1998年のプロ野球 Part.2
前年最下位の中日が横浜をあと一歩というところまで追い詰めた
この勢いが翌年の優勝に繋がる >>13-14
18連敗したはずなのに極端に勝率が低い状態ではなくて
上手く行けばAクラスも見えた
>>17
オリックスは3位になったけど中盤まで低迷していたな (*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*) ハムが西武に最大10ゲーム差つけた時のパ順位表あったら貼って
なかなかネットでも見つらなかったので
その日が1998年7月27日or29日と書かれている場合があって曖昧ですが ベイスターズ、今日からのホーム6連戦で、この年の優勝ユニフォームを着用
なお今日は完封m(ry ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>17
結果、翌年の開幕権は前年(1997年)上位だったオリックスが獲得 広島は、この年から長きに渡ってBクラスへ低迷することに
今となっては隔世の感がありますな しかし、寄る年波には勝てず
この年限りで現役を引退 落合最終戦はロッテ戦で相手は黒木知宏で引退試合なし
当時中日監督だった星野は「最後の2年間は無駄だった」と発言 日ハムが優勝を争ったのってこの年だったのか
外れるのはカズもあったしイマイチ同じ年と言う感覚が持てない
ゴン中山の4試合連続ハットトリックもあって鹿島磐田のシリーズも
盛り上がった
テレビはタッチやシティーハンターの再放送を見ていたし益々同時代色と言うのが
分からない >>31
ハムは別に優勝争いはしていないぞ。前半はぶっちぎりで独走していたしその反面後半戦のフリーフォールっぷりが凄かったから僅差を争う事無くあっさり西武に抜かれた。 >>29
落合は96年8月末の中日戦で野口から手首に死球を喰らって壊され残り試合を欠場、
オフに巨人が清原をFA獲得と同時に退団したのは年齢面と手首破壊で長嶋に見切られたとの説もあった。 落合は一塁守備でまったく動けなくなったのが切られたほんとの理由
あれなら若い清原のが.250だろうが動けるぶんだけマシと評価された >>31-32
日本ハムの急降下
あれは一体何があったんだろうね >>33
>>34
上層部は落合の方がまだチームに与える影響が良いと評価していたから、
清原を獲らずに落合を残す予定だった。
それが長嶋の欲しい欲しい病やらナベツネ云々で清原を獲ることになって、
双方を並べるのは流石に無理だと落合が首になった。
…長嶋は二人ともいて欲しかったらしいが。 (*^◯^*)横浜ベイスターズ38年ぶりの優勝なんだ! (*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*)(*^◯^*) やっぱりガルベスの印象が強い年だな
ワイドショーでも取りあげられてたし >>46
それの責任を取って(かどうかは分からないが)、セゲヲが丸坊主にした >>47
多分、責任を取ってという流れだったと思うよ ガルベス騒動の2日後にも乱闘があったし
由伸に死球当てただけで武上さんキレてたけどキレるそんなにキレるレベル?
矢野が災難だった >>47
当時、ザ・ワイドで坊主にするのを担当した理容室の店主にもインタビューしてたな ガルベス騒動があった日は関西テレビか毎日放送のどちらか
2日後の乱闘騒動は、当日が日曜ということもあり、朝日放送だった >>51-52
ガルベス騒動のあった日は関テレのはず
確か実況:馬場 解説:西本+田尾だったかな
ガルベスが例の件をやらかしてからCMに入った時に
西本解説者が「あの外人は野球を舐めとる!」ってブチ切れて
馬場アナはなだめるのに必死だったそうだ 千葉ロッテ18連敗
その当時の指揮官だった近藤昭仁氏が死去 >55
まだこの頃は昭和の傑物があらゆる社会に残っていた時期だったね
仰木、上田さんなど昭和の顔ぶれがあることが当たり前だった
97、8年と言えばまだ香港、マカオ返還など
まだ世界は第二次対戦後の事後処理があったな
世の中は1900年代、同年代中に戦後のゴタゴタを終わらせて
チャラにしようと言う時期だったんだね
そう言う意味ではこの97年などもまだまだ十分戦後の社会だったんだよ。
テレビや野球にも昭和の人物が出ている内は大丈夫と言う感じだったな
だから世の中も呑気だった
WW2の処理から完全に解放されたのが2000、2010年代と言えるね。
大戦や冷戦中にアメリカが戦地や植民地など代理戦争に利用した
中東・中近東アジアなど途上国から
報復を受けるようになったのもこの97年過ぎから2000年代に掛けてだね。 元巨人・ガルベス氏 審判へのボール投げつけ事件を弁明「ボールボーイに…」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190408-00000164-dal-base
当時の映像を見せられたガルベス氏は「お前ら、間違ってるぞ。あれは審判に投
げたんじゃない」と語気を強め「あれがボールボーイに返しただけだ」と説明。
「あれのおかげで半年間の出場停止だ。乱闘で相手を殴ったヤツでも10日ぐらい
なのに。俺は投げただけで半年だ」と当時を思い返して不満を口にした。しかし、
続けて「あの事は正直、反省してる。本当に悪かったと思ってる」と猛省。日本語
で「ゴメンナサイ」と謝罪していた。 野球雑誌(おそらく週刊ベースボール)で、
ダイエーホークスのコンディショニングコーチを務めた経験のある手塚一志氏が
開幕から救援で活躍していた小林幹英投手の投球フォームに対し、
今のフォームだと故障する。どうにかやれているのは彼の体の強さのお陰だろう。
と警告していました。
(紙面ではもう少し詳しく述べていたはずですが、詳細は忘れてしまいました。)
まだシーズンの序盤か中盤での記事だったので、
「へぇ、そうなの?」とう感想でしたが、
その後の経過から氏の懸念が当たったなあ、
と後年思いました。 >>57
すっげえ鼻息荒くして自分の言いたいことだけ興奮して語ってるみたいで笑える >>64
その年の巨人は辛うじてAクラスに留まったけど、
今年の広島はBクラスまで落ちたからね 中日が長い間投手王国だったがこの年が1年目だったな 巨人は、落合を97・98年とコーチ兼任で残留させるべきじゃなかったか?
それも長嶋の次の監督の座まで確約したうえで。
落合がいれば清原の成績はもっと良かっただろうし。 落合自身が残留を望まなかったんだから、今更言ってもどうしようもない >>69
アンタっていろんなスレで同じような事言ってないか?w >>38
そもそもこのシーズンは西武も絶好調とは言えず
オリックスも何とか3位になれたけど
終盤まで低迷していて暗黒の兆候が出始めていたからな それでも、仰木監督の間は悪くても4位ということで耐えしのいでいたけど、
仰木監督が退任した後はもう… この年のオフに巨人森監督構想がポシャったいう噂って本当? >>74
朝日のスポーツ面じゃなくて社会面に「巨人次期監督森氏へ」の記事まで出た
そこから長嶋と広岡が暗躍して一転続投に持っていった さすが広岡
ゲスな性格そのまんまのゲス行為に手を染めたのかw 長嶋は「二枚舌は良いんだよ。嘘も方便、俺だっておべんちゃら位言うよ。森は三枚舌だからね。信じられないよ。」と言って、森の目を潰したとも。
つまり藤田は人として許せるけど、会う人会う人に全く違う事を言う森みたいなのは人として論外だと言う訳なんだろう。 1 遊 石井琢
2 一 クラーク
3 左 鈴木尚
4 中 本塁打秀喜
5 二 ローズ
6 DH ウィルソン
7 右 高橋由
8 三 片岡
9 捕 谷繁 シーズンオフの、パリーグ来年開幕権問題って何だったの?
何か、ダイエーがやっと球団初の開幕権ゲットだと思ったのに同率3位のオリックスが優先みたいな流れになっていざこざになって、
しまいには2位のハムがダイエーに譲れみたいな話まで出てきた記憶があるんだけど、あれ結局どうなったんだろう 前年の順位が上だったオリックス優先
ということだったはず シーズン終盤の急失速でリーグ優勝を逃した日本ハム
もしこれで、「開幕権譲れ」なんていう圧力に屈していたら… この年限りでヤクルトの監督を退任した野村氏はこのオフに
阪神の監督になり、3年連続最下位で退任 川上
由伸
小林幹英
坪井
史上最もハイレベルな新人王争い マシンガン打線横浜日本一と横浜高校春夏連覇ロッテ18連敗 小学校の卒業式は震災
成人式はハレノヒ
大学の卒業式はコロナ 「混戦か凡戦か」
観客席だけが屋根で覆われた西武ドーム、雨降るグラウンドで西武監督・東尾修が胴上げされたのは10月7日、129試合目の事だった。
世紀の大混戦とまで言われたペナントレースを制して、連覇を果たした西武の前半戦は誤算の連続だった。開幕戦は日本ハム・岩本勉の前に4安打
完封負け、東尾政権では95年から全て開幕を落としてきていたため想定内だったが、10試合を終わっても2勝8敗という成績は96年をも下回った。
エース西口文也が開幕3連敗など5月中旬まで1勝5敗で先発を外れただけでなく、他でも潮崎哲也、横田久則ら中堅投手の内容がもう一つで苦しい
先発陣だった。前年右肘手術を受けた豊田清の不在も痛いが、移籍のテリー・ブロスと新入団のジョバンニ・カラーラといった外国人も働けなかった。
西口は抑え転向後も2敗4Sで防御率6.94と好転せず、チームは6月14日時点でまだ借金が3つあった。
気流に乗ったのは、その西口が6月中旬にミニキャンプから復帰して連続完封をしてからの事、森?和と加藤初の一・二軍投手コーチ入れ替えで
刺激が加わったのも効いて投手陣全体が安定した。それでも石井貴の腰痛や潮崎の肘痛もあり首位・日本ハムと8差でターン、球宴直後の連敗で
最大10差がついた。
松井稼頭央のリードオフ、プロ3年間で安打が無かった小関竜也の二番定着での打線復調もあったが、大混戦の号令は日本ハムの大失速だった。
近鉄とダイエーも加わった4強レースの中で西武は9月13日に2位ながらマジック21が点灯、19日に首位浮上、マジック4回消滅を経て24日に
再び奪首すると、その後7勝2敗1分けとスパートを駆けてゴールテープを切った。これといった快進撃は無かったものの、8月以降はV決定まで
一度も3連敗のない安定した戦いを見せた。
パ・リーグでは63年西鉄以来35年ぶりという10ゲーム差以上の大逆転は、盗塁王でMVPの松井や5完封を含む13勝で最多勝の西口が投打を
引っ張ったが、東尾が「苦しい時にカバーしてくれた」という脇役の活躍は見逃せなかった。一部からは“混戦でなく凡戦”だと言われたが、デニーや
橋本武広、小関らの働きは混戦だろうと凡戦だろうと称賛に値するものだった。 (了) 李鍾範が怪我しなければと思う
シーズンの半分を棒に振っているので、単純計算で成績を2倍にすると.283 20本 36盗塁になるが4ゲーム差を縮めるくらいはできたか 横浜優勝の象徴的な試合として、例の「13−12」があるけど
これって1985年阪神のバックスクリーン3連発と比べると存在感が薄くない?
バックスクリーン3連発は、これで阪神が優勝に向けて軌道に乗った試合でもあるのだが。 85阪神と違ってノーガードの殴り合いでことごとく勝つってのは
98横浜の本質じゃないしな
打線が権藤曰く「もののけに憑かれたような」確変して、ものすごい試合をしていたのは
7月〜8月上旬の1ヶ月ちょい
それ以外の時期は普通に先発〜中継ぎ〜佐々木の継投が限りなく失点を抑え
前年よりも得点力の上がった打線で接戦が取れるようになった、というのが
98横浜の本質
7/15の13-12もいいが
6/30の広島戦(13-10)、7回裏2死無走者から一気果敢の8得点も
もののけ打線の象徴として印象深い(ニコニコに残ってる) あとは7/15の直前だったと思うが、北海道での中日戦も印象に残るよね この頃のTBSのプロ野球中継のオ―プニングはジャパンメジャーベースボールとかいう感じの何か勇気が出る感じで好きでした。しかも特にこの頃のプロ野球の選手達は本当にアイドルみたいで皆キラキラしてた感じだったなあ…。特にBaystarsやGiantsの選手達とか…。今と違いテレビが毎晩のようにナイター速報やプロ野球中継やっていたしプロ野球界は楽しませてくれた時代だったなあ…。 この年の今日、横浜ベイスターズが38年ぶりのリーグ優勝を果たす >>3
それが達成されたのは、この年の今日のことであった >>85
野茂・拝啓・潮崎・小宮山・酒井の90年パもなかなか 小学生だった俺が親父と弟と3人で東京ドームの巨人ヤクルト戦を見に行った
チョソンミンと伊藤智仁の投げ合いで元木がサヨナラホームラン
帰りのタクシーの中でW杯の日本対アルゼンチン戦の放送を聞き、家に帰ってバティストゥータのゴールを見ていた気がしたが、20年以上たって調べてみたら元木のサヨナラホームランの翌日だったみたいだ
だから何だって感じだけど、1998年の記憶 ヤクでは二軍に幽閉されていた野口が日ハムで覚醒して正捕手奪取
レアな俊足捕手なのにこの人は過小評価され過ぎ
この頃から黄金期ヤクルト戦士は他所で活躍するというジンクスが定着してノムの育成力が再評価された >>105
そう?
成功
野口、石井一、稲葉
失敗
広澤、西村、川崎、ハウエル
ヤクルトはあんま選手が出ていったイメージないわ >>99
そして、玉置宏がニュースステーション(だったかな?)で
「38年ぶりのご無沙汰でした」とか言っていたね この年のベイスターズVメンバーが続々と
ベイスターズのコーチに就任 神奈川県民にとっては、非常に良い一年だっただろうよ この年のイチローは飽きられていた印象
首位打者は当たり前になり、野茂・伊良部といったライバルもいなくなったから
安打数だけはカズオと競ったけど
翌年から怪物松坂の対戦相手として引っ張り出されてまた注目され出した 千葉ロッテ、悪夢の18連敗
そこを五分とかで凌げていたら、あるいは… 1998年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
178 10. 3 計923 佐々木主浩
- 82 48 計294 鈴木尚典
5 31 27 計145 ローズ
7 23 24 計128 石井琢朗
2 17 33 計 .94 松井秀喜
- 11 12 計. 45 谷?元信
1. -. 2 計 7 波留敏夫
-. 2. 1 計 7 駒田徳広
-. 1. 4 計 7 野村弘樹
-. 1. 4 計 7 斎藤隆
MVP票数 パ・リーグ
40 57 17 計388 松井稼頭央
50 31 26 計369 イチロー
45 29 35 計347 西口文也
. 8. 5. 5 計. 60 伊東勤
.1 .5 14 計 .34 ウィルソン
.3 .1 .4 計 .22 大塚晶文
.2 .1 .3 計 .16 クラーク
. -. 3. 2 計. 11 マルティネス
. -. 3. 1 計. 10 高木大成
. -. 1. 5 計. 8 橋本武広
. -. 1. 2 計. 5 石井貴
. -. -. 5 計. 5 デニー
. -. 1. - 計. 3 鈴木健
. -. -. 2 計. 2 岩本勉
. - 11 28 計 61 白票 >>93
そうこの年は打線について取り沙汰されるけど
マシンガン打線なんか他にチームと比べてもそこまで実は大したことなくて
実際は守備で勝ったチーム
内野手が全員ゴールデングラブと大魔神で守り切った試合が多い
それを知らずに守備をおろそかにするから
このチームは打線のチームと勘違いして間違った編成をして
優勝争いもできない雑なチームになってる
いい加減に気づいてほしいわ 打線だけだったら今のベイでも遜色無いしな
問題は誰かしら不振、誰かしら怪我で全員まともに稼働しない >>124
そのあたりは権藤さんの手腕だったんだろうな >>129
権藤博さんは「権藤、権藤、雨、権藤」と呼ばれた位、投手としての実績が華々しいけど、実は実質8年の現役生活の内の後半の4年は、
高校2年まで内野手だった経験を活かして内野手に転向し、主に三塁や遊撃の守備固めで使われる一方、リーグ最多犠打(1967年)に
名を連ねたりと、内野守備や小技についても一家言ある御方。
「俺は内野手としては半端に過ぎなかったから」と、内野守備の指導に関しては、現役時代、誰もが認める超一流だった山下大輔ヘッド辺りに
任せていた様だけど。 山下さんというスペシャリストがいたから、そちら方面は任せていたようだけど、
もし彼がいなかったら権藤さんが兼務していたのかね そんなわけないし
山下ヘッドにしてもこの年はヘッドに徹して
(ほぼ権藤監督の酒席での聞き役)
岩井内野守備コーチの職掌だよ >>108
あれは真夏の夜の悪夢だった
あんなグラウンド上の不祥事、前代未聞だろう パーフェクTV(現スカパー)で本格的にプロ野球中継が始まった年だった。
一方のディレクTVは・・・合掌 この年のチーム打率、出塁率、長打率、OPS、本塁打、得点
横浜 .277 .345 .403 .747 100本 642得点
中日 .248 .333 .365 .698 100本 488得点
巨人 .267 .342 .412 .754 148本 632得点
ヤク .253 .314 .365 .679 ..97本 493得点
広島 .265 .334 .402 .736 131本 578得点
阪神 .242 .305 .351 .656 ..86本 450得点
打率、得点がリーグ1位、OPSが2位だから大した事ない打線ではないだろう
ただ「破壊力抜群」と言うほど長打もない
まさにマシンガン打線という他にない この年の6月30日
広島江藤智が2度目の1試合3本塁打を放つ。13、14、15号。8打点 この年の今日、松坂大輔が甲子園の決勝でノーヒットノーランをやってのけた
それと同じ日に村山実氏(元阪神監督)が死去 >>124
実際大ちゃんス打線とかいう守備軽視のオーダー組んだりと…
1985年の阪神も長崎で味をしめて柏原とか田尾とか古屋とかロートルばかりとって暗黒化が進行したし… >>143
翌日のABCテレビ(正確に言えばサンテレビでの委託放送)の解説、実況の3人は喪服着用。
解説が眞弓と中西清起、実況は中邨雄二だったと記憶。 >>110
その甲斐あってか、ベイは前年の最下位から一気に2位になった >>144
守備を疎かにして、そこから崩壊が始まったのか 日ハムの2016後も阪神や横浜程ではないが守備が粗くなって落ちたな
大谷渡米だけでなく賢介や中島の後釜レギュラーの不在も大きい >>149
中島の場合は、自身の不振によるものもあるからね
五体満足なら、こうしたことになっていなかったはず >>149
ハムは若手に急いで変えすぎて
まだまだ成長途中の若手をメインで早いうちから使わないと行けなくなったのも
若手が伸びにくくなったことに関係してそう 「巨人は開幕4連勝するとその年はリーグ優勝」と言うジンクスが
初めて崩れたのがこの1998年。 >>155
期待したな
たしか5連勝まで行ったんちゃうかな その1998年は寅年だった
2リーグ制になってから、讀賣は寅年には優勝したことが無かったよね
「寅年には優勝できない」ジンクスが、>>155のそれをも飲み込んだ感じ >>156
うん。その年の巨人は開幕5連勝だった。俺もその年は
優勝するんじゃないか?と思ったが・・・・・・。
>>157
その通り。この1998年に限らず巨人は2リーグ制に
成ってから寅年にはリーグ優勝出来ない、と言う
謎のジンクスが有る。 横浜日本一の陰でかつて横浜の前身の大洋と日シリで戦った
大毎の御身のロッテが悪夢の18連敗でパリーグ最下位・・・。
しかもその時のロッテの監督が大洋の日本一のMVPだった
近藤昭仁と言うのが・・・・・・。何と言う皮肉だろうか? 【DeNA】25年ぶり日本一へ 98年優勝メンバー ロバート・ローズ氏来日決定
https://news.yahoo.co.jp/articles/a89ee4f3ccd856883205c63460e6332bc61ffe19
プロ野球・DeNAは8日、6月2日(金)~4日(日)の日本生命セ・パ交流戦での西武との3連戦に予定しているイベントのスペシャルサポーターにロバート・ローズ氏が就任したと発表しました。 DeNA 98年日本一再現対決を実施 “強力助っ人”ローズ氏「言葉にならないくらい感動した」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ea291b21c2f0da89c1fdaf3ccd3a3da98ea40ce
この3連戦に合わせ来日した98年強力助っ人のロバート・ローズ氏はイベント後に取材対応し「言葉にならないくらい感動した。三浦監督も93年から一緒に戦った。たくさんの思い出がある」と声を弾ました。
また現在のチームに向けてのエールを求められると「98年の映像を見てもらいたい。それで鳥肌が立たない選手はグラウンドに資格はない。時代は違うけど、優勝目指して頑張ってもらいたい」と話した。
“98年日本一メンバー”がハマスタ集結 最強助っ人ローズ氏「言葉に表せない感動」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f399bb799fb487a93251421c54993c6f2e0b9c93
セカンドを務めていたローズさんは「だいぶ緊張しましたけど、周りを見ると石井がいて、鈴木がいて、谷繁がいて、佐々木がいて、言葉に表せない感動をしました」と振り返りました。
また、セカンドではなく、ショートへの併殺打については「実は金村さんに20ドルぐらい渡して、『頼むから自分の方に打たないでショートに打ってくれ』と。自分もどんな打球が来るか緊張してたんだけど、結果的にいい形になったんじゃないでしょうか」とジョークを交えながら、笑顔を見せていました。
今季はここまで2位で首位阪神を追いかけるDeNA。ローズさんは「コーチスタッフが優勝経験のある仲間たちで、チームの基礎となるところを築き上げた人たちがそのままコーチとなっていることは素晴らしいこと。その勢いで優勝目指して頑張ってほしいなと思います」とエールを送りました。 >>150
佐々木のベストナインだけは意味不明
幾ら佐々木でも先発が選ばれないと >>162
それだけ、大魔神の活躍が傑出していたんでしょ 96年ぐらいまでの佐々木は直球かフォークの見分けがある程度出来たけど
97年からはそれが出来なくなり手の付けようが無くなったみたいね
巨人戦だと苦手だった落合がいなくなり、替わりに入った清原がカモだったのも大きかった。松井はそれ以前からカモだったし ヤクルトはまたしても優勝の翌年はBクラスになると言うのを繰り返した
今でも順位はかなり不安定だがこの時点から起きてるとなるとヤクルトに安定性を求めるのは難しいということか この年の落合の全ホームラン2本打った日
4/10・5/19
10月7日に千葉マリンスタジアムにてダブルヘッダー2戦目が最後の試合
代打で出場、対戦相手は黒木知宏。結果は一塁ゴロ シーズン序盤リリーフで中盤から先発転向した金村はその試合で
規定投球回にギリギリ届いて最優秀防御率獲れたんだっけな 佐々木氏「全員が優勝を意識しながらやっていた」98年横浜の38年ぶり優勝の舞台ウラ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1852a0f311b4a5730e6266d91963cbb34ce8417
横浜は97年、ヤクルトと優勝争いをしていたが、最終的に2位に終わった。佐々木氏は「石井一久にノーヒットノーランを食らったところでガクッときましたよね。
力の差を感じたというのがありました。力でねじ伏せられて、勢いだけじゃダメなんだ。もう少し力をつけないと、というのはありましたね」と振り返る。
佐々木氏は98年に向けてチームは「悔しさが一番だった。もう一歩のところで敗れたので、選手個々は何が足りないか練習をしましたよね。
レギュラー陣の練習量はすごかったですね。それも自信になりますよね」と語った。
「98年の春のキャンプでしっかりやってシーズンに臨めたので、自信になって優勝できたと思います。全員が優勝を意識しながらやっていたので、
目標に向かってひとつになった。それまでは口先だけの優勝だった。98年は本当に優勝を意識しながらやりました」。 DeNA、ロバート・ローズ氏が甲子園〝凱旋〟で古巣にエール「きょうのような逆転劇を1試合でも多く見せて」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c568c8d24623cbead73fa40af75b79f70929fde4
(セ・リーグ、阪神2ー3DeNA、21回戦、阪神13勝8敗、29日、甲子園)横浜(現DeNA)が前回、日本一に輝いた1998年の4番打者、ロバート・ローズ氏(56)が同年のリーグ優勝を決めた甲子園に〝凱旋(がいせん)〟した。
自らの希望から実現した、株式会社オーシャンコネクト協力の応援ツアーでファンと交流後、左翼席で試合を観戦。「横浜から新幹線に乗り、生まれて初めてビジタースタンドで応援した。
現役中、どれだけファンの方が大変な思いをして応援していたのかがわかった。皆さんから受けたエネルギーを、今夜、少しはベイスターズに返せたかな」と語った。
DeNAが九回に佐野、牧の2者連続本塁打。劇的な逆転勝利を見届け「きょうのような逆転劇を、これから1試合でも多く見せてくれることを今度はファンとして心から願っています」とコメントした。 横浜のリーグ優勝は現段階では厳しいだろうけど、
翌年の優勝に向けた礎を構築することは可能 1998/8/30 中日対ヤクルト22回戦
野口茂樹 延長12回203球完投
12回完投は2003年に渡辺俊介が記録しているものの、
1試合200球はこの試合の野口が最後と思われる。 98年ベイ優勝の立役者R・ローズ氏「僕はマシンガン打線の中では劣っていた」横浜愛を語った!
https://news.yahoo.co.jp/articles/e133f5af0b2b70f8de865bdecb977f509a148aa1
ローズ氏は石井琢朗、進藤達哉らの守備を見て「やばい。レギュラー取れないかも」と危機感を持ったと明かした。
主に3番を打った打撃でも(1番の)石井さん、(2番の)波留(敏夫)さんが必死で塁に出てくれたのを自分が無にしたくなかった」と振り返った。
マシンガン打線の中心だったが、ローズ氏は「僕はマシンガン打線の中では劣っていたから追いつこうと必死で自分を上げていたんだ」と明かした。 「どうやって連れてきた」マシンガン打線牽引の〝神助っ人〟が九州独立の火の国監督就任会見「3連覇に向けて努力したい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ca8494dafce1556432c43df10ee25fea74097be
なぜベイスターズのレジェンド助っ人、ロバート・ローズは火の国サラマンダーズの監督になったのか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f256495ee9ba68c7a57800c63f9cbef936817cc
日本での指導者キャリアのスタートに際してローズ氏は、次のように語る。
「まずは火の国サラマンダーズに感謝いたします。熊本市のチーム代表になれることに、とてもワクワクしています。ファンやスポンサー、選手たちと会えるのも楽しみでなりません。
熊本を代表するこのような貴重な機会をいただきまして、誠にありがとうございます。みなさんにお会いするのが待ちきれません」 >>176
野球だけじゃなく、他のスポーツでもだったからね ただJリーグはマリノスは無冠、フリューゲルスはそのマリノスに吸収合併が決まった年
翌年元日に天皇杯優勝で大団円迎えたけど マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
逃げ得が無いよう永久保存、拡散をお願いします。 【DeNA】1998年V戦士・谷繁元信氏の殿堂入りセレモニー 三浦監督や佐々木主浩氏らが花束贈呈
https://news.yahoo.co.jp/articles/31407c670cb1af9950bb0fdab0f23e81496eb995
横浜DeNA(当時横浜ベイスターズ)のOBで中日でもプレーした谷繁元信氏の野球殿堂入りセレモニーが試合前に行われ、かつてのチームメートの三浦監督、中日・立浪監督、佐々木主浩氏が花束を贈呈した。
1988年にドラフト1位で大洋に入団。正捕手として98年の日本一に貢献し、移籍した中日で2015年に引退するまでプロ野球記録の通算3021試合に出場した。スピーチでは「いま一番伝えたい思いは感謝。プロ入り当初は野球殿堂入りできるとは思っていなかった」などと話した。