東尾修 VS 北別府学
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80年代のセパを代表するエース右腕で、両者
ともに巧みな投球術を生命線にするピッチャーだったが、どちらが投手として格上か?
ちなみに
東尾全盛期
ttps://m.youtube.com/watch?v=EySs4UsusS4
北別府全盛期
ttps://m.youtube.com/watch?v=CjH0oUyxI4w 北別府は投手基本の外角低め、アウトローの制球に長けてた。
東尾は真逆のインコース高めを時にはわざと打者に当てたりして有効に使ってた。 北別府のシュートを読んでレフトスタンドに叩き込んでた岡田の打撃が印象的 日本シリーズで勝てない北別府
日本シリーズでは抑えにまわって無双の東尾 北別府は日本シリーズでなかなか勝てなかったが
その分、山根が日シリに強くて、バランスがとれていた >>14スレチだが、あの当時の広島てチーム力とは反比例で妙に審判団に嫌われてる選手が多かったなあ。北別府を筆頭にヨシヒコや達川など。 dndnは落合みたいに三塁側に体を開くフォームだったからシュートをそれほど苦手にしてなかったのでは 北別府がブログで自分の投球スタイルと比較して
パで似たスタイルだったのは東尾と言及してたのは見たことがある 1986年第1戦は東尾、北別府の投げ合いだった。
8回まで2−0で東尾が完封ペースで小早川にHRされ
コージにもスライダーをライトスタンドギリギリに放り込まれてしまった 人気とか実力差はよく分からんが、
東尾はちょい悪親父っぽいくて、かっこよかった。 83日本シリーズの第七戦、
七回0-2の展開で二死満塁・原に2-2から顔付近にブラッシュボール
投げることができるのは東尾だけ >>24
金のネックレスつけてオラついてたからなあ
外国人にはぶん殴られたけどw >>26
あれは力んで手元が狂っただけ
本人がそう言っている >>29
東尾のある登板日前の芸当
試合前、軽くウォーミングアップがてら投げる。
球が抜けて思い通りに狙ったコースにいかない、「今日はダメだこりゃ〜」と首を傾げ調子が悪いをアピールする東尾。
そしてプレイボール直後から抜ける球でブラッシュボール投げまくる東尾。
そして腰が引けた対戦相手打者陣を嘲笑うかのようにアウトローに伝家の宝刀のスライダーを投げ込む。
そりゃあ打てないわ。
しかし、それでも腰が引けず打って来る打者がいたら迷わず当てて恐怖心を与える。
こんなことやってりゃあみんなから嫌われますわな >>14
北別府がコーナーギリギリに投げる→ボールの判定→苦虫の北別府→
もう一度ほとんど同じ所に投げる→審判、悩みながらボールの判定→
その判定に審判に詰め寄る北別府→次の球、ボール半個分中に入れる北別府→
審判、悩みながらストライク
ある審判曰く、北別府の登板の試合は通常の倍は疲れたらしい。 >>31
その逆で江川は判定しやすい投手だと、この時期のセリーグ審判団の見解だったなあ。特に、江川の恋人と言われてた三浦は、審判員引退後、テレビで江川はテンポが良く判定しやすい。北別府は投球間隔が長く、いちいちしかめっ面が嫌だったと言ってた。 意固地なカープヲタは 「絶対に北別府のほうが上じゃ!」 とか言うんだろうなw
ほとんどパの試合は見てないくせに 北別府、西武相手に
日本シリーズで勝てなかったからなあ。
こういうスレで憂さ晴らししてるんだろなw >>27
今なら危険球で一発退場
単にルールの盲点でのさばることができただけの極悪 >>30
東尾と山田の最後の投げ合いをブルペン上方の席で観戦してたがそんな感じだったw
試合前はブルペン外れてダッグアウトの屋根にぶつかる球が結構あった
正に「今日はダメだこりゃ〜」と思ってたら勝っちゃったw どちらも歴史的な才能があったわけじゃないがめちゃくちゃ頑丈だったよな
頑丈でケガしないのは重要だよな
すごい才能があってもケガして20代前半がピークになっちゃいかん 「頑丈」という表現だと、個人的にはごっつい印象を受けちゃうけどw
二人とも綺麗なフォームで速球派ではなく軟投派だから長持ちしたんだろうかね。
田淵が東尾の登板を解説すると、
「意外でしょうけれど、この人(東尾)ほど入念に体の手入れをする選手はいない。
若い選手も見習うべき」みたいな事を、よく言っていた。 >>14>>18>>31
コントロールの良さから精密機械とよばれた北別府が
審判に嫌われていたのは、きわどい球が多くて疲れるし
ボールと判定されると、露骨に不満顔をしていたから。
あるとき、きわどい球をボールと判定されて、怒った北別府は、
そのあと同じコースに同じ球を3球つづけてフォアボールになってる。 >>9
一個じゃないよ、半個だよ。
稲尾、江夏、、東尾、北別府あたりのコントロールの精度はそれくらい。 >>42
テレビで東尾と西部邁が一緒に出演してて
西部が東尾の麻雀賭博を強く擁護してた。
プロ野球選手はある意味ワルで一般人の善悪の基準に縛られてはいけないと強く語り出した。
東尾は賭博のことを持ち出されるのが嫌で西部に強くいらだっていた。
ところが西部は空気を読まずに自説を滔々と語り続けた。
このときの東尾の心底いらだった顔は忘れられない。 通算与死球
1 東尾 修 165 (1969-1988) 4086
18 北別府 学 99 (1976-1994) 3113.2
通算与四球
13 東尾 修 1102 (1969-1988) 4086
北別府 学 656 (1976-1994) 3113.2 東尾は88年シーズン終了後大洋行くんじゃないかって噂あったよな
不祥事で出遅れたし、シーズン中もパッとしなかったけどもう少しやれなかったもんかね
MVP選手が次の年引退って東尾以外いるんだろうか >>45
福岡出戻りで新生ダイエーにという話もあったな 徹子の部屋 ゲスト予定
10月8日 月曜 東尾 修&東尾理子 娘が石田純一と結婚…3人の孫に囲まれ
10月9日 火曜 オスマン・サンコン 来日45年…長男ヨンコンと初孫を黒柳に紹介
10月10日 水曜 菜々緒 9頭身!大人気「悪女」の意外な素顔
10月11日 木曜 相葉雅紀 黒柳の おねだり で 特技 披露も
10月12日 金曜 仲代達矢 昭和を飾る名優たちとの共演秘話を 元ミス日本を嫁にした北別府の勝ちだな。
最近はそうでもないけど、昔はがっつり美人で、
親が有力者って場合が多かった。 北別府は巨人戦を苦手にしたので印象悪い
江川との投げ合い通算4勝12敗は痛い 苦手と言っても巨人戦通算30勝してるから、相手が全部巨人だったとしても単純計算で150勝になる
近い年代の江川・遠藤・小松は通算150勝にすら満たないんだから評価出来るよ
200勝することの難しさで言えば80年頃には主力になってた北別府世代は
工藤や昌の年代よりも難しかったのではないかな >>50
その理由て、空白の1日で世間一般に嫌われまくった江川が、こと審判団に関しては江川も真っ青の北別府の嫌われっぷりも影響してるのかなあ? 味方の大野と川口の対談でも
「あの人はね・・・」
「テンポが遅くてね・・・w」
って言われるくらいだからねえ 北別府の投球に爽快さは欠片もなかったけどコントロールは凄かった
ガキの頃一番多く見た投手が北別府だったから、今に至るまで他の投手のコントロールが悪く見えすぎてしまう ストレートなんてほとんど140出ないのに
1982年なんて20勝はともかく、200奪三振で沢村賞はびっくりだよ 82年はストレートも速かったらしい
ソースは達川光男 >>56
動画あるけどMAX140程度だよ
でもストレートに伸びがある >>57
北別府は球持ちが良くて、球離れが遅かった印象がある。
ボールに強いスピンをかける投げ方の江川は高めが伸びて、北別府は低めが伸びてたね。 >>56
北別府の82の投球が、youtubeに上がってたよ。
だいたい140をちょっと超えるぐらいだった。 >>59
ごめん。さいこうでも137.8km/hだわ。 北別府も江川もリリースまで余計な力入れていないから 切れのあるボール投げるよね
今の時代だと引退したけど杉内かな
ライトゴロに刺された局面は際どかったと思ったが塁審からもテンポ悪さ嫌われてたのか…
あの日たまたまTV点けてて津田のストライク入らん押し出しサヨナラとセットで思い出す。
―――
1988年 巨人vs広島 21回戦
http://2689web.com/1988/GC/GC21.html
なぜできた? 巨人 前回の「右ゴロ」は呂明賜 広島・北別府を仕留める― スポ...
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/16/kiji/K20130516005814720.html
(5月15日 東京D) 巨人が2回の守備で、チーム25年ぶりとなる「右ゴロ」を完成させた。0―0の2死満塁、グライシンガーの強烈な当たりが一、二塁間を破ったが、前進守備を敷いていた右翼の長野は猛チャージ。
捕球すると、内野手のような小さなモーションであえて一塁へワンバウンド送球し、先制点を防いだ。
巨人の前回の「右ゴロ」は、88年8月16日の広島戦(東京ドーム)で、呂明賜(ロ・メイシ)が完成させた。1―1の同点で迎えた9回表1死一塁で9番北別府の打球はライト前に。
これを呂明賜が素早く一塁手の中畑に送球しアウトにした。巨人はその裏1死満塁のチャンスで、駒田が救援の津田から押し出し四球を選び、サヨナラ勝ちした。
[ 2013年5月16日 11:28 ]
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