【1986年結成】大石 新井の1、2番コンビを語ろう【1992年解散】
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1、2番コンビ7年は結構長い(※参照)
大石大二郎
1986 .290 16本 55打点 出塁率.334 24盗塁
1987 .265 5本 42打点 出塁率.316 41盗塁
1988 .252 5本 34打点 出塁率.322 16盗塁
1989 .277 8本 33打点 出塁率.356 14盗塁
1990 .314 20本 69打点 出塁率.378 20盗塁
1991 .268 6本 42打点 出塁率.358 12盗塁
1992 .269 6本 47打点 出塁率.354 39盗塁
新井宏昌
1986 .288 12本 51打点 出塁率.317 27犠打
1987 .366 13本 67打点 出塁率.403 22犠打
1988 .286 8本 54打点 出塁率.327 25犠打
1989 .302 7本 47打点 出塁率.361 31犠打
1990 .292 6本 34打点 出塁率.357 21犠打
1991 .309 3本 44打点 出塁率.362 24犠打
1992 .220 3本 25打点 出塁率.294 11犠打
※漫才コンビ紳助竜介も7年 >>24>>25
(1・2番を西村・横田に置き換えると)何処のロッテかな? 結局は緒方、川相で並べる必要があったのか?ってことだよな。
川相がバント名人なんだから1番は俊足の必要なくてさ。
だから結局篠塚が引退する年まで1番セカンドだったわけだな。 私的にはプロ野球史最高の1、2番かもしれない、何でもできる >>20
この頃って中畑が中心になって組合を結成して
野球選手の待遇改善を訴えた時期だからね
中畑は「自分の最高年俸が5200万だった」と言っていた
巨人ですらそんなもん
金村が言うには「プリンスホテルから近鉄に入団した選手が
「プリンスホテルの方が待遇が良かった」と言っていた」そうだ 82年オフに規定打席に達しているレギュラー藤原を引退させコーチ就任させたように
南海はチームを強くすることよりも支出削減の方が至上命題だった。
藤原以上に出番が少なくなっていた新井も引退させようとしたが引退拒否したのでトレード
はじめは金銭でもいいから引き取り手があれば、という方針だったが
あまりにそれは新井に失礼と、法政とPLに関係の深いあのお方から意見があって
なんとか交換トレードの体をとった 新井さんって野球以外では、
全く自己主張しなくて目立つのが大嫌いな人なんだよな 南海もまさか35歳でキャリアハイの成績で首位打者になるとは思わなかったんだろうね その頃パリーグあまり見れてなかったから、近鉄も初優勝の大功労者山口哲治出すのかとか思ったけど
成績見ればトレード時点でも近鉄側が相当儲かってるわな
逆に南海側は山口再生とかも少しは期待あったのか 山口 南海移籍後の成績
1986 6試合 0勝0敗0S
1987 (一軍登板なし)
1988 6試合 0勝0敗0S
29歳で引退 日本プロ野球で通算300犠打と2000安打のダブル達成は新井が初だった。 大石・新井で思い出すのは、10.12の第一試合。
新井が内野ゴロに打ち取られたかに思ったところ、1塁ランナーの大石の好走塁もあって
フィルダースチョイスで満塁に。
で、次のバッターのブライアントが満塁弾をぶっ放したんだよね。 >>39
年俸だけ高いロートル新井をトレード出したいが、金銭や無償だと世間体が悪いので体裁を整えるためだけにすでに終わってた山口をもらったらしい >>25
鈴木貴 金村 村上
打率265 本塁打16 くらいの人達 >>42
その時に塁にいた真喜志が6年しか現役をしていなのに地味に驚いた
その後は今にいたるまでずっとどこかの球団でコーチを続けているのもまた凄いが このバントは新井の真骨頂だなぁ。
下手な選手の中には一塁方向に走りながらバントする選手いるんだけどね。
上手い選手ほどバントのインパクトの瞬間まで体が流れない。
この動画は巨人とのシリーズだけど公式戦でも何回も見せてくれた。
https://youtu.be/jRUOgMQQ2cc?t=5309 そりゃ、新井はバントばっかりやらせていたら
もともと上手いし、川相や平野の記録なんか裕に超えていただろ
でも、打てるし、勿体ないから
バントの場面でもバントさせなかった 川相が犠打世界記録ってことで殿堂入り投票で票伸ばしてたけど、
犠打に価値求めるなら2038安打で300犠打の新井ってもっと評価されてもいいと思うわ そもそも、川相が過大評価なんだよ
打てれば、バントなんかさせないだろ、と 右投左打の選手はバントが下手な事が多い
篠塚はバントが下手だった
だが新井は上手かった 新井のバントが思ったよりも少ないのは南海時代は2番固定ではなかったからだよ。
2番には毎年シーズンの半分も入らなかった。 川相の高評価は完全に巨人補正だよね。
南海→近鉄だったら完全に空気扱いで終わってる。
逆に新井が巨人の主力だったら相当なレジェンド扱いだったろうね。 川相がパの選手だったら弓岡未満の選手扱いで終わっていたのかも。 ていうか、大石 新井のスレで巨人の川相の名を何度も上げるお前らが川相の知名度、注目度をさらに上げてるんだが。
また、パリーグの選手の話題や評価をするときにセリーグの選手を引き合いに出さないと語れない人ってけっこういるよね。 >>57
だってセの選手しか知らない人相手にパの選手に例えても意味が通じないじゃないか。 えなりかずきは野球選手なら野村克也に
「小細工とかがうまそうな選手に見えて、実は全然うまくない選手」とか評価されそう >小細工とかがうまそうな選手に見えて、実は全然うまくない選手
元木がそれだって言っていた人がいた
全然曲者じゃないって 辻平野
大石新井
松永福良
田中白井
西村横田
佐々木湯上谷
パはレベルが高い >>64
辻 大石 福良 白井 西村 湯上谷
篠塚 高木豊 正田 和田 上川
ヤクルト以外は似たような選手ばかりだが高レベル >>65
西村がセカンドの頃のホークスって河埜弟じゃなかった?湯上谷がセカンドの頃のロッテは堀。 飯田哲也がセカンドでレギュラー獲ったとしたらヤクルトの歴史はどう変わったのだろうか? 新井の移籍がもう一年早かったら85年のシーズンは
あそこまで西武独走にはならなかったかも 85年の西武と近鉄は15.5ゲーム差だったから新井一人いてもいなくても大して変化ないでしょ。 アライサン2000本安打の試合藤井寺に観に行った
味のあるいい球場だった >>35
藤原氏曰く穴吹氏が監督に就任するにあたり手を貸してくれと言われ、「僕が辞めることでチームが強くなるならいいですよ。」と本人も了承の上だった。
新井氏は佐々木、岸川ら若手の台頭もあり、放出されたと見られる。 このコンビの最大の見せ場だったのはブライアント4連発の中の郭からの同点満塁本塁打の場面でのお膳立てをした連打での繋ぎ。
ゲッツーが許されないノーアウトの状況で、
どちらも西武の鉄壁の内野陣の守備範囲の隙間を狙って抜けて行くかのような職人的な巧打だった あれは1塁ランナーが大石じゃなかったら、1死は取られていたね。 >>74
田辺の守備も素晴らしかった
よくあの体勢から二塁に投げれたよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています