引き際が潔かった選手
>>14
城島は俺も同感
男らしい辞め方だなとオモタよ >>54
王引退がなければ藤田擁立もなかったわけで
色々と微妙。 大崎三男(神)
フロントにキレて
「オッサン、辞めとくわ!」
たしか明治でも島岡にキレて
辞めてたような。 通年レギュラー級のうちに引退なら潔い
自分の意思で潔かった選手→20億黒田新庄
そんなつもりはなかったのに結果潔くなってしまった選手→江本男村田 >>460
代打で出てきたらまだまだ怖いバッターだったけどな
お疲れ様 >>114
馬鹿じゃねーか
圧縮鳩は飛ぶに決まってるだろう 最近昔みたいにまだ十分戦力になってるのに引退するというケースが激減してる気がする。高橋よしのぶと阿部位か 阿部も由伸も本人の意思とは別の力が働いた結果に見えるがな
中日の谷沢もそんな感じだった 和田は現役実行の予定だったが
落合GMの意向で引退させられた >>54
王引退がなければ藤田擁立もなかったわけで
色々と微妙。 皆川睦男
200勝以上投手の中で唯一の引退年に規定投球回クリア。 現役時代、稼いだ金はすべて貯金して質素な生活をする
女子アナ、芸能人など金のかかる嫁をもらわない(高校時代の女子マネなどと結婚する)
引退したら、飲食店経営などに手を出さず、体力を生かして地道に働く
佐川急便、ウーバーイーツなどで働く傍ら、少年野球の指導をして充実した生活をする
上記の教えを守れば、困窮することはないはずだ 淡口の最終年が一年通してスタメンで出ているな
最終3年間の打率が
.240 → .218 → .229
だから本人的にはもう限界という判断だったのかも知れないけど >>464
最近は引退後の評論家の需要が少なくなったからね
(テレビ中継の減少、新聞の部数減少)
少しでも長く現役を続けようとする >>476
淡口って移籍1年目は夏場まで3割3分くらい打って、今の大田ばりだったよな >>479
星野「監督谷沢は選手谷沢を使えるか?」だっけ? 山本浩二なんてあと3年はやれたよな
田淵幸一も引退年の春先は絶好調だっただけに辞める必要無かったと思うが
秋山が出てきたから辞めたとか言ってるが別にポジションが被ってた訳じゃないのに ナベQは台湾で18勝してもう一花咲かせたように見えるが
当時台湾プロ野球は2つに分裂していてナベQが所属してたリーグは新しい方なんだよな
従来の方のリーグならあんな好成績が残せたか疑問 田淵は前年の活躍を思えば、あの年1年だけの不振で引退などする必要なかった。
翌年もやれば20本くらいは打てたはず。 ONは何故あんなに早すぎる引退だったんだろうか?
長嶋 あと1年やれば2500安打達成。V奪回も果たしたかっただろうに。
兼任監督でも2500安打ジャストは行けた。
王 30本塁打で引退とは何とも贅沢。翌1981年はV奪回とともに成績が盛り返して900本塁打。
82年に3000安打、84年は1000本塁打を達成して有終の美。 王は通算打率3割切りたくないって理由もあったようだけど、後年少し後悔したって言ってたね 体力の衰えじゃなく、技術的な狂いだった、とか。
でも3部門がほぼ最期の3年間右肩下がりだし、やっぱり衰えと思うけど。 小林繁と大杉勝男
たぶん当時の待遇が今くらいなら絶対に引退しなかったと思う
二人とも当時の所属チームにとって確固たるエースと主砲だったしな まあ彼らクラスなら解説者として引く手あまただったからな、当時
両人とも2枚目だし 2枚目だったけど早逝したな
大杉が亡くなったときのプロ野球ニュースはいまだに記憶に残ってる >>459
なんでこんなにハードル高いんだ?レギュラー級ならって 江本孟紀は著書の中で自らの潔さを自画自賛。
一方で引退の原因を作った中西太に対しては執拗に批判。
本当は潔くなかった(しかも中西氏とはその後和解)。 これは栄光喜
チームに貢献出来なくなったと悟り水から自由契約を志願
その献身性に全米が大号泣した >>475
高校時代の女子マネと結婚した則本・・・ 温情で出てたと批判された衣笠のラスト2年だが本塁打は86年24本、87年17本だから
連続出場の制約さえなければあと数年はやれただろう ミッキー・マントルは通算打率が.298で3割を切ったことを生涯後悔していたらしい
王はあそこでやめて正解
通算3割と天秤にかけるような節目の記録は無いし
899本塁打なら迷ったかもしれんけど 余力があれば生涯打率より1年でも居座って金儲けする方がいいだろ ちゅうても80年代とか昔は一定以上の有名選手だったらさっさと辞めた方が金になってたんじゃないか? 過去の名選手とは比較できないが、現代基準で見たら広島の新井貴浩はもう少し続けても良いんじゃない?と思ってた。
2017 .292 (243-71) 9本 48打点
2018 .219 (114-25) 4本 24打点 →引退 >>508
充分頑張ったと思うのだが(´・ω・`) ぶっちゃけ昔は余力を残して辞める人が多かったのは
一流選手だったら引退後の方が稼げたからだよ
江本は本がベストセラーになって現役時代の10倍の金が入った 最高年俸2000万で合計1億程度の定岡でも都内一等地に3階建ての豪邸建てられてフェラーリ乗り回してたからな
オフの稼ぎが何億だったんだろうな 以前別のスレッドでも話題になっていたが江本が稼げたのは
最初の数年間だけ、後はカツガツ。ある時期には
サラ金のCMに出たりしていた。そもそも現役時代の江本は
1・5流ぐらい(それだから先細りになったのか)。
超一流?の鈴木啓示の所に取材に行ったら「中途半端な
実績しかない奴は大変だな」と笑われたとのこと。 >>508
新井はもう明らかに限界だったよ
シーズン後半戦になったら、もう打球も飛ばなくなってた
個人的には、スレの途中でも出てるが同じ広島の黒田で一択 >>513
エモやんは本が売れるまでは
マスゴミ回って仕事頭下げて探してたらしい 江本は8月で引退したくせに9〜11月の給料もらおうとしたぐらいだからな 城島でしょ
あと一年、契約が残っていながら
捕手ができなくなって、捕手のままで終わりたい
と身を引いたんだから 王は30本塁打を記録したのに引退したが、翌年は5〜7番なら.280 30本といった成績は容易に残せたのでは?
原辰徳も入団した事で、現役続行の王が5番にいれば相乗効果は間違いなかったはずだし
もう3年ぐらいは代打の切り札でも十分やれた。
1981 .277 35 88 5・6番が主になるが、原の後ろで勝負強さを取り戻すも通算打率が.2993
1982 .352 49 121 42歳で3度目の三冠王。通算打率3割返り咲き。もうひとりの三冠の落合に格の違いを見せつける
1983 .292 37 86 打点王こそ4番原に譲るが、6・7番で気楽に打ちまくる。張本の通算3085安打を破る
1984 .300 10 47 兼任監督。最終戦で代打俺、1000本塁打にリーチ
1985 兼任監督2年目、打席数が減るが代打本塁打1本で1000本塁打。三冠王落合の数字を見て感心し満足に引退 >>519
10倍本の巻末見たら発売から1年ぐらいで200刷以上増刷してて驚いた 日本ハムの杉谷の引退報道を見て思ったが、、、
自意識過剰、自己評価最優先で居座るよりマシじゃないかな。
他者の評価から「まだまだできますよ」「頑張ってくださいよ」と言われても
自己評価で考えて思うようにプレーできない、結果が出てないと感じたから
引退という決断を下したのだろう。これは尊重されるべき。
球団も受け入れたようだけど、周りからの評価や応援が
プレッシャーに感じることもあるんだよ。
本人も実際のところ内心では相当悩んだと思う。 >>505
未受賞だった日本シリーズMVP、1000本塁打、張本の通算安打超えがあるけど?
打順を6〜7番に下げればよかっただけ。 王さんの引退時期は妥当
打率は230程度で規定打率到達者で最下位
その当時は打高投低なので打率感覚は210ぐらい
30本塁打80打点は立派だが後年のランスにゴンとバカにされた助っ人と似た数字だ
ランスは本塁打王だし王は打高投低の数字
世界の本塁打王が控えとか代打も出来ない 散々言われているが王はあのまま現役を続けたら生涯打率3割を切るのが確実だったので
それで引退した
とにかく記録にこだわる人だから 白鵬はあらゆる記録を総なめにするまで引退しなかったなぁ 王は最終年は出塁率も4割を切ってしまった
出塁率が安定して4割台、時には5割前後まで行くのが王の特徴だった
オールスター以後の落ち込みが酷く、急激に打てなくなった >>536
山内・榎本・加藤英も通算打率3割を切ってるからイマイチに映るもんなぁ 落合の右打者で通算打率.311ってすげえな
右打者は左打者に比べて打率2分は損をしていると野村が書いていたのに >>542
損してるのは確かだろうが
ちゃんと「2分」の根拠はあげてるのかなノムさんwは >>541
そのうちの山内、加藤は2000本安打と通算3割がトレードオフ >>544
榎本は2000本達成した翌シーズンまでは通算打率3割あったのに
そこから3割切ってでもまだ現役続行してるのがすごいな いつの間にか引き際の悪い選手を語るスレッドになっているなw 1980年王貞治
球宴前:[試]69 [率].287(237-68) [本]21 [打点]55 [二]7 [三]0
球宴後:[試]60 [率].178(208-37) [本]09 [打点]29 [二]3 [三]0
球宴の時点で生涯打率.304 前半普通に良いのに後半一気に来てるな
やっぱ体力なくなってたのか >>546
原の加入によって王へのマークが分散するからって事か >>548の球宴後に間違いあり
正しくは
球宴後:[試]60 [率].179(207-37) [本]09 [打点]29 [二]3 [三]0
申し訳ないので月別成績を
04月 [試]17 [率].271(59-16) [本]7 [点]20
05月 [試]20 [率].224(67-15) [本]3 [点]11
06月 [試]20 [率].362(69-25) [本]6 [点]17
07月 [試]17 [率].213(61-13) [本]6 [点]09
08月 [試]19 [率].246(65-16) [本]3 [点]08
09月 [試]24 [率].145(83-12) [本]3 [点]13
10月 [試]12 [率].200(40-08) [本]2 [点]06 1980年後半の王の打率がダダ下がりだったのは、
広島が独走して「球団史上初の3年連続V逸」が濃厚でやる気が失せたからではないか?
これほど調子が悪いなら、王といえども二軍調整を命じるべきだった。
王が二軍に来たら、若手選手もただならぬ緊張感を感じて奮起したはずだ。 田淵も引退した84年の春先は前年程では無かったが好調だったのに5月から一気に下降線を辿ったな
でも前々年も超低打率(確か218)だった訳だから引退する必要無かったと思うわ
あと王・田淵に比べてスケールは落ちるが、
有藤も83年5月まではシーズン20HRは楽勝のペースだったのに梅雨時から失速して結局14HR止まりだったね >>553
①ライオンズというチームが若返りをはかっていた
山崎裕之も1984年で引退している
山崎は1983年がキャリアハイの82打点
引退前年がキャリアハイってあまりいないんじゃなかろうか
②1984年当時は一流選手であれば解説者の方が稼げた位だった
野村は引退後に講演会やりまくって豪邸を建てた位だから