活躍していないのに活躍したイメージがある人
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>>99
リリーフだし、WHIPや奪三振率は前年と変わらんし
伊藤智級は言い過ぎ >>88
メジャー以降の松井秀喜
メジャーリーガーとしてのキャリアの多くを
中軸クラスの選手として過ごし
年によっては(04年とか09年)Aロッドと並べても
恥ずかしくない成績だが「メジャーでは並の選手」
とか過小評価されることが少なくない 改めて見ると岡崎郁の成績って微妙すぎるな
まぁチャンスに強かった感はあるんだが 個人的には、元巨人の定岡がスレタイ
子供のころ、長嶋と二人で良い雰囲気で会話してる映像を見て
定岡の能力に対する期待や評価って凄かったんだなぁ
凄い選手だったんだろうなぁと思って、定岡の成績を調べて
通算成績を見たらビックリしたわ サダ坊は生ダラのイメージが強すぎてヘタレな成績はと思ったら同い年の松沼弟と大して変わらない位のキャリアなのが意外。 古過ぎて現役時代は知らなくてもオリックスファンなら誰もが知ってるロベルト・バルボン氏は打率.280が最高でホームランも1桁しか打たない盗塁だけの外国人ってのがある意味すごいな
1955年からって最古レベルか
その時代の外国人で今も知られてるのは誰がいるの? 去年亡くなったスペンサーって人も歳はバルボンさんより上だが所属は1964年からだし
同じく盗塁王獲得してるレインズという選手が1953年からでこれが最古選手か?
阪急以外ではどんな選手が居たんだろう?
スタルヒンは除いて初代助っ人外国人は誰だったんだ? >>109
アルバイト選手でレオ・カイリーってのが毎日にいた。
広島には銭村という観光目的?の日系二世的な奴が。
巨人には有名な与那嶺、宮本ら。
戦前には名古屋軍にハリスという名捕手が、また巨人にはリベラというよく分からない
外人がいた。
大東京にはボンナというとんでも害人も存在した。 と思ってたらボンナは打つ方は凄かった。打数少ないが >>102
守備での貢献度が最低レベルだったからなあ >>112
サンクス 勉強になった。
リベラって選手はそれが最初で最後のたった1人のフィリピン人選手だったんだな 戦時中に占領下東南アジアの野球選手がいたな。
戦後、球団が解散して母国に帰った。
本が出ていたけど名前忘れた。 >>112
銭村兄は観光目的だが弟は普通に戦力だよ 広島の長内
.275超えたことも20本超えたこともない オレンジのユニホームの頃の日ハムに中島って奴いなかった?
初打席初ホームランだったかデビュー戦でサヨナラホームランを打った記憶がある 横浜の西清考、河原隆一
中日の李・ジョンボム、朝倉健太
楽天の牧田明久 横浜の河原は鳴り物入り入団したのにプロだとバッピだったな >>130
横浜の西はササキ様に願いを
河原隆一は河村隆一がバカ売れしててセットで覚えた感じ >>29
高卒3〜4年目くらいで仰木がキチガイみたいに起用してたイメージ ものすごい高いレベルの話になるが
落合と斎藤雅樹
2人ともあの二年間以外は
そこまでずば抜けた成績でもない
いや一流の四番打者 エースといわれるには十分の成績だが >>135
それを言ったらタイトル取り捲ってる王みたいなのを除いたら
名球会、野球殿堂入り級でも大半の選手はずば抜けた成績は
ほんの数年だわな。 言い掛かりをつけだしたら最終的には王すら所詮ファースト専だろwとかなってくるしなあ >>135
じゃあ有藤・清原みたいなキャリアハイがはっきりしない選手の方が優れているというのか? 分かるよ
通ぶってありえないこと言ってみようとする感じ >>135
他人と違うことを言おうとして気が違ってしまう感じ >>133
そんなこと言い出したら王は自分と同レベルの打者育ててないぞ 94年の落合。
開幕戦の松井とのアベック弾、終盤戦で山田から打った長嶋監督お辞儀ホームラン、
そして10.8での1億円ホームランと印象に残るホームランが多かった。
ことあるごとに長嶋監督が落合効果と褒めちぎってた。
しかしながら残した数字は当時の落合のキャリアではレギュラー獲得以降の最低の数字。
落合がもう少し打っていれば、ペナントレースもあそこまでもつれなかった。 94落合は長富から背中にデッドボール喰らって一気に失速したな >>109
与那嶺や土屋などのハワイ勢
二世だけどアメリカ人だから マドロック
近鉄優勝阻止に貢献したが年間では活躍してない タラスコ
チームが弱すぎるおかげで上位打線にいたが成績はたいしたことない >>33
チームが弱すぎたおかげでクリーンアップだった選手も 日系以外、戦後だとやはりボンナ、レインズとなるのかな?と思ったけど
>ニグロリーグは1940年代後半から衰退し始め、黒人選手たちが海を渡って日本に来ることも多くなりました。レインズが阪急でプレーする前年も、二人の二グロリーガーが存在していました。
こういうのを見つけた。
でも名前が出ないあたりは、活躍してないっぽいな。
戦後で通年通して出た選手だとやはり1953のラリーレインズなのか?
アメリカ人ではあるけど日系人はやっぱ日本に馴染みがあるから来てたんだろうし
あとはやはりメジャーで出られないのもあって黒人が多いんだな。
最初の白人は誰だろ あぁその彼も調べてたら出てきたね
戦後ではどうでしょう 調べてみたら、戦後しばらくはいわゆる「カタカナ外人」はいないね。
昭和27年に阪急にブリットンというのがいて、そこそこ打ってる。
レインズより先。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ブリットン
同年には西鉄にワイヤット、オニールとかいうのも存在してるね。 >>88
ヤクルトのロバーツ
どのタイトルも王長嶋に次いで3位というのが多かった
結局無冠だった 新庄は打率3割超えが一度もないのに驚いた
阪神ファンの親曰く「ここで打つか、と思わせる選手」という認識だったらしく、
日本ハム時代のエンターテイナーっぷりを意外な目で見てたそうな >>149-150
実は骨折してたって言い訳してたな
アナル夫婦お得意の後付けのフカシだろうけど
本当に骨折したならチームに迷惑だから休めよ >>162
新庄ってMLB挑戦後に色々美化されだして、
阪神時代の事も歴史修正された様な気がする。 >>163
中日が負けてガッツポーズしたって捏造された社長が気の毒だった。 これは山井
日シリの完全未遂
ノーノー達成
最多勝経験
この前の完封劇
要所要所で活躍するのでもっと勝ってる印象がある 八木沢
村田、木樽、成田、金田、仁科、水谷辺りの足もとぐらいの成績なのに、なんかロッテのエースだったような印象すらある >>169
完全試合とマニエルKOという派手な見出しがあるからでしょ
監督もやってるし甲子園の優勝投手というのもある >>162
阪神時代は不振で応援ボイコットされてたくらい ゲイル
阪神日本一の年に在籍していたので活躍したイメージがあるが成績はたいしたことない >>175
初代燃えドラで二番谷木と唄われた効果 実際は二番谷木なんて皆無に近い
三番井上も翌年山本浩二と首位打者争いしたお陰で実際の成績はショボいのに活躍したイメージ 1997年 ヤクルトの「廣田、野中の活躍もあって・・」は過大評価しすぎじゃないかな?あくまで石井一、吉井、伊藤智の存在が大きかった。
2001年 同じくヤクルトの前田も「7勝10敗 3.86」で「大活躍!」は過大評価しすぎ。
マスコミが「ノムさん系話」の起点にしたかったのだろうが言い換えれば清水(日本ハム)レベルの投手に過ぎない。
持ち上げすぎ。 燃えよドラゴンズの俊足非力の2番谷木
中距離の三塁6番島谷がなんかイメージぴったりすぎるんだけど実際はほぼ2番島谷なんだよな >>184
そう
実際は二番と七番が島谷か木俣
三番谷沢五番井上
六番は大島が多かった
固定してたのは
一番高木四番マーチン八番広瀬&正岡 1974年に谷木がスタメンで二番打ったのは30試合、
歌詞の通りのスタメンでの打順はわずか9試合しかない 西本和人なんか結構目立っていた。要所要所でいい投球をするので広岡さんがよく可愛がってた。 >>190
稲中が鈴木平の知名度アップに大きく貢献してたな 鈴木平は95年96年のオリックス連覇には充分貢献してる >>192
稲中は、他にも今関とかマッキントッシュとかもあったな >>194
「MACってマッキントッシュの事だよ」
「日ハムの?」
「アイツは球拾いして帰った」
この部分何度読んでも草 鈴木平、小倉、木田、高橋功、水尾、ウィン
パッと思い付くブルーウェーブリリーフ陣 74年版燃えよドラゴンズ
1.高木(4)
2.谷木(8)
3.井上(7)
4.マーチン(9)
5.谷沢(3)
6.木俣(2)
7.島谷(5)
8.広瀬(6)
こうだっけ? 穴吹義雄
矢頭高雄
坂崎一彦
重松省三
武上四郎
大橋穣
中村勝広
佐々木恭介
平田勝男
高沢秀昭
金村義明
石井浩郎
豪打・好打だの、守備の名手だの言われて、しばらくレギュラーやってったワリには通算成績が冴えない面々でした ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています