1961年、西鉄ライオンズは東映フライヤーズとの試合を「那覇市営奥武山野球場」で行った。これは沖縄初のプロ野球公式戦である。

東映フライヤーズは日本ハムの前身となるチームだ。
当時の西鉄には稲尾和久、豊田泰光、仰木彬などが在籍し、東映にも張本勲がいた。
沖縄の野球奉賛会が「ぜひ沖縄でプロ野球を」と福岡に本拠地のある西鉄(現西武)に話を持ちかけ、
これをライオンズが承諾。東映(現日本ハム)との主催試合を沖縄に日程を変更した。

https://baseballking.jp/ns/122277
http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1205/kiji/K20120520003289410.html
http://www.sports-commission.okinawa/camp2014/column02/0130_column02.html





だがしかし、とんでもない問題があった。当時の沖縄は、アメリカ統治下だった。