もしも江川卓が1988年以降も現役を続けていたら?
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>>73
星野仙一は見抜いていたね 「なんで引退するかわからんな 体力的には余裕でまだまだやれる」 40までやれば200勝できたな
東尾みたいな技巧派で >>53
ないない
10勝してれば1億はもらえるんだから絶対しがみつくよ >>54
本人はあの時は"自分としては阪神でもよかったの。でもどうしようもない状況だったの。"
と言ってた。別に阪神でも良かったと。つまり巨人に愛着はなかった。
ただ、前年のアメリカ留学あたりから金が動いてたろうから、もうどうにもならんだろ。
今ならメジャーへ行くだろ。それは全ての野球選手の本能なんだから。 今みたく球数が100球か120球くらいでいいのなら45歳くらいまで出来るぞ下手したら。
故障してるのに200球とか甲子園での阪神戦で投げてキチガイかと思ったよ。
今の選手だったらその時点で選手生命は終わりだ。 でも太りやすい体質の人だったから果たしてどうだか。
なべQとか野茂とか伊良部とかもぶくぶく太ってしまって中年太りを克服できなかった。
32歳であの体型を維持出来ていた所は自己管理は結構よく出来ていたのかなとは思う。 >>66
意識の問題じゃないから。
投げ込まないと肩ができない体質だからリリーフには絶対向いてないの。
無理してやらせたらもっと短命に終わった てるわ 勝ち試合限定、1イニング限定登板のなにがいいかというと
肩を作るための投球を最低限に抑えられるということだ
むかしはリリーフエースが同点、負け、7回あたりからでもなげさせられていた
ということはいつでもいける準備をほぼ毎試合していなければならない
だからむかしのリリーフはすぐに潰れることが多かった
藤川や故障持ちの佐々木が長持ちした理由だ >>80
太り過ぎが低迷の原因だと王監督時代はダイエットさせられてたな。
その頃は体脂肪率が21.8%で西本の二倍近くあった。
引退する年は少しずつ太り始めていたから、
あのまま続けていたら一気に太ったかもしれん。 >>1
上原みたいな頭の柔らかさがあったら、救援でやれたんじゃないの?
先発としてはどうなんだろう?
北別府みたいな内外の出し入れが出来るわけでもないから、キツかったろうな 松坂みたいになってたかもな。ああなってしまったら終わりもう投げられない。
いや江夏みたいに腹で投げていたかなともw 100球でいいのならもっとビュンビュン飛ばすだろうしね。
現代とかの投手完全分業制の時代で江川を見てみたかったもんだね。 >>84
頭の問題じゃないって。
投手にはすぐに肩ができるタイプと何十球も投げ込まないと肩が仕上がらないタイプがあるんだよ。
これは7生まれ持ってきた筋肉の特徴だからどうしようもない。
だから83年だったかに藤田にリリーフで使われて激怒してその日はヤケで大酒飲んだんだから。 >>86
今でもエースクラスならなんだかんだ120球は投げさせられるよ。
江川は基本的に飛ばすと5回持たないことが多いから、
100球だろうが自分の計算通りに上手く調整して投げるだけで特に変わらない。 でも考えてみたら江夏ってあんなに太っても投球は安定してたね。
やはり下半身が強いんだろうね。太い脚してたからな。 江川も高校2年までは良く走り込んで下半身が強靭だったけどね
3年以降はサボるようになって手抜き投球しないともたなくなったね
江川も松坂と同じで根っからの練習嫌いでやらされないとやらないタイプ >>86
そもそも江川は「100球肩」と呼ばれていた。
時代を先取りしてたんだよ。
「中4日じゃ苦しい、中5日欲しい」と言い出したのも江川。 中4日で100球肩が馬鹿にされた時代
中6日で100球3点以内に抑えて称賛される時代
かわればかわるもんだ >>95
打者のレベルが違いすぎるからな。江川の時代は徹夜明け出てくる選手が大量にいた >>96
今もそうだよ
プロ野球選手の体力は半端ないから徹夜してもパフォーマンスはあんまり落ちない
銀座にいけば現役選手が飲み歩いてるのをみられるぞ
あと打者はレベル落ちてるな 流石に昔ほど遊んでいるのは少数だよ。
80年代は巨人西武の選手なんか全員徹夜で遊んでいたけど、
今は草食系になってるとOBに馬鹿にされてるぐらい。
打者は統一球で絶滅しかけたけど少しずつ戻って来てるな。 オールスター9奪三振を自らやめている所に江川の性格が出ている。
本人はあれは10奪三振を狙ったのだと言っているけど僕も大方の記録放棄説が本当の
所だと思う。 あれは著書で言ってたけどついうっかりカーブを投げちゃっただけだよ。
ストレートを投げておけば絶対に三振だったのにと後悔してた。 今の上原もそうだがコントロールが尋常じゃない良さでも、球が速くないと並の投手と言われてしまうのはつらいなw コントロールが良かったのは確かだが、
北別府の様にコーナーギリギリを突くのではなく、
あくまでも切れの良い快速球をストライクゾーン真ん中辺りに投げて、
空振りを奪うという印象・・・だけど、俺が勝手にそう思っていただけかも知れんw
桑田なんかはそこそこの快速球を、コーナーに
ビシッと決めるのが好き・・・な印象w
上原と江川は似ていると思う 江川の全盛期の2年がどれを指すか分からないぐらい一発感のない選手 81年を中心として、80年か82年のどっちかじゃないかね 俺は83年から見始めたので全盛期には間に合わなかった
8連続はリアルタイムで見られたけどね 82年はあの魔の中日天王山の悪夢のイメージがあって印象が悪い。 原辰徳もあの試合は悔しくて宿舎で一晩寝れなかったと話していた。
僕も野球中継が終わってラジオで聴いてたけど悔しい試合だった。
江川自身はあの試合をどう思ったのだろうか。 >>96
郭泰源が当時の日本記録の156キロを出した試合も負け投手になっている。
決して郭の調子が悪かったわけでもなく日ハム打線が上手く打った感じだった。
昔の打者だってそんなに甘くはないよ。調子が悪ければ郭でも山沖でもメッタ打ちに遭う。 ダルビッシュが日本でも珍しくメッタ打ちにされたシーズンがあったでしょ。
梨田監督がダルを酷使したからだ。150球も投げるとダルでさえ調子がおかしくなる。
ダルはその事を今でも恨んでいる。 今も昔も球速が出る日は調子に乗ってストレートに固執して打たれるケースは多いね。
一球ごとに振り返って球速を見ている投手もいるし。 江川は高2と81年、全盛期が2度ある珍しい投手だ。
球の速さやキレの高2
球速は衰えていたが駆け引きや制球力を含めた総合力の81年
一発勝負型とリーグ戦仕様の違いともいえる 歴代最高だとか言う奴もいるけど
こんなに野球に情熱がない選手が最高なわけないじゃん
タレント目指してなければ大選手になったかもしれないけど 80から82の短い全盛期もぶっちゃけ残した数字はマエケンレベルだよなあ
3年だけマエケンであと涌井レベルなのが江川の実情 マエケンはせいぜい桑田レベル
江川の足元にも及ばんわ 130試合制の時代だったので記録に関してはこの時代の選手は不利。 マエケンは低く見過ぎ
岩隈や上原のちょい上くらいはあるよ
田中とかダルビッシュには勝てないね
投げ合っても多分負けるだろう
まだ未完成の大谷にも負けそうな気がする
目指したのはタレントだから仕方ないね アマチュア時代に投げすぎている
故障さえなければなあ 菊池雄星なんかは高校時代の酷使がたたってプロでは大成しないだろうなと思ってた
けどここへ来てあのパワーアップぶりは何なの?w
凄いね雄星。この勢いでメジャーでも活躍して欲しい。 小早川に打たれた時にあそこまで落胆した江川は見たことなかったな。
余程思いつめたんだろうね。 次世代のスターであった小早川にバトンを渡してカッコよく引退をきめたが
小早川が大成しなかったのは江川の最大の誤算であった
やはり名前が悪かったか >>120
つうかどう見ても上原岩隈よりマエケンのが上だろw 29歳ですでに127勝
防御率1位3
最多勝沢村賞奪三振2度ずつで
wbcでは日本のエース
江川がマエケンより上のところすでに一個もないじゃん
過小評価しすぎだろ >>122
プロ一年目に一軍で投げなかった事が大きいんじゃないかな。 >>127
そこでしっかりと体を作り直したと。なるほど。酷使された体をもう一度リセット出来た
のも大きかったかも知れませんね。 江川が試合前に外野でランニングしている姿を後楽園のライトスタンドから眺めて見ていた。
肩を壊して130キロ投げるのもしんどかった時期だった。
黙々とランニングしている江川の所に打球が飛んできた。
江川がそれを拾ってひょいと内野に投げ返したらダイレクトでホームのキャッチャーに届いていた。
ちょっと驚いた。センターからライト中間のフェンス際をうろうろしていたから110メートルは
ゆうにあったと思う。本当に肩を壊しているのかと目を疑ったのを覚えている。 タレントのほうが稼げるし(当時の江川なら年収1億以上は余裕)
野球につかれたというところじゃないの やろうと思えばまだ10勝はできたと思うけど あと2、3年やってれば1億円プレーヤーだったろ。
江川引退年に落合が1億円突破したしここから年俸バブル時代に突入する。
タレント転向は失敗というか読みが甘かったね。 >>131
野球に疲れた。肩が痛いとか、タレントの方が稼げるよりも、その部分が決め手だったかもね? 空白の一日の件は彼なりに負い目があったんじゃないかな。心のどこかに葛藤があったんだろ。 まあ普通の投手よりは精神的に疲れることが多かったのは確か 江川は巨人に入団したとき、ひそかに誓いを立てていた
それは自分が地獄へと追いやった小林繁の通算記録を
自分が超えることは決してないという男の誓いであった
それが江川卓という男の落とし前の付け方であり小林繁への鎮魂歌でもあった
「まだやれるのに逃げるのか。金のためにタレントに転向するのか。」
不可解な引退会見をした江川の背中に容赦ない巨人ファンの罵声が投げつけられた。
江川は静かにつぶやいた「そうだ・・・これでいい・・これで・・・」
小林繁139勝、江川卓135勝 平成元年までやってたらローテ4番手だったんだよな
下手したら5番手か
やっぱり87年に辞めたのは正解だったかもな
圧倒的に桑田の方が凄い球投げてたもん
やっても東京ドームで一年ってとこだったよ >>137
むしろ逆で超えないと失礼だと思っていたという話もあったな。 超えるとしたら200勝くらいまで突き抜けるならいいが
140〜145くらいで引退したらまるで嫌がらせだからね
そこまでヒールにはなりたくなかったんだろうね
自分の肩の状態からみて200は無理という判断はあっただろうね 江川より球が速かったと言われている山口高志氏の現役晩年を見ていると
あそこで引退したのが正解だと思ってしまう メクラすぎ
山口と江川なんて球が速いこと意外に、投手としてほとんど共通点なんてない 山口て本当に速球だけだからね。
江川はカーブも一級品だったからね。 >>142
いや、江川は速い球なんか投げてない。
絶頂期でも最速140キロしかない日がけっこうあった。 そもそも江川が剛球投手のイメージが無い
制球とカーブと総合力の投手な感じはする
カーブは大きい奴と小さな変化の二種類で制球良くコースに決めて
ストレートはそう速くないんだがとにかく切れが良くバットが下を通る
フォーム的にもあまり躍動感やパワーを感じないのに
キレのあるストレート来るからタイミング取れないという証言はあった 江川はマッスグの伸びとコントロールでしょ
140kmでも速く見える こういうボールが打者は1番打ちにくいんだろうけど >>146
いや、逆に遅く見えるんだ。
ゆっくりしたモーションでゆったり投げるように見えるからたいして速い球が来るようには感じない。
ところが、巨漢で肩回りや腰回りが異常に大きな江川が投げる球はモーションからは想像できない程速く、打者が考えてるよりも早くホームベースを通過する。
こんな素養の江川ならあと4年ぐらいはローテーション投手として使えたんじゃないかな。 巨人から投手コーチの要請があった時に江川は今のコーチを僕のせいで退かせる事は
出来ないといって断っていた。
おいおいそれとこれとは別だろ。実力社会だから別にいいんだよコーチになったって。
やはり空白の一日は彼にとっては堪えていたようだ。
その精神的な優しさが江川の生き方に出てるよ。 >>148
江川は知的で論理的だけど、自分の努力なんかよりも優れた体格に産んでくれた両親に感謝すると本人が言っているように、その体格の良さに依存する部分が大きいから他人を指導できるとは思ってないんじゃないかな。
そんなことより楽しく、細く長く使ってくれる日テレのほうが魅力ある仕事を提供しているんじゃないかな。 >>148
そんなもんコーチになりたくて仕方ないなら普通に要請受けてるだろう
コーチなんかよりタレントやりたくて
僕が今のコーチを退かせるわけにはいきません(タレントやってるから)とか言ってるだけ ある雑誌が、自分が見た投手ベスト10を選んで下さいと、青田昇に尋ねた。青田のコメントの最後が、江川なんか20位にすら入らないよ。そのコメント要るか? 青田、別所、千葉は、江川を目の敵にしていた。 手抜きするからね。
まあ手抜きせずに
投げていたら、
五年で終わってる。 あれだけ汚い入団したくせにあっさり引退
中国鍼の嘘まで吐いて >>151
青田昇は典型的な昔が良かった人だからな。
戦前の選手ばかり褒めて自分より年下の選手は基本見下してた。 激動の時代だったからね。その時代の人達は特に顕著。 急速に豊かになった事を複雑な気持ちにさせたようだ。
有史以来日本が経験してこなかった物物物の洪水の嵐の豊かな時代にどっぷりと浸かる若者の姿を
複雑な気持ちで眺めていた。
その気持ちは分からなくもない。 スミスは日本の野球の事を最早メジャーにも引けを取らないレベルと称賛していた。
それが去り際に日本は少年野球と捨て台詞を吐いた。
水野の活躍が面白くなかったようだ。高校生がいきなり一軍デビューしてしまうなんて
メジャーでは先ず有り得ない。甲子園ボーイが簡単に通用するようなレベルだろと吐き捨
てて帰っていった。 江川は 制球良し 先発
山口は ノーコン リリーフ 江川ってほんとに183cm?
松坂と同じなんて信じられない
まあ松坂が大幅にサバ読んでそうだが 松坂って高校の時178pとかだったのに伸びすぎだろw 平成まで続けてたらローテ5番手だったな
屈辱で耐えられんだろう >>164
一度、斎藤に開幕投手取られたよね?
86年だっけ?
西本ならともかく85年に頭角を現したばかりの斎藤に開幕投手を取られたのは悔しかったのではないか? 86年は江川だろ
荒木大輔と対決して投げ勝った
80年の開幕投手以降引退するまで西本と隔年 >>39
江川がいたら斎藤は使われてない
王監督のままで藤田の2回目がないので斎藤はポシャってた >>166
西本がやると優勝するジンクス
85はダメだったけど87も優勝した 日本球界復帰後の新浦と86、7年の江川って球速同じくらいだよね? たしかに江川は86になってから
球速がガクっと落ちたね 86年16勝 87年13勝だから投球センスはすごいな
自分の思うようなまっすぐ投げれないから心が折れた感じだけど あの頃の斎藤はいよいよ野手転向かなんて話が出ていたので。
運命って分からないものだな。 だけど60年に12勝して、それが1年や2年の不調でそんな話が出るものかね? >>169
新浦が普通に投げる球と、江川が投げるヘロヘロ球が
同じくらいの球速ということはあったとは思うが、
完投勝利目前みたいな場面では、晩年でもそれなりの球を投げてた印象あるぞw
晩年だとホーナーから3連続三振したとき、
3試合連続完投したとき、小早川に打たれたときとかは、
結構いい球投げてたと思うのだが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています