意外だと思った成績3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
五輪翌年のGG佐藤の成績
普通に及第点
ガクッと落ちたのは翌翌年から 2004年のオーティズも前半で23本打ったけど後半で1本しか打てなかったと記憶してる >>305
衣笠は86年が成績が酷いのに連続出場を続けたので悪いイメージだが83-85年は三年連続2割9分以上と安定していたな 李承Yの通算打率.257
当時野球自体あんまり見てなかったのですがこんなもんでしたっけ
オリックスにおける既定到達して.201というのも驚いた 鹿取が5先発もした年があること
潮崎みたいに1年間通して先発に転向したわけでもないのにこれは意外 >313
あれは干され出した
2013星野監督の目の前で突如復帰したりしてた >>320
そりゃあ主な対戦相手が西武だし驚くに値しない。 >>320
本当に当たったのは幾つある事やら(´・ω・`) 西本の中日2年目
25登板25先発 6完投 11勝9敗 防御率3.25 投球回174.1
思ったより頑張ってた…
与田と混同してたかも知れない 里崎が通算1000安打打ってないこと
あとちょっとだったんだっけ? 野田浩司は社会人の野球部が廃部になっての入団で実質高卒3年目だったのによく42登板もしたな
3勝13敗という成績を見るに無理矢理使ってたんだろうけど 防御率は3.98とまずまずだった事と、この年に復帰した村山監督の「とにかく若手を
育てなどうにもならん」との方針から、積極起用されたって感じ。 >>327
キーオは別格として、規定ぎりぎりのイニング数、防御率ほぼ4と
池田、仲田と似たり寄ったり 斎藤、槇原、桑田の三本柱が誰も200勝到達しなかった事 MLBだけど、ハンク・アーロンが1973年39才で打率.301 40本の成績で
凄いなーと、思っていたんだけど、細かく年間通しての成績見ると、8月中旬まで
打率.250で、ここから固め打ちして打率.050以上あげて三割超えたのは出場最後の試合
10月の消化試合で本塁打量産していた1989年の落合を思い出したわ 落合選手は1984年もオールスター時点で打率.275 14本塁打、
その後の45試合で最終的に打率.314 33本塁打というのもありましたね。
三冠王のブーマー選手が「自分に三冠王を獲らせるのがいやで、わざと落合に打たせているんだろう?」
思ったとかなんとか。 >>332
その残り45試合のペースを翌年の開幕から2年間続けたのだから大したもんだわ。 酒井忠晴(修徳高〜中日)の通算500本安打。
上田(日本ハム)より上で金森(西武)より、ちょっと下。 通算安打関連
そんな少なかったの?
高木大成 599
諸積 兼司691
小関 竜也 802
そんなに多かったっけ?
湯上谷 ьu 855
吉永 幸一郎 1057
土橋 勝征 1121
金子 誠 1627 サミー・ソーサの98年のOPSが1.024しかないこと
66本、打率.308なのに >>303
3年目はもっと成績がショボいけど、チームの中で見れば長嶋に次ぐ成績なんだよな。
四年目の一本足打法で開花したイメージがあるけど、2年目、3年目も普通の一流打者の成績を残している。 >>323
日本シリーズは不明だが
あの芝居のせいで本当に当たったのに
死球と判定されなかったのが三回あると言ってた あの西武にホームラン打者不在のシーズンが存在したこと(99年、松井らの15本
が最高)
土井〜田淵〜秋山〜清原〜バークレオ〜D砲〜マルティネス〜カブレラ〜
マクレーン〜おかわり〜山川と絶え間なく延々と続いていたイメージあったのに そんな少なかったの?
垣内哲也 510
高橋 智 737
そんなに多かったっけ?
大島公一 1088
小川博文 1406
も追加で
よく見たら、全員パリーグ出身選手だw >>339
翌2000年も、松井こそ23本打っているが
リーグ全体では打高投低だった中、チームはシーズンでわずか97本。
日本ハムに80本も差を付けられてる。
この年のフェルナンデス・ジェファーソンの両外人が揃って非力だったのが大きい。 >>336
調べたらマグワイアより140打数も多いんだよな そのせいで堤には”ベンチは仲良しクラブになっている”と言われる有様。 >>341
そのせいで堤には”ベンチは仲良しクラブになっている”と言われる有様。 田淵と岡田の通算安打数がだいたい同じなこと
キャリアハイは岡田の方がずっと上なこと(田淵129、岡田157) ノムの盗塁阻止率 4割台以上が8回ある 1963年は.524 >>346
岡田はその85年の打撃三部門の成績が突出してるからなあ。
あとは田淵よりも四死球数が少ないから、シーズンの打数も必然的に多くなるし。 >>335
むしろ吉永はもっと打ってたイメージ
全盛期が短かったからかな ナゴヤドームでランニングホームランが出たのが開場以来20年目で初(2017年高橋周)だったこと 高卒2年目のヤクルト村上がホームランの記録で注目されているけど
近鉄にいた村上隆行も高卒2年目で16本打ってたのは意外
当時はかなりの有望株として期待されてたのかな 27歳で村上より本塁打少ない外野手熊野の新人王取られてるくらいの注目度 当時の村上は遊撃手だったな。だからレールウェイズのスタメンを張れた。 村上はシーズン安打数が、実は2年目が一番多いんだよな。
ショートのレギュラー外されてからも、外野の準レギュラーで
長く現役続ける事も出来たし、よくやったと思う。 村上は高卒3年目でたしか23HRだよね。
あのゴジラ松井より1本多いという大変な逸材だった。 >>357
3年目はちなみに22本ね。且つ自身キャリアハイの年。
早期にピークが来てしまって伸び悩んだ典型的なパターンだな。
http://2689web.com/ind/1984068.html 村上隆行にしても吉村裕基にしても
初ブレイク時の極端な四球の少なさが目に付くな。 村上宗隆で高卒二年目云々が話題になっているが
村上隆行の他に高卒3年目までにこれだけ打って
通算本塁打200にも行かない選手って他にいるかな? 2年目までに18本、3年目までに27本打って
16年プレーして通算56本塁打の江島巧とか 3年目までに31本、5年目までに75本打って
16年プレーして通算175本塁打の葛城隆雄とか イ・スンヨプが王貞治を抜いて
一塁手としての連続守備機会無失策のセリーグ新記録を樹立
その後、ロペスがイ・スンヨプを抜いて
一塁手としての連続守備機会無失策のセリーグ新記録を樹立 土橋(ヤクルト)の成績
00年 225 1本 27打点
01年 249 1本 31打点
どちらも規定打席に到達している 鎌田実
実働16年で100試合以上出場したのが9シーズンあったが
通算109犠打は意外と少ないイメージ >>369
中日移籍の一年目の打撃成績で19塁打なのを勘違いしたのでは? 9本塁打が最高だし、タイピングミス?
それでも、他シーズンも8本塁打とかあるから
確変という言い方は違うだろうし 北村がそんなに打てたら、簑田や緒方並の打って守って走れる選手だよな 首位打者吉岡悟の通算安打数314かね
当時カルビーの野球カードで吉岡のかーどは5、6枚あったとおもう。
中には中日谷沢とライバル扱いになっているこんなカードも
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e249131552 >>374
すごい貴重なカードじゃないの?これって。
谷沢のライバルと言えば普通なら若松とかになるだろうに。
まあ確かに1976年だけならこの二人は記録の欄に並んで書かれるけど。 84年 遠藤 276投球回
ちなみに
85年 佐藤 260投球回 しかも
21勝で防御率4.29
セリーグなら沢村賞間違いなし
だったな 1978年の鈴木啓示投手、
前期日程では9勝(7敗)しか挙げていなかったのが意外でした。
同年9月の7先発7完投7勝というのは凄いですね。 >>377,379-381
前年、同僚の今井が21勝・2.93で最多勝・最優秀防御率の二冠だからなあ(´・ω・`)
それに比べるとインパクトは弱め。 沢村賞がパリーグも対象だったとしても佐藤の防御率だと厳しいだろ
超打高だったのはわかるがパリーグには佐藤より防御率が上の投手が何人もいるし
佐藤がセリーグにいた場合は完全に空想の世界だからわからんとしか言いようがない その今井も、通算2000投球回以上投げて
通算防御率4.28ってのもすごいな
いくら飛ぶボールの時代だったとはいえ、最優秀防御率(2.93だが・・)も獲ってるのに その防御率だったら今ならシーズン100イニングも投げさせてくれ無さそう。 あと防御率関連で、活躍度の割に高いと思ったのが黒田と桑田
共に通算は3.55で全く同じ
黒田はNPB在籍の2年で防御率が良化してこの数字、広島復帰前は3.69だった
桑田も現役途中までは2点台だったはずだが、最後はこんなに数字落としたのかというイメージ 桑田って通算防御率2点台ってシーズン区切りでは
1991年までじゃね?3点台の時期の方が長いともう >>384
一軍先発ローテ定着に丸7年もかかったり、定着後も年に依って好不調が激しかったりと、当時の阪急みたいな面倒見の良い球団や今井本人の愛されキャラな
性格じゃ無ければ、当時でも到底21年も現役を全う出来なかった様に思う。 黒田は初の二桁勝利挙げる前の4年間で打たれながらも投げさせらていたからな
1997〜2000年の防御率が5.12
むしろよく3.55まで持っていったなという感じ
黒田の打者バージョンが同期の井口だと思う
初期の低打率期間が長かったせいかNPB時代の通算打率が.270 桑田は94年を除けば連勝ストッパーだったり投げる不動産だったり大怪我明けだったり良いイメージが全く無いな。 >>389
調べてみたら本当だった
黒田って当初はそんなに防御率悪かったんだ、それは凄い意外
何気にMLB行く前も防御率が3点未満だったのって06年の1回だけか
その年の1.85はすごい数字だけど >>390
桑田は勝利数や球速は、80年代後半が最盛期だと思うが
94年が球のキレは現役中で一番すごかったと思う
奪三振数がキャリアハイなのも、その証拠を裏付けてる
その割にシーズン11敗もしてるのが意外でもあるな >>391
プロ入り当初はボールは素晴らしかったけど、とにかく制球が悪くてなあ(´・ω・`)
只、入団当時の制球の悪さが、同期入団で制球力が最大の武器だった澤崎の様に入団当初から先発、中継ぎフル回転の酷使であっという間に潰される事無く、
200勝まで到達した所以とも言える訳で。 だから黒田をNPB時代からライバル視していた的な
松井秀の後年の談話が後付臭く感じる 01年や02年頃はカープのエース格にはなっていたから全く嘘って事もないだろうけど、多少リップサービスは入ってそう あの松井が「黒田の事はなんとも思ってませんでした」なんて言えるわけがない セゲオが黒田を「セ・リーグナンバー1ピッチャー」と言ったのは、2001年頃かな?
松井が黒田を意識し出したのはその位からかと。 斎藤佑樹
2018年二軍成績
21試合 70投球回 防御率3.09
おそらく去年が二軍でのキャリアハイ
意外に頑張ってる 落合が「今日の黒田は俺でも打てない」と言った試合もあったような 凄い球を投げてるイメージがあるのに、
今一つ(特にシーズンの)勝ち星が伸びない
黒田、槙原
気分にムラがあるんかね 黒田は味方の援護点が無さ過ぎだったから
MLBでもそうだったし
槙原も登板した試合は投手戦になる事が多かったのと
好不調の波が試合によって激しかったのが要員かな 槙原の88年(東京ドーム元年)の成績
10勝13敗 208回2/3 防御率2.16
何だ?コレ 槇原黒田はフォアボールはそう多くないがコマンドが甘くポンポン投げてくるから150出てても難攻不落なイメージはない 広島の木本英求の昭和57年 二軍首位打者 打率「・355」
西武の藤野剛の昭和59年 二軍首位打者 打率「・365」 現役だと千賀が投げてるボールの割に大きく勝った年がない。
大谷もそうだけど今はYouTubeでいいボールだけ編集して見せることができるから凄く見えるけど
投球を1試合全部見たらコントロールに難がある投手というのがわかる。 後、槙原は絶好調の時に限って股関節を傷めるんよ(´・ω・`)
まだ先発完投やら先発要員がリリーフに駆り出されたりと完全な分業制では無い時代だったから、球威抜群の槙原がリリーフに駆り出されたりと詰めた起用法で
故障してしまうって事かもしれんが。 槇原は弱視でサインが見えない、ストライクゾーンもよく見えない、送りバントができないとか
よくそれで159勝もできたな >>407
槙原はバース・掛布・岡田の3連続被弾のイメージが強烈だが
実は阪神戦には滅法強くてカモにしていた(通算38勝10敗)
これは意外と知られてないかも
これを差し引くと他の4球団の勝率も約5割とトントン >>408
正直知らんかった
槇原現役時代巨人ファンだったけど、なんとなく阪神苦手なイメージを植え付けられていたわ
記憶なんかいい加減だな >>408
広島を完封しまくってたけど、勝率はトントンだったの?
完全試合の数年後に福岡ドームで阪神を1安打準完全とかやってるんだよね
御年36くらいになってたと思うが 大下は西鉄黄金期には全然長距離砲じゃないし、しかも半レギュラークラス >>414
たしかに無双感が無い
斎藤槙原なら、ああ無理か..の諦めムードになるが桑田ならなんとかなりそう感があった 84年の衣笠3割2分9厘・102打点、谷沢の34本塁打・99打点。 落ちぶれまくってた中村ノリがナゴド本拠地の中日時代に2年連続20ホーマーしたのは意外だと思ったし
さすがだな とも思った >>416
84年の谷沢は打率が1位篠塚と5厘差、本塁打宇野掛布37本と3本差、打点衣笠と3点差
三冠王のチャンスがあった >>416
1984年のプロ野球をよく見ていなかった自分も「谷沢は惜しかったなあ」という感想を持ったのですが・・・
125試合消化時で .316 29本 84打点、最後の5試合で.583(24-14) 5本 15打点でした。
この時点(1984/9/25)で各部門の首位が、
打率.333(篠塚、若松両選手)、本塁打37(宇野)、打点99(衣笠)
当時の印象としては去年のビシエド、坂本両選手の首位打者争いに似た感じだったのかなあ、と想像しました。 中日が優勝してれば谷沢MVPだったろうなあ。
この年の谷沢はチャンスにも強かったし >>419
宇野・掛布の敬遠合戦の騒ぎの中、猛烈なラストスパートで、あわや三冠の数字になった。 衣笠谷沢はロウソクの消える前の輝きみたい
ベテランが晩年に狂い咲きするのが他にもあったような気がする ヤクルトの古田とかも2004年の成績は
2〜3年後に引退する身からしたら、かなりのもの
しかもこの年球界再編騒動で寝る間もないくらい多忙だったのに
あの成績は凄すぎる >>424
再編騒動で多忙になったのが成績にも影響した
たしか前半は3割3分ぐらい打ってたはず
それが後半はガタ落ちした
ただあの年の神宮は飛ばないと言われていたサンアップ製のボール止めて飛ぶボール使ってた。
インフレしすぎて岩村が44本打つような年だったからな。 あの年は立浪古田が首位打者争いしてたけど2人とも同じ時期にグングン打率が落ちていった その年の首位打者が広島の嶋か
嶋もシーズン中ずっと打率.330〜340台をキープしてて安定感はすごかったからな ラロッカが出塁率と長打率1位だった
新外国人でこの成績はかなりのものだがあの年は色々とありすぎてあまり注目が集まらなかった あの年は、兎にも角にもボールが飛び過ぎて
各球団の投手陣が気の毒になるレベル(中日だけが両リーグ唯一の防御率4点未満)
小久保や多村も40本打ってるし ヤクルト時代の稲葉
もっと打ってると思ったが大した事ない 50代だけど青田昇はテレビ番組の野球教室でのご意見番的な存在と青田浩子の父親しか記憶無いな 最年少2000本安打で話題になってる坂本と榎本だが実は榎本の方が試合数が多い
同じ通算13年で比較すると
坂本 1670試合7254打席1884安打
榎本 1754試合7340打席1910安打 石井丈裕が早稲田実業から法政大学へ進学
普通 早稲田大学じゃないのか >>434
早実→日大のテリー伊藤曰く、昔は成績優秀な人しか推薦を貰えず、早大に進学するのは半分程度だったとの話。 >>436
某「甲子園のアイドル」が早大進学希望だったが推薦から漏れそうということで
急遽根回しして某球団にドラフト「強行指名」してもらったとかいう話も >>431
稲葉はヤクルト時代まともに働いたのは2001年くらいだな
他の年もHR数はそこそこのシーズンこそあれど
打率や打点はずっと低調だった
それが日本ハムに移ったら、チームの明るい雰囲気と楽しむ野球に驚いて
馴染んでからは、成績も急上昇したという 分かりやすいのは、1988年の伊藤昭光と、小野か。
だれか書いては居るが。 83年の真弓の3割5分3厘。阪神は岡田、今岡、平野と突然変異するのか? 藤田平も安打製造機、巧打者のイメージの割には
規定以上シーズン3割4度だけ、首位打者とった年以外は
.300,301,302と見事な低空飛行ぶり >>434-436
実業、早稲田はあくまで系属校で
附属高は早稲田大学高等学院・本庄高等学院
日大系列下高校の細かいランクの違いに相当する 坂本が史上最年少で2000本を達成すれば、「試合数」「打数(2000本達成時点での通算打率)」も史上最少・最高記録を更新するんだろうな。 >>444
坂本の通算打率は.293で2000本達成時点で3割超の打者なんて山ほどいるだろ
若松なんか.322だ
坂本の早期達成はあくまで高卒ながら早期にレギュラー抜擢され、
1番〜3番が中心の起用をされ、年間試合数が130→143(4)の時代になり、
大きな怪我をせずに過ごしてきたたまもの 2000安打達成時の出場試合数最少記録は川上哲治1646試合
坂本はすでに1670試合に出場している メジャーで試合数水増ししなきゃ1200安打のゴキローさん >>445
>>433
年間試合数より大きな欠場が無かった方が大きいだろうな 坂本榎本の違いは2年目からレギュラーか1年目からレギュラーか 榎本のような高卒新人野手の規定打席到達はめちゃ難しいからな
坂本の2年目初到達でも十分早い方 清原は高卒からレギュラーだった割に安打数のペースは大したことないな。
130試合制、平均.270台の打率、四死球の多さが要因で最高でも130台の安打数だった。 清原は巨人在籍時の通算安打数が720(実働9年)しかないのも驚き
過度の肉体構造が相反して、一気にスペ体質になったのが原因だが
西武在籍時は130試合制だったのもあるが、11年間で1353本
シーズン平均で123本だからペースは悪くなかった
そんな清原も、シーズン安打数と打点のキャリアハイが
巨人時代の2001年(34歳)なのも意外 >>451
打率が低い。3割2回も、1分未満だからね。 固め打ちが出来ないと千葉功に指摘されてたな
>清原
それを西武黄金期は試合が決まった後の死体蹴り、
帳尻をしない流石常勝球団の主砲と擁護されてたが 「チャンスに強い清原」なんて言っていたけど、どちらかというと「チャンスに本気出す(`・ω・´)」というのが清原の本質だった様にも。
得点圏打率とかみても特別チャンスに強いなんて訳でも無かったし。
確かにワンサイドゲームとかで「働いたら負け(`・ω・´)」な魂の抜けた様な打席も目に付いたけどねw メジャーリーグに行った日本人で、
「日本で残した成績だけでも殿堂入りに値する」のはこんなとこ?
・松井秀(巨人の4番としての活躍、現在日本人最後の50発)
・上原(新人20勝、今日のエースとして数々のタイトル)
・川上(新人王、ノーヒットノーラン、常勝落合ドラゴンズのエース)
・松井稼頭央(トリプルスリー、超攻撃的遊撃手、7年連続170安打以上)
イチローは、「7年連続首位打者」しかアピールポイントがないので厳しい。他にはいるかな? 坂本に隠れてるけど秋山もかなりのペースで安打数伸ばしてる
入団から実働9年で1405安打というのはNPBの日本人選手最多の安打数
メジャーに行くことがほぼ決定してるからNPBでの記録はここで打ち止めになるが >>458
MLBだと実働10年が基本的な要件になるが、日本にはそうした制約がないからね
首位打者7回・MVP3回、打数が少ないとはいえ突出した通算打率などなど
>>457が挙げる他の4人よりまずイチロー、だろう >>459
大社や外国人は最小系、高卒は通算や最年少系に強いが、秋山はさすがだな 坂本も秋山も通算打率がそんな高くないのも意外だな
12年で2000本のラミレスも丁度3割くらい >>462
坂本も秋山もほぼ毎年600打席以上立ってるからな
安打数が多くなる分だけ、打数も増える
ラミレスも四死球が極端に少ないから
必然的に打数も増える 川上…… 1938年〜1958年 21年 7500打数2351安打 打率.313 (但し戦争中断あり)
長嶋…… 1958年〜1974年 17年 8094打数2471安打 打率.305
王……… 1959年〜1980年 22年 9250打数2786安打 打率.301
張本…… 1959年〜1981年 23年 9666打数3085安打 打率.319
谷沢…… 1970年〜1986年 17年 6818打数2062安打 打率.302
若松…… 1971年〜1989年 19年 6808打数2173安打 打率.319
落合…… 1979年〜1998年 20年 7627打数2371安打 打率.311
前田…… 1990年〜2013年 24年 7008打数2119安打 打率.302
ラミレス…… 2001年〜2013年 13年 6708打数2017安打 打率.301
小笠原… 1997年〜2015年 19年 6828打数2120安打 打率.310
和田…… 1997年〜2015年 19年 6766打数2050安打 打率.303 坂本は、「打ちたがり」な性格なのが功を奏してるな。
通算打率は最終的に3割を超えるはずだ。2016、18年と.340以上が二度あるし来年にも可能なのでは。 一般論から言うと衰えてくるとどんどん生涯打率を落とす
落合も内川もどんどん落ちた
内川なんかそろそろ生涯打率3割か引退かが見えてきた 坂本は若手の頃の積極打法のイメージがあるけど年々、四球を選ぶタイプになってきてる。
似たようなタイプで高橋由がいるけど。 >>465
2016年の打撃成績をあと2年続けても.29935
それほど生涯打率.300と.293ってのは離れてるってこと >>465
来年の坂本が今年と同じ555打数だとして、
通算3割に乗せるためには215安打、打率.387が必要になる おまけ
坂本が通算打率を3割に乗せる最短コース
来季開幕から64打数連続安打すると通算打率が.299508となって「切り上げ3割」に乗る 榎本喜八も3割4分以上の年が2回あるが通算打率はそんなに高くない
31歳で2000本に到達した年での通算打率が3割3厘
その後5厘落として生涯打率は2割9分8厘で終わった 通算打率の落差が大きかったのが長嶋
通算4000打数以上に到達した30歳の時点で3割2分3厘(当時歴代1位)あったが、
その後8年間で1分8厘落として生涯打率は3割5厘だった 参考記録だが、
「日米通算イチロー」は、通算4000打数到達時から最終打率を2分以上下げてるんじゃないかな 坂本はまだ31だし、今が最高潮で衰える要素がどこにある?
むしろ右打者初の打率.380台を達成すると思うが。
落合が40近くなっても常に3割を超えたように、内川の巧打者としての意地から、また来年は.330ぐらいに巻き返すのでは。 巻き返しを期待されてたのは今年だったんじゃないか?
規定にまったく到達してないとは言え2018年が.242で
2019年はどうなるってところで500打席以上たって.256だもんなぁ
来年は出番すら減るんじゃないの 坂本ファン君が夢を語るのはまあいいんじゃないのw
あと落合は常に3割じゃなくて中日移籍以降は3割割ればかりだったんだよなあ
88 .293
90 .290
92 .292
93 .285
94 .280 >>477
ドラゴンズ時代の打率2割台は1990年を除いて故障が絡んでいるのですよね。
坂本選手は遊撃手という負担の大きいポジションですが、
UZRの数字を鑑みると、うまく手を抜いているかな、とも思えますが、
打撃を優先するなら近いうちに三塁手あたりにコンバートした方がいいのかな、と。 例えばこの先5年全部仮に500打数として
.300 .333 .300 .333 .300と仮定するなら2500打数784安打(.3136)
これに現在の6440打数1884安打を足して8940打数2668安打
これでも.2984
3割に乗せるためには14安打不足で、もう一年.300じゃなくて.330の年が必要か
36歳で通算打率ちょうど3割2682安打
この先は通算打率3割維持にこだわって少しでも衰えたらすぐ辞めるか
ハリーの日本記録にこだわって通算打率を下げながら安打を積み重ねていくのか
まあ夢見るならこんくらいみてもいいんじゃないの >>477
88も故障というか不調なだけだったような(報道されてない範囲であったかもしれないが)
前半戦あまりに不調で落合が打てなくて負けるたびに星野がミーティングで
ぶち切れて晒し上げてた
92-94も故障というか衰えという観測の方が強かったような
(超ベテランが何も怪我を抱えてないというのは十分承知してるが)
だから95,96の3割復帰はある意味すごかったね >>480
88年は打順が3番に「降格」された頃だっと思うのですが、ラジオ中継で
・手首、足首にきつくテーピングをしなければならない状況
・腰にも痛みあり
・痛みを紛らわすために酒の量が増えている
というのを聞いた記憶があります。
この年は長梅雨だったことも影響したかもしれません。
92年は腰痛だったような。ただこれは自信がありません。
93年は7月の不調の原因は覚えていませんが、9月の不調は脚の付け根の痛みを押しての出場ということで。
でも、そういう故障に見舞われる事自体が>>480さんの仰るとおり「衰え」なのだろうと思います。 >>481
88年の長梅雨が一因だとしたら、
93年も記録的な冷夏長雨だったね 野村は長くやったから通算安打数は歴代2位だが、
打率で言うと3割以上6回、3割2分以上は1回に過ぎず、
3割以上13回、3割2分以上10回の王や、
3割以上11回、3割2分以上6回の長嶋に比べると見劣りする 桧山進次郎(阪神)のキャリアハイ年間23本塁打
もうちょっと多そうな気もするけどそんなもんか 王は30発打ったのに引退したが、張本の通算安打数は狙わなかったんだろうか。
通算1000本塁打も、あと4年で行けた。 王は打撃開眼前の成績が残念。一本脚打法完成以降の打率なら長嶋を上回っているはず。 >>485
王は40歳でホームラン30本打ったけど打率はリーグ最下位
次の年も現役続行してもし仮にこの40歳シーズンと全く同じ打数・打率だったなら
通算打率は3割を切っていた 最後の年の王はオールスターまで打率.287 本塁打21
一位の山本浩が24本だからまずまずの位置につけていた。
後半の成績があまりにも悪すぎた。 1980年 王貞治
4月終了時 .271 7本
5月終了時 .246 10本
6月終了時 .287 16本
7月終了時 .270 22本
8月終了時 .265 25本
9月終了時 .240 28本
10月終了時 .236 30本 王は翌年もホームランを捨てて.303本7くらいはやれただろう。 >>483
王が存在しなかったら
NPB史上最高の強打者は
揉めそう、野村は本塁打、
打点の通算、タイトル
回数は申し分ないが
長打率、OPSが弱い >>485
平均30本でも残り132に届かないのに、4年で行けるわけがない。しかも、
年々衰えは顕著になっていく過程で。
>>492
中西、野村、張本、浩二、門田、落合、イチローあたりで意見が割れるか。
老害は川上、藤村、大下とか言い出しそうだが。 >>493
王がいなかったら長嶋がタイトル荒稼ぎして浮上していたかもしれない 年寄りの元プロ野球選手は意外性のあることを言いたくて
最強打者は本心では川上だと思っているのに、大下だとほとんどが答える 大下の成績が良かったのは三年くらいで、
西鉄黄金期の頃には全然活躍していない 1946,1947,1951あたり?
>大下の良かった三年
25年ぐらい前のベーマガ増刊の本塁打特集では1リーグ制デビューのホームラン打者は大下、青田が双璧とされてたな 木俣達彦が王に次いでホームラン2位、王に次いで打率2位だった年があること 木俣はスラッガーだった記憶がある
晩年は打順下がったけど
阪神は遠井、大洋は松原、広島は山本一義くらいの時代かな ↑そのわりには打点が少ないのが不思議、かもしれない あ、すまん
数字を見間違えた
「5番」よりは「7番」のほうが少し多いわ カーティス・グランダーソンの通算三振が1916で歴代10位なこと
俊足の左打者というイメージだったけどその割には多過ぎる
清原とほぼ同じ三振数で、清原より1000打席も少ない >>504
むしろこの手の一発がある俊足の外野手って三振が多いイメージしかない。例外は若い頃のボンズぐらいか 王の通算打率.301
何度も三冠王を取っているくらいなので、
もっと高いイメージ。 >>506
王は最初のオーオー三振王の頃の成績からしたらよく通算3割まで持って行ったって感じ。 三冠王達成者の通算打率
バース .337
ブーマー .317
落合 .311
王 .301
松中 .296
野村 .277
中島 .270 >>506
あんだけホームランばっか狙い続けて
20年あまりもずっとレギュラーで出場し続けて40歳までやって通算.301ってめちゃくちゃすごいよ 一方、角中は首位打者に2回なっている割には通算打率が低い
(複数回首位打者で通算打率が角中.286より低いのは、戦前組の中島・呉だけ)
規定打席数を満たして3割に達したのが2度だけで、いずれも首位打者
というのはなかなか効率がよろしいな(他にプルームも該当するが) >>512
さらに強化すると新井宏昌(首位打者は一度だけだが)になるかもしれないな >>510
四球の多さで、3割キープしたとも言える。 王さんは基本HR狙いだったのかな
それで通算3割ならすごいと思う 王「僕はHR狙ってない」
門田「王さんは嘘つき。HR狙ってなきゃあんなに打てない」 でもその門田もホームラン狙いの割には新井宏昌と通算打率がほぼ変わらないのだから面白い。 >>506>>507
王が通算打率を3割に乗せたのってプロ入り12年目、30歳の時だからね
しかも翌年から2年連続2割台で3割を切って、3冠王の73年に再度3割に乗せた 30過ぎて通算打率が3割切って2割台に落ちてから
そこからまた盛り返して3割台復帰なんてすげえな
普通は年齢考えたらずるずる落ちていく 週べの記録の手帳で終身打率3割の攻防みたいので読んだ記憶
があるわ、王とか榎本とか藤村とかを取り上げていたかな 江藤慎一は3度の首位打者をとってるが
通算打率が3割に乗ったことはない >>520
藤村は厳密には通算打率3割切ってるんだよな
.299929だったかな >>522
1956年の最初の現役引退時は30078だったのに、
58年に現役復帰して26打数3安打しか打てず3割を切ってしまった >>520
榎本は2000本達成のシーズンいっぱいまでは3割あったのに最終的に3割切った
これなかなか珍しい例だと思う
2000本間近ならともかく達成してるんだから普通は3割切る前に引退するところ 達成したのが68年で
70年終わりまでは7510-2254で.3001で3割キープしてない?
あとチーム自体の成績も考慮しないといけない
70年に10年ぶりにリーグ制覇して翌年も十分連覇が狙える
この状態で辞めたくはなかったんじゃないかね こないだWikipedia少し見たけど、
確かベテラン組が根こそぎ移籍とかになって
長打を求められるようになって
それで病んでバッティング崩したとか書かれてたような 榎本は川上の通算安打数を超えるのを目標にしていたからと聞いたことが
あるがどうなんだろう。
米国だとバリーボンズもホームラン通算1位を目指して現役続けて3割割っちゃったね 通算3割維持より1年でも現役にしがみつきたい選手もいるだろう 加藤秀司なんかは若い頃から3割常連だったのに
晩年打率を落として通算打率3割切ってしまったな
反対に谷沢健一はなかなか3割の壁を破れなかったけど
76年に首位打者取ってから3割常連になり終身打率も3割2厘 昔はアヘ単でも3割なら一流扱いだったからね
2割7分30本くらいの打者より3割3本くらいの打者の方が上くらいの扱いだった >>529
名球会コミックスの加藤の巻で
現役後半にさしかかった加藤が電卓で自分の通算打率を計算して
通算3割を意識しているシーンがあるな
やはり気にしていたっぽい
谷沢の巻ではなかなか3割の壁を破れない谷沢が王に相談してみたら
「3割打ちたいなら3割を目標にしていてはダメだ
3割5分を目標にしないと」とアドバイスされる >>527
ボンズはデビュー当初の1980年代の低打率をリーグ屈指の強打者になった1990年代も
1993年を除けば.290〜.310をウロウロしていたせいでリカバリーし切れず通算3割が
遠かったが2000年からの5年連続3割、特に2001年以降は.328,.370,.341,.362の
高打率で一気に通算3割に乗せるも2005年シーズン以降の低打率が祟り再び通算3割を
割り込み引退。
2003年シーズン終了時.2974(8725打数2595安打)
2004年シーズン終了時.3001(9098打数2730安打)
2005年シーズン終了時.3000(9140打数2742安打)
2006年シーズン終了時.2988(9507打数2841安打)
2007年シーズン終了時.2981(9847打数2935安打) 3年連続日本一の西鉄
強打のチームかと思ったら、3年間で総得点が1位になったことがない。チームホームランが100本超えたこともないし、リーグトップになった1956年も毎日と同数 寧ろオリオンズが有藤引退・落合退団前までは強打のチーム扱いだった事が意外 >>533
4番を任されていた大下の衰えが大きく影響した格好。
これで得点力増大の源泉で昨今のメジャーのトレンドとも通底する2番豊田のオーダーが組めない試合が多くなった。
2年目の1957年こそ大下がプチ復活し本来のオーダーが組めたものの、大下の成績も4番には物足りなく、大下の実績と顔で4番をはっていたって感じ。
又、ライバル鶴岡南海が長打力の必要性を痛感し、従来の機動力野球から400フィート打線へと短期間で転換に成功したのも大きな要素。 水爆かミサイルか忘れたが打線は強かったよね
そのあとの濃人で優勝した時も強力で醍醐も20本打っていた時もあった
落合が入ったときはリー兄弟や張本や有藤が居て落合は六番打っていたな >>534
榎本・山内・葛城に田宮を加えたミサイル打線と、1971年193発と当時の日本記録を作った新ミサイル打線の印象が強かったからかと。 >>529
谷沢は2割9分台を4年連続、最後の2年も8分9厘、7分3厘。逆に、加藤は規定打席に入っていて、3分5厘や、5分台も有る。
3割打て無かったシーズンの差が大きい。 坪井智哉は殿堂入りでいいと思う
1000本安打行ってないとか… 失踪して無期限失格選手となった高山忠克が、
高卒2年目で規定到達して18本もHRを打っていること
豊田に次ぐチーム2位
打率は.219だしそれ以降規定到達した年はないのだが 高山忠克は「巨人の星」にも登場するぐらいだからな。
飛雄馬が1号挫折から復活後にアトムズとの2軍戦で再起した時に
「1軍でクリーンアップを打ったこともある強打者」として対戦する。 坂本勇人は史上最年少2000安打当確なのに、通算打率が3割に達していない。
当然、達成に要した打数も試合数も最少のはずなのに。
通算打率はいずれ3割に乗るだろうけど。 試合数や打数はちゃうやろ
昔は大半が年間130試合制(150試合制だった年もあるが)だもん 坂本は2013くらいまでダボハゼだったから打数は多い
あと最年少と最小を勘違いしてるやつ多すぎ
技術的に未熟でプロ入りする高卒がある程度成熟してプロ入りする大社卒に最小系でそんな簡単に勝てるわけない 野口茂樹 防3.77 81勝79敗 1405回2/3 1122奪三振
藤井秀悟 防3.81 83勝81敗 1463回1/3 1064奪三振
愛媛県出身の左腕同士なのだが、通算成績がかなり近似している。 >>546
野口は一流、藤井は三流だと思っていたのにこれは意外でした。 野口は当時、中日の大エースだったイメージあるけど、
よくよく思い返すとノーノーの瞬間と、98年99年が凄くて、
それ以降は急に劣化した様なイメージだなぁ
藤井さんは一応、最多勝投手なのよね
不思議な投げ方してたっけw 野口と藤井は実働年数も14年で同じだな
あと両者とも巨人に移籍してるという点も
野口はもっと現役期間短いイメージだったが、意外と長かったんだな 野口は2001年のFIPが歴代2位とかだった
瞬間風速でいったら藤井とは全然違う 通算ops
大豊>高橋由伸>阿部慎之助
大豊は四球が多く本塁打率も高いとは言え、由伸や阿部より上とは思わなかった
由伸>阿部も意外 野口は球種がスライダーしかなくてそれがセ・リーグの打者に慣れられたと川相が言ってたな >>553
去年でいうと巨人中川みたいなもんか
プレミアでは慣れられてなかったから復活したように見えた、と 近鉄に入団した太田幸司。甲子園のアイドルながら
2年連続2桁勝利を挙げたり日本シリーズでも投げている。
その後の甲子園アイドル、定岡、荒木大輔、愛甲、水野より良い成績。 乱闘要員ガンちゃんこと岩本好広の1985年の阪急時代の成績
87試合190打席で出塁率.377、21盗塁3盗塁死ってかなり凄くないか?
星野の下で乱闘で暴れてるイメージしかなかった サブロー 2012年 四球が78でリーグ最多
打率.239 7本塁打 52打点 という成績で 1942年山田潔
打率.162 0本塁打 9打点 95四球(リーグ最多) 21世紀以降に入団した社会人出身選手の最多本塁打が2018年のDeNA宮崎の28本
30本打った選手はいない。 成績というかプロ野球の試合数って昔より微増しかしてないイメージだが、ノムさんの成績見てて52本打ってる年の試合数見たら150試合もあったから調べてみたら、
1963と1964年の2年間パリーグだけ150試合もあった新発見だ だから坂本の2000本安打で昔は試合数がどうこう言ってるのは違和感があるな
もろにその3年プレイしてるし >>564
2リーグ分裂後の数年間を確認してみると面白いですよ。 アナルこと落合博満は
日本シリーズでホームランがない 意外でもねえな
94年は内転筋、96年は骨折で万全じゃないのは鼻っからわかってた
まともにできたのは88年だけだし T-岡田は3番でHRを打つと全打順本塁打達成なのだが
そんなことより3番で通算8試合しか出てないのが意外 先発3番 8試合 0本塁打
先発4番 286試合41本塁打
先発5番 355試合66本塁打
うむ 愛甲は成績がショボいことにはしばしば言及されるが
この成績でフル出場を5年も続けていたのは驚いた
外人がディアズと荘だったからポジションが空いていたのが幸いしたか 現レッズの秋山翔が破るまでパのフルイニング出場もってたからな フルイニング出場ともってたの間に"記録"が抜けてたわ。
近年は阪神の二人が連続試合出場や連続フルイニング出場で醜態を晒したが
当時も駒田とか広沢とか不調だったり、成績がショボくても連続出場に配慮して起用され続けることがあったな。 >>563,564
ありゃあ西鉄の西亦次郎球団代表がメジャーのリーグと同数の8チーム(当時)
あるから、1度メジャー並の154試合制を実施して客数を増やしたら?との提案に
、大言壮語が服を来ている様な御方の大映の永田オーナー(当時パ・リーグ総裁
だったかと)が「6球団のセ・リーグでは成し得ない米大リーグ並のスケール!」
てな調子ですっかりノリノリで実現しちゃったものらしい。
もっとも試合数を増やしても、1試合辺りの集客が落ちたのかさしてシーズン観客
動員数に変化も無く、あまりの過密日程に移動距離が長い西鉄が真っ先に根を
上げたという皮肉もw
只、当時から何かと臍曲りな朝日新聞の紙面では、「しかし154試合もあったお陰
で9月時点で大きく引き離された南海(今調べたら9月5日時点で6.5ゲーム差を
確認)を何とか逆転してリーグ優勝出来たんだよね(笑)。」と、そんな西鉄を
おちょくっていたり。 通算本塁打数
もっと少ないと思ってた
石井琢 102
仁志 154
鈴木健 189
もっと多いと思ってた
西岡剛 61
元木 66
井上(D) 79 >>578
タクローはもうちょい多いと思ってたわ意外 石井は「規定」到達シーズンの本塁打数1,2,3,5,6,7,8,10を記録しているようだが
1から10まで揃う選手はいるだろうか
0から9でもいいかな 山田久志の勝利数が
10,11,12,13,14,15,16,18,20
を記録しているという話を思い出した 北別府は実働19年で15通りのシーズン勝利数を記録している、とか
2勝から20勝までのうち、欠けているのは4・7・13・19 そうね
書き込んだあとで「おっとここは珍しい記録スレじゃなかった」と気づいた 郭建成が通算21登板10先発を記録するまでに使われていたこと
4登板0勝4敗0Sくらいだと思ってた こんなこと書くと無知乙とかリアルタイムで見てねえのかとか言われそうだけど古田の本塁打数
コンスタントに20〜30本打ってると漠然と思っていたけど全然そんなことはなかった 古田は基本シーズン10〜15HRくらいがデフォの選手だよ
入団当初の92年に30本打っているから、そのイメージがあるんだろう
その古田が03年04年と現役晩年に2年連続20HR打ってるのが驚き
飛ぶラビット球の時代ではあったけど あと古田って、1試合4HRのNPB記録持ってるんだよな
これは知らない人も多そう 阿部慎之助の3割回数3回(規定打席以上)
もっと打ってるかと思ってた
惜しい年が結構ある 個人的に、印象の割にホームランが多かったのは
石毛
稲葉
前田智あたり
反対に少ないと思ったのは
片岡
桧山 佐伯が一度もシーズン20HRを打っていない事
現役時に同僚だった古木や小池でも1回記録してるのに
現役に限れば、糸井もそうか >>591
シーズン20本塁打なし、の通算本塁打10傑
白 209
内川 196
立浪 171
糸井 163
伊東 156
佐伯 156
井上 155
森本 146
佐野 144
長野 142 >>592
モミーだろ、ヤスはそもそも本塁打を期待されるような打者じゃないし。 オリックス比嘉の驚異的な活躍が全国メディアで扱われなかった不満。 >>593
内川がまだシーズン20本塁打なしなのも通算200HRに届いてないのもかなり意外だ
ポストシーズンではホームラン打ちまくる印象があるから、そのイメージが強いのかな 歴代右打者屈指の安打製造機のイメージだから意外でも何でもない様な>内川 内川は今年で引退だろうし、199本塁打で終わりそう 朴ゴキローのシーズーン25発アーチだろ
全安打がショボい内野安打のイメージでしかないなのに イチローの「意外な記録」といえば1998年の21併殺打、かなあ
日米通算28年で151併殺打 大本塁打栄光打撃打者でもないのにシーズン20併殺とかその年限りで引退するレベルだろ
取り巻きのカレー記者を使った情報操作で無理やり生き延びたに過ぎない ロッテの凶悪害人メル・ホールはMLB時代は盗塁は少なめなのに、ロッテに移籍した2年間は二桁盗塁。
外国人の本塁打が増えるのはよくある例だが、盗塁はむしろ減る傾向にあるのに。
性格は非常に悪いことで知られるホールだが、プレーでは案外やる気に満ちていたのか? 秋山幸二は通算打率が270だが
規定到達した年に270台と280台を記録した年がない。
ちなみに3割以上は2回、290台は3回、
後は全て240〜260。
規定到達含めなかったら引退2年前に286。
270台は一度もなし。 >>602
プレイでは案外ヤル気に満ちていたに空目した >>602
二盗三盗とかやってたしサイン無視で勝手に走ってた記憶 意外な事実ではあるが、
巨人からゴールデングラブ賞が出なかった年はない。
ただし、外野からは1985〜97年の13年間出なかった。 2003年の谷佳知の外野手としての11失策
堅実そうな守備のイメージがあるし実際に前年は守備率10割だった
しかし外野で11失策の選手をGGに選ぶのはちょっとなあ 普通の打球を普通に処理さえしていれば多少の無茶な失策は目をつむってもいい それって悪送球も含めてか単なる失策かどうかで大きく違ってくる
前に田口が聖澤諒の失策の少なさを
「悪送球覚悟で投げない証拠」
ってバッサリ斬ってたので 送球がバウンドすれば受け手が下手で逸らしても送球したほうに失策がつくよな 本当に下手な外野手は失策よりも記録に残らないミスをするからな フライの落球によるシーズン失策が一番多い外野手は誰だろう
2回でも十分ひどいが 打球の落下地点の目測を誤ってもエラーにならない理不尽さ 2003年のオリックスはレフトのブラウンも12失策 1983年のバンプ(阪急)
上田監督にクソミソ言われてたからもっとヒドイ成績かと思ってたが「.270 12本塁打 20盗塁」で
言われるほどヒドクもなかった。 >>617
真面目にやってないのに
そこそこの成績だから、逆にバンプすげーって思ったわ 1983年 阪急のポンコツ中古イメージだったマルカーノ(ヤクルト)の「.270 25本塁打」 屋敷の1985年の15HR78打点
現役時代は走塁だけで強打のイメージは無かったので、この数字は意外
あとオールスターに1回しか出てなかったというのも意外 >>603
遅レスだが、調べてみたら本当だった
3年連続40HR記録した85〜87年も、2割7分以上打ってないんだな
むしろ87年までの打率の低さにビックリ
プロ入りから長期間の低打率な所は、現ロッテ監督の井口と被る 秋山幸二は、好不調の波が激しかったからな
好調の状態でシーズン終えたら290〜3割
不調の状態でシーズン終えたら260っていうイメージ
不調のときは、本当にプロなのかってくらい
おかしなスイングをする
それがまた、魅力でもあった 秋山は清原に、シーズン打率のキャリアハイや通算打率ですら負けてるんだよね
通算打率は僅か2厘の差だが 清原は打つだけだったけど秋山は打率以外は完璧だったからな 内川はシーズン20併殺打以上が3度もあるのだが、これはどう考える? 駒田みたいなもんじゃないの?
あんまり意外だと思わんかな元々ミートには定評あるし 右の早打ちで三振が少ないタイプはそうなるな
ブーマーやV9時の長嶋、現役では宮崎とか >>628
ブーマーや長嶋は三振の数がホームランより少ないシーズンもあるな
これはなかなか難しいはず >>474
MLBでの最初の10年(=連続3割、200安打)終了時点で.331
最終的に.311と2分落としてる
ちなみにプホルスもイチローと同年デビューで10年終了時点では.331
こちらもイチロー同様11年に初めて3割を切って以降3割は無し
今季.230の不振で17年から3年連続.240台とあわせ
ついに通算打率が3割を切ってしまった >>531
近藤唯之御大の本では
王だったか張本だったかに「お前は志の低い打撃をしている」と言われ
これで開眼したとなってるな
その3割目標というのが志の低い打撃だという
.251で新人王→.260→4年連続.290台→.355で首位打者
その後は引退年の.273が最低打率で.310台が3度も
(故障で12打数2安打.167の79年除く) NPBの2000本安打達成者で1分5厘以上下げたのはこんなもんか?
長嶋茂は通算4000打数を超えた1966年終了時点で.3226だったが引退時は.3053
落合は通算4000打数を超えた1989年終了時点で.3264だったが引退時は.3109
松井稼は通算4000打数を超えた2002年終了時点で.3096だったが引退時は.2907(NPBのみ)
福浦は通算4000打数を超えた2006年終了時点で.3041だったが引退時は.2841
山内一は通算4000打数を超えた1962年終了時点で.3128だったが引退時は.2949
加藤秀は通算4000打数を超えた後のシーズン区切りでの
通算打率ピークが1980年終了時点の.31431だったが引退時は.29722
ジオムビー兄もヤンキース移籍一年目までは打率も残せる大砲のイメージだったが
ヤンキース移籍二年目以降は低打率の一発屋になってしまったな。 >>622
日本に於ける「おだてて伸ばす」元祖・近藤監督の「スーパーカートリオ」での屋鋪3番構想に見事に乗せられた結果としか。
退任後に自著で明かしていたが、1982年に本塁打数メジャー最少ながらメジャーダントツの盗塁数を背景にワールドシリーズを制したカージナルスを手本に、
1〜3番に足の速い選手を並べて4〜6番で返す野球を模索した訳だが、その際に普通なら一番足が速い屋鋪を1番、打率が良い高木を3番に持ってくる所を
出塁率の高い高木を1番、小技の得意な加藤博を2番、意外にパンチ力がある(但し右打席限定)屋鋪を3番に置いた方が得点力が上がると考えたと。
おだてて伸ばす方針の近藤監督に屋鋪も乗せられたのか、1985年こそ見事に期待に答えスーパーカートリオも機能したものの、翌年左打席の弱さを
他球団に見抜かれ化けの皮が剥がれてしまった恰好。 今年の吉田正尚の三振数
昨日までで22
振り回すイメージがあるけど軽打のアベレージヒッター並みの三振率 前田智徳は4000打数超えた2002年終了時点で.304だがその後10年以上やって引退時は.302
2004からまた3割打つようになって、レギュラーで3割うてなくなった頃に代打稼業やるようになって打数が少なくなったのがよかったのか
谷沢健一は4000打数超えた1980年終了時点で.301だが引退時は.302と上げてる >>457
7年連続首位打者しかアピールポイントがないので厳しいとか正直意味がわからん >>636
谷沢すごいな
普通は通算打率は現役後半は加齢とともにじわじわ下がっていくものなのに >>638
駆け出しの頃の低打率のせいで通算4000打数超えた時点でも通算打率ピークに達していない選手も何人かいる。
王とか。張本も通算4000打数を超えた1967年終了時点では.3122で引退時の.3192より低い。 >>636
谷澤も前田も怪我や持病の所為で脚力に頼れなかったのが却って幸いしたな。 谷沢はキャリア前半なかなか3割を打てなかったが
それでも.290台が多かったので通算打率の低下を免れた 巨人松本匡史の生涯HR29本のうち右打席が20本、左が9本
それなのに1984年は3HRの全てが左打席、この年の不調と何か関係があるのだろうか? 全盛期の大豊が3割30HR打ってる事
阪神時代の扇風機の印象しかなかった >>643-644
園川は好不調の波が極端に激しくて、シーズン2〜3回は物凄いピッチングするが
あとは5回も持たずKOってのがデフォだったからな
通算76勝のうちの14完封は結構すごい
同時期に先発だった投手陣と比べても
前田が43勝で4完封、小宮山が87勝で11完封、伊良部が59勝で3完封(全てロッテ時代の通算)
完封率は、全て園川の圧勝
むしろ、伊良部がMLB合わせても5回しか完封勝利をしてないってのが意外だと思った >>647
白武も年に一度物凄い投球をする投手だったな 他は阪神の伊藤とか。
巨人の香田も一軍定着当初はそんな扱いだったっけ。
香田の場合は中村稔コーチから伝授されて間も無いスローカーブを駆使して、シリーズ3連敗4連勝の切っ掛けとなる完封勝利を収めたのが転機で
そんな扱いを払拭した様な。 園川、前田、小宮山、伊良部
ロッテの歴代エース格が最高でも87勝ってのが意外
まぁ小宮山伊良部は大リーグのキャリアが別にある訳だけど
完封っつぅと、巨人の河原が
良いときはスイスイと完封してたな
暗黒阪神相手に 園川と前田に関してはエース格だったことなんてないしむしろ意外と勝ち星多いと思う部類
小宮山については横浜移籍後以降の勝ち星を外したらそら減るだろう >>650
小宮山の通算87勝ってのは、横浜移籍前の通算勝ち星で
その後MLBを経て出戻りして、中継ぎでの10勝を上積みしたら
ロッテでは通算97勝になる
>>651
そういえば前田って、キャリアでシーズン2ケタ勝利が一度も無いんだよな
それでも中日と巨人在籍合わせて計78勝してて園川よりも勝ってる
過去の珍しい記録スレでも同じようなレスがあった記憶 >>645
1・前年張本が「馬力がありながら糞真面目で不器用な大豊には型にはまった打法が合っている」と伝授した一本足打法がようやくしっくり来た事
2・落合移籍に依り元々の守備位置の一塁定着で守備の負担から開放された事
3・何より相次ぐ球場拡張でセ・リーグで2つだけとなったナゴヤ球場&広島市民球場(旧)を舞台に、達川引退以降、すっかり弱投となったカープ
相手に18本塁打の大量生産(カード別年間本塁打の日本記録)を果たした事
以上が相まっての好成績ですわ。
確か当時の週刊プレイボーイで大豊を「狭い球場で打ちまくる男」、カープの主砲で月間16本塁打をマークし、首位打者争いにも顔を出した江藤を「狭い球場で打ちまくる男パート2」
と紹介して思わず笑った記憶が >>653
どうでも良い事だが神宮も拡張前だし甲子園以外は横浜と東京ドームなんだから狭い球場しかないよな >>654
今でこそ右中間左中間の膨らみがないだのドームランだのと狭い球場扱いだが
1992年になって開場初の1試合3本塁打をオリックスの高橋智が達成して、当時は広い球場と認識されてた
>東京ドーム >>647
それな
園川というとKOされてるイメージしか無い
しかも西武戦に極めて弱かったイメージがあるので調べてみた
対西武
86 0-0
87 2-1
88 0-3
89 1-1
90 0-1
91 0-1
92 1-1 ※1完封
93 1-5
94 0-0
95 0-1
96 0-1
97 0-3
98 3-1 ※1完封
99 1-1
通 9-20 2完封
思ったより良い数字でびっくりした >>656
引退直前の頃の方が西武戦の成績良いのかよw園川
97年までは5勝18敗だから、ここまでなら相性は最悪だ >>657
そりゃあそうだろ、園川の衰え以上に西武が弱体化したんだから。 調べてみると黄金期西武にカモられてたロッテの投手で
西武戦に孤軍奮闘していたのは荘くらいなんだよね、あとは精々村田くらいか
ともあれロッテは西武に徹底して主力をぶつけていたが跳ね返されてたんだなぁ 阪急の佐藤義則なんて85年だけで独走優勝した西武相手に8勝もしてるのになあ
園川は実働14年で9勝かよ・・トホホ 園川はキャリアハイでも10勝15敗というロッテの暗黒らしさ 防御率はいいのに
10勝15敗とか8勝14敗とかの投手のむずがゆさよ 園川はあんま西武戦に投げさせて貰えなかったんだな
首脳陣も園川が西武に通用しないのは判っていたんだろう 黄金期の西武ってロッテをそんなカモっていたイメージないな。
1991年は21勝ぐらいしたけど。他の強豪チーム重視して、その年
成績悪い投手とか、ちょっと落ちる投手よく先発させていたイメージ。 黄金期西武のお客さんはロッテと近鉄
苦手にしてたのは阪急オリックス
コンスタントに勝ち越してたのがハムと南海ダイエー >>667
でも、その頃でもまだ西武の方が勝ち越してたからなあ。
今や無惨。 当時の西武は右打者だらけだったから園川の出番が無いのはしゃーない。 あの頃のロッテって、けっこう左の先発投手が多かった
園川の他に前田や今野
忘れた頃に先発で投げて、いつも負けてた笠原とか >>669
当時の西武はサウスポーに異常に強かったからな
近鉄の鈴木啓示ですら西武戦は滅多打ちされる事も多かった
当時の西武に強かったサウスポーは星野伸之くらいじゃないか? 平成以降の13球団で平成以降他球団での日本シリーズ出場経験者含めて
日本シリーズ出場経験者が
現役選手で誰もいないチームが存在しないこと 守備の人の日ハム金子が
97年に12HR
09年に3割14HR打ってる 日本シリーズ出場経験者が一人もいないチームはどこのチームが最後か、というのは過去に話題になった気がするがどのスレかは忘れた 波留敏夫の99年の15本塁打
でも翌年も231打数で8本塁打とペースは99年より上でこの頃は長打力もついていた 他のホームラン関連だったら
ルーキー年は500打席近く立ってシーズンHR数0本だったのに
2年後の1980年にシーズン18本打った西武の立花とか
まあこの年のパリーグは超打高投低だったのも関係ありそうだが ホームラン関連なら84年近鉄大石大二郎の29HRだな
84年は三冠王ブーマーが37HRと特に飛ぶ球使っていないのに前年の10HRから約3倍増だからね >>678
84年もかなりの打高寄りのシーズン
1試合の平均得点4.76というのはこの辺の年では80、85年に次ぐ高さ バースがいなけりゃ三冠狙えた1985年の杉浦(ヤクルト) バースがいようがいまいが
打撃三部門その間に何人もいてどれも3位以内にも入ってないでしょ バースがいなけりゃ前年に続いて掛布宇野の本塁打王争い
岡田首位打者クロマティの打点王吉村の出塁率か
阪神勢はバース効果がないので幾分か数字が下がるかもしれないが 94年のブライアントの.293
規定打席以上では優勝時の.283以外は.250前後かと思っていた 2007荒木の31盗塁で盗塁王
赤星の腰痛が大きかった >>655
そういや東京ドームが出来た当初は巨人からホームラン王が誕生する事は最早無いのではないか?と言われていたよな >>683
ホームラン王争いでライバルとなりそうなのが同僚の石井(33本)しか居らず、デストラーデやウインタースと争った時のようなムチャ振りをしなくなった為。 >>687
このシーズンデストラーデ不在
ウインタースも本塁打数結構減っていたからな 吉田義男の通算1864安打
小坂みたいな選手だと思ってた 真弓、高橋慶、松永、和田豊あたりは今なら確実に2000本安打達成してそう >>690
通算1900本前後で終わった選手には130試合制と143試合制の差は小さくないな まあでも、コユキや福浦みたく2000本のために
何年も現役に執着してた選手よりは、達成目前に引退した選手の方が潔い
最近だと堀や谷や井端などがこれに該当するか
高橋由伸だってスペ体質ではなければ、余裕で2000本打てたと思うし 谷は全く潔くないだろ
お情けで古巣に拾ってもらったが9、11試合しか出れず全く戦力になれなかった
堀もラスト3年が38,19,29安打
40歳で残り180安打打とうと思ったらこのペースだと5年はかかる
こいつらは惜しいようで全然惜しくない 谷はアテネで野球人生終わったと思ったら意外としぶとく活躍した印象 >>681
打率7位 本塁打5位タイ 打点10位
バースと岡田は3部門とも杉浦より上だった 阪急の代打男高井
78年と79年は規定打席で3割20HR 指名打者制になり、かつ長池の衰えもあって、うまくハマった感じなのかな 西武になった後の日本シリーズで
88年中日と90年の巨人以外のチームは
最低1勝は所沢でしている 楽天 岸がNPB史上90人目の通算2000投球回達成したが、昨シーズン終了時点での通算打席数歴代90位は高橋 由伸で6831で
達成者数 通算6000打席>>>通算2000投球回なのが意外。
通算打率の打数下限4000、通算防御率の投球回下限2000と決めたころは通算4000打数と通算投球回2000で釣り合ってたのだろうか 200勝みたいに一部の化け物投手を基準に通算規定決めたこと
高卒即戦力投手が減ったこと
分業化が進んだこと
野手の長寿化
こんなとこが理由かね 名球会の話?
200勝なんてのはカネヤンが適当に考えた数字だよ。 >>705
それは知ってるけどカネやんとか権堂とか昔はアホみたいな成績残す選手がいたやん
それを基準にNPBが規定を決めたのかもねっていう話 巨人の松本(初代)が入団1年目に57打数で4本塁打も打っていたこと
レギュラー張ってからは、510打数6本塁打が最高なのに >>707
だから名球会は一私的団体であってNPBは関与してないから
(成り行きで協力はさせられてるかもしれんが)
NPBが決めてるという話ではない
NPBがやっているのは
100、150、200勝あるいは1000、1500、2000安打という区切りに達したという「表彰」 いわゆる昔の10年選手(戦後のFA選手)を標準として
200イニング×10と
400打席×10で想定してたんじゃない >>703
岸が現役通算防御率1位に躍り出たな
今2000投球回に届く投手が少ないのは
それくらいやれるレベルの投手は大抵メジャー行っちゃうのもあると思う >>678
大石が尊敬する福本は西本監督から
「小柄だからといって最初からシングルヒット狙いに行くな、フルスイングしろ」
と言われて鍛えられたから大石も同じように鍛えたと思ったら大石と西本監督は1年しか被ってなかった。 堀内恒夫 打数1010 安打174 打率.172 本21 打点082
平松政次 打数1062 安打166 打率.156 本25 打点078
松岡 弘 打数1015 安打158 打率.156 本12 打点076
星野仙一 打数0654 安打134 打率.205 本15 打点059
江夏 豊 打数0852 安打128 打率.150 本07 打点052
昭和40年代のセ・リーグのエースの打撃成績
江夏は奪三振記録の試合でサヨナラヒット打ったり
ノーヒットノーラン試合やオールスターでホームラン打ったり
一番打撃で魅せた投手ってイメージだが
通算打撃成績もホームランも他の投手より抜けていたわけじゃないのね。
まあパリーグ行ってリリーフに転向したのも影響してるか 投手の打撃は、平時の10本よりここぞの1本だから
工藤公康なんて全くバッティングはダメだったけど日シリのサヨナラヒットと200勝試合の本塁打と2つも名シーンがあるし
逆に25本も打っている平松は語り継がれる場面がない 投手はわざと三振して次の投球に備えるという事も多いしな >>715
打率は桑田のほうが上だけど、
この時代のピッチャーはHR数が凄いよね
80年代になっても江川西本とかも10本前後打ってたし、
根本的な考えとかが変わったんだろうか
00年代はガルベスが衝撃的だったw 堀内と平松はバッティングが普通の投手程度だったなら200勝危なかったかもしれんな 平成以降デビューした投手の通算本塁打上位は、大谷を除くとガルベス10本、川上憲伸8本まではわかるけどその次はコルビー・ルイスの5本? 2002年から2004年までのロッテの成績が3年連続4位とはいえ
それなりに健闘していること 特に、2002年は開幕12連敗スタートから、5割前後まで戻してるしな >>720
野村弘樹が6本って思ったけど
プロ初登板は昭和63年だった。残念 松永はキャリアハイがそれ程凄く無いし別に意外でもないかな。意外なのは榎本や加藤英や掛布辺り。 榎本は高卒一年目で三割近く打ってて最年少2000本安打達成したから
若い頃から高打率を維持してたのかと思ったら意外に2年目から
首位打者とる前年までの4年間は打率停滞しているんだよな。
加藤は1982年以降、掛布は1986年以降打率がガクっと落ちた。 榎本は2000本打ったシーズンを終えた時点では通算打率3割あったのに
2割台に落ちるまで現役続けてたのが異色
普通3割切る前に引退するのに 通算三割についてはこのスレの500前後でも話題になってるな >>631
そんな谷沢が初めて首位打者に輝いた時に僅差で両リーグ首位打者の偉業を逃したのが張本だったとは奇しき因縁 2016年日本シリーズの関西の平均視聴率は
阪神が出た2014年並みに取れていたこと 試合数も打席数も榎本>坂本なのは知らん人は本当に意外だろうな
みんな坂本が2年目から活躍してて今143試合制だから坂本の方が多いと勘違いしてる
榎本は1年目から活躍してて昔は152試合とか149試合とかあったんだよな ソフトバンク川島。今シーズン終了時点でまだ通算500安打に届いてない
立ち位置的にはスーパーサブ、だろうけどもうちょい打ってると思ってた >>731
1956年のパなんか8球団だったこともあってか154試合もあったな(この年2年目の榎本は152試合出場)
規定投球回は230というとんでもない数字だった 池山隆寛選手
30本塁打を記録した5シーズン(1988-1992)で、いずれも犠打を記録していたこと。 >>729
両リーグ首位打者は江藤慎一だけか
落合も達成し損なった パ・リーグの単独チームの連続日本一が西鉄、阪急、西武(2回)、ソフトバンクの3連覇が最高なこと。
黄金時代の西武がもっと連続日本一になってる印象があったので意外に思った。
昨日の感じだとソフトバンクが記録更新濃厚でしょうな。 田淵の最後の年ってもうどうしようもない感じだったけど数字を見てみたらまだワンチャンス
あるくらい悪くはない成績 内川は去年、1打席も立ててないが
それまで、3年間、3割を打てていない
むしろ干されるのは妥当ではないか、と 内川といえば、今朝見た情報番組の中の芸能人の推し面リストというのに名前が挙がっていたのが意外過ぎたw 意外な球場で1軍公式戦出場経験のある選手
東京ドーム ランディバース 福本豊 山田久志 森繁和
グリーンスタジアム神戸 羽田耕一 栗橋茂 村田辰美 村田兆治
千葉マリンスタジアム 尾花高夫 屋鋪要 角盈男 新浦寿夫
福岡ドーム 斉藤 明夫 杉浦享 牛島和彦 中尾孝義
大阪ドーム 松永浩美 福良淳一
ナゴヤドーム 藤本博史 広瀬哲朗 落合博満
札幌ドーム 今中慎二 村田真一 >>506
王さんは昭和34,36,53,54,55年以外の17年は打率10位以内。うち11年は5位以内なんだよね。
これでこの通算打率ということは、リーグ全体の打率が低かったんだろうね。 >>745
ただでさえ出番が減ってきた時期で
ビジターや事実上の地方開催扱いだからチャンスが少ない中で実現した組み合わせだから充分意外
あと門田が千葉マリンで1試合2本塁打打っているも意外 >>743
バースは東京ドームでは3勝負け無しで帰国。 内川も通算打率.302って知って結構ビックリした。
もっと打ってるイメージだった。 通算打率3割がいかに大変かって分かるね
王ですら301.だもんね。 >>747
ゴールデンウイークの日テレのチョモランマ登頂同時中継の中でドーム3タテだったな ミッキー・マントルは通算打率が.298まで下がってしまったことを、生涯後悔していたらしい
結果論だが1500打点と通算打率3割を天秤にかけた形となった
1965年 6894打数2108安打 .306 473本塁打 1344打点
1966年 7227打数2204安打 .305 496本塁打 1400打点
1967年 7667打数2312安打 .302 518本塁打 1455打点
1968年 8102打数2415安打 .298 536本塁打 1509打点 >>753
現役18シーズンの内10回3割打ってるのに
それでも割っちゃってるんだ、厳しいねえ マントルは最後の4年中3年が.250前後というのが致命的
シーズン三割9回ながら現役晩年の衰えに加え、三割打てなかったシーズンで
低打率のシーズンが度々あって通算三割を逃した加藤秀と被る。
一方近しい世代の同じく巧打の左投左打の中距離砲で
シーズン三割6回と加藤より少ないながらながら極端に打率が低かったのはプロ入り1,2年目と
シーズンの大半を棒に振った年だけで、それ以外の年はは三割打てなくても.270〜290前後
にまとめて通算三割に踏みとどまった谷沢との明暗よ。 谷沢選手のシーズン3割6度は
通算6000打数以上の3割打者の中では最少なのですね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akichan/rank3.htm 落合も最後の2年間で5厘も打率落としてるし
打率はあっという間に下がるよね 通算打率1位の青木も今年だけで4厘落とした(.325→.321) 坂本勇人が通算打率3割未満なのが意外。
史上最年少2番目での達成だが、それであれば通算打率も張本並に高いだろうに。 坂本は10代から現在に至るまで試合に出続けることで安打を稼いできたから
2013〜2015年は.270前後をウロウロしていたし 密かに通算成績がかなり近似している二人
野口茂樹 防3.69 81勝79敗 1405回2/3 1122奪三振
藤井秀悟 防3.77 83勝81敗 1463回1/3 1064奪三振
野口の方が明らかに防御率がいいイメージがあったが、実際にはそれほど差がない。 >>759
坂本は元々積極的に打ちに行くタイプなので
打席数の割合では四球数はかなり少ない
なので必然的に打数は多くなるので、これは仕方ないのでは?
これでも近年2〜3年は四球数の割合は以前よりかなり高くなってる
これで現時点での通算打率.292はすごいと思うよ >>753
ウィリー・メイズも通算打率が.302になった時、これ以上下げたくなくて引退した、と聞いた。
同じ時代のミスタータイガース、アル・ケーラインは、通算.297 399本塁打と絶妙に惜しい数字。ファンが通算3割を切らないか計算していた、という逸話がある。
まぁ、引退年に146安打して3000安打に到達したから、本人としては3000安打が優先だったのかもしれないけど。 >>759
>>444
あたりのかまって君がまた来た? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています