谷繁は確かに希望校には行けなかったがワルだったのかは不明


確かに受験勉強はしていなかった。
谷繁は、まったく準備せず広島県立広島工業高校の入学試験に臨んだ。
同校の野球部から「試験さえ受けてくれればいい」と誘われ、その言葉を信じていた。しかし、結果は不合格だった。

谷繁 後々考えてみると、県立高校だから試験さえ受ければ入れるなんてありえない。
でも、当時は大丈夫だと思っていた。誘ってもらって、こちらも「お世話になります」って答えた。
落ちるとは思わないよね。
だから、まったく勉強しないで試験を受けた。

広島県比婆郡(現在の庄原市)で生まれ育った谷繁は、東城中の軟式野球部で頭角を現していた。小、中学を通じてポジションは主に投手だった。
3年になると、広島工、広島商、広陵など広島県内の強豪校から勧誘を受け、最終的に広島工を選んだ。
同校は谷繁が中学3年だった1985年(昭60)夏、7年ぶりの甲子園に出場していた。
強豪校でのプレーを望んでいた彼にとって、最高の進学先だった。