珍しい記録 Part40
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清原って巨人に行ってから黒地蔵になったけど
西武時代は守備・走塁は中畑くらいはあったよなあ。打撃は別格だけど 高橋由伸の入団当時の評価だと
長打のあるイチローで
28盗塁9さんとか1年で楽に残せそうだったよな 本人は足だけは全然速くない松井さんのが速くって当時から言ってたが 松井は若い頃は長嶋に「ボンズみたいに40・40を目指せ」と言われてた。
第二次監督時代はスピード&チャージというスローガンの割に機動力とは無縁の野球してたけど。 二岡が入ってきたときの週ベで、
「上原と二岡で大成功ドラフト」と書かれていて、
その中で「松井、高橋、二岡と将来的には走力もある、
夢のクリーンナップ形成も」みたいに書かれてたんよ。
実際にはスぺ体質とか固い人工芝とかもあって、
走ろうともしなかったし、走る必要もない
(と思われていただけだったりするのだろうが)
打線だったとも言えるのだろうけれど。 二岡の通算48盗塁はまだしも通算3三塁打はすごいな 鈍足阿部でも9本打ってるのに >>283
そういえば清原とデストラーデの重盗とかあったっけ?
たしか「走る重戦車」とか言われたようなw >>289
二岡は流し打ちHRの割合がどれくらいなのか興味ある。
1位は千葉茂だろうけど、かなり上位には入るだろう。
こんな記録調べてる人いるのか知らんけど。 正田のホームラン0で首位打者
ホームラン打てない選手って前進守備されて打率も下がるよな >>291
御馴染み宇佐美氏によれば、千葉の通算96本塁打のうち
81本が右方向、4本が中堅の由 >>293
こういうのを見るたびに、本気でホームラン狙いしてたら当時の記録を作ってただろうと思う 右方向は落合が176本
清原は156本
左中右のそれぞれで100本以上打ったのは清原のみ。 解説:上田と槌田は毎年ヒット数が少なくなってますねえ >>299
検証してみた
年度別安打数
上田・・・3→0→5→2→48→10→46→49→33→1→16→2
槌田・・・9→16→23→3→15→19→7→8→1→3→3
結論
昔の解説者は大嘘つき >>300
やっぱり上田のほうが槌田よりも大物なんですな? >>296
落合は最初に三冠王獲った時の32本中・右方向20本におったまげた。
後に左方向への本塁打数も伸ばしている事から、どうやら振り遅れ気味でライト方向に押っ付けた打球(並の打者ならライトフライ)が
スタンドインしていた模様。 >>284
巨人だからマスコミがオーバーに表現するのと巨人ファンも名手みたいに言いたがるが足も速くなく、守備範囲も広くはなかったよな。 あるカードの対戦成績で、
「前半戦は一方的に圧勝→後半戦は巻き返される→負け越しこそしなかったが、V逸の大きな原因だった」
のというと2008年阪神の横浜戦ぐらいしか思い浮かばないが、他にはあるかな。
○○○●○○●○○○○→○●●●●●●○○△○●● >>306
1973年中日 対巨人
●○○○○○○○○●●○○○○○●●●●●○●○●○
1984年中日 対巨人
●○△○○○○○○○○○○○○○●○●●○●●●●○ あと思いついたのは2010年の西武、対SBとかかね。
トータルでは14勝10敗。
だけど、9月の天王山被3タテが強烈すぎる。 97年オリックスー近鉄
檻の14勝12敗1分けだが、10回戦までは9勝1敗、それ以降は5勝11敗1分け
さらに8月26日からの3連戦では、前年一度も近鉄に負けなかった神戸で3タテ食らった これもなかなか
89G-Dは落合のサヨナラ3ランから流れが変わった。
98F-Bwは両チームの前半・後半の変わりようが凄く、それが対戦成績にもはっきり反映された感じ。
89 G-D
http://2689web.com/1989/GD/1989GD.html
98 F-Bw
http://2689web.com/1998/FB/1998FB.html バッター有田の時にネクストバッターズに代打の山倉が入った。
有田はそれを見たのか?気合が入ってるように見えた。
結果はキャッチャーフライになった。 上原が巨人に復帰したけど、監督と生年月日が同じ現役選手って史上初? 上原と由伸が同い年なのは知ってたけど月日まで同じなのか。
巨人はこの75年世代当たり多いな。 >>318
さらに高橋尚成投手がこの二人の前日が誕生日ですね。 立浪和義とタイロン・ウッズも生年月日が全く同じ。
05年などこの2人で3,4番コンビを組むケースも多々あり。 >>305
阪神の伊藤ハヤタや高山みたいなお笑い守備でも、ドラフト前から三拍子そろった選手と言われてたくらい。 NPB史上初の12球団から白星でお馴染みの投手は、四球団でシーズン同時に二桁勝利と二桁敗戦を記録
四球団でシーズン二桁勝利、シーズン二桁敗戦と分けても、それぞれ他に達成者はいない超珍記録(MLBなら探せばいるかも?)
また、シーズン最高勝率を記録しながら通算100勝以上で負け越したのは彼を含めて6人
面白いのはそのうち大洋or横浜の在籍経験がないのは清俊彦だけ 補足
清は阪神に在籍した最終年度のみがセリーグの実働で勝ち負け関係が無かったので、
セリーグで勝ち負けが付いた経験がある後の5人は全員大洋か横浜に在籍したことになる 野村収といえば、82年が21先発して規定投球回数未到達(120.1回)
規定投球回数未到達者の中で最多先発数ってどのくらいだろうか 2005年下柳
24試合全て先発だが132回と1/3しか投げていない >>324
規定投球回数=チーム試合数 となった1964年以降ですと、
26先発が最多のようですね。
82年 門田 富昭(洋) (先発26 救援4 120.2)
01年 バワーズ(横) (先発26 救援0 127.0)
03年 正田 樹(日) (先発26 救援1 134.0)
08年 ウッド(横) (先発26 救援0 136.1)
去年はディクソン投手(オ)が25先発で規定投球回数未満でしたね。 すいません。
>>326に訂正です。
03年の正田投手は救援登板ゼロでした。
大変失礼しました。 ついでに。
完投ゼロのシーズン最多先発登板数の上位です。
見づらくて申し訳ありませんが、
一番左が先発登板数、救援登板があった投手は一番右に救援登板数を記載しています。
32 02年 ホッジス(ヤ) 200.2回
31 00年 ミンチー(広) 183.0回
31 08年 グライシンガー(巨) 206.0回
29 63年 鈴木 隆(洋) 213.1回 救援30
29 11年 高崎 健太郎(横) 177.1回
29 12年 バリントン(広) 175.2回
29 15年 メッセンジャー(神) 193.2回
28 04年 マレン(横) 151.0回
28 05年 大竹 寛(広) 161.2回
28 06年 石川 雅規(ヤ) 151.0回 救援1
28 06年 石井 一久(ヤ) 177.2回
28 10年 村中 恭兵(ヤ) 178.0回
28 13年 バリントン(広) 172.2回 >>329
時代性ではあるが鈴木隆はむしろ凄いな
しかし大洋・横浜ってw 細切れ継投の元祖的チームだもんな>大洋
1960年なんて秋山(右アンダー)・島田(右)・権藤正利(左)・鈴木隆(左)・大石(右)の5人を連日取っ換え引っ換えして
日本一にまで上り詰めたようなもの。
三原監督的には稲尾の様なスーパーエースが居ないから、稲尾の役目を5人で分担するしか無いって発想の様だった
けど。
そんな三原用兵で最も便利屋的に使われていた一人が鈴木隆。
それ以前にも鶴岡南海が類似の継投を多用し、次から次と若手投手を使い潰して「ピッチャー殺しの鶴岡」なんて言われた例も
あるけど、勢いがある投手をとにかくジャンジャン送り込む継投だった鶴岡親分と違い、秋山、大石がシュート投手なのを生かして、
左vs左、右vs右を基本とした対戦打者との相性に重きを置いた継投だったのが、当時としては斬新だったところ。 新巨人の星・第1話で、昭和50年の巨人―広島の1回表、1アウトランナー2塁で打者・山本浩二.
ここで堀内は振りかぶって投げている。 >>325
それで、リーグ最多勝だからな。
あの頃はJFKが盤石だったから、6回まで投げてリードしてたらほぼ勝利は間違いなかった。
あと、その補足で
シーズン最終戦では延長10回を完投しているという。 小ネタ
2010年オリックスのロッテ戦の2回戦から11回戦までの先発投手
金子-木佐貫-金子-木佐貫-金子-木佐貫-木佐貫-金子-木佐貫-金子
24試合中16試合がこの二人のどちらかが先発 >>325
アンチ阪神なんだが
このヒゲゴリラはめっちゃ嫌いだった
とりあえずアンチ阪神でも関西在住だからテレビ中継はしてるから野球中継は見るの好きだから見てたけど
このヒゲゴリラ
JFKがいたから仕方ないとはいえ
一週間のゆるゆるローテーションで投げるテンポは遅いわ
5回までしか投げないから 投手の役割分担が細分化したために、絶対に現れないと思いますが、
同一シーズンでの10勝30セーブ、20勝10セーブを見てみたかったです。 >>335
阪神ファンの俺でさえ下柳は嫌いだったぞ >>336
セーブのルールが制定される前の稲尾和久・小野正一・江夏豊なら達成しているかも。 >>340
このあたりも
1959杉浦 38勝+11セーブ相当
1965宮田 20勝+22セーブ相当 >>340
江夏って抑え専門に転向する前は先発専門じゃなかったの? 渡辺秀武の年度別成績、最後の4年間(広島在籍時)が防御率2.22→2.90→2.89→0.00
いずれも規定投球回未満とはいえ、引退直前にこれだけ続けて好成績なのは珍しい >>340
小野はセーブ相当が10に達した年はないもよう
稲尾は20勝+10セーブ相当を3度達成している いいピッチャーは先発でガンガン起用して、勝てそうな試合の後半やピンチの場面でも投げる
中4-6日ローテや分業制が当たり前の現代からすれば随分過酷に見えるが、
当時のピッチャー達はもう少し休みたいとかしんどいという気持ちは無かったのだろうか? 当時はバッティングマシーンもないからたいていの打者はレベル低く全力投球しなくても抑えられたからな >>350
稲尾「むしろ稲尾、行け、と言われなかったら取り残されたようで寂しかったよ」 昔のいい投手なら数人だけ気をつけて投げればあとは抜いても抑えられた
今はいい投手でも気を抜ける箇所は少ない
どんなスポーツでも芸術でも必ずそうだが
黎明期と成熟期とではトップレベルの質自体はそこまで大きく変わらなくて
大きく違うのはトップレベルの人数なんだよな
日米野球やWBCの選抜メンバーはいい試合するが
NPBの1球団がそのままMLBに入ったら通用しないだろうってこと 時代が進むとチーム1の投手とその他の投手の格差も少なくなったという事もあるな >>351
権藤曰く、自分や金田みたいなずば抜けた投手は3、4番以外は手抜きでも抑えられた時代だったと語ってたな。
>>353
V9巨人ですらON以外の成績はショボいよな。 時代を経て打者技術ほどには投手技術は上がらなかったということか。 >>350
今の投手でも元気なうちは常に投げさせてほしいと思ってるらしいよ。
権藤は肩が痛くて限界だったから接戦にならないでくれと願ってた。 プロ野球開幕前。
最近は投手で今年の目標を聞かれ、先発だとイニング数を目標にする投手が増えた気がする >>355
権藤や金田の発言を聞くたびに、稲尾は本当に神様だったんだと思う 一軍開幕投手予定のSB千賀がファーム開幕戦で先発
同年一ニ軍開幕投手の先例ありや? 開幕投手といえばDeNAは二年連続で石田になるみたい
2008年以来毎年違う人がやってきたのがついに途切れるか >>360
ヤクルトの方の石川がやってる気がする
ファーム開幕投手は確実にやってたがその年開幕投手だかは知らん >>361
寧ろばんてふが2008年以降連続開幕投手を務めていなかった事が意外。 08 三浦異変を訴え直前に寺原に
09 三浦最後の開幕投手
10 前年終盤デビューで好成績のランドルフ
11 前年エース清水不調で移籍初年度山本省吾
12 満を持して新エース高崎
13 前年エースの三浦でなくオープン戦好成績の藤井
14 2年目エース候補筆頭の三嶋
15 前年エースの久保
16 ラミレス就任早々指名した山口俊故障で井納代役
17 前年好成績の石田 藤田平が解説をすると「〜という」を「ちゅー」連発してた。 >>363-364
それ考えたら
山田久志の12年連続開幕投手って、とてつもない記録だな。
おそらく今後二度と破られる事は無いと思う。 当時の阪急って、佐藤、山沖、今井やら
結構な投手王国だったのに凄いよね
巨人も投手王国だったけど、年によって結構変えていたな。 そういや開幕投手という記録はたびたび話題になるが、開幕スタメン野手の記録はあまり聞かないな
やっぱり長嶋茂雄なんだろうか? >>366
最長が巨人時代も含めた4年連続(1962〜1965年)でちょくちょく他の投手に開幕投手を譲っていた。 昔は開幕投手イコールエースでもなく
結構わけのわからない投手が先発登板してる
金田稲尾時代は良くも悪くも開幕投手に
こだわりはなかったんだろ 最近もWBCイヤーとかは無理にエースを開幕投手にしなくなってる。
開幕投手には「格」というものが必要なんじゃないのかよ。 >>369
張本の23年連続(1959-1981)では 先発投手が救援勝利を記録したのはこの試合が最後でしょうか。
http://2689web.com/1993/SY/SY20.html
先発投手がセーブを記録したのは例の高橋直樹投手だけなのでしょうか。 >>372
稲尾と金田ってどっちも園川の上司やんけ。 >>374
野村も23年連続(1957-1979)
1956年は開幕2試合目に先発出場しているので惜しい 野村は1980年にも開幕2試合目に先発出場しているので惜しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています