引き際が潔かった選手
日本シリーズの最終戦でホームラン打てるくらいの余力を残しつつ引いた中畑はやっぱり華があったな。
それを戦力として使った藤田監督もすごい。
簑田も使ったし。 >>393
年齢的に
二度と2桁本塁打打てなくなる可能性も
ある可能性もあるからまさに絶妙 MVPとった1年後に引退した東尾は
麻雀賭博で書類送検された件がなかったら
もう少し現役やれた感じだったの? 9月5日(水)
巨人×DeNA(富山・18:00)、19,103人
ヤクルト×中日(神宮・18:00)、24,688人
広島×阪神(マツダ・18:00)、31,347人
日本ハム×西武(旭川・18:00)、13,289人
ロッテ×ソフトバンク(ZOZOマリン・18:15)、15,189人
オリックス×楽天(ほっと神戸・18:00)、14,657人
_,, -―――‐- 、
,,-''´ `''-、
/ \
./ ノノ)ノ ̄ ̄リノ\ .'、
. | .,ノリ'´ '´ ―'´ \ |
.| ,' ,.-――'´ `ー‐-、ヽ,リ
. | ./ .( __ノ ヽ_ ノ゙
i⌒'リ .| `<_・_ゝ , 〈 .く__・>´ヽ
|(.ヽ|ノ. (つ__,ノ '、ヽ_o .〉
.ト、_,イ \ .i (c、,ィ) /
リ ノ.|. 'J ,.へへ、 .イ
ノ/ \ 、_∠ィ'lエlュ.レ / カープ一筋20年
/ヽ .i \ `ヽ二.ン / 最高の野球人生でした
_,, -く \ .\. ン '、 /
\ `"''ー―\__ノ''- ,,_
\ ,ノ
[広島エリア]
・山陽線の運転計画について
三原駅〜白市駅間代行バス時刻表(9/9〜当分の間)別紙2−2
白市駅〜三原駅間代行バス時刻表(9/9〜当分の間)別紙2−2
山陽線 代行バス 停車位置 (8/20〜)別紙 2−3
http://www.westjr.co.jp/press/article/items/180903_00_hiroshima_sanyou_2.pdf
※三原〜広島駅間で実施している新幹線代替輸送及び西条〜東広島駅間の連絡バスは9 月8 日(土)をもって終了します。
JR西日本 広島支社
広報情報
【2018 年9月3日 午後5時00 分現在】
件名:9 月9 日以降の広島地区の運転状況について(山陽線・可部線)
山陽線
(三原駅〜白市駅) 10 月中に運転再開予定です
(白市駅〜瀬野駅) 9月9日(日)に運転再開します
※白市駅〜八本松駅間で実施している暫定的な部分運転は9月8日(土)をもって終了します。
(瀬野駅〜岩国駅) 列車本数を減らして運転しています >>393
MVP取った2年後だし、ここ10年くらいの40代の選手の引き際の中だと潔い >>397
本人はあと2年くらいはやれる自信があったって言ってたの聞いたような記憶がある >>391
そう、ネタ。
イカつくて、顔も体もホモが一目置くような風貌だから潔くみえてしまうのかも。 弱くなってもだらだら続けることができる大相撲と違ってプロ野球は戦力外になれば選手を続けられないから
基本的にダラダラ現役を続けるのは困難 金にもの言わせてカナダ産のハードロックメイプル使えば金属より飛ぶ。(重いがw)
圧縮バットはビーキーな特性があったので
並みのバッターが使えば折れる。
そのための王の超変則的一本足打法と思う。 >>405
最近は38歳くらいで引退やろと思うが、42歳くらいまで数年間ダラダラ続ける大物選手多い >>405
相撲の方がダラダラ続けるのは困難。
幕内上位力士でも半年休めば 東尾、現役時代最後に対戦した打者は当時1年目の立浪
結果三振 相撲はどんなに実績があった力士でも幕下に落ちれば実質無給というシビアさなので、年寄株を取得済みの力士は割とあっさり引退する 相撲は野球と違って一年以上姿を見せないとかあり得ない。横綱でも一年休めば引退勧告が出る。
オフシーズンもない。
照ノ富士など若いのに気の毒。 >>412
88の選手権第5戦9回表
彦野じゃない?送りバントだよ >>414
トミージョンで1年間休む投手は全然批判されないが、同じ1年間休んだ貴乃花と稀勢の里は批判の嵐 >>417
そりゃあ力士と違って投手に番付は無いからな。 大関が吉村級の大怪我したら恐らく2年は休場を余儀なくされ、番付外 金本は在日コリアンらしく選手でも監督でも潔さが全く無い。 逸話
映画公開から7年後の1990年10月13日、店名のモデルになった村田兆治の
最後の公式戦登板を見た高倉健が、村田の引退劇に感銘を受け、村田と面識は
なかったが、花束と手紙を持って村田の自宅を訪ねた。
しかし村田は不在で、車の上に花束と手紙を置いて帰った。
夜、村田が自宅に帰り封筒を開けると「長い間、本当にお疲れさまでした。
高倉健」と書かれてあり、感激したという 福田官房長官の引き際は潔かった。
後に首相としては最後に名言を残したし、なかなかの人物だったなあ。 最近一度も関取になったことのない40歳以上の相撲取りが増えたが、あれは引き際が潔くない 横綱の場合、本場所での大ケガは一年位休場できるようにしてほしい。
公傷制度も復活させるべき。二週間休んだだけで一階級降格は、厳しい。 一番引き際の潔いスポーツ選手は柔道の山下。連勝記録を続けたままカッコよく引退。 桑田や伊藤智仁が長期離脱していたときも
叩かれていたの?
あと海外スポーツでも長期離脱の選手には
厳しい声が浴びせられるの? 長期離脱で叩かれるのは相撲の横綱とボクシングのチャンピオンだけ 横綱という地位は負けようが、休もうが、陥落しないため、怪我をしても無限に休める。
しかしながら、休んでいても給料は出るわけで、本人は相当なプレッシャーなわけだよ。
陥落がないから、残された道は引退しかない。
大関以下は休めば休むほど地位は落ちるし、その分、給料は減る。
それでも本人がよければ続ければいい。
引退するかどうかは自分の意思で自由に決められる。
野球やサッカーのようにチームに迷惑かけることもないし、戦力外通告なんてのもない。
一方、横綱だけは弱いのに、または、出場しないのにずっと居座り続けることができてしまうので、引退勧告なんてものがあるわけですわ。 まあ野球界でもたまに出てくるけどね
プロ◯◯◯◯◯とかいう横綱なんかよりも
はるかに金もらってる選手 横網稀勢の里は三場所全休明けで10勝、大乃国は四場所全休明け10勝、貴乃花は七場所全休明け12勝で乗り切った。
投手も一年休んだ復帰シーズンで10勝できなかったらスパッと辞めるべき。横網は9勝以下なら引退しなければいけないのだから。 つまり晩節汚した一番最低な選手は斉藤和巳ということ?
というかやたら横綱がどうたらこうたら言ってるのってそいつのヲタか?
後半何年も怪我を治すという名目で
試合に出ない選手(途中からコーチ兼任)で何年も居座り
おまけに途中で離婚してタレントと再婚発表
ここまでクズなアスリートは古今東西こいつしかいないだろ
何だかんだで長期離脱したアスリートは一応治療に専念してる光景は見られたし >>425
確か、公傷制度を利用して大したケガでもないのに休場する力士が増えたから北の湖が廃止したと記憶 サンディー・コーファックス 27勝9敗 防1.73(1966年30才)
トム・ヘンキー 01勝1敗36S防1.82(1995年38才)
マイク・ムシーナ 20勝9敗 防3.37(2008年40才)
ビリー・ワグナー 07勝2敗37S防1.43(2010年39才)
マリアノ・リベラ 06勝2敗44S防2.11(2013年44才)
タイ・カッブ 試合095 打率.323 本01 打点40 (1928年42才)
テッド・ウィリアムズ 試合113 打率.316 本29 打点72 (1960年42才)
アール・ケーライン 試合147 打率.262 本13 打点64 (1974年40才)
ルー・ブロック 試合120 打率.304 本05 打点38 盗塁21 (1979年40才)
カール・ヤストレムスキー 試合119 打率.266 本10 打点56 (1983年44才)
ジョージ・ブレット 試合145 打率.266 本19 打点75 (1993年40才)
ポール・モリター 試合126 打率.281 本04 打点69 盗塁9 (1998年42才)
ポール・オニール 試合137 打率.267 本21 打点70 盗塁22 (2001年38才)
バーニー・ウィリアムズ 試合131 打率.281 本12 打点61 (2006年38才)
バリー・ボンズ 試合126 打率.276 本28 打点66 出塁率.480 (2007年43才)
ケニー・ロフトン 試合136 打率.296 本07 打点38 盗塁23 (2007年40才)
サミー・ソーサ 試合114 打率.252 本21 打点92 (2007年39才)
ジェフ・ケント 試合121 打率.281 本12 打点59 (2008年40才)
チッパー・ジョーンズ 試合112 打率.287 本14 打点62 (2012年40才)
デビッド・オルティーズ 試合151 打率.315 本38 打点127 (2016年41才) >>54
無理矢理がすぎる
真っ直ぐが打てなくなったのに・315だの45本だのくだらない妄想だわ >>427
伊藤の場合は、チーム優勝のために無理して投げて完全に壊れたという感じで、
引き延ばしていたという印象はないね。
桑田の場合は、ダイビングの後は、グタグタで伸ばしていたという印象。
なにしろ不動産がらみの借金を抱えているという事情があったから、
引き延ばすのも、しょうがないねという感じ。 戦力外通告されてあっさり引退する選手が最近は多いなぁ 最近は戦力外通告される前に引退表明する二流三流選手も増えた 相撲も大関から落ちても取り続けるのが増えた
小錦あたりからか 昔はもっといたんだよ。
名寄岩、三根山、大内山、若羽黒 昔はもっといたんだよ。
名寄岩、三根山、大内山、若羽黒 昔はもっといたんだよ。
名寄岩、三根山、大内山、若羽黒 70年代も前の山、大受、魁傑が大関から陥落後も現役で取り続けた。
むしろ陥落する前にあっさり引退するのが普通だった80年代が特殊 >>439
それ故に、引退試合というのをしないといけなく >>445
朝潮、若嶋津、北天佑の星回しが酷かったからな、陥落しないための 人生残酷だな
生まれてきた時から貧富の差があったりして将来がほぼ決まってしまうから
勝ちに恵まれるのも恵まれないのも結局その人の運命
結果出すから才能以上に努力をしているさ
じゃあそこから何を理由に差がつくかと言われたら
運がいいか悪いかじゃない?
運がいい人はいいし、悪い人は本当に悪いって人がいるからな
2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩(おさむ)さんが死去した。90歳だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00000020-asahi-soci
下村脩さん死去 2008年にノーベル化学賞
最終更新:10/21(日) 18:33
朝日新聞デジタル
10/21(日) 17:25配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00000020-asahi-soci
2008年にノーベル化学賞を受賞した名古屋大学特別教授で、米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の
下村脩(しもむら・おさむ)さんが19日、長崎市内で死去した。90歳だった。故人の遺志で葬儀は近親者だけで行った。
親族や関係者によると、昨年末から体調を崩し、米国から帰国して長崎市内で療養していたという。
米プリンストン大学の研究員だった1960年代、クラゲの一種オワンクラゲが光る仕組みを解き明かし、
緑色に光る蛍光たんぱく質(GFP)を発見。それから30年たって、別の研究者が細胞内で動く分子にくっつけて
追跡する「目印」としての利用法を開発し、GFPは病気や生命の仕組みを解き明かすのに欠かせない道具になった。
06年度の朝日賞を受賞。80歳でノーベル賞を受賞した。
1928年、京都府福知山市で生まれた。51年、長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大学薬学部)を卒業後、
名古屋大理学部の故平田義正名誉教授の研究室に入り、生物発光の研究をはじめた。
57年にウミホタルの発光物質の精製・結晶化に世界で初めて成功。この業績が評価され、フルブライト奨学生として渡米した。
その後、米プリンストン大上席研究員やボストン大学名誉教授になった。
終戦を疎開先の長崎県諫早市で迎え、原爆投下時は、海軍の軍需工場に動員されていて、黒い雨を浴びた。
ノーベル賞の受賞講演では、原爆投下や終戦時の話をするなど多くを戦中や戦争直後の体験に割いた。
折に触れ、原爆投下を厳しく批判するなど、核兵器廃絶を強く訴えたことでも知られる。
.
朝日新聞社 >>81
シピンは1年被った
むしろシピンをライトに追いやった
篠塚を使いたいというのが思惑だった 巨人は潔さを強要されるから本人が潔いかどうかはわからん
高橋なんてほっといたらいまでも現役だっただろう >>14
城島は俺も同感
男らしい辞め方だなとオモタよ >>54
王引退がなければ藤田擁立もなかったわけで
色々と微妙。 大崎三男(神)
フロントにキレて
「オッサン、辞めとくわ!」
たしか明治でも島岡にキレて
辞めてたような。 通年レギュラー級のうちに引退なら潔い
自分の意思で潔かった選手→20億黒田新庄
そんなつもりはなかったのに結果潔くなってしまった選手→江本男村田 >>460
代打で出てきたらまだまだ怖いバッターだったけどな
お疲れ様 >>114
馬鹿じゃねーか
圧縮鳩は飛ぶに決まってるだろう 最近昔みたいにまだ十分戦力になってるのに引退するというケースが激減してる気がする。高橋よしのぶと阿部位か 阿部も由伸も本人の意思とは別の力が働いた結果に見えるがな
中日の谷沢もそんな感じだった 和田は現役実行の予定だったが
落合GMの意向で引退させられた >>54
王引退がなければ藤田擁立もなかったわけで
色々と微妙。 皆川睦男
200勝以上投手の中で唯一の引退年に規定投球回クリア。 現役時代、稼いだ金はすべて貯金して質素な生活をする
女子アナ、芸能人など金のかかる嫁をもらわない(高校時代の女子マネなどと結婚する)
引退したら、飲食店経営などに手を出さず、体力を生かして地道に働く
佐川急便、ウーバーイーツなどで働く傍ら、少年野球の指導をして充実した生活をする
上記の教えを守れば、困窮することはないはずだ 淡口の最終年が一年通してスタメンで出ているな
最終3年間の打率が
.240 → .218 → .229
だから本人的にはもう限界という判断だったのかも知れないけど >>464
最近は引退後の評論家の需要が少なくなったからね
(テレビ中継の減少、新聞の部数減少)
少しでも長く現役を続けようとする >>476
淡口って移籍1年目は夏場まで3割3分くらい打って、今の大田ばりだったよな >>479
星野「監督谷沢は選手谷沢を使えるか?」だっけ? 山本浩二なんてあと3年はやれたよな
田淵幸一も引退年の春先は絶好調だっただけに辞める必要無かったと思うが
秋山が出てきたから辞めたとか言ってるが別にポジションが被ってた訳じゃないのに ナベQは台湾で18勝してもう一花咲かせたように見えるが
当時台湾プロ野球は2つに分裂していてナベQが所属してたリーグは新しい方なんだよな
従来の方のリーグならあんな好成績が残せたか疑問 田淵は前年の活躍を思えば、あの年1年だけの不振で引退などする必要なかった。
翌年もやれば20本くらいは打てたはず。 ONは何故あんなに早すぎる引退だったんだろうか?
長嶋 あと1年やれば2500安打達成。V奪回も果たしたかっただろうに。
兼任監督でも2500安打ジャストは行けた。
王 30本塁打で引退とは何とも贅沢。翌1981年はV奪回とともに成績が盛り返して900本塁打。
82年に3000安打、84年は1000本塁打を達成して有終の美。 王は通算打率3割切りたくないって理由もあったようだけど、後年少し後悔したって言ってたね 体力の衰えじゃなく、技術的な狂いだった、とか。
でも3部門がほぼ最期の3年間右肩下がりだし、やっぱり衰えと思うけど。 小林繁と大杉勝男
たぶん当時の待遇が今くらいなら絶対に引退しなかったと思う
二人とも当時の所属チームにとって確固たるエースと主砲だったしな まあ彼らクラスなら解説者として引く手あまただったからな、当時
両人とも2枚目だし 2枚目だったけど早逝したな
大杉が亡くなったときのプロ野球ニュースはいまだに記憶に残ってる >>459
なんでこんなにハードル高いんだ?レギュラー級ならって 江本孟紀は著書の中で自らの潔さを自画自賛。
一方で引退の原因を作った中西太に対しては執拗に批判。
本当は潔くなかった(しかも中西氏とはその後和解)。 これは栄光喜
チームに貢献出来なくなったと悟り水から自由契約を志願
その献身性に全米が大号泣した >>475
高校時代の女子マネと結婚した則本・・・ 温情で出てたと批判された衣笠のラスト2年だが本塁打は86年24本、87年17本だから
連続出場の制約さえなければあと数年はやれただろう ミッキー・マントルは通算打率が.298で3割を切ったことを生涯後悔していたらしい
王はあそこでやめて正解
通算3割と天秤にかけるような節目の記録は無いし
899本塁打なら迷ったかもしれんけど 余力があれば生涯打率より1年でも居座って金儲けする方がいいだろ ちゅうても80年代とか昔は一定以上の有名選手だったらさっさと辞めた方が金になってたんじゃないか? 過去の名選手とは比較できないが、現代基準で見たら広島の新井貴浩はもう少し続けても良いんじゃない?と思ってた。
2017 .292 (243-71) 9本 48打点
2018 .219 (114-25) 4本 24打点 →引退 >>508
充分頑張ったと思うのだが(´・ω・`) ぶっちゃけ昔は余力を残して辞める人が多かったのは
一流選手だったら引退後の方が稼げたからだよ
江本は本がベストセラーになって現役時代の10倍の金が入った 最高年俸2000万で合計1億程度の定岡でも都内一等地に3階建ての豪邸建てられてフェラーリ乗り回してたからな
オフの稼ぎが何億だったんだろうな 以前別のスレッドでも話題になっていたが江本が稼げたのは
最初の数年間だけ、後はカツガツ。ある時期には
サラ金のCMに出たりしていた。そもそも現役時代の江本は
1・5流ぐらい(それだから先細りになったのか)。
超一流?の鈴木啓示の所に取材に行ったら「中途半端な
実績しかない奴は大変だな」と笑われたとのこと。 >>508
新井はもう明らかに限界だったよ
シーズン後半戦になったら、もう打球も飛ばなくなってた
個人的には、スレの途中でも出てるが同じ広島の黒田で一択 >>513
エモやんは本が売れるまでは
マスゴミ回って仕事頭下げて探してたらしい 江本は8月で引退したくせに9〜11月の給料もらおうとしたぐらいだからな 城島でしょ
あと一年、契約が残っていながら
捕手ができなくなって、捕手のままで終わりたい
と身を引いたんだから 王は30本塁打を記録したのに引退したが、翌年は5〜7番なら.280 30本といった成績は容易に残せたのでは?
原辰徳も入団した事で、現役続行の王が5番にいれば相乗効果は間違いなかったはずだし
もう3年ぐらいは代打の切り札でも十分やれた。
1981 .277 35 88 5・6番が主になるが、原の後ろで勝負強さを取り戻すも通算打率が.2993
1982 .352 49 121 42歳で3度目の三冠王。通算打率3割返り咲き。もうひとりの三冠の落合に格の違いを見せつける
1983 .292 37 86 打点王こそ4番原に譲るが、6・7番で気楽に打ちまくる。張本の通算3085安打を破る
1984 .300 10 47 兼任監督。最終戦で代打俺、1000本塁打にリーチ
1985 兼任監督2年目、打席数が減るが代打本塁打1本で1000本塁打。三冠王落合の数字を見て感心し満足に引退 >>519
10倍本の巻末見たら発売から1年ぐらいで200刷以上増刷してて驚いた 日本ハムの杉谷の引退報道を見て思ったが、、、
自意識過剰、自己評価最優先で居座るよりマシじゃないかな。
他者の評価から「まだまだできますよ」「頑張ってくださいよ」と言われても
自己評価で考えて思うようにプレーできない、結果が出てないと感じたから
引退という決断を下したのだろう。これは尊重されるべき。
球団も受け入れたようだけど、周りからの評価や応援が
プレッシャーに感じることもあるんだよ。
本人も実際のところ内心では相当悩んだと思う。 >>505
未受賞だった日本シリーズMVP、1000本塁打、張本の通算安打超えがあるけど?
打順を6〜7番に下げればよかっただけ。 王さんの引退時期は妥当
打率は230程度で規定打率到達者で最下位
その当時は打高投低なので打率感覚は210ぐらい
30本塁打80打点は立派だが後年のランスにゴンとバカにされた助っ人と似た数字だ
ランスは本塁打王だし王は打高投低の数字
世界の本塁打王が控えとか代打も出来ない 散々言われているが王はあのまま現役を続けたら生涯打率3割を切るのが確実だったので
それで引退した
とにかく記録にこだわる人だから 白鵬はあらゆる記録を総なめにするまで引退しなかったなぁ 王は最終年は出塁率も4割を切ってしまった
出塁率が安定して4割台、時には5割前後まで行くのが王の特徴だった
オールスター以後の落ち込みが酷く、急激に打てなくなった >>536
山内・榎本・加藤英も通算打率3割を切ってるからイマイチに映るもんなぁ 落合の右打者で通算打率.311ってすげえな
右打者は左打者に比べて打率2分は損をしていると野村が書いていたのに >>542
損してるのは確かだろうが
ちゃんと「2分」の根拠はあげてるのかなノムさんwは >>541
そのうちの山内、加藤は2000本安打と通算3割がトレードオフ >>544
榎本は2000本達成した翌シーズンまでは通算打率3割あったのに
そこから3割切ってでもまだ現役続行してるのがすごいな いつの間にか引き際の悪い選手を語るスレッドになっているなw 1980年王貞治
球宴前:[試]69 [率].287(237-68) [本]21 [打点]55 [二]7 [三]0
球宴後:[試]60 [率].178(208-37) [本]09 [打点]29 [二]3 [三]0
球宴の時点で生涯打率.304 前半普通に良いのに後半一気に来てるな
やっぱ体力なくなってたのか >>546
原の加入によって王へのマークが分散するからって事か >>548の球宴後に間違いあり
正しくは
球宴後:[試]60 [率].179(207-37) [本]09 [打点]29 [二]3 [三]0
申し訳ないので月別成績を
04月 [試]17 [率].271(59-16) [本]7 [点]20
05月 [試]20 [率].224(67-15) [本]3 [点]11
06月 [試]20 [率].362(69-25) [本]6 [点]17
07月 [試]17 [率].213(61-13) [本]6 [点]09
08月 [試]19 [率].246(65-16) [本]3 [点]08
09月 [試]24 [率].145(83-12) [本]3 [点]13
10月 [試]12 [率].200(40-08) [本]2 [点]06 1980年後半の王の打率がダダ下がりだったのは、
広島が独走して「球団史上初の3年連続V逸」が濃厚でやる気が失せたからではないか?
これほど調子が悪いなら、王といえども二軍調整を命じるべきだった。
王が二軍に来たら、若手選手もただならぬ緊張感を感じて奮起したはずだ。 田淵も引退した84年の春先は前年程では無かったが好調だったのに5月から一気に下降線を辿ったな
でも前々年も超低打率(確か218)だった訳だから引退する必要無かったと思うわ
あと王・田淵に比べてスケールは落ちるが、
有藤も83年5月まではシーズン20HRは楽勝のペースだったのに梅雨時から失速して結局14HR止まりだったね >>553
①ライオンズというチームが若返りをはかっていた
山崎裕之も1984年で引退している
山崎は1983年がキャリアハイの82打点
引退前年がキャリアハイってあまりいないんじゃなかろうか
②1984年当時は一流選手であれば解説者の方が稼げた位だった
野村は引退後に講演会やりまくって豪邸を建てた位だから >>554
1983年山崎は1番打者で82打点 なんなのだこれ >>554
なるほどね、小林繁や大杉もそうだよな
>>555
83年の西武は7番に17HRの片平、9番に303 16HRの石毛が入る事が多く
下位打線~1番(山崎)の厚みが南海の上位打線並(下手すりゃ上)だったから あっ、片平は19HRだったわ、訂正する
下位打線から1番の厚みが南海の上位打線超えてるわ 1983年は好調田淵が途中で離脱したが全然調子落ちずに独走優勝だったからね
下位打線に第二クリーンナップがいるんだからそりゃ強いわ なお同年の南海クリーンナップ
3 新井
4 門田
5 香川
香川はオールスター前辺りまで打率首位にいて好調だったが
あの体型ゆえ案の定というか夏場に故障&スタミナ切れで失速
その後は5番に河埜が入るという暗黒打線だった 王も最終年は7月に1試合3発で一気に20号到達!なんてのがあったが、それが
最期の花だった 王さんは引退セレモニーみたいなのあったの?
長嶋さんのは何度かテレビで見たけど王さんの映像は756号?ホームラン世界記録の映像しか見たことないから気になる >>561
記憶にある
様な気がする
一塁にグローブ置いた奴じゃなかったっけ 王さんは打席にバットを置いて、一塁にグローブを置くというセレモニーだったな
同じ年に高田も引退したので、いっしょにセレモニーをした
王も高田も選手たちから胴上げされていた
高田は感極まって、ハンカチで涙を拭っていたのが印象に残っている 王選手のバット、ミットを置く演出は
同年10月に引退した歌手の山口百恵のラストコンサートからヒントを得たと
当時言われていたようないなかったような。 >>566
王や長嶋もそんな感じだった
長嶋は2000年で監督やめてたら最高にカッコよかったのに 28歳で移籍拒否して引退した定岡
小早川にサヨナラ2ラン打たれて引退した江川 長嶋なんて松井が育った96年にやめてればよかった
原は引き際間違った PARCO劇場で「チョコレートドーナツ」を観てきた。
演劇素人の私から見ても東山紀之の引退はもったいないなと思った。
そしていつかまた舞台に戻って来れる日が来たら良いなとも思った。