さらば落合博満〜育成能力のない独裁者へ

 人は監督時代の落合博満を称して「名将」と言います。
 確かに8年間で優勝4回、すべてAクラスという成績だけを見ればそうかもしれません。
しかし、「名将」と言わしめる条件とは戦績だけなのでしょうか?
そこにはカリスマ性が求められるかもしれませんし、人柄を条件に入れる人もいるでしょう(人柄を言われたら落合はこの時点でハズレかも?)
 私はそこに選手の育成、つまり「どれだけ選手を育てたか」という条件を付したいと思います。
それで改めて私は問いたいのです。落合博満は名将と言えるのかと。
とてもじゃないが私は肯定できません
 
 落合博満が中日の監督に就任した時、彼は確かこんなことを言いました。
 「右の四番バッターを育てたい」
 自らの後継者を育てようという気概にファンは期待したものです。
その時の候補者の一人が、確か前年に入団したS選手。
しかし、結局落合は育てることができず、その後3年ほどでSは首になりました。
それなりの能力を見出したのならもう少し長い目で見てもよさそうなものなのに
落合政権下では入団後2,3年であっさり解雇される若者が異常に多かったように感じています。

 はっきり言って、落合博満に選手を育てるという能力はないのです。
それどころか、野球選手としての素質を見極める能力すらほとんどないのです。
だから、監督として在籍した8年間、新たな戦力として台頭してきた選手はほとんど見当たらないのです。
あっさり選手を首にしてしまうのは、支配下に置いておけば「落合は育てられなかった」という悪評が立ってしまうので
それを防ぐためなのではないかと私は思います。
 
 では、何故落合は好成績を残せたのか?それは「落合は選手を育てる能力はないが
一定水準にある選手という駒を使いこなすのがうまかったから」
そして「引き受けたタイミングが絶妙だったから」にすぎないのです。

 監督のタイプを「人を育てるのがうまい」と「使いこなすのがうまい」という2つに分けるとすると
歴代の中日の監督で言えば、前者の代表は水原茂と星野仙一、後者は与那嶺要と落合博満と思います。
星野仙一の場合は、使いこなすのも巧みだったと言えるでしょう(その後のオリンピック等での醜態で評価は下がりましたが)

 つまり、水原茂が育てた選手をうまく使いこなして与那嶺監督が昭和49年に20年ぶりの優勝を果たし
星野仙一が蒔いた種に山田久志が水をやって成長させた選手を落合がうまく使いこなして4回も優勝できたのです。
つまり、2000年代の中日黄金時代の基礎を築いたのは星野仙一であり、落合博満は天の時を得て
つまり星野仙一によって見出された選手たちが中堅、主力として円熟期を迎えるという絶妙のタイミングで監督になっただけなのです。
まさに「人の褌で相撲を取った」に過ぎないのです。

 時機を見るのに巧みな落合博満は引き際も実に見事でした。
8年間の監督生活を経て、一応「解任」という形で監督を辞めたことになっていますが
真実はどうだったのでしょうか?実は落合本人も、名将の名に傷がつかないうちに辞めたいと思っていたのではないかと私は勘ぐっています。
つまり、主力選手がピークを迎え、新しい戦力も育っていないことを考えれば(前途ある浅尾投手もつぶしてしまった)
 黄金時代もここまでという意識があり、このまま監督を続けていけば、2,3年後にはBクラスに転落することは予測できたと思います。
Aクラス監督でいたいという思惑があったところに球団からの肩たたき…落合にとってはまさに渡りに船だったでしょう。

 GMとしてドラフトでの選手指名に権力を発揮しながら、戦力になったのはごく一部。
これなど、人を見る目のなさを露呈していますが、責任は谷繁監督に押し付けて知らん顔。
これでは誰からも信頼はされないでしょう。

 落合に対しては「だったらおまえが監督をやってみよろ!」という声もあるようです。
しかし、如何に監督としての能力があろうと試合をするのは選手。計算高いこいつのこと。
必要な戦力も整っていない今のドラゴンズを引き受けようとは思わないでしょう。というより…
 
 落合博満には二度と中日の監督をしてほしくない
 中日ドラゴンズという組織にすらいてほしくない
 とっとと出て行け