍しく、阪神を研究してなかった。昨年、巨人に勝って目標達成したことも原因か。
なんか淡白なシリーズだった。いつもの粘りもない。指揮官に覇気がなかった。 85年シリーズは秋山・伊東ら西武若手がガチガチになってるのが当時の映像見てもはっきり分かるな。
6戦目に高槁でなくナベQを先発させても制球難や棒球を餌食にされて終わりだろな。
あのシリーズを取るには途中から東尾を先発に回すしかなかったと思う >>58
第3戦が雨天順延で実質野村は第5戦登板といっしょな
第1戦登板を中6で出すようになったのは
99ダイエー 工藤
01ヤクルト 石井
あたりから、いずれも5戦で終了したため2回目の登板はなかったがおそらく6戦目。 98年の西口は結果として1戦-6戦登板だが、これは発熱による登板回避によるもの
本来は6戦の登板予定もなかったが回復して登板直訴してきたため先発 結果論だが、86年の日シリ対広島まで、1分け挟んで5連敗。第5戦の工藤のサヨナラヒットが出るまで
大不振。この試合も打てないというか広島の投手が良かった。工藤、渡辺、郭が覚醒したシリーズ。
俺は広島ファンなので、非常に残念な記憶が。清原に対する攻めも甘かったし。達川の失言も。
阿南監督だったので詰め甘しかな。古葉だったら、清原、工藤にぶつけてたかも。 79年の広島
1戦北別府 2戦 山根 3戦池谷 4戦福士
北別府不調のあおりかもしれないが やっぱり、シリーズ男は必要
古葉広島でいえば、山根、長嶋、福士、とどめが江夏、水沼のバッテリーかな
広岡さんの日シリ采配は勝負強い。
78年ヤクルトは下馬評は圧倒的に阪急が上。エースと4番を中心に接戦をものにしてる。
広岡西武は結構、総力戦で切り抜けてる。82年中日も2勝2敗からだし、83年巨人は王手かけられてからだし。
85年は打倒巨人を終えた後だったので、阪神をなめてたのかな。2勝するも淡白だった。 補足:運もあった。森の強運かなあ、V9の。
対阪急:大杉の疑惑のHR(上田監督抗議し過ぎ)
対中日:石ころ事件と投手都のケガ
対巨人:第6戦9回の西本投入 >>64
失言は達川じゃなくて津田じゃなかったか。 試合中に西武ベンチで時折、廣岡と森が何やら言葉を交わしながら
ニタニタ笑っている姿が不気味で絵になった >>69
津田は3連勝後に「西武打線は元気がなかった。」程度のものでした。
達川は工藤に「オマエ、次、打席回ってくるときは気をつけろよ」と言ってしまったんです。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50122
これじゃあ、内角投げてくるの分かりますよね。ベースから離れて1,2,3で打ったらサヨナラヒット。
広島ファンは今でも工藤のサヨナラヒットと秋山のバク転には頭来てます。
ちなみに、達川は広商時代江川に「わりゃ、わしらをなめるなよ」とも言ってます。
ただこの後、奇跡的に広商は勝ったのでおとがめなしですが…(笑) 85は郭泰源がいなかったせいで負けた
86は川口いなかったおかげで勝てた
結局これじゃね?
特に後者は後の日本シリーズでも全く川口攻略できなかったから確信持てるんだが? 91年、川口いたけど、浩司の采配ミス。
監督の森祇晶さんから言われたよ。「(大下)剛史、おまえともあろうものが、なんであそこで川口を使うんや」と。それで、「いや、僕は翌日にとっておきたかったんだけど、監督が“どうしても使いたい”と言うてきかんかったのよ」と正直に答えたら苦笑い
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51029 86年は広島野球のピーク。同じ広島県出身の広岡の弟子にうちゃられるとは何たる皮肉。以後、日シリでは勝負所でミスを続ける。下記は第5戦直後の様子。西武を土壇場まで追い込んでた。地味だが各チーム最高で3点しかとってない超投手戦。
工藤は後日サヨナラ直後の場面について「なんか僕、悪いことしたのかなと思いましたよ」「グラウンドではみんな喜んでくれたんですが、ロッカーに戻ったら、みんなシーンとして暗い。何で広島まで行って胴上げ見なきゃいけないんだって」 86広島は思考停止したみたいに最後まで同じオーダーだよな
ウルトラ貧打で負けた癖に 阿南だからかなあ。第5戦、一死3塁の木下の強硬策とか。スクイズだろ。と皆思ってたのに。
また、森はシリーズ男の長嶋を非常に恐れてて、「手つけられん」と言っとったのに。ずっと5番。
小早川はチャンスに弱い、のはこの頃からの定説(97年ヤクルトでの3連発時、浩二が解説で「ほんまびっくり」発言)
カープファンにとって、この日シリは、今も本当にトラウマ。有吉も言ってた。秋山のバク転。
ただ、このシリーズ後、工藤、秋山は覚醒し、翌年の対巨人日シリ楽勝、清原涙につながる。 1986年は投手力の広島 打力の阪神 投打のバランスは良いが監督が弱点の巨人と
各チームのカラーがはっきりしていた >>74
森ってこういうことよく言うよな
森自身も1987年巨人戦で第5戦東尾の後に
第6戦先発予定の工藤をリリーフさせたりりしているのにね。
工藤が打たれていても自分が正しいと言えたかな? 広岡
東尾のやたらと投入。兄やん、高橋直、小林誠などアンダー&サイド好き。
森
工藤をやたらと投入。郭大好き。潮崎、鹿取のサイド好き。東尾嫌い。 第6戦は川端先発時点で半ば捨て試合
それが勝てそうになったから慌てて川口投入して失敗
結果的に佐々岡川口大野でいける第7戦の勝機も失ってしまった 第7戦、好投佐々岡に川口をリリーフ、また、失敗。せめて何故大野じゃない。とどめは秋山HR。またバク宙。
浩二の勝負弱さじゃ。
84年対阪急であれだけ大野を効果的に使ってたのに。 >>82
広岡のスレで91年のシリーズの話をしかもトンチンカンな理論語ってる ID:zkx57mTt って
バカなの?
適当に合うスレあるだろ
そっちいってやってくれよアスペが ここ数日毎日連投して場違いなレスばかり書いてるやつ全部いっしょだねこれ >>85
あぁ
広島のこと語りたければよそいってやってろよ 阪急スレで広岡の話
広岡スレで広島の話
軌道修正はすぐやらんとな 藤浪の件、広岡さん何かコメントしてるのかな。
最初美談、今炎上。 >>83
個人攻撃はやめよう。
あほがうつるから。 野村アンチスレの主役は星野信者だが
広岡アンチが信奉する人って誰なんだろう? >>79
1988年日本シリーズ終わった後「第一戦小野が先発で良かった、小松の方が
嫌だった」 >>88
週べでなんと!医者にダメ出し。藤浪情報は入ってなかった。 >>91
そりゃ小野のことなんて知り尽くしているだろうしな
小野はあの年だけの確変だった 里崎?いい加減な奴だよね。
こいつは、慶彦の猛練習をどうさぼったのかな?
ちなみに、広岡さんはこの猛練習を評価してる。
高橋コーチのおかげだと。この猛練習のレベルは異常だが…
なぜなら、広島カープ+広商。常人じゃついていけない。 >>90
巨人ファンとか
原含め首脳陣に対しても耳の痛いことしか言わないし 広岡さんはNHKで88年のシリーズ初戦 小野よりもなぜ捕手大石なのかと
疑問視してた。 何気に元西武バッテリーだった 西武監督時、85年日シリ対阪神第5戦で小野先発させて、マスコミに酷評されてたかな。
この試合まで、2勝2敗。明らかに采配ミスというか、阪神なめてたな。
不振の掛布に先制3ラン。長崎にも痛い目にあった。 >>98
広岡さんは甲子園でやったときのインタビューで
「ここで2つ勝てたらいい」と言ってたから
2つ勝った後の第五戦は明らかに捨てゲームでしょ
それと88年の時にも「85年の第五戦は郭がいなくて投手が足りなかった」と明言してたし
渡辺久信じゃ信用できなかったんでしょうね
実際リリーフで打たれてたし ここまでは甲子園対策の大音量スピーカー作戦も効いたわけですね。
短期決戦で、捨てゲームを作る勇気はすごい。
たしかに、レギュラーシーズンでは割り切ってた。
84年なんて、前半途中からシーズン丸ごと捨てて、育成にしてましたよね、西武は。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています