原は当時の130試合超満員の後楽園球場とビジターで
毎夜のナイター全国中継は視聴率25〜30%・ラジオ中継すらほぼ全局巨人戦
あの世界の王貞治引退直後の後継を任された重責・重圧・期待値
表ローテ&エースばかりぶつけられる巨人でなく
(※プライベートも週刊誌等のマスコミに追われる監視世界)

原のクジをはずした大洋・広島・ハム(あるいはパリーグ)に行って閑古鳥球場の裏ローテを相手に気楽にプレイしてれば
安打は毎月3〜5本、ホームランは毎月2〜3本は増えたから
打率は4分〜6分、本塁打数は12〜18本は増えた

これを原のケガ前のまともに出場してた頃の打率.278〜.307と本塁打27〜36本に足すと(81年デビュー初年度は除いた)

安打は毎月3安打プラスの4分足すと毎年.318〜.347 毎月5安打プラスの6分足すと毎年.338〜.367
本塁打は毎月2本塁打プラスの12本足すと毎年39〜48本 毎月3本の本塁打プラスの18本を足すと毎年45〜54本くらいは打てたことになる
特に両部門の前者(毎月3安打+と毎月2本塁打+)による年間トータルは現実的な数字ではないか?

突出は無くとも長年安定した成績を残したが巨人に入ったばかりにピーコやオッチのような球聖になり損ねた原


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