惜しくも新人王を取れなかった選手は?
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>>72
藤浪晋太郎は甲子園優勝投手で高卒ルーキーで10勝したが新人王を獲れなかった >74
相手が悪かったな
規定投球回にはわずかに届かなかったが不作の年なら新人王とれてた
大卒で100イニングちょい8勝の有原でもとれたんだからな >>77
106試合 280-70 .250 3本 26点
阻止率.527は特筆されるも佐々岡西村までいてかすりもしてないんだが 佐々岡、西村、石井、潮崎、酒井
二岡、福留、岩瀬、福原、川越
甲乙つけがたい 古田だってレベルの低い年なら余裕で新人王取れただろうよ >>80
そんな選手山ほどおるだろ
自分の適当な記憶を棚に上げて見苦しいにも程がある 江川卓
防御率は平松に次いでリーグ二位
勝ち星は六月からの登板ながら九勝十敗 通算成績は高卒有利なのでせめて新人王ぐらいは完全新人に限るべき 他にロクなのがいなかったら
藤波・田尾・上園の成績でも貰える ノーヒットノーランに加え次戦も勝利
次々戦の阪神戦ではまた1安打の完封勝利で3連勝
ここまでの華々しさは印象に残ってる人が多いだろうが、
その後は巨人戦で完封勝利をしただけで
最終的には11登板10先発58.2回 4勝5敗 防4.45
まあ3連勝後も投げれば完投完封9勝1敗 防1.55
チームも近藤に引っぱられて巨人を抜いて逆転優勝
こんくらいだったら新人王の芽があったんじゃね 新人王と初登板初ノーヒットノーラン、どっちが凄い?となれば
当然後者だけど、それと新人王とは話は別 当時はタイトル扱いじゃなかったが、最多奪三振の江夏
最多盗塁の近本 昭和25年は二リーグ創設の年で新人選手が多かったから、好成績にも関わらず新人王に
なれなかった選手が結構いた
西日本の南村、毎日の戸倉は新人王でもおかしくなかった 高橋由伸は普通にすごい成績だった思うが、
打率に関しては坪井がいたのでかすんじゃったんだな。 >>95
その救済との名目で翌1951年は2年目まで対象となり、1年目は殆ど登板が無かった(つまり今でも有資格対象と思われる)セの松田清はともかく、
パは入団した前年から全試合出場とバリバリのレギュラー2年目の蔭山和夫が選出されたという。 去年の戸郷や一昨年の近本を見ていて
ふと昔から特別表彰の制度があったら誰が対象になっただろうかと思った
自分が真っ先に思い浮かべたのは昭和54年の山口哲治だが 岸が田中にボロ負けしたトキ実質終わったからな
もう完全に中身よりメディア貢献や記者共への知名度が優先される賞に落ちぶれた ボロ負けはともかく岸と田中なら田中選ぶだろうし何とも 岸の方が遥かに防御率が良く
田中の方が遥かに援護に恵まれながら勝敗は同等
これで田中圧勝は不当
あの斎藤佑樹のラスボスとして知名度を上げたが故の大差でしかない
野球の成績関係ない
斎藤佑樹に取らせてもらった新人王といえる https://npb.jp/award/2007/voting_rok.html
上にも貼ってあるように指標的に田中の新人王は妥当だが
得票に差がつきすぎだとは思う 防御率…栄光の大いなる偉大な岸の大圧勝
勝ち星…互角だが田中はプロ野球史上最高援護のゆとり環境
勝率…同上
投球回…地獄の防御率ながら贔屓起用で数字を伸ばした田中のインチキ勝利
奪三振…同上
知名度…社会現象となった斎藤フィーバーの決勝の相手として名を売ったコバンザメ田中の勝利
人気…取り巻きの色気記者にゴリ押し報道を連発させやや田中が優勢
これで田中圧勝は「新人王はマスコミへの貢献度が最優先ですぅ」と宣言したも同然 佐々木信也
打率.289ながらリーグ6位、154試合フルイニング出場で180安打、34盗塁、ベストナインにも選ばれたが新人王は稲尾和久に。
まぁ運が悪かったとしか言いようがない。 田中とかスター扱いもねえよな、そりゃ実績力量的に年俸が知名度は上がるだろうけど、甲子園関係無くしたら良くても昔のオリックスの金子ぐらいの扱いだろう 西崎古田高橋よしのぶあたりはかなり有名だが、佐藤は成績はともかくインパクトは
前三者より大きいな。 佐藤や栗林の大活躍の裏で栗林とか木澤とか平内とか何処へ逝った状態になってるのが笑えん
高校時代どころか大学時代の実積や知名度でもプロで逆転することがあるんだから怖い でもジャーマンや矢野が近藤相手に偉そうな態度を取る事は永遠に無さそう 清原がバケモンだったから惜しかった訳ではないけど、
連盟特別表彰とかはあっても良かったかもね >>117
桑田武が本塁打王&新人本塁打記録(現在も清原(1986年)とタイ記録)を作ったからねえ。
桑田、清原共にタイ━━━━||Φ|(|´|Д|`|)|Φ||━━━━ホ!!でプロ野球と縁が切れてしまったのは偶然かね(´・ω・`) >>117
尾崎紀世彦(1970・8月別れの夜明け)また逢う日まで(1971・3・25)
実質的に1971年度の新人賞候補だが
第13回日本レコード大賞大賞と歌唱賞受賞
日本歌謡大賞 放送音楽賞と第2回 日本歌謡大賞大賞受賞
新人賞の候補にも上がらず新人賞は一切獲ってない >>119
そもそもそれ以前に第1回レコード大賞(いみじくも村山が新人王を取れなかった1959年)が
水原弘のデビュー曲・黒い花びらという。
しかも永六輔の初作詞曲にして、中村八大にとっても作曲家転身後、最初の作品という。
新人が大賞を受賞した為、この年は新人賞は受賞者無しとなった。
但し当時はレコード大賞自体の知名度が無かった様で、
水原「レコード大賞?何だいそりゃ?」
中村「おめでとうと言われても、何だか分からなかった」
とまるでピンと来なかったとの事だが。 しかし
水原→酒とギャンブルに溺れ、暴力団開帳の花札賭博に関与した件で一旦は芸能界追放、
その後、「君こそ我が命」で奇跡のカンバックを果たすも、酒浸りの生活は変わらず、僅か42歳で逝去。
桑田→2年目に日本一、3年目に打点王と長嶋のライバルと目されるも、次第に成績が尻すぼみとなり、監督との衝突を繰り返す
トラブルメーカーと変わり果てた末に、遂にはオートレース八百長関与で逮捕され、プロ野球から事実上追放。
清原→書くまでも無かろう。
とあらためて3人並べてみると全く何だかなあという感想しか_| ̄|○ 横田vs熊野は、成績を見るとまあ熊野なんだが、
熊野が28歳の新人だったから、それが割り引かれて横田でもおかしくなかったかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています